サービソロジー
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特集:サービス人材育成 ~求められる人材像とその能力育成方略~
ケースメソッド教授法とPBLの導入によるサービス人材の育成
水野 由香里
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2016 年 2 巻 4 号 p. 8-15

詳細

1. はじめに

2007年5月,文部科学省が「サービス・イノベーション人材育成推進プログラム」の公募を行った(当初は委託事業,その後,研究拠点形成費等補助金「産学連携による実践型人材育成事業—サービス・イノベーション人材育成—」として継続).公募の背景には,サービス産業の生産性を向上させるための人材育成プログラムや教育システムを整備し,サービス・セクターにおけるイノベーション創出に寄与する人材を育成するという明確な目的があった.

そこで,サービス経営学部を標榜する本務校において,この公募に応募することから「取り組み」は始まった.

2. プロジェクトの概要

本務校では,学部学生教育を行っているため,人材育成の対象は必然的に学士課程の大学生となる.サービスの現場では,正規雇用の従業員は,比較的早いタイミングで現場のリーダーを任せられることが少なくない.そのため,サービス産業に従事することになるであろう学生は,卒業後の早いタイミングでサービス現場におけるミドル・マネジャーとしての役割が求められることがしばしば確認される.本務校の卒業生の中には,就職後,半年で店長の拝命を受ける例もある.このような事情を鑑み,本プロジェクトでは,ミドル・マネジャーに焦点を当てた.そのため,プロジェクト名を「高付加価値を生む,シミュレーション・マインドを持ったミドル・マネジャー育成プログラムの構築」とした.事業の分析力や判断力,構想力等を鍛え,事業の付加価値を高められる人材を育成するための教育プログラムの開発に着手したのである.

具体的方法としては,ケースメソッド教授法を活用し,ケース教材をパッケージ化した学部生を対象とする教育である.これまでケースメソッド方式の授業は,主に大学院や企業研修等の場で活用されてきた.したがって,受講対象は社会人であった.本プロジェクトでは,この教育方法を学部生にも適用できるようにしたプログラムに作り変え,導入することとした.

「高付加価値を生む,シミュレーション・マインドを持ったミドル・マネジャー育成プログラム」には2つの特徴がある.第1の特徴は,ミドル・マネジャーに求められる役割をアンケート調査から導出した上で,それらの主題を組み込んだケース教材を作成することである.社会人やMBA学生に対するケース教材に関しては,日本ケースセンターや慶応義塾大学経営管理研究科などで購買・入手することができる.しかし,本プロジェクトの取り組み当時,学部生教育向けのケース教材を入手することはできなかった.したがって,一から学部生教育向けのケース教材を独自に開発する必要があった.

第2の特徴は,学部生を対象にしたケースメソッド方式の授業方法の開発である.本プロジェクトの受講生である学部生では,対象者や学習の目的が異なれば,学習の運用や手順も異なると想定される.そのため,学部生に対するケースメソッド方式の授業方法に関しても,一から検討してみる必要があった.

3. 調査研究

本プロジェクトでは3つの調査研究に基づいて,学部生を対象にしたケース教材の作成や授業方法を開発した.調査研究には,2タイプのアンケート調査とインタビュー調査が含まれている.アンケート調査では,サービスにおけるイノベーションの担い手となるミドル・マネジャー像を導き出すことを目的にした.そこで,アンケート調査は,日本のサービス組織を対象にミドル・マネジャーの業務や役割を特定したもの(10,500社のランダム・サンプル)と,収益性の高いサービス組織を対象にしたもの(1,500社のベスト・プラクティス)を実施した.アンケート調査によって導出されたサービス組織に求められる人材像やミドル・マネジャーに求められる役割をケース教材に落とし込むために,インタビュー調査も実施した.インタビュー調査の対象とした企業は,収益性の高いサービス組織を対象にしたアンケート調査から導出された企業や,産学連携プロジェクトおよびPBL(Project-based Learning)などを通して,日頃から本務校の学部教育に協力・参画いただいているサービス企業である.なお,アンケート調査やインタビュー調査の詳細等に関しては,本プロジェクトの報告書『Service Innovation Project ケースメソッド教育でイノベーション人材を育成する-新たな学部生教育-』(9)を参照されたい.

