2019 Volume 105 Issue 10 Pages 941-956
Work hardening is one of powerful strengthening methods in metals. In this paper, the work hardening behavior is reviewed on ferritic steel from the initial stage to severe deformation stage. The work hardening behavior is roughly separated to three stages: 1) Dislocation strengthening without the change of ferrite grain size (true strain < 2.66). 2) Dislocation strengthening accompanying dynamic grain refinement (true strain > 2.66). 3) Grain refinement strengthening exceeds the strength obtained by dislocation strengthening (Grain size < 0.3 μm). With decreasing grain size and increasing carbon content, the introduction of dislocations is promoted thus yield stress (or flow stress) is enhanced at an identical percentage of deformation due to the increased dislocation density. In addition, the behavior of dislocation strengthening depends on not only dislocation density but also the character of dislocations and their arrangement. When deformation strain exceeds 2.66 in true strain, dynamic grain refinement starts and the decrease of grain size affects to make the dislocation density increase. The limit of dislocation strengthening is around 1.2 GPa, therefore the mechanism of work hardening changes finally to grain refinement strengthening when the grain size has been refined below 0.3 μm through the dynamic grain refinement. As a result, it is concluded that the mechanism of work hardening is dislocation strengthening on the early stage of deformation but grain refinement strengthening on the latter stage of work hardening.
金属に応力を加えると,まず弾性的な変形が起こり,弾性変形の限界を超えたところで塑性変形が始まる。そして,転位が集団で一斉に動き始める応力がその材料の降伏応力(Yield stress)に対応する。純金属単結晶の降伏応力は大変低く,たとえば純鉄単結晶の室温での降伏応力は約0.05 GPaである。降伏応力を高めるには転位を動きにくくすればよいわけで,強化原理としては,転位を障害物でピン止めするPinning強化と転位を障害物で堆積させるPile-up強化の2種類がある。具体的な強化機構としては,固溶強化,粒子分散強化,転位強化,結晶粒微細化強化の4種類があり,前者3つはPinning強化,そして結晶粒微細化強化のみがPile-up強化を利用している。実用金属材料では,これらの強化機構が複雑に絡み合って高い強度が生み出されているが,本稿では,多結晶フェライト鋼の加工硬化に的を絞ってレビューする。なお,本稿では,鉄鋼材料の製造や評価において最も重要度が高い単軸引っ張りや圧延方向における強度を対象とし,加工に伴う集合組織の影響は除外して,強化機構と加工硬化の関係に的を絞って解説する。
転位を動かすのに必要なせん断応力は臨界せん断応力(Critical resolved shear stress;τc)といわれ,金属の種類,結晶構造,すべり系,温度,ひずみ速度などによってその値は変化する。単結晶金属の降伏応力σyは,引っ張り方向とすべり系の関係で決まるTaylor因子Mに依存して次式で与えられる。
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fcc金属とbcc金属のいずれにおいても,M値は2~3.6744の間で変化するが,多結晶金属の場合,あらゆる方位の結晶粒がランダムに分布していると考えられるため,M値としてはその平均的な値となる。鉄(bcc)の場合は2.75という値が妥当とされており1),τcを2.75倍した値を多結晶鉄の基地の強度とみなすことができる。引っ張り応力で評価した基地の平均強度は,摩擦力(Friction stress)と呼ばれており,Fig.1に示すようなHall-Petchの関係2)から実験的にその値を求めることができる。一般的に結晶粒径は公称粒径d[m]で評価され,この例では,Hall-Petchの関係は次式で表される。
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Friction stress obtained by the Hall-Petch plots in low carbon ferritic steels2).
この式における傾きはHall-Petch係数と呼ばれ,切片値(0.1 GPa)が摩擦力に相当する。摩擦力は,合金の化学成分や温度,ひずみ速度によって変化し,市販の低炭素鋼には少量のMnやSiが含まれているため,固溶強化によって摩擦力が0.1 GPaにまで高められている。
臨界せん断応力に及ぼす温度の影響についてはAonoらが純鉄を用いて詳細に調査しており3),その結果をFig.2に示す。τcの値は,室温以下の温度域で急激に大きくなり,室温から−200°Cまでの範囲については,温度T[°C]とτc[GPa]の関係は次式で与えられる。
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Temperature dependence of the critical resolved shear stress in pure iron3).
