鉄と鋼
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論文
引抜加工‐時効処理したFe-36wt%Niインバー合金の格子欠陥と,硬さ,熱膨張に及ぼすC,Vの影響
中間 一夫古谷 真一杉田 一樹井上 耕治白井 泰治
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2013 年 99 巻 5 号 p. 380-389

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Synopsis:

Fe-36wt%Ni invar alloy has been widely used for precision parts where dimensional changes with temperature are unfavorable. In the viewpoint of industrial application, high-strength with low-thermal-expansion alloys are in increased demand for structural members such as power cables and electronic devices. Additions of alloying elements to and cold working on Fe-Ni alloys are effective methods that enable the alloys to strengthen, although these modifications also influence the magnitude of thermal expansion. In this study, effects of additions of 0.2wt%C and/or 0.8wt%V on hardness and thermal expansion of cold-drawn and aged Fe-36wt%Ni invar alloys are reported. Hardness in solution-treated and as-drawn conditions increased with addition of C, and, when both C and V were added, hardness of the alloy reached its maximum after aged at 650°C. Besides an increase in hardness with addition of any of C and V, thermal expansion below Tc became smaller in as-drawn condition than in solution-treated condition. Measurements of positron lifetimes revealed that vacancies introduced by cold-drawing were annealed out through aging up to 300°C and dislocation motion was activated at 500°C. Both vacancies and dislocations, especially C-dislocation complexes, seemingly influence the decrease in thermal expansion. While graphite precipitation in the C-added invar alloy showed no hardening, addition of C and V to invar alloy resulted in secondary hardening by vanadium carbide precipitation when aged over 500°C, which realized high-hardness and low-thermal-expansion.

1. 緒言

Fe-Ni合金において,特に質量%でNiが約36%のときに常温付近における熱膨張係数が最も低くなることが知られている1)。熱膨張係数が小さい合金はインバー合金として知られており,Fe-36%Ni合金は代表的なインバー合金の一つである。このような低熱膨張特性を利用し,Fe-Ni系インバー合金やその改良合金は,精密制御機器等に用いられている2)

Fe-36%Ni合金は,このままでは強度はそれほど高くないが,合金元素の添加や塑性加工の組み合わせにより高強度化して構造用強度部材として使用されることがある。その一例として,架空送電線への応用3,4,5)がある。架空送電線は,電線を鉄塔間に張る強度を確保するために高強度の芯線を中心部に,その周りに電導率の高いアルミ合金導体を配置した構造となっている。インバー合金は芯線に用いられ,送電時の電線温度上昇に伴う電線の垂れ下がり抑制に役立っている。また,芯線には,使用時の強風,積雪,振動による捻じれや曲がりに耐えうる延性も必要である。インバー合金製芯線は,線材引抜加工と熱処理の組み合わせにより製造される5)。芯線の強度は,引抜加工時に付与された歪みと,熱処理時の過飽和固溶体からの析出により強化される。良好な強度−延性バランスを確保するためには,合金成分や製造工程等の適正な設計が重要になってくる。

また,熱膨張も合金成分や製造条件の影響を強く受ける特性である。Fe-Ni系やその他のインバー合金の熱膨張係数は,合金元素の種類と量により変化すること6,7),冷間加工により小さくなること8,9,10,11),加工後の熱処理により大きくなること8,10,12)が知られている。送電線用インバー合金線には,通常,高強度化のため合金元素が添加されており,製造工程において引抜加工と熱処理を受けるため,これらの影響を明らかにすることは,芯線製品の特性向上および品質管理の面で工業上も価値が高い。

現在使用されている架空送電線用インバー合金線の強度は,同用途向け鋼線と同じかやや低い程度にとどまっている5)。インバー合金線を更に高強度化できれば,適用可能な線路範囲が広がるほか,比強度増大による軽量化や鉄塔を含む送電線路建設コストの低下など,設計自由度や経済性においてメリットが大きいと考えられる。このような状況の下,また今後予想される世界的電力需要増加への対応のため,従来のインバー合金線の強度を上回る高強度材が求められている。

