Tetsu-to-Hagane
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Chemical and Physical Analysis
Identification of Hydrogen Trapping Sites in a Strained Ferritic-martensitic Dual Phase Steel
Hiroshi OkanoShusaku Takagi
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2018 Volume 104 Issue 1 Pages 27-35

Details
Synopsis:

There are risks of hydrogen embrittlement in ultra-high strength steels. We need to clarify the mechanism of hydrogen embrittlement and to develop steels which have superior hydrogen embrittlement resistance. Hydrogen is trapped at various trapping sites in steels. The influence of hydrogen on hydrogen embrittlement depends on the hydrogen trapping sites. Therefore, it is important to identify the kinds of hydrogen trapping sites in steels. The purpose of this study is to identify the hydrogen trapping sites in ultra-high strength steel sheets. 1180 MPa grade dual-phase steel was used. Various strain were applied to the samples by rolling, which was followed by cathodic electrolytic hydrogen charging. Hydrogen desorption rate was measured from –50 ºC using a Thermal Desorption Analysis device (TDA), which enables evaluation of each hydrogen trapping site. The TDA results were analyzed with using Gaussian function to identify each hydrogen trapping site. Four types of hydrogen trapping sites were identified in the DP steel. Hydrogen desorption peak appeared at 35°C was assigned to dislocations, peak appeared at 54°C was assigned to carbide in the martensite structure of the DP steel, Peak at 75°C was assigned to various boundaries in martensite and ferrite-martensite interface in the DP steel, and Peak at 110°C was assigned to a vacancy cluster.

1. 緒言

自動車の軽量化と衝突安全性の向上の両立を目的として自動車部品の高強度化が進められている。一方で鋼板が高強度化されると,材料中に水素が侵入した場合に伸びなどの機械的性質が劣化する“水素脆化”と呼ばれる現象が生じる1,2,3,4,5)。その脆化感受性は材料の強度が高いほど高まり,引張強度1180 MPa以上の超高強度鋼は大気腐食環境中でも脆化が生じる懸念がある6,7)

鋼の水素脆化の要因は,室温で鋼材中を拡散できる“拡散性水素”であると一般的に説明されている8,9)。鋼のようなBCC金属は水素の固溶度が小さく,鋼中のほとんどの水素が転位10),原子空孔11,12),析出物13),結晶粒界14)などに捕捉されている。これらの捕捉サイトと水素との結合エネルギーは各々異なるため,拡散性水素の中でも水素捕捉サイトによって,捕捉サイトからの水素の脱離挙動が異なる。その結果,鋼の脆化に及ぼす水素の影響が各捕捉サイトでの水素の捕捉量によって異なる可能性がある。したがって,各々の捕捉サイトでの水素捕捉量を捕捉サイト毎に分離して定量化することは,水素脆化現象を解明し適切に耐水素脆化特性を評価するために極めて重要である。しかし,水素原子は非常に小さく,材料中から逃散しやすいため,水素捕捉サイトを直接特定することは困難である。

水素の捕捉サイトを間接的に特定する一つの方法として昇温脱離法を用いる手法がある15)。この手法により測定された水素脱離曲線は幾つかのピークを示す。複数のピークを有する理由は,捕捉サイトとの結合力が弱い水素は低温で,捕捉サイトとの結合力が強い水素は高温で捕捉サイトから脱離するためである。水素脱離曲線を各捕捉サイトから脱離する水素放出曲線に分解することで水素の捕捉サイトを間接的に特定することができる16,17,18,19)。水素脱離曲線を適切に捕捉サイト毎のピークに分解するためには,まず鋼板からの水素脱離曲線を正確に測定する必要がある。鋼板に多量の水素が導入される条件では,一部の拡散性水素は室温よりも低い温度で捕捉サイトから脱離し始める。脱離温度が低い水素ほど拡散しやすく,脆化に寄与する可能性があり,室温から昇温分析を開始する一般的な水素分析装置では室温以下で脱離を開始する水素を測定することはできない。そこで,Takaiら17,19)は−200°Cから昇温分析可能な装置(Thermal desorption spectrometer heated from lower temperature:L-TDS)を開発し,固溶炭素量が異なる鋼において0°C付近で脱離する水素の測定や,純鉄において室温以下で水素脱離ピークを持つ転位と室温以上で水素脱離ピークを持つ原子空孔に捕捉された水素のピーク分離に成功した。室温以下から昇温分析を行うことは,水素脱離曲線を正確に測定するために有用な手法である。

