2019 年 6 巻 3 号 p. 30-34
自動車や公共交通を中心とするモビリティ業界は,「100年に一度の大変革の時代」にあるとされ,移動を取り巻く産業構造やユーザーの移動のあり方が急激に変化している.従来の鉄道,バス,タクシー等に対して,近年はシェアサイクルやカーシェアリング,スマートフォンによる配車サービス(ライドヘイリング),デマンド型交通(Demand Responsive Transit: DRT)などのスマートフォンやICTを活用した新しいモビリティサービスが数多く登場している.さらには,それらを統合する“Mobility as a Service (MaaS)”の登場により,さらに広い範囲でモビリティのあり方が変わろうとしている(図1参照).
欧州MaaS Allianceによれば,MaaSとは,「幅広い種類の交通サービスを一つのサービスとして統合し,ユーザーが必要なときに自由にアクセスし選択できるようにするもの」*1とされる.MaaSを通じた各交通サービスの検索や予約,決済の統合によってユーザーの移動が便利になるだけでなく,他の様々なサービスや機能と組み合わせて最適化することで,ユーザーの行動を変化させ,新たな価値創出を促すことができるものとして,注目を集めている.
海外では,欧州を中心とする数多くの都市においてMaaSの社会実装が進展している.例えばMaaSの概念提唱がなされたフィンランドでは,2016年からはMaaS Global社製の“Whim”が首都ヘルシンキで運用されているほか,地方都市Hameenlinnaや観光都市Yllasなどの都市でMaaSに関する実証が行われている.また,ドイツでは,自動車メーカーのDaimler社の子会社のmoovel社(現REACHNOW社)がカーシェアリングやタクシー配車,鉄道と連携したMaaSの展開を行っており,ドイツを超えて欧米各地で導入が進んでいる.
これらの海外動向を受け,国内においてもMaaSへの注目が高まり,各所で取り組みが開始された.国土交通省は,2019年からMaaS等の新たなモビリティサービスの推進を支援する「新モビリティサービス推進事業」の公募を開始し,全国の牽引役となりうる先行モデルを19事業選定し,取り組みの実現に向けて支援を開始した.経済産業省も新しいモビリティサービスの社会実装に取り組み,事業計画策定や効果分析に協力するパイロット地域を選定し,各地の取り組みが効果的な社会実装に繋がるよう支援を行っている.


ここでは,日本におけるサービス展開のあり方について考察を行うための前提として,MaaSに関する海外の先行事例としてWhimの事例を取り上げ,その内容とサービス上の特徴について考察する.
MaaS Global社が展開するWhimは,MaaSの概念普及を進めた先駆的サービスとして有名である.フィンランドでは,都市活性化やCO2排出削減の観点から自家用車利用を削減する政策をとっており,2015年には「2025年までに自家用車を所有する必要がない街にする」という構想も検討された.
これらの都市としての方向性を捉え MaaS Global社も「自動車所有の削減」をサービス展開の狙いとして掲げている.伴って,Whimのサービスもこの「自動車利用の削減」を強く意識した設計となっている.
Whimのサービスの第一の特徴は,案内・予約・決済の統合である.従来,交通機関やモビリティサービスを乗り継いで移動する場合,個別の交通サービス毎に乗り場を検索し,毎回必要なカードや金額を財布から出して支払いを行うなど,移動体験は不便なものであった.これに対して,Whimは,経路検索や予約,決済を一つのアプリでシームレスに一括で行うことで,検索や支払いの手間をなくすことを実現している.
第二の特徴は,定額サービスの展開である.Whimの三つの料金形態のうち,“Whim Unlimited”と呼ばれるサービスは,月額499ユーロ(約6万円)で公共交通機関,タクシー,レンタカーなどの連携するすべてのモビリティサービスを乗り放題*2とするサブスクリプションモデルである.これは,マイカーの所有を考えているユーザーに対して,マイカーを所有するより安い価格で幅広い移動サービスを提供し,ユーザーに対して自家用車に代わる新たな選択肢を提示している.
これらの二つのサービス設計の特徴に見られるように,Whimのサービスは,ユーザーが自家用車を手放してモビリティサービス+公共交通の移動行動に移行することを後押しすることを意図している.
実際にMaaS Globalが公表したデータによると,Whim利用者の移動手段の内訳において,自家用車の利用が40%から20%に減少し,公共交通の利用者が48%から74%へ増加するなど,ユーザーの行動に変化が現れている.このデータは,MaaSのサービス利用を通じてユーザーに行動変化を生じさせ得る事例として世界に伝播し,MaaSのコンセプトの普及を進めるものとなった.

