日本の製造業は,従来,優れたものづくりによって価値を創出してきた.そこでは,企業は商品の機能や品質を高め,コストを低下させることによって,価値を高める努力をする.顧客はそこで実現された製品の価値に対価を支払い購入する.しかし,この典型的な製造業の価値モデルが,過去20年間にわたり,2つの大きな変化に直面してきた.第1に,優れたものづくりだけでは差別化ができにくくなり,結果的に利益や付加価値で表される「価値づくり」に結びつかなくなった.第2に,求められる顧客価値の内容が高度化・洗練化する形で変化してきた.具体的には,製品の機能としての価値だけではなく,消費財であれば,感性に訴える価値,生産財であれば,顧客企業において実際に大きなソリューション(問題解決)に結びつく価値が求められるようになった.つまり,製品の仕様や機能の高さによる価値ではなく,使用価値や経験価値が重要になってきたのである.
このような,交換価値ではなく使用価値を重視する傾向を背景にして,「製造業のサービス化」の重要性が主張されるようになった.ただし,サービス化の概念は広範で,明確な定義があるわけではない.結果的に,サービス化の言葉は,研究者や経営者の間でも発言者によって異なった意味で使われる場合が多い.そこで,本稿ではまず,製造業のサービス化を,大きく「サービス経済化」と「サービス価値化」の2つのタイプに分けるスキームを提案する.これはサービス化の議論をする上で理解する必要がある基盤的な定義である.次に,その分類枠組みの中で,日本の製造業が今後,特に本格的に取り組むべき分野と内容を議論することにしよう.
製造業のサービス化という場合に,①事業形態として製造業からサービス業へ移る変化と,②商品の顧客価値としてモノの価値から無形の価値へ変わる変化,という2つを分けて考えることが重要である.本稿では,前者を製造業のサービス経済化,後者を製造業のサービス価値化と呼ぶ.
2.1 「サービス経済化」と「サービス価値化」サービス経済化は,一般に製造業のサービス化という表現から直接的に発想する概念であろう.文字通り,顧客が代金を支払う対象が商品からサービスに変わることである.サービス産業化と言っても良いであろう.例えば,コンピュータやソフトウェアを購入するのではなく,クラウド上のサービス(使用契約)に対価を支払う事例が増えてきた.また,身近な例ではカーシェアリングがある.そこでは,顧客は自動車(商品)を買うのではなく,移動手段としてのサービス(使用時間)を購入する.その他にも,メインテナンスや使用サポートなど付加的なサービス事業を追加するのもサービス経済化である.
サービス経済化を長年にわたり推進してきた代表例である米国IBMは,以前は売上の大半がハードウェアやソフトウェアなどの商品であったが,現在ではサービス事業が主体である.顧客に商品(ハードとソフト)を提供する場合にも,商品として販売するのではなく,システム構築によるソリューションの構成要素として提供する場合が増えた.
このように消費財と生産財の両分野において,多くの商品に関して,事業形態が製造業からサービス業に変わりつつある.ただし,例えば購入しないでレンタルするサービス事業は目新しいわけではない.自動車についても,レンタカー事業は1960年代からホンダやトヨタ,日産などにより本格化した.加えて,所有するよりも必要な時にレンタカーを借りる方が経済的だとする意見は多いが,普及は限定的である.近年,普及の可能性が高まったのは,インターネットの活用によって,サービスの利便性が大きく高まったことが一因となっている.
一方で,サービス価値化とは,商品が提供する価値の内容がサービス化することである.サービス経済化との違いを明確にするために,サービス価値化では顧客は通常の製造業と同様に,商品に対して対価を支払うこととしよう.ここでサービス価値とは,顧客が商品を使用(経験)する際に,顧客との接点で生じる価値である.すなわち,カタログに記載された仕様や数字で理解できる製品価値を超えた価値である.「サービス」という言葉をこのような意味で使うのは,マーケティング分野で既に一般化したVargoらの「サービス・ドミナント・ロジック(SDL)」(Vargo and Lusch 2004) の考え方に準じている.SDLが定義する「サービス」についても,サービス事業とは関係なく,顧客が享受する価値提供を意味する概念である.