3.1 サービス組織10,500社を対象にしたアンケート調査の概要と結果

日本のサービス組織の全体像を把握するために,標本10,500社のアンケート調査を行った.標本の抽出方法は,事業所統計表におけるサービス業の中分類の企業比率に応じて,企業をスキップ抽出した.抽出された企業には,2種類の質問票を送付した(詳細は,[水野,2010a](7)を参照のこと).企業概要や企業業績に関する質問票と,その企業に所属するミドル・マネジャーに関する質問票である.日本のサービス組織におけるミドル・マネジャーの人材像や企業規模,および企業業績との関連性を明らかにするためである.なお,回答企業は347社,回答ミドル・マネジャーは458名であった.

サービス組織におけるミドル・マネジャーが与えられていると認識している役割について,相関関係を確認すると,企業規模が大きい組織において企業内部の業務を重視する傾向にあり社内のマネジメントが求められていること,企業規模が小さい企業において新規の顧客開拓や顧客対応といった顧客との関係を重視していること,などが確認された.

サービス組織におけるミドル・マネジャーが与えられていると認識している役割を因子分析すると,3つの因子が特定された.1つ目の因子の特性は,社内の人間関係に関する項目で構成されており「社内関係」因子となっている.2つ目の因子の特性は,社内の管理業務に関する項目で構成されており「社内管理」因子となっている.3つ目の因子の特性は,顧客との対応や取引関係者とのやり取りに関する項目で構成されており,「社外関係」因子となっている.

サービス組織におけるミドル・マネジャーが果たすべき役割であると認識している役割について,相関関係を確認すると,売上の高い企業で部下を育成すること,企業規模が小さい企業で日々のルーティン業務を重視していること,などが確認された.

サービス組織におけるミドル・マネジャーが働く意欲を高める要因として認識している役割について,相関関係を確認すると,企業規模が大きい企業ほど,上司や部下から評価されていることや責任と権限を与えられていることが働く意欲を高めると確認された.一方で,企業規模が小さい組織ほど,創業者や経営者との心理的な距離が近く尊敬に値することが働く意欲を高めると確認された.

3.2 サービス組織1,500社を対象にしたアンケート調査の概要と結果

2つ目のアンケート調査は,収益性の高いサービス組織を対象としたイノベーションの担い手となるミドル・マネジャー像を明らかにするために実施した.10,500社のアンケート調査結果から,企業規模別の特性が大きく作用することを確認したため,企業規模別(資本金1,000万円未満,資本金1,000万円以上1億円未満,資本金1億円以上)に分類した上で,計1,500社のアンケート調査を実施した.資本金1,000万円未満の企業は,(1)2期連続以上黒字,(2)直近期の利益の伸び率が高い上位企業500社を抽出した(中小規模や創業間もない企業が多いと想定されるため).その一方で,資本金1,000万円以上の企業に関しては,(1)2期連続以上黒字,(2)2期連続以上で利益額が伸張,(3)2期連続での利益額の伸び率を考慮した.資本金1,000万円以上1億円未満の企業と,資本金1億円以上の企業のそれぞれに対して,利益額の伸び率が高い上位500社を抽出した.なお,このアンケート調査においても,10,500社を対象としたアンケートと同様に,2種類の質問票を送付した.企業概要や企業業績に関する質問票と,その企業に所属するミドル・マネジャーに関する質問票である.なお,回答企業は73社,回答ミドル・マネジャーは107名であった.

サービス組織のベスト・プラクティスとも言えよう1,500社を対象にしたアンケート調査結果を確認すると,日本のサービス産業の縮図とも言えよう10,500社アンケート調査の結果よりも,高い相関関係が確認されていた.

収益性の高いサービス組織におけるミドル・マネジャーが与えられていると認識している役割について,相関関係を確認すると,組織規模が小さい組織において,新規顧客の開拓が求められていた.すなわち,小規模のサービス組織においては,ミドル・マネジャーはプレイング・マネジャーとしての役割を果たす能力を養成する必要があることが確認された.一方で,企業規模が大きい組織において企業内部の管理業務を重視することのみならず,組織内部の評価や事業計画を策定することなどの意思決定業務を遂行することが求められていることが確認された.

