サービソロジー
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特集:サービスとウェルビーイングⅡ:ウェルビーイングでサービスを問い直す
他者(まち)への「迂回路」表現によるコミュニティデザインの可能性についての試論
アサダ ワタル
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2019 年 6 巻 1 号 p. 28-34

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1. はじめに

筆者の仕事は,全国各地の自治体やNPO,大学などと連携しながら,地域コミュニティと密接に関わるアート活動を,その土地の方々とともに進めることだ.いつも音楽やパフォーマンスを通じて,街中に少し不思議な場を立ち上げては,ワイワイガヤガヤと交流する.「アート」と言えば,美術館の絵画や彫刻や,劇場での演劇やダンス公演,コンサートホールでのクラシック演奏を思い浮かべる人も多いかもしれない.しかし,筆者が携わる活動の舞台は,商店街や学校,福祉施設や住居といった生活・コミュニティの現場だ.

例えば,2000年代後半に,大阪市北区南森町にあるマンションの一室を,美術家や音楽家などの仲間と共に借りていた.毎月のようにトークイベントやワークショップ,展覧会を開き,ちょっとした文化サロンとなった.ただの「家」であっても,遊び心ひとつで,他人とつながる場にできる醍醐味を知った筆者は,「住み開き」(好きなことをきっかけに,住居を他者に無理なく開くこと)という言葉を作って,提唱.大阪市内10カ所の「住み開きスポット」でライブや上映会,シンポジウムを企画し,その不思議なアクションが口コミやメディアを通じて広がった.小さな個人宅でのアート活動から始まったこの「住み開き」であるが,今では空き家活用や地域交流の拠点づくりとしても活用され,注目され続けている(アサダ 2012).

例えば,最近では北海道内の小中学校で「校歌」をモチーフにしたワークショップを展開している.2017年夏に斜里町立ウトロ学校で,また,2018年の夏に石狩市立紅南小学校で行った内容は,子どもたちと一緒に校歌の「オリジナルカラオケ映像」を制作しようというものだ*1.校歌独特のあの難しい歌詞や地名を頼りに,子どもたちが先生にインタビューしたり,校舎を駆け巡ったり,まちに繰り出し様々な風景を撮影.歌詞のテロップは墨汁と筆で一文字ずつ書き上げ,先生や親御さんも交えて歌とピアノをレコーディング.完成したオリジナルカラオケ映像は,多くのOB・OGが集まる学校行事で上映され,校歌という一見お堅くパブリックな存在を,子どもたち一人ひとりの解釈と完成を通じて表現する機会を作ったのだ.

こんなことをして,自分の暮らす街に愛着が芽生えたり,仲間が増えたりすることは,結果的に地域活性の一翼を担ったり,人と人との縁づくりにつながったりもする.狭い意味での経済的なモノサシだけでなく,活動に関わることで一人ひとりの人生がより豊かに更新し,これまで出会えなかった価値観を他者と交換し合える.まさに本稿の特集テーマであるウェルビーイング(well-being)の観点からも評価できるであろう,こういった市民参加型の文化事業は,「アートプロジェクト」*2と呼ばれ,世間でもその存在が注目され始めている.

20代前半まで一介のバンドマン兼フリーターだった筆者は,ひょんな縁の積み重ねから,この「アート(表現活動)」とも言えるし「まちづくり(市民活動)」とも言えそうな,その双方の割れ目からニョキニョキと自生してきたような不思議な仕事をかれこれ15年やってきた.世間では「場づくり」だったり,特にこの10年ですっかり定着した「コミュニティデザイン」と言われる仕事だ.しかし,筆者の仕事は,おそらくそれらの言葉のイメージからは,微妙にズレていると自覚している.その理由は,「目的地へ向かう距離感」,あるいは「目的地へのルート未設定感」にあると考えているのだ.