室温以下の温度域において臨界せん断応力の値が大きくなるのは,らせん転位と刃状転位とで転位芯構造が異なり,らせん転位が動きにくくなることが原因とされているが,室温付近(20~25°C)では,臨界せん断応力の値は0.025 GPa程度と極めて小さい。したがって,室温付近では,らせん転位と刃状転位の間で臨界せん断応力の差はそれほどないと考えてよいであろう。だだし,合金元素が添加されると,固溶強化によってτcの値が嵩上げされるだけでなく,温度依存性自体も変化することがあるので注意が必要である。
摩擦力に及ぼすひずみ速度の影響についても,Fig.3の(a)に示すような結果が報告されている4,5)。単結晶と多結晶の降伏応力の差は結晶粒微細化強化によるものであり,結晶粒微細化強化分を差し引いた摩擦力について整理すると,Fig.3(b)に示すようにひずみ速度に依存した挙動が全く同じであることが分かる。通常,引っ張り試験は10−4~10−3/sのひずみ速度で行われるため,純鉄の摩擦力については0.05 GPa程度とみなすことができる。市販鋼の摩擦力は上述のように約0.1 GPaなので,MnやSiによる固溶強化量は0.05 GPa程度と見積もられる。また,シャルピー衝撃試験におけるひずみ速度は102/s程度であり,ひずみ速度の影響で摩擦力の値は0.3 GPa程度にまで高められる。
金属を圧延や引っ張り試験などの方法で加工すると硬くなることは“加工硬化”として広く知られているが,これは強化機構を意味する言葉ではないのでその使い方に注意すべきである。転位の導入によって降伏応力が高められる現象については,強化機構の観点からは転位強化(Dislocation strengthening)と言われている。転位強化のメカニズムについては,転位が有する応力場の影響で転位の運動が阻害されるとする長範囲応力場理論と絡み合った転位を運動させるのに必要な応力で説明する林立転位理論の2つについてその妥当性が議論されてきたが,現在では,“加工硬化における変形応力を与えるのは林立転位との交差による抵抗力である”との見方が広く受け入れられている6)。林立転位理論では,せん断応力が作用しないすべり系の転位を不動の林立転位とみなし,それらが運動転位に対して障害物として働くと考えている。金属中の転位密度ρは,単位体積中の転位の全長で定義されるが,単位としては[/m2]で表される。つまり,任意の面で切断したとき,その面に対して交差する林立転位の数は単位面積あたりρ本とみなすことができる。転位が均一に分布している場合,林立転位1本当たりの専有面積は1/ρなので,これを半径rの円に置き換えると,次式が得られる。
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すべり面上での林立転位の平均間隔λについてはλ=2rで与えられるので,転位が均一に分布した材料については,次式でλを見積もることができる。
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一方,剛性率をG,転位のBurgersベクトルをbとしたとき,単位長さの転位が有する弾性ひずみエネルギーU[J/m]は次式で与えられる。
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βは線張力係数(Line tension factor)といわれるパラメーターで,転位の応力場の半径をR,転位芯の半径をR0,転位の性質に依存した定数をkとして次式で与えられる。
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定数kについては,らせん転位で1,刃状転位で(1−ν),一般的な混合転位ではその中間の値となる。なお,νはポアソン比であり,bcc鉄についてはν≒0.3と考えて良いので,一般的な混合転位を対象とした場合にはk≒0.85としてよい。転位芯の半径R0は3b程度の値である。転位の応力場の半径Rを正確に見積もることは困難であるが,転位の均一分布を前提とした場合にはR≒rと置くことができる。つまり,式(7)に式(4)を代入することにより,βの値を転位密度ρの関数として表すことができる。そのようにして得られたρとβの関係をFig.4に示す。焼鈍した鉄の転位密度については,高純度鉄で2×1011/m2程度7),0.01%C鋼では7.3×1012/m2という値が報告されている8)。ρの最大値としては,マルテンサイトの転位密度0.65~3×1015/m2 9,10)を想定すればよいであろう。βの値は転位密度が高くなるにつれて小さくなる傾向にあるが,転位の性質がより顕著な影響を及ぼすことがわかる。教科書などでは,転位密度や転位の性質を無視してβ≒0.5としていることが多いが,厳密な計算を行う場合には,転位密度と転位の性質の影響を考慮すべきである。
Relation between dislocation density ρ and the line tension factor of dislocation β.
すべり面上の林立転位と運動転位の相互作用が十分に強いと仮定した場合,転位のピン止め角θはπ/2と置くことができる。したがって,転位間の相互作用の大きさを示すsinθは1となり,転位強化量Δσは転位間隔λの関数として次式で与えられる。
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フェライト鋼については,M=2.75,G=80 GPa,b=0.25 nmであり,摩擦力を0.05 GPa,λ≒1.128/
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前述のようにβも転位密度の関数なので,σyについては,Fig.5に示すようにρの関数として与えられる。図中には,すべり面上を運動する転位が完全ならせん転位あるいは刃状転位(実線),両者の性質が半々の混合転位(破線)について計算した結果を示しており,λ≒1.128/
Fig.5において,データがばらつく原因の一つとして実験に使用した材料の摩擦力が異なることが挙げられ,摩擦力の値を差し引いて強化量Δσと
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本稿では,
転位密度が高くなるとX線回折ピークの半価幅が広がることはよく知られており,Ungárらは,半価幅の情報から転位の性質を評価するmodified Williamson-Hall(mWH)法を提唱した20)。原理的には,コントラストファクターの結晶方位依存性を示すq値と言われるパラメーターが転位の性質によって変化することを利用したものである21)。著者らは,Fig.6で使用した試料にmWH法を適用し,冷間圧延に伴うq値の変化を調査した22)。q値がわかれば転位のらせん成分(Screw component;S)を決定できる。らせん成分とは,材料中に存在するすべての転位についてらせん成分割合を示すパラメーターであり,すべてがらせん転位のときはS=1,すべてが刃状転位のときはS=0という結果が得られる。Fig.7に,冷間圧延に伴うS値の変化を示す。加工率が大きくなるにつれて転位密度が高くなることはよく知られているが,加工率に依存して転位の性質が変化することは意外と知られていない。フェライト鋼については,加工の初期段階ではらせん転位の割合が多く,加工が進むとしだいに刃状転位の割合が高くなっていくようである。この変化は,加工が進むとらせん転位の交差すべりによって転位の消滅が起こり,交差すべりができない刃状転位が取り残されたと考えればうまく説明できる。重要なことは,転位の性質が変わると転位強化の挙動が変化することである。図の右側にはパラメーターηの値を示しており,らせん成分の割合が低下するとη値は次第に大きくなる。
Change in the screw component S of dislocation with cold rolling22). The values of parameter η is also graduated at the right-hand side, that corresponds to the ratio of dislocation strengthening coefficient.
