鉄と鋼
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超高強度低合金TRIP鋼の組織と機械的性質
杉本 公一小林 純也北條 智彦
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2017 年 103 巻 1 号 p. 1-11

詳細
Synopsis:

This paper introduces the microstructure, retained austenite characteristics, strain-induced transformation-deformation mechanism and mechanical properties of transformation-induced plasticity (TRIP)-aided martensitic (TM) steels for the automotive applications. Because the microstructure consists of a wide lath-martensite structured matrix and a mixture of narrow lath-martensite and metastable retained austenite (MA-like phase), the TM steel produced a good combination of tensile strength and cold formability. If Cr and/or Mo were added into 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn steel to enhance its hardenability, the resultant TM steel achieved superior notch fatigue strength and impact and fracture toughness to conventional structural steel such as SCM420. These enhanced mechanical properties were found to be mainly caused by: (1) plastic relaxation of the stress concentration, which results from expansion strain on the strain-induced transformation of the metastable retained austenite; and (2) the presence of a large quantity of finely dispersed MA-like phase, which suppresses crack or void initiation and subsequent connection.

1. 超高強度低合金TRIP鋼の変遷

近年,乗用車の車体軽量化と衝突安全性の向上を可能とするため,車体構造部材への高強度鋼板や超高強度鋼板の適用が積極的に進められている。高強度鋼板としては現在,高強度低合金鋼(HSLA鋼)やフェライト−マルテンサイト(ベイナイト)dual-phase(DP)鋼1,2,3,4)が主として適用されているが,1990年代からポリゴナルフェライトを母相とし,残留オーステナイト(γ)の変態誘起塑性(TRansformation-Induced Plasticity;TRIP)5,6,7)を利用して成形性を高めた780 MPa級の低C-Si-Mn系低合金TRIP鋼(TRIP-aided polygonal ferrite steel;TPF鋼)4,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21)が使用され始めた。このTPF鋼に少し遅れて780~980 MPa級のComplex Phase(CP)鋼22,23,24,25,26,27)も開発され,使用され始めている。

TPF鋼はDP鋼とともに第1世代先進高強度鋼(First Generation Advanced High Strength Steel)と呼ばれ,主に乗用車の骨格部材やドア衝撃部材へ適用されている。成形性をさらに改善するため,1990年後半には第2世代AHSS,2000年前半には第3世代AHSSの開発研究が現在まで進められている(Fig.1)28)。第2世代AHSSとしては双晶誘起塑性(TWin-Induced Plasticity;TWIP)を利用して50 GPa%以上の引張強さと全伸びバランス(TS×TEl)を達成した高Mn-TWIP鋼29,30,31,32)が提案されたが,製造工程やコストの問題から車体への適用は期待されたほどには進んでいない。第3世代AHSSには,第1世代と第2世代AHSSの中間のTS×TEl(≧30 GPa %)が求められ,その候補として5-10%Mn-TRIP鋼33,34,35,36,37,38,39,40,41),従来タイプのTPF鋼の母相組織をそれぞれベイナイト,ベイナイト/マルテンサイト混合相,マルテンサイトとした980~1960 MPa級のTBF鋼42,43,44,45,46,47,48,49,50,51),TBM鋼52,53,54,55,56,57),TM鋼58,59,60,61,62,63,64,65,66,67,68,69,70),およびベイナイト/マルテンサイト混合相としたQuenching & Partitioning (Q&P)鋼28,71,72,73,74,75,76,77,78,79,80,81)などが開発されている。この他に,Maraging TRIP(マルエージングTRIP)鋼82,83,84)や22MnB5鋼などに熱間プレスを適用して高強度構造部品を製造する新技術85,86,87,88,89,90)も開発されている。

Fig. 1.

 Summary of tensile strength (TS) and total elongation (TEl) data for various classes of conventional and advanced high strength sheet steels (AHSSs). IF: interstitial free steel, IF-HS: high-strength IF steel, Mild: mild steel, BH: bake-hardening steel, CMn: C-Mn system steel, HSLA: high-strength low alloy steel, DP: dual-phase steel, CP: complex phase steel, TPF: TRIP-aided polygonal ferrite steel, Mart: conventional martensitic steel, Aus.: austenitic steel, TWIP: austenitic TWIP steel.

上述の第1世代~第3世代AHSSのTS×TElは初期残留γ体積率に比例する(Fig.2)91)ため,高い残留γ体積率を確保したまま,引張強さと延性を高くする技術が重要となっている。第3世代AHSSの中では,980-1180 MPa級のTBF鋼やTBM鋼の冷延鋼板が熱間プレス用鋼とともに既に乗用車用のドア,骨格部品,シートフレームなどに適用されており軽量化効果を上げている92,93,94,95,96,97,98,99)。しかし,これらの鋼のTS×TElは現在のところ30 GPa%を下回っている。

Fig. 2.