水素捕捉サイトを同定する研究は焼戻しマルテンサイト鋼においてはいくつか例があるが,フェライト−マルテンサイト複合組織鋼に関する研究は少ない。特に自動車用薄鋼板においては,成形時に導入されるひずみに捕捉される水素が水素脆化特性に大きな影響を及ぼすと指摘されている7)。そのため,自動車用超高強度鋼板では母材組織の水素捕捉サイトだけでなく,成形時のひずみによって形成される水素捕捉サイトを同定し,鋼の水素脆化挙動を正確に把握・理解する必要がある。

そこで本報ではフェライト−マルテンサイト二相鋼の素材まま,および,ひずみ付与後の水素捕捉サイトの同定を目的として,室温以下から水素昇温分析可能な装置を用いて研究を行った。

2. 実験方法

2・1 供試材

供試材はTS 1180 MPa級に調整したフェライト−マルテンサイト二相組織鋼(以下,DP鋼),フェライト単相組織鋼(以下,α鋼),および焼き戻し温度を変化させた2種のマルテンサイト単相組織鋼を用いた(以下,M鋼およびMDP鋼)。M鋼は900°C30分保持後に水冷し,600°Cで焼戻しを行った。一方,MDP鋼はDP鋼内に分散されたマルテンサイト組織のCとMnの化学成分に近い21)材料を用いて,900°C30分保持後に水冷した焼入れまま組織に加えて200,300,400°Cに焼戻し温度を変化させ,種々の炭化物状態の組織を得た。各材料の化学成分をTable 1に,各種組織写真をFig.1に示す。MDP鋼は代表として焼入れまま状態の組織を示す。

Table 1. Chemical compositions of specimens (mass%).
SteelCSiMnPSAlTiNb
Dual Phase (DP)0.131.42.20.020.0010.040
Single-Phase Ferrite (α)0.0020.010.10.010.0050.027addadd
Martensite (M)0.150.52.00.010.0010.029
Martensite (MDP)0.210.52.40.020.0040.023
Fig. 1.

 SEM images of specimens. (a) Ferritic-martensitic dual phase steel (DP). (b) Single-phase ferritic steel (α). (c) Martensitic steel (M). (d) Martensitic steel as quenched (MDP)

これら供試材を板厚1.0 mm,長さ150 mm,幅100 mmの板材に加工し,圧下率5~30%で一方向圧延を行い,ひずみを付与した。M鋼は圧延機の制限により圧下率20%圧延に留めた。MDP鋼はひずみを付与しなかった。作製したひずみ付与材の圧下率と真ひずみの関係をTable 2に示す。また,ひずみによって形成された欠陥の熱的安定性を確認するために,真ひずみ0.26を付与したα鋼をAr雰囲気下で200°C,30分の焼鈍を行った。各々の鋼板を機械加工により長さ25 mm,幅10 mm,板厚0.3 mmの試験片とし,水素チャージおよび水素分析に供した。試験片表面は研削のままとした。試験片厚さは水素捕捉サイトからの水素の脱離律速で水素脱離ピーク温度が決まる0.3 mmとした22)

Table 2. Relationship between rolling reduction condition and true strain of the specimens.
Reduction (%)058142030
True strain00.060.100.170.260.41

2・2 水素添加および水素分析方法

水素添加方法は陰極水素チャージ法を用いた。溶液は(3wt.% NaCl+3wt.% NH4SCN)水溶液とした。DP鋼,M鋼およびα鋼は電流密度を30 A/m2,水素チャージ時間を24時間とした。MDP鋼では水素との結合力が強い捕捉サイトの水素脱離ピークを明確にするために,主に強い捕捉サイトに水素を捕捉させるように水素添加量を低減することを意図して電流密度1 A/m2とした。水素のチャージ後は試験片を速やかに液体窒素中に保管し,分析開始までの水素の逃散を抑制した。これらの供試材を水素昇温分析に供した。

水素量はガスクロマトグラフ型の低温型昇温式水素分析装置(Thermal Desorption Analysis equipment practicable from Lower temperature:,以下L-TDAと記述)を用いて測定した。測定温度範囲は−50°C~200°Cとし,拡散性水素量は200°C以下で検出された水素の積算値として求めた。昇温速度は主に200°C/hとした。ひずみ0.26を付与したDP鋼,α鋼,M鋼および300°C焼戻しMDP鋼に関しては,水素捕捉サイトからの水素脱離の活性化エネルギーを算出するために,昇温速度200°C/hに加えて100°C/h,50°C/h,に変化させた条件での水素脱離曲線を得た。

