本記事では町立移管がどのようになされ、高校と町にどのような力を生み出すのかを考える。
生徒数減少を前にして予め用意されている規準によって自動的に高等学校の統廃合を行うのではなく、岐阜県や島根県のように「再編整備を行う前に高校の活性化を優先する方針」が示される事例が出てきた(屋敷 2019, 本多 2019)。 『地域人材育成研究』第3号が報告したように奥尻町立北海道奥尻高等学校は、廃校化される前に地元の県立高校を町立に移管して地域高校協働によって高校を魅力化・活性化した事例である。『地域人材育成』 第3号及び。 第4号は訪問インタビュー調査で得られたデータから、地域との協働による高校の魅力化・活性化の背景と内容をなるべく具体的に紹介しているが、本稿では先行研究を中心に必要に応じてインタビューデータを用いて、町立移管に焦点を当て町と高校が連携し両者が主体化・自律化して活性化する背景と過程を検討したい。
内閣府「まち・ひと・しごと創生基本方針2019」(令和元年6月21日閣議決定)は「地域において地域ならではの新しい価値を創造する人材や、グローバルな視点を持ってコミュニティを支える地域のリーダーとなる人材、専門的な知識・技術を身に付け地域や産業界に求められる人材等の育成」を行う観点から市町村が高等学校の運営に参加することを推進する。
高等学校は多くの場合が都道府県または私立により設置・運営がなされているが、地域に必要な人材を育成する観点からは市町村が学校運営の重要な意思決定に関わることが重要であるため、高等学校を核とした地方創生に取り組む高等学校の学校運営協議会(コミュニティ・スクール)の委員に、市町村長又は市町村教育長等の参画を促進するなど、実質的に市町村が高等学校の運営に参画できるような協働体制の構築を推進する。 (内閣府 2019)
奥尻高等学校の町立移管は、全国の地元地域の高等学校改革を進めようとする市町村にとってモデルとなりうる挑戦である。たびたびモデルとされている島根県の「離島・中山間地域の高校魅力化・活性化事業」との比較では、島根県では設置・運営のうち設置の部分で県立の位置づけを変えずに、運営の部分で地元行政や町民が財政的支援および人的支援の参加度を高めて魅力的な高等学校を作ろうとしているのに対して、奥尻高等学校は設置者を道立から町立へと移管した結果、まさに町の高等学校となった事例である。
奥尻高等学校が町立移管を行った大きな理由は「学校の存続を北海道に委ねるのではなく、地元が主導権を持ちたい」(干場 2017)ということであった。これに加えて本研究会の奥尻町教育委員会事務局局長の桜花氏へのインタビューでは、町立移管が当時の町長主導で決まったこと、背景には存続の心配がある高校では生徒が集まりにくいという考えがあったことが語られている(『地域人材育成研究』第3号)。
島根県の高校魅力化では町立移管をしないので町立移管に伴う費用負担は不要である。しかし、島根県の事例では、町は県立高等学校への支援として毎年、コーディネーターや支援員の人的支援、スクールバス支援や各種事業支援を行っている。これとは別に寮の建設と運営を支援する町もある。
青森県の五戸高等学校が町立移管を断念したのは財政負担が大きかったためだと報道された(山本 2018)。われわれは、五戸高等学校との比較から、なぜ奥尻高等学校では財政負担が可能であったのかに興味を持った。そこで、奥尻町教育委員会事務局長の桜花氏に高等学校を町立に移管する費用を尋ねたところ、北海道からの支援策として、建物(学校、校舎、土地)、教職員住宅、物品類が無償譲渡されていた。人的支援では、道が最初の3年は教員2名、職員1名、その後の2年は教員を1名単独で加配している。さらに施設等の支援という趣旨で道から2100万円を補助されている。人件費については、高等学校の人件費は交付税措置される。教職員人件費は1億1千万円くらいで、だいたい9000万円ぐらいの交付税が入るので、町立移管で年間2000万円くらいが町から支出される。費用負担が大きい松風寮(寄宿舎)建設については、当初予算で1億4200万円であった。
なお、徳久(2018)によると町立移管の際に教職員の身分等の保証が課題となったが、道教委が割愛人事を認めたことで解決した。
道教委は、奥尻高校に赴任する教員の身分を赴任期間のみ町職員に移し、転出の際に道職員の身分に戻す割愛人事を認めた。つまり、奥尻高校の教員配置はこれまで通り道教委が担うとした。……各種研修についても、費用負担は町がおこない、道の研修を利用できるとした。奥尻高校の赴任を他のへき地高校と同等に扱うことで、町立高校教員になることの不利益を回避している。給与等の身分保障は町の所管になるが、町は従前と変わらぬ水準を保障している。(徳久 2018: 191-192)
