2024 年 27 巻 2 号 p. 85-91
BRCA遺伝子病的バリアント保持者は乳癌や卵巣癌の罹患リスクが高く遺伝性乳癌卵巣癌(hereditary breast and ovarian cancer; HBOC)症候群として知られている.BRCA遺伝子病的バリアントを有する乳癌や卵巣癌の罹患者は予防的乳房切除や予防的卵巣・卵管切除などのリスク低減手術が保険適応になっている.HBOCでは膵癌や前立腺癌なども罹患リスクが高くなることが知られているが,これらの癌種では予防的切除は現実的ではなく,スクリーニング検査も保険適応となっていない.両側異時性乳癌の術後にBRCA2遺伝子病的バリアントが判明しリスク低減卵巣・卵管切除を受けたが,経過観察中に膵癌に罹患した症例を経験したので現状の課題についての考察を加えて報告する.
Patients with BRCA-gene pathogenic variants are at increased risk of developing breast and ovarian cancers, a condition known as hereditary breast and ovarian cancer (HBOC) syndrome. HBOC patients have an increased risk of pancreatic and prostate cancers; however, prophylactic resection is not feasible for these cancer types and screening tests are not covered by insurance. Herein, we report a case of pancreatic cancer that occurred in a patient with bilateral breast cancer who was identified as having germline BRCA pathogenic variants, and discuss current issues.
特定の遺伝子変異を背景とする遺伝性乳癌は乳癌全体の約10%を占めるとされており,遺伝性乳癌の約60%はBRCA1/2遺伝子の病的バリアントによるものである.日本では2020年4月からBRCAの遺伝学的検査が保険適応となり,病的バリアント保有者に対するリスク低減乳房切除(risk-reducing mastectomy; RRM)やリスク低減卵管・卵巣摘出術(risk-reducing salpingo-oophorectomy; RRSO)などのリスク低減手術も保険適応となっている.BRCA遺伝子病的バリアント保有者は膵癌や胃癌,男性では前立腺癌も罹患リスクが高まることが知られているが,これらの癌種ではリスク低減手術は現実的ではない.したがって早期発見のための適切なサーベイランスが必要だが保険適応になっていないばかりかスクリーニング方法も確立されておらずアンメットニーズが存在する.
今回BRCA遺伝子病的バリアントを有する両側乳癌の術後に膵癌を発症した症例を経験したので考察を加えて報告する.
患者:初診時59歳女性.
主訴:左乳房腫瘤の精査・加療.
病歴:マンモグラフィー検診で左乳房に腫瘤を指摘されて精査を指示された.
既往歴:39歳時に右乳癌に対して手術と術後アンスラサイクリン系多剤併用化学療法(CAF療法:シクロフォスファミド,ドキソルビシン,フルオロウラシル)を受けた.
家族歴:姉 両側(異時性)乳癌,姪 乳癌,父 胃癌,母 胃癌.
身体所見:左乳房に腫瘤は触知しない.
経過:各種画像検査と針生検を行い左C区域乳癌T1N0M0,エストロゲン受容体陰性,プロゲステロン受容体陰性,HER2スコア0のいわゆるトリプルネガティブ乳癌と診断した.2015年〇月に乳房切除,センチネルリンパ節生検を行った.病理結果は浸潤性乳管癌,硬癌,組織グレード3,pT1b (0.9 cm),切除断端陰性,pn0 (sn 0/1),エストロゲン受容体陰性,プロゲステロン受容体陰性,HER2スコア0であった.既往の右乳癌の術後にCAF療法(ドキソルビシンの累積投与量は240 mg)を受けていたので,術後治療はパクリタキセルを12回投与した.
濃厚な乳癌の家族歴,本人が両側異時性乳癌で今回は60歳以下の(59歳で罹患した)トリプルネガティブ乳癌であることなどからBRCA遺伝子病的バリアントのキャリアである可能性が疑われた.●●大学附属病院を受診してカウンセリングの後検査を受けた.カウンセリングの際の詳細な病歴聴取で,姪が他院で遺伝子検査を受けBRCA2の病的バリアント陽性と診断されていることが分かった.本人はこの結果を確認し,BRCA遺伝子シングルサイト解析で姪と同じBRCA2遺伝子の病的バリアント(BRCA2: S2835X [8732C > A])を確認した.
卵巣癌や膵癌などの罹患リスク,リスク低減手術(RRSO)などについて説明を受け2021年6月に同大学附属病院産婦人科で腹腔鏡下両側付属器切除を受けた.病理検査で悪性所見は認めなかった.