唐突だが世間では,人口減少と都心一極集中による地方経済の衰退,家族や学校現場におけるコミュニケーションの不通,社会的マイノリティの地域参加への壁,災害による地域コミュニティの断絶など,いわゆる「社会的課題」が山積みだ.これらひとつひとつの課題は,当然解決されるべきだし,「いつか誰かがやってくれるだろう」と他人事として扱うつもりは毛頭ない.ただ,筆者は,それらの課題に関わるための「道のり」をじっくり噛みしめることに,こだわりたいと思っている.世間で喧伝される課題への道のりをショートカットせず,「私ごと」としてじわじわと「私なりの方法」で実感していくプロセスをこそ大切にしたいと思っているのだ.さらに言えば,その課題を「自明」のものと安易に受け止めず,「そもそも課題は別のところにあるのではないか?」と「問い方」を変えてみる.そういう思考をこそ深めていくことも,時には重要なのではないかと感じてきた.そして,その思考を手助けし,行動へと向かわせるひとつの潤滑油として,筆者は「アート(表現活動)」をとりわけ重視してきた.

本稿は,筆者の具体的な実践を紹介しながら,課題解決先行型ではない,表現ならではのコミュニティデザインが,個々人の関係性や価値観をより豊かにしていく可能性を提示する事例報告である.それでは3つの事例を紹介しよう.

2. 事例報告

2.1 子どもたちと大人たちが新たに出会い直す,「コピーバンド大会」

2012年秋から2013年春にかけて,高知県四万十市の西土佐小学校に滞在した.トヨタ自動車が社会貢献の一環で取り組む「TOYOTA 子どもとアーティストの出会い」事業に招聘された筆者は,そこの児童たちに音楽ワークショップをする予定だった.しかし,実際に現地に下見に訪れ,地元のコーディネーターや先生方に話を聞くにつれ,単に児童に珍しい音楽体験をしてもらうだけではないミッションが用意されていることに気付いた.過疎化が進み周辺の数校が廃校となり,この西土佐小学校に再統合されたのがまだ(当時から)1年前のことだと言う.遠路はるばるバスで通う子どもたちは旧学校のコミュニティに分かれ,家族の交流も校区が広いだけになかなか生まれにくい.だから,このワークショップが地域の大人たちも交じり合うようなきっかけとなれば,というのが地元関係者の思いだったのだ.

まず子どもたちと会った時に,みんなに何をやりたいか聞いてみる.一番人気があるのは「バンド」.「とにかくバンドがしたい!」と.ちょうどその時期,アニメの『けいおん!』が大ブレイク中で,四万十市の山里でも例外なし.廃校となった一番少人数の小学校出身の女子たちはすでにバンド活動を始めていて,楽器の腕もなかなかのものだった.しかし一言でバンドって言っても,「何の曲をやるか?」が重要.そこで筆者は先ほどの「地域課題」を思い出していた.手始めに,児童に「家に帰ったら家族に,“僕たち私たちと同じくらいの歳(小学4~6年生)の頃に好きだった歌とそれにまつわる記憶”をインタビューしてきて!」というミッションを課した.約60人のうち半数の30枚程が返ってきたのだが,とても興味深い,ご家族の思い出の楽曲と甘酸っぱいエピソードが集まった.松田聖子の『Sweet Memories』を挙げてくれた小学5年生の女子児童の母親は,お姉さんの影響もあって松田聖子が大好きになり,当時レコードプレイヤーを持っていなかったので,友人の家にわざわざ聞きにいっては歌詞を覚えようとしたエピソード(しかも2番の歌詞が英語だから覚えられなかった!)を教えてくれ,また別の5年生女子児童の母親は,かぐや姫の『神田川』を当時ラジオで聞きながら,宿題をやっていたことを披露.そんなあれやこれやの「親のマイベストメモリーソング」を受け取り,子どもたちの人気と楽曲の難易度を照らし合わせて,選曲(JUDY AND MARRY『そばかす』とPRINCESS PRINCESS『M』の2曲に決定!)し,いよいよコピーバンドを結成.親御さんたちは取材に答えてくれた手前,このワークショップに何かしらの参加意識を持ち,活動に加わる積極的な母親たちも登場.そして,楽器の指導には,若かりし頃にバンド活動をしていた大人たちにも呼びかけた.曲が曲だけに,大人たちにとっても馴染み深く教えやすい.こうして子どもたちが大人の力を借りながら大人たちの記憶の曲を,プレゼント(演奏)する文化祭「コピーバンド・プレゼントバンド」*3が地元の文化ホールにて開催したのだ.

