2022 年 108 巻 3 号 p. 199-210
This article shows a microscopic observation of the cracking of TiN particle and its quantification in ferrite-pearlite steels as a model case of the crack initiation in inclusions. Three model steels containing different amount of TiN particles were produced by vacuum melting, hot rolling, and heat treatment. The microstructures of model steels were evaluated by optical microscopy, image analysis, and EBSD analysis. From the results of Charpy impact test and fractography, it was confirmed that TiN particles behave as initiation sites of cleavage fracture in two of the three model steels. Tensile tests using circumferential notched round bar specimens were interrupted at a certain stroke condition to obtain deformed specimens with distributed strain and stress. By measuring TiN particles’ diameter and cracking under various strain and stress conditions on the deformed specimens, we made a dataset in which individual TiN particles’ cracking were associated with various information, i.e., TiN particles’ size, strain, and stress condition. Through the statistical analysis of the dataset, the probability of TiN particles’ crack initiation was formulated as a function of TiN particles’ diameter, macroscopic strain and stress.
構造材料である鉄鋼において,高強度化は鋼構造の設計自由度を向上させ高い付加価値を創出する。一方で,強度上昇は靭性の低下につながる場合がある。鋼構造の大規模破壊につながる靭性劣化は防がねばならず,さらに近年は耐震性要求の向上や低温環境での使用増加など,鋼材に要求される靭性は高まる一方である。強度と靭性を両立した鋼材を開発するためには,脆性破壊現象とミクロ組織の関係を良く理解し,強度を犠牲とせずに,脆性破壊の発生を防ぐことが求められる。一方,鉄鋼のミクロ組織は,強度レベルやTMCP(Thermomechanical control process)条件,HAZ(Heat affected zone)の温度履歴などで大きく異なり,結晶粒径やセメンタイトの状態は大きく変化している。また,鋼中に含まれる合金炭窒化物や介在物も多様である。これらはいずれも破壊現象と関係しており,破壊現象を理解すべきミクロ組織は複雑である。
脆性破壊現象をミクロ組織と関連付けて定式化する試みは古くからなされている。Griffithはガラスのような脆性固体において,き裂進展が破壊の発生を決めること,へき開破壊応力はき裂長さの-1/2乗に比例することを突き止め,それを定式化した1)。この式はOrowan,Irwinによる拡張2,3)を経て,現在でも鋼材の脆性破壊を考える基礎となっている。鋼材中で進展を考えるべきき裂は炭化物のような脆化相の割れによって発生し4,5),Curry and Knottによって粗大炭化物の大きさが靭性を変化させることが示されている6)。
一方で,へき開破壊応力がフェライト粒径の-1/2乗に比例して変化することも広く知られている7)。これは,脆化相に隣接するフェライト粒の粒界に堆積した転位が,脆化相の割れによって発生したき裂進展の駆動力となるため,転位の堆積距離としてフェライト粒径の寄与があるからと説明されている8)。このPetchモデルでは,脆化相から母相フェライトへき裂が進展することが脆性破壊の発生であるという前提で,き裂進展に必要な局所破壊応力を求め,鋼材の靭性を定式化することに成功した。
Petchモデルは,フェライト粒径と脆化相の大きさという靭性の支配因子の寄与を明確化した極めて重要なモデルであるが,様々なミクロ組織を持つ鋼材一般の靭性を精度よく推定することはできない。特に,脆性破壊は応力が集中する範囲内で最も脆弱な組織によって支配される(最弱リンク9,10))現象であり,靭性は本質的にばらつきを伴う。Bereminらは,応力集中域内でき裂の分布を確率的に取り扱い,脆性破壊の発生確率を定式化する方法を考案した10)。このモデルは,靭性のばらつきや試験片の寸法効果など,従来のモデルで扱えなかった靭性の特徴を定量的に評価可能にした。
