2017 年 4 巻 2 号 p. 32-37
経団連によると「Society 5.0は,狩猟社会,農耕社会,工業社会,情報社会に続く第5段階の社会,“超スマート社会”として掲げられ,日本の経済的発展と国内外の社会的課題の解決を両立し,快適で活力に満ちた生活ができる人間中心の社会を目指すものである」とされる.
1.1 第四の波とSociety 5.0ここで言う「狩猟社会,農耕社会,工業社会,情報社会」までは,アルビン・トフラーが「第三の波 / The Third Wave」の中ですでに述べている (Toffler 1980).アメリカでは,ダニエル・ピンクが「A Whole New Mind(邦題:ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代)」(2006年)(ピンク 2006)の中で第四の波について触れており,情報社会のあとには「コンセプチュアル社会」がやってくるとしている.図1は,筆者(江見)がこの概念をわかりやすくまとめたものである.なお,図1では工業社会(Industrial Society)は「産業社会」と表現しているが内容は同じである.
ダニエル・ピンクが提唱した「コンセプチュアル社会」の概念に,2017年現在風にAIやIoTなどテクノロジーを追加した概念がSociety 5.0であると本稿では解釈して,以下に議論を進めることにしたい.
1.2 Society 5.0と教育図1を参照しながら,教育という概念をレビューすることにしたい.狩猟社会においては,教育という概念は成立しにくい.農耕社会では,一般の農民は文字などを必要としない.農耕をするためにはその方法論を家族内で口伝によって伝えるからである.一方,支配階級である領主においては,教育は日本であれ,ヨーロッパであれ行われていたので,この時代の教育は現代流の言い方をすれば「エリート教育」である.このエリート教育は実は,奴隷制を有した古代ギリシアや古代ローマの「リベラル・アーツ」に起源がある.「人を自由にする学問」として,言語に関係する「文法」「修辞学」「論理学」の3科と,数学に関係する「算数」「幾何」「天文」「音楽」の4科で,まとめて「自由7科」とも言われたが,これらが奴隷でない自由人として生きていくために必要な素養とされたという点で支配階級のための教育であることが理解されよう.
図1の工業社会では,農耕社会の「領主と農民」という関係が形を変えて,雇用主(employer)と被雇用者すなわち雇われ(employee)という関係が発生した.それぞれ支配者階級と労働者階級と言われる.経営者側の教育は古代ギリシア以来の教育という概念の延長にあるが,被支配者階級である労働者側にも教育を施すようになったことは画期的であるといえる.被支配階級である労働者が生産活動をするために,文字の読み書きと算数の教育をする必要に迫られたのである.生産活動を適切に行うために,生産方式のマニュアルを作成したり,マニュアルを読んで生産したりする必要がある.数の計算をする能力も身につけないと適切な量の生産活動ができないのである.支配階級にしかできなかったリテラシーを被支配者階級も身につけたというのが,工業社会なのであり,教育の原点とも言える.情報社会における教育とはどのようなものであろうか? 1980年代に出版されたアルビン・トフラーの「第三の波」ではすでに情報社会に突入しているとしていたので,図1では1960年頃から情報社会が到来したとしている.大型汎用機が出てきた頃である.しかし,教育という観点では,工業社会と何も変わっていないと言える.コンセプチュアル社会そしてもっと進化したSociety5.0の教育とはどのようなものであろうか? ネット上のeラーニング教材で学ぶことができることが特徴であろう.特に最近ではMOOC型教材と呼ばれるものがある.MOOCとはMassive Open Online Courseの略称で,大量のネット教材の意味である.
本稿では,起業家育成のMOOC型教材を作成した実践について報告することにする.工業社会以後の教育では雇用主(employer)ための教育と被雇用者(employee)のための教育が存在するが,近代的な教育は被雇用者のための教育であることを源とするため,雇用主あるいは経営者になるための教育が大学などの高等教育機関で提供されているとは言いがたい.Society 5.0では,情報技術の発展でアイデアがあれば極端に大きな資本力を持たなくても,だれでも経営者になれる時代になった.現代ではむしろ,情報技術をバックグラウンドにして個人が起業することにイノベーションを生む可能性がある.ここではITのサービスを用いて起業する者をIT起業家ということにする.
経済産業省の情報処理推進機構IPA「大学等におけるIT起業家等の人材育成に係るIT起業家等教育モデルカリキュラムの策定・試行・評価等への協力教育機関」に筆者らは参加し,その議論の中でMOOC型教材の必要性が論じられたことが制作のきっかけとなった.その頃,JMOOC(後述)主催の大学生チーム選手権が開催されることになり,そこへエントリーするため,学生主導で「IT起業家育成コンテンツ」の開発を行った.本開発の目的は,第1に,学生主導で主体的に視聴したくなる教育コンテンツを制作すること,第2に,日本におけるMOOCsの課題の解決手法を提示すること,が挙げられる.これらの取り組み自体をアクティブ・ラーニング(課題解決型の能動的学修)(文部科学省中央教育審議会 2012)と捉え,実施した.