児童たちの演奏はお世辞にも上手とは言えなかった(味は相当にあったが)が,そこはこの企画の本質ではない.この取材→練習→発表といった一連のプロセスの中で,児童同士,児童と大人,大人同士などの間で,様々な対話や教え合いが生まれたことこそが大切だったのだ.ミュージシャン(この場合はジュディマリやプリプリ)という誰かの作った既存の音楽が,地域コミュニティを編み直すコミュニケーションの道具として転用される.こうして筆者たちは,曲こそ作らないがその曲の使い方を創造することで,地域の中で普段関係性が固定しがちな親子や教員生徒たちが普段とは異なる対話を促し,お互いの個性や背景に気付き,自分自身とも出会い直す場を創出したのだ.

図1 コピーバンド・プレゼントバンドの発表会の様子

2.2 まちの音と住民の声でできた「レコード」で,まちへの愛着を語り合う

東京都足立区千住エリアで,市民とともに街の音をテーマにした「レコード」を作っている.「千住タウンレーベル」というこの取り組みでは,「タウンレコーダー(音の記者)」と言われる市民有志が十数名集まり,下町風情が残りつつも目覚ましい都市化が進んでいく千住の音風景 -祭囃子や市場の競りの声,鉄道の音やもんじゃ(地元ではボッタという)の焼く音など-を録音したり,古くからの住民の記憶を取材したり.こうして完成したレコードの試聴会を,地元住民の協力のもとエリア各所で開くことで,「音」をきっかけにこの街の魅力を語り合い,人のつながりを生んでいくアクションが進行中だ.

2016年11月から活動を始め,数十名のタウンレコーダー(音の記者)が集まった.彼ら彼女らの中には,千住に住んでいる人はもちろん,この取り組みがきっかけで初めて千住に来たという人もいる.最年少が10代,最年長で50代.介護職や銀行員,中学生や図書館司書,学校教員や建築・デザイン関係者,また音響技術者やピアニストなど職業として音に携わっている人までが,それぞれの目的を持ってここに集っている.店頭のかけ声や市場の競りから生まれる「ダミ声」のグランプリ,何車線にもわたる「大踏切」の音を素材にした電子音楽,住民のまちの「生活史」のインタビュー集,地元の食文化である「ボッタ」(もんじゃみたいなもの)を囲んだ鉄板コミュニケーション,千住に今も受け継がれる「お囃子」の演奏と師匠へのインタビューなど,それぞれのタウンレコーダーが「私」ならではのテーマのもとで多種多様なトラックが制作されてきた.そして2017年12月,LPレコード『音盤千住 Vol.1 -このまちのめいめいの記憶/記録-』(非売品)をリリースしたのだ.

市民参加型で特定のまちを舞台に音を編み,LPレコードのリリースまで漕ぎ着ける.これだけでもかなり不思議な取り組みだと思うが,実はまだ先がある.それは,このレコードを市民の方に聴いてもらうための「場づくり」の工夫だ.筆者たちは,2018年1月にレコ発企画「聴きめぐり千住!-レコード片手にまちをめぐる-」*4を開催した.この企画は,完成した『音盤千住Vol.1』の各トラックに収録された音の「現地」をめがけて,参加者が受付会場で渡されるレコードとまちの地図を片手に巡り歩くという内容なのだ.「トラックポイント」と名付けられた各会場に行けば,トラックを担当したタウンレコーダーとスタッフがレコードプレイヤーを携えて待ち構えている.そこで観客はレコードを実際に聴き,そしてタウンレコーダーが企画したレクチャーや,取材に協力した地元住民とのトーク,音のワークショップなどを展開.企画は3部で構成され,第1部は「Play Side1」,第2部は「Play Side2」,第3部は「Listening Talk」.もうおわかりだろうが,実物のレコードの両Sideに収められたトラックを,「脚を使って聴きめぐる」わけだ.のべ80名を超える参加があり,タウンレコーダーやスタッフ,話題提供や会場協力に関わった住民,ゲスト演奏者などを含めれば100名を超える市民がレコードを通じて千住のまちを歩き回った.「Listenning Talk」における参加者の声の一部 (アサダ 2018a)を紹介しよう.

