2018 年 5 巻 3 号 p. 28-35
認知症を取り巻く社会的課題は,われわれの社会に大きなインパクトを持っている.
厚生労働省は2025年に日本の認知症高齢者は700万人を超えると推定している(厚生労働省 2015).この数字は,認知症当事者である本人に加え,その家族,軽度認知症障害を持つ人とその家族を含めればさらに増える.世界的にも認知症の当事者数は5,000万にのぼり,その60%が中低所得国に暮らす.世界の当事者数も年々増加している.2030年に8,200万人,2050年には1億5,200万人と予想されており,その社会的コストは,世界全体で2015年の段階で8,180億米ドルと推定されている (World Health Organization 2018).認知症当事者である本人の日常的な生活を支え,認知症にやさしい社会を形成するための社会デザインは,組織や業種を越えた極めて大きな課題なのである.
認知症を含め,現代社会の問題は相互に複雑に絡み合っている.したがって,特定のセクターや組織の貢献だけでは問題を解決することは難しい.認知症の当事者,一般市民,地方自治体,企業,NPO,医療・介護関係者,大学などの様々なステークホルダーが協調し,課題の明確化と解決策のデザイン,社会実装までを行う必要がある.
このようなセクターを超えた協働は,すでに始まっており,相補的なエコシステムとして機能する(野村 2012).社会イノベーションを支援する英国のコンサルティング・ファームVolans は,様々な事例によって,セクター間の相互作用,双方向性,対象の拡大,セクター間の位置づけの変化が,より豊かなものとなると指摘している(Volans 2011).
たとえば,UnileverのProject Shaktiもその1つである.Unileverと政府と銀行とが協力し,インドの小さな村々の女性支援という社会的課題に取り組んだProject Shaktiは,2000年に50人の女性を対象に始まった.それが現在では,20万人を対象とする女性教育プログラムと,8万件のマイクロビジネスへと規模を拡大している (Unilever 2017).
Project Shaktiの成功要因は,インドの女性支援という社会的課題が,目的や価値の源泉が異なるセクター・組織をつなぐバウンダリー・オブジェクトとして機能したことにある.バウンダリー・オブジェクトとは,「異なるコミュニティやシステム間の境界(バウンダリー)に存在するモノや言葉,シンボルなどを意味し,コミュニティ同士をつなぐもの,あるいは新たにコミュニティを形成するものとして生み出されるもの」(野中,紺野 2012)をいう.認知症という社会的課題も,社会の様々なセクターを結びつけるバウンダリー・オブジェクトとして位置づけることが可能である.その立場をとれば,認知症という社会的課題は,われわれの社会のCo-Productionを加速させるアプローチのきっかけであり,資源統合の仕掛けと考えることができる.
認知症のような社会的課題をバウンダリー・オブジェクトとして機能させ,Co-Productionを加速するには,構成するエコシステムの機能・構造・関係性をより豊かにするマルチステークホルダーによる資源統合のプロセスが必要となる.また,必要とされる知識,機能,製品・サービス,市場を構造的に表現し,理解するための手法が必要となる.そのための一連のプロセスを,本稿では,社会的課題におけるマルチステークホルダーによる共創プロセスと呼ぶ.われわれは,従来の医療・福祉の枠組みを超え,認知症をより広い立場のセクターが関わる社会的課題のバウンダリー・オブジェクトとする一連の取組みの総体を,新たなマルチステークホルダーによる「認知症プルジェクト」として位置づけている.
本稿では,認知症フレンドリージャパン・イニシアチブとして実施してきた「認知症プロジェクト」と,その背景にあるマルチステークホルダーによる共創プロセスを,実務的な視点から述べていく.そして,RUN伴,旅のことば,認知症フレンドリージャパン・サミットという3つの具体的なプロジェクトを紹介する.さらに,活動を通して見えてきた制約条件と今後の課題について触れる.
「認知症プロジェクト」として実施してきた認知症という社会課題に対するマルチステークホルダーによる共創プロセスについて記述する.まず,イノベーション・アーキテクチャーの観点からマルチステークホルダー・プラットフォームの構成手順について述べ,キャズム内ネットワーク,ADRの連鎖というアプローチを説明する.