ところで,インバー合金の低熱膨張は,温度上昇に伴い,格子振動に起因する膨張と,自発体積磁気ひずみの消失による収縮が相殺することで生じる現象であると理解される13)。自発体積磁気ひずみをもたらす原因について,インバー合金中には,電子が高スピン状態のFe原子で構成され格子定数が大きい強磁性の面心立方格子γ2と,電子が低スピン状態で格子定数が小さい反強磁性のγ1とがあり,低温域ではγ2が安定となり膨張するためというのが従来の解釈14)の一つである。異なる考え方15,16)もあるが,面心立方格子中の原子(特にFe原子)の電子状態が主要な役割を果たしているという考えは近年でも変わりはない。ところで,インバー合金を冷間加工すると加工度の上昇に伴い更に熱膨張が小さくなることが知られていて8,9,10,11),これは加工による結晶面のすべりで誘導された最隣接原子の変化のためとの報告があり8,9),すべりによって増加したFe-Fe原子対は,Fe-Ni原子対より原子間距離が大きい17)ことから,格子振動による熱膨張を打ち消す自発体積磁気ひずみが冷間加工状態では大きいことに起因するとしている。しかし,このような原子対数変化の直接観察例はなく,圧延加工でFe-Fe原子対が増加すると仮定した場合,その推定増加量は飽和磁化測定値から必要とされる増加量より遥かに少ないため18),原子対数変化だけでは説明できないとする考えもある。また一方で,冷間加工の影響に関しては,格子欠陥の増加に原因を求める考え19)もあり,このような熱膨張の変化を生む原因について十分に理解されているとはいえない。むしろ,冷間加工後に比較的低温(100~500°C)で時効処理した場合にも熱膨張の変化をもたらしていることからすると8,10,12),これらの温度域で活動する格子欠陥そのものが冷間加工材の特色ある挙動に影響している可能性がある。そこで,冷間加工およびその後に熱処理されたインバー合金の特性変化を格子欠陥との関わりの中で明らかにすることを目的として研究を行った。

格子欠陥を敏感に検出する方法として,陽電子消滅法が知られている。陽電子消滅法は,試料中に入射された陽電子が電子と対消滅するまでの時間を測定し,その寿命と消滅サイトの電子密度に相関があることを利用して,格子欠陥の種類を特定することができる方法である。更に,対消滅に伴って発生するγ線の運動量分布を調べることにより,陽電子消滅サイトの電子状態を詳しく知ることができる20,21,22)。陽電子寿命と転位のもつバーガースベクトルの大きさとの間には相関関係があることが知られており23),加工や熱処理を受けた試料の格子欠陥の変化を捉えるのに非常に有力な手法である。

高強度化の手法としては,冷間加工の他に,合金元素の添加による固溶強化や析出強化がある。Cは侵入型元素としてFe-36%Ni合金の0.2%耐力を上昇させ24),また,VはCと同時に添加すると時効により炭化物析出強化を生じる5)が,その一方でCやVはFe-36%Ni合金の焼なまし状態における熱膨張を増大する6)とされている。CやVの添加が,冷間加工および熱処理で生じる格子欠陥や析出物の種類および生成条件を変化させることは十分に考えられ,これらが熱膨張や強度に及ぼす影響も大きいと推測される。そこで本研究では,Fe-36%Ni系インバー合金を用いて,引抜加工により導入された格子欠陥の熱処理による変化と,熱膨張と硬さにもたらす影響について調査を行った。

2. 実験方法

2・1 供試材

Table 1に示す3種類の化学成分の50kgインゴットを真空誘導炉にて溶製した。Invarは,Fe-36%Niをベースとし,SiとMnを約0.2%ずつ添加したものである。Invar-Cは,Invarに固溶強化元素としてCを約0.2%添加したものであり,Invar-Vは,Invar-Cに炭化物析出強化が期待されるVを約0.8%添加したものである。これらを1150°Cにて直径40mmに熱間鍛造して棒材とした。熱間鍛造後,InvarとInvar-Cには1000°C-30min保持後水冷,Invar-Vには1100°C-30min保持後水冷の固溶化熱処理を施した。次いで,旋盤加工により直径38mmの棒材とした後,冷間引抜により直径32mmおよび直径27mmに加工した。引抜減面率は,直径32mm引抜の場合で29%,直径27mm引抜の場合で50%である。これら引抜材に,200~700°Cにて2h保持後水冷の時効処理を行い,固溶化熱処理ままおよび引抜ままのものと併せて供試材として下記実験に供した。

Table 1. Chemical compositions of investigated materials, in mass%.