本開発は,3名の学生(植野貴裕,小嶋聡,沼田周)主導で全てのフロー(企画・制作・撮影・編集・エントリー)を実施することとし,教員は補助として筆者ら2名が担当することとした.
本稿ではJMOOCのサービスの問題点などを議論しながら,Society 5.0におけるMOOC型教材について考察する.
インターネットを通じ無料の学習機会を大規模に提供するMOOCsをはじめとした教育のオープン化が欧米で進み,日本でも類似の取り組みが進められている(田中 2015).
JMOOCとは,Japan Massive Open Online Coursesの略称で,MOOCsを提供しているプロバイダの一種であり,日本全体の大学・企業の連合による組織として2013年に日本版MOOCsの普及・拡大を目指し設立された,一般社団法人日本オープンオンライン教育推進協議会のことである (文部科学省中央教育審議会 2012).
2.2 JMOOC大学生チーム選手権JMOOC向けIT起業家育成コンテンツを開発するにあたり,JMOOC大学生チーム選手権に出場した.
JMOOCの受講対象者は生涯学習も含めた多様な学びを求める学生・社会人・退職者の国内外で延べ30万人以上.しかし,若手世代である10代~20代前半の受講者数が約10%と少ないのが実情である.JMOOC大学生チーム選手権とは,若手世代にJMOOCの大学生の力でJMOOCを盛り上げ,若手世代の受講者数拡大を趣旨とし以下の3点を目的として開催されたイベントである (JMOOC OpeN Learning 2015).
JMOOC向けIT起業家育成コンテンツを開発するにあたり,前述した問題点を踏まえてコンテンツに必要な要件について説明する.
日本国内のMOOCsの問題点とJMOOC大学生チーム選手権の趣旨を踏まえて,以下の3点を要件にした.
前述の要件を踏まえてJMOOC向けIT起業家育成コンテンツを開発した.具体的には以下のことをした.
若手世代が取り組みやすい工夫として,KCGグループ(京都情報大学院,姉妹校の京都コンピュータ学院)の非公式キャラクターの‘きょこたん’の活用.
飽きずに受講できる工夫として,講師を複数の教員にお願いして1人の講師が講義をするだけではない飽きない映像構成とした.
講座を最後まで受講してもらう工夫として次の講義へと続くLessonの予告の部分を工夫することで受講者の継続受講を促した.
2.5 JMOOC教材実際のLessonの構成を以下に示す.
以下に教材の例を示す.画面例をあげておく.
3.1 若手世代が取り組み易い工夫全体を通して,同一の教員がナビゲーターの役割で登場し,キャラクター(きょこたん)の起業について相談を受けるという構成.またキャラクターの声についても,同校学生が参加協力した.
3.2 飽きずに講義を受講できる工夫それぞれの講義に対して,実際に起業した年齢の近い卒業生に,「社会で必要不可欠な知識や技術」についてインタビューをする構成とした.
キャラクター(きょこたん)の起業に対する疑問に対し,適切な講義・教員を指示し,次回のLessonへの導入(予告)を各講義の最後に挿入している.
IT起業家育成コンテンツを開発してJMOOC大学生選手権大会で2015年12月10日から2016年1月15日まで講座を受講者に公開した.結果は以下の通りとなった.
まずアンケート結果を示す (植野他 2016).
4.1 アンケート結果JMOOC大学生チーム選手権の受講者の少なさについては表1の受講者の年齢別統計を確認いただきたい.表1から,10代~20代前半の受講者数は41名で,全体の割合では,17%だった.
次に,修了率について約15%の修了率だった.また,JMOOCでは全設問の回答が修了条件なため設問数に比例して修了率は変わる.
本講座の受講者アンケートの結果をまとめたのが表2である.
