鉄と鋼
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加工・加工熱処理
速度論に基づく真空浸炭炉のマルチステップシミュレーション
牧野 総一郎 稲垣 昌英池畑 秀哲田中 浩司井上 弘之稲垣 功二
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2019 年 105 巻 1 号 p. 30-37

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Synopsis:

A novel and efficient simulation technique for the purpose of optimization of vacuum-carburizing process was proposed. This method consists of three steps: calculation of gas convection and diffusion, calculation of only gas diffusion, and calculation of carbon diffusion in steel. The first step provides the gas convection velocity that is employed in the second step. Adsorption rate of carbon on the steel surface is obtained in the second step, and carbon concentration in the steel is calculated in the third step based on the adsorption rate of carbon. Experiments were conducted to verify the proposed method in both laboratory- and industrial-scale reactors. Comparison of the computational predictions to the experimental data revealed that the proposed technique enabled accurate prediction of the adsorption rate of carbon on the steel surface at various temperature conditions, the amount of carburized carbon at each operating time, and the profile of carbon concentration in the steel; in other words, the carburized depth. In addition, the calculation of the industrial-scale reactor, whose simulation model consisted of approximately seven million computational meshes, was completed within about two days. Therefore, the proposed simulation technique could be used to control and optimize the process in industrial vacuum-carburizing reactors.

1. 諸言

減圧下で原料ガスから直接浸炭させる真空浸炭は,ブードア平衡反応に基づく従来のガス浸炭に比べて,鋼表面の炭素濃度を向上させることができるため,処理工程の低コスト化・省エネ化が期待できる13)。一方,原料ガスから鋼表面への炭素の吸着速度が大きくなるため,炉内で原料ガスや副生成ガスの濃度分布が生じやすく,それらの分布が浸炭に影響を及ぼすことがある。そのため,ガス浸炭における変成ガスの平衡分圧に基づく予測・解析方法では,均一な浸炭深さなどの制御が難しく,炉内の原料ガスなどの濃度分布も考慮した新たな予測・解析方法の構築が不可欠である。

Khanら4)は,真空浸炭中のプロパンガスの熱分解挙動を実験と反応速度論に基づいて調査した。しかし,彼らの研究では原料ガスの熱分解にのみ着目しており,真空浸炭において重要な要素である原料ガスから鋼への炭素供給,および鋼中の炭素拡散は考慮されていない。Yada and Watanabe5)は,Computational Fluid Dynamicsにより真空浸炭炉内のガス流れ,ガス拡散を計算しつつ,鋼中への炭素拡散も計算する先駆的なシミュレーション方法を提案した。この方法は,浸炭炉内の原料ガスの濃度分布を考慮しながら浸炭を予測することができるため,新たな真空浸炭の予測・解析方法として期待される。しかし,彼らの報告では,1枚の薄板への浸炭のみを解析対象としており,実際の量産プロセスで使用されるような,大規模で,複数のワークが設置される真空浸炭炉への適用を想定すると,シミュレーション規模の観点から次のような課題が生じる。多くの処理プロセスでは,鋼の表面から鋼中の概ね1 mm前後の範囲に炭素の濃度分布が形成される。特に表面から数百μmの範囲で急激な濃度勾配を有するため,表面近傍の計算メッシュの最小間隔は10 μm以下が望まれる(先行研究5)でも表面近傍の最小メッシュ間隔は約10 μmに設定されている)。しかし,鋼中の最小メッシュ間隔を10 μm以下にして,ガスと鋼(ワーク)を含んだ計算メッシュを作成すると,ガス側の計算最小メッシュ間隔も小さくしなければならないため,クーラン数や拡散数といった数値シミュレーションの安定性の観点6)から,計算時間刻みを非常に小さい値に制限する必要が生じる。また,浸炭炉のスケールは一般に数十cm~数mであるので,計算メッシュ数も膨大となる。特に,3次元の複雑形状のワークを対象とする場合,計算メッシュ数がさらに膨大となる。従って,先行研究の計算方法で,3次元で実際の浸炭炉中の複雑な形状のワークを対象に,数十分から数時間に及ぶ浸炭プロセスの計算をすることは,計算規模・計算時間の観点から困難である。

そこで本研究では,真空浸炭炉内のガス流れ,原料ガス濃度分布,および鋼中の炭素濃度分布を,現実的な計算時間で予測可能とするシミュレーション方法を提案する。また,単体処理用試験炉および団体処理用試験炉を対象に,提案方法の有効性を検証する。

2. マルチステップ計算法の提案

前節で述べたように,真空浸炭炉内のいくつかの物理現象は,大きく異なる長さスケールや時間スケールを有するため,それらを単純に連成して計算すると,計算効率が非常に悪くなると推察できる。この課題を解決するために,本研究ではFig.1に示すように,真空浸炭炉内の現象の時間スケールの違いに着目し,Step 1のガス対流およびガス拡散,Step 2のガス拡散,およびStep 3の鋼中炭素拡散に分離して計算するマルチステップ計算法を提案する。

Fig. 1.

