日本原子力学会和文論文誌
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論文
原子力発電所のプラント・ライフ・マネジメントの実効性向上における意思決定に関する研究
田中 秀夫村上 健太
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2024 年 23 巻 3 号 p. 64-73

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Abstract

Incentives for decision-makers to continue investing resources in the safety improvement of the existing nuclear fleet are studied. On the basis of a broad survey of studies related to decision-making, two approaches are selected: one is the seven-step process to identify the “red flag” that makes a decision-maker biased and the other is to have a risk management system outside the organization, the so-called “forum for deliberation”. These were hypothetically applied to a case study on tsunami countermeasures; the results suggested that they were effective to a certain degree. These mechanisms are considered to be a booster when trying to maintain human resources related to safety improvement without reducing resources, even in a difficult business environment. The implementation of these approaches in consideration of the current organizational structure is discussed.

I. 緒言

長期運転を含む原子力発電システムのプラント・ライフマネジメント(以下,PLMと略す)には,「供用期間中におけるプラントの安全性,設備の信頼性,効率的な運用の3点が,継続的に改善できること」が重要である1。このうち,設備の信頼性と運用の効率性は電力事業の経営指標と直結しているので,株主等による監視を受けることができ,経営者もリソースを投じやすい。一方,安全性向上は,トラブルが未然に防がれている間は経営への影響が顕在化し難いという性質をもつ。いつ顕在化するかわからない課題にリソースを投じることの困難さは,多くの業界で指摘されている。したがって,長期運転を含むPLMを進める際にも,経営者が株主等の同意を得ながら自主的に安全性向上にリソースを投じることに困難さを覚えることが予想される。実際,原子力規制委員会(以下NRAと略す)の継続的な安全性向上に関する検討チームは,2021年7月の「議論の振り返り」において,「事業者が欠けを見い出すインセンティブには限界があり,自主的には決して発見しようとはしない欠けが存在するのではないか」2と懸念を示している。“欠け”という語は,原子力発電所の保安活動で取り入れられていない知識の総称として,検討チーム会合の中で繰り返し使われており,「存在は認識されているが不確かなリスク(known unknowns)と,存在さえ認識されていないリスク(unknown unknowns)の2つに大別される」と整理されている。

筆者は,PLMにおいて自主的に安全性の継続的な改善を行うべきことを事業者内に浸透させる取り組みを続けるなかで,コンセプトをコマの形でFig. 1のように模式的に表すことを着想した。含意は次のとおりである。まず欠けを発見,または認識するために,定常的なリソースを割く必要がある。一方,欠けへ対処するためには新たにリソースを投じることが必要になることが多く,それには経営者の意思決定が介在する。多くの課題において,これら3つの要素は分離したプロセスとなっており,別の個人またはグループが担当することになる。しかし,事業者としては,この“改善のループ”を常に回し続けることが重要である。例えば,欠けの認識が遅れると,対処方法の検討に時間的余裕がなくなるので,東京電力福島第一原子力発電所(以後,1Fと呼ぶ)事故後の新規制基準への適合に際して欧米とは桁違いのリソースを投入3したような状況が再現され,経営が圧迫される。改善のループを止めないことは持続可能な企業の特徴とされているが4,市場環境や競争条件に応じて,バランスを保ちながら長期運転を維持するには,改善のループが特に必要となる。

Fig. 1

Improvement cycle for enhanced safety

筆者の最初のモティベーションは,Fig. 1に示す改善のループを事業者の活動の中に実装していくに当たり,後押しとなる理論体系や方法論を見い出すことであった。前述のとおり,意思決定の部分は,電力事業の厳しい経営環境を踏まえると,改善のループのなかでも特に難しい要素である。ただし,原子力発電事業に限定しなければ,不確実さの大きな意思決定を支援するための方法論は数多く研究されている。そこで,まずは幅広い分野からレビュー論文や研究論文を集め,改善のループを回すことを後押しするための具体的な方法を着想することにした。これらを実社会で直ちに試行することはできないので,よく知られた事例を使って仮想的に試行することとし,複数の手法と事例を組み合わせて検討を重ねた。本研究の目的は,先述の思考実験を重ねて考案された安全性向上に資する意思決定を後押しする具体的な方法論を仮想的な状況下で試行して,有効性の程度を検証し,実装できるような“仕組み”として示すことである。II章では,調査対象とした多様な先行研究を俯瞰し,Fig. 1の改善のループを回すのに役立つ具体的な手法を大別する。III章では,それを1F事故前の津波対策の状況に仮想的に当てはめる。そしてIV章でその有効性と限界を議論する。試行のプロセスを形式知化することにより,リスク情報を活用した意思決定プロセスの標準化における参照事例となることが期待される。