3. 実験結果

3・1 フェライト単相鋼の水素脱離曲線に及ぼすひずみ,昇温速度の影響

Fig.2にひずみ量を変化させたα鋼の水素脱離曲線を示す。なお,以下で述べる水素脱離ピーク温度は全て昇温度速度200°C/hでの値とする。母材の水素脱離は−15°C近傍から始まり,35°C近傍で水素脱離速度の最高値を示した。ひずみ量の増加とともに35°C近傍の水素脱離速度は増加した。また,ひずみ付与により100~150°Cの間に新たな水素脱離ピークが出現した。拡散性水素量は母材で0.7 mass ppm(以下ppm),ひずみ0.41材では2.2 ppmであった。

Fig. 2.

 Effect of strain on hydrogen desorption curves in α steels.

Fig.3にピーク温度の昇温速度依存性を調べるために,α鋼のひずみ0.26材を用いて昇温速度を変化させたときの水素脱離曲線を示す。昇温速度の低下とともに水素脱離ピーク温度は低下した。Fig.4にひずみ0.26材を焼鈍した鋼板での水素脱離曲線をひずみまま材の曲線と比較して示す。焼鈍の有無により,やや変化するもののピークの温度や形状に大きな変化はなかった。一方,110°Cを超える水素脱離ピークは200°C焼鈍により消滅した。この結果は,100~150°Cの温度域で水素脱離する捕捉サイトが200°C程度の焼鈍で消滅することを示している。

Fig. 3.

 Effect of heating rate on hydrogen desorption curves of the α steel with strain of 0.26.

Fig. 4.

 Effect of annealing at 200°C on hydrogen desorption curve at the α steel strain of 0.26.

3・2 マルテンサイト単相鋼の水素脱離曲線に及ぼすひずみおよび焼き戻し温度の影響

Fig.5にひずみを変化させたM鋼の水素脱離曲線を示す。母材での水素脱離はα鋼と同様に−15°C近傍から始まり,35°C近傍で水素脱離速度の最高値を示し,ひずみ量の増加とともに35°C近傍の水素脱離速度は増加した。一方で50°C~100°Cの温度範囲ではα鋼と比較して35°C近傍のピーク高さからの水素脱離速度の低下度合いが緩やかであり,幅の広い水素脱離曲線であった。また,α鋼と同様にひずみ付与により100~150°Cの温度域に水素脱離が認められた。拡散性水素量は今回の水素チャージ条件では母材で2.2 ppm,ひずみ0.26材では9.5 ppmであり,α鋼よりも多量の水素を含んだ。この理由は,マルテンサイト組織中の転位等の水素捕捉サイトがα鋼よりも多いためと考えられる。Fig.6に焼戻し温度を変化させたMDP鋼の水素脱離曲線を示す。水素脱離は−15°C近傍から始まり,50°C近傍で水素脱離速度の最高値を示した。水素捕捉量は300°C焼戻し材では焼入れまま材より増大したが,400°C焼戻し材では低下し,焼入れまま材と同程度となった。

Fig. 5.

 Effect of strain on hydrogen desorption curves in M steels.

Fig. 6.

 Effect of tempering temperature on hydrogen desorption curves in MDP steels.

Fig.7にピーク温度の昇温速度依存性を調べるために,最も水素捕捉量の多い300°C焼戻し材を用いて昇温速度を変化させたときの水素脱離曲線を示す。昇温速度の低下とともに水素脱離ピーク温度は低下した。

Fig. 7.

 Effect of heating rate on hydrogen desorption curves of MDP steel tempered at 300°C.

3・3 フェライト−マルテンサイト二相鋼の水素脱離曲線に及ぼすひずみの影響

Fig.8にひずみを付与したDP鋼の水素脱離曲線を示す。母材の水素脱離はα鋼,M鋼とほぼ同様に,−15°C近傍から始まり,30°C近傍に水素脱離速度の最高値を示し,ひずみ量の増加とともに水素脱離ピークが上昇した。一方,ひずみ付与材は,100~150°Cの温度域に水素脱離が認められた点はα鋼,M鋼と同様だが,ひずみの増大とともに水素脱離ピークが30°C近傍から高温側へ移動し,0.41ひずみ材の水素脱離ピークは50°C近傍へと変化する,というα鋼,M鋼と異なる特徴が認められた。拡散性水素量は母材で2.1 ppm,ひずみ0.41材では7.1 ppmであった。

Fig. 8.

 Effect of strain on hydrogen desorption curves in DP steels.