Schematic overview of the multi-step simulation for the vacuum-carburizing reactor.

最初にStep 1とStep 2について考える。真空浸炭炉では,外部から真空炉へ原料ガスを供給するため,顕著なガス膨張が生じ,炉内への流入速度Uinは非常に大きな値となる。一方,炉内は真空であるため,原料ガスの輸送は,ガス対流ではなく,主にガス拡散により生じる。ガス対流の時間スケールτgcは,流入部とワーク間の平均的な距離をLgとすると,Lg/Uinとなる。一方,ガス拡散の時間スケールτgcは,ガス拡散係数をDgとすると,Lg2/(Dgπ2)となる。これらの時間スケールの比Гは,

  
Γ=τdgτcg=Lg2Dgπ2LgUin=LgUinDgπ2(1)

となる。従って,Г≫1のとき,ガス対流が定常に到達する時間が,ガス拡散が定常に達するまでの時間に比べて十分に小さくなるため,ガス対流の定常解を得てから,その結果を用いてガス拡散を解くという近似が成立する。ただし,いくつかの真空浸炭炉についてГの値を調べると,細いノズル管などで原料ガスを投入する浸炭炉ではUinが高速になるのでГ>101となるが,整流板などを介して投入する装置ではUinが比較的低速になるのでГ=10−1~100のオーダーとなる。従って,Step 1とStep 2の切り分けは,全ての真空浸炭炉で成立するわけではないので,事前にГの値を把握する必要がある。

次に,Step 2とStep 3についても,ガス拡散の時間スケールτgdと鋼中炭素拡散の時間スケールτsdの比を取ると,

  
Λ=τdsτdg=Ls2Dsπ2Lg2Dgπ2=DgDs(LsLg)2(2)

となる。ここで,Dgは鋼中における炭素の拡散係数,Lsは鋼中の炭素拡散に関する距離(例えば浸炭深さ)である。Λ≫1のとき,ガス拡散が定常に到達する時間が,鋼中の炭素拡散が定常に達するまでの時間に比べて十分に小さくなるため,ガス拡散の解を得てから,その結果を用いて鋼中炭素拡散の計算をすることが可能となる。ここで,例えば,1100 K~1300 Kの処理温度,3000 Pa以下の真空浸炭炉を想定すると,ほとんどの真空浸炭装置では,Λ=102~104となる。従って,Step 2とStep 3の現象はスケール的に大きな隔たりがあり,それぞれを分離して解析するという近似が成立すると考えられる。

3. シミュレーション手法

以上のように,各時間スケール比により定義されるГとΛの値に応じて,真空浸炭炉のシミュレーションをStep 1,Step 2,Step 3に分けて簡略化することができる。各ステップにおける計算手法を以下に説明する。

3・1 Step 1

3・1・1 基礎式

ガス流れに関する基礎式は,次式に示すような低マッハ数近似に基づく,連続の式,Navier-Stokes方程式,各化学種の輸送方程式,および状態方程式とする。なお,本研究では炉内で一様な温度分布を仮定するため,温度に関する輸送方程式は省略する。

  
ρt+(ρuj)xj=kn(ws)k(3)
  
(ρuj)t+(ρuiuj)xj=pxi+xj(η(uixj+ujxi))(4)
  
(ρYi)t+(ρujYi)xj=xj(ρDiYixj)+(ws)i(5)
  
P0=ρRTM(6)