2・2 実験手順

2・2・1 硬さ

固溶化熱処理材,引抜材,および引抜−時効処理材について,ビッカース硬さ測定機にて硬さ測定を行った。荷重は100gf,硬さ測定位置は断面内中周部(棒材直径の1/4に相当する位置)とした。

2・2・2 熱膨張係数

供試材を棒材中周部より長手方向に採取し,直径3mm,長さ10mmの熱膨張試験片とした。熱膨張試験機には,富士電波工機株式会社製のformastor-Fを用い,昇温速度3°C/minで室温から300°Cまでの測定を行った。試験は真空中で行い,温度は試験片に直付けした熱電対にて測定した。

2・2・3 自発磁化

供試材を棒材中周部から採取し,角2mmの立方体形状の試験片とした。東英工業株式会社製の振動試料型磁力計VSM-5を用い,約8×105A/mの磁場中における磁化の強さを室温から約350°Cまで測定した。

2・2・4 陽電子寿命

陽電子寿命測定は,陽電子線源22Naを2枚の試料で挟む外部線源法で行った(Fig.1)。22Naがβ+崩壊するときに発生するγ線と,入射陽電子が試料中の電子と対消滅するときに発生するγ線の検出時間差により,陽電子寿命スペクトルを得た。陽電子寿命スペクトル解析には,Positronfit-Extended25)を用いた。

Fig. 1.

 Schematic layout of positron lifetime measurement system.

2・2・5 ミクロ組織

棒材長手方向に平行な断面を切断,研磨し,王水系溶液にて腐食を行った後,中周部のミクロ組織を光学顕微鏡にて観察した。また,一部試料については,引抜方向から平行な方向に試料を切り出してX線回折を実施し,生成相の同定および格子定数の測定を行った。更に,電解研磨にて薄膜試料を作製し,透過型顕微鏡(TEM)観察を行った。X線回折装置は,理学電機株式会社製のRINT-2500を,TEMは,株式会社日立製作所製の電界放出型透過電子顕微鏡HF-2000を使用した。

3. 実験結果

3・1 硬さ

Fig.2に,Invar,Invar-C,Invar-Vの固溶化熱処理材,引抜材,および引抜−時効処理材について行った硬さ測定結果を示す。固溶化熱処理状態の硬さは,Invarより,Invar-CとInvar-Vの方が高く,主にCによる固溶強化が影響している。次いで,引抜加工を行った場合,引抜減面率の増加により硬さは上昇し,その上昇量もCを添加したInvar-CとInvar-Vの方が大きく,引抜で導入された転位と固溶Cの相互作用が影響していると考えられる。

Fig. 2.

 Variation in hardness of cold-drawn Invar alloys with aging temperature.

引抜−時効処理後の硬さは,Vを添加していないInvarとInvar-Cとは類似した挙動を示し,300°Cを超える辺りから時効温度の上昇に伴って硬さは低下しはじめ,650~700°Cで固溶化状態と同等の硬さになった。Invar-Vの場合,時効温度400°C以上でも軟化は生じず,500°Cを超えると二次硬化を示すようになり,いずれの引抜減面率の場合も650°Cのときに最高硬さとなり,引抜状態よりも高い硬さが得られた。