これまで奥尻町では住民の間には、経済面でも社会面でも、奥尻高等学校は人材育成(地場産業の後継者育成や地域活性化)に貢献していないという不満があったとされる。その背景には高等学校と地域との間に“距離”があったことが指摘されている。
奥尻高校は地元にありながらも、地場産業の後継者育成や地域活性化と結びつく教育内容をもたない。小中学校は地域に根ざすのに、高校は接点をもたず、島民である生徒さえ町のイベントに参加・協力する形になっていない。経済面でも地域社会の面でも、奥尻高校は人材育成に貢献するとは思えないという不満が募っていた。(徳久 2018: 192-193)
教員と島民のそれぞれに違和感や不満がある中で、町立移管を前にした奥尻高等学校は下記のように考えて、まなびじま奥尻プロジェクトを開始した。
町立奥尻高校は、高校だけを学びの場とするのではなく、島にあるあらゆる教育資源を積極活用する。「まなびじま」にある高校、これが新生高校の位置づけであり、そこで行われる特有の教育実践を「まなびじま奥尻プロジェクト」と命名した。プロジェクトの作成にあたり俵谷が重視したのは、地域に開かれ住民も参加する事業を置くことであった。(徳久 2018: 194)
引用文献中の俵谷とは、町立移管の段階で教頭として赴任しその後町立奥尻高等学校の初代校長となった俵谷俊彦氏のことである。
「イングリッシュサルーン」という英会話教室がまなびじま奥尻プロジェクトの具体例になるが、住民に近づくために高等学校の校舎内ではなく島の三つの地区で開催され、教材には観光に関するトピックが使われている。高校生も参加するが中学生や大人も一緒に参加が可能で島の誰でもが参加できるし、参加がしやすい工夫がしてある教室である。
町内生 | 島留学生 | |
---|---|---|
2017年度 | 10人 | 5人 |
2018年度 | 6人 | 16人 |
2018年度 | 16人 | 15人 |
2020年度 | 10人 | 21人 |
今日の地方郡部の高等学校の教育改革を特色づけているのは、地域の特色を生かした教育(地域のニーズを反映した教育)、生徒が魅力を感じる教育、募集対策である。
奥尻高等学校は町営化に際して、募集対策として全国募集を開始した。表1にあるように、最初の島留学生が入学した2017年度の入学生は15名で奥尻町内の入学生が10名に対して第1期の島留学生は5名であった。2018年度の入学生は22名で、奥尻町内の入学生が六名に対して第2期の島留学生は16名であった。調査訪問した2019年度の入学生は31名で奥尻町内の入学生が16名に対して第3期の島留学生は15名であった。2020年度は入学生は31名で、奥尻町内が10名に対して第4期の島留学生は21名であった。募集対策としての全国募集は効果を見せている。なお、全国で見ると、県外生募集を行う高等学校は、2020年度で341校であった(文部科学省「公立高等学校入学者選抜における県外からの募集実施状況(令和2年度)」)。
このように全国的な広がりを見せる島留学生募集(町外生募集)であるが、奥尻高等学校の全国募集は生徒数確保だけが目的ではなかった。進路指導を担当する松原教諭は卒業生が高卒後に島外に出ていきなり多様な人と触れあうと島外の生活に不適応になりがちである。高校時代に島外の生徒と触れあうことが、高卒後の島外での生活への適応をスムーズにすると述べている(『地域人材育成研究』第3号)。奥尻町は小さなコミュニティであり、町民はどの子がどこの家の子かをすべて知っているという。また、町民は冗談めかして老人同士はお互いに幼稚園以来の恋愛歴を知っている、と言っている。われわれが行った他県での訪問調査でも、県外生募集で中学時代までの固定的な人間関係からの脱却の効果が期待されることが分かっている(樋田・樋田 2018; 樋田有一郞 2020)。さらに、人間関係の効果だけでなく、県外生から新しい知識や視点の獲得も行われる。
人間関係の変化が少ない奥尻島では、島外から生徒が入ることで島に活気がもたらされている。ある島内生は、「新しい考え方や当たり前だと思っていた島の自然の美しさに気付いた」、「島外生が元々住んでいた地域のお祭りや学園祭のやり方を教えてくれて、学校行事が大きく変わった」と語っている。地方創生・島の振興に向けた課題の発見や解決にも、新しい考え方やヒントをもたらす点が期待されている。(高嶋ほか 2019: 19)
