2014 年 26 巻 3 号 p. 91-99
本稿では,イニシャルケースを振り返り,時を経てあらたに見えてきた症状やセラピーの過程の意味を再検討することを目的とする。クライエントの症状である遺糞は,当時は,誤ったアグレッションの表現と理解し,その治療と消失を目的としていた。しかし,クライエントの遺糞は,原初的で動物的なエネルギーを持ち,彼“自身”の誕生と創造という象徴的意味が見いだされうると考えられた。箱庭ではクライエントの抱える問題やテーマを俯瞰して外観し,そしてそのあと,集合的な遊びの中でクライエントの神話の物語に強い感情を伴って共に体験し没入していった。クライエントの神話を体験することを通して,クライエントにも,治療者にも,それぞれ内なる子ども元型が動き出していった。さらに治療者自身の子ども元型は,心理療法家としての個性化のプロセスを促進していくと考えられた。