 Relationship between the combination of tensile strength and total elongation (TS×TEl) and initial volume fraction of austenite or retained austenite (0) in several ultrahigh- and high-strength steels. Mart: conventional martensitic steel, TPF, TBF, TBM and TM: TRIP-aided steels with polygonal ferrite, bainitic ferrite, bainitic ferrite/martensite and martensite matrix, respectively, Q&P: quenching and partitioning steel, TRIP: TRIP-aided or TRIP steel, TWIP: TWIP steel, Aus.: austenitic steel.

980-1180 MPa級のTBF鋼やTBM鋼53)およびQ&P鋼74)については既に多くの研究者によって解説されているので,本稿では今後の適用拡大が期待できる1470 MPa級(0.10-0.25)%C-(0.5-2.0)%Si-(1.0-2.0)%Mn系TM鋼に的を絞って,それらの残留γの形成理論,残留γのひずみ誘起変態理論と安定性,引張特性と変形機構,冷間プレス成形性,衝撃靭性と破壊靭性,および疲労特性を著者らの研究成果を中心に紹介する。なお,以下ではTPF鋼,TBF鋼,TBM鋼,TM鋼,Q&P鋼すべての総称として低合金TRIP鋼と呼ぶことにする。

2. 残留γの形成機構

γ域焼鈍後にオーステンパーまたは等温変態(IT)処理を施したSi添加鋼の残留γ特性と機械的性質についての研究は1980年代以降,Shinodaら100,101),Bhadeshiaら102,103),Garcia-Mateo and Caballero104),Tomitaら105,106),Tsuzakiら107,108)によって精力的に行われている。これらの研究の多くは0.4%以上の炭素を添加した鋼を用いており,主に強度と靱性の向上を目的としている。乗用車車体への適用を目的として,冷間プレス成形性を改善した超高強度薄鋼板についての研究は1990年代後半から開始され42,44,45,47,48,49,50,51,52,53,54,55,58,59,60,61,65,66,71,72,73,74,75,76,77,78,79,80,81),主に0.2%C-1.5%Si-1.5%Mnを基本組成とするTBF鋼,TBM鋼およびTM鋼を用いて行われた。このような鋼板では,溶接性も重視されるので,鋼板のC添加量は0.25%以下に制限されている。

TBF鋼,TBM鋼およびTM鋼は,γ域焼鈍後にそれぞれ(1)マルテンサイト変態開始温度(MS)以上,(2)MSとマルテンサイト変態終了温度(Mf)の間,(3)Mf以下,のIT処理温度(TIT)まで急冷後,その温度で100~1000 s保持する熱処理を施すことによって製造される(Fig.3(a))58,59,60,61,62,63,64,65,66,67,68,69,70)。これらの熱処理によって,以下の組織が得られる。

Fig. 3.

 Heat treatment diagrams for (a) TM and (b) Q&P steels. γ, γR, αbf, αm and αm* are austenite, retained austenite, bainitic ferrite, primary soft wide-lath martensite and secondary hard narrow-lath martensite, respectively. Mixture of γR and αm* is MA-like phase. Dotted and gray lines in (a) denote IT for TBF and TBM steels, respectively. Dotted line in (b) represents “one step Q&P”. Arrows represent motion of solid carbon.

(1)TIT ≧ MS: αbf+γR [TBF鋼]

(2)Mf ≦ TIT ≦ MS: αbf+αm+γR+(θ)+MA [TBM鋼]

(3)TIT ≦ Mf: αm+γR+θ+擬MA [TM鋼]

ここで,αbfαmγRθ,MAはそれぞれベイニテイックフェライト,軟質α’-マルテンサイト,残留γ,炭化物(主にセメンタイト),硬質α’-マルテンサイトと残留γの混合相(MA相)である。以降では,α’-マルテンサイトを簡単にマルテンサイトと呼ぶ。Fig.3(a)にはTM鋼の熱処理中の各相の体積率変化と固溶炭素の移動経路を示す。これらの鋼では2~15vol%の残留γが得られるが,その体積率はTBF鋼で最も多く,TM鋼で最も少ない。Fig.4に示すように,残留γ中の炭素濃度はT0温度(同じ化学組成を有するα相とγ相の化学的自由エネルギーが等しくなる温度)での炭素濃度(Cγ0)まで濃化する16,44,103,109)。しかし,TIT<Tcの場合,炭化物が析出しやすくなるので,IT処理時間が長すぎると炭化物が析出する。実際には,IT温度が高いTBF鋼では炭化物はほとんど析出しないが,TBM鋼ではIT温度が低い場合にTM鋼と同様に少量の炭化物が析出する。なお,TM鋼ではMA相と軟質マルテンサイト母相の変形強度比は比較的小さく,またそれらの相の境界は傾斜相となりTBF鋼と比較して明瞭でないので,擬MA相と呼ぶことにする。TM鋼では,IT処理での保持によってγへの炭素濃化が進み,MS温度が低下するため,スーパーベイナイト鋼のような微細ベイニテイックフェライト相102,103,104)も生成される可能性があるが,現時点ではこの点は明らかでない。

