2013 年 79 巻 2 号 p. 253-270
近世ヨーロッパの商品流通は,さまざまな政治的・経済的・自然的制約に縛られており,そのもとで陸路,河川路,海路がそれぞれどの程度の役割を果たしていたのか,たびたび議論されてきた。水上交通を主要輸送手段とする立場に対しては陸路交通を重視する立場からの反論が提出された。そのため,いずれかのみを重視する結論を下すことは不可能であり,むしろ時代や地域に特有な商業条件を考慮しつつ,その中でどのような流通構造がみられるのかを分析する必要がある。ハンブルクは陸路,河川路,海路からなる貿易路により展開する中継貿易を発達させた都市であり,この問題に対し格好の事例を提供する。本稿は,同市のバルト海地方との海上貿易を例にとり,陸上交通と比較しつつその流通構造を分析した。検討課題は,どのような商品がいかなる条件の下,ハンブルクで中継され,海路により輸送されたのかであった。その結果,ハンブルクに特有な政治的・経済的諸条件を背景とした流通構造,とりわけ精製のため市内に搬入された砂糖を大量輸送の必要から海路で再輸出するパターンが18世紀になってから定着したことが判明した。