II. 実用的な手法を含む既往研究の調査

文献調査では,経営工学と科学技術社会論を中心に,“原子力安全”,“意思決定”,“リスク認知”等をキーワードとして網羅的に探索して100件余りの文献を収集し,それを次の観点から分析した:①“欠け”を認識してそれを埋めるための積極的な行動を促すのに役立つか;②具体的な方法論に落とし込めそうか;③PLMとの相性はよさそうか。さらに,研究内容を類型化して,それぞれについて具体的な方法論へと落とし込むための考察を加えた。

1つの類型は,意思決定者個人が,個性や思い入れ,認知バイアスを有することを前提として,それへの対応を具体化するアプローチである。例えば,カーネマンは,人間は自分の直感を制御できないが,合理的思考によって他人の直感の欠陥を指摘してその判断を改めることができるとし,企画提案者の認知バイアスを明らかにする「12の質問からなるチェックリスト」5を開発している。キャンベルは,「誤った意思決定は,影響力の大きい個人の判断ミスに端を発している。優秀なリーダーが判断ミスを犯す要因は『3つのレッドフラッグ』で説明できる」6と述べている。前者は提案者の提案に認知バイアスが入っていないのかを最終意思決定者が確認する方法を示すのに対し,後者は最終意思決定者自身の認知バイアスをチェックする手順を示しており組織内部の監査的なニュアンスをもつ。ただし,これらの研究は,意思決定者が客観的な指標だけに基づいて意思決定できるとはしておらず,経営者および組織が身に着けるべき資質に言及することが多い。例えば,野中は長寿企業の分析を通じて,企業の事業活動が何十年も長く継続していくために,リーダーが“賢慮”とでもいうべき行動様式を培うことの重要性を指摘している4

別の類型は,村上が安全学の文脈の中で提案している“組織外からのリスク管理の枠組み”7に代表される取り組みである。これは,知識に不確実さがあることを前提とし,事業者の外部の知見や意見も利用しながら,公共的な意思決定を行う方法を論じたものである8。具体的な知見の収集方法としては,市民参加の公開討論会を提案するものが多い9が,木原は「現実の政治を作り出している垂直的な『権力』の働き」を分析する必要性を説いている10。市村は,1F事故前後での原子力の“制度”の変化を分析し,立地自治体が制度の“耐外生的ショック性能”を高め,住民に対してリスク管理者として安全を保証する役割を果たしたことを指摘している11。組織外からのリスク管理の枠組みを機能させるためにはリスクを可視化する必要があり,可視化の不足が新知見の活用を阻害しているとの指摘もある12。寿楽は,1F事故は松本がいう構造災の変種と位置付けている13。「構造災」とは,間違った先例の踏襲,系の複雑性と相互依存性による問題の増幅,逸脱の常態化,対処療法の増殖,連鎖する秘密主義の5つで特徴付けられるものであり14,安全関連の情報に関して秘密主義が連鎖したことを厳しく指摘している。桜井が指摘しているとおり,PLMの文脈では,高経年化技術評価の枠組みのなかで,原子力の他の分野と比較してリスクの可視化に積極的に取り組まれてきたが15,その検討の中にシビアアクシデント対策のような安全要件を見直す知見が含まれなかった点は留保が必要である。外部からのリスク管理の仕組みとして強い影響力をもつものが,司法判断である。最近の破局的噴火に関する司法判断では,「国民の大多数はそのことを格別に問題にしていない」16という“社会通念”を根拠にした判例も出ており,国民の主観に配慮した意思決定の重要度が増すことが予想される。

III. 安全に関する意思決定を支援する仕組みの試行

1. 思考実験の方法

これまでの議論をまとめると,安全に関する意思決定を支援するための仕組みには,組織内部において認知バイアスを指摘するための“仕組み”と,組織外からのリスク管理の枠組みを機能させるための“仕組み”の2つが重要であると考える。具体的な手順としては,前者はキャンベルのレッドフラッグ法6を,後者は旧規制体制下での高経年化対策に関連した情報共有の仕組みを,それぞれベースとして,具体的な実装方法を検討した。

