鉄と鋼
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論文
Fe-N二元フェライト鋼における微小疲労き裂進展抵抗の熱的安定性
小山 元道 ハビブ キシャン横井 龍雄桜田 栄作吉村 信幸潮田 浩作津﨑 兼彰野口 博司
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2020 年 106 巻 6 号 p. 420-428

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Abstract

We investigated the effect of solute nitrogen on threshold stress intensity factor range, ΔKth, of the growth of small cracks using a water-quenched Fe-0.011N (wt.%) binary alloy, in terms of strain-age hardening. Fatigue tests were carried out for micro-notched specimens at 20°C and 160°C at a frequency of 30 Hz with a stress ratio of –1. The nitrogen effect on ΔKth at room temperature was significant, but smaller than the carbon effect. On the other hand, the thermal stability of the strain aging effect on ΔKth was higher in the Fe-0.011N steel than in Fe-C steels containing supersaturated carbon, because the nitrogen solubility above room temperature is higher than the carbon solubility in ferritic steels.

1. 緒言

硬さで整理される鉄鋼材料の疲労強度特性にブレークスルーを与えうる因子として,微小疲労き裂*1先端領域の転位プラナリティ6,7),硬さ分布の不均一性8),マルテンサイト変態能9,10),動的ひずみ時効(Dynamic strain aging:DSA)による硬化能1113)などが挙げられる。特にDSAの効果については,フェライト組織の焼入れにより炭素を過飽和にし(例えば0.017 wt.%Cの固溶状態),ひずみ時効硬化能を向上させることで,硬さから予測される値よりも40%高い微小き裂進展限界を実現できる11,12)。しかし,過飽和固溶炭素のDSA現象を有効利用するにあたって,大きな問題点が二つある。一つは,粒界き裂発生頻度が高いとDSAの効果が有効に寄与しないことである1417)。二つ目は,温度を上昇させると固溶炭素が炭化物として析出し,DSAの効果が失われる点である18)

*1 疲労損傷としての微小き裂には様々な定義がある。微視組織的に微小なき裂1,2),力学的に微小なき裂3,4),物理的に微小なき裂5)などが例として挙げられ,それぞれ微小と判断するための対象が異なる。例えば,力学的に微小なき裂の場合は塑性域を比較基準として微小であると判断される2)。本研究で対象とするひずみ時効硬化の影響は,力学的に微小なき裂の進展抵抗に対して有意に現れる。このため,本研究における微小き裂とは力学的に微小なき裂(Mechanically small crack)を意味している。

まず,上述二つの問題点のうち前者について詳述する。そもそも多くの鉄鋼材料の疲労限は疲労き裂発生限界ではなく,疲労き裂停留限界に支配されている19,20)。つまり,疲労き裂は発生するが進展後に停留する応力振幅条件が鉄鋼材料の疲労限に対応する。しかし,例外的にき裂の発生頻度が高い場合は,疲労き裂が一時的に停留しても,その後に発生したき裂と合体することで進展してしまう。このため,疲労き裂の停留限界が二次き裂の発生・合体により有意に低下する。焼入れしたフェライト組織では,粒界近傍で炭素欠乏領域が存在すると想定され21),優先的に塑性変形し易いために粒界き裂発生が起こり易い1417)。つまり,フェライトの焼入れ処理は粒界の疲労き裂発生限界を低下させてしまうため,平滑材を試験する場合は,DSAによる正の効果だけでなく疲労き裂発生に対する負の効果も現れる。これら事実に基づくと,DSAの効果は疲労き裂が粒内き裂進展し,き裂の発生頻度が低いときに最も有効に寄与するといえる。例えば,焼入れフェライト鋼の試験片中に微小切欠きを導入した場合,その切欠き先端が粒内に位置していると,き裂進展経路を粒内に誘導できる。加えて,疲労限に対応する遠方応力が低下するためにき裂発生頻度が下がるので,前述の優れた微小疲労き裂進展抵抗が現れる11,12)