Bereminモデルは潜在的なき裂の存在を仮定し,実際のミクロ組織と対応がついていなかった。近年の脆性破壊現象を定式化する試みは,このBereminモデルを実際の鋼材におけるミクロ組織の分布や破壊素過程と対応づける形で行われている。まず潜在的なき裂の分布が炭化物の大きさによって説明され11,12),さらに母相フェライト粒界もき裂進展の障壁になるという複数段階の破壊素過程が定式化された13)。このような背景のもと,Shibanumaらはフェライト鋼中の粒界セメンタイトの割れによるき裂の核生成をも確率的に評価し,破壊素過程を3段階に分けて定式化するモデルを提案した14–18)。この柴沼モデルは,鋼材のミクロ組織の分布情報と合理的な仮定のみによって,靭性(CTOD値)をばらつきを含めてこれまで以上に正確に予測できるモデルである。これまでに様々な起点や母相組織へ拡張されており,パーライトが破壊起点となるフェライト鋼のモデル19),島状マルテンサイト(martensite-austenite constituent: MA)が起点となるベイナイト鋼のモデル20),セメンタイトが起点となる焼き戻しマルテンサイト鋼のモデル21)が報告されている。また,最近では上記のCTOD値を予測するモデルの他,溶接熱影響部のMAが起点となるベイナイト鋼のシャルピー試験結果を予測するモデルも報告されている22,23)。
従来のモデルはセメンタイトの大きさのき裂が存在する前提でき裂進展のみを考えていたことに対し,柴沼モデルはき裂の生成をセメンタイトが割れる確率によって扱うことで精度を向上した。冒頭に述べたように,介在物も脆性破壊の起点となる。例えば鋼中で微細に析出したTiNは加熱時にピン止め効果を発揮してオーステナイト粒の成長を抑制するため,TMCPによる鋼板製造やHAZの粗粒化を防ぐために広く活用されている。しかし,鋳造時に溶鋼から晶出した粗大なTiNは介在物として脆性破壊起点となることが知られている24,25)。介在物は一般にセメンタイトよりも数密度が低いため,介在物が靭性を支配する組織において,その割れ確率の評価は靭性予測にとってより重要であると考えられるが,これまでに報告された例は無い。本研究では,上記のような粗大な晶出TiNが靭性を支配するモデル鋼を作製し,その割れ確率を求めた。
供試鋼の化学成分をTable 1に示す。TiNの大きさや数密度を変化させるため,Ti量を0.01,0.03,0.09 mass%と変化させ,N量はその化学量論比(Ti/N質量比3.4)とした。上記成分の50 kg鋼塊を真空溶解にて作製し,Table 2に示す処理によって供試鋼を作製した。具体的には1250°Cで熱間圧延し30 mm厚の鋼板とした後空冷し圧延板を作成した。圧延板は,1060-1250°Cの各温度に設定された加熱炉で15 min.加熱保持した後,空冷した。Ti,N量に応じてTiNによるピン止め効果が異なるため,加熱保持温度を変えることで概ね同じフェライト粒径となるようにした。
Steel | C | Si | Mn | P* | S* | t-Al | t-Ti | t-N | O* |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
T1 | 0.050 | 0.010 | 1.00 | <20 | 6 | 0.040 | 0.011 | 0.0032 | 20 |
T3 | 0.049 | 0.010 | 1.03 | <20 | 5 | 0.039 | 0.030 | 0.0097 | 16 |
T9 | 0.049 | 0.013 | 1.03 | <20 | 4 | 0.056 | 0.086 | 0.0255 | <10 |
Steel | Hot Rolling | Normalizing | ||
---|---|---|---|---|
Heating | Holding | Cooling | ||
T1 | 1250 ºC | 1060 ºC | 15 min. | Air |
T3 | 1100 ºC | |||
T9 | 1200 ºC |
得られた供試鋼を用いて,ミクロ組織観察,EBSD測定,丸棒引張試験,およびシャルピー衝撃試験を行い,基礎的な特性を評価した。各試験の詳細を以降に示す。
2・2 ミクロ組織観察Fig.1に,供試鋼のミクロ組織とTiNの写真を示す。ミクロ組織は鏡面研磨後にナイタール腐食して光学顕微鏡観察,TiNは鏡面研磨を行い個々のTiNを光学顕微鏡で撮影した。本供試鋼はいずれも母相がフェライト・パーライトであり,Ti,N量が多い鋼材では粗大なTiNを含有することが確認できた。T3鋼,T9鋼ではミクロ組織写真でも粗大なTiNが確認でき,その場所をFig.1上段に赤い矢印で示す。結晶粒界にも少数あるが,主にフェライト結晶粒の内部に存在した。Fig.1下段のTiNではTiNに特有なオレンジ色が見られ,EDSによって組成も確認した。鋼中に晶出または析出するTiNは岩塩型の結晶構造を反映した直方体であることが知られており26–28),観察面にみられるTiNの形状と整合する。また,TiNは黒い介在物の周囲に存在していることが多く,高Ti系ステンレスにおける報告29,30)と同様に,酸化物を核として晶出していることが示唆される。
Microstructures and TiN particles of tested steels. Red arrows in the top panels denote the example of coarse TiN particles. Red borders surrounding TiN particles in the bottom panels denote the results of image recognition. (Online version in color.)
