2015 年 2 巻 1 号 p. 44-49
国際標準の策定は主にISOという国際組織が推進している.標準といえば,工業製品の構造や性能規格を想定しがちであるが,ISOの扱う対象はその範囲には留まらない.たとえば,ISO 26000(社会的責任−Social Responsibility)という標準がある(1).CSR活動のあり方を標準化することで,企業のCSR活動が一定水準以上であることが担保され,社会がより良く循環していくという考え方である.
そのISO中に,本サービス学会と強く関連するテーマが2012年に設定された.ISOの200程度の委員会(以下TC :Technical Committee)の中のTC159の人間工学分野(SC*1)の下に,新た人間中心プロセス標準を策定するグループ(WG5)が設立されたのである.ここでは,企業の人間中心活動のためのガイドラインを作成する.すなわち,企業が人間中心プロセスに沿って活動するとはどういうことであるのか,それを企業,消費者,中立者で合意形成*2しようというものである.
TC159/SC1/WG5で議論が始まった標準は,"Human Centred Orgnisation*3"と名付けられたものである(2).Human Centred Designという用語は一般的であるが,ここでは一般的な意味とは異なる使い方をしている.ガイドラインとしてあり方を規定する対象は,製品等のデザインプロセスではなく,それを生み出す企業組織構造である.TC159は人間工学に関する標準化のTCであり,モノとしての製品(interactive systemを含む)をいかにユーザに使いやすく設計するか,その際にユーザのさまざまな人間特性のばらつきをいかに配慮するかということに関する標準策定が第一であった.また,人間工学が労働衛生を含むことから,工場やオフィスで働く従業員の作業環境設計において安全や使用性をいかに配慮するかというものも含んでいた.これに対して,新たに議論が始まった"Human Centred Organisation"は,2つの点で人間工学の枠組みを凌駕するものである.第一は,製品だけでなくサービスを含むという点である.第二は,第一の当然の帰結として,Humanに,サービスの提供者を含むという点である.ここでは,企業(Company)にとっての製品・サービスの利用者をCustomer,それを提供する側で製造やサービス提供に関わる者をEmployeeと位置付けた.サービス研究では既に知られているとおり,どちらも共創活動(Co-Creation)の担い手である.Companyは,CustomerとEmployeeのトライアングルを管理,経営する,すなわち,全体のシステム(Service-Eco-System)を企画・提供し管理する役割を担う. そのトライアングルを囲むものとして,企業はSocietyとの相互作用に関心を払うべきであるとしている(図1).
Human=ユーザから,Human=Employee,Customer,Societyに拡張されたことになる.Humanが使いやすくなるように製品を作り込むためのガイドラインではなく,Humanが製品とサービスの提供と使用を通して各関係者が得られる価値を高め,それが持続するように社会的関係性を含めた組織体制を作り込むためのガイドラインを目指している.
ISO 27500シリーズは3つの標準によって構成されている.WG内部では,それぞれExecutive レベル,Managementレベル,Specialistレベルと仮に呼ばれている.Executiveは,企業の経営層(board member)を対象としたもので,なぜ人間中心プロセスを企業活動に取り入れるべきか(why)とともに,なにをどうアクションし始めるか(what)が書かれている.中位のManagementは,部課長クラス(division manager)を想定したもので,経営層からの指示に従ってどのように組織内で人間中心プロセスを構成していくか(how),その活動をどうモニタリングして経営層に報告していくかを書く.Specialistは,プロジェクトリーダーやチームリーダーなど最下層の現場管理レベルを対象としたもので,具体的な現場へのアクションと現場から得るべき尺度が記載される(図2).