ここで,ρ[kg/m3]は混合ガスの密度,t[s]は時間,uj[m/s]は混合ガスの速度ベクトル,xj[m]は座標(x1=xx2=yx3=z),nは考慮する化学種の総数,w's[kg/(m3s)]は表面反応速度ws[mol/(m2s)](詳細は後述)を生成項に変換し質量単位に換算したもの,p[Pa]は流体運動に起因する圧力,η[Pa・s]は混合ガスの粘性係数,Yi[−]は各化学種の質量分率,Di[m2/s]は各化学種の有効拡散係数,P0[Pa]は熱力学的な圧力,R[J/(mol・K)]は一般ガス定数,T[K]は温度,M[kg/mol]は混合ガスの平均分子量である。添字jはアインシュタインの総和規約に従うものとする。本研究で考慮する化学種は,原料ガスであるアセチレン(C2H2),および副生成ガスである水素(H2)である。壁面上の境界条件は,速度に関しては滑りなし条件を,各成分の質量分率に関してはノイマン条件を課す。ただし,ワーク表面では,表面反応速度wsに伴う各成分の質量流束の出入りが生じる。

3・1・2 熱物性値

各種ガスの粘性係数ηiは,Chapman-Enskog7)の気体分子運動論に基づく次式により与える。すなわち,

  
ηi=2.6693×106MiTσi2Ωi(2,2)(7)

ここで,σiはLennard-Jones衝突半径,Ωi(2,2)は衝突積分であり,次式に示す無次元換算温度T*の関数である。

  
T*=kBεiT(8)

ここで,kB[J/K]はBoltzmann定数,εi[J]はLennard-Jonesの井戸型ポテンシャルの深さを表すパラメーターである。混合ガスの粘性係数ηは,このηiと各成分のモル分率Xi[−]を用いて次式により簡易的に算出する。

  
η=Xiηi(9)

各種ガス同士の2成分分子拡散係数は次式により与える。すなわち,

  
Dij=1.8583×107T3/21/Mi+1/Mjpσij2Ωij(1,1)(10)

ここで,σijは次式で表される化学種ij間の平均衝突半径,

  
σij=12(σi+σj)(11)

Ωi(1,1)は化学種ij間の衝突積分で,次式に示す無次元換算温度T**の関数である。

  
T**=kBεijT(12)

Lennard-Jonesの井戸型ポテンシャルの深さを表すパラメーターεijは,化学種iおよびjそれぞれの井戸深さを表すパラメーターを用いて,以下で計算される。

  
εij=εiεj(13)

各ガスの有効拡散係数は,2成分分子拡散係数を用いて,次式により与える8,9)

  
Di=1Xiij(Xi/Dij)(14)

3・1・3 原料ガス−鋼表面間の表面吸着モデル

原料ガスと鋼表面との間の炭素輸送に関しては,Moritaら10,11)は,鋼表面で原料ガスが分解することにより黒鉛が生成し,それが直ちに鋼中に吸収されることにより浸炭が生じると報告している。また,Yada and Watanabe5)の数値シミュレーションでは,原料ガスの濃度に応じた速度論的な化学反応モデルにより炭素の鋼中への吸着が表現されている。本研究でも,これらの報告例に従い,以下のような化学反応を考慮する。

  
C2H22C*+H2(15)

ここで,上付き*は,鋼表面に吸着した状態を意味する。この反応速度は,

  
ws=ksCC2H2(16)

と表される。ks[m/s]は反応速度定数,CC2H2はアセチレンのモル濃度[mol/m3]である。従って,アセチレンの反応速度は−ws,水素に関してはwsとなる。反応速度定数ksは衝突頻度A[−],および活性化エネルギーE[J/mol]の関数として,

  
ks=Aexp(E/RT)(17)

と表される。

3・2 Step 2

Step 2では気相中の原料ガス拡散のみを考える。Step 1で得られた対流速度の定常解を U j ¯ として,以下に示す各成分の輸送方程式だけを解く。

  
(ρYi)t+(ρUj¯Yi)xj=xj(ρDiYixj)+(ws)i(18)
  
P0=ρRTM(19)

生成項w'sの算出はStep 1と同様に式(16)の表面反応速度wsに基づいて算出する。また,拡散係数Diの算出や境界条件もStep 1と同様である。

3・3 Step 3

Step 3では,鋼(オーステナイト(γ)相)中の炭素の深さ方向(ξ方向)のみ関する拡散方程式を基礎式とする。

  
(ρAYC)t=ξ(ρADCYCξ)(20)

ρAはオーステナイトの密度,YCおよびDCはオーステナイト中の炭素の質量分率および拡散係数である。DCは以下に示すWells12)の経験式により与えた。

  
DC=D0exp(QRT)(21)

ここで,

  
D0=5.0398×105exp(1.4589WC)(22)
  
Q=2908.1WC221511WC+154490(23)
  
WC=YC×100(24)