Fig.8は,S値とη値の関係を示しており,S値が大きくなるとη値は直線的に低下する。η値は転位強化係数αに対応すると思われるので,基準値を決めてやればη値からα値を推定できる。40~60%冷延材についてはS≒0.2という値が得られており,η値としては1.344ということになる。このη値が1.8×10−8 GPa・mというα値に対応すると仮定すると,図の右側に示したように,α値は,S=1のとき1.34×10−8 GPa・m,S=0のとき1.91×10−8 GPa・mと見積もることができる。Fig.9は,S=1ならびにS=0に対応する転位強化量Δσと転位密度ρの関係を示している。図中にはFig.6に示した実験データも示している。データに若干のバラツキはあるが,多くのデータは2つの理論直線の間に収まっていることが分かる。言い換えれば,η値とα値の関係における基準値を様々に変化させて,実験データがうまく2つの直線の間に収まるように基準値を設定するとFig.8のようになるということである。また,図中の破線は,転位の性質を考慮に入れて予想される転位強化量の変化を示しており,その値は,加工の初期段階はらせん転位に対応する直線に沿って変化し,加工の後期段階では刃状転位に対応する直線側に移行すると考えられる。転位強化には転位分布の影響もあるため,完璧に転位強化量を予測するのは難しいかもしれないが,転位密度と転位の性質を考慮に入れれば,ある程度高い精度で転位強化量を見積もることができそうである。今後,様々な材料について検討が必要であるが,転位強化の議論においては,転位密度のみならず転位の性質や分布状態にも十分な注意を払う必要がある。
Relation between the screw component S of dislocation and the parameter η. The values of dislocation strengthening coefficient α are also graduated at the right-hand side.
炭素や窒素などの侵入型固溶元素は固溶強化能が大きいため,微量であっても摩擦力に多大な影響を及ぼす。Cracknell and Petchは,炭素や窒素の含有量が異なるフェライト鋼について,固溶した炭素と窒素の総量(C+N)%と摩擦力の関係を調査しており23),彼らの実験結果より摩擦力の増加量Δσ0に関して次式が得られる。
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鉄中の炭素の最大固溶限は727°Cで約0.02%であり,その温度から水冷することにより炭素を過飽和に固溶したフェライト鋼を得ることができる。この試料の固溶強化量は0.09 GPaと見積もることができ,摩擦力は純鉄の約3倍にまで高められる。しかし,727°Cから空冷するとほとんどの炭素は粒界に偏析するかあるいはセメンタイトとして析出してしまうために固溶強化量はゼロに近い。このように,フェライト鋼の摩擦力については,熱処理条件によって大きく変化する可能性があるので注意が必要である。炭素に限らずすべての合金元素について,摩擦力は,含有量ではなく固溶量で評価すべきである。
C原子やN原子のように転位との相互作用が大きな元素は,転位の易動度を著しく低下させ,その結果として大きな固溶強化を生み出している。一方で,転位の易動度は転位の導入挙動にも顕著な影響を及ぼす可能性がある。転位の運動速度をv,転位のBurgersベクトルをb,単位体積中で運動する転位の全長をρ,Taylor因子をMとしたとき,ひずみ速度έは次式で与えられる。
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一定のひずみ速度で材料を変形させる場合,合金元素の影響でvの値が小さくなると,必然的にρを大きくせざるを得ない。つまり,摩擦力を大きくするような固溶元素が存在すると,同時に転位の導入も促進されることが予想される。
Goldmanは,0.04%C鋼と湿水素処理によって炭素や窒素を取り除いた高純度鋼を用いて,加工率と降伏応力の関係を詳細に調査している11)。その結果を,Fig.10に示す。結晶粒径は,再結晶法により両鋼とも40 μmに揃えてある。焼鈍材の降伏応力に関して両鋼で0.07 GPaの差があるが,これは固溶炭素の有無によってHall-Petch係数が異なるためである24)。Hall-Petch係数は,炭素量が0.005%以上のフェライト鋼の場合,式(2)に示したように6×10−4 GPa・m1/2となっているが,高純度鋼ではその1/6程度である24)。結晶粒径が40 μmの焼鈍材では,両鋼で約0.08 GPaの差が生ずると見積もられ,この値は実験値の差(0.07 GPa)とほぼ一致している。1%程度の加工により加工軟化現象が現れているのは,粒内に適量の可動転位が導入されることによって,降伏のメカニズムが結晶粒微細化強化から転位強化に変化したためである25)。本稿において重要な点は,1%以上の圧延を施した試料について,高純度鋼にくらべて0.04%C鋼の降伏応力が常に高いということである。一方,Fig.11は加工に伴う転位密度の変化を示している11)。同じ加工率で比較すると,転位密度は,高純度鋼にくらべて0.04%C鋼の方が明らかに高い値となっている。両鋼における相当ひずみεeと転位密度ρの関係はそれぞれ次式で近似できる。
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Changes of yield stress σy with cold rolling in 0.04%C steel and decarburized steel. Showing the effect of solute carbon on the work hardening behavior.
Changes of dislocation density ρ with cold rolling in 0.04%C steel and decarburized steel. Showing the effect of solute carbon on the dislocation introduction behavior.