3・2 熱膨張係数

Fig.3(a)に,Invar,Invar-CおよびInvar-Vの固溶化熱処理材の熱膨張曲線を示す。熱膨張量は,Fe-Ni系インバー合金に特徴的な変曲点を持った温度依存性を示し,磁気変態温度以下の低温域,いわゆるインバー領域においては低い値を保つが,ある温度を超えるとインバー効果を消失しはじめ急激に高くなった。引抜材および引抜−時効材においても似たような傾向を示したが,熱膨張係数の大きさやその温度変化は,供試合金により異なる現象を生じた。Fig.3(b)に,インバー領域に当たる50~150°Cにおける各供試合金の固溶化熱処理材,50%引抜材および引抜−時効材の熱膨張係数α50-150°Cをまとめて示す。Fig.3(c)は,熱膨張曲線の変曲点温度Tc’であり,50~150°C間と230~280°C間の熱膨張曲線をそれぞれ直線近似し,これらの交点から求めた。

Fig. 3.

 Linear thermal expansion curves of Invar, Invar-C and Invar-V in solution-treated condition (a), mean thermal expansion coefficients (b) and Tc’s (c) of the alloys in various conditions.

まず,固溶化熱処理材を各供試合金で比較する。α50-150°CはInvar,Invar-C,Invar-Vの順で大きくなった。Fe-36%Ni合金の熱膨張係数は,C,V添加量の増加に伴い上昇すると報告されており6),本実験も同様の傾向を示している。なお,Tc’はInvarよりInvar-CとInvar-Vの方が高かった。即ち,C,Vの添加は,低温域では熱膨張係数を増加させるが,インバー効果を示す温度域を高温側に広げた。

次に,減面率50%の引抜材の熱膨張について,α50-150°Cは,引抜材の方が固溶化熱処理材よりも低くなった。Fe-Ni系又はFe-Ni-Co系インバー合金の室温近傍の熱膨張が冷間加工により小さくなることはこれまでも知られており8,9,10,11),本実験も同様の挙動を示した。Tc’は引抜材では一様に低下した。

引抜後に300°C時効処理を行うと,引抜材と比較してα50-150°Cは,Invarでやや上昇し,Invar-CとInvar-Vでは殆ど変わらなかった。Tc’はいずれも引抜材と同等のままだった。550°C時効処理した場合,いずれの供試合金もα50-150°Cは上昇し,Tc’は高くなった。650°C時効材では3供試合金ともに異なる傾向を示し,Invarではα50-150°Cが引抜状態より上昇しつつ,Tc’は高くなって固溶化熱処理材に近くなったのに対し,Invar-Cでは,α50-150°Cの上昇はInvarと同様だが,Tc’は引抜材と変わらず固溶化熱処理材より低かった。Invar-Vでは,650°C時効により,α50-150°Cは引抜材と同じく固溶化熱処理材より低く,Tc’は引抜材より上昇し固溶化熱処理材と同程度に高くなった。このように,インバー合金の熱膨張特性は,冷間加工や熱履歴,添加合金の種類によってもその変化の様子が異なることが分かった。磁気変態温度以下の熱膨張の変化は温度上昇に伴う強磁性の消失と密接な関係があることから,次に自発磁化に及ぼす温度の影響を調査した。

3・3 自発磁化

Fig.4(a),(b),(c)に,自発磁化に及ぼす温度の影響と磁気変態温度(Tc)を示す。Tcは,約8×105A/mの印加磁場中で測定した温度-磁化曲線において,磁化が減少する領域を直線近似し磁化がゼロとなるときの温度と定義した。固溶化熱処理状態の自発磁化はInvar-Cが最も大きく,InvarとInvar-Vは同程度だった。引抜によりいずれの供試合金も自発磁化は低下したが,550°C時効すると固溶化熱処理状態と同じ程度まで回復した。Fe-Ni合金の飽和磁化は外殻電子数に依存し,低熱膨張を示すいわゆるインバー組成域ではSlater-Pauling曲線から外れ外殻電子数の減少に伴い飽和磁化も低下する14,19,26,27)。本供試合金の1原子当たり平均外殻電子数は,InvarとInvar-Cではいずれも8.691と同じであるにも関わらず,Invar-Cの方が高い自発磁化を示したのは,固溶Cが格子を弾性膨張させ,これにより強磁性のγ2が安定になった28)ためであると推測される。Invar-Vでも固溶Cは同じ効果を有しているはずであるが,同時に添加されているVは外殻電子数が少ないうえにV原子に隣接する原子の飽和磁気モーメントを減少させる29)ため,Cの自発磁化増加効果を相殺していると考えられる。冷間加工による飽和磁化の低下は,他のFe-Ni系合金でも報告されており,格子欠陥の増加19)や強磁性相γ2から反強磁性相γ1への相転移30)による影響等の説がある。Fe-Niインバー合金において,飽和磁化と体積の圧力依存性が両方とも負であること31)を考慮すると,飽和磁化は体積即ち格子定数の増大に伴って上昇すると考えられるが,これについては考察で触れる。