TC159/SC1/WG5の議長国は米国であり,議長はDaryle Gardner-Bonneau氏が務めている.3つのプロジェクトにはそれぞれプロジェクトリーダー(PL)がアサインされている.Executiveレベル(ISO 27500)は,英国のTom Stewart氏とスウェーデンのTomas Berns氏が連携して担当している.Managementレベル(ISO 27501)は,日本の藤田祐志氏(株式会社テクノバ)がPLを務め,産総研の遠藤維氏,渡辺健太郎氏がサポートしている.Specialistレベル(未定であるが,おそらくISO 27502)は,本稿執筆者である戸谷圭子がプロジェクト発足に際してPLに就任予定である.連名著者である持丸正明と,フランスINRSのElie Fadier氏がサポートする.藤田氏や持丸はバックグラウンドが人間工学であるが,戸谷のバックグラウンドは経営学である.英国PLやスウェーデンPLのバックグラウンドは人間工学であるが,大学教員ではなく経営コンサルティング会社役員である.組織のあり方を対象とする27500シリーズの標準化では,経営視点やコンサルティング視点のメンバーが不可欠である.特に,対象にサービスを含むことになったことからも,サービスマーケティングの視点を欠くことはできない.先の図1のモデル図は,戸谷が提案したものであり,経営系の参加が,現実を踏まえてさらにその先の将来を見据えた企業活動を促す標準の策定に貢献するものと考えている.
ExecutiveレベルのISO 27500は,もっとも議論が早く進んでおり,本稿執筆時点で最終段階に近い国際投票にかけられている.ここに,"Human Centred Organisation"を貫く7つの理念が記載されている.
Executiveレベル標準では,これらの理念を組織内に周知し,部署間で連携して一貫したアクションになっていることを管理することが求められる.Managementレベル標準では,この理念に沿ったデザインプロセス,製造プロセス,サービスプロセスを構築,管理することが求められる.Specialistレベル標準では,具体的な現場において実践するためのアクションが規定される.ここでは,Companyが,どのHuman(Customer, Employee, Society)に対してアクションするかに応じて,各レベル(Executive,Management,Specialist)でのアクションを記載した表を用意することで議論が進められている.まだ,審議中の資料であるが,筆者らが用意して議論にかけた表を参考までに引用する(表1).
Managementレベル標準では,7つの理念に応じて組織内のプロセスを構築する事例として,付録(Annex Informative)にサービスデザインプロセスの考え方を記載している.これは,産総研の渡辺健太郎氏が提案して審議中の部分である.観測−分析−設計−適用のサービス現場でのサイクルの上に,経営視点での戦略立案が位置付けられている(図3).
ISO TC159/SC1/WG5は年間3回程度のWG国際会議を開催し,3つのレベルの標準を並行で審議している.人間工学という分野で提唱され議論が始まった標準に,明示的にサービスを組み込むことになり,HumanをCustomer,Employee,Societyとして捉えて議論が進められている.図1や図3が最終的に標準に組み入れられることとなれば,サービス学の貢献は非常に大きなものとなる.現在は,CompanyがEmployeeに対するアクションを「inward」,CustomerやSocietyに対するアクションを「outward」として,表形式で3つのレベルでのアクションを整理している.既に,投票にかけられているDIS 27500でも,inward/outwardアクションを表形式で明示するように修正する予定である.今後のWG国際会議は,2015年6月に米国アナハイム,11月にパリ,2016年3月に東京お台場の産総研で開催される予定である.読者の中で,標準の議論に参加したい,詳しい情報が欲しいという方は,筆者らにコンタクトいただきたい.東京で開催される会議にオブザーバーとして参加いただくことも可能である.
明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授.筑波大学大学院経営・政策科学研究科博士課程修了.博士(経営学).専門はサービスマーケティング.サービスにおける共創価値尺度の開発,製造業のサービス化研究に従事.
国立研究開発法人産業技術総合研究所 人間情報研究部門部門長.1993年,慶應義塾大学大学院博士課程生体医工学専攻修了.博士(工学).専門は人間工学.人間の身体特性,行動と感性の計測とモデル化,産業応用研究に従事.