2024 年 110 巻 3 号 p. 110-117
Strain distribution developed during tensile deformation in as quenched martensitic steels with various prior austenite grain sizes (PAGS) was visualized by using digital image correlation method, and then the effect of PAGS on strain distribution was discussed based on the results obtained from SEM/EBSD measurements. The martensitic steels with PAGS ranging from 8 to 110 μm were fabricated by controlling the solution-treated temperature. Carbides were observed in all specimens, suggesting that the auto-tempering occurred during the water quenching. The amount and size of carbide increased with increasing the PAGS. Inhomogeneous microscopic strain distribution in a unit of block was developed by tensile deformation in all specimens, and the strain distribution became rather inhomogeneous with increasing the PAGS. The blocks with the high Schmid factor of habit plane slip system tended to exhibit high strain. It was observed that there were blocks with low Schmid factor but high strain, and such blocks had numerous carbide precipitates, indicating that those blocks were well-tempered by auto-tempering. The nano-indentation hardness in the blocks with well-tempered blocks tended to be lower than that in the less-tempered blocks. The well-tempered blocks exhibited high strain independent of Schmid factor of habit plane slip system. Thus, the auto-tempering is one of the influential factors on the inhomogeneous strain distribution in as quenched martensitic steel. It could be reasonably understood that the increase of PAGS led to the increase of Ms temperature and the promotion of auto-tempering, resulting in rather inhomogeneous strain distribution in coarse-PAGS specimen.
マルテンサイトは多くの構造用鋼に用いられる重要な組織である。例えば,比較的低成分で高強度を実現できる自動車向けマルテンサイト鋼板が開発されており1),自動車の燃費・衝突安全性向上のために更なる高強度化が望まれている。鋼材は引張強度が高くなると延性や水素脆化特性,低温靭性などが低下するため,強度とこれらの特性の両立が課題となる。延性破壊はもちろんのこと,巨視的には脆性破壊といえる水素脆化やへき開破壊についても微視的には転位運動が破壊に影響する2,3,4)ことが指摘されており,マルテンサイトの微視的な塑性変形挙動を理解することは,これらの特性を制御する上で重要である。
マルテンサイトの微視的な塑性変形挙動については,デジタル画像相関(DIC)法5)を用いた研究が報告されている。例えば,Ishimotoら6)はマルテンサイト鋼の引張変形において,ブロック単位での不均一な変形が生じること,そのひずみ分布が特定のすべり系のシュミット因子と相関すること明らかにしている。また,Kogaら7)はレプリカDIC法を適用することで,最終破壊領域の初期からのひずみ分布変化を可視化している。その結果,旧オーステナイト粒が粗大な場合は,変形初期から最終破断に至るまで,ひずみ分布がより不均一になることを報告しているが。しかし,旧オーステナイト粒径がひずみ分布に及ぼす影響について定量的な議論はなされていない。旧オーステナイト粒の微細化に伴い,下部組織であるパケットやブロックのサイズも微細化すること8)や,Ms点が低下すること9)が知られているが,これらがマルテンサイト鋼の微視的な変形挙動に及ぼす影響を調査した例は見当たらない。