筆者は、公立高等学校の移管を広い意味でとらえて設置と運営の観点から、運営面地域連携、分校化(キャンパス校化)、設置者移管の三つのタイプに分けている。これは小入羽・本多(2018: 85)の議論に依拠したタイプ分けであり、筆者がタイプ名を新たに名付けて議論を行っている。
一つめは県教育委員会が設置管理する県立高校のまま、高校と県と立地自治体とが連携を模索するようなタイプである。「運営面地域連携」に該当する。島根県の高校魅力化は「運営面地域連携」に当たり、設置者が島根県のままで県による人的、財政的な支援や研修などの支援が行われ、町も人的、財政的な支援を行っている。
二つめは同じく県立高校のまま単独校ではなく分校又はキャンパス校として存続をはかるタイプである。「分校化」に該当する。二つめのタイプは 『地域人材育成研究』第2号が取り上げた愛媛県立今治北高等学校大三島分校がこのタイプに当たる。統廃合への過渡的な措置として行われることが多い。
三つめは設置者を変更して存続するタイプである。このタイプには立地自治体である市町村等が設置者となるケースと学校法人が設置者となるケースがありうる。奥尻高等学校は三つめのタイプのうちの市町村等が設置者となるケースに当たる。
奥尻高等学校のケースは廃校化を避けるためにそして町が高等学校存続の主導権を持つために(小入羽・本多 2018)、あるいは廃校のうわさがある高校へは進学しにくいという状況を変えるために(『地域人材育成研究』 第3号、 第4号)、町立移管を町の方針とした。
町立移管は奥尻町の一方的な希望で行われたのではなく、道も必要と判断していた。奥尻高等学校は移管前の試算で年間約2000万円の町の負担増が予想されたが、そのような試算があったにもかかわらず、町が移管に踏み切った背景の一つは北海道教育委員会からの支援が受けられたことがあげられる。支援の内容は前述の通りであるが、「北海道教育委員会による支援が実施された理由は、道が当面存続を必要と判断している道立高校を市町村に移管したために……北海道が支援の必要性を認識していた」(小入羽・本多 2018: 87)からである。
つぎに、山岸(2016)の内発的改革の議論から奥尻高等学校の取り組みを見てみよう。山岸は、公立高等学校の改革を内発的改革の視点から四つのタイプに整理している。
地場産業との連携(長野県蘇南高等学校)、高校留学制度(福島県只見高等学校)、中高一貫制(秋田県矢島高等学校)、教育課程の改善(島根県矢上高等学校)の四つであり、それぞれカッコ内に示した高等学校を事例としてあげている。
奥尻高等学校について特筆すべきは、山岸の整理した四つの内発的改革のすべてを行っている。奥尻高等学校の内発的改革の特徴は地域とのつながりの中で内発的に行われていることが特徴である。外から与えられた改革やいわゆる教科書通りの改革ではなくて、 『地域人材育成』第3号の 特集②「町立に移管した奥尻高等学校が取り組んだこと(1)経緯、教員集団の変容と教師の成長」にあるように、島の課題はギリギリのことなので、それをみんなで何とかしたいということであり、校長や先輩教員からもまず自分でやってみなさいということで若い教員が育っている。周りも巻き込みながらやっていかなければ駄目なので、それが奥尻高等学校の教員集団の組織がうまくいっている背景である、との語りがあった。
具体的に見ると、まず地場産業との連携では本号( 『地域人材育成研究』第4号)の各インタビューで語られたように、総合的な学習(2019年度からは「総合的な探究」)の時間の一環で地元の潜水漁業と連携してスキューバダイビングのライセンスを取得させたり、奥尻パブリシティや「町おこしワークショップ」で地場産業と連携している。
高校留学制度については前述の通り2017年度から全国募集(島留学)を行っている。地域・教育魅力化プラットフォーム主催の地域未来留学フェスタへの参加、町営寮の建設、帰省の際の旅費の補助などの努力をしている。
中高一貫制についてはそもそも奥尻高等学校と奥尻中学校は物理的に同じ敷地内で渡り廊下でつながっている。特別教室の利用やメンタリングシステム(高校生による中学生への指導)の導入のほか、教員間の交流もある。
最後に教育課程の改善では、総合的な学習(探究)の時間の枠で、を出た後にSターンをして欲しいという期待であるという。加えて、島内生に対しても島外生に対しても将来の島での定住がないとしても島の誇りになって欲しいという期待がある。町立移管当時の奥尻町地域政策課の干場洋介氏は次のように奥尻高等学校の教育内容に期待を寄せている。