“仕組み”の有効性を検証するための仮想的な事例として,1F事故前の津波対策に関する意思決定を取り上げる。これを選んだのは,事故調査や訴訟等を通じて意思決定の過程が相当程度まで公開されているからである。1F事故の概要を詳細に説明することはしないが,意思決定の構造と,利用できた可能性のある知見は次のようにまとめられる。東京電力において,津波対策に関係する“知識の欠け”のマネジメントは,組織内の複数の部門で実施されていた。経営層は安全対策に関するハイレベルな意思決定を行う責任があり,津波対策に関する付議を受けていた。設備管理部門は,プラントの設備投資に関わる意思決定の権限の一部を委譲されており,部門の長は経営層に安全対策を付議する役割を有する。土木調査グループは設備管理部門の下にある組織であり,政府の地震調査研究推進本部(以後,地震本部)の長期評価等を踏まえて津波対策の向上を検討していた17。一方,品質・安全部門は,設備管理部門とは別の組織であり,アクシデントマネジメント手順の整備や,事故の誘因となり得る事象の研究等を行ってきた18。津波予測として,2002年の地震本部の長期評価は存在した。ただし1F事故に至るまで,地震本部または中央防災会議が,福島県沖でプレート間地震津波の波源モデルを設定することはなかった。中央防災会議をもとにした福島県と茨城県の津波予測図は公開されているが,1Fの位置における想定津波は当時の設計範囲内である19。過去の歴史的な津波に関する知見は拡充されつつあり,波源モデルを振った津波シミュレーションが実施され,その結果は規制当局と共有されていたものの,公開ではなかった。品質・安全部門は,規制当局と溢水勉強会を開いて,敷地高さ+1 mの津波の影響を評価し,対処すべき箇所について可視化したものの,公開はされていない20

PLMの失敗とは,適切に改善を実施していたつもりであるにも関わらず,予定された供用期間に至る前に廃止措置を選択せざるを得ない状態である。したがって,仮に前述の時系列において1Fが東日本大震災の津波に襲われなかったとしても,対応できないレベルの規制要件変更が生じるならば,PLMの失敗と判断される。思考実験では,津波に関する知見に変化が認められたときの実際の事業者内部および外部における活動と,2つの“仕組み”が存在したと仮定したときに予想される振る舞いとを比較し,“仕組み”が津波に関係した安全要件を見直すように事業者の経営層等を動かすのに役立っただろうかという問いを検討する。まず(1)項で前提条件となる実際の活動を整理し,(2)項では仕組みの存在を仮定した振る舞いを記載する。そして(3)項で両者の比較から得られた知見を説明する。

2. 認知バイアスを予防するレッドフラッグ法の試行

(1) 認知バイアスを判定する手法と前提条件の整理

この仕組みは,組織内部における監査的な活動の中で安全上の意思決定を間違えないように警告を出すための方法論であり,キャンベルらの「レッドフラッグ」法をベースにしている。キャンベルは,意思決定者が認知バイアスに影響されて誤った判断を下しかねない状況をレッドフラッグと呼び,「不適切な個人的利害」「ゆがんだ思い入れの存在」「判断ミスに至らしめるような記憶」の三種類に分類している。キャンベルはこれらによって認知バイアスが生じていることを組織的に確認するために,次の7つのステップからなる確認作業を推奨している:①意思決定の幅を明らかにする;②意思決定に影響力をもつ人物のリストを作成する;③中心的な意思決定者を選択する;④その者の不適切な利害関係や思い入れを確認する;⑤判断ミスに至らしめるような過去の成功体験を有するかを調査する;⑥二番目に重要な人物に対しても④と⑤を行う;⑦抽出されたレッドフラッグのリストを確認する。

「不適切な個人的利害」については,津波対策に関する事故調査報告書や訴訟記録の中に,これに直接該当するものは見い出されなかった。すでに中越沖地震対策にリソースを投じている状況下において,太平洋側のプラントの防潮堤の建設に数億百円の投資と地元の了解が必要であること17を踏まえると,意思決定者は株主や地元への説明を避けることにインセンティブを感じる可能性があるが,これは「個人的利害」とまではいえない。