4. 考察

DP鋼の水素捕捉サイトは転位,原子空孔,炭化物等,複数存在すると考えられ,緒言で述べたように水素捕捉サイトによって水素が鋼の水素脆化に及ぼす影響が異なる可能性がある。そのため,水素捕捉サイト毎に捕捉されている水素量を求める必要がある。しかし,昇温脱離法で得られる水素脱離曲線は,複数の水素捕捉サイトからの水素脱離ピークの重ね合わせとして得られるため,水素脱離曲線を水素捕捉サイト毎に分離し,評価する必要がある。そこで,DP鋼中の水素捕捉サイトを種々の水素脱離ピークに分離し,各サイトでの水素捕捉サイトの明確化を試みた。DP鋼はフェライトとマルテンサイトの複合組織であるため,フェライトとマルテンサイトの水素捕捉サイトを合わせ持つと考えられる。まずフェライトおよびマルテンサイトの水素捕捉サイトの同定を行い,その結果を基にDP鋼の水素捕捉サイトを同定した。

4・1 ひずみを付与されたフェライト単相鋼の水素捕捉サイトの同定

4・1・1 フェライト単相鋼の水素脱離曲線における捕捉サイトの水素脱離ピーク分離

ひずみを付与したα鋼の水素脱離曲線より,水素捕捉サイトの種類と水素捕捉サイトに含まれる水素量を明確にするために,水素脱離曲線に対して次式(1)で与えられるガウス関数を複数当てはめることで水素脱離曲線のピーク分離を行った18,23,24)。   

F(T)=iaiexp{(TTpibi)2}(1)

ここで,Tpiはピーク温度,aiは脱離曲線の最高水素放出速度,biは脱離曲線の温度幅である。

まず,Fig.2に示した母材からの水素脱離曲線に対して(1)式を当てはめてTpiaibiを決定した。その結果,母材の水素脱離曲線は単一の曲線で近似可能であり,そのピーク温度は35°Cであった。このピークをPeak 35°Cと定義する。次に,ひずみ付与材において母材で得られたPeak 35°Cのガウス分布曲線を差し引いた残りに対して(1)式を当てはめてひずみ付与材の水素脱離曲線を再現できるTpiaibiを決定した。その結果,ひずみ材の高温側の水素脱離ピーク温度は110°Cと考えられた。このピークをPeak 110°Cと定義する。Fig.9にひずみ0.26材のα鋼の実験により得られた水素脱離曲線と,Peak 35°CとPeak 110°Cおよびそれらの重ね合わせで得られる曲線を示す。Peak 35°CとPeak 110°Cの重ね合わせで実験値を再現できることから,ひずみ付与材の水素脱離曲線はこれら2種の脱離曲線の重ね合わせであると判断した。これら2種の水素脱離ピークのガウス関数パラメータを種々のα鋼について求めた結果をTable 3に示す。Peak 35°Cの最高水素放出速度はひずみ付与によって増加した。よって,Peak35°Cはひずみ付与によって増加する水素捕捉サイトであると考えられる。一方,Peak 110°Cは母材に存在しなかったことから,ひずみ付与によって初めて形成され,ひずみの増加に伴い増加する捕捉サイトであると考えられる。

Fig. 9.

 Comparison of hydrogen desorption curves between an experimental result and a calculated result using Gaussian function in the strain of 0.26 for the α steels.

Table 3. Coefficients of Gaussian functions of hydrogen desorption peaks with strained α steels.
True strain: εtTpi [°C]ai [mass ppm/min]bi [°C]
Peak 35°C0350.04232
0.060.052
0.100.060
0.170.070
0.260.083
0.410.101
Peak 110°C01100.00050
0.060.005
0.100.007
0.170.009
0.260.012
0.410.016

4・1・2 フェライト単相鋼の水素捕捉サイトの同定

Peak 35°CおよびPeak 110°Cの水素捕捉サイトの種類について考察する。Peak 35°Cは水素のほとんどの量を捕捉しており,ひずみ量の増加とともに水素量が増加した。ひずみの増加によって転位が導入されることから,Peak 35°Cは転位起因による水素脱離ピークであると考えられる。水素捕捉サイトの種類は捕捉サイトから水素が脱離するため活性化エネルギー値から推測できる10,11,12)Fig.3で示したピーク温度の昇温速度依存性の結果からChoo-Lee14)の提案した(2)式を用いて水素捕捉サイトからの脱離の活性化エネルギーを算出した。   

ln(ϕ/Tp2)(1/T)=Eb/R(2)

ここで,Ebは水素捕捉サイトからの水素脱離の活性化エネルギー[kJ/mol],φは昇温速度[K/h],Tpは水素脱離速度のピーク温度[K],Rは気体定数である。

Fig.10に算出された脱離の活性化エネルギーを求めた結果を示す。Peak 35°Cの脱離の活性化エネルギーは30.1 kJ/molであり,転位に捕捉された水素の活性化エネルギーである20~30 kJ/mol10,25,26)とほぼ一致した。この結果からPeak 35°Cは転位に捕捉された水素の脱離ピークであると結論付けられる。

Fig. 10.