次に,母相結晶粒およびTiNの粒径分布を調査した。母相結晶粒径の分布は,EBSDで方位差が15度以上となる箇所を粒界として各結晶粒の円相当直径分布として評価した。Fig.2にその結果を示す。T1鋼はT3鋼,T9鋼に比較して少し細粒であるが,T3鋼,T9鋼はほぼ等しい結晶粒径の組織であることが確認できる。TiNの粒径分布は,顕微鏡画像(500倍,各30枚)でTiN特有のオレンジ色の領域を識別し,すべてのTiNについて円相当直径を測定した。Fig.1下段に示すTiNの例には,識別結果を赤い線として重ねて表示している。Fig.3に測定したTiNの円相当直径分布を示す。T1,T3,T9鋼と,Ti,N量の増加に応じてTiNの数と円相当直径が全体的に増加していることが分かる。
Distributions of ferrite grains’ equivalent disk diameter evaluated by EBSD. (Online version in color.)
Distributions of TiN particles’ equivalent disk diameter evaluated by optical microscope and image recognition. (Online version in color.)
室温にてJIS A2号引張試験片(ϕ6 mm,標点間距離(Gauge Length: GL)24 mm)を用いて丸棒引張試験を行い,降伏強度(YS),引張強度(TS),全伸び(EL)を測定した。Table 3に示すように,引張特性は3鋼種ともほぼ等しい。
Steel | YS (MPa) | TS (MPa) | EL (%) | vTrs (ºC) |
---|---|---|---|---|
T1 | 205 | 324 | 50.2 | –20 |
T3 | 201 | 328 | 48.5 | 0 |
T9 | 200 | 338 | 48.6 | 20 |
Ti,N量が靭性に及ぼす影響を調べるため,シャルピー衝撃試験(2 mmVノッチ)を実施しした。Fig.4(a)に吸収エネルギーの温度依存性,Fig.4(b)に脆性破面率の温度依存性を示す。遷移温度はT1,T3,T9鋼でそれぞれ-20°C,0°C,20°Cであり,Ti,N量の増加に伴って延性脆性遷移温度(vTrs)が上昇(靭性が劣化)していることを確認した。
Results of Charpy impact test. (a): Temperature dependence of the absorbed energy. (b): Temperature dependence of the cleaved area fraction. The solid and dashed lines are guide for the eye. (Online version in color.)
Ti,N量の増加に伴うvTrsの上昇がTiNによって起きていることを確認するため,破面の起点観察を行った。代表的な破面をFig.5に示す。T1鋼ではTiNが起点となっているものは無く,T3鋼では脆性破面7個のうち3個で起点にTiNを観察し,T9鋼では脆性破面6個全てで起点にTiNを観察した。以上より,本供試鋼では,Ti,N量の増加によって粗大なTiNが発生し,T3,T9鋼ではその粗大なTiNが脆性破壊の起点となり脆性破壊発生特性を支配していることが分かる。
Fractograph of tested steels. Spectra shown on the bottom panels are results of EDS measurements at the initiation particles. (Online version in color.)