乳癌の術後再発チェックとして毎年躯幹CTを行っていた.2023年8月のCTで膵体部の腫瘤と周囲腹膜に結節を指摘され(図1a, b),EUS-FNAで膵癌の確定診断がなされ化学療法(FOLFIRINOX:5-FU,イリノテカン,オキサリプラチン,レボホリナート)を開始した.治療開始後6か月目のCTで腫瘍の縮小を認め,治療を継続中である(図1c).

再発チェックとして毎年躯幹CTを行っていた.2023年のCTで膵体部腫瘤(a)と周囲腹膜に肥厚や結節(b)を指摘された.治療開始後6か月目のCTで腫瘍の縮小を認める(c).
特定の遺伝子変異が原因で発症する遺伝性乳癌は乳癌全体の10–15%程度,トリプルネガティブ乳癌の10–20%を占めるとされている1-4.遺伝性乳癌の原因となる遺伝子変異について表1にまとめた5, 6.このうちの約60% 7がBRCAの病的バリアントを有するHBOCである.トリプルネガティブ乳癌は乳癌全体の15%程度を占めるが8,BRCA1の病的バリアントに伴う乳癌ではトリプルネガティブ乳癌が60%を占めトリプルネガティブ乳癌の比率が高い9, 10.BRCA2の病的バリアントは男性乳癌や前立腺癌11との関連が示唆されている.またBRCA1に比べBRCA2の病的バリアントでは膵癌の罹患率は高いが,本症例のように膵癌の家族歴がない場合にはハイリスクと考えてよいかどうか論争的である.BRCA遺伝子変異の有無は予後自体には影響しないとされている12.
| 遺伝子 | 関連する癌/腫瘍 |
|---|---|
| BRCA1, BRCA2 | 乳癌,卵巣癌,前立腺癌,膵臓癌,悪性黒色腫 |
| CHEK2 | 肉腫,乳癌,脳腫瘍,副腎皮質癌,白血病 |
| TP53 | 軟部組織肉腫,骨肉腫,脳腫瘍,副腎皮質癌,乳癌 |
| PALB2/FANCN | 乳癌,卵巣癌,前立腺癌,膵癌,(ファンコニ貧血) |
| ATM | 乳癌,卵巣癌,結腸・直腸癌,卵巣癌,膀胱癌 |
| PTEN | 乳癌,子宮体癌,甲状腺癌,大腸癌,腎細胞癌 |
| CDH1 | びまん型胃癌(印環細胞がん),乳癌(小葉がん) |
| LKB1/STK11 | 結腸・直腸癌,胃癌,膵臓癌,乳癌,卵巣癌,過誤腫性ポリポーシス |
卵巣癌の累積罹患リスクは,BRCA1およびBRCA2病的バリアント保持者ではそれぞれ70歳で40%, 18%とされる13.また,BRCA1/2病的バリアント保持者の卵巣癌において組織型では81%が漿液性腺癌であり,また,Ⅲ期,Ⅳ期の進行症例が8割を占めている14.
男性では前立腺癌の罹患リスクが高く,特にBRCA2病的バリアント保持者では一般の2–6倍の罹患リスクがあるとされる.BRCA病的バリアント保持者に発症する前立腺癌は65歳以前に発症し,悪性度が高い傾向を認め,遠隔転移やリンパ節転移の頻度が高く,予後が不良であるとされる15.
BRCA1/2病的バリアント保持者は70歳までの膵癌の累積罹患リスクは1.4–1.5%(女性),2.1–4.1%(男性)とされ,一般集団に対して2.4–6倍の発症リスクの増加があると報告されている16.NCCNガイドラインによれば膵癌患者の4–7%にBRCA病的バリアントが認められるとされている.HBOCの各癌種のリスクについてまとめた(表2)6.
他に胃がん,食道がん,胆道がんなどとの関連が指摘されている17.
| 癌種 | 一般人口でのリスク | HBOCでのリスク | |
|---|---|---|---|
| BRCA1遺伝子病的バリアント | BRCA2遺伝子病的バリアント | ||
| 乳癌 | 12% |
70歳までに 55–72% |
70歳までに 45–69% |
| 対側乳癌 | 5年以内に2% | 10年以内に20-30,20年以内に40-50% | |
| 卵巣癌 | 1-2% | 39-44% | 11-17% |
| 男性乳癌 | 0.1% | 1-2% | 6-8% |
| 前立腺癌 | 69歳まで6% | 75歳までに21% 85歳までに29% | 75歳までに27% 85歳までに60% |
| 膵癌 | 0.5% | 1–3% | 70歳までに3–5% |
| 黒色腫 | 1.6% | リスク増加 | |
文献6より作成.
