仏教文化研究論集
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論文
『蓮宗宝鑑』に見られる臨終思想
張 欣
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2007 年 11 巻 p. 69-84

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1. はじめに

 あらゆる生きているものにとって,死は不可避である.古代より多くの人々が臨終に関心を持つようになったのも,それ故であろう.

 仏教においては,生と死を分けて考えことはなく,「生死一如」1と捉える.即ち,日常から死を自覚して生きるところに,生死輪廻の苦を超える方法があると説いている.このような仏教の臨終に関する思想は,仏教界のみならず,一般社会にも大きな影響を及ばした.その中でも,特に浄土教は臨終を重要視した.その浄土教が現在まで続いている臨終思想や臨終に対応するやり方の基礎を作ったといえるであろう.

 臨終に対する関心は原始経典にも示されている2.しかし,具体的に臨終に面する人は何をするべきか,臨終の刹那において,心身をどのように調整すれば,浄土に往生することが出来るのか,こうした問題への回答が与えられたのは,善導の世に出てからのことだった.

 善導はそれらの問題に対して明確に回答したり,具体的に指導したりするなど,臨終への対応を詳しく人々に教えた.この点については,玉山成元氏の研究によってすでに明らかにされている3

 本論文では,元代の『蓮宗宝鑑』に見られる臨終に関する見解を検討し,それを通じて,善導によって確定された臨終思想が,宋末元初に至って,どのように変化し,また如何なる特色を持つようになったのか,という問題を明らかにしたいと思う.

 『蓮宗宝鑑』は元代の普度が著した浄土関係の著作であり,十巻から成る.本書は念仏法門を邪法と明確に区別して,念仏修行の正当性を強く訴えると同時に,それまでの浄土教理を改めて体系化したものである.主に経典の説・祖師たちの教え・信・行・願・報・浄土往生という観点から論述している.そのうち第八巻は臨終思想を闡明するものであると同時に,その時代の仏教,特に浄土教の特色を反映するものであると考えられる.

 『蓮宗宝鑑』の臨終に言及する箇所の中で,重要なものと思われる臨終四関と臨終三疑,及び父母臨終往生浄土の三つを取り上げたい.

2. 臨終四関

まず,臨終四関についての考察から始めることにしよう.『蓮宗宝鑑』には,

 四関とは,慈照宗主は『浄土十門』の中に戒めていう.「凡夫は念仏に信心を持っているが,過去の業障が重いため,地獄に堕ちることになる.仏力に乗るが故に,寝具の間において,軽いものによって,重いものに置き換えた(病気の苦しさによって過去の無数の業障が取り除かれた).若し病気の苦しさによって身心を懺悔すれば,浄土に生まれることになろう.智がない人はこの事が分からなくて,かえって〈私は今念仏しているが,病気や苦しさがある〉といい,逆に弥陀を誹謗した.この一念の悪心によって,直ちに地獄に入った.これは一番目の関である.

二番目は,持戒して念仏しているけれども,それは口では浄土を談じているが,心では娑婆を恋慕しているものである.出世の善根を求めず,家を恋慕して家の長く繁栄することを願っているから,臨終のときに病気に遭ったら,死を怖がって生を貪ることになった.童子を受けたり鬼神を呼んだり,紙や馬を焼いたり生物を殺したりする.この邪心のせいで,仏が摂め取り守ってくれなくなるため,三塗に堕落し流浪することになった.これが二番目の関である.

三番目は,或は薬として服用するために酒や魚が必要となり,或は家族や親戚に順番に追い詰められたり勧められたりする(ことによってお酒や魚を食べた).この人は決定信がなく,善根を失ったため,臨終のときに,追われて王の前に赴き,王の判断に任せることになった.これが三番目の関である.