図2 「聴きめぐり千住!-レコード片手にまちをめぐる-」にて,まちなかでレコードを聴く参加者たち

今は進学と同時に東京の西側に住んでいるが,最初「静かすぎて眠れない」日があった.今日まちを歩いていてなんか「落ち着く」っていうか.音をテーマにした企画だからそれを意識しながらこのまちを歩いたら,「うるさい」というよりは「帰ってきたー」って感じ.「音」も含めて自分の「地元」だったんだと再認識した.しかもそのざわめきを皆さんが愛情を持って接してくれていることに,ずっと住んできた立場としてすごく感動した.(千住出身の大学院生)

私は千住に65年住んでいるが,千住は自宅に樹を植えてらっしゃる方が多いので,まちの真ん中を歩いていても虫の音が聞こえる.それを残したい.一方で北先住駅にいるストリートミュージシャン.規制があってちょっと大きな音を出したらすぐに交番の人が来てやめさせているが,私はあの文化はいいと思っている.ああいう音も拾えれば.(70代の千住在住者)

あちこちでレコードを聴きながら歩くと,音が気になるようになって.自転車が通り過ぎたり,お買い物している親子の会話を聴いたり.誰かの生活の中に染み込んでいる音がレコードに封じ込まれている.そんな印象を持った.「知らないまちに音を聴きに行く」って視点は,街全体に関心がいく感じがした.(近々千住に転居予定のご夫婦)

図3 「聴きめぐり千住!-レコード片手にまちをめぐる-」にて,地元の神社で振り返り座談会を開催

この「聴きめぐり千住!」というイベントでは,こんな風に「レコードを聴く」という感性の体験と,その音を通じて「まちの魅力を再発見する」ことがセットになっていることが,わかっていただけるのではないだろうか.

さて,この千住というまち,行ったことがある人ならわかるかもしれないが,大学の進出も相次ぎ,とにかく若者も多く賑やかだ.それでいて老若男女多様な層が行き交っていて,最近では住みたい街ランキング上位にあがるようなまちである.しかし,この一見すればあまり問題のなさそうなこのまちでこんな文化事業をやる背景も,掘り下げればある社会問題にぶち当たる.「千住タウンレーベル」の主催団体である,NPO法人音まち計画が設立された発端には,実は2010年に千住で「111歳男性(報道当時)」が白骨化した状態で発見された事件も関わっている.高齢者が戸籍上では存在していることになっているが,実際には生死の確認が取れなくなっている問題(高齢者所在不明問題)の発端になった事件であり,いわゆる「無縁社会」という言葉が世間に広がったきっかけの事件でもある.昔から下町ならではの人情や絆の強いまちとして語られてきた足立区において,こういった事態になってしまったことは,住民にも強い衝撃を持って受け取られたことだろう.そこで,足立区は,2006年にオープンした東京藝術大学千住キャンパスとも連携し,文化芸術を通じた住民同士のつながりづくりに着手.その母体として,NPO法人音まち計画が誕生した.

プロジェクトを進める上で,NPOのスタッフも筆者も,ことさらにこの背景を語ることはほとんどない.でも,こういった「社会的課題」を直接的に解決するわけではないかもしれないが,一人ひとりの「私」がどういう存在であるかを「表現」し,「まち」に関わるこのプロセスにおいてこそ,ただ単に「いざとなったら困るからつながろう」という「目的ありきの絆」ではない,緩やかな連帯が生み出される可能性もあるのではないかと,筆者は強く思っているのだ.

