哲学
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ドゥルーズの哲学における主体の死と再生
大崎 晴美
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1998 年 1998 巻 49 号 p. 280-289

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抄録

現代フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは、ポスト・モダンという思想潮流の一員として位置付けられている。ポスト・モダンは、近代に対する異議申し立てを行い、その資格において、近代の原理である主体の死を宣告する。例えば、ドゥルーズの中期の代表作である『千のプラトー』の次の箇所は、こうした主張を表すものと見なされる。
「そこには、あらゆる形態も、それらの形態の発展ももはや全く存しないし、主体も、主体の形成も存しない。(中略)ただ、形態をなさない要素の間の、(中略)つまり、あらゆる種類の分子や微粒子の間の、運動と静止の関係、速さと遅さの関係だけが存する。ただ、此性、情動、主体なき個体化だけが存する。」(MP, p. 326)
だが、実際には、ドゥルーズの哲学の内には、主体への探究が存する。事実、ドゥルーズの哲学の出発点は、主体への問いによって規定されている。彼の最初の著作は一九五三年のヒューム論であるが、その題名は、『経験論と主体性-ヒュームによる人間の本性』(以下『経験論と主体性』と略す)である。つまり、この著作においては、まさに主体性が問題となっており、しかも、その主体性が経験論との密接な関係において理解されているのである。のみならず、そこで提示される主体の枠組みは、経験論との関係とともに、以後の著作によって引き継がれ、展開されてもいる。
本論は、哲学史の研究を主とする初期のドゥルーズの著作について、このことを示すことを試みる。その際に、まず、最初の著作であるヒューム論を(1)、次にドゥルーズが初期において最も重視していた二人の哲学者、ニーチェ(2)とスピノザ(3)についての著作を検討した後、初期の研究の集大成である『差異と反復』を吟味する(4)。

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