さまざまな取り組みを通して、奥尻島への愛着や、誇りを持ってほしいと思っています。島から巣立ち、社会へ出て、やがて奥尻島を支え得る人間に育ってほしい。一方で、日本のみならず、世界でも活躍する人がこの中から生まれることもまた、「奥尻島の誇り」につながると考えています。奥尻高校が存続していく上で、町立学校にしてよかったと保護者や地域住民が感じることは、……奥尻高校の取り組み、現役生や卒業生の活躍を通して感じられるべきだと思っています。(干場 2017: 81)
近年ではこれらに加えて、島内生・島外生を問わず将来の島での定住がないとしても関係人口となりさまざまに島とかかわって欲しいという期待が顕在化している(樋田大二郎 2020)。
奥尻高等学校に限らず、徐々に、離島・中山間地域の高等学校が卒業生の地域移動に対して新しい期待をするようになった。かつての高等学校は地域内に就職先がないことを前提にして、地域外への円滑な他出や他出先での地位達成を保証することを使命としていた。その後の過疎化の進行を前に高等学校は卒業生が地域の人材として高卒後に地域に定住することやいったん他出した後に環流して(戻ってきて)地域に定住すること(Uターン定着)を促進することを課題とするようになった。
さらに最近になり、Iターンや地域活性化の展開、高校の全国募集が広まって以降は、地方の高等学校は卒業生が他出してそのままUターンしなくとも、関係人口として地域を支えてくれることを課題としたり、よそ者がIターンすることを支援したり、人材が円滑に循環すること(Iターン後に再度他出して関係人口化すること)を支援する「よそ者使い」を育てることを課題にし始めている。Iターン者や循環人材が地域の活性化に不可避な現在、彼らを地域に呼び込み、地域で活躍させる能力を持つ優秀な「よそ者使い」を育てることが不可欠なのである。
他出時に都市部等の地元地域との相性の良さそうな人材との関係を構築して、彼や彼女らを関係人口として活用する能力を持つ「よそ者使い」や、彼や彼女らをIターン者や循環人材として呼び込み活用する能力を持つ「よそ者使い」の人材を育成することが、都市部と郡部の別を問わず今後の高校教育では重要な課題となるのではないだろうか。奥尻高等学校の全国募集とグローカルな高校教育は卓越した「よそ者使い」教育の先行事例である。
地域人材育成研究会は奥尻高等学校の町立移管の目的が、生徒数を増やすだけではないし、島内生の島外での生活への適応力を高めるだけでもないことに注目したい。
本稿は、奥尻高校の町立移管の事例から、町が高校維持の主導権を持つことの具体的な意義、高校と地域が学びの共同体となるということの具体的な意義、公立学校の移管には分校化(キャンパス校化)・運営面地域連携・設置者移管の三つのタイプがあることおよび内発的改革の四つの側面からは奥尻高校が設置者移管(町立移管)が四つの内発的改革全ての側面をスムーズに実現させていること、町立移管によって町活性化の人材である「よそ者使い」や「関係人口」が強く期待されることを考察した。
訪問インタビューやインタビュー以外の場面での町民との会話の中で、生徒の希望を叶えてあげたいという町民の声が複数あった。奥尻町民にとって奥尻高校生はもはや遠い存在ではなくて自分たちの生徒なのである。イングリッシュサルーンでは一緒に学ぶ仲間ですらある。「町おこしワークショップ」の発表会では、住民は自分がかかわったグループの発表を自慢するということであった。生徒が島に愛着や誇りを持つだけでなく、奥尻島では町民の側も奥尻高等学校に愛着と関心と誇りを持っている。
奥尻高等学校の事例からは教育の住民主権(や社会的子育て)について考えさせられた。高校魅力化では、地域コンソーシアムやコーディネーター、地域連携支援員などの制度の構築を通して、住民が具体的な授業内容にまで踏み込んでいる。そして、高校魅力化と地域の魅力化は連動されている。奥尻高等学校の事例を見ていると、教師はもちろんのこと町民側から、奥尻高等学校に対して愛着と関心と誇りを持ちたいという気持ちや生徒の成長の役に立ちたいという気持ちが芽生えていた。地域人材育成研究会の調査結果は、町や住民にとって、地元の高等学校や高校生は愛着と誇りと希望の対象であり、魅力化の高校は長いこと我慢してきた地域住民の高校に対する愛着と誇りと希望の気持ちを解放した可能性を示唆している。住民にとっての町立移管は町内に在って町内から遠い存在だった高等学校運営の主導権を獲得し(学習の地域主権)、住民が地域の子どもへの思いを表出し高校生段階での社会的子育てを実現する有効な方法になっているのではないか。