2015 年 2 巻 1 号 p. 10-15
公共サービスとは何か,という問いに正確に答えるのは,案外難しいことである.一般には,国や地方公共団体などが提供するサービスを指すものと理解されていると思われる.しかし,実際にはNPOや民間企業が提供するサービスにも公共性の高いサービスが含まれていることがある.そして,このような公共性の高いサービスは,いわゆる公的機関が提供するサービスと同様に公共サービスと呼ばれることが多い.このことは,バスや電車などを公共交通機関と呼ぶことを考えると,わかりやすいであろう.
よって,本稿では,公的機関によって提供されるサービスは狭義の公共サービスとし,単に公共サービスという場合には,一般に公共性が高いと認識されているサービスを広く捉えて指すものとして,議論を進めていきたい.
本稿で考える公共サービスの特徴を端的に述べると,日常生活に欠かせない必需性の高いものであることが挙げられる.現代の日常生活において必需性の高いサービスは,例を挙げると,水道,電気,ガスなどのライフラインや,電話,FAX,インターネット等の通信サービス,交通機関などが提供する輸送サービス,警察や消防など地域社会の安心・安全を提供する保安サービス,住民管理全般を行う市町村役場,医療や学校教育などの専門サービスなど多種多様である.
また,公共サービスの特徴には,その経営において経済合理性のみを追求しないということも挙げられる.前述のように,公共サービスは民間企業が提供している場合も多々ある.これらの民間企業は,経営を継続するために利潤を獲得する必要があり,その意味で経済合理性を追求している.しかしその一方で,公共サービス提供機関としての社会的使命や地域社会で担っている役割に鑑みて,採算性の面では必ずしも良いとは言えないサービスを提供していることがある.
このように複雑な特徴を持つ公共サービスとそれにまつわる諸問題について理解を深めるためには,何らかの基準によって公共サービスを分類し,分析のための基軸を用意する必要がある.本稿では,従来の公共サービスの分類を提示した後,公共サービスにおける近年の変化を踏まえて,イノベーション創出の視点から新たな公共サービスの分類を考えてみたい.また,それをもとに公共サービスの品質向上のための実践的な方法についても若干の考察を行いたい.
さて,前述のように,本稿では,一般に公共性が高いと認識されているサービスを公共サービスと定義している.このように考えた場合,何をもって公共性が高いと言うことができるのかが問題となるであろう.公(おおやけ),あるいは公共性とは何かということについては,膨大な研究の系譜が存在するが,紙幅の都合上それを詳細に辿ることは不可能なため,差し当たって公共性が高いサービスとは,社会全体にとって必要と認められるもので,なおかつその受益可能性の門戸が広く解放されているサービスとしたい.
2.1 提供主体と需要主体による分類公共サービスを考える際には,常にサービス提供主体とサービス需要主体の存在が念頭に置かれてきた.ここで述べるサービスの提供主体としては,国・地方公共団体,NPO,民間企業などを想定することができる.NPOには,政府関連団体,学校,病院,福祉関連事業等の非営利組織が含まれている.
ここで,サービス提供主体を三つに分けた理由は,それぞれの主体がサービスを提供するために必要なコスト(資金・人的資源)を賄うための方法が異なっているからである.国・地方公共団体は税金によってそれらを賄い,NPOは経済活動,寄付,税金などによって運営され,民間企業の場合は営利活動から生じた利潤によって公共サービスを提供している.
もちろん,例えば一般企業が提供する公共サービスに対して国や地方公共団体から補助金がおりているという場合も有りうる.ただ,いずれにしても,公共サービスの生産においては常にコストがかかっており,それを何らかの方法で吸収できなければ,公共サービスを持続的に提供することはできない.
公共サービスを需要主体から分類した場合,そのサービスが特定の個人・団体に対して提供される場合と,必ずしも提供時点では特定の需要主体を想定せず,すなわち需要を喚起される人達も含めて需要主体と想定し,サービスが提供される場合に大別される.