第二の問題点である温度の影響は,過飽和状態特有の問題である。焼入れフェライト組織において,炭素の安定状態はセメンタイトなどの炭化物を形成している状態である。このため,試験温度が室温以上(例えば160°C)となり,炭化物形成に十分な拡散性が与えられたとき,炭化物形成とともに固溶炭素量が大きく減ずる18)。この問題を避けるためにはSiなどの炭化物抑制元素を添加するか22),炭素よりも固溶状態の安定度が高く,かつDSAを引き起こしうる代替元素を利用する必要がある。著者らはこの代替元素として窒素に着目したが,次の2つの問題が現れた23,24)。第一に,窒素は炭素ほど顕著なDSAを誘起しない点である。第二に,平滑材では炭素のときと同様に粒界き裂発生が問題となる点である。このため,室温での平滑材の疲労特性は炭素添加材よりも低い。

以上の従来知見に基づくと,窒素添加材で明確化されることが期待される点は以下の2つである。(1)炭素添加材と同様に粒内き裂進展するように微小切欠きを導入した場合の疲労き裂進展限界はどの程度か。(2)炭素よりも高いとされる窒素の固溶状態の熱的安定度は,温度上昇による微小疲労き裂進展抵抗の劣化を抑制することはできるか。本研究ではこれら二点を明らかとするため,固溶窒素を0.011 wt.%含むフェライト鋼23,24)を対象として収束イオンビーム(FIB)により微小切欠きを導入し,室温および160°Cでの微小疲労き裂進展抵抗を測定する。また,その結果を窒素の固溶状態の安定度の観点から議論する。

2. 実験方法

2・1 試料

本研究では,Fe-0.011N(wt.%)合金を用いた。受け入れ材の形状は約幅135 mm,長さ120 mm,厚さ16 mmであった。この板を700°C,3.6 ksで溶体化処理後,窒化物形成や粒界への窒素偏析などを防ぐために水焼入れを施した。Fig.1に示す計算状態図から,本合金の700°Cにおける構成相はフェライト単相であることがわかる。熱処理後,試料は試験片加工時を除き,冷凍機中-87°Cで保管した。Fig.2に焼き入れ後の金属組織を示す。組織は等軸結晶粒で構成されており,有意な窒化物形成は認められない。本合金の試験前の硬さは96 HVであった。引張試験片は長さ30 mm,幅4 mm,厚さ1 mmの平行部形状(Fig.3(a))を有する試験片を放電加工にて切り出した。疲労試験片はFig.3(b)に示す形状に旋盤にて加工し,その後機械研磨を行った。研磨表面を3%硝酸と97%エタノールの混合液(vol.%)でエッチングすることで金属組織を現出させた後,マイクロドリルとFIBを組み合わせて試験部中央にFig.3(c)の微小欠陥を導入した。Fe-C合金における従来知見11,12)によると,この微小欠陥導入によりき裂進展経路を粒界から粒内へと変えることができる。

Fig. 1.

Phase diagram of Fe-N binary system calculated by considering body-centered cubic structure (BCC), face-centered cubic structure (FCC), Fe4N, and liquid phases.

Fig. 2.

Light micrograph of the microstructure used for the present study.

Fig. 3.

(a) Tensile and (b) fatigue specimens. (c) Micro-notch introduced on the center of the fatigue specimen.

2・2 力学試験

引張試験を20°Cおよび160°Cにて行った。DSAの挙動を把握するため,ひずみ速度は10-3および10-4 s-1の二条件を選択した。変形温度は引張試験機に付属の恒温槽を用いて制御し,ひずみはビデオ伸び計を用いることで測定した。

引張-圧縮疲労試験は20°Cおよび160°C,周波数30 Hzで行った。応力比(R)は-1,波形は正弦波とした。試験温度は疲労試験機付属の恒温槽で制御した。本研究では1×107サイクルまで破断しない最大応力振幅と疲労限と定義し,107サイクルで試験を終了した。緒言において,“疲労き裂は発生するが進展後に停留する応力振幅条件が鉄鋼材料の疲労限に対応する”と述べた。これに対応して,20°Cにおける試験では,1×107サイクルまで破断しない最大応力振幅で疲労き裂が発生し,その後に停留していることをレプリカ法により確認した。レプリカを酢酸メチルに浸漬後,試料表面に付着させることで,表面凹凸を転写することができる。一方160°Cにおける試験では,レプリカを採取するために,一度室温に試験片を冷却する必要がある。本試験では,この冷却に由来する熱履歴の影響を除くため,試験途中のレプリカは採取せず,試験前後のみレプリカを採取した。このため,高温の疲労試験結果については,“き裂が発生している”ことは確認しているが,“停留する”ことは仮定して議論していることに留意されたい。また,破断材については,走査型電子顕微鏡(Scanning electron microscope:SEM)にて破面を観察した。加速電圧は15 kVに設定した。

