サービスの提供者・被提供者が共に資源供出者となり造る「共創価値」は,サービス分野はもとより,経営戦略分野,マーケティング分野全般で鍵概念となりつつある.共創価値を定義し,かつ,量的に測定する指標,すなわち尺度化することは,学術的な共通の議論基盤として,また,経営意思決定のための基本的な情報として必須である.後述するように通常は10年以上かかる尺度開発という壮大な課題に,本プロジェクトは,3年間で取り組んだものである.
「価値共創」は,35年前のToffule(1980)の予言に始まり,実務界で多くの成功事例が生まれるなか,Praharad & Ramaswamy(2004)および,Vargo & Lush(2004b)のS−D Logicによって認知が広がった概念である.サービス研究では顧客の生産参加は既知の要素であったが,経済発展に伴う顧客ニーズの高度化・複雑化とITの進展を主要因として,顧客の役割は単なる参加ではなく,「共創者」へとパラダイムシフトを起こした.
先進国ではすでに基本的な物財のニーズが満たされ,顧客が求めるのは,精神的な価値,すなわち知的・情緒的な価値になった.このようなニーズは顧客との共創なくしては把握することさえ難しい.
しかしながら,多くの企業は共創を軸とした経営への変換に躊躇する.他社の成功事例のようなことが自社で起こる保証はないし,始めたとして,どの程度の経営資源をつぎ込み,いつまで待てばよいのかわからない.
経営者にとって必要なのは数値による可視化である.そこで本プロジェクトでは,「共創価値測定尺度」という,共創的企業活動の進捗状況,価値の蓄積とバランスを測定しうる,すなわち,共創経営の指標となりうる尺度開発を行った.
尺度とは対象や時期によらず同じ基準で測定可能な定規を意味する.そのため尺度開発は信頼性や妥当性を繰り返し確認する手順を踏む.本研究の尺度開発は,Messick (1995)に基づいて,図1の手順で実施した.
調査対象は,協力企業である金融機関3社のB2B顧客で,融資のある企業とした.図1の手順に従い,第一段階として,サービス品質・共創価値・取引コスト理論・関係性マーケティングなどの分野に関する広範な文献調査から,尺度項目約80をプールした.その後,尺度候補補完のためサービスエンカウンター観察調査(渉外担当従業員に同行する行動観察調査)を実施した.これにより,金融特有の項目や先行研究の不足を追加した.次に当該協力企業の顧客・従業員への定量調査を2年目,3年目に各1回,その後,一般性の検証のため顧客全国調査を3年目に1回実施した.調査の概要は表1に示す.
共創価値概念モデルは2つの特徴を持つ.1つは企業・従業員・顧客の3者(サービス・トライアングル)に社会を加えて,4社間の最適化を企図していることである.共創的なビジネスモデルでは,これらステークホルダーの均衡を図ることが長期的には価値の最大化(Bitner 1993, Gremler et al. 1994, Dwayne & Bitner 1995)に繋がる.
もう1つは,共創される価値として,基本機能価値(Fundamental Value, FV),知識価値(Knowledge Value, KV),感情価値(Emotional Value, EV)の3つの価値を測定することとした点である.
FVは,企業が直接的に対価を明示してコアサービスとして顧客に提供を約束し,提供するもので,容易に金銭に換算可能な価値である.
一方,KV・EVはどちらも,提供者・被提供者の相互作用のなかで増加する共創価値であり,KVは知識やスキルなど認知面での価値,EVは気分や五感で感じる感情面の価値である.
経済の成熟した先進国を中心に,人々のニーズがKVやEVに移行してきていることは先述した.これらの価値は発生しても,それが企業収益に反映されるまでには時間がかかることが多い.また,価値判断が主観に依存することから,容易に把握できる外的指標(回数や量)で測定することが難しいという課題がある.そのため,本研究では,取引履歴という客観値をとる一方,顧客や従業員の主観的価値判断は質問紙調査で測定している.調査は,従業員から見た従業員と企業の関係,従業員と顧客の関係,顧客から見た顧客と企業の関係,顧客と従業員の関係を,3つの種類の共創価値の視点から質問するというかたちで行った.
第1回目の定量調査データから,尺度に使用する項目を絞り込み,第2回調査で安定性を検証,第3回全国調査で一般性を確認した.
具体的には顧客と従業員の共創価値尺度を構築するために探索的因子分析を行った.結果,顧客側で11因子,従業員側で8因子を抽出した.顧客のFVとして「基本応対」「コアサービス」「取引一貫性」「信頼形成コスト」の4因子,KVとして「担当者による理解・アドバイス」「契約締結コスト削減」「交渉調整コスト削減」「探索・情報コスト削減」の4因子,EVとして「情動」「誇り」「安心地域」の3因子が抽出された.対象がBtoBのため,相互に対する知識は取引コストを削減する.また,EVに関しては短期の情動のみならず,長期的な感情である誇りや安心が抽出された.