サービス価値化に成功している代表例が,製造業で世界トップクラスの業績を上げてきたアップルである.iPhoneやiPadなどの商品は莫大な利益を創出しているが,売上や利益の9割は「モノ売り(商品)」である.Apple MusicやApp Storeなどのサービスの売上や利益は増える傾向にあるが,まだ全体の1割程度で,商品と比べるとはるかに小さい.アップルの成功要因は,従来の製造業が提供するモノの価値を超えた経験価値だと言われているが,サービス経済化しているわけではない.商品(ハードとソフト)によって莫大なサービス価値を創出しているのである.
なお,ここで注意すべきなのは,サービス経済化とサービス価値化は,必ずしも独立した2つの現象ではない点である.サービス経済化を実施しながら,サービス価値を高める場合もある.特に生産財の場合には,サービス経済化を実施する場合に,ソリューション提供を行う場合が多いので,サービス価値も高まる.ただし,本稿ではそれらの相違点を明確にするためにも分けて考える.
2.2 日本製造業にとってのサービス化製造企業のサービス化において,サービス経済化もサービス価値化もともに重要である.その中で現在,サービス経済化の方が事業形態としての変化が明示的なため,注目度は高い.確かに,顧客は製品を購入するのではなく,使用(サービス)に対価を払う方向へ変化している.日本の製造業もサービス経済化に乗り遅れてはいけない.サービス経済化にはビジネスモデルの変革が求められるが,日本企業はそのような変革に長けていないので,真剣に取り組まなければ遅れをとってしまう.この点でサービス経済化は極めて重要である.しかし,同時に理解すべきなのは,サービス経済化は日本の製造業が世界を牽引できる得意分野ではないことである.世界のトレンドに追従するだけでは日本の存在価値を誇示することはできない.
一方で,サービス価値化は,日本の製造業が国際競争力を再構築するためにも最重要分野の1つだと考えられる.ものづくりの強さこそがサービス価値化の成功を牽引するからである.そこで本稿では,日本企業のものづくりの強さを最大限に活用した「サービス価値」の創出に焦点をあてる.
実は,消費財・生産財ともに,製造業の業績にとってサービス価値化は,注目度が高いサービス経済化以上に重要な役割を果たしている.まず消費財では,前述のアップルである.一般的にはそのような印象を持たれていないが,アップルは高度なものづくりに徹底的に集中して,サービス価値を高めてきた.設備投資は,2014年から16年まで3年間にわたり毎年1兆円を超えている(2016年は約1.7兆円).この莫大な設備投資の中から,高度なものづくりのための高価な製造設備を購入し,製造委託先である鴻海精密工業(ホンハイ)などに貸し出す.
高度な製造を象徴するのが,iPhoneやMacBookの筐体(「ユニボディ」)である.安易にプレス加工やインジェクション成形に頼らず,高度な製造設備によって,莫大な手間とコストがかかる「アルミの削り出し」工程を採用している.生産技術はアップルが内部で独自開発している.これによって,他のスマートフォンとは一線を画するデザインや触感,品質感が実現できている.ものづくりの強さによって,機能的な価値を付加するのではなく,サービス価値化を実現しているのである.
生産財でもキーエンスがある.世界でトップクラスの業績を上げている同社は,サービス価値化によって超高収益を実現している.センサーやマイクロスコープなどで,過去20年以上にわたり売上高営業利益率が40%を超え,最新の2015年度の業績は売上高3,793億円で営業利益2,013億円(営業利益率53%)を誇る.製品の価値を超えたソリューション提供によって大きな価値づくりをしている.しかし,ソリューションやサービスの事業収入ではなく,売上のほとんどはアップルと同様にサービス価値で満たされた商品である(延岡,高杉 2014).
このように,アップルとキーエンスという消費財と生産財を代表する高収益企業は,後でも詳述するが,製品の機能を大きく超えた使用価値・経験価値を提供している.しかも本稿の定義によると,サービス経済化ではなくサービス価値化で成功しているのである.これらの事例からも,サービス化を考える際にサービス価値化とサービス経済化を分けることの重要性が明確である.
ここで本稿での「サービス価値」の意味を明確にするために,製品のモノとしての価値である「機能的価値」と対比的に定義しよう(表1).ここで,商品の価値は「機能的価値+サービス価値」で表されるものとする.機能的価値はカタログや仕様書などに書かれている,客観的に誰でもが同様に理解できる価値(形式知)である.多くの商品は,このようなカタログや仕様による機能的価値だけで取引されている.