である。ξ=0(鋼表面)における境界条件は,鋼表面における炭素濃度の固溶限界の炭素質量分率をYCsatとし,鋼表面においてYC<YCsatの場合は,表面反応速度wsを用いたNeumann型境界条件とし,YCYCsatの場合は,YCsatを用いたDirichlet型境界条件とした。すなわち,

  
YC<YCsat;ρADCYCξ=ws(25)
  
YCYCsat;YC=YCsat(26)

また,ξ=∞(鋼中の母材側)の境界条件については,鋼の母材の炭素質量分率をYC0として下記のように設定する。すなわち,

  
YC=YC0(27)

なお,本研究では,文献13,14)を参考に,YCsat(1.35 mass%),YC0(0.2 mass%)と設定した。

3・4 シミュレーション手順

シミュレーションの手順をFig.2にまとめる。まず,Step 1において,式(3)−(6),(9),(14)および(16)を連成させた計算を実施する。そして,Г≫1の場合は,ガスの対流速度の空間平均値が定常に到達した後,その平均値をStep 2に受け渡して,式(18)−(19),(14)および(16)の計算を行う。この計算は,炭素吸着速度のワーク全面での平均値が定常に達するまで実施する。Г≤1の場合は,ガス対流とガス拡散の切り分けができないため,Step 2は行わず,Step 1の計算を炭素吸着速度のワーク全面での平均値が定常に達するまで行う。以上で得られた炭素吸着速度の定常値をStep 3に受け渡し,式(25)の場合はそれを境界条件とし,また式(26)の場合はYCsatを境界条件として式(20)−(21)を解き,ワーク表面上の任意位置における深さ方向の炭素濃度分布やその時間変化を得ることができる。なお,上述のようにほとんどの浸炭炉ではΛ≫1と見積もることができるため,本研究では,無条件でStep 1とStep 3,またはStep 2とStep 3の切り分けができるとし,Λ≫1が成立しない条件は本手法の適用外とする。

Fig. 2.

Computational flow-chart of the multi-step simulation.

4. 実験方法

シミュレーション結果の検証を目的に,単体処理用試験炉と団体処理用試験炉を用いた2種類の実験を実施した。単体処理用試験炉を用いた実験をFig.3に示す。直径18 mm,高さ50 mmの円筒形のワーク(肌焼鋼,SCr420)を,内径55 mmの円管反応炉内に吊るし,下方より100%のC2H2ガスを62 mL/minの流量で導入して浸炭処理を行った。炉内温度は1223 K,1273 K,1323 K,および1373 Kと変化させ,炉内圧力は300 Paとした。浸炭処理後は,C2H2ガス供給を止め,ただちに浸炭炉の下部に設置された窒素ガス冷却漕へテストピースを落下させて急冷を行った。浸炭時間を5秒として炉内温度を変化させた4条件,および炉内温度を1373 K一定として浸炭時間を変えた11条件において,浸炭処理前後におけるテストピースの重量変化から浸炭量を評価した。

Fig. 3.

Illustration of the test reactor for vacuum-carburizing.

団体処理用試験炉を用いた実験では,Fig.4に示すように,箱型の真空浸炭炉内に,外径が約130 mmのギア型ワーク(SCr420)28個を治具を用いて千鳥状に配置して実験を行った(本炉はFig.4の奥側のx-y断面で面対称であるため,片側半分のみを表示している。また,治具の記載は省略されている)。また,鋼中の炭素濃度分析のために,Fig.5に示すように,ワーク上段の流入部に近い位置(図中のA)と流入部から離れた位置(図中のB)に,直径18 mm,高さ50 mmの分析用の円筒形テストピース(SCr420)を,針金を用いて治具に固縛した。側壁に設置された合計4か所の流入部から100%のC2H2ガスを流入させる(Fig.4は面対称のため2か所の流入部のみが記載されている)。1つの流入部には直径2 mmのノズル孔が5か所あり,それぞれのノズル孔から,−xおよびx方向,−yおよびy方向,z方向へC2H2ガスが流入する。流量は,各流入部あたり3 L/minとなるように設定した。すなわち,各ノズル孔から流入するガス流量は0.6 L/minとなる。排気は流入部と異なる面の1か所から行った。炉内温度は1223 K,炉内圧力は1200 Paとし,240秒間の浸炭処理を実施した。処理後は,C2H2ガス供給を止め,ただちに炉外の油冷却漕へ落下させて急冷を行った。その後,テストピースを切断・樹脂埋めした後,アルミナ研磨した表面の炭素濃度分布をEPMA(Electron Probe Micro Analyzer,日本電子製JXA-8200)により分析した。なお,分析ラインは,テストピースを高さ方向に半分(25 mm)に切断した断面内のFig.5中のテストピース内の矢印で示すラインである。この位置はワークに最も近い箇所であり,ワークの浸炭状況を近似的に反映していると考えらえる。

Fig. 4.