3. 結果

3・1 引張および疲労特性

Fig.4に応力ひずみ線図を示す。ひずみ速度を10-4 s-1とした場合,20°Cと160°Cの試験でともに降伏点現象が確認された。20°Cと160°Cでの変形挙動の最も大きな違いはセレーションの発現にある。従来報告されているように23,24),20°Cの応力ひずみ線図はスムーズであるが,160°Cでは激しい応力の上下動が起こっている。この応力の上下動を一般にセレーションと呼ぶ。ひずみ速度を10-3 s-1に上昇させるとセレーションが消失した。また,セレーションの消失とともに加工硬化率が低下し,伸びが大きく上昇した。降伏強度は変形温度の上昇により低下し,ひずみ速度の上昇により大きくなっている。160°Cでは,炭素の場合と同様に変形中にFe4Nが形成する可能性があるため,セレーションの原因として固溶窒素のDSAと窒化物の動的析出がセレーションの原因として考えられるが,仮に原因がDSAであるとすると,上記の加工硬化挙動は次のように説明される。試験温度上昇は窒素原子の拡散速度を上昇させるので,単位時間あたりの運動転位の弾性場への窒素偏析量が大きくなり,DSAを促進する。一方,ひずみ速度が上昇すると,転位の運動速度が上昇するため,または障害物における転位運動の待機時間が短くなるため,転位-窒素相互作用の反応時間が低下し,DSAが抑制される。DSAは硬化に寄与するため,試験温度が上昇すると加工硬化率は増大し,ひずみ速度が上昇すると加工硬化率は低下する。得られた引張特性をTable 1にまとめる。

Fig. 4.

Engineering stress-strain curves in the Fe-0.011N steel.

Table 1. Tensile properties obtained from Fig.4.
Test conditionUpper yield strength or 0.2% proof stress (MPa)Tensile strength (MPa)Total elongation (%)
20°C, 10–4 s–121825829
160°C, 10–4 s–115024710
160°C, 10–3 s–115923522

Fig.5(a)に20°Cにおける疲労き裂進展限界応力拡大係数範囲ΔKthの測定結果を示す。比較のため,炭素をすべて固溶状態とした焼入れFe-0.017C鋼とInterstitial free(IF)鋼の結果12)も併記する。以下,今回用いたFe-0.011N鋼および焼入れFe-0.017C鋼はそれぞれFe-N鋼およびFe-C鋼と呼称する。ここで,ΔKthは以下の式を用いて各試験条件の疲労限から算出した25)

  
ΔKth=0.65×2σwπA(R=1)(1)
Fig. 5.

ΔKth plotted against area at (a) 20°C and (b) 160°C. HV in both of (a) and (b) indicates hardness at “20°C” before the fatigue tests.

σwは疲労限,Aは初期欠陥の投影面積の平方根*2である(area)。Fig.5では,Murakamiの微小疲労き裂進展下限界の予測式25)

  
ΔKth=3.3×103(HV+120)(A)1/3(2)*3

にならい(式(2)におけるA(area)の単位はμmである。),縦軸をΔKth/(120+HV)の形で示すことで材料間の硬さの違いの影響を考慮している。測定したΔKthの値はTable 2にまとめている。ここで,HVはビッカース硬さ(kgf/mm2)である。従来知見として,ほとんどのBCC構造を示す鉄鋼材料の微小き裂のΔKthが±10%の精度で式(2)に対応することが知られる。各図中三本の直線の内,中央の線は式(2)に対応しており,上下にある点線は式(2)の値±10%を示している。DSAの効果を全く含まないIF鋼のき裂停留限界は式(2)で予測される値の±10%偏差の領域に含まれている。ここでまず注目する点は,Fe-N鋼もFe-C鋼と同様に式(2)による予測式から10%以上上方に外れる疲労き裂進展抵抗を示していることである。つまり,試験前硬さ以外の要素が微小き裂のΔKth向上に寄与していることが示唆されている。しかし,窒素添加によるΔKthの上昇量は炭素添加によるものより小さい。

Table 2. Measured ΔKth and hardness that were used for Fig.5.
SteelΔKth at 20°C
(MPam)
ΔKth at 160°C
(MPam)
HV at 20°C
(kgf/mm2)
IF steel3.71.761
Fe-0.017C8.05.1126
Fe-0.011N6.84.796