具体的には,医療や学校教育のようなサービスは,患者や生徒といったサービスの需要主体が特定できるサービスである.一方,交通や警察などのサービスは不特定多数に対し提供されるサービスである.また,がん検診など保健サービスや育児・子育て教室などの福祉サービスは,そのサービスの需要主体の中核はある程度特定することができるだろうが,必要性を伝え需要を喚起する,あるいは潜在的な需要主体を掘り起こすことも,サービス提供の目的に含まれている.
このように需要主体を特定・不特定を軸に分類するのは,サービス品質を考える上でも重要な視点である.その理由は,そのサービスの需要主体がそのサービスをどのように捉えているのかを,実際の需要主体から把握できるか否かに関わるからである.需要主体を特定できるサービスは,調査等を用いて需要主体の評価やニーズの抽出を比較的容易に行うことができるが,需要主体を特定できないサービスは,そのサービスが需要主体(需要主体候補も含む)にどのように受け入れられているのかを把握するのに困難が伴う.つまり,需要主体が特定できるか否かということは,公共サービスの効果を計測し,改善を図る上で大きな差となるわけである.
以上,提供主体と需要主体の二軸によって公共サービスを分類してみると,表1のようになる.
需要主体 | |||
特定 | 不特定 | ||
提供主体 | 国・地方公共団体 | A | B |
NPO | C | D | |
民間企業 | E | F |
実際には,それぞれの公共サービスはどれか一つのセルに収まるのではなく,複数のセルを横断する形になることがほとんどである.例えば,教育サービスは国立や公立の学校によっても提供されるが,私立学校や学習塾,NPOなどによっても提供される.需要主体も教室で特定個人に対して行われることもあれば,テレビ・ラジオなどの放送を通して不特定多数に対して行われる場合もある.よって,教育サービスは全てのセルに当てはまると言える.同様に,それ以外のサービスについてもいくつか事例を挙げて考えてみると,中心的なサービスは,表2のように分類できるだろう.
サービス種別 | 提供主体と需要主体の組み合わせ |
教育サービス | A,B,C,D,E,F |
医療サービス | A,C,E |
通信サービス | B,F |
しかし,例えば,医療サービスを考えると,中心的なサービスは患者という特定できる需要主体を対象にサービスを提供しているが,検診や自費診療分野での医療サービスも同時に提供している.つまり,実際には,公共サービスを提供する企業や組織は,公共性が高いサービスを提供する部門とそうではない部門を併設している場合が多く見られ,提供主体と需要主体(特定・不特定)の分類によって公共サービスを整理することは難しいのである.
2.2 提供主体と需要主体による分類の問題点このように公共サービスを提供主体と需要主体の観点から分類することは非常にわかりやすいが,前節で指摘したように問題を孕んでいる.その一つは,同じ企業や組織の中に公共性の高いサービスを提供する部門とそうではない部門が併設されている場合があることである.あるいは同じ提供主体が公共性の高いサービスとそうではないサービスを同時に提供する場合もあり得る.また,先にも少し述べたように一般企業であっても公共サービスの提供に際して公的資金による援助を受けていることもある.このように考えてみると,簡単に公共サービスの提供主体を分類することはできない.
次に,需要主体を特定・不特定によって分けるというのも,それほど簡単なことではない.例えば,啓蒙活動を行うにしても,その活動を効果的に行おうとすれば,当然ターゲティングが必要になり,そこではある一定の需要者像が想定されているはずである.しかし,自由参加のセミナーなどでは,参加者は文字通り不特定多数になってしまう.
さらに,公共サービスの提供が啓蒙活動を行う,あるいは需要主体の行動変容を促すことを目的に含んでいる場合には,特定された需要主体に対する働きかけと同時に未来の需要主体の掘り起こしが行われることになる.したがって,一つの活動の中で需要主体を特定・不特定という軸で分けることも容易ではない.
これまで提供主体と需要主体による分類の問題点を指摘したが,最大の問題はこのような提供主体と需要主体を二項対立的に捉えることで,公共サービスが持つ一つの重要な特性を見落とすことにあるのではないかと筆者は考えている.すなわち,従来の提供主体と需要主体という捉え方では,サービスの需要主体は公共サービスを受容するだけの受動的存在として捉えられており,需要主体の能動性や主体性,需要主体の参加といった要素が取捨されているのである.