そのため,収益性の高いサービス組織におけるミドル・マネジャーが与えられていると認識している役割を因子分析すると,10,500社のアンケート調査から確認された「社内関係」「社内管理」「社外関係」の3つの因子の他に,「意思決定」因子が新たに確認されている.収益性の高いサービス組織で働くミドル・マネジャーにとって,組織の意思決定業務に携わることは重要な役割であることが確認された.すなわち,サービス組織のミドル・マネジャーレベルにおいても,サービス現場の状況を的確に見定め,計画や事業を立案し,適切な意思決定のできる人材を求めていることが改めて確認されたのである.

収益性の高いサービス組織におけるミドル・マネジャーが果たすべき役割であると認識している役割について相関関係を確認すると,部下を育成することや計画を立案することが確認されている.したがって,収益性の高いサービス組織におけるミドル・マネジャーは,実際に与えられていると認識している役割と自身が果たすべきであると意識している役割との乖離がないようであることが理解できる.

収益性の高いサービス組織におけるミドル・マネジャーが働く意欲を高める要因として認識している役割について相関関係を確認すると,企業規模が大きい企業ほど上司から評価されていること,逆に組織規模が小さい企業ほど創業者や経営者との心理的関係が近いことが確認された.また,収益性の高いサービス組織の中でも売上高が高いサービス組織において,昇進や昇給,金銭的な報酬が働く意欲を高める項目に対して高い相関が確認されており,ミドル・マネジャーの外発的動機づけを高めることも重要であることを表している.

日本のサービス組織を対象に標本を抽出したランダム・サンプルのアンケート調査と,収益性の高いサービス組織を対象にしたベスト・プラクティスとも言えるアンケート調査とを比較すると,サービス組織のミドル・マネジャーにおいても,サービス現場の状況判断・分析能力と,それをもとに計画や事業を立案し,的確な意思決定のできる人材が求められていること,また,昇進や昇給,報酬といった外発的動機づけを高めることも重要であることが理解できた.

3.3 インタビュー調査

アンケート調査を踏まえ,サービス組織でイノベーションを遂行し,高い生産性を計上する能力を持つミドル・マネジャーに求められる行動特性や役割,具体的な状況設定,意思決定場面などの詳細をケース教材に落とし込むために,インタビュー調査を行った.インタビュー調査は,2007年度から2009年度にかけて延べ115社(国内でのインタビュー調査68社,海外でのインタビュー調査47社),計170時間30分に及んだ.

インタビュー調査からさまざまな論点や要素を導出することが可能となった.鍵となる要素は,イノベーションに取り組む要素と,取り組みを成果に結びつける要素,日常のミドル・マネジャーの行動における要素であり,それぞれの要素に含まれる具体的項目については,本プロジェクトの報告書(9)で確認することができる.

また,インタビュー調査において,インタビュー実施時,ケース教材に組み込むことが可能かつ有効なエピソードや訓練主題が得られた際には,実際にその状況をケース教材に反映することとした.したがって,インタビュー調査の実施企業を主題にしたケース教材が数多く作成されている.ケース教材を作成する際には,ミドル・マネジャーによるイノベーションの取り組みのきっかけや直面した課題,その課題の解決方法を実施するプロセスが再現され,実際にどのようなことが起きていたのか,そして,その状況に対してどのように対応したのかを克明に記すことに注力した.

4. 必要とされるサービス人材の能力育成方略

以上の調査研究を踏まえ,高い生産性を実現するために,また,イノベーションを遂行するサービス組織に求められるミドル・マネジャーとなるマインドと能力を備えた人材育成の方法として,まず,ケース教材の作成とケース教材を活用した授業方法の構築を行った.その後,蓄積した知を実践に結びつけるために,PBLの場を用意した.

4.1 ケース教材の作成

本プロジェクトのケース教材の開発に関しては,

(1)実施したインタビュー調査企業に焦点を当て,ミドル・マネジャーに求められる能力を育む学習課題となり得る論点をケース教材に埋め込む場合

(2)同業種,あるいは,ミドル・マネジャーが直面する課題を埋め込んだ仮想企業を想定してケース教材を作成する場合

(3)アンケート調査結果から導出された意思決定や実行する際の場面を想定してケース教材を作成する場合

(4)上場企業の決算短信や新聞記事等の公開情報をもとに,サービス組織のミドル・マネジャー層に求められる訓練主題を埋め込んでケース教材を作成する場合

などがある.