そこで本研究では,旧オーステナイト粒径が数µmから100 µm超のマルテンサイト単一組織を有する鋼を用い,旧オーステナイト粒径がひずみ分布に及ぼす影響を明らかにすることを目的として検討を行った。
50 kg真空溶解炉を用い,低炭素鋼(Fe-0.2 mass%C-1.0 mass%Mn)を溶製した。得られた鋳塊に,熱間圧延と冷間圧延を施し,厚さ1 mmの冷延鋼板を作製した。この冷延鋼板に対し,ソルトバスにて860°C,1000°C,および1100°Cで0.6 ksのオーステナイト化を行った後,氷食塩水焼入れを実施した。詳細は後述するが,この熱処理により,旧オーステナイト粒径がそれぞれ8,19,110 µmのマルテンサイト単一組織が得られた。以降,これらをそれぞれ8 µm材,19 µm材,110 µm材と呼ぶ。焼入れ熱処理を行った板から旧γ粒界観察用の試験片を切り出し,500°Cで7.2 ksの鋭敏化処理を行った。
熱処理後の板から組織観察用の試験片を切り出し,表面をエメリー紙で研磨し,アルミナ懸濁液を用いてバフ研磨を行った後,コロイダルシリカを用いて鏡面研磨を施した。その後,ピクリン酸溶液を用いて腐食を行い,鋭敏化処理を施した試験片に対しては光学顕微鏡で,焼入れ熱処理ままの試験片に対しては走査型電子顕微鏡(SEM)で現出した腐食組織を観察した。
ひずみ分布は,引張試験前後の同一視野観察の画像に対しDIC法を適用することで解析した。ゲージ長さ5 mm,幅1.5 mm,厚さ0.4 mmの引張試験片に対し,表面を鏡面研磨した後,ステップサイズ=50 nmの条件で電子線後方散乱回折(EBSD,OXFORD製Symmetry)法の測定を行った。次いで,EBSD測定によるコンタミネーション除去のためコロイダルシリカによる研磨を施し,3%ナイタール溶液で組織を現出させ,EBSD測定領域のSEM像を取得した。DICの解析条件を揃えるため,全ての材料で撮影倍率は同一とし,19 µm材,110 µm材ではそれぞれ4枚,12枚のSEM像を取得して連結させ,解析に供した。得られたSEM画像の1pixelの長さは62 nmである。その後,初期歪速度1.0×10-3 s-1の条件で引張試験を行い,引張強度で試験を中断して,変形前と同一視野のSEM像を取得した。変形前後のSEM画像に対し,解析ソフトウェアVIC-2Dを用い,サブセットサイズ61pixel,ステップ3pixelの条件でひずみ分布の解析を行った。
EBSD測定で得られた結晶方位データから,マルテンサイトのシュミット因子の解析を行った。マルテンサイトのすべり系は,すべり方向<111>,すべり面{110}および{112}の2種類である10)と報告されており,合わせて24個のすべり系が存在する。本研究では,Ryouら11)の先行研究に基づき,24個のすべり系を,晶癖面内すべり系,ラス面内すべり系,ラス面外すべり系に分類して解析を行った。詳細は後述する。
110 µm材に対し,ナノインデンテーション試験機による硬度測定を行った。長さ10 mm,幅10 mmの試験片を切り出し,コロイダルシリカによる鏡面研磨を施した。最大荷重は350 µNとし,116 µm×136 µmの領域に対し4 µmの間隔でナノ硬さの測定を行った。
Fig.1に8 µm材,19 µm材,110 µm材の光学顕微鏡およびSEM観察結果を示す。オーステナイト化温度が高いほど,旧オーステナイト粒は粗大化した。また,平均ブロック径を算出するため,EBSD測定結果を解析し,方位差5°以上を粒界と定義して,平均円相当径を求めた。その結果,8 µm材,19 µm材,110 µm材の平均ブロック径はそれぞれ2.6 µm,4.9 µm,21 µmであった。SEM観察においては,いずれの材料においても,内部に白い粒状の炭化物の析出が認められるブロック(図中黒矢印)と炭化物がほとんど観察されないブロック(図中白矢印)があった。これらの組織は焼戻し熱処理を施していない焼入れままマルテンサイトであることから,炭化物は焼入れの過程における自己焼戻しによって析出したものである。つまり,炭化物の析出が多い領域は比較的高温で,炭化物の析出が少ない領域は比較的低温で変態したマルテンサイトである。ブロック内に析出した炭化物は,旧オーステナイト粒が微細な材料ほど小さく,量も少なかった。これは旧オーステナイト粒の微細化に伴い,Ms点が低下したためであると考えられる。
(a), (b), (c) Optical micrographs and (d), (e), (f) SEM micrographs of steels with PAGS of (a), (d) 8 µm, (b), (e) 19 µm and (c), (f) 110 µm steels.