従業員のFVとして「退職後・職場内将来像」「給与」「福利厚生」の3因子,KVとして「情報・状況通知」「研修」の2因子,EVとして「評価妥当性」「経営層信頼」「顧客対応裁量権」の3因子が抽出された.各因子の概要を図3にまとめている.
価値共創尺度は経営指標として使用する目的で開発されており,活用方法は多数ある.以下には幾つかの使用例を提示したい.
まず,シンプルには,自社のビジネスが3つの価値のどれを基盤として成立しているのかがわかることである.例えば,アミューズメントサービスであればEV,コンサルティングのようなプロフェッショナルサービスであればKVの割合が大きいであろう.同じ業界でも,FV割合が大きい企業もあれば,EVが勝る企業もあり,競合比較が可能である.製造業のサービス化のようなビジネスの転換であれば,時系列比較をすることで,FVからKV・EVへの移行が追跡可能である.
5.2 顧客・従業員満足の予測とその影響要因顧客側・従業員双方のサービス共創価値尺度に基づき,顧客満足度や従業員満足度の将来予測を実施し,その原因となる要因を共創価尺度項目から特定,経営資源の分配を検討することができる.
顧客・従業員満足度を予測するための変数として,顧客・従業員双方の側のサービス共創価値尺度を使用するとともに,当該金融機関とのみ融資の取引があるか,メインバンクか,取引年数,取引金融機関がどこかをコントロール変数として用いた(手法は順序ロジスティック回帰).顧客満足(協力企業の3社全体で分析を実施.)に関する結果をプロットしたものが図4である(従業員満足分析も同様の手順で実施した.結果は顧客満足分析結果のみ記載している).
結果,正識別率は61.8%で,顧客満足をかなり説明できていることがわかる.プロット図からは,影響度が大きいにもかかわらず,評価が低い項目の改善(EV安心,EV誇り)などが今後の課題と考えられる.
5.3 収益性セグメント予測次に顧客満足度や従業員満足度を予測し,次期の業績指標とすることも可能である.
顧客については,まず初期の収益性セグメントへの所属を予測するモデルを推定し,次いでセグメント間遷移のモデルを推定する.結果の妥当性を検証したあと,個々のサービス共創価値尺度がどのステークホルダーの利得を改善するかを感度分析によって調べる.次に,顧客または従業員が知覚するサービス共創価値が微小に変化したとき,各ステークホルダーの利得,すなわち全体としての顧客満足度や従業員満足度,そして顧客生涯価値の合計としての顧客資産がいかに変化し得るかを調べる感度分析を行う.顧客満足の結果を図5に示した.
顧客満足度とともに顧客資産を高める可能性があるのは「誇り」(EV:当該企業との取引は周囲に誇れる)である.つまり,顧客と企業の利得を共に高めるには,顧客が知覚する「誇り」という価値を高めることが鍵となることがわかる.
5.4 社会との関係 - CSVの視点からCSV(Creative Shared Value)は,マイケル・ポーターが体系化した,企業が経済的な利益と社会的な価値を両立することが企業にとっての利益の最大化に不可欠であるという考え方である.ポーターによれば金融機関のCSVには以下の方向性がある.
本研究では,(1)の「顧客の財務体質の改善」を,協力企業側が融資の際に顧客の財政状態を安全性の面から評価する「信用ランク」の改善,また,(2)の「地域経済の成長を促す」を「顧客のネットワーク価値」の向上と捉える.顧客ネットワーク価値は地域における取引ネットワーク構造から,ある顧客がどれほどの重要性を持つのかをページランクという手法によって計算した(ページランクは口座間の振込ネットワークをもとに計算している.)
具体的には,信用ランクの変動およびページランクを被説明変数,共創価値尺度を説明変数としてロジスティック回帰を行った.その結果,信用ランク(顧客業績向上)・ネットワーク価値向上(地域経済成長)とも,「KV:顧客からの知識・情報」が有意となった.前者に関しては,人事評価の低い担当者についてはこれが当てはまらないこと,後者については,3つの協力企業別の分析では,他に顧客からの気遣いやコミュニケーションといった各社の顧客との関係性の違いを反映した項目が有意となった.以上より,顧客業績への貢献については,顧客から知識・情報を得られるだけでなく,それを活用するスキルを併せ持つ必要があること,地域経済成長については,地域差のある顧客との関係性を考慮した施策が求められることがわかった.
これ以外にも,協力企業では中期経営計画への基礎資料とするなど,多数の経営戦略・戦術への利活用が行われたが,紙面の制約により事例は上記に留める.
本プロジェクトでは,サービス経営の鍵概念である共創価値の可視化を可能とする測定尺度開発を行った.学術的にはその確からしさを明確にするため,開発プロセスの説明を,実務での活用方法の助けとなるよう具体事例をいくつかご紹介した.今後,金融業界以外への適用を可能とする一般化が必要である.
明治大学専門職大学院グローバルビジネス研究科教授.都市銀行・コンピューターベンダー・同志社大学等を経て現職.日本学術会議連携会員.サービス学会理事.サービスマネジメント,共創価値尺度開発等の研究を行っている.