Shibanumaらはフェライト・セメンタイト鋼における先行研究で,円周切り欠き付き丸棒引張試験を途中除荷し,その軸方向位置の応力・ひずみの値を有限要素(FEM)解析によって評価し,断面の顕微鏡観察による停留き裂の計測を組み合わせることで,セメンタイトの割れ確率を定量化した14,16)。本来セメンタイト等の硬質な第二相粒子は,その内部応力が粒子自体の破壊応力を上回ると割れると考えられる。しかし,内部応力や破壊応力は析出方位や形状などランダムな要素に影響されるため,割れ確率として定量化されている。
前節までのミクロ組織観察や機械特性の調査より,本供試鋼のうちT3,T9鋼では粗大なTiNが割れることで発生したき裂が伝播し,鋼材の脆性破壊に至ると考えることが妥当である。そこで,Shibanumaらと同様の手法で停留き裂となったTiNの割れを計測し,割れ確率の定量化を行った。
3・1 試験方法一般に,硬質な介在物や析出物の割れはその内部応力によって支配され,内部応力が介在物や析出物の破壊応力を超えると割れが発生すると考えられる。しかし介在物や析出物の内部応力は,形状や母相との方位関係など様々な要因に影響されるため,個別の介在物や析出物について求めることは難しい。一方で,セメンタイトにおける先行研究14,16,31)では割れが母相の巨視的な応力,ひずみ,およびセメンタイトの厚さに依存していることが報告されており,本報告でも個別のTiN粒子ごとに異なる要因を確率的に扱うことでTiNの割れ確率を求める。
供試鋼に巨視的な応力,ひずみの分布を付与するため,円周切り欠き付き丸棒引張試験を実施した。Fig.6に試験片の形状を示す。載荷速度は0.5 mm/minの準静的条件とし,試験機のクロスヘッドの変位が3.2 mm程度となるように試験した。これは,FEM解析によって試験片中心部の最大主塑性ひずみが0.5程度となる変位を求めた結果である(FEM計算の詳細は後述)。試験後に切り欠き幅の増加を測定すると,T1,T3,T9鋼でそれぞれ3.10,3.22,3.23 mmであった。試験温度は,シャルピー試験の遷移温度付近を静的な条件で再現するため,T1,T3,T9鋼でそれぞれ,-175°C,-155°C,-135°Cとした。この温度は,シャルピー試験時のひずみ速度を103 s-1と仮定し,WES280832)で利用されている温度とひずみ速度による強度推定式を適用して決定した。
Configuration of circumferentially notched tensile specimen.
上記引張試験後の試験片を中心軸を通る平面が観察面となるように切断し,鏡面研磨試験片を作製してTiNの割れを観察した。ここで,T1鋼ではTiNが割れている様子が確認できなかったことから,以降では解析の対象外とした。これはシャルピー試験片の起点にTiNが観察されなかった事と整合する。
今回,T3,T9鋼で作製した試験片の外観をFig.7上段に示す。次に,上記試験片の観察面で付与された応力,ひずみ分布を算出するため,汎用FEMソフトウェアABAQUSを使用した解析を実施した。事前に切り欠き付き丸棒引張試験と同じ温度,ひずみ速度で丸棒引張試験(ϕ10 mm,GL50 mm)を実施して応力―ひずみ関係を取得し,FEMの構成式に入力した。FEM解析では円周方向の軸対称および軸に垂直な報告の面対称を考慮した節点数462,要素数410のモデルを作成し,引張試験後に実測した切り欠き幅の増加を再現するよう変形させた。Fig.7中段に,FEM解析によって得られた最大主塑性ひずみεp,maxおよび最大主応力σmaxの分布を示す。T3,T9鋼の変形量ほぼ等しいが,T3鋼は試験片の中心でT9鋼より高いεp,max,σmaxを示した。これは,T3鋼の方が試験温度が低いために降伏強度が高く,切り欠き底の高応力部に塑性変形が集中しやすくなるためである。
External appearance, strain (stress) distribution, and observation position of the mirror-polished test pieces. (Online version in color.)