Fig. 4.

 Schematic illustration of thermodynamic condition which must be satisfied before cementite can precipitate from austenite.T0 is a temperature where austenite and ferrite with the same chemical composition are identical free energies.

TM鋼では,IT処理温度が低い場合にはIT処理後にTP=200~350°Cで1000 s程度の炭素濃化処理(partitioning)を施すことがある60,61,62,63,64)。このような処理は従来構造用鋼の焼入れ後の焼戻し処理と類似するが,TM鋼の炭素濃化処理では炭化物の析出はほとんど抑制され,主に軟質マルテンサイトと擬MA相の硬質マルテンサイトから残留γへの炭素の拡散(濃化)が生ずる(Fig.3(a))60,61)

Fig.5にTM鋼のEBSD解析結果とTEM像の代表例を示す60,65)。また,Fig.6にTM鋼の初期残留γ特性(体積率と炭素濃度),擬MA相体積率,炭化物体積率とTITとの関係を示す59)。TITがMf以下であっても,TM鋼の組織は変化し,TITが高いほど残留γと擬MA相の体積率は高くなり,逆に炭化物体積率は低くなる。擬MA相は主に,旧γ粒界,パケット境界,ブロック境界に存在する。残留γは主にその擬MA相中の硬質マルテンサイト境界に沿って存在する(Fig.5(a))。炭化物は軟質マルテンサイトラス内にのみ析出する(Fig.5(b))が,その体積率は焼入れ・焼き戻し(QT)処理を施した低合金鋼の炭化物体積率の1/4~1/2である59,60,61)。TM鋼では,焼入れ性改善元素であるC,Mn,Mo,Niなどを添加すると,擬MA相の体積率が増加する傾向がある58,63,64)。BはTM鋼の焼入れ性を改善するが,残留γ特性についてはほとんど影響しない67)。なお,Fig.6(a)に示されるように,TBM鋼の残留γ体積率と炭素濃度はTM鋼より高い。一方,TBF鋼と比較すると残留γ体積率は低いが,炭素濃度は高い54,55)

Fig. 5.

 (a) Image quality distribution map of Fe-α(bcc) and (b) TEM image in TM steel (TIT=50°C) with a chemical composition of 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-0.05%Nb. αm: soft wide lath-martensite (orange phase in (a)), MA: MA-like phase (yellowish green), γR: retained austenite (black), GB: prior austenitic grain boundary, PB: packet boundary, BB: block boundary.

Fig. 6.

 Variations in (a) initial volume fraction (fγ0) and carbon concentration (Cγ0) of retained austenite and (b) volume fractions of MA-like phase (fMA) and carbide (fθ) as a function on isothermal transformation temperature (TIT) in 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-1.0%Cr-0.05%Nb TM steel.

このTBM鋼と類似の組織を得る熱処理法として,Q&P処理がSpeerらの研究グループ28,71,72,73,74,75)によって提案されている。この処理はFig.3(b)に示すように,γ域焼鈍後にMsとMf間の温度TQ(quenching温度)まで急冷することによって,ある体積率の軟質マルテンサイトを変態させた後,Ms以上の温度TP(partitioning温度)でベイナイト変態をさせている(2段Q&P処理)。このベイナイト変態時では,さきに得られた軟質マルテンサイトからγへの炭素濃化が進み,冷却後に高い体積率かつ炭素濃度の高い安定な残留γが得られる28)。なお,軟質マルテンサイトの体積率(fαm)とTQとの関係は次式110)の経験式で示される。   

f α m = 1 exp 0.011 ( M S T Q ) (1)

このような2段Q&P処理は,引き上げオーステンパー処理として1992年にShinodaら101)によって既に提案されている。Speerら75)は後に,MSとMfの温度域またはMf温度以下のTQに冷却後にその温度で等温変態を行う1段Q&P処理も提案している。この熱処理法は,Fig.3(a)のTBM鋼を製造するプロセスと類似する。

Q&P鋼において最大の残留γ体積率を得るためのTQ(TQ,op)はFig.728)のように決定することができる。この際,以下の3つの仮定をおいている。

Fig. 7.