「ゆがんだ思い入れの存在」は,経営者が個人的な愛着をもつ事業の売却を渋る,というような事例と説明されている。原子力発電事業における安全対策の場合,特定の組織や部署からの情報に“思い入れ”が生じる可能性はある。津波評価のための情報は,土木学会,地震本部,および中央防災会議から,それぞれ異なる形態で提供されている。従来の依拠していた土木学会の「原子力発電所の津波評価技術」や,国の機関である中央防災会議との整合性21を重視するような“思い入れ”が生じることは想像に難くない。また,社内において,自分が熟知している部門の提案をより重視するような “思い入れ”も生じ得る。例えば,2007年当時の設備管理部長は,政府の事故調査・検証委員会の調査に対し「うちの安全屋は信用していない」,「(シビアアクシデントの手順書を)本当に腹の底からそんな事象になると思って作っていたんですか」と発言している17。これは,設備管理のベースとなる知見と安全評価のベースになる知見は区別する必要がある,という“思い入れ”を端的に発話したものと推量する。

「判断ミスに至らしめるような記憶」は,一見現状と類似しており,しかも関係のありそうな成功体験に導かれて,過去とは異なる重要要因を軽視することと説明されている。1Fの場合,過去にも歴史津波の調査や堆積物調査を行って,対策を向上させてきたという成功体験があった17。福島県浜通り地域での堆積物は,請戸地区(海抜4メートル地点)で発見22されており,敷地を超える津波は来ないという思い込みを生みやすい状況21があった。また1Fの1号機では1991年に配管漏えいによる海水浸水があり,当時は1・2号機共用とされていた非常用発電機1つが一部浸水したが,外部電源が利用できたことから大きな事故には至らなかった。また中越沖地震などの設計想定超の事象においても,プラントの設計余裕を使って安全にプラントを停止することができていた。こうした経験を経たこと17で,外部電源があれば浸水事象には対応できるという想定が醸成され,外部電源や電源盤の喪失へと思いが至らなかった21と考えられる。

(2) 判断ミスを防ぐための監査的な仕組みの試行

監査的なプロセスによって,前項で指摘されるような「レッドフラッグ」を事前に見い出すことが可能であったかを,キャンベルらの提案する「7つのステップ」によって分析した。

1番目のステップは,選択肢の幅を明らかにすることである。津波対策の事例では,おおむね次のような選択肢が候補に挙がり得た。

  • ・    中央防災会議のハザードマップよりも厳しい想定に基づいて防潮堤を設置する
  • ・    中央防災会議のハザードマップより厳しい評価結果があることを公開し,まず規制規則類に抵触しない可搬式資機材を準備し,その訓練を行う
  • ・    厳しい評価結果は公開しないが,社内で可搬式資機材を使った対応を取る
  • ・    土木学会の評価が出るまでは何もしない

2番目のステップは,意思決定の主要な関係者のリストを作ることである。津波対策の事例では社長,CNO,経営判断を行う会議における説明者となる設備管理部門や品質・安全管理部門の長,経営会議へ付議する説明資料の作成者となる土木調査グループの長などが挙げられる20

3番目のステップは,中心となる1人の意思決定者を選ぶことである。今回の評価では,設備管理部門の長を選択する。経営層への説明責任を有することに加え,予算額の低い安全対策については最終意思決定者となる17からである。

4番目のステップは,不適切な個人的利害や,判断を歪めそうな思い入れがないかをチェックすることである。前述のとおり,利害関係は認められない。設備管理部門の長という特性から,自部門がベースとしてきた情報源に対する“思い入れ”を持ち得るが,それを指摘できるかは監査者の資質に大きく依存する。

5番目のステップは,判断ミスに至らしめるような記憶をチェックすることである。監査者は,過去に類似の対応をした成功体験がないかを,設備管理部門の長に問うことになる。1991年の1F 1号機の非常用発電機浸水や,2007年の中越沖地震等への対応等を“成功体験”として引き出せたならば,それと津波対策の差異を指摘することになる。

6番目のステップは,2番目に影響力のある人物について同じ分析を試みることである。津波対策においては,CNOが該当する。この事例では,CNOと設備管理部長は,社内でよく似た経歴をたどっている。したがって,両者は同様のレッドフラッグをもち得ると評価される。

7番目のステップは,特定されたレッドフラッグのリストを再確認することである。ここでは,政府機関である中央防災会議の情報等に固執すること,設備管理部門における過去の対策に対する思い入れや,浸水トラブルや地震時の成功体験が,2人の重要人物に共通する“レッドフラッグ”となり得る可能性が指摘されることになる。