TiNの割れの観察位置はFig.7下段に示すようにFEM解析の結果を参照しながら,広い範囲の応力,ひずみ範囲を含むように定めた。
3・2 割れ形態の観察結果Fig.8に,割れたTiNの観察例を示す。まず,TiNは立方体の形で析出しており,6つの面はそれぞれ{001}面であると考えられる。次に,TiNの割れは引張方向に対して垂直に生じており,引張応力によりへき開割れしたと観られる。また,引張方向に垂直な割れは,Fig8の上段に示すように,大半が立方体で析出したTiNの正方形と思われる面に平行に起きており,TiNの{001}面でへき開割れしているものと思われる。TiNにおいて{001}面は表面エネルギーが最小となる結晶面である33)。一方で観察例の下段に示すように,少数のTiNにおいて{001}面に対し45度の向きでへき開割れが発生しているものも一定数あることが確認できた。これはTiNの2番目に表面エネルギーの小さい{110}面において33),へき開割れが発生したことを示している。以上の割れ形態の観察より,鋼中のTiNは主に{001}面でへき開割れするが,引張方向との方位関係によっては{110}面など他の結晶面でもへき開割れすることが示唆される。
Examples of cracked TiN particles. Solid (dashed) border lines indicate optical (scanning electron) microscope images.
3・1節の冒頭で述べたように,本報告ではTiNの割れ確率が巨視的な応力,ひずみ,およびTiNの大きさに依存してどのように変化するか調査した。セメンタイトにおける先行研究14,16,31)ではセメンタイトの厚さが異なる鋼材を作り分け,平均値の大小によってセメンタイトの厚さの影響をモデル化したが,ここでは画像解析によって析出しているTiNの個々の円相当直径を測定し,少ない供試鋼でも精度よく応力,ひずみの影響を求める手法を提案する。
まず,所定の位置(Fig.7下段)で撮影した光学顕微鏡画像からTiNを検出し,各TiN粒子について個別に割れの有無,測定位置,円相当直径d(μm),印加された巨視的なσmax(MPa)およびεp,maxを関連付けたデータを作成した。T9鋼では,粗大なTiNが弾性変形範囲内で割れるのかを確認するため,X=±15 mm近傍でも測定を行った。具体的なデータの作成方法と形式は付録に示す。T3鋼(T9鋼)では,1141個(3304個)のTiNを検出し,そのうち60個(175個)の割れを確認した。本データの全体像をFig.9に示す。なお,本供試鋼ではTiNが晶出していると考えられるため,観察したTiNの割れの一部は圧延過程で発生している可能性もある。この可能性を検証するため,2・2節で観察した引張試験前のミクロ試験片においても同様の割れ観察を行った。その結果は,T3鋼,T9鋼でそれぞれ453個,718個のTiNを観察し,そのうちわずか0個,2個のTiNが割れいるにすぎず,圧延時に発生するTiNの割れは無視できる。
Position and diameter dependence of TiN particle's cracking.
次に,TiN割れ確率に対する諸因子の影響を求めた。例として,T9鋼についてTiNの割れ確率のσmaxに対する依存性を求める方法を説明する。まず全データをσmaxの大小によって整理したヒストグラムをFig.10(a)に示す。このデータを図中に示すように複数に分割し,各区間で観察したTiN割れ数xの粒子総数nに対する比p=x/nを割れ確率の推定値とし,その統計的な推定誤差は2項分布の標準偏差(68%信頼区間)
Method to evaluate the probability of cracking and its dependency on maximum principal stress σmax. (Online version in color.)