Fig.10とFig.11の結果より,転位密度と降伏応力の関係で整理し直した結果をFig.12に示す。なお,転位密度については,式(13)と式(14)を採用して,Fig.10に示した各データに対応する転位密度を見積もった。焼鈍材の下降伏応力は,結晶粒微細化強化機構に支配されるためにフェライト粒径に対してHall-Petchの関係が成立する。一方,均一変形が起こる領域の流動応力は,フェライト鋼の純度に依存せずに転位強化に支配され,転位密度に対してBailey-Hirschの関係が成立する。1%程度の冷間圧延は,強化機構を結晶粒微細化強化から転位強化に変化させる働きをしていることが分かる。なお,1%以上の冷間圧延を施した試料については,炭素量とは無関係に一つの直線に沿ってデータが分布しており,転位強化係数αについては式(10)と同じであることが分かる。フェライト鋼の降伏・変形挙動の詳細については著者のオーバービュー25)を参照していただきたい。この結果は,固溶炭素が存在すると転位の導入は促進されるが,降伏応力については転位密度のみで整理できることを示している。本章では炭素を例に挙げて説明したが,転位との相互作用が大きな元素については,同様に転位の導入を促進する効果があると思われる。要するに,合金元素は,摩擦力だけでなく転位強化にも影響を及ぼすことが予想されるので,強化機構の議論においてはその点に留意すべきである。
Relation between dislocation density ρ and yield stress σy in cold rolled 0.04%C steel and decarburized steel. Showing the effect of solute carbon on the dislocation strengthening behavior in ferritic steels.
十分に焼鈍した多結晶金属の降伏応力がHall-Petchの関係に従うことは広く知られているが,均一変形域の流動応力(Flow stress)にも結晶粒径の影響が現れる。一例として,Fig.13に,結晶粒径が異なるフェライト鋼の引っ張り変形挙動を示している26)。結晶粒が微細なほど降伏応力が高く,しかも均一変形域の流動応力も高くなっている。Fig.14は,降伏応力と20%変形時の流動応力について結晶粒径との関係を示している。当然のことながら,降伏応力についてはHall-Petchの関係が成り立ち,Hall-Petch係数については式(2)と同じである。また,流動応力についても同様なHall-Petchの関係が成り立つように見受けられ,結晶粒微細化強化と転位強化は加算的な関係にあるように解釈できる。ただし両者の加算則については明確な根拠があるわけではなく,Fig.14に示すような実験結果に基づいて加算則が適用されてきた経緯がある。
Effect of grain size on the yielding and deformation behaviors in 0.055%C steel.
Hall-Petch plots with respect to yield stress and the flow stress at 20% tensile deformation in 0.055%C steel.
本章では,1~100 μmという広い範囲で結晶粒径を変化させたフェライト鋼について,転位強化に及ぼす結晶粒径の影響を調査した結果27,28)を紹介する。Fig.15は,様々に結晶粒径が異なる試料について,冷間圧延率と降伏応力の関係を示す。同じ加工率でも結晶粒が小さいほど高い強度が得られている。一方,Fig.16は,冷間圧延率と転位密度の関係を示している。興味深いことに,結晶粒径が小さいほど高い転位密度が得られている。とくに,結晶粒径が1.3 μmの試料に着目すると,わずか10~20%の圧延で1~2×1015/m2という高い転位密度となっており,その後は転位密度が飽和する傾向を示している。この値は,低炭素マルテンサイト鋼の転位密度に匹敵する9,10)。それに対して結晶粒径が95 μmの試料については,20%圧延材でも1×1014/m2程度の転位密度であり,転位密度は相当ひずみに対して直線的に大きくなる傾向を示している。結晶粒径が19 μm以下の試料については,いずれも転位密度が飽和する傾向がみられるが,飽和転位密度は結晶粒が小さいほど大きくなるようである。つまり,結晶粒径が小さいほど,転位の導入が促進され,なおかつ飽和転位密度も高くなる傾向にある。転位密度にこれだけの差があれば,当然,転位強化の挙動に大きな違いが生ずるはずである。Fig.17は,Fig.15とFig.16の結果を基に,強化量Δσと
Relation between equivalent strain εe and yield stress σy in cold rolled ferritic steels with various ferrite grain sizes.
Relation between equivalent strain εe and dislocation density ρ in cold rolled ferritic steels with various ferrite grain sizes.
Relation between dislocation density ρ and the increment of strength Δσ in cold rolled ferritic steels with various ferrite grain sizes.
結晶粒微細化によって転位の導入が促進されるメカニズムについては2つの説が提案されている。一つは,変形によって生ずる粒界近傍のミスフィットひずみを緩和するために幾何学的に転位の導入が必要とするAshby model29),もう一つは転位の運動距離が結晶粒径に依存して制限されるために結晶粒径が小さいほど多くの転位の導入が必要とするConrad modelである30)。実際には両方のメカニズムが働いているようであり31),著者らは,導入されるべき転位の量ρi[m−2]と結晶粒径d[m],ならびに真ひずみεtの関係を結びつける式として次式を提案した27,28)。
(15) |
計算で求められたρiと実測した転位密度ρの関係をFig.18に示す。ρiとρの値はほぼ一桁異なっており,両者の関係については,下記の近似式で表される。
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Relation between the calculated values ρi and experimentally obtained values ρ with respect to the dislocation density in cold rolled ferritic steels.