2.1 イノベーション・アーキテクチャースイス連邦工科大のチルキーらによって提唱されたイノベーション・アーキテクチャー(Tschirky 2008)は,考慮すべき対象領域を,階層的なモジュール群の集まりとして構造的に表現・理解するための手法である.イノベーション・アーキテクチャーは,研究開発やビジネスシステムのイノベーション・プロセスを俯瞰的に分析するツールとして優れている.
図1は,イノベーション・アーキテクチャーによる分析を実施するときに用いる典型的な模式図である.イノベーション・アーキテクチャーによる分析では,対象とする領域を既存領域と新規領域に分け,まずは既存領域の構成要素を階層的に分解する.
階層の構成は記述対象によって構成を変えることが可能だが,一般に上から下記で構成される.
イノベーション・アーキテクチャーで重要となるのは,図1右側の新規領域を明確にするプロセスである.そのプロセスは,Trends/Market層にテーマをセットし,Functions層とResources/System Platform層のモジュールを関係者が相互に共有するところから始まる.
Trends/Markets層のテーマは,異なる業種・組織をつなぐバウンダリー・オブジェクトとして機能し,単独のセクターで獲得が難しい機能や資源を他の組織との相互作用から獲得する動きを生む.
すなわち,認知症という社会的課題をバウンダリー・オブジェクトとして機能させてCo-Productionを加速するとは,Trends/Markets層に認知症の具体的なテーマを置き,マルチセクターの協働を構成するFunctions層とResources/System Platform層の構造を効果的に明らかにしていくプロセスといえる
2.2 緩やかなプロセス認知症のような社会的課題において,イノベーション・アーキテクチャーの生成プロセスは,複数のステークホルダーが協働する漸進的プロセスとなる.複雑な社会的課題は,単独の企業や組織,セクターでは解決できない上に,社会実装の過程も中・長期的となるからである.また,社会的課題をバウンダリー・オブジェクトとして利用しつつ,具体的な成果を得るには時間をかけたプロセスが必要となる.
社会的課題のような曖昧な状況を対象とするには、図2で示す,1.視点の発見,2.視点の育成,3.視点の具体化,という3つのプロセスを認識しておく必要がある.それぞれのプロセスを下記に記述する.
社会的な課題を起点とするとき,時間をかけた丁寧なプロセスが必要となる.その主な理由は下記の4点となる.
このような状況において,図1のモジュール群を発見していくのは容易ではない.直線的なアプローチは適さず,図2に示したプロセスを,再帰的に進める必要がある.また,特定の視点のみでは一面的な取り組みになるため,複数のセクターの協働が求められる.
プロセスの初期段階では,ステークホルダー相互の理解も,協調の可能性についての理解も不十分である. Functions層とResources/System Platform層の理解は,漸進的で繰り返しを伴うプロセスの中で明確になる.このような状況において,早い段階でTrends/Marketのテーマを設定し,精緻なビジネスモデルを検討するアプローチは機能しない.対象領域は広範で曖昧性が高く, Trends/Market層で安易にテーマを設定しても,図1の新規領域で求められる機能(Functions)の本質的理解は得られないからである.複数のステークホルダーが互いにリソースを提供しあう「オープン・リソース・コミュニティ」型の協働作業を繰り返す中で,「視点の発見」「視点の育成」「視点の具体化」は進む. その中でTrends/Market層として特定すべきテーマは本質的なものへと具体化していき,求められる機能(Functions)とResources/System Platform層の内容も,明確になっていく.
2.3 キャズム内ネットワーク「視点の発見」や「視点の育成」を効果的に進めるには, 視点を補完する他者としてのステークホルダーの獲得を考慮する必要がある.ステークホルダーが具体的に誰なのか,協力関係はどこまで可能なのか,お互いが補完できる機能やリソースは何であるか,が曖昧だからである.