四番目は,臨終の際に,生きることを思惟し,財産に心がひかれ,家族を恋慕するなど,心を放下できないから,正念を失った.故に家舎において鬼趣に堕ちて,すでに祟りとなった.或はけちな犬となり,或は蛇の身になって,家や庭を守ルコとは,まるで生きていたときの様子のようである.これが四番目の関である」4

とある.これは南宋の茅子元5の『浄土十門』を引用しているものである.茅子元の著作は現存していないため,その思想は『蓮宗宝鑑』の引用文を通じてしか見ることができない.この文の主旨は四つである.第一に,いままで仏を念じてきたのに,どうしてまた病気にかかることがあるのかということについては,仏を誹謗したから,地獄に堕ちる.第二に,平生は戒を守って念仏しているが,臨終の際に死を畏れて,動物を殺すことは,邪心であるから,三塗に堕落する.第三に,酒や肉を入れている薬を飲むことは,善根を失って,往生できない.第四に,臨終のときに,財産や親戚に執着することは,正念を失ったことであるから,来世に犬や蛇に生まれ変わる.これは浄土に往生を妨げる四つの大きな障害である.

その対策として,「思惟が集中,想念は寂である.念念として弥陀を称じ,全身を放下する.ただこのような一念を堅く守れば,その四関を破ることができ,浄土の蓮台は確かに遠いところではない」6ということを挙げている.即ち,ひたすら阿弥陀仏の号を称え,全身を放下できれば,その四関を破り,浄土に往生できると説いている.

もともと,臨終念仏の勧めは,道綽にも見られる.『安楽集』には「それぞれ三人や五人の同士があらかじめ結社してその要旨を用意するほうがよい.臨終のときに,お互いに教え導いて,弥陀の名号を称じ,安楽国に生まれるように願ってあげる.声声相次ぎで,十念をなさせる.……この命が終わるときは,即ち安楽国に生まれるときである」7とある.道綽は早くから浄土修行者同士の臨終念仏を主張している.

善導の『観念法門』と宋代頃に成立した『臨終正念訣』8には,道綽のこういう思想を継承されていると考えられる.『観念法門』は正しくは『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』といい,観仏三昧と念仏三昧を勧めた書である.その中には「また,行者らは病んでいるときも,病んでいないときも,命の終わろうとする際に,前述した念仏三昧法によって,身心を正しく調整し,西の方に向かう.心も専念し,阿弥陀仏を観想し,心と口とを相応し,声を出し続けて絶やさず,往生の決定と花台から聖衆が迎えにきたという想像をする」9とあり,臨終するときに,観仏と念仏を共にするべきことを主張している.

北宋の元照は,当時の代表的な浄土教家と言える.元照の著作には臨終に言及するところは多くない.しかし,道宣の『四分律行事鈔』を註釈した『四分律行事鈔資持記』(以下『資持記』)からその臨終思想を多少は伺えると思う.例えば,『資持記』には,病気になった人のために,阿弥陀仏の像を設け,「像の面が西に向かって,病人はその後ろにいる.命がまさに終わるときに,常に像を観じ,その心を繋ぎ止めさせるようにする」10とあり,臨終観仏のほうが重要であることを示している.

『蓮宗宝鑑』に至っては,「ただこのような一念を堅く守れば,その四関を破れる」11というように,臨終観仏の方はもう強調されておらず,臨終念仏の方だけが継承された.更に臨終念仏は一番重要視され,その一念だけで,すべての疑惑を破り,浄土往生を決めるものとなった.このように,臨終念仏が宋末の子元によって一層強調され,元代の『蓮宗宝鑑』でも忠実に継承されているといえよう.

また,臨終四関の内容から見ると,『臨終正念訣』には「凡そ一切の人々は臨終するとき浄土に生まれたいと欲するならば,死を恐れないほうがよい.……ただ身心を放下し,愛着を生じないようになるべきである」12や「人の寿命の長短は生まれたときにすでに決められているのに,どうして鬼神を利用して寿命を延長できるのか.世人が迷って,かえって邪を求める.生物を殺して鬼神を祭祀することは,ただ罪業を増やし恨みを結ぶだけで,かえって寿命を損なうことになる」13とあり,死を畏れず,現世の一切を愛着せず,一切の生物を殺さないことを勧めている.『蓮宗宝鑑』の四関の中の第二関と第四関との内容は,『臨終正念訣』の説と類似しているけれども,その結果について,両者の説は異なっている.『臨終正念訣』には現世に執著して,生物を殺すと,寿命を損なうと説いているが,茅子元はその結果として犬や蛇に変わったり,三塗に堕落したりするなど,もっと怖い様相を描いている.この違いは恐らく,両者の直面する時代背景や社会情勢が,違ってい他ことによるものであろう.