Fig.11に,T3,T9鋼におけるTiNの割れ確率をσmax,εp,max,dによって整理した結果を示す。セメンタイトと同様に,TiNの割れ確率はどの因子に対しても強い依存性を持つことが分かる。個別の因子に着目すると,応力σmaxによる整理(Fig.11(a))ではT3鋼はT9鋼よりも割れ確率が低い。これは,同じ応力で比較すると,T3鋼はT9鋼に比べdが小さいことや,低温で測定しているためYSが高くひずみが小さいことと整合する。一方で,dによる整理(Fig.11(c))で比較するとT3鋼はT9鋼よりも割れ確率が高い。これは,dの影響を除くと,T3鋼は低温で試験していることを反映して応力,ひずみが大きい(Fig.7参照)ことと整合する。また,ひずみεp,maxによる整理(Fig.11(b))では,T3鋼はT9鋼よりも割れ確率が低いものの,その差は僅かである。このことも,上記と同じ理解ができる。すなわち,測定温度によるYSの差を反映し,同じひずみで比較するとT3鋼の応力が高くなる効果(割れ確率が高くなる)と,TiNが小さい効果(割れ確率が低くなる)が打ち消しあっている。以上のように,どの支配因子による整理でも試験条件から想定される傾向と一致することは,本手法によって鋼材中のTiNの割れ確率を正確に求められることを示している。
Evaluated cracking probabilities depending on (a) stress, (b) strain, and (c) diameter of TiN particles. (Online version in color.)
本節では,先行研究14,16)を参考にTiNに対して,T3,T9鋼の割れ確率に関する実験結果を統一的に説明できる割れ確率推定式を作成した。
まず,Shibanumaらのセメンタイトに対する研究では割れ確率pθの推定式は下記の2通り提案されている14,16,34)。
(1) |
(2) |
ここで,ρc,E,rE,εY,tはそれぞれ,質量炭素濃度,母相ヤング率(MPa),セメンタイトと母相フェライトのヤング率の比,母相フェライトの降伏ひずみ,セメンタイト粒の厚さ(μm)であり,εp,max,σmaxの定義は3・3節と同じである。式(1)は,力学的な裏付けはないものの簡素で前提条件は特に無い。一方で,式(2)はFEMで算出したセメンタイトの内部応力とεp,maxの関係に基づいており,セメンタイトについての精緻な推定式である。どちらも観察結果の振る舞いを再現しており,ここでは前提条件の無い式(1)を参考にTiNの割れ確率pを推定する式を作成する。
3・3節では単一の因子によって割れ確率pを整理したが,同じ方法で複数の因子を組み合わせた任意の式によってもpを整理することができる。Fig.12(a)に,全てのデータについてεp,maxσmax d3を算出し,その大小によってデータを分割してpを算出することで,pのεp,maxσmax d3依存性を求めた結果を示す。単一の因子では明確に存在していた,試験温度,σmax,εp,max,およびdの違いによるpの差がほぼ無くなっていることが確認できる。これは,本報告で測定した範囲において,試験温度の違いと,それによる応力,ひずみ分布の違いの影響が,εp,maxσmaxによって概ね表現できていることを示す。一方で,赤線で示す線形フィッティングおよび残差が示すように,pはεp,maxσmax d3に比例せず上に凸な曲線であった。これは,セメンタイトとは異なり,TiNではpはd3に比例しないことを示唆する。
εp,maxσmax dn dependence of cracking probabilities, fitting lines, and residuals for several n: (a) n=3, (b) n=2, and (c) n=1. (Online version in color.)