サービスは,生産と消費の同時性という特徴を持っており,提供者と消費者の協働によって作り出される.消費者がサービスに対して提供者と積極的に協働しようとする姿勢や,そのための行動をサービスへの参加と捉えたとき,消費者のサービスへの参加の程度がサービス品質やその後の消費者のサービスに対する満足に大きな影響を与えると言われている.
近年,公共サービスにおいても需要主体が提供主体と協働することによってサービスの価値を高めているという事例が見られるようになってきた.公共サービスが提供主体から需要主体に向かって一方向的に提供されるというものに留まらなくなっているのである.公共サービスへの需要主体の参加という要素は,サービス品質や需要主体のサービスに対する評価に影響するものである.
需要主体の参加の度合いを測るものさしとしては,サービスの利用の程度,提供主体と需要主体の相互作用の程度,需要主体がサービス・オペレーションに加わる程度などが考えられるが,本稿では,その中でも需要主体がサービスを利用しようとする意識,つまり需要主体に対する動機づけの程度に着目する.
3.1 サービスの性質による分類需要主体のサービス利用への動機づけは,提供されるサービスの性質と関係している.サービスの性質が需要主体の心理状況にポジティブな影響を与えるのであれば,消費をしたいと思うだろうし,ネガティブな影響を与えるのであれば,率先してサービスを利用しようとは思わないであろう.公共サービスと一言で言っても様々なサービスがあり,そのサービスを消費する動機づけ要因が異なるならば,サービスの品質管理や需要主体のサービスに対する評価の取り扱い方が変わるのではないかと考えられる.
本稿では,サービスそのものの性質によって,サービスをネガティブなサービス,ニュートラルなサービス,そしてポジティブなサービスの三つに分類する.
ネガティブなサービスとは,需要主体がサービスを消費することによってネガティブな感情を生むものである.つまり,需要主体が利用したくないサービスのことである.ネガティブな感情は,例えば,飲酒運転やゴミの不法投棄の取り締まりサービスを考えるとわかりやすい.これらのサービスにおいては,罰則や不利益を避けるために行動の抑制が動機づけられると考えられる.その行動をやめることで,飲酒運転や不法投棄の取り締まりなどネガティブなサービスの利用を回避することができる.
行動の抑制に関連する公共サービスの提供主体は,人々にその行動をしないよう誘導することもサービスに含まれる.需要主体の心理状況の視点でサービスを見てみると,ネガティブな感情に関連する公共サービスは,行動回避型サービスと呼ぶことができるだろう.
逆に,ポジティブなサービスとは,需要主体がサービスを消費することによってポジティブな感情を生むものである.つまり,需要主体が利用したくなるサービスのことである.ポジティブな感情は,例えば,生涯学習,地域振興活動などのサービスの利用が当てはまる.需要主体がそのサービスを利用することによって,自らや第三者,あるいは社会がより良くなると感じ動機づけられる.よって,ポジティブな感情に関連する公共サービスは,行動促進型サービスと呼ぶことができるだろう.
しかし,ネガティブなサービスとポジティブなサービスの両者に含まれないサービスも存在する.例えば,自動車免許の更新や住民票交付をはじめとする行政サービスなどが挙げられる.これらのサービスは,消費の前後において需要主体の感情は変化せず,行動の回避や行動の促進に影響しない.単に,何らかの問題解決に必要性が生じたにすぎない.本稿では,ネガティブでもポジティブでもないサービスをニュートラルなサービスと定義する.
3.2 需要主体への動機づけの程度による分類公共サービスの品質向上や効率化においては,提供主体と需要主体の双方向的な関係が重要な意味を持つようになってきた.すなわち,需要主体への動機づけを強くしサービスの利用率を高めることで,提供主体のサービスは,どこで提供されても同じといった定型的なサービスから,地域性や需要主体のニーズに合わせたものに変化を遂げる.また,提供主体は消費する需要主体の利用状況から課題を知り,さらに成長と進化を続ける.このことは,「需要主体のサービスへの動機づけの程度」という尺度によって公共サービスを分析することの有効性を示唆していると思われる.