また,難度を “Functional level”“Operational level”“Business level” の3段階に分類した.受講生である学部生の学習レベルに応じたケース教材を利用するためである.ただし,“Business level”に該当するケース教材は,ビジネススクールや社会人研修の場での利用にも耐え得る教材となっている(実際に一般財団法人貿易研修センター内の日本ケースセンターが主催するケースメソッド研究会や,長野県観光部観光企画課が主催する旅館経営者向け研修講座,公益社団法人狭山青年会議所が主催する経営革新塾などにおいて,Business levelのケース教材の利用実績がある).

学部生を対象にしているため,学びのポイントを明確にする必要があり,その対策として,ケース教材の中には,論点や訓練主題ごとにパートに分けて構成されているものもある.

また,作成したケース教材には,ティーチング・ノートを用意している.ティーチング・ノートには,「ケース教材のねらい」「ケース教材に含まれている主な論点」「設問および設問の意図」「(ディスカッションを始める前の)アイスブレイク」「まとめ」が含まれている.

このようにして,高い付加価値を実現しイノベーションを推し進めるサービス組織のミドル・マネジャーに求められる能力を育成するためのケース教材を取りまとめた.

4.2 授業方法・運営の仕組みづくり

本プロジェクトでは,ケース教材を活用した教育効果を高めるために,さまざまなトライアルを実施した.具体的トライアルの内容に関しては,水野(2008a;2008b;2009;2010a;2010b;2011)(4)(5)(6)(7)(8)(10)などに詳しい記述がある.試行錯誤を通して,学部生を対象にしたケースメソッド教授法の授業スタイルが確立した.

4.2.1 講義での学習

学部生を対象にしたケースメソッド教授法の特徴として,講義(座学)と演習(ケース教材に基づくディスカッション)をセットにして運営するという基本構造をとっていることがある.社会人教育において,ディスカッションは多様なバックグラウンドを踏まえた発言が出やすい.その一方で,学部生にとってはそのような経験を持たない場合が多く,そのため,受講者自身で発言のハードルを高く設定する傾向がある.

ケースメソッド教授法は,そもそも参加者が発言をしなければ成立しない教育方法である.そのため,このようなタイプの授業を実践するためには講師側から考える題材を提供する必要があるとの配慮である.

すなわち,講義は,(受講生が意識しているかどうかは別にして)受講生に対する考えるための道具を提供していることを意味しているのである.

4.2.2 ケース教材の配布

講義によって学問的知識を(一方向的に)移転された受講生には,次にケース教材が配布される.配布されたケース教材は,講師が講義で移転した知識を活用して講義パートで学んだ知識の応用問題を包含した題材となっている.すなわち,ケース教材には,講義で移転された知識を受講生自らが主体的に考える題材が含まれているのである.

このような方策をとる主な理由は,一般的に,講義のような一方向で移転される知識は,受講生がどの程度まで理解を深めることができたか,また,受講生の記憶に定着したかどうか,講師側は判断できない.しかし,ケース教材を通して,講義で学んだ知識を受講生が考える機会を提供することにより,受講生にとって“復習”の場となり,受講生の理解をより深めることができ,かつ,そのプロセスを講師側が把握することが可能となる.また,受講生は,講義の復習になると同時に,ケース教材の記述を通して,過去に実践されたサービス組織におけるイノベーションの事例を理解する機会となる.

4.2.3 ディスカッションの準備 その1

ケースメソッド教授法を実践するには,事前学習をしていることが重要となる.受講生は,配布されたケース教材を熟読し,教育目的に応じて設定された設問に自分なりの回答を用意することが求められる.学習意欲が高く,ディスカッションを自己研鑽の場として理解する傾向が高い社会人教育とは異なり,学部生はその意識が希薄である.そのため,受講生が事前学習を怠る可能性も否定できない.その対策として,演習(ディスカッション)の授業開始前に,設問が書かれている設問シートに受講生の回答を提出するよう徹底することが重要となる(設問シートの提出は平常点に反映させている).提出された設問シートは複写し,設問シートを授業が始まる直前に返却する.こうすることで,講師側が受講生一人ひとりの回答や見解を事前に把握することができ,ディスカッション・リードに役立てることができる.