(3) 仕組みの実効性に関する考察

今回のケースで,監査者は,2人の重要人物の経験や思い入れがよく似ていることを見い出せた可能性がある。結果として,少し違う経歴を有する関係者(例えば,安全管理部門)の意見も重視するべきことを監査的に指摘できた可能性がある。しかし,政府の事故調査委員会に対して,安全部門の担当者も「電源車の配備を検討した記憶があるが,隣接プラントから電源融通を受けるのが一番効率よいので配備しなかった」18と証言している。つまり,1Fの津波の事例において,ステップ5の「判断ミスに至らしめるような記憶」は,組織内で部門を超えて共通要因化していたと推量される。

この試行から,認知上の問題は組織内で共通要因化しやすいことが確認された。意思決定者の認知バイアスを確認するためのレッドフラッグを用いた監査の仕組みは,判断ミスを検知するために一定の役割を果たし得るものの,これだけでは認知バイアスの影響を完全には排除できないとの評価になった。

3. 組織外からのリスク管理の仕組み

(1) 熟議する仕組みの説明と前提条件の整理

Figure 1の改善のループを回し続けるようPLMに関係する意思決定者を支援するために,事業者の組織外から意思決定を後押しする仕組みを検討する。前章でみたとおり,旧規制体制下での高経年化対策の仕組みは,リスクを可視化してステークホルダー間での熟議を促す点で有効であったと評価されている。しかし,そのスコープは物理的な経年劣化を中心としていた。そこで,“もし津波評価のような安全の前提となる情報が,物理的な経年劣化と同じ方法で可視化されていたら”という問いを置き,関係者のふるまいを仮想して,仕組みの有効性を評価することにした。

高経年化対策におけるリスクの可視化は,規制機関傘下の旧原子力安全基盤機構(以後,JNESとよぶ)が事務局を務めた技術情報調整会議24で実施されていた。国際原子力機関の国際原子力安全諮問グループ(以後,INSAGという)における議論23に基づいてFig. 2のように整理した原子力安全に関する関係者が,おおむねすべて包絡されていたことが特徴である。会議では,学術界からの新たな知見や規制当局と立地自治体から心配な点や懸念も含めた課題が抽出され,優先順位を決め,実施主体と資金提供主体を明確にした課題整理表が作成された。それをベースとした対応戦略マップ25がまとめられ,フォローを毎年実施するという体制が取られていた。課題整理表には,参加者全体にリスクを可視化するだけでなく,どの機関が対策を実施するかも記載されていた。

Fig. 2

Basic structure of “forum for deliberation”

仮想実験では,抽出の対象とする課題に,物理的な経年劣化だけでなく,自然災害等のハザードの見直しも含まれていたと仮定する。当時,安全要件の見直しは,原子力安全委員会の安全設計審査指針に関わる改訂審議会の案件であり,JNES技術情報調整会議はその審議結果を前提としていた。また,規制当局は2009年に最新知見を収集する仕組みを作るよう内規で事業者に要求19し,1Fの津波シミュレーションの結果も規制当局に報告されていた20。こうした知見を技術情報調整会議のスコープにできたと仮定し,次を仮想する:①知見は,いつ課題整理表のどの項目に記載されるか;②誰が,対策を担当することになるか。実際の時系列とは異なるが,地震本部の長期評価と土木学会の津波評価技術が公開された2002年の段階からこうした知見が提供されたとして,仮想実験を行う。課題整理表と対応戦略マップは毎年ローリングされるものとし,知見が得られた時系列に沿って検討を行う。

(2) 仮想実験の結果

2002年には,地震本部の長期評価と,土木学会の津波評価技術に関する公表内容19が熟議の場で報告される。いずれも,課題整理表の中で基準津波の見直しという項目に分類される。地震本部の長期評価は波源モデルが提示されていないので,知見のみが記載され,対策は記載されない。土木学会の津波評価技術からは基準津波の見直しが可能なので,津波対策強化という項目が立てられる。東京電力が海水ポンプ等の嵩上げを実施することが,工期を含めて記載される。

2004年には,運転経験としてスマトラ沖地震津波の知見が取り上げられる。国内の他産業で報告のあった漂流物等の被害や,海外プラントにおける浸水等の事例が示される。すでに存在する,津波対策強化の項目が細分化され,設備の嵩上げに加え,浸水防止や漂流物対策等の分類が設けられる。同時に,過去の浸水トラブルを深堀するための議論が誘起されることが期待される。1999年のフランスのルブレイエ発電所で暴風雨を起因とする外部電源喪失と洪水は有名な運転経験であるが,国内では外部電源の信頼性が高いと考えられていたため課題整理表への反映は不要と判断される可能性が高い。