日本では2020年4月からBRCAの遺伝学的検査が保険適応となった.日本の保険適応の基準と欧米でBRCA遺伝子検査が推奨される基準をまとめた(表3)5, 18, 19.膵癌の家族歴を有する乳癌,卵巣癌罹患者にはBRCA遺伝子検査が保険適応になっておらず各種ガイドラインの齟齬が指摘されていたが,現在では膵癌の家族歴も適応に含まれるようになっている(2023年5月31日更新の「遺伝性乳がん卵巣がん症候群の保険診療に関するQ&A 20」).胃がんや前立腺癌は条件に入っていないことや血縁者が病的バリアント陽性であっても乳癌や卵巣癌の未発症者の遺伝学的検査は保険適応外となることは現状のアンメットニーズである.
| 日本の保険適応 | NCCNガイドラインで推奨される条件 |
|---|---|
| オラパリブのコンパニオン診断 | オラパリブのコンパニオン診断 |
| 45歳以下で乳癌と診断された | 50歳以下で乳癌と診断された |
| 60 歳以下でトリプルネガティブ乳癌と診断された | トリプルネガティブ乳癌(診断年齢は問わない) |
| 両側の乳癌と診断された | 両側乳癌あるいは同側異時性乳癌 |
| 片方の乳房に複数回乳癌(原発性)を診断された | |
| 第3度近親者内に乳癌または卵巣癌発症者が1名以上いる | 近親者に2人以上の乳癌発症者がおり,うち1人が50歳以下で診断された |
| 近親者に3人以上の乳癌発症者がいる | |
| 乳癌と診断された男性 | 乳癌と診断された男性 |
| 卵巣癌,卵管癌,腹膜癌 | 卵巣癌,卵管癌,腹膜癌 |
| 第3度近親者内に膵癌発症者がいる | 膵癌と前立腺癌(転移性あるいはグリソンスコア7点以上)と乳癌あるいは卵巣癌の組み合わせ |
| 親族にBRCA1/2の病歴バリアント保持者がいる | |
| アシュケナージ・ユダヤ人の祖先をもつ | |
| がんゲノムプロファイリング検査の結果,BRCA1/2の病的バリアントを持っている可能性がある |
乳癌や卵巣がんに対するリスク低減手術の有用性はすでに乳癌診療ガイドラインに記載されているので詳細は省く.要約すればRRM 21, 22が「行うことを弱く推奨する」とされRRSO 23が「実施を強く推奨する」とされている.
同ガイドラインにNCCNガイドラインからの抜粋されたマネージメントとして,検診の開始時期や方法が詳細に記載されている.乳癌については18歳から定期的な自己検診,25歳から医師による乳房の視触診,25歳以降の造影MRI併用検診が推奨される.卵巣癌では早期診断が難しく,出産の完了に伴ってRRSOを推奨するとされている.
膵癌ではハイリスク者に対して造影MRIやEUSを用いてダウンステージングできたという報告があるがスクリーニング方法は確立されていない.膵癌診療ガイドラインの中で指摘されている膵癌の罹患リスクには膵癌や膵炎の家族歴,糖尿病,肥満,慢性膵炎などの合併症,膵管内乳頭粘液性腫瘍,喫煙などがある.危険因子を複数有する場合は,膵癌検出のための検査を行うよう勧められており,膵管内乳頭粘液性腫瘍(intraductal papillary mucinous neoplasms; IPMN)は癌へ進展することや膵癌を合併することがあるので,的確な診断と慎重な経過観察が勧められるとの記載がある.IPMNの膵癌発症が年率1%程度24とされている一方,家族歴のある膵癌患者は膵癌全体の4–8%程度と報告されており,対象群より13倍高リスクである25, 26にもかかわらず推奨されるのは遺伝子検査まででサーベイランスについては言及がないのが現状であり今後の整備が待たれる.
両側異時性乳癌に対して両側乳房切除後で,BRCA2病的バリアントが判明しRRSOを受けたあと膵癌を発症した症例を経験した.既発症者に対するBRCA遺伝学的検査や病的バリアント保有者のRRM, RRSOが保険適応となり涯罹患リスクが極めて高率な乳癌や卵巣がんについてはある程度の対策がなされたと考えられる.未罹患者の遺伝学的検査が自費であることや,膵癌,胃がんに対する適切なスクリーニング方法が確立されていないことなどがアンメットニーズと考えられる.
本稿を作成するにあたって開示すべき利益相反はない.