機能的価値 | サービス価値 | |
特性 | 客観的価値 | 主観的価値 |
技術的価値 | 意味的価値 | |
形式知 | 暗黙知 |
一方で,サービス価値はモノそのものの価値ではなく,顧客と商品との接点で生まれる価値である.機能的価値は数字や仕様で客観的に表される価値だが,サービス価値は使用する顧客によって決まる主観的価値である.例えば,iPhoneの圧倒的な使いやすさやアルミ筐体の品質感はカタログではわからない.実際に使ってみて,その感触として理解できるだけである.
この点は生産財においても同様である.象徴的な事例として,前述のキーエンスでは,営業担当者はカタログでわかる価値だけでは販売しない.営業担当者は顧客の現場でデモをして,実際に試してみなければわからない使いやすさを訴求する.さらには設置方法や使い方になどに関して,顧客の生産性が高まる提案を行う.それらによって,商品の機能的価値に顧客企業における使用価値(サービス価値)を加えて,より高価な価格で販売するのである.顧客企業は,後述するように実際に大きな経済的な価値を享受できるので,高価な対価を支払っても満足度は高い(延岡,高杉 2014).
そのようなサービス価値を理解しやすくするために,図1に可視化している.例えば,デジタルカメラの基本機能・仕様と価格をプロットする場合を考えよう.主要仕様としてはサイズ,有効画素数,連写速度,ズーム倍数,手ブレ補正機能の有無などである.これらを加え合わせ「基本機能・仕様」を計算する.次に,それらと「商品価値(価格)」の関係をプロットする.この図では,白丸で表した商品は基本機能によって価格が決まっているので,顧客価値としては機能的価値のみである.一方で,灰色の丸で表した商品は基本機能で決まる価格を上回っている.これらでは,機能的価値によって決まる価格水準と,実際の価格との差異がサービス価値である.図1でも,「商品価値=機能的価値+サービス価値」であることを示している.
なお,著者がこの分野で研究・執筆してきた言葉でいえば,サービス価値は顧客が主観的に意味付ける「意味的価値」である(延岡 2011).意味的価値の名称は顧客の視点から名付けられている.一方で,サービス価値は顧客が意味付ける価値をサービスとして提供することを意味している.このように,サービス価値と意味的価値は基本的に同じ概念なので,本稿では混乱を避けるためにも,これらの言葉は置き換え可能と理解してほしい.
サービス価値の概念は,消費財と生産財の両方に同様に応用できる.いずれの場合でも,サービス価値とはカタログで表される価値を超えて,顧客が実際に使用する際に生まれる価値である.具体的には,消費財であれば,ユーザーが所有し使用する際に気持ち良く楽しく使えるといった五感で感じる価値である.この点では,感性価値と言っても良い.または,五感を超えて,ある商品が特定の顧客にとって,より大きな意味を持つ場合もあるだろう.生産財でも,サービス価値とは,同様に製品機能を超えて個々の顧客企業が使用する際に創出される価値である.生産財の場合には顧客が企業なので,特にその商品によって高まる業績(コスト削減や売上増加など)が重要である.個々の顧客企業の業績向上は,商品の仕様だけでは決まらないサービス価値である.ソリューションまたはコンサルティングによってもたらされる価値と考えてもよいだろう.
3.2 サービス価値の役割サービス価値が製造業の国際競争力に果たす役割の変化を図2に示す.1980年代までは,特に日本企業に関して言えば,新機能や高品質などの機能的価値によって世界で優位性を発揮でき,他国の競合企業よりも大きな顧客価値を提案できた.当時でも,もちろんサービス価値は存在したが,差別化を実現する上での重要性は小さかった.
しかし,1990年代中盤以降は,主にエレクトロニクス産業を中心に,機能的価値での差別化が極めて困難になった.数字などの形式知で表せる機能的価値であれば,優位性が実現できたとしても競合企業が同じような製品を開発・製造できてしまう可能性が高まった.例えば,以前は日本企業が造りだす壊れない商品が直接的に顧客価値に結びついていたが,現在では他国で作られる商品もほとんど壊れることはない.世界的に技術レベルが高くなったので,特定の企業だけが優位性を保つことは難しくなった.
そのため,アップルやキーエンスのような大きな価値づくりを実現している企業は,機能的価値を超えたサービス価値を創出することによって成功してきたのである.また,同時に顧客側においても,消費財であれば単なる製品機能ではなく使いやすさやデザインなどのより洗練された価値を求めるようになった.多くの商品がより成熟してきた結果である.同様に生産財でも,顧客企業は単に機能的価値が高い商品ではなく,自社の業績が高まるようなソリューション提案を同時に期待するようになった.