2006年の中央防災会議 日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震専門調査会報告で,貞観津波が知見不足のため反映されず,地震本部の見解も取り入れられなかったことが19報告される。これは,課題整理表の基準津波の見直しの項に追記される。2002年に長期評価の知見を保留したという判断が補強される。

2007年に,福島県と茨城県が津波浸水予測図を公表19したことが報告され,課題整理表の基準津波の見直しの項に追記される。日本原子力発電は,東海第二発電所の海水ポンプ等の浸水対策を実施することを,津波対策強化の項に追記する。東京電力は,今回は対策不要25と追記する。また,JNESは敷地高さ+1 mの津波影響評価の検討結果を報告書する25。津波対策,特に浸水防止の細目が充実し,敷地内への浸水の影響が可視化される。

2008年には,貞観津波知見によると津波高さ評価20が最大9.2 mとなったことが,基準津波の見直しの項に追記される。同じ項には,長期評価を踏まえた波源モデルの策定を土木学会に依頼したことや,福島県沿岸の堆積物を調査すること19など,基準津波を見直すための技術開発課題が追記される。そして,これらの知見をもとに,津波対策強化の項を拡充するか否かが議論される。2008年時点の課題整理表には,地震本部の長期評価を津波対策強化へと展開しなかった理由が「波源モデルの提示がなかったこと」と整理されている。今回,貞観津波の波源モデルが提示されたので,それに基づいて津波対策を強化すべきという意見が出る可能性は高い。また,前年までに敷地の浸水による炉心損傷シナリオが可視化されているので,会議に参加している自治体等から懸念が示される可能性がある。中央防災会議の評価結果を大きく超えるような津波を想定した対策には,周辺住民との調整が必要となると考えられる17。これは発電所単体では実施できないので,防災対策の強化に関わる地元との調整に関する項目が作られる。また,発電所単独で進められる水密化等については,新しい波源モデルに基づいて浸水リスクの高い箇所から順次実施されることになる。

2009年には,耐震バックチェックにおいて貞観地震を考慮すべきとされたこと,地震動については設計基準以下であることを確認したこと,および,今後,「貞観津波の調査研究成果に応じ適切に対応をすべき」20とされたことが報告される。これにより,貞観津波の波源モデルに基づく津波対策強化は発電所内では必要事項だとの認識が固まり,昨年度までの実施状況がレビューされ,不足があれば対策が追記される。

思考実験の結果として作成された課題整理票の概要をTable 1に示す。実際には課題ごとに2~4ページの記述が行われるが,簡略化のため見出しとなる内容のみを示している。波源モデルの開発などの研究途中の課題が可視化されることと,新しく獲得する知見の適用先が明確化されることにより予見性をもって対策を進められた可能性が指摘できる。

Table 1 Prototype of the summary sheet of research and development subjects 2010

課題名 基準津波の見直し
考慮する理由等 地震本部の長期評価への対応(2002年)
土木学会の津波評価技術の具体的な適用(2002年)
貞観津波は中央防災会議に反映されていないが(2006年),貞観地震が耐震バックチェックで考慮される(2009年)
自治体における津波浸水予測図(2007年)
現状の説明 土木学会の津波評価技術の適用を原則としているが,波源モデルが設定できた場合は別途評価している
貞観津波の知見(9.2 m)はあるが,長期評価を踏まえた波源モデルはない
評価できた場合は「津波対策の強化」へと展開する
他の課題との関係 津波対策の強化
課題の再整理
今後の研究方針
太平洋側における波源モデルの開発・高度化について,具体的な研究課題が記載される
中央防災会議の評価結果を超える想定をすることについて,周辺住民等と調整することが必要な旨が記載される
役割分担の考え方 産:サイトにおける津波高さの評価
官:防災の観点からの波源モデル等の設定
学:波源モデルや評価手法の研究開発
課題名 基準津波の見直し
考慮する理由等 土木学会の津波評価技術の具体的な適用(2002年)
スマトラ沖地震津波知見,漂流物対策等の必要性(2004年)
溢水勉強会,敷地浸水のリスク認識(2006–2007年)
現状の分類・説明 「基準津波の見直し」に伴って,次の細目ごとに実施する
・ 海岸近傍の設備の嵩上げ(2002年–2004年のみ)
・ 敷地の浸水防止(2004年以降)
・ 漂流物対策等(2004年以降)
・ 設備への浸水防止(2007年以降)
他の課題との関係 基準津波の見直し
課題の再整理
今後の研究方針
事業者別に対策の具体例と工期が記載される
 例)東京電力では,貞観津波知見をベースとした対応
   日本原電では,海水ポンプの浸水防止壁の設置 等
浸水後のシナリオへの対応を検討する必要性が記載される
浸水防止のための工法等の開発が必要であれば,記載される
役割分担の考え方 産:対策の実施
官:溢水勉強会のフォローアップ