以上のようにMaaSは「様々なモビリティサービスをユーザーにとって一つのサービスにしていく」という概念であるが,そのサービスのあり様は多様であり,地域に応じて様々な観点からそのサービスの内容を考える必要がある.
例えば,前述のフィンランドのWhimは,「自家用車を手放した生活へ移行すること」をMaaS実装の目標とし,そのコンセプトを実現するために,「公共交通やオンデマンド交通の組み合わせによって,自家用車と同等のユーザー体験を実現する」ような機能的な利便性を重視したサービス設計を行っている.ここで,どのエリアでもWhimと全く同じモデルで行えばよいわけではなく,その実装エリアの社会課題や事業特性,交通分担率などの前提条件や交通状況に応じて,国や都市,エリア毎に適切な目的設定やサービス設計を行う必要があると考える.次項では, MaaSのプラットフォームの構造整理を行った上で,アプリレイヤーにおけるMaaSの価値創出のあり方についてサービスの視点から分析を行う.
3.1 MaaSとプラットフォームとしての構成MaaSとそのプラットフォームは,大きく三つのレイヤーで構成される.
である.プラットフォームレイヤーの機能は,異なる交通機関のシステムやデータを共通化し,予約・決済を統合して管理することである.また,海外では,交通事業者を跨いで統合された交通データやユーザーデータを用いて,動的な人流予測や交通制御を行う開発事例もありプラットフォームレイヤーの機能によって上位のアプリケーションの機能も変わってくる.ここで多様なMaaSのサービスを誕生させるためには,データ接続レイヤーやプラットフォームレイヤーにおいて,データ相互連携の仕組みづくりや共通基盤化を行うことが有効となる.異なるアプリを実現する際に,プラットフォームのレイヤーでは共通基盤を活用し,その構築コストを複数の主体でシェアしていくこと(すなわち協調領域の設定)が重要となる.協調領域があるからこそ,個別事業者がその上の競争領域でアプリの開発やサービスの創意工夫に集中でき,結果としてよりよいサービスの社会実装に繋がっていく.つまり,MaaSのサービスとしての価値創出が行われるのは,基盤の上に成り立ったサービスレイヤーにおいてであり,このサービスレイヤーにおいては,様々な切り口からサービスの設計を行うことができる環境が重要となる.
3.2 サービスとしてのMaaSの分析そもそも人の移動行動は,主に移動に求める価値の違いから「①機能的移動」と「②体験的移動」に分類することができる.さらに,②体験的移動は,「②-1着地点に価値を感じる体験的移動」と「②-2移動行動自体に価値を感じる体験的移動」に細分類され,それぞれで移動の目的や移動手段の選定基準が異なると言える.
まずは,通勤通学などの日常生活の中で行われる「①機能的移動」がある.いわゆる「安い,早い,楽」などの機能的な価値で交通手段が選択されるもので,前述のMaaS GlobalのWhimの事例は,この機能的移動の切り口からサービスを開発している典型例である.
次に「②-1着地点に価値を感じる体験的移動」がある.例えば,観光旅行中にお土産店からホテルへ向かう際に「電車よりも時間はかかるがバスの停車地点の風景が有名なバスで移動しよう」という選択を行う場合などが該当する.体験を得ることを目的とした行動であるため,機能的な移動とは異なる移動手段を選択することが増える.
最後に,「②-2移動行動自体に体験価値を感じる体験的移動」がある.例えば豪華客船に乗る,快適な高級車や魅力的なデザインの自動車に乗るような場合で,この場合のモビリティは,移動手段でありながらも移動目的としての意味合いも持つことになる.
ここで,その分類を活用して既存の事例を分析する.Whimの事例に典型的に見られるように,MaaSというと機能的移動に主軸を置いたMaaSが多い一方,観光促進を目指す自治体や交通事業者は,機能的移動と体験的移動を組み合わせてサービスの企画,提供を行っている.
ここで具体事例として,青森県弘前市の取り組みを紹介する.弘前市は,重要文化財である弘前城,洋風建築や武家屋敷などのレトロな建物が入り交じる情緒深い町並みなどがあり,インバウンドの観光客も年々増加している.ここで提供されているサービスは,津軽エリアのJR線,弘南鉄道,津軽鉄道,弘南バスが2日間乗り放題になる観光客向けチケット「津軽フリーパス」である.チケットとセットで配布される小冊子には,利用可能区間のバス・鉄道の時刻表,地図,路線図,飲食店・観光施設の案内や割引券などの多彩な情報が掲載されており,目的地までの移動手段の検討,交通機関への乗車,移動先での飲食や観光などを行うことができる.切符型のフリーパスと小冊子であるため,スマホを用いたオンラインでの検索は難しいが,サブスクリプション型の乗り放題,地図,時刻表といったMaaSと同様の機能が実質的に網羅されており,スマートフォンを用いずにMaaSの情報提供や予決済機能を統合したパッケージとなっている.
また,弘南鉄道大鰐線は,利用者減の対策として,公式Webサイトや駅構内の張り紙を通じて電車に乗り慣れないユーザー向けに「電車の乗り方」を案内したり,地域住民や行政と共に沿線の魅力を伝えるガイドペーパーを作成したり,車内の吊り革を地元の名産品であるりんごモチーフにアレンジしたりと,機能的移動と体験的移動の両立の実現に向けて工夫を行っている.
さらに,津軽鉄道は,昔ながらのだるまストーブを乗せたレトロな列車に乗って雪景色を眺めたり,ストーブで焼いたスルメや日本酒を楽しんだりできる観光列車「ストーブ列車」が有名である.シーズン中の土日は混雑で乗車できないこともあるほどで,まさにモビリティに乗ることでの感動を得るための体験的移動である.
最後にMaaS Tech Japan社も参画する北海道の上士幌町の事例を紹介する.とかち帯広空港から約70kmの場所にある上士幌町は,日本一広い公共牧場「ナイタイ高原牧場」と牧場を見下ろすことができるガラス張りの「ナイタイテラス」,自然の中にある静かな温泉地「ぬかびら源泉郷」,糠平湖の水位が下がる季節のみ姿を現す高架橋「タウシュベツ川橋梁」など,旧国鉄士幌線の鉄道遺産を有する観光地である.一方で,鉄道路線が存在せず,地域住民の生活のためのバス路線が存在するのみであり,観光拠点と市街地をつなぐ公共交通が存在していないなど,観光客向けの交通課題を抱えている. これらの課題を解決すべく,自治体を中心に立ち上がった「生涯活躍のまち上士幌MaaSプロジェクト」では,自動運転バスの導入とMaaSアプリの活用の実証実験を行う.2019年秋にリリース予定の上士幌町向けMaaSアプリは,レンタサイクル,路線バス,カーシェアリングなどを組み合わせたマルチモーダルな経路検索や移動手段の予約などの基本機能に加え,例えば環境負荷低減など,街の課題解決に貢献した移動手段を選択した際にエリア内の施設で使用できるポイントを付与する機能を実装する.インセンティブにより,単なる機能的移動に体験価値を付与することで,ユーザーが移動を楽しみながら,街のための移動手段に切り替えてもらいやすくする仕組みとしている.エリア内でのポイント利用制度はユーザー満足だけでなく,買い物や観光施設誘導でエリア内の経済活性に繋げるため,ユーザーと自治体両者にメリットがあるような設計としている.
このようにMaaSによる機能的移動,体験的移動に対するアプローチは多様な形が想定され,多様な地域やユーザーにマッチしたサービスを実現するためにもサービスを作りやすく創意工夫が可能となるような体制が重要となる.