4.2.4 ディスカッションの準備 その2

演習の授業において,ディスカッションを始める前に2つの準備を行う.1つ目の準備は,受講生が正しく講義を理解したかどうかを確認することである(筆者は,講義の終わりに受講生にコメント票の提出を求めている.コメント票には,「授業の理解度(認知尺度で5段階評価)」「授業の理解度の理由」「授業で理解したこと」「授業で理解していないこと」「質問・コメント」の項目に関して記入を求める.このコメント票の記述内容で,受講生が講義を正しく理解したかどうか,理解を妨げている部分を特定し,補足の説明をする).授業内容の正しい理解のもと,ディスカッションを行うための準備である.

2つ目の準備は,ケース教材の記述内容を受講生が正しく理解しているのかを確認することである.受講生は,事前学習として,あらかじめケース教材を読み,設問に答えてきているものの,(特にケース教材の記述のレベルが高い場合や,専門性が高い領域や業界を題材とした場合など)ケース教材の記述内容に関して,誤った理解をしている可能性がある.記述内容に関する誤った理解を放置したままディスカッションを進めると,そもそもの議論の前提条件が異なるために,受講生間の議論がかみ合わない事態が発生する場合がある.そのような可能性をあらかじめ排除しておく措置をとることが求められる.

4.2.5 ディスカッションの準備 その3

講義やケース教材に関する共通の理解を共有した後,ディスカッションを進める際のルールを確認する.ケースメソッド教授法では,発言する「勇気」を持つこと,他者に対して「礼節」の心を持って接すること,多様な意見や価値観があることを「寛容」の心を持って接することの重要性が指摘されている(竹内,2010)(3).受講生に対してもこの点を確認する.不用意な言葉で他の受講生を傷つけることがないよう指導も行い,安全なディスカッション運営に結びつけることが肝要となる.このようなプロセスは,実は,学生の就職活動の場面で極めて肯定的に作用する.なぜなら,ディスカッションの場が学生の人間形成および社会人基礎力(「前に踏み出す力(アクション)」,「考え抜く力(シンキング)」,「チームで働く力(チームワーク)」)における「考え抜く力」と知識を導出するために「チームで働く力」を醸成する場となるからである.発言する勇気を持って・参加者に対して礼節の心を持って・多様な意見や立場を容認する心を持って議論の合意形成を行って結論を導き出す力は,一般的に社会で求められている能力の1つであるためである.

4.2.6 グループ・ディスカッション

ディスカッションのための準備を終えると,受講生を4~6名程度のグループに分け,グループでディスカッションを行う.クラス全体でのディスカッションの前にグループ・ディスカッションを行う理由は,段階的にディスカッションする集団のレベルを上げていくことにある.特に,議論の多様なバックグラウンドを持たない学生に,いきなりクラス・ディスカッションでの発言を促しても議論することが難しい受講生や,自身の思考が十分に整理されていない受講生,論理的というよりも直感で判断する受講生などがいることは否定できない.これらの受講生が自分自身の思考プロセスを段階的に確認するためにも,グループ・ディスカッションを経て,思考の整理をした後に,クラス・ディスカッションをすることの意味がある.

グループ・ディスカッション(および,その次のステップとなるクラス・ディスカッション)を行う際,受講生に1つの注意を喚起する.それは,ディスカッションにおいて,他者から得た知見や発見事実,驚き,アイディアなどの特筆すべきことを,筆記用具の色を換えて自分の設問用紙に書き込むよう指示することである.このような手順を踏むことで,自分ひとりで考えた時の思考のレベルと,受講生が総力を挙げて考えた時の思考のレベルの違いに,受講生自身が気づくことになり,ディスカッションを行う集団で学ぶことの知や利点を実感することができる.

4.2.7 クラス・ディスカッション

クラス・ディスカッションにおいても,得た知見や発見事実,新たなアイディアなどで特筆すべき点は,筆記用具の色を変えて,自分の設問用紙に書き込むよう指示をする.受講生によっては,(講師側が指示しなくとも)グループ・ディスカッションとクラス・ディスカッションの色を変えて書き込み,ディスカッションのプロセスを後に確認する場合もあり,相互に学びあうインタラクティブ・ラーニングの重要性を受講生自身が認識する姿も確認されている.

4.2.8 講義とケース教材のまとめ

最後に,受講生に対して「振り返り」(ラップ・アップ)を行う.ケース教材を授業で活用し講義とセットにして授業を運営する理由は,講義で学んだ知識を正しく,かつ,より深く理解することである.したがって,ディスカッションの後は,受講生が講義で学んだことの学習のポイントとケース教材で学んだこととの関連性や知識を接続できるよう,講師側が情報や学習の要点を補足するのである.