注目すべきポイントは,新規領域のステークホルダーにはキャズム(ムーア 2002)でいう「イノベーター」と「アーリー・アダプター」が多く含まれているという点である.キャズムは「溝」を意味し,新しい商品・サービス・概念に対して,これを創出し早い段階で受け入れる人々(「イノベーター」「アーリー・アダプター」)と,多数派を構成する人々(「アーリー・マジョリティ」「レイト・マジョリティ」)との間には,様々な考え方の差が存在することを述べたマーケティング分野の考え方である.多くのイノベーションはこのキャズムを越えられない,あるいは越えるのが難しいと言われている.それは,「イノベーター」「アーリー・アダプター」は多くの場合,組織の少数派であり,考え方が異なる多数派を動かすことができないことに起因する.
「イノベーター」「アーリー・アダプター」がネットワーク化し相互に支援しあえば,キャズムは越えやすくなる.そのためには,図3に示すキャズム内ネットワーク(図3:破線の内側)を構成すればよい.
幸いなことに,キャズムはあらゆるセクターに存在する.同時に,それぞれのセクターで活動を抑制されていた「イノベーター」「アーリー・アダプター」は,対外的なコミュニケーションコストが低下したことで連携しやすくなった.このため,以前よりもキャズム内ネットワークが構成しやすく,参加も容易になりつつある.
キャズム内ネットワークの形成を促進することは,イノベーション・アーキテクチャーの構築プロセスにおいて重要である.キャズム内ネットワークの価値は人的なつながりだけではない.それぞれのセクターには固有の資源・知識・専門性が存在する.また,認知症の文脈では,キャズム的な構造は,認知症の本人・家族・社会の中にも存在する.キャズム内ネットワークの形成を推進することで,社会的に分断されていたリソースが相互に接続し,これまでにない可能性が生まれる.後述するRUN伴は,キャズム内ネットワークを構成するための有効な仕掛けとして機能した.
2.4 ADRプロセスの連鎖キャズム内ネットワークを活用し,イノベーション・アーキテクチャーの各層のモジュールを豊かにしていくには,通常の製品・サービスの開発プロセスとは異なるプロセスも必要となる.
図4に示すのは,関係性の構築に特化した新たなプロセス(ADRの連鎖)である.ADRのA,D,RはそれぞれAction,Development,Relationを意味する.
ADRの連鎖は下記から構成される.
ADRの連鎖は,従来の製品・サービスの開発プロセスとは根本的に異なっている.従来のプロセスでは,1つのADRが終了した段階で,製品・サービスの開発や詳細化へと向かう.ADRの連鎖というプロセスではそのような方向には進まない.その代わりに,直接関係のない独立した関係性を結びつけることで,可能性の探査範囲を広げ,キャズム内ネットワークの範囲を拡大していく. キャズム内ネットワークの関係性はADRを繰り返すことで強化される.他のセクターに豊富に存在するFunctions層のモジュールが,低い獲得コストで利用可能であることが発見される.その結果,新たな活動が素早く創出される.
認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ (DFJI: Dementia Friendly Japan Initiative) (DFJI 2013)は,認知症を取り巻く課題を社会のデザインの問題と捉えている.DFJIは,医療や介護の枠組みを越え,企業や地方自治体,認知症に関連する様々なNPOや市民から人が集まり,実験的に様々な未来の可能性を探っているネットワークである.2011年にその前段となる活動を開始し,NPO法人認知症フレンドシップが主催するRUN伴(図5左上)(DFC 2016),ブリティッシュ・カウンシルと共同で実施したFutures(図5左下)(British Council 2012),高校生×商店街を軸に古い写真を用いて地域のコミュニケーションを促す富士宮プロジェクト(図5右上)(GLOCOM 2014),認知症フレンドリージャパン・サミット(図5右下)など,マルチセクターによる様々な活動を支援・実施してきた.