8 µm材,19 µm材,110 µm材の変形前の引張方向の結晶方位マップと引張試験の最大荷重時における引張方向のひずみ(εxx)分布をFig.2に示す。ひずみ分布では,カラーバーで示す色でひずみを表しており,最大,最小ひずみはそれぞれ平均ひずみの約2倍,0としている。いずれの材料もひずみがほぼ0の領域と平均ひずみの2倍以上の領域が混在しており,不均一なひずみ分布を形成しているといえる。前報6,7)と同様にひずみはブロックを単位として分布する傾向にある。高ひずみ領域は引張方向と45°程度傾いて連続する傾向がある。同様のひずみ分布は様々な金属材料の変形において観察されており11,12,13,14),一般的な傾向といえる。しかし,図中矢印で例示するように一部では高ひずみ領域が引張軸と垂直方向に分布していた。このような領域のブロックは,高ひずみ領域に沿って伸長した形状を有している。後述するように,マルテンサイト鋼ではその形状に起因したすべり系の制限が働いており,一部のブロックに変形が集中するために,このような特徴的なひずみ分布が観察される。また,高ひずみ領域のサイズは,旧オーステナイト粒が粗大であるほど,より大きい傾向があった。この結果は,ひずみ分布に組織サイズが影響することを示している。Fig.3に,それぞれの材料のひずみのヒストグラムを示す。いずれも正規分布あるいは対数正規分布を満たしているが,旧オーステナイト粒が比較的微細な8 µm材,19 µm材に比べ,粗大な110 µm材ではピークがブロードしており,旧オーステナイト粒が粗大であるほど変形がより不均一になることを示している。
(a), (b), (c) Orientation map before deformation and (d), (e), (f) εxx distribution at maximum load in steels with PAGS of (a), (d) 8 µm, (c), (d) 19 µm and (e), (f) 110 µm.
εxx histogram of steels with PAGS of 8 µm, 19 µm and 110 µm.
次に,すべり系のシュミット因子がひずみ分布に及ぼす影響を調査するため,高ひずみ領域と低ひずみ領域でシュミット因子の比較を行った。Fig.4に,晶癖面内すべり系,ラス面内すべり系,ラス面外すべり系の模式図を示す。マルテンサイトの晶癖面は{110}に平行であるため,図中に赤枠で示す晶癖面内には,赤色の矢印で示した#1と#2の2つの<111>すべり方向が存在する。このラス面内に存在する#1と#2のどちらかをすべり方向とするすべり系が,いわゆるラス面内すべり系となる。一方で,例えば色の矢印で示したば#3のように,晶癖面と平行でないすべり方向を有するすべり系は,ラス面外すべり系に分類される。さらに,ラス面内すべり系にはすべり面も晶癖面と平行なすべり系,すなわち赤枠のすべり面と,赤色の矢印で示した#1または#2のすべり方向の組み合わせが存在する。この2つのすべり系が晶癖面内すべり系である。Table 1に,晶癖面が(110)と仮定した場合に24個のすべり系をラス面内すべり系,晶癖面内すべり系,ラス面外すべり系に分類した例を示す。24個のすべり系に対しそれぞれシュミット因子を求め,ラス面内すべり系のシュミット因子の最大値と晶癖面内すべり系のシュミット因子の最大値を求めた。Fig.3のヒストグラムにおいて,ひずみが上位/下位10%の領域をそれぞれ高ひずみ領域と低ひずみ領域と定義し,それぞれ約50箇所で解析を行った。Fig.5に解析位置の一例を示す。黒い実線で囲った領域が高ひずみ領域,白い破線で囲った領域が低ひずみ領域であり,それぞれの領域の中でひずみが最大/最小となる位置を黒点,白点で示している。この点の結晶方位からシュミット因子を計算し,各すべり系のシュミット因子の最大値との関係をFig.6にまとめた。ラス面内すべり系,晶癖面内すべり系のどちらにおいても巨視的にはシュミット因子が大きいほどひずみが高い傾向がある。しかし,シュミット因子とひずみの関係はばらつきが大きく,高ひずみ領域で必ずしもシュミット因子が大きいとは限らない。このことは,シュミット因子以外にもひずみ分布へ影響因子が存在することを示している。ラス面内すべり系,晶癖面内すべり系のどちらがひずみ分布への影響が大きいかを考察するため,Fig.6に示した各解析点におけるシュミット因子の最大値を,高ひずみ領域と低ひずみ領域に分けて平均化し比較した。その結果をFig.7に示す。エラーバーは標準誤差を示している。ラス面内すべり系は,8 µm材では高ひずみ領域でシュミット因子が大きいものの,19 µm材ではほぼ同等,110 µm材ではむしろ低ひずみ領域の方が大きい。一方で,晶癖面内すべり系は,全ての材料において高ひずみ領域でシュミット因子が高く,ひずみの大小関係とよく対応する。