 Choo-Lee plot for calculation of activation energy of hydrogen desorption of Peak 35°C and Peak 110°C in the α steels with strain of 0.26.

次にPeak 110°Cの水素捕捉サイトの同定を行う。Takaiら19)は純鉄を水素チャージ下で引張試験した後に水素分析を行った結果,本研究と同様に110°C付近の水素脱離ピークを得ている。この試験片の陽電子消滅法によって測定された陽電子の長寿命成分と,純鉄において水素添加後に変形によって形成された空孔クラスタの陽電子寿命が一致27,28)することから,110°C付近の水素脱離ピークは空孔クラスタに捕捉された水素の脱離であると報告している。また,空孔クラスタは熱的に不安定な欠陥であり,200°C程度の焼鈍で消滅することが報告されている19)。本研究でも,Peak 110°Cはひずみ0.26材を200°Cで焼鈍した場合に,Fig.4に示すように最高放出速度が減少した。これらの結果から,本試験におけるPeak 110°Cは圧延変形により導入された空孔クラスタに捕捉された水素の脱離ピークと考えられる。

一方,Peak 110°Cの捕捉サイトからの水素の脱離の活性化エネルギーを求めた結果,Fig.10に示すように56.0 kJ/molであった。Myersら11,12)は空孔クラスタから重水素の脱離の活性化エネルギーを68 kJ/molと報告しており,本研究で得られた値よりも高かった。この差の理由は,Myersらはイオン照射によって形成された空孔クラスタについて解析したため,本研究での圧延により形成されたクラスタとはサイズが異なったためと推定する。

その他の水素捕捉サイトとして結晶粒界が考えらえる。しかし,本研究においては結晶粒界からの水素脱離と考えらえる明瞭な水素脱離ピークは認められなかった。これは結晶粒界に捕捉された水素量が転位や空孔クラスタと比較して少ないため,水素脱離ピークとして分離できなかったと考える。

4・2 マルテンサイト単相鋼の水素捕捉サイトの同定

4・2・1 マルテンサイト単相鋼の水素脱離曲線に及ぼす焼戻し温度の影響

マルテンサイト鋼の水素捕捉サイトは,転位,マルテンサイト組織の種々の界面29,30)(旧γ粒界,パケット境界,ブロック境界),そして焼戻しを行った場合には析出した炭化物が考えられる。まずDP鋼中のマルテンサイトと近い成分のマルテンサイト鋼(MDP鋼)を用いて水素脱離ピーク温度と水素捕捉サイトを同定する。

MDP鋼の水素脱離曲線から水素捕捉サイトの種類と水素捕捉サイトに含まれる水素量を明確にするために4・1と同様に水素脱離曲線に対してガウス関数を複数当てはめることで水素脱離曲線のピーク分離を行った。ピーク分離に用いた水素脱離曲線は最も水素脱離量が多い300°C焼戻しMDP鋼とした。マルテンサイト組織は多量の転位を含むため,ピーク分離には,まず4・1で決定された転位からの水素脱離ピークであるPeak 35°Cのピークを分離し,Peak 35°Cのガウス分布曲線を差し引いた残りに対して(1)式を当てはめて,水素脱離曲線を再現できるTpiaibiを決定した。その結果,300°C焼戻しMDP鋼には54°Cの水素脱離ピークが存在すると考えた。このピークをPeak 54°Cと定義する。水素脱離曲線のピーク分離結果をFig.11に,それぞれの水素脱離ピークのガウス関数フィッティングのパラメータをTable 4に示す。実験値はPeak 35°CとPeak 54°Cの重ね合わせで再現できたことから,300°C焼戻しMDP鋼の水素脱離曲線はこれら2種の脱離曲線の重ね合わせであると判断した。

Fig. 11.

 Comparison of hydrogen desorption curves between an experimental result and a calculated result using Gaussian function in 300°C tempered MDP steel.