なお,顧客が享受する価値としてサービス価値だけが独立して重要なわけではない.サービス価値と機能的価値を合わせた「統合的価値」こそが真の顧客価値である.図1や図2では機能的価値とサービス価値を分割して描いているが,実際には分割することは困難である.製造企業においても,機能的価値とサービス価値を分割して考えるのではなく,両者の境界で相乗効果を創出し,シームレスに合体させて統合的価値の最大化を狙わなくてはならない.だからこそ以下で強調するように,組織プロセスや人材の専門性に関しても従来の機能や組織の分業体制を超えた統合的な仕組みが求められる.
顧客価値を高めるためには,機能的価値にサービス価値を融合させ統合的価値を創出しなくてはならない.主に消費財に関して,そのような価値を構想するためのフレームワークを図3に示している.
この図で示しているように,今日の消費財においては,エンジニアリング,デザイン,アート,サイエンスの4つの視点から統合的価値を創出することが求められている.第1に,サイエンスとエンジニアリングによって実現される機能的価値(形式知)と,アートとデザインが貢献する意味的価値(暗黙知)を融合させなくてはならない.第2に,商品として具体的な問題解決を実施するエンジニアリングとデザインに加えて,本質的な問題提起を担うサイエンスとアートを合わせて融合的に価値を創出することが理想的である.
この中でも商品の成功において必要条件とも言えるのが,基本的な組み合わせであるエンジニアリングとデザインからなる統合的価値である.まずはこの点を中心に説明し,成功事例を紹介しよう.これまで論じてきたように,サービス価値は顧客が使用する際に製品との接点で生まれる価値である.特に,消費財において商品と顧客との接点(インターフェース)で創られる価値を,筆者らは「デザイン価値」と定義してきた(延岡他 2015).デザイン価値は,①見る接点(意匠),②使う接点(ユーザビリティ,経験価値),③持つ接点(所有価値,ブランド)の3つの接点で生じる価値である.デザイン価値が高ければ,ユーザーが所有し使用する際の満足度や喜びなどが高まる.
それらを極めて高度に実現してきたのがアップルである.特に,最大の成功要因の1つはストレスがなく圧倒的に気持ち良い使い心地(ユーザビリティ,経験価値)である.アップルはスティーブ・ジョブズが創立した初期段階から,デザインとエンジニアリングの融合を目標にしていた.例えば,1983年に一般の商品としては世界で初めて,マウスを使用するグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)を導入し,使いやすさを圧倒的に向上させた.近年では,前述のようにアルミの削り出しを使ったデザインの完成度は極めて高い.また,スティーブ・ジョブズは,エンジニアリングとデザインに加えてアートへのこだわりが強く,独自の信念を表現すること(図3の問題提起)に妥協をしない徹底さが商品にも反映されている.単に顧客に迎合する商品開発とは一線を画してきた.
統合的価値の創出において近年の成功事例としては,掃除機や空調家電などのダイソンがあげられる.デザイン価値を高めるために,デザインとエンジニアリングの統合を戦略的・組織的に実施してきた.主要な技術者の多くが,デザインとエンジニアリングの両方の教育を受けた「デザインエンジニア」である点がそれを象徴している.
ダイソンのグローバル拠点であるイギリス,シンガポール,日本における筆者らの調査(2014年実施)によると,商品開発に関わる技術者は,マネージャーを含めてほとんどがデザインエンジニアである(延岡他 2015).具体的には,調査時点で,ロンドン近郊にある本社地区の650人のエンジニアの内,約400人がデザインエンジニアであった.例えば,聞き取り調査をした1人,コードレス掃除機のチームリーダーであるケビン・グラントは,グラスゴー大学でエンジニアリングを,グラスゴー芸術大学でプロダクトデザインを学んだ.英国には,このようなジョイントプログラムが多く存在する.そのような教育を受けることによって,機能的価値と意匠やユーザビリティなどサービス価値を同時に考慮することができ,統合的価値の企画開発を高度に実現できる.
次にマツダの事例であるが,ここ数年の成功は,まさに図3で示したエンジニアリング,デザイン,アート,サイエンスからなる統合的価値が大きく貢献している(延岡,木村 2016).乗用車は,デザインが成功要因として極めて重要な上,エンジニアリングについても高度な擦り合わせが求められる.この点は歴史的にも大きな変化はなく,企業はこれらからなる統合的価値を高める努力を何十年も続けている.マツダでも,常にデザイナーとエンジニアが一体になって設計開発に取り組んできた.
