2014 年 1 巻 1 号 p. 8-9
2002年,筆者は産業技術総合研究所(以下,産総研)デジタルヒューマン研究ラボの副ラボ長であった.人体の形状や運動を計測して計算機上にモデル化し,それを製品設計に活用する研究に従事していた.当時,東京大学・精密工学科との交流会があり,そこで冨山哲男先生から,初めて「サービス工学」という言葉を聞かされた.「モノばっかり作ってちゃダメだ,サービスをやらなくてはいけない.モノの設計ではなく,サービスの設計をやるんだ」と言われた.「さすが,東大には変わったことを考える人たちが居る」と感じたが,サービス工学に関心を抱いたわけではなかった.その頃,筆者は足形状モデルとシューズの研究に関わっていた.顧客の多様な足形状に対応できるシューズは,量産技術だけでは実現できない.そこで,顧客の足形状を計測しモデル化して,インソールをデジタル設計し切削して提供することを考えていた.大阪のベンチャー企業と低価格の足形状計測システムを共同開発し,アシックス社に声掛けをした.アシックスは勇気ある経営判断をしてくれた.直営店を開き,店舗で顧客の足形状を測ってカスタムインソールを提供するサービスを展開しながら,膨大な足データを世界規模で収集し,それをまた量産シューズ設計に環流するというビジネスがスタートした.しばらくして,一橋大学の藤川佳則先生が訪ねてこられた.「あなたがアシックスと成したことは,顧客共創であり,製造業のサービス化の一例です」と言われた.いつの間にか,サービスの研究をしていたのだろうか?
2008年に,産総研にサービス工学研究センターが設立された(センター長:吉川弘之先生.当時,産総研理事長).設立に尽力した内藤耕氏に誘われ,筆者も併任として参画した.まもなく,われわれの提案が経済産業省のサービス工学プロジェクトに採択され,筆者はそのプロジェクトリーダーを任されることになった.2010年4月に,筆者はデジタルヒューマン工学研究センターのセンター長となったが,同年11月には,サービス工学研究センターのセンター長も兼務することになった.研究開発プロジェクトと研究センター経営を任されたのである.しかし,その出だしは険しかった.自己紹介を兼ねて,プロジェクトの予算元であった経済産業省の担当企画官に,自らのアシックスの事例を話したところ,「それは足の研究であって,サービスの研究ではない.結果的にサービスができただけだ」と一蹴された.手厳しいが,まさしくその通りであった.サービスの研究とはなにか.小売だけでなく,観光,交通,飲食,医療,介護など多様なサービスに共通する課題はなんであるのか.価値形成だとか,顧客共創だとか言われたが,どうも抽象度の低い私の頭にはピンと来なかった.センターで一緒に研究することになった本村陽一氏と蔵田武志氏から「顧客と従業員じゃないですか?それ測りましょう」と言われた.これは,分かりやすかった.筆者も顧客の(足の)研究をしていた.サービスには顧客だけでなく,従業員も居る.そして,どちらも筆者のこだわりつづけた「人」である.人を測り,人を知り,人が人に対して行うプロセス設計を支援する,これが私らしいサービス工学だろう.
サービス工学の研究アプローチは「観測,分析,設計,適用」だと言われていた.これに異を唱えるつもりはなかったが,サービス業でPDCAサイクルを廻しましょうと言っているだけで,具体性がない.そこで,「サービス現場で,サービスを通じて,顧客と従業員を観測し,その多様性をモデル化し,それをサービス設計と現場運用に活かす」と解釈した.サービス工学研究センターのメンバーたちは,この方針に基づいて,現場に出掛けていった.実験室研究ではなく,現場でのアプリケーション駆動型研究.これが筆者の好む研究アプローチである.メンバーは続々と優れた技術を開発し始めた.認知科学にもとづくエスノグラフィー手法(集客,観光における顧客行動原理の解析に活用),顧客の行動観測技術(城崎温泉「ゆめぱ」として現在も活用中),加速度・ジャイロセンサ等による従業員の行動観測技術(飲食,介護,宿泊などさまざまなサービス業で活用),サービスを通じて蓄積された大規模データから顧客・商品類型をモデル化する技術(飲食,小売などで活用),需要変動の予測技術(集客,小売,飲食で活用),従業員シミュレーション技術(従業員シフト設計に活用),IT端末による現場支援(飲食,介護,看護で活用)などである.産総研が得意としてきた「自動化・機械化によって人の仕事を置き換える」のではなく,人が人にサービスすることを「人の能力拡張によって支援する」ための技術開発となった.バックヤード業務を効率化し,顧客接点業務を高品質化する.その実現のために複数のサービス業態で役立つ汎用的技術,これが産総研のサービス工学である.
開発した技術は,プロジェクト終了後も少しずつ着実に導入が進んでいる.しかし,その普及速度は緩慢である.サービス学会ができ,工学系ではないサービス研究者と交わる中で,次のステップとしてサービス工学がなすべきことが見えてきた.工学研究は,特段の方向性を示さない限り高機能化・高精度化へ進んでいく.これは同時に導入コスト増となる.いたずらに技術の性能をあげることが普及促進には繋がるわけではない.サービス業では現場プロセスの改変に経営判断を要することから,現場支援だけでなく経営支援も重要である.現場で観測したデータを経営支援に繋げる技術を研究していくこととした.経営支援では,経営学やマーケティングの先生方が,筆者たちよりもずっと以前から研究をしておられる.彼等の仕事を工学的に再発明するのではなく,彼等に協力しながら現場力と経営力の同時拡張を目指して行く.もう一つが,製造業のサービス化である.筆者にとっては回帰でもある.われわれが開発したサービス工学の技術は,純然たるサービス業より大手製造業に数多く導入されている.科学的アプローチへの馴染みと投資力が,その背景にある.導入促進をサービス業から始めなくてもよい.むしろ製造業のサービス化として技術を普及させ,成熟させてから中小サービス業に向かって行く方が賢い戦略かも知れない.第1回のサービス学会国内大会(京都)に,多数の大手製造業の参加があったことからも,その関心の高さが分かった.
サービス工学の目標は変わらない.中小のサービス業が自ら「観測,分析,設計,適用」のPDCAサイクルを廻し続けられるようになるための技術と成功事例を産み出すこと.センター設立から5年を経て,われわれは戦略として,経営支援技術に乗り出し,製造業のサービス化事例を積極的に産み出して行くこととした.サービス学会で合流した経営系の先生方や,製造業の会員とともに.サービス学会の設立は,産総研のサービス工学研究にとって,大きな転機となりそうである.
1993年,慶應義塾大学大学院博士課程修了.博士(工学).同年,工業技術院生命工学工業技術研究所入所.2001年,組織改編により産業技術総合研究所デジタルヒューマン研究ラボ,副ラボ長.2010年,デジタルヒューマン研究センター,センター長.同年,サービス工学研究センター,センター長(兼務).人間工学,生体力学を専門とし,人間計測とモデル化,その産業応用に関する研究に従事.2007年より,ISO TC159/SC3国際議長.2001年 市村学術賞,2010年 国際標準化事業表彰(経済産業大臣表彰)など受賞.