破線は,導入された転位がすべて蓄積された場合の関係を示す。転位密度が低い領域(約2×1014/m2以下)では計算値と実験値はよく一致しているが,転位密度がそれ以上になると実験値の方が小さな値となっている。この結果は,転位密度が低い場合には回復の影響が小さいことを示唆しており,Fig.16の95 μm材で示したように,導入された転位のほとんどはそのまま蓄積されるものと思われる。しかし,転位密度が2×1014/m2以上になると,転位間反応による回復の頻度が高くなるとともに,導入された既存の転位が運動して塑性変形に関与するようになるため,計算値と実験値が一致しなくなる。式(15)と式(16)を結びつけることにより,転位密度ρと真ひずみεt,結晶粒径dの関係を示す次式が導出される。
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この式は,高い転位密度を実現するためには,結晶粒微細化が必要条件となっていることを示している。転位強化量Δσ[GPa]については,式(17)を式(10)に代入して,次式で与えられる。
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Fig.19は,10%冷間圧延した試料(εt≒0.12)の強化量Δσを結晶粒径dとの関係で整理した結果を示す。実線で示した曲線は,式(18)を用いて得られた計算結果を示しており,実験結果と計算値がよく一致していることが分かる。つまり,結晶粒径が小さいほど転位強化量が大きいために結晶粒径依存性が表れているわけであるが,実験データに合わせて強引に直線を引くと,一見,Hall-Petchの関係が成り立つようにも見えるため,結晶粒微細化強化と転位強化は加算的な関係にあると誤認されてきた。転位強化を利用して高強度化を実現しようとする場合,できるだけ結晶粒を微細にしておく必要があるが,実用のフェライト鋼については,結晶粒微細化にも限界があるために,転位強化のみで0.7 GPaを上回る高い降伏強度を実現するのは困難なようにも思われる。また,上述のように,フェライト鋼については転位の消滅が起こりやすいことが転位強化を阻害する要因の一つとなっている。積層欠陥エネルギーが低いオーステナイト系ステンレス鋼などで大きな加工硬化が得られるのは,転位の導入が促進されるためではなく,回復が起こり難いために転位の蓄積が効率的に起こるためと考えるのが妥当であろう。
Effect of ferrite grain size d on the yield stress σy in 10% cold rolled ferritic steels.
前述のように,加工で導入される転位の密度については,結晶粒径だけでなく固溶炭素も影響を及ぼす。この章では,両者の影響を総合的に評価することを試みる。式(17)からわかるように,転位密度ρについては,(εt/d)1/2という関数で整理できるはずなので,一般的に,定数をKとして次式で表される。
(19) |
そこで,固溶炭素量が分かっているデータを選出して,ρと(εt/d)1/2の関係で整理した結果をFig.20に示す。K値として最大値は0.04%C鋼11),最小値は0.0009%C鋼14)で得られており,転位密度ρはそれぞれ次式で与えられる。
(20) |
(21) |
Effect of carbon on the dislocation density ρ in cold worked ferritic steels. εt and d denote true strain and grain size respectively.
フェライト中の炭素の最大固溶限は0.02%なので,それを最大値としてK値と固溶炭素量の関係で整理した結果をFig.21に示す。式(19)におけるK値は,固溶炭素量(%C)の関数としておおよそ次式で与えられる。
(22) |
Effect of solute carbon on the coefficient K in Eq.19.
式(19)ならびに式(22)により,転位の導入挙動に及ぼす結晶粒径,固溶炭素量,ひずみ量の影響を総合的に評価できる。ただしFig.21については,データ数も少なく,実用の鉄鋼材料では炭素以外にも多くの合金元素が含まれているため,今後さらなる検討が必要とであるが,本稿では一つの目安として式(22)を提示しておくことにする。以上,要するに,固溶元素や結晶粒径などの因子は転位の導入挙動に影響を及ぼすが,フェライト鋼の転位強化Δσについては,転位密度ρの関数として式(10)によって一義的に見積もることができる。
結晶粒が微細なほど転位の導入は促進されるが,細粒化によって降伏応力も増大するため,単調に加工硬化が大きくなるとは限らない。引っ張り試験で均一変形が起こるためには,“加工硬化率dσt/dεtが負荷応力σより大きくなければならない”という塑性安定条件を満足する必要がある。降伏後の変形挙動に及ぼす結晶粒の影響をFig.22に模式的に示す。結晶粒が大きい場合には降伏応力が低いために,降伏後も長い間塑性安定条件が満たされ,結果的に大きな均一伸びが得られる。しかし,降伏応力が極端に高い超微細粒鋼の場合,降伏直後にすぐに塑性不安定域に入ってしまうために十分な均一伸びが現れない。極端な例として,降伏応力が加工硬化率を上回るような場合には,降伏が起こると同時にネッキング変形が開始し,そのまま破断に至るといった現象が起こり得る。実例として,Fig.23に結晶粒径が異なるフェライト鋼の引っ張り変形挙動を示す。粒径が1 μm以下の超微細粒材は,メカニカルミリング処理した鉄粉を固化成形して作製した32)。粒径が10 μm以上の試料は,工業用の純鉄板を用いて作製した。降伏応力については,0.18~20 μmの粒径範囲において,下記のHall-Petchの関係が成立することを確認している32)。
(23) |
Effect of grain size on the deformation behavior after yielding.
Nominal stress-strain curves in iron with various ferrite grain sizes.
粒径が1 μm以上の試料については降伏後に均一伸びが発現しているが,粒径が0.3 μm以下の超微細粒材については降伏後にネッキング変形が始まり,そのまま破断に至っている。この結果は,転位強化の限界が1.2 GPa付近にあることを示唆している。
転位強化量については式(18)で与えられるので,純鉄の流動応力σfについては真ひずみεtの関数として次式で見積もることができる。
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この値は,転位強化によってもたらされる基地の強度とみなすことができる。結晶粒径が1 μmと0.3 μmの試料を引っ張り変形したときに,式(24)で見積もられる流動応力σfの変化を,Fig.24の(a)と(b)にそれぞれに示している。式(23)により得られるσyの応力レベルは破線で示している。結晶粒径が1 μmの試料については,0.15程度の真ひずみが加わると基地の強度σfがσyを上回り,塑性不安定が解消されることがわかる。このひずみは,降伏伸びが発現する場合のLüdersひずみに対応する25)。しかし,結晶粒径が0.3 μmの試料については,0.4という大きな真ひずみを加えてもσfはσyのレベルに達しない。つまり,結晶粒径が0.3 μm以下の試料では,σyの値が大きすぎるために,加工を施して転位を導入しても加工硬化が発現しないということである。
Changes in the strength of matrix with cold working. Broken lines show the level of yield stress in as-annealed specimen.