Illustration of the industrial reactor for vacuum-carburizing.

Fig. 5.

Illustration of the location of test pieces for EPMA. The circles which are indicated by A and B are the test pieces and the arrow in the test piece indicates EPMA line.

5. シミュレーション条件

上述の単体処理用試験炉と団体処理用試験炉を対象にシミュレーションを実施した。単体処理用試験炉の計算では,ワーク近傍の計算メッシュの最小幅を0.5 mmに設定し,総メッシュ数が約11万メッシュの3次元モデルを作成した。炉内温度や圧力,流量などの各種条件は実験と同様に設定した。なお,単体処理用試験炉では,Г<101となるため,Step 2は実施せず,Step 1でワーク表面への炭素吸着速度まで計算した。また,実験結果と比較する際は,炭素吸着速度のワーク表面平均値をStep 3へ受け渡し,ワーク全体の平均浸炭量を算出した。

団体処理用試験炉の計算では,Fig.6に示すような,ワーク近傍の計算メッシュの最小幅が1 mmで,総メッシュ数が約680万メッシュの3次元モデルを作成した(Fig.6は手前側のx-y断面が対称面で,片側半分のみを表示している。従って,Fig.6z方向に関してFig.4とは逆方向から示していることに注意されたい)。ただし,簡単化のためにワーク設置用の治具,およびワークのギア歯は省略している。炉内温度や圧力,流量などの各種条件は実験と同様に設定した。団体処理用試験炉の場合は,Г≫1が成立するため,Step 1,Step 2,およびStep 3をそれぞれ分離させて計算した。シミュレーションでは,実験で用いた分析用の円筒形テストピース(Fig.5参照)は考慮せず,実験結果と比較する際は,実験のテストピースの高さ(50 mm)と同じy方向範囲における炭素吸着速度の面平均値を用いてワーク中の炭素濃度分布を算出し,その値をStep 3に受け渡すことで,局所の浸炭量や鋼中炭素濃度分布を算出した。

Fig. 6.

Computational domain and grid of the industrial reactor. Note that the view direction is opposite to that in Fig.4 in terms of z direction.

シミュレーションは全てin-houseプログラムを用いて実施した。Step 1とStep 2は有限体積法に基づく熱流体−反応連成解析プログラム15)を用いて実施し,Step 3は有限差分法を用いて計算した。なお,Step 3では,計算メッシュ間隔が7.8 μmの等間隔メッシュを使用した。

6. 結果および考察

6・1 表面反応モデルの提案

単体処理用試験炉を用いた浸炭量の温度依存性の実験結果から,式(17)の頻度因子と活性化エネルギーを以下のように決定した。

  
A=7.80×1010[m/s](28)
  
E=2.65×105[J/mol](29)

Fig.7に,炭素吸着速度のワーク表面平均値に関して,提案した表面吸着モデルを用いたシミュレーション結果と実験結果を比較して示す。実験の炭素吸着速度は,浸炭前後におけるワークの重量差を処理時間(5秒)とテストピースの表面積で割った値とした。なお,本温度,圧力条件では,浸炭開始5秒間は,鋼表面への炭素吸着により浸炭が律速されると見積もることができる(詳細は後述)。Fig.7の結果から,提案した表面反応モデルにより,C2H2ガスから鋼表面への炭素の吸着速度を高精度に予測できることがわかる。

Fig. 7.

Comparison of the computational prediction to the experimental data for adsorption rate of carbon as a function of temperature.

6・2 浸炭量の時間変化

Fig.8に,単体処理用試験炉を用いて,炉内温度が1373 K一定の下で,浸炭時間を変えた場合の,実験結果とシミュレーション結果を示す。浸炭初期は浸炭量が時間に対してほぼ線形に増加し,約40秒後,増加率が減少する様子が観察できる。初期の浸炭量が線形に増加する時間域は,鋼表面炭素濃度が固溶限界に到達する前であり,この段階では,原料ガスから鋼表面への炭素吸着により浸炭が律速される。一方,浸炭量の増加率が減少する時間域は,鋼表面炭素濃度の固溶限界到達後であり,鋼中の炭素拡散により浸炭が律速される段階である。本研究のシミュレーションは,このような浸炭の律速段階の変化や浸炭量の絶対値を高精度に予測可能である。

Fig. 8.