つまり,19 µm材,110 µm材ではひずみ分布は晶癖面内すべり系の影響が大きいと判断できるが,8 µm材ではラス面内すべり系,晶癖面内すべり系いずれの影響が大きいか不明である。一方で,Ryouら11)は炭素量の異なるマルテンサイト鋼の引張変形におけるすべり帯と組織の対応を調査し,炭素量が少ない場合は,すべり帯とラス面内すべり系の,炭素量が多い場合は晶癖面内すべり系のシュミット因子が高い領域と対応することを示している。そして,炭素量により影響するすべり系が異なる理由について,炭素量が増加したことによりブロック幅が小さくなり,ブロック境界による拘束効果が影響したと考察している。すなわち,ブロックが微細化すると,ラス面内すべり系よりも晶癖面内すべり系の影響が大きくなる。本研究で用いた焼入れままマルテンサイトのひずみ分布は,ブロックが最も粗大な110 µm材でも晶癖面内すべり系の影響が大きいことから,いずれの材料においてもひずみ分布は晶癖面内すべり系の影響をより強く受けているといえる。また,旧オーステナイト粒が微細になるに従って,高ひずみ領域と低ひずみ領域のシュミット因子の差が拡大する傾向がある。これは,旧オーステナイト粒が微細であると,ひずみの大小は晶癖面内すべり系のシュミット因子に強く支配され,粗大である場合にはシュミット因子以外の因子の影響が相対的に大きくなると解釈することができる。
Schematic illustration of slip systems in a crystal structure of BCC lattice11).
Slip system | Slip plane | Slip direction | Type of slip system |
---|---|---|---|
{110}<111> | (011) | [111] | Out of lath plane |
(101) | [111] | Out of lath plane | |
(110) | [111] | Out of lath plane | |
(011) | [111] | In lath plane | |
(101) | [111] | In lath plane | |
(110) | [111] | In lath plane / In habit plane | |
(011) | [111] | In lath plane | |
(101) | [111] | In lath plane | |
(110) | [111] | In lath plane / In habit plane | |
(011) | [111] | Out of lath plane | |
(101) | [111] | Out of lath plane | |
(110) | [111] | Out of lath plane | |
{110}<111> | (112) | [111] | Out of lath plane |
(121) | [111] | Out of lath plane | |
(211) | [111] | Out of lath plane | |
(112) | [111] | In lath plane | |
(121) | [111] | In lath plane | |
(211) | [111] | In lath plane | |
(112) | [111] | In lath plane | |
(121) | [111] | In lath plane | |
(211) | [111] | In lath plane | |
(112) | [111] | Out of lath plane | |
(121) | [111] | Out of lath plane | |
(211) | [111] | Out of lath plane |
The example of high- or low-strain regions in steels with PAGS of 19 µm.
Maximum values of Schmid factor for in-lath plane and in-habit plane slip systems in high- or low-strain regions in steels with PAGS of (a) 8 µm, (b) 19 µm and (c) 110 µm. (Online version in color.)
Average values of maximum Schmid factor for in-lath plane and in-habit plane slip systems of high- or low-strain regions.