 Phase fractions and final austenite carbon concentration (Cγ) as a function of quenching temperature (TQ) in a 0.19%C-1.59%Mn-1.63%Si steel assuming ideal partitioning response. fγ0: final volume fraction of retained austenite, fγQ: volume fraction of austenite on quenching, fαm: volume fraction of martensite on quenching, fαm*: final fresh martensite fraction, TQ,op: optimum TQ.

(1)最初のquenching時に生じたマルテンサイト中の固溶炭素はすべてγへ濃化する。

(2)Partitioning過程中のマルテンサイト体積率とγ体積率は一定である。

(3)炭化物の形成は抑制される。

なお,Q&P鋼の残留γ体積率に及ぼすC,Mn,Al,Si,Crの影響はKangら79)によって報告されている。

3. 残留γのひずみ誘起変態理論と安定性

低合金TRIP鋼中に存在する残留γは室温では準安定であり,残留γのMS以上の温度での弾性変形または塑性変形によって,マルテンサイト変態を開始する8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,28,42,43,44,45,46,47,48,49,50,51,52,53,54,55,56,57,58,59,60,61,62,63,64,65,66,67,68,69,70,71,72,73,74,75)。その変態挙動は残留γの炭素濃度17),サイズ,存在位置14)などの組織因子のほか,応力状態12,15,17,53),ひずみ速度12,53)などの力学的因子に影響される。一般に低合金TRIP鋼に存在する残留γの変態挙動はマルテンサイト変態と関連するMS,MSσ,Md温度と関係づけて,以下のように説明されている73,111)(Fig.8)。ここで,MSσ温度は応力誘起変態からひずみ誘起変態に遷移する温度,Md温度はマルテンサイト変態が誘起されない下限温度である。

Fig. 8.

 Schematic illustrating the dominant deformation mechanisms of the retained austenite in a different temperature range. αpf, αm and γR are polygonal ferrite, α’-martensite and retained austenite, respectively.

(1)MS-MSσ間:残留γの降伏応力以下の応力を負荷したとき,すでに存在している核生成位置で残留γα’-マルテンサイトに変態する【応力誘起マルテンサイト変態】。

(2)MSσ-Md間:残留γが塑性変形を受けたとき,すべり変形によって生じた変形バンドの交差部で形成されたマルテンサイト変態の核111)を起点として,α’-マルテンサイト変態が生ずる【ひずみ誘起マルテンサイト変態】。

(3)T>Md:ひずみ誘起マルテンサイト変態を生じない。

Mn濃度が0~15 mass%の範囲では,残留γのMn濃度が増すにともない積層欠陥エネルギーは低下する112)。このような残留γを含む低合金TRIP鋼では,変形を受けると,残留γからhcp構造であるε-マルテンサイトイトが容易に生成し,これが中間相または刺激となり,α’-マルテンサイト変態が促進される6)

ひずみ誘起マルテンサイト変態には残留γの安定性が引張延性やプレス成形性などに重要な影響を及ぼす。その変形に対する安定性を定義する経験式はAngel113),Ludwigson and Berger114),Olson and Cohen111),Matsumuraら8),Sugimotoら12,13),Shinら115),Sherifら116),Mukherjeeら117)によって提案されている。以下では,代表として,Sugimotoら12,13)とSherifら116)の経験式を説明する。一般に,残留γの体積率は塑性ひずみの増加にともない減少する(Fig.9(a))。Sugimotoら12,13)はこの残留γの体積率の減少を残留γの安定性を示すパラメーターk(ひずみ誘起変態係数)と関連づけて,次式のように示した。   

ln f γ = ln f γ 0 k ε (2)

Fig. 9.

 (a) Variations in volume fraction of retained austenite (fγ) as a function of plastic strain (ε) (strain rate: 2.8×10–4/s) and (b) forming temperature dependence of k value in 0.4%C-1.5%Si-1.5%Mn TPF steel. SIMT: strain-induced martensite transformation, SIBT: strain-induced bainite transformation, Bs: bainite-start temperature, Bd: start temperature of strain-induced bainite transformation, Ts: minimum k value temperature.