より正確なTiN割れ確率pの依存性を調べるため,εp,maxσmaxは変更せずにdの指数を2,1と変化させ同じ解析を行った結果をFig.12(b),(c)に示す。以上3通りの依存性を比較すると,εp,maxσmax d2が最も良くpの挙動を再現している。以上により,TiNの割れ確率はεp,maxσmax d2に比例するという知見が得られ,その最良フィット結果から得られたpの推定式を以下に示す。
(3) |
ここで用いる文字式の定義は3・3節と同じである。式(3)では,弾性変形の範囲内(第1項がゼロ)においてもごく一部の粗大なTiNが割れうることを考慮して,定数項を含めた式によりフィッティングを行った。なお,2つのTiNの辺が偶然平行になる配置で隣接したものを割れと判断してしまうことの影響,および,熱間圧延時に割れたTiNの影響は,3・3節で議論したように応力を印加していない試験片の観察結果に基づき無視できる。
式(3)によれば,TiNの円相当直径が大きいほど割れ確率が顕著に増大することが分かる。例えば,εp,max=0.3,σmax=500 MPaの状況では,TiNの等価円直径が1 μmから8 μmに増加すると割れ確率は20倍以上増加し,約62%が割れると推定できる。このような粗大なTiNの割れが脆性破壊特性と強く関連することは実験例で示した通りであり,TiNを含有する鋼材における脆性破壊をモデル化する上で重要な知見である。
式(3)は実験データを良く表現できる経験式である一方,応力とひずみがTiNの割れに及ぼす影響を十分に分離できていないという課題も残っている。本研究のデータは2種類の鋼材に対して,比較的近い温度(-155°Cと-135°C,各1条件)で実施した試験のみに基づくため,応力とひずみの従属性が高く,それぞれの影響を十分に分離できていない。これは,今後本研究と同じ鋼材を複数の温度条件で試験し,応力―ひずみ関係の異なるデータを追加することで検証を進め,将来的にはセメンタイトに対する式(2)のような微視的な裏付けを持った定式化を目指す。
3・5 靭性予測モデルへの適用について本研究で作成したTiNの割れ確率推定式はShibanumaらのモデル14,15)に適用可能であり,今後TiNを起点とする脆性破壊についてvTrsやCTODなどの靭性値を精度よく予測できるモデルが作成できる。種々の介在物について高精度な靭性予測モデルが作成できれば,鋼材のミクロ組織を設計する際に靭性の観点から介在物を選択できる。これにより,積極的に介在物を活用した組織制御によって,強度と靭性を高いレベルで両立した鋼材開発の道が拓けると考えられる。
本研究ではTiNの分布状態が靭性を支配するモデル鋼材を作製し,TiNの割れによるき裂発生を定量的に観察することで,以下の結果を得た。
(1)真空溶解でTi,Nの含有量の異なる鋼塊を作製し,熱処理によって母相粒径を揃えることで,ミクロ組織と引張特性がほぼ等しく,TiNの分布状態が異なる供試鋼が得られた。
(2)各供試鋼についてシャルピー衝撃試験を行い,TiNの増加,増大によって延性脆性遷移温度が高温へ移行し,破壊起点が粗大なTiNとなることを確認した。
(3)TiNが破壊起点となる供試鋼について,破断前に停止する円周切り欠き付き丸棒引張試験を実施し,FEM解析によって試験片に付与された応力,ひずみ分布を算出した。観察面が試験片の中心軸を通る鏡面研磨試験片を作製し,光学顕微鏡にて観察位置を応力ひずみ分布と対応付けながら観察し,個々のTiNについてその大きさと割れ情報,印加された巨視的な応力およびひずみを関連付けたデータを作成した。
(4)上記のデータに含まれる任意の因子が,TiNの割れ確率に対してどのような影響を与えるか調査できる統計的な解析手法を提示した。
(5)上記手法を用いて,異なる実験条件で測定されたTiNの割れ確率を統一的に推定できる実験式を作成した。
(6)本研究で求めたTiNの割れ確率推定式を利用することで,TiNを起点とする脆性破壊に柴沼らの高精度な靭性予測モデルを適用できる。
TiNの割れ確率を算出する際に作成したデータ形式の詳細をFig.A1に,具体的な作成手順を以下に示す。
(1)3・3節で述べたように,応力,ひずみを付与した試験片の所定の位置で光学顕微鏡画像を撮影する。
(2)上記画像から,2・2節と同様にTiNに特有なオレンジ色の領域を画像処理によって認識する。
(3)検出した領域(TiN粒子)それぞれに,独立なID番号を付与する。
(4)上記のTiN粒子のうち,2つに割れているTiNを単一のTiNと扱うため,検出領域に外接する四角形(Bounding box)を2倍に拡大して重複があるものは片方のIDにのみ関連付ける。
(5)検出画像を目視で確認し,TiNの割れであると認識した画像のIDに,割れであるという情報を追加する。
(6)(4)でBounding boxの重複があったデータのうち,TiNの割れでなかったものは同一IDへの関連付けを解除する。
(7)FEM解析の結果から撮影位置の数値を参照し,各IDに関連付ける。
最後に,本論文の執筆にあたり,岡村一男博士から貴重なご助言を頂いた事を記し,感謝申し上げます。