(3) 仕組みの実効性に関する考察

仮想実験では,組織外からのリスク管理の仕組みとして関係者の熟議の場を整備すれば,発電所単独で実施できる水密化等の対策が2008年から2009年にかけて課題整理表に記載された可能性が高いことが示唆された。東日本大震災後のストレステストにおいて電力事業者が可搬式資機材の準備や水密扉への改造を短期間に実施した26,27ことや,司法での議論19,20を踏まえると,この仕組みによって1F事故を多少緩和できた可能性はある。しかし,2008年に課題整理表に加えられたモデルに基づく津波高さは1Fの原子炉建屋等の敷地高さよりも低いので,津波対策強化の範囲が限定的だった可能性は否定できない。また,東日本大震災が実際よりも数年早く発生していたならば,こうした仕組みが存在したとしても役に立たなかったと考えられる。つまり,熟議の場の設定だけでは,新しい知見に基づいて迅速な対応を取る点で限界があることがわかる。

それでも,ステークホルダーが一堂に会して熟議をする場があれば,電力事業者の欠けの対処の後押しになることは確かである。一連の経緯をFig. 1のループに当てはめたものがFig. 3である。地震本部の長期評価の段階では,知識が十分でないことから“欠け”の候補が見い出されるが,課題整理表に挙げて基準津波の設定に関する知識を更新するという意思決定を公にすることで,貞観津波に基づく波源モデルを公式に利用することが可能になる。また新しい波源モデルを使った評価結果を課題整理表に挙げることで“欠け”が公知され,少なくとも9.2 mまでの高さでは浸水対策を検討するという意思決定が後押しされた。注目すべき点は,欠けに関する知識を生産する活動は,かなりの程度事業者の外部に依存しているということである。野中らは,長期間に渡って企業活動を持続できた組織を調査した結果4,長寿企業の経営者の多くは関係者との協業によって知識を生産するループにおいて“共通善”を軸としているという分析をしている。原子力発電事業では安全性向上を共通善に据えることができる。

Fig. 3

Place of deliberation on improvement loop for enhanced safety

IV. 考察

経営学等の研究結果を踏まえて提案された2つの仕組み,すなわち①監査的な活動の中で意思決定者の認知バイアスを確認することと,②関係者が熟議する場を設けて組織外からリスク管理を行うこと,は,思考実験の結果,どちらも1F事故前に津波対策を完成させるだけの機能は有さなかったものの,安全対策を取るという意思決定を後押しする効果はあることが示された。その概要をTable 2にまとめている。①認知バイアスの確認では,ステップ5で,過去の経験から津波対策に対する差異が出ることが指摘される可能性がある。また,②熟議の場では,敷地内への浸水の影響や基準津波の見直しの必要性が可視化され,対策を拡充すべきかの議論が喚起される効果が期待できるとともに,具体的な対策を検討するように誘導された可能性がある。そこで,これらの仕組みをどのように実装するかが次の課題となる。

Table 2 Findings through thought experimentation and expected utility of the mechanisms

仕組み 思考実験からの知見 期待される効用
レッドフラッグ法 重要人物の経験や思い入れがよく似ていることを見い出せる 安全管理部門など,少し違う経歴を有する関係者
の意見を聞くよう指摘する
熟議の場 波源モデル開発や中央防災会議の評価結果を超えた想定の必
要性が,関係者で共有される
津波対策の強化が,細目別に実施され,進捗が確認できる
波源モデルの開発に注目が集まる
波源モデルがなくても実施できる対策を検討する

前者は,電力事業者内部で完結することから,事業者の意思決定プロセスにおいて監査的な活動を取り入れることにより,一定程度機能させることが可能である。例えば,リスク情報を活用した統合的な意思決定プロセス28では,分析者が運転経験や確率論的な考察をキーエレメントとした多基準分析によって選択肢の優劣を決めた後,意思決定者が異なる観点から意思決定の結果を再評価することを定めている。再評価の中で,認知バイアスによる影響がどの程度あるかを確認することが考えられる。