ここで,fγ,fγ0はそれぞれ塑性ひずみεを付与された後の残留γ体積率,初期残留γ体積率である。

Sherifら116)は(2)式を次式のように定式化している。   

ln ( f γ 0 / f γ ) = k 1 Δ G α m , γ ε (3)

ここで,Δm,γは同じ組成のマルテンサイト(αm)とγの変態のための化学自由エネルギー変化(Δm,γ=ΔGγ−Δm)である。ただし,(3)式には形状変化に起因する蓄積エネルギーを考慮していない。k1は定数である。

Fe-Cr-Ni系などのオーステナイト系高合金TRIP鋼5,6,7)では,kまたはk1値はMd温度以上では0になるが,低合金TRIP鋼ではベイナイト変態開始温度(BS温度)以上で,ひずみ誘起ベイナイト変態も生ずる12,13)。このため,kまたはk1値が最小となる温度(Ts)が現れ(Fig.9(b)中のTs),Mdは隠される。そのk値は高ひずみ速度および等2軸引張では高くなる。また,残留γ中の炭素濃度を高くするとk値は低下するとともにTSが低温側にシフトする13,17)

一般に,低合金TRIP鋼の一様伸びと全伸びを大きくするためには,くびれを生ずるほどの大きな塑性ひずみ域で残留γがマルテンサイトにひずみ誘起変態し,この結果としてひずみ硬化率が高くなり,くびれの発生が抑制されることが必要である。この現象がTRIP効果と呼ばれる。低合金TRIP鋼の残留γの安定性は高合金TRIP鋼に比較して低い5,6,7)ので,残留γのTRIP効果を最大限に利用し,大きな伸びや成形性を得るためには,100~250°Cに相当するTSで変形または加工することが必要である。

4. 引張特性と変形機構

Fig.10にTM鋼(TIT=50,200°C)とTBM鋼(TIT=300°C)の引張変形曲線の代表例を示す61,65,66)。また,Fig.11にそれらの引張特性のIT温度依存性を示す65,66)。TM鋼では,擬MA相の存在に起因して,DP鋼のような連続降伏が生じ(Fig.10(a)),0.2%耐力と降伏比(0.63~0.70)はQT処理を施した一般構造用鋼に比較して低い傾向を示す。引張強さのIT温度依存性は0.2%耐力より大きく,IT温度の上昇にともない低下する。一方,全伸びと断面減少率はIT温度の上昇に伴い増加する。TM鋼のTS×TEl(10~13 GPa%)はTBM鋼や980 MPa級のDP鋼と同レベルか少し高い。しかし,第3世代AHSSのターゲットである30 GPa%には及ばない(Fig.2参照)。

Fig. 10.

 Engineering stress-strain (σ-ε) curves of 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-1.0Cr-0.05%Nb TM and TBM steels subjected to isothermal transformation at TIT = 50, 200 (TM), and 300 °C (TBM). (a): initial stage, (b) full stage.

Fig. 11.

 Variations in (a) yield stress or 0.2% offset proof stress (YS) and tensile strength (TS), (b) total elongation (TEl) and combination of TS and TEl (TS×TEl) and (c) reduction of area (RA) as a function of isothermal transformation temperature (TIT) in 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-0.05%Nb TM and TBM steels.

Speerら28)やDe Moorら75)によれば,0.2%C-1.6%Si-3%Mnの組成を有するQ&P鋼は炭素添加量の多い0.4%C -1.5%Si-0.8%Mn-TPF鋼9)や0.8%C-1.6%Si-2%Mn-0.2%Mo-1%Cr-1.5%Coスーパーベイナイト鋼103,104)と同様に,30 GPa%のTS×TElを達成している。このようなQ&P鋼は現在,TM鋼とともに第3世代AHSSとして期待されている。

Fig.5で示されたように,TM鋼の組織は軟質マルテンサイト母相と擬MA相のような硬質第二相からなるので,TPF鋼12)やTBF鋼53)と同様に,引張塑性ひずみ(ε)を付与した時の全ひずみ硬化量(Δσh(ε))は以下の3種類の硬化の合計で表される12,70)

(i)ひずみ誘起マルテンサイト硬化:Δσm(ε)   

Δ σ m ( ε ) = g ( Δ f α m ) (4)

(ii)長範囲内部応力による硬化:Δσi(ε)   

Δ σ i ( ε ) = { ( 7 5 v ) μ / 5 ( 1 v ) } f ε P u (5)

(iii)林転位硬化:Δσf(ε)   

Δ σ f ( ε ) = ζ μ ( b f ε / 2 r ) 1 / 2 (6)

ここで,Δmは残留γのひずみ誘起変態によって増加したフレッシュマルテンサイトの体積率,νはポアソン比,μは剛性率,fは第二相(擬MA相)体積率,εPuはunrelaxed strain,ζは材料定数,bはバーガースベクトル,rは第二相の半径である。