*2 Murakamiの予測式(本文中の式(2))ではareaを初期欠陥の投影面積としており,初期欠陥から形成したき裂の面積は考慮されない。これに合わせて,Murakamiらが整理している実験値のΔKthも式(1)に初期欠陥の投影面積を代入した値を採用している25)。Murakamiらはこの理由として,停留き裂形状の再現性の低さを理由に挙げており,式(2)の実用性を得るために初期欠陥形状からのみの整理をしていると述べている25)。本研究では,Murakamiらの手法に合わせて,式(1)に初期欠陥の投影面積を代入してΔKthを求めている。種々な欠陥のarea決定法については文献12)および25)を参照されたい。

*3 式(2)では硬さとareaのみを考えた場合,左辺と右辺の次元が合っていないことが問題となっている。つまり,3.3×10-3にはm1/6に対応する単位がつくと想定される。しかし,右辺3.3×10-3およびareaにかかる1/3乗の科学的意味は現状不明瞭であり,本式の次元が合わない問題について力学的解釈が求められている。

次にFig.5(b)に160°Cでの疲労き裂進展限界の測定結果を示す。ここでHVは,高温での硬さ測定が困難であったため,便宜上室温のビッカース硬さを用いている。このため,20°Cに比べて160°CのΔKth/(120+HV)が低い理由として,温度上昇による硬さが低下とΔKth低下の両方を考える必要がある。事実,既報18)およびTable 1が示すように,IF鋼とFe-N鋼では降伏強度が温度上昇により低下する。後に,降伏強度の観点から本合金におけるΔKthの試験温度依存性について議論する。

3・2 疲労き裂進展挙動

Fig.6にFe-N鋼における疲労限での疲労き裂進展挙動を示す。Fig.6(a1)と(b1)およびFig.6(a2)と(b2)の比較からわかるように,疲労限では疲労き裂が切欠き先端から発生し,粒内を進展した後,停留している。つまり,Fig.5(a)で測定された疲労限は疲労き裂停留限界に対応している。き裂進展が止まらない応力振幅条件では,破面(Fig.7)から判断すると,すべり線(面)に沿って進展するStageIのき裂進展と,き裂鈍化と再鋭化を繰り返すことにより負荷方向と垂直に進展してストライエーションを伴うStageIIのき裂進展が起こったと考えられ,加えてこれら二つのき裂進展ステージの間には遷移段階が見られる26)。より具体的には,疲労き裂進展初期に対応する破面領域では,すべり面に対応していると考えられる結晶学的な特徴が現れており,これはすべり変形の繰り返しを経て,すべり面に沿って疲労き裂が進展した場合に現れる特徴である27,28)(Fig.7(b))。き裂進展が進行すると破面上の結晶学的な特徴は不明瞭になる(Fig.7(c))。これはき裂の鈍化および閉口に関連したき裂先端の変形が疲労き裂進展に有意に寄与していることを示す。さらにき裂進展が進行すると,明瞭なストライエーション29,30)が観察され(Fig.7(d)),き裂の鈍化および閉口がき裂進展を支配していることがわかる。ここで観察されたいずれのき裂進展挙動も,粒内き裂進展のときに現れる特徴である。

Fig. 6.

Replica images of the specimen tested at 130 MPa (fatigue limit) and 20°C taken at (a) 7.2×106 and (b) 1.0×107 cycles. The non-propagating fatigue crack was confirmed. (Online version in color.)

Fig. 7.

Fractographs of the Fe-0.011N steel tested at 140 MPa at 20°C: (a) an overview and (b-d) magnified images of the regions outlined in (a). Three stages of fatigue crack growth are seen in (b-d). (Online version in color.)

試験温度160°Cにおける疲労限で形成した疲労き裂をFig.8に示す。Fig.8(a)および(b)の比較から分かるように,疲労き裂は微小切欠き先端から発生し,進展している。Fig.8(b1)および(b2)に示すように,いずれのき裂先端位置も粒内にあり,室温と同様に粒内き裂進展抵抗が疲労限を決定する主因子であることがわかる。Fig.9に示すように,破面にも室温と大きな差異は観察されなかった。つまり,き裂進展初期に対応する破面領域ではすべり面に沿ったき裂進展の特徴が観察され(Fig.9(b)),結晶学的な破面様相がき裂進展とともに不明瞭になったのち(Fig.9(c)),き裂進展後期にて,ストライエーションが観察された(Fig.9(d))。

Fig. 8.