提供主体が一方的に需要主体に対して提供するだけのサービスは,需要主体への動機づけが弱いサービスとして分類することができる.需要主体への動機づけが弱い状況においては,需要主体はサービスを受動的かつ消極的に消費する.
一方,需要主体への動機づけが強いサービスでは,サービスの利用率が向上し,サービスに対する評価や改善提案を需要主体が発信したり,需要主体がサービスの生産に積極的に参加したりする.その結果,需要主体への動機づけが強いサービスは,需要主体によるサービスへの積極的な参加・協働によってサービスの質を高めることが可能になり,そのことが更なる需要主体の参加を促すという好循環が期待できる.
3.3 サービスの性質と需要主体への動機づけの程度による分類以上から,公共サービスは,提供主体と需要主体という観点以外にも,提供されるサービスの性質と需要主体への動機づけの程度によって分類することができると考えられる.具体的には,表3のような分類を提案したい.
表3では,サービスの性質をネガティブなサービス,ニュートラルなサービス,ポジティブなサービスに三分類し,それぞれ需要主体の動機づけの程度によって分けている.需要主体への動機づけの程度とは,サービスの目的に沿うように需要主体が行動しようとする度合いのことである.ここでは,「弱」,「中」,「強」の三段階とした.
需要主体への動機づけ | ||||
弱 | 中 | 強 | ||
サービスの性質 | ネガティブ | a | b | c |
ニュートラル | d | e | f | |
ポジティブ | g | h | i |
先ほど挙げた公共サービスは,表3のどこにあてはまるであろうか.ネガティブなサービスとして例示した飲酒運転やごみの不法投棄の取り締まりサービスは,サービスを利用したいと考える需要主体は少ないと考えられる.よって,違反取り締まりサービスはb,cに当てはまる.ネガティブなサービスにおいては,罰則規定の内容が需要主体の動機づけに影響を与えることが多い.飲酒運転やスピード違反の罰金や減点を厳しくするのは,需要主体のサービスに対する関心が低い状態aに動機づけを強める効果を期待するものである.
ポジティブなサービスで例示した育児相談や母親教室などのサービスは,具体的に悩みを持っていたり知識や情報を得たいと思っていたりすると,参加に対する動機づけが強い状態iとなる.しかし,必要性を感じておらず関心がない場合や,そのことについて人と話をしたり現実に向き合えない状況にあったりすると,動機づけの程度は低い状態gになる.hは当面必要性を感じないが,今後役に立ちそうだとか,人に誘われたなどのような状態と言えるだろう.
最後に,ニュートラルなサービスで例示した自動車免許の更新サービスは,免許更新時の講習の重要性を認識し,講義内容を日常の運転に生かす受講姿勢であればfであろうし,着席して講習を聞いているものの興味や関心が薄い場合はeであろう.また期限が迫って慌てて更新する人は,dに該当するであろう.
3.4 サービスの性質と需要主体への動機づけの程度による分類のメリットサービスの性質と需要主体への動機づけの程度による分類のメリットは,公共サービスの品質の変化を知る手がかりとなる点にある.つまり,あるサービスの動機づけの程度が低ければ,それをより高めるためにはどのような方法があるかを考えることができる.言い換えれば,この分類は公共サービスの動態分析にも活用できるのである.
需要主体への動機づけの程度は,サービスによって決まった静的なものではなく,需要提供主体の工夫や努力によって変化し得るものである.すなわち,需要主体の動機づけの程度を高めていくことが,提供主体側のサービス向上の取り組みになる.
サービス・イノベーションが需要主体の動機づけの程度を変化させる場合もある.サービス・イノベーションによって分類されるセルを変化させることが可能なのである.提供主体は,自身が提供するサービスをaからcへ,dからfへ,gからiへと移行させようと努力し,需要主体と対話をしていくことが求められる.
サービスの性質と需要主体への動機づけの程度による分類は,従来の公共サービスの持っていた固定された位置づけや役割,意味を転換させる機会をもたらす可能性を秘めている.