TM鋼はTBF鋼やTBM鋼に比較して一様伸びが小さくなるが,これは母相の初期可動転位密度が極めて高く,変形初期にひずみ硬化率が急減することに加え,母相と第二相の変形強度差が比較的小さいために,母相に高い圧縮の長範囲内部応力が発生せず,ひずみ硬化率の低下(くびれの開始)を抑制する能力が低いためと考えられる。

5. 冷間プレス成形性

Fig.12に1470 MPa級TM鋼の冷間プレス成形品の代表例59,61)を示す。また,Fig.13にTM鋼の張出し性(最大張出し高さHmax),伸びフランジ性(穴広げ率λ=(df−df)/df,d0:打ち抜き時の穴径(4.76 mm),df:き裂発生時の穴径)および曲げ性(最小曲げ半径Rmin)を示す59,61)Fig.13中には,DP鋼と従来マルテンサイト鋼(22MnB5鋼,QT処理)の結果も示す。TM鋼はDP鋼や22MnB5鋼に比較してすべての成形性が優れている。この場合,IT温度がMfに近い200°Cのとき成形性はとくに優れている。図中には示されていないが,200~350°Cでの炭素濃化処理はそれらの成形性をさらに高めることが報告されている61)

Fig. 12.

 Photographs of formed specimens. (a) stretch forming, (b, c) stretch flanging, and (d) bending tests (2 mm radius) performed on 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-0.05%Nb TM steel subjected to IT at 200 °C. (c) High-magnification image of the region marked by the square in (b).

Fig. 13.

 Relationships between (a) hole-expanding ratio (λ), (b) maximum stretch height (Hmax) and (c) minimum bending radius (Rmin) and tensile strength (TS) in 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-0.05%Nb TM and TBM steels subjected to IT at 25 to 300 °C. DP: 0.082%C-0.88%Si-2.0%Mn dual-phase steel. 22MnB5: 0.23%C-0.19%Si-1.29%Mn-0.21%Cr-0.024%Ti-0.003%V-0.003%B martensitic steel.

Sugimotoら45,47,48,54,55)によれば,TBF鋼やTBM鋼の伸びフランジ性は打ち抜き損傷挙動とその後の穴広げ変形能に影響される。TBF鋼では残留γは主にベイニティックフェライト母相中に単独相として存在する42,43,44,45,46,47,48,49)が,TM鋼では比較的軟質な母相中に多量の硬質な擬MA相として微細に分散する。その擬MA相と母相の境界は明瞭でなく,かつその第二相/母相強度比は比較的小さい58,59,60,61,62,63,64,65,66,67,68,69,70)。残留γの多くは擬MA相中の硬質マルテンサイトに囲まれているため,その変形拘束効果により炭素濃度が低くても塑性変形に対して比較的安定であり,高ひずみ域での塑性変形中にひずみ誘起マルテンサイト変態を生ずる。このひずみ誘起変態時に生ずる塑性緩和や低い第二相/母相強度比が打ち抜き時にせん断部長さを大きくするとともに,破断部の打抜き損傷(ボイドやき裂形成)を抑制する。さらに,穴広げ時にボイドやき裂の成長を抑制し,結果的に優れた伸びフランジ性をもたらせている59,61)。なお,TM鋼の優れた張出し性と曲げ性はそれぞれ大きな一様伸びと局部延性に起因している。

TM鋼の張出し性,伸びフランジ性および曲げ性は合金元素に影響され,0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn鋼を基本鋼としたとき,0.5%Crまたは1.0%Crの添加がこれらの成形性を最良とする66)。一方,3~5%Mnの添加は伸びフランジ性を大きく低下させる37)

Q&P鋼についても冷間成形性の研究が多数報告されている118,119)。Hudgins119)によれば,1170 MPa級のQ&P鋼は980 MPa級のDP鋼に比較してはるかに優れた穴広げ性と曲げ性を有する。なお,現在のところQ&P鋼とTBM鋼やTM鋼の成形性を比較した信頼性のあるデータは見当たらない。

6. 衝撃靱性と破壊靭性

Fig.14に200°CでIT処理を施した0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-(0-1.0)%Cr-(0-0.2)%Mo-(0-1.5)%Ni-0.05%Nb-TM鋼の25°Cでのシャルピー衝撃値,延性・脆性破面遷移温度と引張強さの関係を示す64,67)。TM鋼の25°Cの衝撃値は同じ化学組成を有するTBF鋼と同程度に高く(TS×CIAV=140~180 J/cm2),かつ破面遷移温度はTBF鋼よりはるかに低い(DBTT=−150~−130°C)。これらの衝撃特性は,従来の構造用マルテンサイト鋼(SCM420鋼,QT処理)と比較してはるかに優れている。1.0%Cr-0.2%Mo添加TM鋼は最も高い衝撃特性を有するが,3-5%のMn添加TM鋼は高い延性・脆性遷移温度を示す39)。1.0%Cr-0.2%Mo添加TM鋼の優れた衝撃特性はき裂発生時とき裂伝播時の変形エネルギーが高いことに起因している。

Fig. 14.