このように,講義で学んだこととケース教材を通して自身で考えたことをすり合わせることによって,受講生は,ディスカッションで考えたことの意味を深く理解することになる.受講生は,この段階で大きな気づきを得ることとなる.

4.2.9 ディスカッション・リードの留意点

学部生を対象にしてディスカッションをリードする際,大きく2つの留意点がある.

第1の留意点は,受講生の発言や言葉を適宜,変換することである.学部生の中でも,特に専門的知識が少ない受講生が対象である場合,発言内容や言語表現がプリミティブであることが少なくない.このような状況において,発言者の言葉をそのまま板書するのではなく,発言内容を専門的用語に置き換えたり,パラフレーズしながら補足の説明を加えたりする必要がある.

また,しばしば,発言内容の論理を整理することも必要となる.受講生が意図せずして,発言の論理が飛躍していることも少なくないためである.しかし,講師側と発言者が,発言の論理の飛躍を埋めていくプロセスをクラス・ディスカッションの場で踏むことにより,発言者のみならず聞いている他の受講生にとっても,物事を論理的に考える思考の訓練をこのプロセスと板書を通して確認することができるという効果もある.

第2の留意点は,ディスカッション・リードを構造化することである.社会人教育の場合,受講生の多様なバックグラウンドからさまざまな視点の発言があり,ケース教材のディスカッション・リードする講師側は,これらの発言をディスカッションの場に上手く収容し,まとめあげる手腕が求められる.一方で,学士課程教育の場合には,(ディスカッションの方向性をハンドリングする手腕よりも)確実に狙った教育目標に到達させる手腕が求められる.社会人を対象にしたケースメソッド教授法とは,教育目的が大きく異なっているためである.すなわち,学部生を対象にしたケースメソッド教授法では,講義と演習をセットにして授業運営を行い,受講生が講義内容を確実に理解するための手法として演習の場を設けているのである.学部生を対象にした教育手法としてケースメソッド教授法を導入する際には,明確な学習目標(ある専門的知識の移転)があり,この目標を確実に達成させる(ある専門的知識を受講生が理解する)ことが重要である.このような目的を果たすために,ディスカッション・リードの内容を構造化して受講生の理解と気づきを深めることが肝要となる.

4.3 PBLで実践の経験を積む

本プロジェクトの当初の目的は,「高付加価値を生む,シミュレーション・マインドを持ったミドル・マネジャー」を育成するために,サービス組織におけるミドル・マネジャーの人材像,すなわち,ミドル・マネジャーとして果たすべき役割や高い生産性を達成するための行動基準,イノベーションを遂行するプロセスを明らかにした上で,学部生を対象にしたケース教材の開発とケース教材を運用するための授業方法を開発することであった.この目的を達成し,実際に授業で運用している過程で,1つの新たな課題が導出された.

それは,学部生を対象としたケースメソッド教授法によって,受講生は一通りの事業のシミュレーション・マインドの醸成や,講義で学んだ学習テーマの深い理解,ミドル・マネジャーとしての行動規範,意思決定するためのプロセスと手順,サービス組織における「べき論」を語るなどといったスキル(楠木,2013)(2)を理解することはできるものの,それを行動で実践することとは異なることにあった.すなわち,ケースメソッド教授法に則って行われたディスカッションを現実的な行動規範に結びつける必要があったのである.そのタイミングにおいて,筆者は,2010年9月26日,経済産業省の平成22年度 産業技術人材育成支援事業(起業家人材育成事業)の一環として,大学・大学院起業教育推進ネットワークが主催した「バイグレイブ名誉教授によるケース教授法セミナー~バブソン大学の起業家教育実践手法を学ぶ~」に参加する機会を得た.同セミナーでは,社会人大学院および学部生に対するケースメソッド教授法についてバブソン大学で開発されたケース教材を活用しながら議論が交わされた.バイグレイブ名誉教授は,「バブソン大学では,ディスカッションをして起業家に対する知識を深めた後,その実践として,大学側が資金を用意し学生に起業するプログラムを用意している」ことを指摘し,筆者に実践の場を用意することの重要性を語った.

