本稿では秋田藩阿仁銅山の精錬過程で消費された炭について、その生産の基礎となった森林資源の経営計画を、天保14年炭番山繰を中心に検討した。藩は阿仁銅山に要する炭や材木を安定供給するため、元文5年以降、森林資源の保護と計画的利用を図る。天保14年炭番山繰は、その到達点として立案された炭生産のための輪伐計画である。藩は天保12年より森林資源の蓄積を実地見分によって調査し、これに基づいて天保14年から30か年にわたって炭生産を継続できるような緻密な輪伐計画を立案した。それは同時に、優良な雑木資源を維持・育成するなど、製炭という目的に適した山林の造成を組み合わせて実施された。阿仁銅山の出銅量は乱高下を繰り返すため、持続的な森林経営は根本的に困難である。そうしたなかで、天保14年炭番山繰にみられる森林資源蓄積の把握・管理と経営計画立案の技術は高く評価できる。こうした森林経営計画が近世を通じた阿仁銅山の稼行を可能とした。