質問 | 選択肢 | 割合 |
---|---|---|
本講座全体に対する満足度をお答えください. | 大変満足 | 46.94% |
やや満足 | 28.57% | |
普通 | 22.45% | |
やや不満 | 2.04% | |
不満 | 0% | |
未回答 | 0% | |
本講座のテーマは面白かったですか? | 面白かった | 67.35% |
やや面白かった | 24.49% | |
あまり面白くなかった | 8.16% | |
つまらなかった | 0% | |
本講座の内容は理解できましたか? | よく理解できた | 38.78% |
理解できた | 44.90% | |
あまり理解できなかった | 16.33% | |
まったく理解できなかった | 0% | |
未回答 | 0% | |
本講座は今後何かに役立つと思いますか? | とても役に立つと思う | 34.69% |
役に立つと思う | 51.02% | |
あまり役に立たないと思う | 12.24% | |
役に立たないと思う | 2.04% | |
未回答 | 0% | |
講師やキャラクターが複数出てくることに違和感はありましたか? | 違和感が強く抵抗感があった | 2.04% |
違和感が強いが抵抗感はなかった | 6.12% | |
違和感ないが抵抗感があった | 8.16% | |
違和感なく抵抗感もなかった | 38.78% | |
違和感どころかわかりやすかった | 44.90% | |
目標とする人材像もしくは進路に対してヒントはありましたか? | 目標とする人材像があった | 40.82% |
目標とする人材像がなかった | 6.12% | |
進路に対してヒントがあった | 46.94% | |
進路に対してヒントがなかった | 8.16% | |
どちらもなかった | 16.33% | |
未回答 | 0% |
JMOOC向けIT起業家育成コンテンツを開発して,コンテンツの面白さには関しては高い評価を得ることができた.これはキャラクターの活用,次回予告の工夫によりもたらされたと考える.しかし,講座全体に関しては,面白さに対し,評価が落ちる結果となった.この結果は,内容の理解しやすさ,役に立つかどうか,講師やキャラクターが複数出てくることへの違和感,目標とする人物像からの結果だと思われる.特に,内容の理解しやすさ,役に立つかどうかに関しては,面白さに対し,大きく評価が目減りしたため,コンテンツとして分かり易くする工夫,役に立つ実感を与える工夫が必要だと考えられる.
また, MOOCsの修了率はコースにもよるが,サインアップから修了までの割合が一桁であることが頻繁に起きていて,平均で5%~10% (経済同友会 2015)なのに対し,修了率は15%と上回ることができた.この結果は,飽きずに受講できる工夫として,講師を複数の教員にお願いして1人の講師が講義をするだけではない飽きない映像構成にしたことが反映されたのだと考えられる.
日本国内でのMOOCsの講義コンテンツについて,学生の興味を引くテーマを検討するにあたり,実社会において「IT系人材」がどのような職種で,どのような収入で活躍できるのかという自身の将来に対する漠然とした不安が常に存在していることが明らかであった.
高等教育における社会的使命に関しては,国際化への対応や地域や産官学連携など,多くのことが求められ,企業側から学生に期待することとして,個人の主体的な学びの姿勢や,専門知識とそれを支える基礎力の修得などが言われている (経済同友会 2015).
学生の将来進路の選択肢の別(進学や就職や独立起業等)に関わらず,ある程度早期に,将来の研究対象や職能に対する漠然とした不安を解消できる内容の教育コンテンツの提供について検討する必要があると言える.
最後にSociety 5.0におけるMOOC型教材について考えてみよう.受講生の関心をあらかじめ聞き取る仕組みが存在し,それに基づいて教材作成にニーズが伝わり,教材が作成できるようになることであろう.特に今回取り組んだ「IT起業家育成」のようなテーマは大学などの高等教育機関ではあまり扱っていないテーマであれば,なおのこと,教材提供者がニーズを把握することは重要である.
出演した以下の方々に謝辞を申し上げる.北山寛巳,
上田治文,田渕篤,長谷川功一,前田勉,高弘昇,篠田和敏,鎌田涼,下田義博,鹿間朋子
また制作において協力した以下の方々に感謝する.
荒賀貴司,鈴木瑛裕,片桐友香,何珏西,李小林,張乗化
このプロジェクトの撮影機材は科学研究費15K01099の補助を受けている.
なお,本作品はJMOOC主催の大学生チーム選手権において最優秀をいただくことができたことを視聴した皆様を含めて感謝の意を述べたい.
京都情報大学院大学准教授
関西大学工学部卒.一級建築士
京都府地震被災建築物応急危険度判定士,京都府木造住宅耐震診断士,大西建設工業株式会社取締役,特定非営利活動法人京都景観フォーラム副理事長,特定非営利活動法人木の町づくり協議会代表理事,デザイン事務所ラウンドアバウド代表,京都府建設業協会京都支部青年部会 第22代会長・現相談役,日本青年会議所建設部会京都建設クラブ第31代会長.
京都情報大学院大学准教授
京都大学理学士,同大学院修士課程修了(化学専攻),同大学院博士課程修了(人間・環境学専攻),人間・環境学博士.金沢工業大学専任講師をへて現職. ETロボコン関西地区実行委員長,もとIPA 「IT起業家育成カリキュラム協力機関」会議メンバ,情報処理学会「コンピュータと教育」研究会運営委員