これまで,モノ売りを生業とする製造業に於いては,顧客の購入意思を誘起することに提供価値の主眼が置かれてきたように思われる.一方,近年では,製造業が製品とサービスを融合し,サービスを機軸とした価値提供を志向する,いわゆる「製造業のサービス化」が提唱されてきている.すなわち,顧客の求める価値に対しては,商品そのものに加え,商品購買後の使用に伴う使用価値の提供が必要であると考えられ始めている(1).しかしながら,製造業にとって,従来の「モノ」を中心とした考え方を改革するのは容易ではない.それ故,製造業がサービス化する段階の阻害要因を明確にし,課題の解消方法を導出することは,より競争力の高い企業への変革のために重要である.
本稿では,当社のマリン事業におけるサービス化の取り組みを事例として,サービス化を志向した背景・目的,サービス化を進める上での課題・障壁,その課題解決の方法について紹介する.
ヤマハ発動機(株)は二輪車,電動アシスト自転車,スノーモビル,四輪バギー,ゴルフカー等の製造・販売を行っており,「世界の人々に新たな感動と豊かな生活を提供する」ことを目的に,“感動創造企業”を目指した製品・サービスを提供している.その中でもボート,水上バイク,船外機といったマリン事業は1960年にFRP製ボートの製造・販売を開始して以来,様々な製品・サービス,普及活動を提供し,現在では世界180カ国以上の国と地域にマーケットを持ち,当社の連結売上高の約18.2%,営業利益の約52.5%(2014年)を占める当社の中核事業となっている(2).
2.2 国内マリン市場の動向国内でエンジン付きのボートを操縦するには,一般にボート免許と呼ばれる「小型船舶操縦士免許」が必要となる.平成27年度3月における免許取得者は,340万人となっているが(3),普通自動車免許の保有者割合が56.1%なのに対して,小型船舶操縦士の割合は1.2%であり,マリンレジャーを楽しむために必要な資格保持者は限られる(4).
図1のようにプレジャーボートの保有隻数は,1980年代から伸長したが,2000年の44万隻をピークに,2013年は26万隻まで減少しており,552人に1隻の保有割合は先進国では低位である(5).さらに,ヨット・ボートクルージングなどのマリンレジャーを楽しんだ人は,1999年では120万人だったのに対し,2007年では60万人,2010年では50万人と11年で6割も減少している(6)(7).
また,近年では若年層の余暇時間はパソコンやネットなどのインドア志向に変化し,アウトドア離れが顕著であり,若年層が将来的に顧客となる機会も減少していると考えられる(8).
国内のマリン市場動向についてまとめると
といったことが挙げられ,将来的な事業規模の縮小が想定され,新しい顧客創造が必須となっている.
2.3 サービス化への転換と課題従来のハード(モノ)を売るビジネスでは,市場規模の縮小が避けられないことから,ボートを“所有”することから“利用”することに主眼をおき,お客様が楽しみ・喜ぶ“仕組み”と楽しみ方の“方法”を売るビジネスへの戦略転換を検討した.
従来のビジネスモデルは,特定少数の人がボートを「所有」をして楽しむ“モノ”売りが中心であったが,ボートの購入・保管は高コストであり,普及率は人口の0.2%にとどまっていた.新しい「利用」ビジネスの構築にあたり,特定多数の人が「所有せず」とも楽しむことができる仕組みとして,ボートを借りてマリンレジャーを楽しむことができる,マリンクラブの立ち上げへと至った.
当社では1997年より,廉価モデルのボートを使用した「SRVレンタルボートクラブ」を実施していたが,レンタル事業は,新艇の販売と競合するため,営業部門・販売店からの反発があった.レンタル事業のみでの収益確保のためには設備償却期間も長く取る必要があり,利用者には古い艇を利用いただく場合もあった.また,ボートを全国で貸し出すレンタル業だけでは,新規顧客拡大の効果は限られるため,遊び方・楽しみ方のプランを提供できる“サービス業”に転換することが求められた.
即ち,サービスを機軸とした新しいマリンクラブへの転換にあたり,以下の3つの課題・障壁があった.
前述の背景から,会員制マリンクラブ“Sea-Style”を2006年から展開した.事業のビジョンとして「ひとりでも多くの人に『海のある生活』を」として,“マリンレジャーが日本のレジャーの1つとして定着する”ことを事業の目指す姿に設定した.事業の概要を以下にまとめる.
このマリンクラブでは,レジャーボートで楽しむ体験機会の提供を提供価値の主として,レンタルボート提供をその手段としている点が,サービス化に資する転換である.