ここで,もう少し需要主体の動機づけの程度について補足したい.公共サービスにおいて,需要主体の参加を意味する「○○参加型…」という言葉をよく耳にするようになった.例えば,医療サービスにおいては「患者参加型医療」,まちづくりでは「住民参加型…」という言葉が頻繁に使用されている.公共サービスの現場では,需要主体の参加がサービスの利用を高める,あるいはサービスの質の向上をもたらす重要な要素であることに気づいている.必要なのは,需要主体のサービスへの参加を促進するために,どのようにして需要主体への動機づけの程度を高めていくかというノウハウである.
人々に行動変容を促すには,ソーシャル・マーケティングの考え方を用いることが有効である.次節では,ソーシャル・マーケティングの考え方を紹介したい.
ソーシャル・マーケティングとは,マーケティングの原理と手法を用いて,ターゲットとなる個人や組織,社会全体の利益のために,行動に影響を及ぼそうとするものである(1).ソーシャル・マーケティングの目的は,生活の質を向上させることにあり,公共サービスの目的と一致しており,公共サービスに親和性の高い考え方と捉えることができる.
ソーシャル・マーケティングは,様々な社会活動において使用されており,本場アメリカでは,教会,美術館,交響楽団などの活動や政府の政策キャンペーン,募金活動などに用いられている.ソーシャル・マーケティングは,ターゲットとする人々の啓蒙に留まらず,その人々に問題を認識させ,望ましい行動を動機づけ,行動を変容させるまでのプロセスを含む.
現代社会におけるソーシャル・マーケティングの実践例には,例えば,肥満やたばこによる健康被害を減らすなど健康問題に関するものや,ゴミやエコ商品,排ガス規制といった環境問題に関するもの,検診率の低いがんの検診などの公衆衛生活動に類するものなどが挙げられる.まさに,公共サービスが関わる重要な分野である.
ソーシャル・マーケティングは,人々の認識を変え,人々に新しい価値を見出すような視点を提供することによって,人々の行動変容を動機づける.これを公共サービスに置き換えれば,提供主体が従来の公共サービスの価値とは異なる新たな価値を提案し,需要主体がその価値を認識すれば,需要主体の動機づけの程度を高めることができるということになる.
しかし,ソーシャル・マーケティングは,人々に,(ⅰ)楽しみや心地よさを奪う行動,(ⅱ)時間やお金などのコスト,(ⅲ)禁止事項,(ⅳ)習慣の改善などを求めるため成功させることは難しいとも言われている.次章では,公共サービスにおけるソーシャル・マーケティングの活用事例を紹介したい.
4.1 事例:Fat to Fit 運動公共サービスには様々な健康管理に関連するサービスがある.ここでは,需要主体に対する健康関連サービスの利用の動機づけに成功したソーシャル・マーケティング・プログラムとして,フィンランドのFat to Fit運動(2)を紹介したい.
フィンランドはスカンジナビア半島の東側に位置する北欧の国である.首都のヘルシンキは緯度60度に位置する.フィンランドは冬の期間が極めて長く,積雪も多いため,人々の雪の季節の外出は少なく運動量も少ない.一方,体を温める必要からかアルコールを好む人が多く,結果として肥満が多くなっていた.また,男性の半数以上が喫煙者という状況でもあった.こうした状況が重なって,ついにフィンランドは「心臓病の発症率世界一」の国になってしまった.このことを契機としてフィンランド政府が国民の健康を劇的に回復させようとして行った活動がFat to Fit運動である.
ソーシャル・マーケティングでは,需要主体がこれまでの自分の行動を変えることに価値を見出すよう促すことが重要である.Fat to Fit運動の需要主体であるフィンランド国民にとって,寒い中外出をして運動をすることやアルコールを控えること,脂肪の高い食事を減らすことは,これまでの価値観を大きく変える動機づけが必要だった.
