神戸税務署長松永善次郎は1948 年1月([6] p.52)に,三国人(韓国人と台湾人),欧米人,中国人の儲けに注目し,神戸在住華僑に対して,日華実業協会を通じて納税への理解を求めた.当時の協会事務局長の西好隆氏は「弱い処には強引不合理な徴税が行われていて,日本国民でも皆不満を持っていたので華僑の気持ちもわからぬではない」として,長く神戸に住む華僑を説得した.華僑側には自主的な納税を華僑総会が中心に行うことで折り合いをつけた.これが我が国の青色申告の草分けであり,「華僑の紳士的な態度が大いに日本の官庁に感動を与えたと同時に,青色申告徴税法のヒントを与えた事は誇りとして良い」と西事務局長は述べている.