Matsudaら15)は40°C/sの冷却速度でMs点以下の200°Cまで冷却して90 s保持し,その後15°C/sまで冷却した自己焼戻しマルテンサイトを,炭化物の多寡によりwell-tempered マルテンサイトとless-temperedマルテンサイトに分類し,well-tempered マルテンサイトでナノ硬さが低いことを明らかにしている。また,より冷却速度の早い水焼入れマルテンサイトにおいても,自己焼戻しによって炭化物が析出することが報告されている16,17)。しかし,水焼入れした低炭素マルテンサイトの自己焼戻しとナノ硬さの関係について調査された例はほとんど見当たらない。そこで,ナノインデンテーション試験機により硬さを測定後に,ピクリン酸溶液を用いて組織を現出し,圧痕を付与した位置をSEM観察することで,炭化物の析出が明瞭に確認される組織(以下,Matsudaらと同様にwell-temperedと記述する),炭化物の析出が確認できない組織(同様にless-temperedと記述する)に分類し,硬さと組織の対応を調査した。代表的な結果をFig.8に示す。圧痕位置を矢印で示しており,白い矢印で示した領域はwell-tempered,黒い矢印で示した領域はless-temperedである。また,図中の数値はそれぞれの測定位置でのナノ硬さである。バラつきはあるものの,well-temperedの方がless-temperedに比べ,硬さが低い傾向がある。より定量的に比較するため,well-temperedとless-temperedそれぞれの硬さのヒストグラムを作成した。解析には1050点の硬さ測定結果のうち,粒界上に圧痕を付与した測定点や,弾性率が異常などの測定点などの測定エラーを除外した542点を使用した。結果をFig.9に示す。well-temperedはless-temperedに比べ硬度分布が低硬度側に位置しており,硬さの平均値はそれぞれ7.5 GPaと8.2 GPaであった。well-temperedのナノ硬さが低いのは,自己焼戻しによる炭化物析出で固溶炭素が減少したためであると考えられる。本研究に比べ焼入れの冷却が緩やかなMatsudaら15)の実験結果と比較すると硬さの差は小さいものの,水冷マルテンサイトにおいても自己焼戻しに起因した硬度分布が生じることが明らかとなった。
SEM micrograph and nano-hardness (GPa) of the steel with PAGS of 110 µm. White and black arrows indicate hardness measurement points in well-tempered and less-tempered martensites, respectively.
Frequency of nano-hardness in the steel with PAGS of 110 µm.
ひずみ分布と自己焼戻しによる硬度分布の関係について調査するため,110 µm材において,ひずみが高く,シュミット因子が小さかった位置の組織観察を行った。途中止めした引張試験片に対し,コロイダルシリカを用いて表面を鏡面研磨した後,ピクリン酸溶液で腐食した組織を観察した。観察結果の代表例をFig.10およびTable 2に示す。Fig.10には,領域内で最もひずみの高い位置を矢印で示している。矢印で示したブロック内部には炭化物の析出が確認できるが,周囲のブロックには炭化物の析出は認められない。Table 2には,Fig.10(c)に示した点A~Cのεxxの値と晶癖面内すべり系のシュミット因子の最大値,自己焼戻しの程度を示している。最もひずみの大きい点Aのシュミット因子は0.112と,周囲のブロックに比べて小さかった。たとえば,点Bは点Aに比べてシュミット因子が大きいが,ひずみは点Aの半分程度しかない。しかし,点Aの周囲のブロックはいずれも炭化物の析出が認められないless-temperedであり,点Aに比べると硬質であると推測される。つまり,点Aの周囲では,自己焼戻しに起因したナノ硬さ分布がひずみ分布に影響していると考えらえる。ひずみの高低,シュミット因子の大小の4象限でそれぞれ約10点同様の解析を行い,シュミット因子とεxxの関係をwell-temperedとless-temperedに分類し,Fig.11に整理した。well-temperedはシュミット因子の大小に関わらず,ほとんどの測定点でhひずみが高い傾向があった。