また,ケースメソッド教授法を導入することは,確かに社会人基礎力における「考え抜く力」と知識を導出するために「チームで働く力」を醸成する場であることが確認された.しかしその一方で,「前に踏み出す力」や実践の場における「チームで働く力」を醸成することも重要であるとの認識があった.

4.3.1 PBLの実践例

このような経緯で,PBLの取り組みを本格化させた.筆者が具体的に授業で実践したPBLの一例として,プロ野球球団である埼玉西武ライオンズと行ったプロジェクトが挙げられる.このPBLは,以下のような段階を踏みながら実践した.

第1に視察である.実際に受講生の目で観て確認し,新たな視点や気づき,課題の発見に活かすことを目的に,野球場(西武ドーム)のバックヤードの見学や野球ビジネスに関する担当者らの説明などを受けた.受講生は,まず,プロ野球ビジネスの仕組みを理解し,イノベーションのきっかけを探った.

第2に実践である.埼玉西武ライオンズの関係者から課題を提示してもらい,受講生が実践プランを考え,実行する段階である.埼玉西武ライオンズから提示された課題は2つあった.それらは,プロ野球や当該球団のファンを増やすための企画の提示と,来場したファンの満足度を高める企画の実施である.受講生らは,テーマパーク・ビジネス(Universal studio Hollywood)やプロ野球ビジネス(アメリカのマイナーリーグ・チームSaint Paul Saints,伊藤・高室編著[2010](1)の北海道日本ハムファイターズ)のケース教材を活用してディスカッションをした経験があり,過去に蓄積したサービス組織のイノベーションに関する知を活かして実践することができる機会であった.

前者を始めるにあたり,受講生は,計151名の大学生にアンケート調査を実施した.アンケート調査票は,プロ野球観戦の経験の有無や大学入学後のプロ野球観戦の有無,観戦の有無の理由,観戦のきっかけ,などを問うものである.プロ野球観戦の経験については,埼玉西武ライオンズの関係者の事前の想定とは大きく異なる集計結果が確認された.それは,105名もの大学生がこれまでプロ野球の観戦に行ったことがないという回答であった.そもそもプロ野球観戦をしたことがない大学生が7割近くにも上っていたのである.そこで受講生らは,プロ野球観戦をしたことがない理由や大学入学後にプロ野球観戦をしなくなった大学生の回答(該当者は35名)をもとに,大学生がプロ野球観戦に思わず行きたくなるアイディアを考え,埼玉西武ライオンズの関係者に提案した.

後者の来場したファンの満足度を高める企画を進めるタイミングにおいて,新たな別の企業であるイマジカデジタルスケープからAR(Augmented Reality;拡張現実)の技術の転用可能性,および,新たな事業の実用可能性を探るテーマをいただいた.同社は,その当時,AR技術を映画のプロモーションの1つとして活用していた.そして,同技術を幅広い事業領域に活かす可能性を探っていたのである.このようにして,受講生は,イマジカデジタルスケープからARの技術の提供を受け,また,埼玉西武ライオンズから野球場という実践の場を提供してもらい,来場したファンの満足度を高めるための企画を考え,その企画を実施することになったのである.受講生らによるアイディアの創出と絞込みを行い,イマジカデジタルスケープと埼玉西武ライオンズの担当者らとの幾度もの打ち合わせを行い,試行錯誤した結果,Lions AR(https://itunes.apple.com/us/app/lions-ar/id604794761?mt=8)を実施することになった.具体的実践は,利用者がLions ARのアプリをダウンロードして,野球場内に設置された3つのポスターをスキャンすると,埼玉西武ライオンズのマスコットキャラクターやロゴが1つ1つ浮かび上がり,3箇所スキャンし終えると,それがフォトフレームとなって,利用者が撮影した写真と組み合わせることができるという企画であった.この企画は,事前にそれぞれの組織からニュース・リリースも行っている.

受講生らは,埼玉西武ライオンズの試合開催時,来場者に企画の趣旨を説明し,実際に参加してもらえるよう促した.2013年3月12日の埼玉西武ライオンズのオープン戦を皮切りに半年間実施された.

受講生は,イノベーティブなアイディアを練り,実践を経ることによって,将来,サービス・プロフェッショナルとして求められるスキルや思考力,行動力,そして,イノベーション創出に寄与する人材となるために必要な素質が,個人差はあるものの,多少なりとも明確にすることができたようであった.