近年,それに加えてマツダは,エンジン技術の源流に戻りサイエンスの領域でも成功を収めている.常識では考えられない圧縮比に挑戦するなどして,ガソリンエンジンとディーゼルエンジンともに,画期的なエンジン開発を実現してきた(人見 2015).
また,意匠領域では,デザイン思考を超えたアート思考に取り組んでいる(延岡,木村 2016).ダイナミックに動く自動車の理想形としてアフリカを駆けまわる野生動物をイメージした「魂動」のデザイン哲学を掲げ,妥協することなく完成度を高める.そこでは安易に顧客の声を反映することはない.顧客が満足すれば良いという考えはなく,魂動のデザイン哲学を100%表現できるまで決して妥協しない.
また,デザインのプロトタイプであるクレイ(粘土)モデルを造る際にも,NC切削機器や3Dプリンタなどの機械に全面的に依存することはしない.クレイモデラーが,彫刻家がアート作品を造るように,クレイを削るのである.それによって初めて魂動哲学を車に込めることができるという.金型や塗装の技術者も,アート作品として顧客を感動させたいという目標に向かって技術開発に取り組んでいる.結果的にマツダ車は世界中で高い評価を得ることができ,特にデザインに関して多くの受賞をしてきた.
4.2 サービス価値に向けた統合的組織プロセスこれらの事例から示唆されるように,サービス価値も含めた統合的価値が重要になった現在,分業体制や組織プロセスについてもより統合する方向で変革が求められている.基礎研究から,設計開発,製造,デザイン,マーケティングまで,統合的価値を創出するために全分野が共創しなくてはならない.IDEOが開発した「デザイン思考」(Brown 2009)の人気が高いのも,機能的価値と経験価値からなる統合的価値を,エンジニアリングとデザイン,マーケティングなどが共創する際に適したプロセスだからである.
組織構造上の分業体制も見直す検討が必要であろう.例えば,デザイン部門は設計開発とより一層一体化すべきであろう.デザイン部門が商品開発組織の中で独立したのは,世界では1927年に自動車のGM(ゼネラル・モーターズ),日本では1951年に松下電器産業(現パナソニック)が最初であった(延岡他 2015).それ以前は,技術者がデザインも一緒に統合的価値として取り組んでいた.しかし,産業革命以降,急速に発展した大量生産技術に対応するためにも,エンジニアは専門性を高めることが求められた.同時に,意匠の重要性はより高まったので,これらが分業する必要があった.
しかし現在,サービス価値も含めた統合的価値の重要性が高まり,エンジニアリングとデザインの再統合が求められるようになった.またCADや3Dプリンタなど共創ツールが発達したので,分業する必要性は低下した.それらを反映して具現化してきたのが前述のダイソンである.このような背景のもと,日本企業も業種によってはエンジニアリングとデザインの再統合に向けた検討を実施すべきであろう.
元来,日本の製造企業の強みの1つは,分業されている組織間で欧米企業よりもうまく協業できる点にあった.具体的には,生産技術者(Process Engineer)が優秀で,且つ,設計開発を担当する製品技術者(Product Engineer)と効果的に協働してきた.結果として,製造しやすい設計(Design for Manufacturing)だけでなく,商品開発の効率やリードタイムも向上した(藤本,延岡 2006).図4に示しているように,1970年代から90年代にかけて,日本企業は商品の設計開発と生産技術が統合したことによって,生産性や品質において国際的な競争優位を誇った.欧米では生産技術者の地位が製品技術者よりも低かったことも一因として,うまく協業することはできなかった.
一方で,今必要とされる「デザイン価値」を高めるためには,デザインとエンジニアリングの融合が求められる.エンジニアリングにおける設計開発と生産の統合では日本企業が優れていたが,デザインとエンジニアリングの統合に関しては,アップルやダイソンが先行してきた.日本企業は,ものづくりで実施したように,デザイン価値創出においても機能別組織の壁を超えた強固な共創チームの構築が必要とされる.デザイン思考プロセスのようなツールを学び活用しようとする企業は増えたが,もっと根本的な改革が必要なのではないか.