Fig. 4.

 Spontaneous magnetization of Invar (a), Invar-C (b) and Invar-V (c) in solution-treated, cold-drawn and aged conditions.

固溶化熱処理状態のTcはInvar-Cが最も高く,次いでInvar,Invar-Vの順になった。Fe-Niインバー合金では,Cが0.02~0.4%の範囲でCの増加に伴いTcは上昇するとの報告28)があり,今回の実験結果と傾向は一致している。また,VはTcを低下させる6)と報告されている。これらは,上述のように,CとVがγ2又はγ1の安定化に関して逆の作用があることによるものと考えられる。引抜によりTcは低下したが,550°C時効状態では固溶化熱処理材と同等もしくはそれ以上にまで高くなった。即ち,固溶化熱処理,引抜,550°C時効の3状態を比較すると,いずれの供試合金も,引抜状態が最も熱膨張(α50-150°C)が小さいかわりにその温度域が狭く(低Tc),550°C時効材では熱膨張は大きいが低熱膨張温度域は最も広くなった(高Tc)。

3・4 陽電子寿命

Fig.5に,Invar,Invar-C,Invar-Vの固溶化熱処理材,50%引抜材,および引抜−時効処理材の平均陽電子寿命を示す。なお,引抜減面率29%の場合も,減面率50%とほぼ同じような変化を生じていた。

Fig. 5.

 Mean positron lifetime of solusion-treated, cold-drawn and aged invar alloys.

固溶化状態の平均陽電子寿命は,いずれの供試合金も約110psであった。この値は,完全に焼なまされたFe中の陽電子寿命107ps32)およびNi中の寿命110ps33)と近く,FeおよびNiの単空孔の陽電子寿命175ps34)および180ps33)と比較してかなり短いことから,この状態では殆ど欠陥は存在しておらず,無欠陥のFe-36%Ni合金の陽電子平均寿命を示していると考えられる。引抜状態での平均陽電子寿命は,Invarで180psであり,上述の単空孔の寿命値と近いことから殆どの陽電子は空孔で消滅していると推測できる。Invar-CとInvar-Vでは同じ164psであり,これは純金属中単空孔の寿命値よりかなり短く,固溶Cが欠陥の構造に影響を及ぼしている可能性がある。300°Cまでの時効により平均陽電子寿命は減少し,300°C時効ではInvarで157ps,Invar-Cで149ps,Invar-Vで148psであり,これらは400°C時効まで殆ど変わらない。即ち,空孔は300°Cまでに回復し,Invarの300~400°C時効材の寿命値(157ps)は転位における寿命値に対応していると推定される。この温度域においても,依然としてInvarのみInvar-CやInvar-Vより寿命が長かった。500°Cを超える時効でInvarの平均陽電子寿命は低下しはじめ,転位の回復が始まったことを示している。Invar-Cでは500°C時効により平均陽電子寿命が低下しており,転位の回復と共に後述のようにグラファイトの析出に影響されたものと推測される。Invar-Vでは500°C以上の時効で平均陽電子寿命が著しく低下しており,これは後述のようにVCの析出が始まりVCで陽電子が消滅したことを示している。その一方で,InvarとInvar-Cは650°C以上の時効により平均陽電子寿命は固溶化状態と同程度になった。

3・5 ミクロ組織

Fig.6に,固溶化熱処理材,50%引抜材,引抜−時効処理材の光学顕微鏡ミクロ組織を示す。固溶化熱処理状態では等軸のオーステナイト組織であり,引抜状態では結晶粒が引抜方向に延伸した加工組織となっていた。引抜後の時効温度を上げていくと,550°C以下ではいずれの供試合金も変形した加工組織のままであるが,650°C時効ではInvarとInvar-Cは全体的に再結晶が生じて微細な等軸組織になったのに対し,Invar-Vは変形した加工組織のままであった。

Fig. 6.