その動機づけのためにフィンランド政府が採った対策は,①法律の整備,②資金調達,③嗜好に対する干渉,④関連組織への協力要請に分けられる.①法律の整備とは,国内におけるたばこ広告の禁止,畜産物に対する報奨金支払方法の変更(フィンランドでは伝統的に牛肉や酪農品に対して農家へ支払う報奨金は脂肪含有量であったが,蛋白質に基づいて支払われるようになった),自宅前の雪や氷の除去の責任を国民自身に課すというものである.これによって,国民のたばこの喫煙欲求への刺激を減じ,食生活を見直させ,自力での雪かきを促した.②資金調達とは,予算を首都から地方自治体に移譲し,運動を行いやすい環境整備に充てたことである.具体的には,プールの改装やサイクリング施設,スノーパークなどを整備し,それらの利用料を下げた.③個人の嗜好に対する干渉とは,運動に対する動機づけを高める方法を討論させたり,徒歩・自転車通勤を呼びかけたり,歩道や自転車道路と夜間照明を設置したりしたことである.④関連組織への協力要請とは,高齢者の転倒を防止する靴の開発を奨励したり,靴につけるスパイクを高齢者に無料で配布したり,医師に対して薬の処方と同様に患者に習慣的運動のタイプと程度を処方するよう奨励したりしたことである.また,高齢者が手軽に運動できるように老人福祉施設前にバス停を新設し,プールへ行く高齢者のバス代をプール側が負担した.
その結果,男性の心臓血管疾患死亡者は65%減少し,肺がん死亡者も同程度減少し,施策前に比べフィンランド人の平均寿命が男性7歳,女性6歳延長した.
Fat to Fit運動で実施された①~④の取り組みは,4章で示した(ⅰ)~(ⅳ)のソーシャル・マーケティングの難しさを考慮し,需要主体がどのようにすればサービスを利用しようと動機づけられるのか,何を整備すれば行動を変えるのかについて,需要主体のニーズと行動変容の阻害要因を把握した上で緻密に計画されている.公共サービスにおいて需要主体の環境要因と心理的側面を理解しサービス提供方法に生かすことは,非常に重要なことと考えられる.また,行動変容の結果が明確にわかるようにすることも,需要主体の動機づけに欠かせない要素である.
公共サービスは,需要主体のニーズに応えるという側面と,提供するサービスを通じて社会にメッセージを伝え,社会を啓蒙する側面を持っていることが多い.
本稿では,サービスの性質と需要主体がサービスの利用に対し動機づけられる程度という二軸を用いた新しい公共サービスの分類を提案した.この分類は,固定的なものではなく,需要主体のサービスの捉え方によって,分類が変化していく特徴を持つ.
需要主体を動機づけるサービス提供方法を見つけ出すことは公共サービスの重要な仕事である.公共サービスが取り扱うサービスは,ネガディブなサービスであれ,ポジティブなサービスであれ,需要主体の楽しみや心地よさを奪うことを求め,心理的・経済的コストを伴うことが多い.いかに需要主体に対してサービスの利用または回避を動機づけるのかという点については,需要主体の置かれている状況をよく知り,ニーズに合わせていくことが有効であると思われる.
近年,人々のライフスタイルは多様化している.公共サービスの提供主体は,様々な価値観を持つ需要主体に対してサービスを提供していかなければならない.提供主体は需要主体に新しい価値を提案し,需要主体の賛同を得ることで,需要主体のサービスの利用や積極的な参加を動機づけることができる.その際の新しい価値は,需要主体のニーズの中にある.
近年は,公共サービスの再定義(新しい価値の認識)に住民が参画していくケースが増えている.需要主体をサービスの創造段階から巻き込むことで,動機づけられた需要主体を事前に醸成することができる.需要主体の声に耳を傾け,いかにしてその動機づけの程度を高めていくかが,これからの公共サービスにおいても,重要となるだろう.
流通科学大学人間社会学部人間社会学科准教授,博士(先端マネジメント),主に,顧客満足,顧客参加に関する研究を行っている.2011年9月関西学院大学大学院経営戦略研究科博士課程修了.2011年9月~2012年5月兵庫医科大学実践医療コミュニケーション学講座特任助教,2012年6月~2013年3月大阪大学医学部附属病院中央クオリティ・マネジメント部特任助教,2013年4月~2015年3月京都産業大学経営学部特任講師.