Optical Micrographs of the Fe-0.011N steel tested at 90 MPa (fatigue limit) at 160°C taken at (a) 0 and (b) 1×107 cycles. The red arrows indicate crack tips. (Online version in color.)

Fig. 9.

Fractographs of the Fe-0.011N steel tested at 100 MPa at 160°C: (a) an overview and (b-d) magnified images of the regions outlined in (a). (Online version in color.)

4. 考察

破面の観察より,Fe-N鋼のき裂進展挙動に特異性はなく,粒内を進展していたことがわかる。またレプリカ観察より,試験温度によらず,疲労限は粒内の微小き裂進展抵抗により支配されていることが明らかになった。よってDSAの観点では,粒内き裂の先端における窒素のひずみ時効硬化能がFe-N鋼の疲労限を決定する重要因子であると考えられる。

窒素によるひずみ時効硬化能を考える上で,まずFe-N鋼では室温の応力ひずみ線図上にセレーションが現れなかったことに注目する(Fig.4)。この事実は,室温では窒素によるDSAが起こらない,またはその流動応力への寄与が小さい,かのいずれかを示している。固溶窒素添加鋼では,室温近傍(50°C)で有意な静的ひずみ時効硬化が発現する31)こと,また,温度上昇により顕著なDSAが起こること32)が報告されている。これら従来報告を考慮すると,室温において窒素によるDSAは起こるが,その流動応力への寄与はセレーションを引き起こすほどではないと考えられる。つまり,炭素に比べて窒素のひずみ時効硬化能が低いために,今回測定されたFe-N鋼の室温におけるΔKthは,Murakamiの式による予測値を上回るものの,その予測値からの上昇量はFe-C鋼よりも小さいと説明される。

ΔKthはIF鋼,Fe-C鋼,Fe-N鋼のいずれにおいても試験温度の上昇により低下した。低下の要因として,(1)固溶元素量減少によるひずみ時効硬化能の低下,(2)転位運動の熱活性化過程の寄与増大による降伏強度および流動応力の低下,が挙げられる。IF鋼ではひずみ時効硬化が起こらないので,降伏強度および流動応力の低下がΔKth低下の原因である。Fe-C鋼では,温度上昇により炭化物析出が起こるため,析出強化により降伏強度が上昇する18)。しかし,降伏強度の上昇にも関わらず,ΔKthは低下する。これは,炭化物析出により固溶炭素量が低下し,ひずみ時効硬化能が低下したことを示す。これら事実を踏まえ,試験温度上昇によるΔKthの変化と降伏強度の変化を対応づけるため,それぞれの160°Cでの値を室温の値で除した数値をプロットした図をFig.10に示す。ここで注目すべき点は,Fe-N鋼のデータである。Fe-N鋼は,降伏強度の低下率に対するΔKth低下率がIF鋼よりも有意に小さい。これは,窒素によるDSAが160°Cにおいても有効に寄与していることを示している。Fig.1に示すように,鉄における窒素の固溶限は炭素よりも大きく,試験温度を上昇させても固溶状態を保つことができる。このためFe-N鋼では,Fe-C鋼における炭化物析出の効果のように降伏強度上昇に反してき裂進展抵抗が低下することはなく,かつIF鋼よりも優れたΔKthを160°Cでも獲得することができたと考える。

Fig. 10.

ΔKth variation by the temperature increase plotted against yield strength variation. Upper yield strength or 0.2% proof stress were used as the yield strength. (Online version in color.)

5. 結論

焼入れFe-Nフェライト鋼に微小切欠きを導入し,室温(20°C)と160°Cにおける微小疲労き裂の進展限界ΔKthを測定した。室温において,窒素はひずみ時効硬化により微小疲労き裂の進展抵抗を上昇させるが,その効果は炭素に比べて小さい。一方160°Cでは,焼入れFe-Cフェライト鋼で問題になる析出によるひずみ時効硬化能低下がFe-N鋼では起こらない。これは,窒素の固溶限が炭素よりも高いためである。この高温でのひずみ時効硬化能に由来して,Fe-N合金は,Fe-C鋼よりもΔKthの熱的安定性に優れる。

謝辞

本研究は科研費基盤S (JP16H06365)の助成を受けて遂行された。

文献
 
© 2020 一般社団法人 日本鉄鋼協会

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