後者は,関係者が多岐に渡ることや,ローリングに持続性が求められることから,実装が難しい。参考にした旧JNESの技術情報調整会議の機能の一部はNRAに引き継がれているが,そこには学会や自治体等の関係者を明示的に入れていないという問題がある。仮想実験では,地震本部の長期評価から津波対策の強化に至るまでに改善のループを2度回し,6~7年の期間を経ることが必要であった。つまり,学術界が生み出す知見を事業者が利用できる形にするには時間と労力を要する。学会等で発表された情報を収集するだけでは不十分であり,学術界も熟議の場に招いて,知見を一緒に使える形にしていくことで,改善のループを加速させる必要がある。日本原子力学会の軽水炉安全技術・人材ロードマップ29は,そのための仕組みとなる可能性があったが,2017年3月のローリング以来改訂がなされていないのは残念である。また,リスクを可視化するための既存の規制ツールとしては,安全性向上評価届出制度と検査制度があるので,これらとの連携を考慮する必要がある。

現在の制約条件を踏まえて,既存の組織を用いて,我が国におけるPLMの実効性を向上させる熟議の場を構成する案をFig. 4に示す。事業者と規制機関がフラットに参加できる可能性のある場としては,原子力委員会が主催している連携協議会30が活用できる可能性がある。現在,この下に設けられた連携プラットフォームで産業界からの参加者を中心に研究課題を整理する活動が続けられているので,これを規制関係機関,および学識経験者に拡大できるかもしれない。木原10や市村11がいうように,日本の権力構造を踏まえると,立地自治体にも安全に関する懸念を伝える役割として参加することが望ましい。立地自治体では独自に規制当局と電力事業者から状況を報告させて懸念を伝える会議体(例えば,福井県では原子力安全専門委員会)が存在しており,地元の懸念事項を吸い上げて発電所の安全対策の変更に生かした実績もある31。また,防災計画に関わる協議会では住民に直接意見を聞く体制も取られている。これらの会議体から住民の安心に関わる課題も吸い上げ,新たな知見を得る学術界での課題整理と合わせて協議会で議論し,リソースと実施主体を明確にしつつ,実施のフォロー32を行うことで,継続的な安全性向上の体系が構築できる。

Fig. 4

Proposed measures on enhancing the effectiveness of PLM in Japan

V. 結論

本研究は,継続的な安全性向上のための意思決定へと誘引するため,意思決定者(特に経営者)に適切なプレッシャーを与える仕組みとして,

  1. (1)    企業の経営監査の仕組みと安全性向上の仕組みの類似点に着目し,意思決定者の認知バイアスを監査的に確認すること
  2. (2)    外部からのリスク管理の仕組みとして,国全体として「熟議の場」を設定し,欠けへの発見と対処の取り組みを確認すること

を提案し,その効用を仮想的に検証した。

これらの提案を仮想的に試行した結果,(1)(2)ともに,仕組みそのものによって課題を完全に解決することはできず,よりよい意思決定ができるように背中を押す効果に留まることが示された。いい換えると,組織がこのような仕組みを運用し続けることで,安全性向上のための継続的な意思決定を行える人材を組織内に蓄えやすくなることが期待できる。また,(1)と(2)を具体的に実装する方法について考察した。

リスク情報を活用した統合的意思決定プロセス28では,最新知見の解釈等には「判断に属人的な部分があるため,専門家および/または第三者の意見,さらには少数意見にも配慮する」ことを求めており,(1)の手法は,それを具体的に実施するための参考となる。また,「意思決定者は,安全に関わる情報を継続的に収集するとともに,ステークホルダーの意見を受ける」ために「円滑に外部コミュニケーションができる環境」を含む体制を構築することも規定されており,(2)で例示した仕組みはその一部として機能する。ただし(2)を有効に機能させるためには,「熟議の場」を規制機関と事業者が対峙する場とはせず,原子力委員会等の公的な組織が事務局を担当し,学術界や自治体が公式かつ積極的に参加するようコーディネートすることが重要である。

 

本論文の作成に際しては,東京大学の関村直人氏,福井県原子力安全対策課の山本晃弘氏から有益な助言,コメントを頂いた。ここに深く感謝の意を表する。

References
 
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