Table 4. Coefficients of Gaussian functions of hydrogen desorption peaks in the 300°C tempered MDP steel.
Tpi [°C]ai [mass ppm/min]bi [°C]
Peak 35°C350.0432
Peak 54°C540.1622

Peak 54°Cの水素捕捉サイトについて考察する。Fig.6に示した通り,水素量は焼戻し温度の上昇に伴い,300°Cまでは増加するが,400°Cでは減少する。すなわち,Peak 54°Cは焼戻し温度によって変化する水素捕捉サイトであると考えられる。Newman31)らやSakamoto32)らは水素拡散に及ぼすマルテンサイト鋼の焼戻し温度の影響を調べ,水素捕捉量が300°Cで最大値を示すことを明らかにした。その理由として,300°Cまでの焼戻しでは炭化物の析出量増加とともに,界面積が増大するのに対し,300°C以上の焼戻しでは形成した炭化物の粗大化により,界面積が減少し水素捕捉量が低下したと述べている。このことから,Peak 54°Cは炭化物に捕捉された水素脱離ピークと考えられる。旧γ粒界,パケット境界,ブロック境界も水素捕捉サイトと考えられるが,水素量が転位や炭化物と比較して少ないため,水素脱離ピークとして明瞭に分離できなかったと考える。

この結果から,300°C焼戻しマルテンサイトの水素捕捉サイトは転位と炭化物であると考えられる。また,Fig.7に示す昇温速度を変化させて測定した水素脱離曲線において,Peak 54°Cのピークをそれぞれ分離し,ピーク温度の変化をFig.10と同様の手順で求めた結果,炭化物界面の水素脱離活性化エネルギーは41.5 kJ/molであった。

4・2・2 ひずみ付与されたマルテンサイト鋼の水素捕捉サイトの同定

ひずみを付与したマルテンサイト鋼(M鋼)の水素脱離曲線を捕捉サイト毎にピーク分離を行った。ピーク分離に適用した水素脱離ピークは,Peak 35°C(転位),Peak 54°C(炭化物),およびPeak 110°C(空孔クラスタ)とした。一例として,ひずみ0.26材の結果をFig.12(a)に示す。Peak 35°C,54°Cおよび110°Cの3つのピークの重ね合わせの場合には,実験的に得られた水素脱離曲線とガウス関数用いたフィッティングとの間に50°C~110°Cの温度域に不一致が見られた。実験的に得られた水素脱離曲線を再現するためには,Fig.12(b)に示すようにPeak 35°C,54°Cおよび110°Cに加えて,水素脱離曲線を再現できるように(1)式に示すTpiaibiを決定した。Fig.12(b)に示した,ひずみ0.26材の水素脱離ピークを分離したガウス関数パラメータの結果をTable 5に示す。これらの結果から,ひずみ付与されたマルテンサイト鋼の水素脱離曲線には75°Cの水素脱離ピークが存在すると考えた。このピークは予ひずみの有無によらず存在していた。このピークをPeak 75°Cと定義する。マルテンサイト組織を有するM鋼には転位,炭化物,空孔クラスタ以外の水素捕捉サイトが存在すると考えられる。

Fig. 12.

 Comparison of hydrogen desorption curves between an experimental result and a calculated result using Gaussian function in the M steel with strain of 0.26. (a) Fitted with 3 types of Gaussian function of Peak 35°C, Peak 54°C and Peak 110°C. (b) Fitted with 4 types of Gaussian function of Peak 35°C, Peak 54°C, Peak 75°C and Peak 110°C.

Table 5. Coefficients of Gaussian functions of hydrogen desorption peaks in the M steel with strain of 0.26.
Tpi [°C]ai [mass ppm/min]bi [°C]
Peak 35°C350.37032
Peak 54°C540.03522
Peak 75°C750.11022
Peak 110°C1100.05850

M鋼のPeak 75°Cの水素補足サイトに関して考察する。Peak 75°CはM鋼には存在したが同じマルテンサイト組織であるMDP鋼では,存在しなかった。M鋼とMDP鋼の製造条件の大きな違いは焼戻し温度であり,M鋼は600°Cの高温焼戻しによってPeak 75°Cの水素捕捉サイトが新たに形成もしくは機能したと考える。転位,炭化物,空孔クラスタ以外の水素捕捉サイトとして,旧γ粒界,パケット境界,ブロック境界,ラス境界が考えられる。これらは4・3・2で述べるように,ひずみ増加に伴って増加する捕捉サイトであり,Peak 75°Cに対応すると考えられる。これらの境界は焼入れままもしくは,400°C以下までの焼戻しでは炭素(C)がこれらの境界に偏析することで水素捕捉能を低減する。一方,600°C焼戻しでは境界偏析したCの多くが炭化物として析出するために,Cの境界偏析量が低減し新たな水素捕捉サイトとして機能したと考える。すなわち,ひずみ付与されたマルテンサイト鋼の水素捕捉サイトは,転位,炭化物,空孔クラスタおよび各種境界であり,いずれもひずみ付与により水素捕捉量が増加すると考えられる。