このような経営的なニーズに対応して,大学教育でも,デザインとエンジニアリングを合体したプログラムが求められている.近年,イノベーション政策で成功を収めているイギリスでは,政策的にエンジニアリング,デザイン,ビジネスを統合的に学べる教育プログラムの構築を推進している(延岡他 2015).日本でも,例えば,工学部で,デザインやアートの教育を増やすのも重要であろう.これまで例外的に,エンジニアリングとデザイン・アートが常に統合されてきたのが工学部建築学科である.世界的にも,建築家は,エンジニアリングとアートの両方を学ぶことが求められてきた.日本でも古くから,棟梁は「五意達者」,つまり,設計・加工とアート・デザイン,加えて管理会計にも達者であることが理想とされた.機械系や電子系,情報系の学科もそこから統合的教育のノウハウなどを学ぶことができるかもしれない.
4.3 生産財におけるサービス価値消費財と同様に,生産財についても,真の顧客価値は製品のカタログ仕様(機能的価値)では決まらない.生産財における真の顧客価値は,顧客企業が購入した製品を使った時に享受できる利益などの経済的価値で決まる.個々の顧客企業の事業戦略や収益構造,および製品の使い方や稼働率によって,顧客企業で生まれる経済的価値は全く異なる.そのため,生産財企業は顧客価値を高めようと思えば,機能的価値ではなく顧客企業における経済的価値の増加を目標にしなくてはならない.それがサービス価値である.
その上で,価格は顧客企業の利益増加分以内で検討できる.例えば,顧客企業がある製造設備を導入すると1千万円の利益増加につながるのであれば,その設備は5百万円の価格で販売できる可能性が高いということである.つまり,ソリューション提案能力が高ければ大きなサービス価値が創出できる.
現在,多くの日本の生産財企業では目標が製品機能の向上に置かれ,顧客の経済的価値向上に置かれていない.また,価格設定も顧客の経済的価値(サービス価値)ではなく,製造コストや競合企業の価格を基準にしている場合が多い.つまり,サービス価値を創り出す経営になっていない.筆者が生産財企業,約200社を対象に質問票調査を行った結果,顧客企業の経済的価値向上を最大の目標にしている企業は10%に満たないとの結論を得た(論文執筆中).
実際には,顧客企業の経済的価値最大化を目標にしたくてもできない企業が多い.それらの企業は,サービス価値を創出する上で3つの問題を抱えている.第1に,顧客企業の情報と知識が欠如している.顧客企業の経済的価値を高めるための商品開発を実施するためには,事業内容やコスト収益構造などに加えて,顧客企業が具体的に抱える問題点とそれによって被っている損失額などを知らなくてはならない.購入したい商品やその数量などに関する顕在ニーズでは役に立たない.顧客企業の現場に入り込み深い情報を得る必要がある.さらに,1社だけでなく多くの顧客企業からそのような情報を収集することが必要である.現状としては,日本の生産財企業の中で,自社の現行顧客だけでなく顧客になる可能性がある多くの企業の情報を蓄積する仕組みを持った企業は極めて少ない.
第2に,ソリューション提案ができる営業力の欠如である.これまで日本の生産財企業は,製品の機能的価値を重視してきた.そのため,顧客企業の現場で,ソリューションを提供できる人材が十分に育っていない.特に,サービス価値の創出を軽視したため,営業・販売を代理店に任せている生産財企業が多い.本稿で議論しているサービス価値の重要性から,近年,営業部隊を拡大している企業も少なくない.例えば,日立製作所は営業人員を2年以内に2万人増加すると発表した(日本経済新聞,2016年5月9日付).しかし,人員を増やしたとしても,営業担当者のソリューション能力は一朝一夕に高まるものではないので,長期的に育てる仕組みが必要である.
強力なソリューション営業部隊は,1番目に挙げた顧客情報収集にも必要とされる.顧客企業は,ギブ・アンド・テイクでなければ生産財企業に重要な経営情報を提供しない.生産財企業に相談すれば優れた提案を受けられる場合にのみ,顧客企業はコスト情報のような重要な情報を提供しようとする.
第3に,商品企画能力の欠如である.顧客企業の情報が多くあっても,それだけでは必ずしも大きなサービス価値を持った商品が企画開発できるわけではない.高い商品企画能力を持った人材が必要である.消費財では商品企画人材の重要性が話題になる場合が多いが,生産財においても特にサービス価値を創出するためには優れた商品企画が不可欠である.商品企画担当者としては,顧客になりうる多くの企業の経営とオペレーションに関して深い知識を持ち,加えて際立った事業センスが備わった人材が求められる.