2.3 生き延びるために必要なのは,「言葉」だけではなく「表現」

東京のダルク女性ハウスのメンバーを対象とした音楽ワークショップをしたことがある.ここは,薬物・アルコール依存症や摂食障害の体験を持つ女性の回復のための施設だ.当事者研究を取り入れながら定期的にミーティングを行い,また外部からアーティストを招いて表現ワークショップも開催している.2015年夏に代表の上岡陽江氏からお声かけいただき,東京都北区のとある集会場で,20数名のメンバーで実施.テーマは「思い出の曲に前口上をつける」というものだった.前口上とは,曲のイントロ箇所に司会者が「浮き世舞台の花道は〜 表もあれば裏もある〜 それでは歌っていただきましょう!」と七五調で節をつけながら語るものだ.まず2人1組のペアになり,相手の音楽にまつわるエピソードを取材し合う.そして,自分ではなく相手の好きだった曲に,そのエピソードを踏まえて前口上をつけてあげる.最初は「一体何が始まるんだ?」と緊張気味で,怪訝な表情で筆者の様子を窺っていたメンバーも,徐々に場の緩やかな空気に馴染み,スマホやCDデッキなどで音楽を聴かせ合いながら,話が盛り上がってくる.最後は,創作された前口上を,その曲とともにラジオ番組風に筆者がディスクジョッキーよろしく紹介し,会場は時に爆笑,時に優しい笑みと相手に対する親しみの気持ちに包まれていった.

実は,ダルク女性ハウスでのワークショップにおいて「記憶」を扱うことは,かなりの慎重さが求められた.事前に上岡氏から聞かされてはいた話だが,過去の記憶を直接的に話すことは,ややもすれば辛い体験へとフラッシュバックする状況も想定されるのだ.しかし,そこは上岡氏を中心にスタッフが細心の注意を払いながら丁寧に分け入りつつ,筆者も言葉で語られる体験の内容だけに場が引っ張られないように,最初にライブ演奏を交えたりすることで,リラックスできつつもいい按配のステージ感(非日常な空気)を意識的に立ち上げるなど,できるだけデリケートに工夫をした.また,メンバーは普段からカラオケが好きであることも事前に聞いており,筆者も漏れなくカラオケ好きだが,ただカラオケボックスに行って歌うだけでは「対話」は生まれないだろう.音楽ならではの「感性の経験」と,「○○さんはなんでこの歌が好きなの?」という,その分かち合いのプロセスとが絡み合った時にこそ生まれるコミュニケーションをこそ意識したのだ.

上岡氏とは,これまでも何度か「表現とケア」にまつわる対話を重ねてきた.その中でも,筆者が以前,KBS京都ラジオでパーソナリティを務めていたラジオ番組「Glow 生きることが光になる」(2015年12月4日放送分)*5で彼女の発した「私たちは表現しないと“やられちゃう”」という発言が強く印象に残っている.彼女によれば,依存症の女性たちの約85%は暴力の被害者であり,その体験の内容は想像を絶するような,とても信じられないような,また他人にはとても話せないようなものが多いと言う.その中で,当事者だけでなくダルク女性ハウスのような支援者も含めて,その「語られなさ」から社会的に孤立していく経験を何度もしてきたのだと.だからこそ,言葉だけに頼らずに何かしらの方法で「私」を「表現」していくことは,彼女たちにとって社会とつながりながら生き延びていくための試行錯誤そのものなのだ.