 Optical Micrographs of solution-treated, cold-drawn and aged invar alloys.

なお,Fe-36%Ni合金は通常オーステナイト相であるが,Fe-Ni系ではNi濃度の低下や加工によりマルテンサイト相に変態することがある。そこでマルテンサイト相の有無を確認するため,引抜材および状態図上でフェライト相生成温度域である400°C時効材についてX線回折を行ったところ,回折ピークはオーステナイト相のみでマルテンサイト相は検出されなかった。

次に,引抜材および引抜−時効処理材の透過型電子顕微鏡観察を行った。Fig.7に,Invarの(a)引抜材,(b)引抜−300°C時効材,(c)引抜−550°C時効材および(d)引抜−650°C時効材の電子顕微鏡写真を示す。引抜材には,加工で導入された変形双晶やすべり帯,転位等の格子欠陥による強いコントラストが広い範囲で見られ,300°C時効処理材でも同様だった。550°C時効処理材では,引抜材よりも転位密度が減少し,大きさ100nm程度のサブグレインらしきものが見られたが,その詳細は不明である。650°C時効では,再結晶が進行して双晶と僅かな転位を含む組織を呈していた。

Fig. 7.

 Transmission electron micrographs of Invar in cold-drawn condition (a), aged at 300°C (b), 550°C (c) and 650°C (d) for 2 hours.

Fig.8に,Invar-CとInvar-Vの引抜−550°C時効材の電子顕微鏡写真,析出物の電子回折像およびEDX分析結果を示す。Invar-Cでは,Fig.8(a)のように1μm弱の大きさの析出物が観察された。Fig.8(c)に示すように,EDX分析によるとこの析出物の組成はほぼCであることが分かる。Fig.8(b)の電子線回折像は不明瞭なハロー状態であり,回折リングからd値を求めると,中心に近い側から,0.35nm,0.21nm,0.12nmであり,グラファイトのd値0.348nm(hkl=002),0.2127nm(100),0.1228nm(110)とほぼ一致した。また,650°C時効材にも同様に更に成長したグラファイトが析出していた。Invar-Vには,Fig.8(d)に示すように大きさ約200nmの析出物が観察された。Fig.8(e)および(f)のEDX分析結果と電子線回折像が示すように,この析出物は主にVとCを含有しており,その電子線回折像から格子定数0.42nmの面心立方構造であった。C欠陥を含むVCは格子定数0.41~0.42nmのB1構造と報告されており,Invar-Vに観察された析出物はVCであると同定された。

Fig. 8.

 Transmission electron micrographs, (a) and (d), electron diffraction patterns, (b) and (e), and EDX spectra, (c) and (f), of the precipitates observed in Invar-C and Invar-V aged at 550°C for 2 hours. (Upper row: Invar-C, lower row: Invar-V)

これらの組織変化をFig.2に示す硬さと対比すると,InvarとInvar-Cの場合,500°C以上の時効処理に伴い硬さが低下するのは加工組織の回復が始まるためであり,時効温度650°C以上では再結晶組織となって固溶化熱処理状態と同程度の硬さにまで低下するのに対し,Invar-Vの場合,650°C時効ではVCが析出し,再結晶が遅れ二次硬化を生じることを示している。