これら3点において,理想的なサービス価値経営を実現してきたのが前述のキーエンスである(延岡,高杉 2014).まず,顧客情報を収集するための仕組みとして,2,000人以上の営業による「ニーズカード」が代表的である.ニーズカードによって,営業担当者は顧客になりうる企業が抱える問題点,それが解決された場合の経済的価値などを報告する.各営業担当者が少なくとも毎月1件は報告するので,合計で毎月2,000件以上集まる.このような情報収集活動が効果的に実現できるのも,営業担当者が顧客企業に対してコンサルティング営業ができるからである.特に中小規模の顧客企業の中には,キーエンスから様々な助言や提案をしてもらうことで助けられている企業が多い.
キーエンスでは,営業の能力構築に向けて教育と営業サポートの仕組みが充実している.教育に関しては,例えば,顧客企業の主要業種(自動車,半導体,液晶など)の製造設備などについて効率的に勉強できる教材が充実している.また,自社の製品については,それが実際に顧客企業で役だった事例について,その使用方法や得られた効果に関するデータベースが整備されている.そのデータベースから,他社で役だった効果をわかりやすく顧客に示すフライヤーが各商品について何十枚も準備される.さらには,キーエンスと競合する商品に関するデータベースも充実している.これらはすべて営業が使いやすいツールとして整備されているので,それらを駆使すれば,入社2~3年の営業担当者でも顧客企業に対して効果的な提案型営業ができる.また,営業担当者は顧客企業に色々と提案し,深いやりとりをする結果,年々,ソリューション提案能力を高めることができる.
このように生産財の顧客価値についても機能的価値とサービス価値からなる統合的価値を創出するためには,特に商品開発と営業が組織的に一体になった統合的プロセスが求められる.顧客企業の情報収集から商品開発,ソリューション提案まで,エンジニアと営業が一体になって価値を共創するプロセスを構築しなくてはならない.また,サービス価値の創出のためには,代理店依存から直接販売に変える必要性が高まった.これも含めて,生産財企業においても組織構造や人材の分業体制に関して大きな変革が必要とされている.
世界の市場で,製造業はサービス経済化するとともにサービス価値化が急速に進んでいる.取引の対象が商品からサービスに変わるサービス経済化の方が,変化が明白なので注目度が高い.加えて,サービス経済化であれば具体的に企業の戦略としても構想しやすい.しかし,目立たない形でサービス経済化と並行して進むサービス価値化こそが,日本製造企業にとっては戦略的により重要である可能性を本稿では主張した.この分野では,これまで蓄積してきた日本企業の技術力・ものづくり力がおおいに活用できる.ものづくり力をサービス価値に結びつけることができれば,アップルの事例に見られるように国際的な競争力が獲得でき,しかも簡単には模倣されない.日本企業こそが,このような戦略によって世界をリードできるはずである.しかし現状では,自動車企業以外で強力なものづくり力を大きなサービス価値創出に活用できている事例は少ない.
将来に向けて,日本製造業は機能的価値とサービス価値を合体させた統合的価値の創出能力を鍛え続けることが求められる.消費財では,サイエンス,アート,デザイン,エンジニアリングの4つの視点から統合的価値を創出する重要性を主張した.生産財においても,エンジニアリングと営業が統合的にサービス価値を創出する必要がある.日本はものづくりにおいては商品開発と生産技術などが統合したアプローチに長けているのだが,デザインや営業との協業は必ずしも得意ではないようである.その一因として考えられるのが,国際的に見ても,日本は社会制度や文化の面で理系と文系の分離が顕著だという点である(山中 2015).そのため,これらの統合的な創造活動に問題を生じている場合がある(鷲田 2014).エンジニアリングとデザインの融合,エンジニアリングと営業の融合という視点から,理系と文系がうまく統合して取り組むための仕組みが必要とされる.
1981年大阪大学工学部卒業後,マツダ(株)に入社,商品戦略担当.1993年マサチューセッツ工科大学(MIT)より経営学博士(Ph.D.).1994年神戸大学経済経営研究所助教授,99年同教授.2008年より一橋大学イノベーション研究センター教授.12年より同センター長.専門は経営戦略,経営組織,技術経営.著書は「価値づくり経営の論理」(日本経済新聞出版社)他.