Comparison of the computational prediction to the experimental data for amount of carburized carbon as a function of operating time.

6・3 団体処理用試験炉における炭素濃度分布

Fig.9に,団体処理用試験炉の上方(y方向の正方向側)からx-z断面を可視化したシミュレーション結果を示す。流入部のノズルを中心にC2H2ガスが炉の中央に向かって拡散する様子を観察できる。その結果,ノズル近傍ではC2H2ガスの高濃度領域が,一方,炉中央部で低濃度領域が観察され,炉内においてC2H2ガスの有意な濃度分布が形成されていることがわかる。また,C2H2ガスの濃度分布に対応してワーク上の炭素吸着速度が変化する様子も確認できる。そこで,流入部に近い図中Aの位置におけるワークと,流入部から離れた図中Bの位置のワークへの浸炭量を比較するために,Fig.10にシミュレーションで得られたワークの深さ方向の炭素濃度分布と,実験のEPMAで得られた炭素濃度分布を比較した結果を示す。位置Aでは位置Bに比べてより深い位置まで浸炭されていることがわかる。本シミュレーション結果は,このような実験結果を精度良く予測している。このように,ワーク位置により浸炭状態が変わるのは,前述のように,位置Aの方が流入部に近いため,Fig.9に示すようにC2H2ガス濃度が位置Bに比べて高くなり,鋼表面への炭素吸着速度がより高くなるからである。Fig.11に,シミュレーションで得られた,各位置における単位面積当たりの浸炭量の時間変化を示す。なお,図中の矢印は,各条件において鋼表面炭素濃度が固溶限界に到達した時刻を示している。炭素吸着速度が高い位置Aでは,約10秒で表面炭素濃度が固溶限界に到達し,その後浸炭速度が鈍化するのに対して,炭素吸着速度が相対的に低い位置Bでは,約235秒まで固溶限界に到達しないことがわかる。このように,本シミュレーションにより,鋼中の炭素濃度分布を精度良く予測できるとともに,各ワークの浸炭量の時間変化なども評価できるため,ガスノズルの設置位置やワークの最適配置などの真空浸炭炉の改良や,原料ガスの供給量や濃度,浸炭時間の調整といった処理条件の最適化への応用が期待できる。

Fig. 9.

Distributions of mass fraction of C2H2 (colors), and adsorption rate of carbon on the surface of workpieces (mono color). Additionally, some velocity vectors of the gas are plotted.

Fig. 10.

Comparison of the computational predictions to the experimental data for carbon concentration profiles in the steel.

Fig. 11.

Amounts of carburized carbon at positions A and B as a function of operating time.

6・4 シミュレーション時間

上述の団体処理用試験炉の計算はマルチコア計算機(CPU:Xeon X7560(Nehalem/8core/2.27 GHz)×4,メモリ:128 GB)で実施した。計算時間は,Step 1に約24時間,Step 2に約24時間,Step 3に数分程度の,全体で約2日であった。従って,より大型の真空浸炭炉が対象の場合でも,数日で各ワークの任意の位置における浸炭の解析が可能であると考えられる。

7. 結論

真空浸炭炉内のガス対流,ガス拡散,鋼中の炭素拡散の時間スケールの違いに着目し,それらを分離して独立に計算してパラメーターを受け渡すことにより,炉内のガス流れ,原料ガス濃度分布,および鋼中の炭素濃度分布を,効率良く予測するシミュレーション技術を提案した。

重要な要素のひとつであるC2H2ガスから鋼表面への炭素吸着速度については,単体処理用試験炉の実験結果を用いて,反応速度論に基づく吸着反応モデルを構築した。また,構築したシミュレーション技術により,約2日間で,浸炭量の時間変化や,団体処理用試験炉における任意のワーク内の炭素濃度分布を高精度に予測できることを示した。

本シミュレーション技術を用いることで,現実的なシミュレーション時間で,炉内のガス流れと鋼中の浸炭深さなどを直接関連付けて解析することができるため,ガスノズルの設置位置やワークの最適配置などの真空浸炭炉の改良や,原料ガスの供給量や濃度,浸炭時間の調整といった処理条件の最適化への応用が期待できる。

文献
 
© 2019 一般社団法人 日本鉄鋼協会

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https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/
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