以下では,認知症フレンドリージャパン・イニシアチブのメンバーが関わってきた"RUN伴","旅のことばプロジェクト","認知症フレンドリージャパン・サミット"について,キャズム内ネットワーク,ADRの連鎖の具体例という観点から振り返っていく
3.1 RUN伴RUN伴(らんとも)は,認知症の人もそうでない人も参加してタスキをつなぎ,日本各地を縦断していくイベントである.NPO法人認知症フレンドシップクラブが主催し,2011年に北海道の函館・札幌間を約170人がタスキでつなぐことから始まった.2017年には,北海道から沖縄までの33都道府県で14,521名が参加するイベントへと成長した.それぞれの地域で,認知症の人と接点がなかった地域住民,認知症の当事者や家族,医療福祉関係者,自治体関係者,企業メンバーなどが,タスキをつないでいく.参加者の約11%に相当する1,607名は認知症の当事者である.RUN伴は,認知症について負のイメージからではなく,喜びや達成感を共有することを通じて,認知症の人が地域で伴に暮らす普通の隣人であることを実感することをめざしている.
RUN伴は,図3のキャズム内ネットワークを育む活動として位置づけられる.2011年から数年間,「認知症の人もそうでない人もタスキをつなぐ」というコンセプトは,ごく一部にしか理解されなかった. RUN伴の運営で中心的な役割を果たしている人々は,それぞれの地域の福祉分野のイノベーターである.RUN伴は,タスキのみならず,キャズムの内側に位置する人々のネットワークを,「タスキをつなぐ」という行為を通してつないだ.
RUN伴に主体的に関わることは,キャズム内ネットワークに参加することを意味する.RUN伴の準備を通して,地域の枠の内外で福祉関係者・学校・商店街・企業というマルチステークホルダーがつながっていく.RUN伴をきっかけとするコミュニケーションが,様々な現場を空間的にも意識的にもつないでいく.キャズム内ネットワークが活発になるに従い,副次的にADRの連鎖が起き始める.RUN伴は,キャズム内ネットワークとADR連鎖の具体的な実例である.
3.2 旅のことばADRの連鎖を活用した具体的な事例として,「旅のことば 認知症とともによりよく生きるヒント」(井庭, 岡田 2015)があげられる.「旅のことば」は,1970年代に建築の分野で生まれたパターン・ランゲージの概念を,世界で初めて福祉の分野に応用したものである.
旅のことばプロジェクトには,先行する2つのADR群が存在する.1つはRUN伴など福祉関係者と協調した活動群であり,もう1つはFuturesに代表される企業と実施してきた活動群である.RUN伴に代表される活動は,「認知症とともによりよく生きる」というコンセプトを具体化することに寄与し,Futuresに代表される活動は,コンセプトを具体的に実装することに寄与した.RUN伴に代表される活動が,図2における「視点の発見」と「視点の育成」を生み,Futuresに代表される活動が「視点の具体化」となった.
2つのADR活動群は,図1のイノベーション・アーキテクチャーのResources/System Platform層を豊かにする.RUN伴に代表される活動は「旅のことば」のインタビュー対象の選定に重要な役割を果たし,質の高いコンテクストやコンテンツの供給源となった.一方,Futuresに代表される活動は,「認知症とともによりよく生きる」というコンセプトを具体化する「パターン・ランゲージ」という手法と,その手法を活用する人的な能力とリソースの供給源になった.
この状態をイノベーション・アーキテクチャーで振り返ると,「旅のことば」プロジェクトでは下記のプロセスが行われたことになる.
認知症フレンドリージャパン・イニシアチブでは,2014年から毎年,認知症フレンドリージャパン・サミット(Dementia Friendly Summit:DFJS)を実施している.このイベントは,当事者・家族・自治体・企業NPOなど様々な立場の人が一同に会し,対話型のワークショップを通して,誰もが普通に暮らせる社会の設計を考えていくイベントである.2018年のDFJS2018では2日間で28セッションを実施し,延べ306名の関係者が参加した.図6はDFJS2017の様子である.
認知症フレンドリージャパン・サミットは,成果発表の場ではなく,参加者が「視点の発見」「視点の育成」「視点の具体化」を獲得できる場である.それぞれのワークショップは,活動の方向性が明確に定まっていなくてもよい.認知症フレンドリージャパン・サミットでは,キャズム内ネットワークの形成とADRの連鎖の発動を目的とする.