加工硬化挙動に及ぼす結晶粒径の影響を明らかにするために,著者らは,結晶粒径が0.25 μm,0.35 μm,20 μmと異なる3種類のフェライト鋼を作製し,40%までの冷間圧延を施して降伏応力の変化を調査した。その結果をFig.25に示す33,34)。結晶粒径が20 μmのフェライト鋼については,明瞭な加工硬化が見られる。結晶粒径が0.35 μmのフェライト鋼については,20%までの加工率では降伏応力に顕著な変化が見られず,40%圧延材でのみ僅かに加工硬化が表れている。一方,結晶粒径が0.25 μmのフェライト鋼については,40%までの冷間圧延を施しても降伏応力はほとんど変化せず,加工硬化は現れない。この結果は,極端に結晶粒が小さなフェライト鋼については,転位の有無が降伏応力に影響しないことを示している。
Changes in 0.2% proof stress σ0.2 with cold rolling in iron with the grain size of 0.25 μm, 0.35 μm and 20 μm.
式(24)については,真ひずみεtを与えてやればσfをdの関数として表すことができる。結晶粒径が0.25 μmのフェライト鋼については,40%を上回る圧延を施すと試験片が破断してしまったため,ここでは付与できる最大の真ひずみを0.5と設定してσfを計算し,転位強化の限界値を見積もることにした。得られたσfならびに式(24)により得られるσyをFig.26に示す。σfとσyの値が等しくなる結晶粒径(0.3 μm)をここでは臨界結晶粒径(Critical grain size)dcということにする。結晶粒径がdcより大きな試料については,与えた真ひずみの値に到達するまでに加工硬化が発現するが,結晶粒径がそれ以下の試料については,与えられた真ひずみの範囲内で加工硬化は発現しなくなる。したがって,結晶粒径が0.3 μmの試料の降伏応力(1.15 GPa)が,純鉄における転位強化の限界値とみなすことができる。当然,dcの値は加工率に依存して変化するので,dcと真ひずみの関係を求めてみた。Fig.27は,結晶粒径dと真ひずみεtの関係で加工硬化が発現する領域を示している。図中の境界線は,それぞれの真ひずみに対応する臨界結晶粒径を示しているが,見方を変えると,それぞれの結晶粒径の試料を引っ張り試験したときのLüdersひずみεLに対応している。結晶粒径が2 μm以上の試料については0.1以上の真ひずみを加えると加工硬化が発現するが,結晶粒が小さくなると加工硬化を発現させるために必要なひずみ量が次第に大きくなる。とくに,結晶粒径が0.3 μm以下になると加工硬化の発現に必要なひずみ量が急増し,加工硬化が発現しづらくなることが分かる。前述のように,結晶粒径が0.35 μmの試料については40%圧延材でのみ僅かな加工硬化が見られたが,この実験結果もFig.27の図でうまく説明できる。したがって,純鉄については,加工硬化が発現する臨界結晶粒径は0.3 μm付近にあると結論できるであろう。純鉄の場合,転位強化によって達成できる最大値は約1.15 GPaと見積もられるが,市販のフェライト鋼については摩擦力が0.05 GPa程度大きいため,転位強化の限界値はおおよそ1.2 GPaと見積もられる。
Effect of ferrite grain size d on the flow stress at ε=0.5. The broken line shows the yield stress calculated by Eq.23.
Relation between ferrite grain size d and true strain εt showing the region where work hardening appears. εL denotes the Lüders strain in tensile testing.
以上述べてきたように,結晶粒微細化強化機構と転位強化機構は競合関係にあり,多結晶フェライト鋼における強化機構が前者から後者へ変化する過程で塑性不安定が発現する。結晶粒径が小さいほど降伏応力が高いために,ネッキングが停止するまでのLüdersひずみは大きくなり,これに対応して降伏伸びも大きくなると結論できる。Fig.14に例示したように,転位密度を評価することなく加工材の降伏応力を安易に結晶粒径で評価すると,見かけ上両者の間で加算則が成立するように見えることがあるのでくれぐれも注意が必要である。
これまでは様々に結晶粒径が異なるフェライト鋼を加工したときの転位強化について説明してきたが,金属を超強加工するすると,転位密度が高くなるだけでなく,加工中に動的結晶粒微細化が起こることが古くから知られている35–40)。本章では,加工のごく初期段階から超強加工域に至るまでの連続的な加工硬化挙動について説明する。著者らは,超強加工された鉄の加工硬化挙動を調査することを目的として,メカニカルミリング(MM)という方法を採用した41,42)。MM処理とは,金属粉末と鋼球を金属製のポットに入れて高速で回転または振動させることにより,金属粉末にひずみを付与する方法である。通常は処理中の酸化を防ぐためにアルゴンなどの不活性ガス雰囲気中でMM処理を行う。MM処理時間を変えることで金属粉末に付与するひずみの量を調整できるだけでなく,X線を用いたひずみ解析が容易であるとい利点がある。しかしその反面,強度評価に関して硬さの情報しか得られないという欠点もある。そこでまず,硬さから降伏応力を見積もる方法について説明する。Fig.28は,(フェライト+パーライト)組織を有する炭素鋼ならびに炭素を含むマルテンサイト鋼について,引っ張り試験で得られる引っ張り強さσBとビッカース硬さHVの関係を示す。両者の間には良好な相関性があり,次式でHVの値からσBを見積もることができる。
(25) |
Relation between Vickers hardness HV and tensile strength σB.