ここで,Fe-Ni系インバー合金の磁性に関わる特性が,Fe-Fe或いはFe-Ni原子対の原子間距離に強く影響されていることから,各供試合金の格子定数を調べた。Fig.9に,引抜方向に平行な断面について試料を回転させながらX線回折を行って得られた格子定数を,組成が近いFe-Ni合金の先行研究結果35,36)と併記して示す。回折ピークには結晶面間隔の分布に応じた広がりがあり,図示しているのは{111},{200}および{220}回折ピーク位置から求めた格子定数の平均値である。固溶化熱処理状態の格子定数は,固溶Cの影響でInvarよりInvar-CとInvar-Vの方が大きい。引抜すると程度に差はあるもののいずれの供試合金も格子定数が低下した。時効温度300~650°CではInvar-Cの格子定数が最大でInvarが最小の順であり,650°C時効の格子定数は,Invarでは固溶化熱処理状態とほぼ同程度にまで増加したのに対し,Invar-Cと特にInvar-Vは固溶化熱処理状態よりも低下していた。

Fig. 9.

 Effect of cold-drawning and aging temperature on lattice constant of invar alloys.

4. 考察

Table 2に,実験結果の要点をまとめた。Fe-36%Ni合金の格子欠陥と組織変化に及ぼすC,V添加および引抜−時効処理の影響と,これらが熱膨張および硬さに与える変化について以下に考察する。本結果のうち熱膨張に関しては,自発磁化および格子定数の変化と併せて考えると,凡その部分は反強磁性相γ1と強磁性相γ2からなるWeissの2γモデル14)を基にして定性的に説明可能と考える。しかしながら,引抜材の挙動についてはこれだけでは説明できない部分があり,格子欠陥との関わりの観点から解釈を試みた。

Table 2. Summary of the present investigation.

固溶化熱処理状態では,陽電子寿命測定結果(Fig.5)から格子欠陥が殆ど存在しないオーステナイト単相の組織である。格子定数はC添加により増加しており(Fig.9),八面体位置に侵入型に固溶したCがFe-Fe原子間距離を伸ばすことにより,格子定数が小さい反強磁性γ1よりも格子定数が大きい強磁性γ2をより安定化し,自発磁化やTcの上昇(Fig.4)をもたらしていると考えられる。この侵入Cの作用のため,Invar-Cでは加熱してもγ2→γ1への変化が生じがたく熱膨張が大きくなっている(Fig.3(a))と推察される。VをCと同時に添加したInvar-Vでは,格子定数はC単独添加の場合と同じくらい大きくなるが,V原子の飽和磁気モーメント低下作用31)のため,自発磁化やTcへのCの効果を減殺すると共に,熱膨張を更に上昇させている。

引抜加工を施すと,原子空孔や転位等の格子欠陥が導入される。陽電子寿命(Fig.5)から,空孔性の欠陥が生じていることが分かるが,C添加したInvar-CとInvar-Vの欠陥はInvarよりも短寿命である。このInvar-CとInvar-Vに生じた欠陥がどのようなものか明らかではないものの,Cが関与した空孔性欠陥の可能性がある。Cを含有するFe-Ni合金では,引張変形による加工ひずみを打ち消すようにC-空孔対が生成して歪み時効硬化を起こすと言われており37),このようなC-空孔複合型の欠陥が生じている可能性が考えられる。或いは,2種以上の欠陥が混ざり平均陽電子寿命に差を生じている可能性もある。また,引抜により,格子定数の減少(Fig.9)や自発磁化の低下(Fig.4)が生じている。これは強磁性γ2が不安定となり反強磁性γ1が増加したことを示すものでもあろう。ここで,引抜により熱膨張が減少した理由を考える。もし,冷間加工時のすべりによるFe-Fe原子対の増加が低熱膨張化の原因8,9)だとすると,このFe-Fe原子対は強磁性ペアでなければならない。なぜならば,低熱膨張をもたらすのは温度上昇に伴う強磁性γ2→反強磁性γ1変化による収縮であり,γ2が少ないとこの作用が小さくなるからである。しかし,本実験では逆に,格子定数の減少や自発磁化の低下のようにγ2の減少を示唆する結果となっており,引抜による低熱膨張化の理由は別にあると考えるのが妥当だと思われる。例えば,空孔が導入されると格子定数は平均として小さくなる。空孔の回復過程においては,緩和された空孔位置に原子が再配置され格子定数は平均として大きくなるが,全体の格子点数は少なくなるため全体の体積は小さくなることから,空孔の存在が熱膨張低下の原因(の一つ)と考えても不自然ではない。実際,Invarのα50-150°Cは,300°C時効材の方が引抜材よりもやや高くなっており(Fig.3(b)),この温度域で生じる反応を考えると空孔の回復が影響した可能性がある。一方で,Invar-CとInvar-Vでは300°C時効でα50-150°Cが上昇していないことと矛盾しているように見えるが,これらは陽電子寿命から分かるように引抜時に導入された欠陥種が異なり,また寿命値が短いことから,元々格子緩和が小さい,即ち体積効果が小さい空孔性欠陥だったと考えることもできる。しかし,熱膨張に関しては,Invar-CとInvar-Vの引抜材で著しく低下したことを考えると,Cが関与する格子欠陥の方が遥かに影響が大きい。しかも,300°C時効材でも低熱膨張を維持していることから,空孔ではなく転位とCからなる欠陥が影響していると思われるが詳細は不明である。この点に関しては,今後,陽電子寿命スペクトルの多成分解析から欠陥成分の寿命を求め,欠陥種を同定したうえでの議論が必要である。なお,550°C時効材では全ての供試合金の熱膨張係数が著しく上昇しているのも目に付くが,メカニズムは現時点で不明であり,この原因解明も今後の課題である。