 Relationships between tensile strength (TS) and (a) Charpy impact absorbed value (CIAV) at 25 °C and (b) ductile-brittle transition temperature (DBTT) for SCM420 steel tempered at 200-600 °C (□) and 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-(0-1.0)%Cr-(0-0.2)%Mo-(0-1.5)%Ni-0.05%Nb TBF (○) and TM steels (●) subjected to IT at 400 and 200 °C, respectively.

Fig.15にTM鋼の衝撃変形時の延性破壊と脆性破壊のメカニズムの模式図を示す64,67)。延性破壊では,炭素濃度の低い軟質マルテンサイト母相,微細に分散する擬MA相と擬MA相中に存在する2~4vol%の残留γ(ひずみ誘起変態による塑性緩和効果)が,擬MA相/母相界面でボイドの発生を抑制し,かつそれらの連結や成長を抑制するすることによって衝撃値を高めている。一方,脆性破壊では,主に微細分散した擬MA相が破面単位を小さくすることによって擬へき開き裂の発生と成長を抑制している。当然,延性破壊の場合と同様に,軟質マルテンサイト母相と擬MA相中に存在する残留γのひずみ誘起変態に起因する塑性緩和も擬へき開き裂の発生を抑制していると考えられる。

Fig. 15.

 Typical SEM images and illustrations showing (a, b) ductile and (c, d) brittle impact fractures for TM steels. Lc: quasi-cleavage crack path affected by MA-like phase located on packet and block boundaries. αm, αm*, γR, and θ represent wide lath-martensite, narrow lath-martensite, retained austenite, and carbide, respectively.

Fig.16に0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-(0-1.0)%Cr-0.05%Nb-TM鋼の平面ひずみ破壊靭性KICを示す68,69)。図中には,TBM鋼,TBF鋼,QT処理を施したSCM420鋼と一般低合金構造用鋼,18Niマルエージ鋼,スーパーベイナイト鋼の結果109,120)も示す。なお,KICは実験で得られたJICを次式に代入して計算した。   

J IC = ( 1 ν ) K IC 2 / E (7)

Fig. 16.

 Relationship between the fracture toughness (KIC) and tensile strength (TS) in 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-(0-1.0)%Cr-0.05%Nb TM steels subjected to IT at 200°C (●), 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-1.0%Cr-0.05%Nb TBF and TBM steels (○), and quenched and tempered SCM420 steel (□).

ここで,νはポアソン比,Eはヤング率である。Fig.16に示されるように,1.0%Cr添加TM鋼は1.0%Cr添加TBM鋼と同様に,SCM420鋼を含む従来の低合金構造用鋼の2倍の破壊靭性を示す。それらの破壊靭性は18Niマルエージ鋼やスーパーベイナイト鋼に匹敵する。1.0%Cr添加TM鋼の破壊靭性の改善機構はFig.15(a)で示した衝撃靭性の改善機構と同様である。

Q&P鋼においても,MsとMfの間で等温変態処理を施したときの破壊靭性値はWuら78)によって報告されているが,その破壊靭性はFig.16のTBF鋼と同等レベルであり,TBM鋼やTM鋼より低い。この理由については,現在検討中である。

7. 疲労特性

Fig.17に0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-1.0%Cr-0.2%Mo-TM鋼とTBM鋼,QT処理を施したSCM420鋼の低サイクル疲労硬化・軟化挙動(ひずみ振幅Δε=1.5%)を示す70)。SCM420鋼では2サイクル目から疲労軟化を生ずるが,TM鋼ではTBM鋼と同様に疲労硬化を生ずる。繰り返し変形の場合にも4節で述べた変形機構を適用できるので,このようなTM鋼の大きな疲労硬化は主に,(1)ひずみ誘起されたマルテンサイト体積率の増加,(2)軟質マルテンサイト母相と硬質MA相の変形応力差に起因して発生する圧縮内部応力の増加,および(3)セル組織の形成,に起因したと考えられている70)

Fig. 17.