これ以後,ビッカース硬さについてはGPa-HVと表記する。硬さが2 GPa-HV以上あるようなフェライト鋼の場合,降伏後の加工硬化がほとんどないため,この式で得られたσBの値がほぼ降伏応力σyに対応すると見做して良い。図中には参考までに90%の冷間圧延を施したフェライト鋼(0.009%C,0.0029%N,1.55%Mn,粒径:250 μm)の硬さを示しており,その結果からわかるように,冷間圧延で実現可能な強度は2.1 GPa-HV付近が限界である。ちなみに,転位強化による最大強度1.2 GPaは,ビッカース硬さではおおよそ3.7 GPa-HVに相当する。
Fig.29は,MM処理時間と硬さの関係を示している41,42)。使用した鉄粉は市販の工業用鉄粉(粉末粒子径<149 μm)で,粉末内部のフェライト粒径は20 μmであった。使用した鉄粉の炭素や窒素の総量は100 ppm以下であるが,鉄粉の表面酸化物として約0.2%の酸素が含まれている。MM処理時間は加えられたひずみに対応し,約3 hで90%の冷間圧延(真ひずみで2.66相当)に匹敵するひずみが加わっていることが分かる。注目すべき点は,3 h以上のMM処理によって異常な加工硬化が起こっていることであり,最終的には9 GPa-HVを上回るまでに硬化している。一方,MM処理した鉄粉から薄膜試料を作製し,透過型電子顕微鏡を用いて鉄粉内部の結晶粒径を測定した結果をFig.30に示す43)。MM処理時間が3 hを上回ると急激な結晶粒微細化が進行し,100 hのMM処理を施すと30 nmの大きさにまで細粒化している。Fig.31は,Fig.29とFig.30の結果をまとめて,結晶粒径と硬さの関係で整理し直したものである43)。硬さが2.1 GPa-HV以下の領域では結晶粒微細化はそれほど進まず,転位強化によって加工硬化が進行している様子が覗われる。硬さが2.1 GPa-HV以上になると,一見,結晶粒微細化強化によって加工硬化が進行しているようにも見えるが,前掲Fig.24に示したように,3.7 GPa-HV以下の領域については転位強化が支配的である。転位強化が支配的であれば,焼鈍による軟化が見られるはずである。そこで,著者らは,再結晶が起こらずに回復のみが優先的に起こる条件として400°C-0.5 hという処理条件を選定した41,42)。Fig.32に焼鈍前後のMM鉄粉の硬さを示す43)。この図から明らかなように硬さが3.7 GPa-HV以下のMM鉄粉については焼鈍による軟化が見られるが,3.7 GPa-HV以上の硬さを有するMM鉄粉については硬さの変化はほとんど見られない。つまり,硬さが3.7 GPa-HV以上のMM鉄粉については,降伏応力が結晶粒微細化強化の機構に支配されているため,前述のように内蔵転位の有無が硬さに影響しないわけである。
Change in Vickers hardness HV of iron powder with mechanical milling treatment.
Change in ferrite grain size d of iron powder with mechanical milling treatment.
Relation between ferrite grain size d and Vickers hardness HV in mechanically milled iron powder.
Effect of the annealing (400ºC-0.5 h) on Vickers hardness HV of mechanically milled iron powder.
これまでに得られた結果を基にして,フェライト鋼における加工硬化の全体像をFig.33に示している43)。フェライト鋼における加工硬化は大きく次の3つの段階に分けて説明することができる。
Effect of ferrite grain size d on the flow stress σt at ε=0.5. The broken line shows the yield stress obtained by Eq.23.
I 顕著な結晶粒微細化は起こらずに,転位密度のみが高められる(真ひずみ<2.66)。
II 動的結晶粒微細化を起こしながら転位密度も高められる(真ひずみ>2.66)。
III 結晶粒微細化強化が転位強化を上回るようになる(結晶粒径<0.3 μm)。
すなわち,多結晶フェライト鋼を連続して加工した場合,Fig.26に示した最大強度に沿って組織変化が生じ,加工硬化が進行すると考えられる。第Iと第IIの段階については,転位強化が降伏応力を支配する強化機構であるため,降伏応力についてはBailey-Hirschの関係に従う。第IIIの段階については,降伏応力を決定する因子が結晶粒微細化強化であるため,降伏応力はHall-Petchの関係に従う。第II段階と第III段階の境界応力は,前述のように1.2 GPa程度(3.7 GPa-HV)と見積もられ,臨界結晶粒径は0.3 μmである。興味深いのは,結晶粒の微細化に伴って転位密度の値が高くなっている第II段階である。第6章において説明したように,高い転位密度を実現するためには結晶粒が小さいことが必要条件であり,動的結晶粒微細化は転位密度を高める働きをしていることになる。結局,加工硬化が第I段階と第II段階にある試料では,焼鈍により軟化現象が現れる。焼鈍によってどこまで強度低下が起こるかは結晶粒内の可動転位の残存状態に依存し,Fig.10において説明したように,中途半端な焼鈍を行った場合には,残存転位の影響で完全焼鈍材より降伏応力が低くなる場合もあり得る。十分な焼鈍を施した試料については,降伏応力は破線で示した値となる。ただし,動的結晶粒微細化によって結晶粒径が0.3 μm以下にまで小さくなると,結晶粒微細化強化が転位強化を上回ってしまう。すなわち,加工硬化が第III段階にある試料については,Fig.25で示したように,転位の有無にかかわらず降伏応力は一定であるため,転位の消滅による軟化現象は発現しない。当然,結晶粒の成長が起こるような条件で焼鈍すると,結晶粒の粗大化に対応して硬さが低下することも確認している41,42)。これまで,加工硬化と言えば転位強化と受け取られてきたが,厳密にいえば,加工硬化の初期段階は転位強化機構に支配され,後期段階は結晶粒微細化強化機構に支配されているわけである。