図4 ダルク女性ハウスのメンバーと行った音楽ワークショップ「歌は世につれ世は歌につれ 君の記憶に華が咲く」の様子

3. 試論

学校,街場,福祉など,異なる背景を持った取り組みを紹介してきたが,そのどれにも息づいているのは,(筆者の場合はとりわけ音楽という)「表現」を軸に,じわじわと「他者」や「まち」へとつながっていく,その「コミュニケーションの回路」だ.それらは,「過疎」や「無縁」や「疎外」といったいわゆる「社会的課題」に対する「ソリューション」としては,相当回りくどく,そもそも「目的地」にたどり着けるのか?という,ツッコミどころ満載の取り組みだとは思う.しかし筆者は,実はその「回り道」のプロセスで,見出されていく「風景」に,とても可能性を感じている.

学校現場でのコミュニケーションを円滑にしたい,商店街を元気にしたい,福祉現場を地域に開いてつながりたい.まちにはいろんな「目的」があり,常識で言えば「論理的」に「まちに役に立つこと」をなんとか探そうとするだろう.それはそれでもちろん構わない(筆者は「地域活性」や「まちづくり」と言われる仕事を否定するつもりはない).そのうえで「目的地」までの「王道」を見つけたり,無駄なことを省く「近道」を見つけることを重視するかもしれない.誰だって「最短ルート」を好むものだ.しかし,筆者は自分が関わってきた場づくりの現場から,あえてこう問うてみたい.「それって“私”にとって心からワクワクするのか?」と.「“私”にとって本当に面白いのか?」と.この「私」にとっての「ワクワク」という感覚は,理屈ではなく「感性」によるものだ.その感覚から立ち上がるアクションは,時として「無意味」や「無目的」に映ることだってあろう.しかし,ひとりの「ワクワク」を別のひとりへとシェアしていくプロセスが積み重なることで,そこには「王道」や「近道」を通っているだけでは決して立ち会うことのできなかった「隠れた絶景」が浮かび上がってくることがある.「寄り道」,「回り道」をしていく中で,人は「他者」とこれまでになかった関係性を結び,これまで気付かなかった生活現場の魅力を発掘し,「まち」と出会い直していく.その時点で,気がつけば当初想定していた「目的地」を超えた地平へと辿り着いてしまうこともあるだろう.

シニア世代のある人は,自分の余生の趣味として自宅で陶器の展覧会を開き,いつしかその場所が地域の集いの場として認知され,まちづくりのハブになっていく*6.また会社勤めのある人は,地域でのアート活動に目覚め,とある農家さんとの出会いをきっかけに地元の野菜を使ったワークショップを企画し,見知らぬ人同士をつなぐ役割を果たしていく*7.また福祉現場で働くある人は,障害のある利用者が始めた音楽活動を手伝う中で,これまで出会わなかったアート関係者や先駆的な福祉の仲間と次々に出会い,自らの仕事のあり方を広く深く捉え直していく*8.かくいうただのしがないバンドマン兼フリーターだった筆者自身が実はまさにこういったプロセスを経て,これまで出会えなかった「他者」とつながり,「まち」や「社会」との「私」なりの接点を構築していった最たる例なのだ.

もちろんそれらは結果論かもしれない.しかし,結果論だけで終わらせるにはあまりにももったいない,他の経験にも代えがたい濃厚なコミュニケーションプロセスが,確かに存在している.その道のりを筆者は「他者(まち)」への「迂回路」と言い表してみたい.「迂回路」であるがゆえに,思い切ってグネグネと時間をかけて冒険することを恐れず,もっと自由に「私」なりの方法で「他者(まち)と関わるためのやり方=表現」を発明してもいいのではないか.そして場合によってはその発明が,他の人を「僕もそうやってまちと関わってみたい」「面白そうだ!」といったようエンパワーメントしていくきっかけにだってなるのだ.

4. おわりに

さて,本稿では,筆者の3つの実践事例を通じて,「アート(表現活動)」がもたらす,課題解決先行型ではないコミュニティデザインから立ち上がる「他者」や「まち」との新たな出会い方,関係性の紡ぎ方について記してきた.あくまで事例報告として,理論的な考察をせずに自由に書かせていただいたが,とりわけ「音楽」という表現と「記憶」というモチーフを組み合わせることによって立ち上げて来た筆者の研究に関しては,昨年出版した拙著(アサダ 2018b)をぜひ参考にしてほしい.今後は「迂回路」というキーワードを通じて,より多様な分野(とりわけ障害福祉分野や震災復興分野)での実践を広げ,またこうした言語化にも努める所存だ.