引抜−650°C時効すると,InvarとInvar-Cの硬さは固溶化熱処理状態と同程度にまで低下し,Invar-Vでは二次硬化がピークとなり今回の実験条件の中で最高硬さとなった(Fig.2)。Invarは再結晶が終了してほぼ無欠陥であり,α50-150°Cは空孔が回復した300°C時効材と同等となった。Invar-Cでは,α50-150°Cは引抜材より大きく,Tc’は固溶化熱処理材よりも低いというインバー合金としては好ましくない特徴を示しており,これは熱膨張低下に寄与すると推測されるCと転位が関与した格子欠陥が回復したこと,固溶Cの減少で格子定数が小さくなったことによるものと考えられる。一方,Invar-Vでは,引抜材に匹敵する低α50-150°Cと固溶化熱処理材と同等の高いTc’を有しており,実用インバー合金として有益な性質を両立させていた。これは,VC析出によるマトリクスからのVとCの排出がα50-150°Cを低下させ,マトリクスよりも格子定数が大きいVCの整合析出5)による局所的な格子定数の増加がTc’を上昇させたものと推測される。

5. 結言

Fe-36%Ni合金(Invar),InvarにCを約0.2%添加したInvar-C,およびInvarにCとVをそれぞれ約0.2%と0.8%添加したInvar-Vを供試合金とし,引抜加工-時効処理状態の硬さ,熱膨張および陽電子寿命の測定を行った結果,以下の知見を得た。

(1)引抜加工を受けたFe-36%Ni合金に導入された格子欠陥の中で,空孔性の欠陥は300°C以下の時効処理により回復し,転位性の欠陥は500°C以上で回復を開始した。但し,Cを含有する合金では,これら欠陥における陽電子寿命がC無添加合金よりも短かった。

(2)固溶化熱処理状態および引抜状態における硬さは,Cの添加により上昇した。引抜後に時効処理すると,V無添加の場合,硬さは300~400°C以上の時効で低下し,650~700°Cでほぼ固溶化状態近くにまで下がった。CとVを両方添加すると二次硬化して650°Cで最高硬さが得られた。

(3)熱膨張に関して,合金組成だけでなく,格子欠陥も影響を及ぼしていると考えられる。空孔も熱膨張を低下させるが,特にCと転位が関与する欠陥が熱膨張を低下させる効果が大きいと推測される。

(4)Fe-36%Ni合金の高強度化には,今回のInvar-Vのように,合金炭化物による析出硬化が有効である。適切な時効条件の選択により,高強度と低熱膨張の両立が可能である。

文献
 
© 2013 一般社団法人 日本鉄鋼協会

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