認知症フレンドリージャパン・サミットからは,「認知症にやさしい交通プロジェクト」「認知症にやさしいまちの指標プロジェクト」「認知症にやさしい図書館プロジェクト」などが生まれてきた.いずれも,認知症フレンドリージャパン・サミットで萌芽的なワークショップが行われ,その後,具体的な活動として発展している.
認知症という社会課題に対して,イノベーション・アーキテクチャーの観点から,キャズム内ネットワークとADRの連鎖と具体的な実例を示した.以下では,これまでの活動を振り返り,制約条件と新たな課題について述べる.
4.1 共感の消費キャズム内ネットワークは,単独の地域や組織だけでは動きにくい活動を相互に支援する.メンバーの特性には共通部分が多く,キャズムの外側とのコミュニケーションよりも相互理解のスピードが速い.理解の齟齬による摩擦が小さい.
一方で,「共感の消費」には注意しなければならない.相互理解のみでは,共感を消費しているに過ぎない.キャズム内ネットワークから,具体的なプロジェクトが立ち上がるためには,時間がかかっても,ADRの連鎖を丁寧に続けていく必要がある.
たとえば,RUN伴は,キャズム内ネットワークを地域やセクターに拡げる有効なツールである.一方で,RUN伴を続けるだけでは十分ではない.ADRの連鎖を意図的に増やし,「共感の消費」のレベルを越える必要がある.
RUN伴から新たな動きが生まれてくる地域は,ADRの連鎖を繰り返している.そのような地域は,キャズム内ネットワークを地域内で回す(Intra-ADR)だけではなく,他の地域からもアイディアやリソースを調達し(Inter-ADR),両者を組み合わせてADRの連鎖を実施している(Mixed-ADR).このような繰り返しから,地域内だけでは得られない視点が獲得され,必要とする機能やリソースが明らかになり,それがキャズム内ネットワークの中で調達されていく.
キャズム内ネットワークを活かすには「共感の消費」にとどまらずADRの連鎖をイノベーション・アーキテクチャーも意識しながら生み続ける必要がある.
4.2 マイクロサービス規模の大きな企業や自治体においては,自らだけでは解くことが難しい問題が存在する.その1つが社会構造のマイクロサービス化である.
社会構造のマイクロサービス化は,技術を含めあらゆるものがコモディティ化しつつあることに起因する.社会構造のマイクロサービス化は,既存のビジネス構造では対応が難しい.マイクロサービス化に対応する機能・リソースの獲得が必要となる.規模の大きな企業や自治体が,NPOやベンチャーなどと手を組む必要はここにある.ADRの連鎖を回すためにも,これまで用いてきたアプローチとはまったく異なるスピード感と能力が求められる.
RUN伴と「旅のことば」はその実例である.規模の大きな組織でRUN伴のようなイベントを提案したとしても,企画段階で様々な障害に遭遇し,日本でも最大規模の認知症に関するイベントは生まれなかった.「旅のことば」も同様である.認知症を専門としない学部生と同じことが企業の中で実施できるかといえばそうではない.規模の大きな企業や自治体が社会構造のマイクロサービス化に適応するには,キャズム内ネットワークのスコープを従来の枠組みから大きく変更する必要がある.
4.3 評価指標キャズム内ネットワークとADRの連鎖については,評価の指標の確立も今後の課題となる.
図7は,2011年からの認知症フレンドリージャパン・イニシアチブが関連した様々な活動(ADR)の相互関係を模式的に示したものである.図7に示したひとつひとつの楕円はそれぞれの活動単位(図4のADR)を意味し,海外との連携・行政との連携・NPOとの連携・独自の活動を意味する.太線の楕円で表示した活動(ADR)は,その活動から具体的なアウトプットが生まれたもの,濃い色で表現した活動(ADR)は他の多くの活動(ADR)の起点になっているものを示している.図7をみると,認知症フレンドリージャパン・イニシアチブの一連の活動(ADR)は,ADRの連鎖そのものである.