4.3.2 PBL実践の振り返り

大学教育で行うPBLのプロジェクトやインターンシップなどの取り組みを積極的に支援する大学は少なくないものの,大学教育の本来的役割や受講生の学びを考えるにおいてより重要なのは,そして,イノベーションを捲き起こす能力に結びつけるためには,振り返りの機会を持つことであると筆者は考えている.そのため,受講生がPBLの実践でどこまで当初の目的「来場したファンの満足度を高めることができたか」の達成度を振り返る機会,また,実践を踏まえた学びや反省を整理し,次の行動や実践に結びつけるための機会を講師が設けたのである.そのため,Lions ARを実践した振り返りと,イマジカデジタルスケープと埼玉西武ライオンズの関係者へのフィードバックの場を設けた.受講生からは,「ARの技術を活用してスタンプラリーを実施することの効果は確認されたものの,野球のような対戦相手が存在する場合や勝敗が関係するタイプのビジネスに導入することは,満足する顧客ターゲット層が限られるため(特にこの企画の場合には,埼玉西武ライオンズのマスコットキャラクターを利用したため,対戦チームのファンから不満の意が確認された),皆が楽しめる企画に活用したほうが良い」という意見や,「iPhone限定のアプリであったのだが,オープン戦では埼玉西武ライオンズのファンのiPhone保有率がそれほど高くはなかったために,企画そのものには興味があったにもかかわらず参加を断念したというファンがいた.だから,誰でも参加できるタイプのものにしたほうが良い」などの意見が確認された.

以上のPBLは実践の一例ではあるものの,受講生らは,サービス組織にイノベーションを捲き起こす人材となるような実践を少しずつ重ねている.

5. おわりに

本プロジェクトでは, (1)サービス組織にイノベーションを起こすことのできるミドル・マネジャーの人材像や求められる役割を明らかにした上で,(2)それらの訓練主題を埋め込んだケース教材の開発とケース教材を運用するための授業方法を開発し,(3)ディスカッションでの学びを実践に移すためのPBLの場を設けることによって,サービス・セクターの付加価値を向上させ,イノベーションの担い手となる人材育成に取り組んできた.このような仕組みを構築してから5年ほどが経過した.少しずつではあるが,定性的レベルでは教育効果があったと判断することができるものの,教育効果の測定や定量化については未だ確認できてはいない.しかしながら,本務校のこのような取り組みは,地道で手間がかかる教育ではあるものの,主体的かつ自律的に行動する人材を育成することにも一役買っているように思われる.将来,このような教育の機会を持った学生が社会で活躍する姿を確認することを心待ちにしている次第である.

著者紹介

  • 水野 由香里

一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位修得退学.西武文理大学サービス経営学部 准教授.主要業績に『小規模組織の特性を活かすイノベーションのマネジメント』(碩学叢書)などがある.

参考文献
  • (1)  伊藤宗彦・高室裕史編著(2010)『1からのサービス経営』碩学舎.
  • (2)  楠木建(2013)『経営センスの論理』新潮社.
  • (3)  竹内伸一著,高木晴夫編(2010)『ケースメソッド教授法入門-理論・技法・演習・ココロ』慶應義塾大学出版会.
  • (4)  水野由香里(2008a)「ケースメソッド教授法導入に関する中間報告」『西武文理大学サービス経営学部研究紀要』第13号,55-66.
  • (5)  水野由香里(2008b)「ケースメソッド教育方法を導入する際の学部生教育効果の検討」『西武文理大学サービス経営学部研究紀要』第13号,67-79.
  • (6)  水野由香里(2009)「半期15回授業におけるケースメソッド教育に関する報告」『西武文理大学サービス経営学部研究紀要』第15号,67-80.
  • (7)  水野由香里(2010a)「サービス・イノベーション人材育成プログラム最終報告」『西武文理大学サービス経営学部研究紀要』第16号,95-113.
  • (8)  水野由香里(2010b)「学士課程におけるケースメソッド教育の実践 2010年度前期報告」『西武文理大学サービス経営学部研究紀要』第17号,89-101.
  • (9)  水野由香里(2010c)『ケースメソッド教育でイノベーション人材を育成する-新たな学部生教育―』西武文理大学サービス経営学部.
  • (10)  水野由香里(2011)「学士課程におけるケースメソッド教育の実践2010年度後期報告」第18号,153-168.
 
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