次項から,各課題に対する施策について紹介する.
本項では,新たな顧客創造についての課題・障壁の達成方法の施策を紹介する.
3.1.1 体験機会の提供マリンレジャーに対する関心のアンケート調査では,「海が好き」(69.9%),「プレジャーボートを利用したマリンレジャーをやってみたい」(40.0%)と多くの方が興味を持っているが,実際にマリンレジャーにチャレンジできない理由としては「費用がかかるから」(56.0%),「きっかけがない」(54.8%)が回答者の約半数となっており(9),マリンレジャーへの興味関心層は確実に存在するものの,費用の高さと体験機会の少なさがハードルとなっていると考えられた.
そのため,図2のようにマリンレジャーへ興味のある層が,楽しみを体験し,免許を取得し,会員・ファンとなっていただく会員のステップアップイメージを仮定し,体験乗船による体験機会の提供が,顧客創造活動の起点となる施策を検討した.
従来の体験機会の提供は,自社の営業部門の社員が中心となり,無料の体験会の開催を実施していたが,主目的は楽しさの体験よりもボートの販売であり,また人的・設備的な必要リソースも大きいため,実際に体験できる人数も限られていた.
マリンクラブの特徴として,会員が利用する際には会員本人だけでなく,家族・友人・同僚などの同伴者と一緒に利用する場合が多く,誘われてきた方々がマリンレジャーに関心はあるものの体験が無い場合も少なくない.現在,Sea-Style会員のサービス利用頻度は,平均年1回で,利用時には2~3人程度の同伴者とともにレジャーを楽しんでいただいている.すなわち,約1万9千人の会員がクラブを利用することで,年間約5万人の非会員への体験機会の提供となっている.このマリンクラブを活用した体験機会の提供は,会員自身が主体的に行うため,自社リソースの持ち出しが少なく,収益にもなり,また会員自身にもゲストをもてなし,非日常体験を共有・共感できる場の提供となっている.(図3)
所有から利用へ提供価値を転換したが,広がった顧客を新艇の販売へとつなげることを目的に,会員が新艇を購入した際に,入会金と最大24か月分の月会費をキャッシュバックする制度を設けた.その結果,当社の顧客の中で,初めてボートを購入される方(新艇,中古艇を含む)が,年間約2,000人おり,そのうち300~400人がSea-Style会員となっている.購入者へのアンケート調査から,会員が購入に至る経緯として,クラブ艇では場所や出航時間の制約があり,自由に海を楽しみたいなど,マリンレジャーの楽しみを熟知したユーザーがステップアップを目的に所有へと移行した事例もあり,狙い通りにユーザーの拡大につながっている.
図4は当社ボートの購入年齢分布で,2012~2013年は若年ユーザーが多くなっており,若年層の新規層を獲得できていると考えられる.
本項では,顧客提供価値をサービス提供へ転換を狙いつつも,既存事業と整合を取るためのビジネスモデルについて紹介する.
図5にSea-Styleの事業構造概要を示す.個々の項目については後述する.
Sea-Styleでは,クラブ艇(レンタルボート)は,「クルージング向き」「フィッシング向き」「スポーツボート」などマリンプレイのスタイルに合わせて利用者に提供しており,全て3年以内に更新し,常に新しいボートで利用可能な環境を提供している.
レンタル事業の拡大は,新艇販売機会の損失となるため,自社の営業部門,販売店にとってもメリットのあるビジネスモデルの構築が必要となる.Sea-Styleでは,2つの施策により収益構造を転換した.
図6のように,クラブ艇1隻あたり,「クラブ艇の販売」,「お客様の利用」,「艇のレンタル・リース」,「艇の更新に伴い中古艇として再販」の4度の収益機会を設けることで,利益効果の最大化を狙った.
クラブ艇はホームマリーナの所有となり,新艇導入時のマリーナの投資負担軽減と運営支援のために,購入価格の一部相当額を運営補助金として支給している.これによりホームマリーナも負担を少なく新しいクラブ艇を導入し,顧客拡大につながるメリットがある.
国内のボート需要は年間約1,800隻であるが,需要は景気やトレンド,季節の影響で変化する.そのため,工場生産においては,需要による生産数の変動が生産効率向上の課題となっていた.クラブ艇は,3年毎に更新されるため,クラブ艇だけでも年間100隻程度の需要があり,これは当社生産量の約10%にあたる.クラブ艇の導入時期は,自社で事前に計画が可能なため,工場での連続生産,生産の標準化に大きく寄与し,工場生産の効率化につながっている.