ADRの連鎖は,繰り返すほどに,図1に示したFunctions層とResources/System Platform層で利用可能な機能やリソースを定性的に増加させ,関係性の質も向上していく.しかし,現状でこれを定量的には評価しきれていない.ADRの連鎖では,ADRの質とアウトプットが評価の指標となる.アウトプットとしての製品・サービスは副次的な生成物である.したがって,実際にKPIで評価すべきはADRプロセスの回転数である.現段階ではADRのプロセスの回転数は定性的なものでしかない.
さらに,キャズム内ネットワークやADRの価値は,それがどれくらい従来とは異なる視点を,空間的にも意味的にも接続したかで変化する.ADRの連鎖は,特定の領域に閉じた"Intra-ADR"もあれば,領域を拡大した"Inter-ADR"もある."Intra-ADR"は展開が容易だが,領域内のリソースが限定的であるため変化の幅は小さくなる."Inter-ADR"は効果は大きいが心理的な壁も生まれやすい.アプローチとしては両者を混在させる"Mixed-ADR"という方法も考えられる.いずれにせよ,"Inside-Out","Outside-In"を具体的にどのように指標化し,プロセスとして組み込んでいくかも今後の課題といえる.
また,RUN伴や「旅のことば」プロジェクトは,当事者の存在のあり方自体も指標となりえることを示している.当事者の中にもキャズム構造は存在し,キャズムネットワークの一部を担う当事者は「イノベーター」「アーリー・アダプター」に相当するからである.
公衆衛生の領域にはポジティブ・デビエンスという考え方が存在する(神馬 2016)."よい外れ値"とも言える考え方である.キャズム内ネットワークとADRの連鎖の評価において,当事者が提供する機能とリソースの価値を発見し位置づけることは極めて重要な視点である.RUN伴では,当事者の参加が既存のフレームワークを越えるきっかけとなった.認知症という社会的課題のプロセスにおいては,認知症の当事者とともにキャズム内ネットワークを活性化し,ADRの連鎖の価値を高めていくことを指標化して評価していくことも今後の課題の1つである.
本稿では,認知症という社会的課題に対して,イノベーション・アーキテクチャー,キャズム内ネットワーク,ADRの連鎖を組み合わせたプロセスについて述べた.
イノベーション・アーキテクチャーの各層,特にResources/System Platform層,Function層で具体的にどのようなモジュールが獲得されたかについては,事例を蓄積し,さらに分析を積み重ねる必要がある.ADRの連鎖のプロセス評価方法も今後の課題である.
認知症フレンドリージャパン・イニシアチブでは,引き続き,マルチステークホルダーが協調するプロセスと活動を推進していきたいと考える.
認知症フレンドリージャパン・イニシアチブに関連する様々な活動にご協力・ご助言頂いた皆様に,謹んで感謝の意を表します.
認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ 共同代表理事.セクターを越え,認知症に関わる社会的課題を起点としたプロジェクトを推進.富士通研究所R&D戦略本部エキスパート,国際大学GLOCOM客員研究員,慶應SFC研究所上席所員.
国際大学グローバル・コミュニケーション・センター主幹研究員・准教授.情報社会学,電子政府・オープンガバメントを専門とする.オープン・ナレッジ・ファウンデーション・ジャパン代表理事,認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ共同代表理事.
株式会社イミカ 代表取締役.定性調査の実践的研究に基づき,企業や地域を対象に定性的観点での調査・企画・教育のコンサルティングを実施.鳥取県×日本財団共同プロジェクトアドバイザー,サイクル・リビングラボ理事.
NPO法人認知症フレンドシップクラブ理事.認知症をテーマに,自治体や企業との協働事業を企画・運営,認知症フレンドリーコミュニティのネットワーク化,まちづくりの人材育成を推進.認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ共同代表理事.
應義塾大学総合政策学部教授,同大学大学院 政策・メディア研究科研究科委員.創造実践学, パターン・ランゲージ, システム理論を専門とする.マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院 Center for Collective Intelligence 客員研究員等を経て,現職.