本稿では,MaaSの基本的な概念や典型的な海外のサービス事例を紹介した上で,人の移動行動の分類を行った.特に海外においては「機能的移動」に特化したMaaSが注目される中で,国内事例の分析を通じて「体験的移動」を訴求するMaaSの可能性について考察を行った.
国内事例の分析に見られるように,MaaSのサービスとしての価値創出の切り口は多様であり,今後多様なMaaSサービスの出現が期待される一方,サービス開発には多くのコストを要するため,基盤となるプラットフォームレイヤーでは,その機能の共通基盤化が求められる.プラットフォームレイヤーとしては,効率性や安定性,拡張性が求められる一方,サービスレイヤーでは,地元のニーズや対象とするユーザーに基づいたカスタマイズが必要となる.
日本において価値あるMaaSを実現するためには,共通的・協調的なコンセプトをもったMaaSプラットフォーム基盤の実装を行い,その基盤の上で多様なプレイヤーが体験価値を提供することが必要である.筆者らはそのような取り組みこそがMaaSにおいて行うべきサービスデザインが促進されユーザーや都市に価値を提供できるもの考え,今後もMaaSの社会実装に向けて取り組んでいく.

2005年,鉄道会社に入社.ICTを活用したスマートフォンアプリの開発や公共交通連携プロジェクト,モビリティ戦略策定などの業務に従事.14年,東京大学学際情報学府博士課程において,日本版MaaSの社会実装に向けて国内外の調査や実証実験を実施.現在は,MaaS Tech Japanを立ち上げ,日本国内での価値あるMaaSの実現を目指す.共著に『MaaS モビリティ革命の先にある全産業のゲームチェンジ』(日経BP社)がある.

東京大学卒業後,世界最初のコンサルティングファームのアーサー・ディ・リトルに入社.IT・ICTやモビリティ分野を中心とする幅広い業界の経営コンサルティングに従事.マネジャーとしてMaaS・モビリティに関する事業戦略策定,M&A,組織計画・運営,政策立案をリード.2019年よりMaaS Tech Japan COOに就任.

調査会社のリサーチャー,人文系専門書担当の書店員,芸能プロダクションのオンデマンド配信ディレクター/Webディレクター業務に従事.大手企業のWebサイトの構築,運用チームのプロジェクトマネジメントなどを担当.ライフワークである国内ひとり旅や秘境駅巡りを行う中でITを用いた交通課題解決に興味を持ち,MaaS Tech Japanに参画.