本項は,マリンクラブのビジネスモデルには直接関連しない項目であるが,製造・販売・開発を自社で行っているメリットを活かして,全体最適につながった事例である.
当社のマリン事業では,製造・開発・販売の機能を自社にて有しているが,お客様との販売チャネルの多くはマリーナや,販売店であり,お客様の情報を自社で十分に蓄積できていない.
会員制ビジネスにより,お客様の属性,加入時の情報,利用履歴やアンケート結果を自社で蓄積することが可能となり,会員情報の分析・活用により,会員の利用傾向から,個々のお客様の嗜好に合わせた提案やアプローチへと営業スタイルの変換が可能となった(図7).
また,会員制ビジネスを継続するためには,会員に長くサービスを利用していただくことが重要であり,会員の分析により退会防止の取り組みを実施した.
図8に会員の分析による退会予防の一例を示す.2010年の分析では,退会者の70%が年間2回以下の利用者であった.また,初めてのサービスを入会後早期に利用することで,継続率が向上することが分かった.
分析を受けて,初心者の会員を対象にした技術講習や,マリーナの参観日を実施するなどの初回利用へのハードルを下げる施策などにより,2013年の退会者数は,2010年に比べて500人減少し,利用2回以下の退会率も6%減少した.
本項では,サービス化に伴い,売るものをハードからソフトに転換するにあたっての,ソフト面での施策について紹介する.
3.3.1 競合には無い価値提供でファンを形成近年では,レジャー領域が拡大・多様化し選択肢は無数に存在する.その中で,マリンレジャーを選択いただき,さらに自社のサービスを利用いただくためには,ソフト面の充実が重要となる.当社製品・サービスにお客様が求める以上の価値をより得られるとの期待を持っていただけるように,「海の遊び」を“体験”を通して感じていただける喜びと感動の充実のために,遊び方・楽しみ方の提供に注力している.
写真2・3は,海遊びプランの一例で,季節・地域・目的に応じて様々な趣向の楽しみ方を提案し,会員の体験機会の創出をサポートしている.
また,会員並びに全国にある約140箇所のホームマリーナを一元して管理しているため,会員は日本中をホームマリーナとして,予約システムや手続きなどを同じプラットフォームとして利用することが可能で,当社システムを利用する利便性は高い.また,開発した遊びメニューも,マリーナの一元管理を活かして他マリーナへ展開するとともに,メニュー拡大に連動した配備モデルの拡充,会員のコミュニティ形成など,クラブ全体のサービス向上に活用している.
本稿では,会員制マリンクラブ“Sea-Style”を通して,所有(ハード)から利用(ソフト)への転換による顧客創造の事例について紹介した.
国内のマリンビジネスは顧客の高年齢化が顕著で,マーケット規模も縮小傾向であり,消費スタイル・社会環境が変化する中で,サービス化へのビジネス戦略の転換を選択した.
サービス化にあたっての課題・障壁として,既存の新艇販売事業との競合,マリーナ・販売店との協力体制の構築,新規顧客需要の拡大などがあった.
課題・障壁の達成方法として,レンタルに使用するクラブ艇を3年毎に更新し,「販売」「利用」「リース」「再販」の4つの収益機会を生み出し,メーカー,マリーナ・販売店,ユーザーにもメリットのあるビジネスモデルとして構築した.クラブ艇の生産を需給調整に活用することで,工場生産の標準化に寄与し生産効率を向上させた.利用する会員データから,提案ビジネス・会員法則を導き出した.
また,会員自らが家族・友人を誘うことにより年間5万人へマリンレジャーの体験機会を提供することで,顧客創造活動と収益の機会が両立する仕組みとした.
当社でこれらの施策を推進できた要因として以下のようなことが挙げられる.
今後は,会員の稼動促進,若年層の囲い込みなどの施策によりさらに魅力ある差別化されたクラブを目指し,お客様への価値提供を行っていく.
本稿執筆の機会をいただきました産業技術総合研究所 持丸正明部門長ならびに 明治大学 戸谷圭子教授に感謝いたします.
ヤマハ発動機株式会社技術本部研究開発統括部先進技術研究部知的システムグループ主務.1999年慶應義塾大学理工学部機械工学科卒業.同年入社し,二輪車用の内燃機関の基礎研究を経て2014年より現職.
ヤマハ発動機株式会社マリン事業本部マリンソフトグループリーダー.1987年日本大学理工学部海洋建築工学科卒業,翌年入社し,マリーナの開発を経て,2007年より現職.