 Variations in stress amplitude (σA) with number of cycles (N) for 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-1.0%Cr-0.2%Mo TM (TIT = 50 °C, TP = 200°C, HV491), TBM (TIT = 350°C, HV424) and SCM420 (TT = 200°C, HV468) steels. (Δε = 1.5%)

Sugimotoら63)によれば,TM鋼はQT処理を施したSNCM420鋼に比較して優れた高サイクル疲労強度(長い疲労寿命と高い疲労限)を有する(Fig.18のUP)。また,TM鋼ではSNCM420鋼に比較して,疲労き裂の発生が抑制され,かつき裂進展速度が遅くなる(応力拡大係数範囲のしきい値が高く,疲労き裂進展速度は遅くなる)。Fig.19に示すように,TM鋼では疲労き裂先端部の塑性域中に擬MA相と残留γが常に存在する。それ故,主に疲労き裂先端部の塑性域において残留γのひずみ誘起変態が応力集中を塑性的に緩和し,き裂の発生を抑制するとともに,き裂閉口を促進すること,および比較的多量の擬MA相もき裂進展の障害になったためと考えられる。なお,疲労き裂先端の塑性域寸法(wY)は次式121)より計算した。   

w Y = K 2 / ( 3 π Y S 2 ) (8)

Fig. 18.

 Stress amplitude-number of cycles (σa-N) curves and mechanical properties of 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn-1.0%Cr-0.05%Mb TM and SNCM420 steels (smooth specimens) subjected to fine particle peening (FPP) and unpeening (UP). HV: Vickers hardness, TS: tensile strength, σw: fatigue limit.

Fig. 19.

 Illustration of initiation and propagation of fatigue crack in TM steel. αm: wide lath-martensite, αm*: narrow lath-martensite, MA: MA-like phase, γR: retained austenite, θ: carbide. wY: plastic zone size.

ここで,YSは降伏応力,Kは応力拡大係数σ(πc)1/2である(σ:負荷応力,c:き裂長さ)。

このほかのTM鋼の特徴として,既存マルテンサイト鋼ではHV400~500の範囲において硬さを増加しても疲労限は増加しないか低下する122)が,TM鋼の疲労限はHV600までは硬さの増加(炭素添加量の増加)にともない直線的に増加する結果63)も報告されている。このようなTM鋼の長所は切欠き材でとくに大きく現れる。

Fig.18に微粒子ピーニング(FPP;鋼球,粒径:70 μm,アークハイト:0.104 mm[N])を施したTM鋼とSNCM420鋼の平滑材のS-N曲線と疲労限を示す123)。微粒子ピーニングは熱処理まま(UP)に比較してTM鋼の疲労寿命と疲労限をさらに高めること,およびその疲労限はSNCM420鋼より高く,疲労寿命は長いことがわかる。TM鋼の表面に微粒子ピーニングを施したとき,以下の2種類の組織変化を生ずるので,これらが主に表面硬化層の硬さと圧縮残留応力を増加し,結果的に疲労寿命と疲労限を高めたと考えられる124)

(1)極めて大きな塑性変形による母相組織の結晶粒微細化(ナノ結晶化)125)と転位密度の増加126)

(2)残留γのひずみ誘起マルテンサイト変態127)

(1)は表面層の面内方向に引張の塑性ひずみを生じさせ,これに起因して圧縮の残留応力を高める12,127,128)。(2)は体積膨張を生じさせ,(1)と同様に表面層に圧縮の残留応力を生じさせる127,128)

8. おわりに

TM鋼は当初,TBF鋼やTBM鋼と同様に乗用車車体骨格部品やシート部品などへの超高強度鋼板として開発された。IT処理温度は200°C以下であるので,TBF鋼やTBM鋼のIT処理のような塩浴を必要とせず,既存の加熱装置と焼入れ油や冷却剤を用いて熱処理できる。また,熱間加工,温間加工や加工後の冷却速度を制御することによって残留γ体積率を高くし,かつ組織を微細化することができる62,129,130)Fig.20に示すように,靭性64,67,68),疲労強度63,70,123,124),遅れ破壊強度131)などのバランスが既存低合金マルテンサイト鋼に比較して極めて優れている。また,炭素添加量の増加や,浸炭処理や微粒子ピーニング123)などの表面硬化処理によっても疲労強度を大幅に改善できるので,今後はTBF鋼132)やTBM鋼と同様に,”次世代熱間鍛造用鋼”として大幅な小型・軽量化が期待できる各種熱間鍛造用部品(駆動用歯車類,超高圧コモンレールなど)への適用が期待される。紙面の関係で遅れ破壊強度や熱間鍛造による組織制御については省略したが,興味のある方は文献129~131を参照されたい。

Fig. 20.

 Comparison of mechanical properties of 0.2%C-1.5%Si-1.5%Mn system TM and conventional martensitic steels.

文献
 
© 2017 一般社団法人 日本鉄鋼協会

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