一方で,less-temperedはシュミット因子が低い場合はほとんどの測定点でひずみは低く,シュミット因子が高い場合にはひずみが高いブロックが一定数存在した。解析点が不足しているために寄与度を定量的に評価することは難しいが,以上の結果は,ひずみ分布に対してシュミット因子と不均一な自己焼戻しに起因したナノ硬さ分布の両方が影響していると結論付けられる。ここで,自己焼戻しに及ぼす旧オーステナイト粒径の影響を考えると,Fig.1に示した組織観察の結果からは,旧オーステナイト粒の微細化に伴い炭化物の析出が抑制されており,自己焼戻しに起因したナノ硬さの差は減少するものと予想される。Celada-Caseroら9)は旧オーステナイト粒径を6~185 µmの範囲で変化させ,旧オーステナイト粒が微細化するとMs点が32°C低下することを報告している。今回はMs点の測定は実施してないが,本研究に用いた材料も旧オーステナイト粒の微細化に伴いMs点が数十°C低下することで,炭化物の析出が抑制されたものと考えられる。つまり,マルテンサイトのひずみ分布には晶癖面内すべり系のシュミット因子と自己焼戻しに伴うナノ硬さ分布が影響するが,旧オーステナイト粒が微細な場合にはMs点が低下して自己焼戻しの影響が小さくなるため,ひずみ分布に対する晶癖面内すべり系のシュミット因子の影響が大きくなり,逆に旧オーステナイト粒が粗大な場合にはMs点が上昇し,自己焼戻しの影響が増大し,晶癖面内すべり系のシュミット因子の影響が相対的に小さくなる。このように考えると,高ひずみ領域と低ひずみ領域の晶癖面内すべり系のシュミット因子の差が旧オーステナイト粒の粗大化に伴い縮小するFig.7で示した傾向を説明することができる。
(a) εxx distribution, (b) SEM micrographs and (c) orientation map in the identical region with relatively high strain despite low values of Schmid factor in the steel with PAGS of 110 µm.
Point | εxx strain | Schmid factor | Microstructure |
---|---|---|---|
A | 0.074 | 0.112 | well-tempered |
B | 0.038 | 0.138 | less-tempered |
C | 0.069 | 0.144 | less-tempered |
Relationship between Schmid factor in the habit plane slip system and εxx of well- and less-tempered martensites in the steel with PAGS of 110 µm.
本研究では,旧オーステナイト粒径を8 µmから110 µmの範囲で変化させた焼入れままマルテンサイト鋼を用い,引張変形に伴う局所的なひずみ分布に対する旧オーステナイト粒径の影響を調査し,以下の知見を得た。
(1)焼入れままマルテンサイトのブロック内には自己焼戻しによる炭化物が析出しており,旧オーステナイト粒の粗大化に伴い,炭化物のサイズと析出量は増加し,炭化物が析出したブロックではナノ硬さが減少した。
(2)引張変形により不均一なひずみ分布が生じ,高ひずみ領域は引張方向と45°程度傾いて連続する傾向があった。一方で,一部では高ひずみ領域がブロックの形状に沿って引張軸と垂直方向に分布している特徴的なひずみ分布が観察され,ひずみがブロックを単位として分布する傾向があった。
(3)高ひずみ領域は低ひずみ領域に比べて晶癖面内すべり系のシュミット因子が高い傾向があった。また,晶癖面内すべり系のシュミット因子が低いにも関わらず,高ひずみを示したブロックでは,炭化物の析出が確認された。すなわち,ひずみ分布に対してシュミット因子とナノ硬さ分布の両方が影響していることが明らかとなった。
(4)高ひずみ領域と低ひずみ領域の晶癖面内すべり系のシュミット因子の差は,旧オーステナイト粒の粗大化に伴い縮小した。これは,旧オーステナイト粒の粗大化によりMs点が上昇することで自己焼戻しによる影響が増大したためと考えられる。
本研究は,一般社団法人 日本鉄鋼協会 組織と特性部会「不均一変形組織と力学特性」の研究会の支援を受け実施した。