ここで注意すべき点は,鋼の組成に依存して加工硬化の到達度が異なることである。代表的な例として,MM鉄粉の硬さに及ぼす炭素の影響をFig.34に示す44)。原料としては6.2%の炭素を含むセメンタイト粉末と高純度の電解鉄粉を使用した。電解鉄粉は,炭素,窒素,酸素などの不純物をほとんど含まない鉄粉である。Fe-0.4%C合金とFe-0.8%C合金については,少なくとも30 h以上のMM処理を施した試料では,セメンタイトは完全に分解して合金化が完了し,MM鉄粉はフェライト単相の組織となっていることを確認している。100 hのMM処理を施した試料の結晶粒径は,純鉄,Fe-0.4%C,Fe-0.8%Cでそれぞれ65 nm,25 nm,12 nmとなっており44),超強加工によって最終的に得られる組織は,炭素量が多いほど微細でかつ硬いことがわかる。炭素はナノ結晶化したフェライトの粒界に偏析しているようであり,結晶粒が10 nmのフェライトについては,最大で2%の炭素が粒界に偏析可能なことも明らかにしている45)。言い換えれば,結晶粒界に偏析した炭素は粒界の導入を促進し,結晶粒を微細にする働きをしているとも言える。ここで使用した鉄粉は炭素や窒素,酸素などの不純物をほとんど含んでいないため,100 h のMM 処理を施した鉄粉の硬さは6 GPa-HV程度であるが,前述のように,約0.2%の酸素を含む工業用鉄粉については,同じ条件で9 GPa-HVを上回る硬さが得られている。この結果は,炭素と同様に酸素も結晶粒微細化を促進する効果があることを示唆している。窒素の影響については調査を行っていないが,同様な効果を有すると思われる。要するに,様々な不純物を含んでいる方が鉄の動的結晶粒微細化は促進される傾向にあるようである。
Effect of carbon content on the work hardening behavior of ferritic iron powder. Cementite powder (6.2%C) and electrolytic iron powder were provided for the mechanical milling treatment.
高い強度が要求される部材には,しばしばマルテンサイト組織が利用される。マルテンサイトは,最初から飽和密度に匹敵する転位を内蔵しているため,加工に伴う組織変化については,加工硬化の第II段階から始まると考えて良いであろう。実際に,ベアリングに使用される軸受け鋼では,繰り返し付与されるせん断ひずみによってマルテンサイト組織が分解し,超微細なフェライト粒が形成される様子が透過型電子顕微鏡により観察されている46,47)。また,超微細フェライト粒が形成される過程で,基地中に分散していたセメンタイト粒子が分解する様子も観察されており46,47),転動疲労の過程で第II~第III段階の変化が起こっているものと思われる。
一方,フェライト粒の大きさが数十nmの大きさにまで微細化すると,粒内にもはや転位は存在せず,Disclination dipoleという特殊な欠陥が形成されることもわかっている48,49)。このような超微細粒の内部に転位が存在することはもはや困難であり,高い内部応力を緩和するためにDisclination dipoleが形成されるようである。つまり,このような超微細粒金属については,粒内への転位の導入が困難なために室温でも粒界すべりが起こる可能性がある。結晶粒径が数nmのニッケル合金については,結晶粒が小さいほど降伏応力が低下するという逆Hall-Petch則が発現することも確認されている50)。MM処理した鉄粉の硬さについては,逆Hall-Petch則は観察されていないが,フェライト粒径が100 nm以下になるとHall-Petchの直線関係が成立しなくなることが確認されている51)。
実用の鉄鋼材料では,ベイナイト,マルテンサイト,オーステナイトなど様々な組織が複合的に利用されることが多く,加工硬化の第I~第II段階については,組織に依存して様々に異なった挙動をとることも予想されるが,いずれにせよ加工硬化の第III段階は同じで,超微細粒組織が形成されるものと思われる。加工硬化の第III段階については,金属材料における組織変化の最終段階でもあり,疲労破壊強度や強加工材の破壊靭性などとも深くかかわっているので,今後,更なる研究展開が期待される。本稿では,鉄鋼材料で最も重要な多結晶のフェライト鋼に的を絞って,著者が知る範囲で加工硬化の全体像について解説したつもりである。鉄鋼材料に携わる研究者や技術者にとって,本解説が少しでも役立てば幸いである。
記号
剛性率:G
転位のBurgersベクトル:b
転位密度:ρ
導入された転位がすべて保存された場合の転位密度:ρi
公称結晶粒径:d
転位強化量と結晶粒微細化強化量が同じになる結晶粒径(臨界結晶粒径):dc
引っ張り試験における下降伏応力:σy
引っ張り試験における0.2%耐力:σ0.2
引っ張り試験における公称応力:σ
引っ張り試験における引っ張り強さ:σB
引っ張り試験における真応力:σt
引っ張り試験におけるひずみ速度:έ
引っ張り試験における公称ひずみ:ε
引っ張り試験における真ひずみ:εt
冷間圧延による相当ひずみ:εe
Lüdersひずみ(真ひずみ):εL
ビッカース硬さ:HV
Bailey-Hirschプロットにおける転位強化係数:α
らせん転位を基準とした転位強化の比:η