第三関は,お酒や肉を入れている薬を飲むことは,善根を失って,往生できないということは,戒律の立場からの見方であろう.更にいえば,主に不刹生戒を強調しているものであり,第二関の説と似他ものであると考えられる.

注意すべきことは,第三関の「臨終のときに,追われて王の前に赴き,王の判断に任せることになった」と第四関の「或はけちな犬となり,或は蛇の身になって,家や庭を守ることは,まるで生きていたときの様子のようである」という説である.第三関でいわれている王とは,地獄を支配する閻王であり,中国の民間信仰に関わるものであると考えられる.これは死後の世界で審判を受ける場面を描いたものである.第四関は最後の結果として,犬や蛇に生まれ変わったことを示している.これは,地獄思想が中国で広まり,受け止められた一つの証拠であろう.以上の内容から,地獄思想が中国でだんだん具体的になっていき,ますます恐ろしく脚色されてきたことが推測される.中国人が死という問題に深い関心を持った原因は,地獄思想の影響であるという見解もある14

ただ,第一関の中に,念仏という修行方法に疑問を生じることが,仏を誹謗することと等しく,更に地獄に陥る原因でもあるという言い方は,他の著作に見られず,茅子元独自の見解であると考えられ,過激な言い方であるといえよう.恐らく子元は一般の信者に念仏を深く信じさせるために,念仏を謗る罪について,わざと過激な説を示して,一般の民衆に恐れさせ,よって念仏修行を実践させようとしたと思われる.その見解は過激ではあるが,それを通じて,当時の浄土教家の念仏法門を広める気持ちはいかに切迫していたかを窺い知ることができる.

3. 臨終三疑

 次は,臨終三疑について検討しよう.『蓮宗宝鑑』には次のように説いている.

慈照宗主は『浄土十門』の中に戒めていう「念仏する人は臨終の三疑で浄土に生まれない.一つ目は,私は生まれて作った業が極めて重く,修行している日が短い,恐らく(浄土に)生まれないだろう,という疑いである.二つ目は,私はまだ人に負債を返していない,或は心願がまだ完結していない,及び貪・瞋・癡がまだ絶えていない,恐らく(浄土に)生まれないだろう,という疑いである.三つ目は,私は弥陀を念じているけど,命が終わる時に仏に迎えられないことを心配している,という疑いである.この三疑があれば,疑によって障害が成立し,その正念を失って,往生できない.必ず仏や経典に明らかにされている要旨を深く信じて,疑心を生じないようにせよ」15

これも茅子元の『浄土十門』を引用したものであり,死に際の人の心のあり方を描いているものである.浄土往生の障害となる三つの疑惑とは,第一に昔の業が重く,修行する時間が短いということ,第二にまだ債務があり,願い完結していないこと,第三に今まで阿弥陀仏を念じているが,臨終するときに仏に迎えられるのかという三つの疑問である.子元はこれらの疑問を持つと,浄土に往生できないと説いて,経典の教えを信じることを勧めている.

 この中の第二疑は現世のことを思ったり執着したりするなど,前述した第四関の内容とほぼ同じであるから,ここでは,それについての考察を省略したい.

 第一疑と第三疑の内容を検討すれば,結局それは信の問題であり,再び深く信じている心の重要性を強調する説である.類似な考えは『臨終正念訣』にも見られる.その中には,

また問う:平生は念仏していない人に役立つのか.

答えて言う:この方法は僧侶も男女も念仏していない人も,それを行うと皆すべて往生でき,決して疑いがない.私はよく世人が,平常において念仏し礼讃し,発願して西方に生まれることを求めるが,病気になると,かえって死を恐れ,往生や解脱する事を説かなくなることを見る.気が消し命が終わって,識が冥界に入ったあと,始めて鐘を鳴り十念をすることになる.まるで賊が去ったあと門を閉めるようなもので,何の役に立つのか.死に入る瞬間の事が大切で,自分でぜひ工夫する必要があり,そうして始めて得られるのである.若し一念がずれたら,歴劫に渡って苦を受ける.誰が代わってくれようか.よく考えなさい.何事もない時にこの教えに従って念仏を精進し,力を尽くしそれを受持すべきである.これが臨終の大事である16

とある.平生から念仏をしないものが,臨終の時に初めて念仏しても,利益があるかどうかという問に対して,僧侶でも俗人でも,かつて念仏をしたことがない人でも臨終に念仏をすれば,すべて往生できるから,決して疑わずに念仏をしなければならないことを説いている.