4・3 ひずみ付与されたフェライト−マルテンサイト二相鋼の水素捕捉サイトの同定

4・3・1 ひずみ付与されたフェライト−マルテンサイト二相鋼のピーク分離

DP鋼は上記までに示した,フェライトおよびマルテンサイトの両者の水素捕捉サイトを合わせ持つと考えられる。そこで,DP鋼の水素脱離曲線に対してα鋼およびM鋼の水素捕捉サイトを含有すると考えて,実測された水素脱離曲線を捕捉サイト毎にピーク分離した。ピーク分離に適用したガウス関数パラメータはα鋼,M鋼での値と同一とした。なお,DP鋼の母材の水素脱離ピーク温度は30°C程度であったが,ピーク分離解析においては,転位のピーク温度を30°Cとしても35°Cとしてもほとんど結果には影響は及ぼさなかったため,議論を簡潔にするために母材の解析上の転位からの水素脱離ピーク温度は35°Cとして取り扱った。

一例として,DP鋼のひずみ0.26材の水素脱離曲線のピーク分離結果をFig.13に,それぞれの水素脱離ピークのガウス関数フィッティングのパラメータをTable 6に示す。4つのガウス関数の重ねあわせにより実験的に得られた水素脱離曲線が再現され,ひずみ付与したDP鋼の水素捕捉サイトは,ひずみ付与したフェライト鋼とマルテンサイト鋼中に存在する水素捕捉サイトと同一種であることが示された。一方で,Fig.8に示したようにDP鋼は,α鋼およびM鋼と異なり,圧延によってピーク温度が35°Cから50°C以上の高温側へ移動する特徴がある。これは高温で水素が脱離する捕捉サイトが圧延によって増大したためと考えられ,Peak 75°Cの水素捕捉サイトが該当すると考えられる。

Fig. 13.

 Comparison of hydrogen desorption curves between an experimental result and a calculated result using Gaussian function in the DP steel with strain of 0.26.

Table 6. Coefficients of Gaussian functions of hydrogen desorption peaks in the DP steel with strain of 0.26.
Tpi [°C]ai [mass ppm/min]bi [°C]
Peak 35°C350.29032
Peak 54°C540.03022
Peak 75°C750.08022
Peak 110°C1100.03850

4・3・2 フェライト−マルテンサイト二相鋼のPeak 75°Cの水素捕捉サイトの同定

DP鋼のPeak 75°Cの水素捕捉サイトの種類を考察するため,各水素脱離ピークの水素捕捉量に及ぼすひずみ量の影響を調査した。Fig.14に種々の量のひずみを付与したDP鋼について,全水素量に対する各水素脱離ピークに捕捉されている水素量の割合を示す。例えば,全ての水素がPeak 35°Cに捕捉された場合はPeak 35°Cが100%と示される。各捕捉サイトでの水素捕捉割合はひずみ量が増大するごとにPeak 35°Cで低下,Peak 54°Cで変化なし,Peak 75°CおよびPeak 110°Cで増加した。なお,Peak 35°Cに捕捉された水素量の絶対値は増加する一方で,ひずみ量の増加とともにPeak 35°Cの水素捕捉割合は低下している。これは,転位以外の強い捕捉サイトに捕捉される水素の割合が増大したために,Peak 35°Cへの水素捕捉割合が相対的に低下したためと考えられる。

Fig. 14.

 Effect of strain on hydrogen occupancy ratio of trapping site of DP steels. (b) is magnified figure of 0-20% part in (a).

