抄録
ここにとりあげるテーマは、いずれも筆者が筑波大学を定年退官後に勤めた文教大学文学部日本語教育専攻、および学校法人朝日学園 東京明生日本語学院 日本語教師養成講座で日本語教育関係の仕事をしているうちに気づいたことを散発的に述べたものである。筆者は1974年から2009年まで35年の長きにわたって一般言語学と音声学の分野で仕事をしていたので、その後に身を置くことが出来た日本語教育の世界は、何かと新鮮な刺激を受けることとなった。分けても、今までとは全く異なる目的に即した講義を準備するうちに気になったことが徐々にたまり、これらをメモしたものが本稿の元となっている。全体を一言で要約すれば、「日本語教育の音声」には音韻論よりも音声学のほうがはるかに有益であるということになる。なお、城生佰太郎 (2012) はこの種の指摘に関する出発点となっている。