著者紹介

  • アサダワタル

1979年生まれ,大阪出身東京在住.アーティスト,文筆家.自称“文化活動家”.滋賀県立大学大学院環境科学研究科博士後期課程満期退学,博士(学術).オフィス事編kotoami(東京都小金井市)代表,大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員.音楽や言葉を手立てに,人々の生活・コミュニティときわめて近接した共創的表現活動の実践と研究に取り組む.これまで神戸女学院大学,立命館大学,京都精華大学等で「芸術と社会」に関連する科目(アートマネジメント,文化経済論,ソーシャルデザイン等)を担当.著書に『住み開き—家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)『コミュニティ難民のススメ—仕事と表現のハザマにあること』(木楽舎),『想起の音楽—表現・記憶・コミュニティ』(水曜社)等多数.

*1  「表現活動は社会活動.記憶を呼び覚ます音楽の力でコミュニティに働きかける.」,『北のとびら』(113) 北海道文化財団,2017を参照. https://haf.jp/uptobira/113.pdf, last accessed on Feb. 12, 2019.

*2  例えば熊倉純子(監修)『アートプロジェクト (芸術と共創する社会)』水曜社,2014などを参照.

*3  アサダワタル「音楽を「使いこなす」ポピュラー音楽を用いた コミュニティプロジェクトについての研究」(査読付き投稿論文),『アートミーツケア』(6),アートミーツケア学会,2015を参照.https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=123985, last accessed on Feb. 12, 2019.

*4  例えば冨山紗瑛「〈千住タウンレーベル〉とは? レコード片手にまちをめぐらせる,アートプロジェクトのもくろみ,『colocal コロカル』,マガジンハウス,2018を参照.https://colocal.jp/topics/art-design-architecture/local-art-report/20180412_112393.html, last accessed on Feb. 12, 2019.

*5  アーカイブが以下で聴くことができるので参照.「第114回 上岡陽江・坂上香『表現と居場所の関係 生きづらさを現す別の仕方』(2/2),KBS京都ラジオ「Glow 生きることが光になる」,2015.http://www.no-ma.jp/test/wp-content/themes/new-noma-test/radio/radio_114.mp3, last accessed on Feb. 12, 2019.

*6  石川市能見市の寺井地区の庄川良平さんの取り組み「私カフェ」がその例.余談だが,本稿執筆のもとを辿れば庄川さんとの出会いがある.以下のフェイスブックページを参照.https://www.facebook.com/watakushicafe/, last accessed on Feb. 12, 2019.

*7  東京都小金井市でのアートプロジェクト「小金井と私 秘かな表現 想起の遠足」に参加した市民メンバーのアクション.「まちに暮らす人と出会うこと,まちそのものと出会うこと」,『小金井アートフル・アクション!2009−2017「やってみる,たちどまる,そしてまたはじめる」』,2018を参照.https://artfullaction.net/wp-content/uploads/2018/08/artfullaction2009-2018.pdf?t=1549332444473#googtrans(null), last accessed on Feb. 12, 2019.

*8  「雨上がりの虹を,町に.——「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」がつないだもの」,熱海ふれあい作業所ホームページ,2018を参照.http://atamifureai.com/ameniji1-5/, last accessed on Feb. 12, 2019.

参考文献
  •   アサダワタル(2012).住み開き 家から始めるコミュニティ,筑摩書房.
  •   アサダワタル(2018a).その「地域」にだけ「流通」する「音楽」は可能か?――東京都足立区「千住タウンレーベル」の試みから.現代思想,46(5).
  •   アサダワタル(2018b).想起の音楽 表現・記憶・コミュニティ,水曜社.
 
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