さて,Peak 75°Cについて考察する。M鋼のPeak 75°Cのサイトに捕捉された水素の割合はFig.14からひずみ付与による顕著な変化はなく,わずかに増加した。一方,DP鋼ではPeak 75°Cにトラップされる水素量の割合はひずみ0.06付与で大きく増加し,M鋼よりも高い水素捕捉割合を示す特徴があった。M鋼と同様に,DP鋼の圧延により増加する捕捉サイトの候補は旧γ粒界,パケット境界,ブロック境界が考えられるが,これらが主体の捕捉サイトであるならば,DP鋼でもM鋼と同様なひずみによりPeak 75°Cの占有率が同様な傾きで増大すると推測できるため,DP鋼でのPeak 75°Cでの水素捕捉割合の急激な増加を説明できない。この相違から,DP鋼のPeak 75°Cは,M鋼のPeak 75°Cと異なる水素捕捉サイトを包含すると考えられる。

DP鋼特有の水素捕捉サイトとして,フェライト−マルテンサイト界面が考えられる。Fig.15にひずみがフェライト−マルテンサイト界面積に及ぼす影響を検討した結果を示す。ひずみ付与前後のDP組織についてEBSD法によってImage Quality Mapを採取した結果が(a),(c)であり,フェライト相は白。マルテンサイトはその他の部分である。このコントラスト差を利用して画像処理で(b),(d)のように二値化し,フェライト−マルテンサイト組織界面の線長をひずみ有無材について測定した。その結果,フェライト−マルテンサイト組織界面の線長は母材で585 μm,ひずみ0.06付与後は655 μmであり,0.06のひずみ付与により界面積が増大したことが確認できた。これらの結果からDP鋼のPeak 75°Cの水素捕捉サイトは主としてフェライト−マルテンサイト界面であると考える。マルテンサイト組織内の界面とフェライト−マルテンサイト界面から水素脱離ピーク温度が同一である理由は,両捕捉サイトの水素結合エネルギーが近いためと考えられる。

Fig. 15.

 Effect of strain on boundaries length in DP steels. (a), (c) Image quality map. (b), (d) Ferrite-Martensite interface binarization image.

Fig.16にDP鋼のひずみ0.26材の昇温速度を変化させたときの水素脱離曲線から,ピーク分離によりPeak 75°Cのみを抽出した水素脱離曲線を示す。Peak 75°Cのピーク温度の昇温速度依存性から(2)式用いてFig.10と同様の手順でPeak 75°Cからの水素脱離活性化エネルギーを見積もった結果,46.7 kJ/molであった。

Fig. 16.

 Effect of heating rate on hydrogen desorption curves in the DP steels with strain of 0.26.

5. 結言

本研究はフェライト−マルテンサイト二相鋼の素材ままおよび,ひずみ付与後の水素捕捉サイトの同定を目的として,室温以下から水素昇温分析可能な装置を用いて研究を行った。フェライト鋼,マルテンサイト鋼,フェライト−マルテンサイト二相鋼にひずみを導入した試験片および種々の焼戻しを行ったマルテンサイト鋼を用いて水素脱離曲線を測定し,水素捕捉サイトの同定を行った。その結果,以下のことが明らかとなった。

1)ひずみを付与したフェライト鋼の水素脱離曲線は,35°C近傍に水素脱離ピークをもつPeak 35°Cおよび110°C近傍に水素脱離ピークをもつPeak 110°Cの水素脱離ピークで構成された。各捕捉サイトの種類はPeak 35°Cが転位,Peak 110°Cが空孔クラスタであると考えられた。転位に捕捉された水素の脱離の活性化エネルギーは30.1 kJ/molであり,空孔クスターに捕捉された水素の脱離の活性化エネルギーは56.0 kJ/molと見積もられた。

2)300°C焼戻しマルテンサイト鋼では転位からの水素脱離であるPeak 35°Cに加えてPeak 54°Cの水素脱離ピークが存在した。Peak 54°Cの水素捕捉サイトは,マルテンサイト内の炭化物界面であると考えられた。炭化物に捕捉された水素脱離の活性化エネルギーは41.5 kJ/molと見積もられた。

3)ひずみを付与したマルテンサイトでは転位,炭化物,空孔クラスタの他に75°Cに水素脱離ピークをもつ水素捕捉サイトの存在が示唆され,これはマルテンサイト組織中の旧γ粒界,パケット境界,ブロック境界,ラス境界等の界面であると考えられた。

4)ひずみ付与したフェライト−マルテンサイト鋼は4種の水素脱離ピークから成るものと考えられ,それぞれPeak 35°Cは転位,Peak 54°Cは炭化物,Peak 75°Cは,旧γ粒界,パケット境界,ブロック境界,ラス境界およびフェライト−マルテンサイト界面,Peak 110°Cは空孔クラスタに対応することが示唆された。Peak 75°Cに捕捉された水素脱離の活性化エネルギーは46.7 kJ/molと見積もられた。

文献
 
© 2018 The Iron and Steel Institute of Japan

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