 まず,『臨終正念訣』と『蓮宗宝鑑』の間には,似ているところがある.念仏をしている時間の長さや短さを問わず,僧侶であるか俗人であるかを問わず,とにかく臨終するときに,ひたすら念仏をして,往生を願うべきだという点では『臨終正念訣』も『蓮宗宝鑑』も一致している.

 しかし,『臨終正念訣』と『蓮宗宝鑑』の立場は異なる.『蓮宗宝鑑』においては,臨終における信心のこと,即ち経典の教えを深く信じている心を一番重要なものとして強調している.その信によって,臨終における心の迷いや疑惑をすべて取り除き,来世は浄土に往生できると説く.つまり,『蓮宗宝鑑』において,一番大切なことは,臨終の刹那に信心を保つことである.

しかし,『臨終正念訣』では,その臨終における信心が第一義の問題としていない.著者の立場からいえば,浄土教は生きている者のための教えであり,日常の念仏や修行を積むことを大切にするよう勧められている.その上で,死という人生の大事が近づいたとき,専念に阿弥陀仏を称名し,懺悔・滅罪を図ることが重要になる.即ち,日常の生活の中に,死を自覚して,それを生の問題として扱って,平生の念仏を絶えないようにすることが,『臨終正念訣』の関心事であると考えられる.更に『臨終正念訣』にとって第一義の問題は,その平生からの念仏修行が,一生涯を通じて終始一貫できるかどうかである.

 もちろん,『蓮宗宝鑑』は平日の念仏を重視していないとはいえない.ただ,その重点は平日より,臨終の念仏や信を保つところに置かれている.恐らく,宋末元初に至って,浄土教の臨終に関する考えはだんだん普通の人々にも重視され,一般社会で盛んになってきたことから,平生に念仏をしたことがない人を慰撫するために,浄土往生の過程が短縮され,簡便化されたと考えられる.その結果,浄土教の臨終思想の重点も平生より臨終へ移ってきたのであろう.

4. 父母臨終往生浄土

最後に,『蓮宗宝鑑』の父母臨終往生浄土方法について考察しよう.『蓮宗宝鑑』巻第八には,

仏教信徒たちは仏に仕えることよりも,先に父母に仕え,奉持して孝念を捨てないようにするべきである.いつでも父母の気持ちに順じ,父母の顔を観察し,養生の道に悖るとすぐ力を尽くして調子を良くしてあげる.または人生の儚いことを考えると,往生の時が来ることを覚悟するべきである.あらかじめ父母が一生涯を通じて行った善業好事,及び周りの人々に助けてくれた功徳をまとめて書いて,疏を作る.常に父母にその疏を読んであげて,心から歓喜を生ずるようにするべきである.または父母にいつも西の方を向け,浄土を忘れないように勧めるべきである.または東に向けて弥陀仏の像を設け,念仏をするように勧めるべきである.(父母が念仏をするときに),香を焚し磐を鳴らし,周りの人々と一緒に声を合わせて,常に念仏の声を絶えずに,世間のことを愛着させず,(父母に)正念を失わないようにさせるべきである.この世を捨て去る際は,特に注意しなければならない.当然諸聖たちが迎えにきて,浄土に往生し,宝蓮華の中に成仏を決定する.孝行息子が父母を奉持するのは,正しくこの時であって,怠けることは許されない.これは孝行息子が親の臨終を仕える大事である.此れを孝行とすれば,その孝行が最高のものである17

とある.これは『蓮宗宝鑑』の著者である普度の見解である.「仏子事仏固先事親」という一句から見ると,普度は仏に仕えることより,まず父母に仕えることから始めようということと,親に仕えることが引いては仏に仕える事になると主張している.特に父母が臨終するとき,父母を往生させる方法を教えている.それは前の著作には全く見られない説であり,普度自身がいい出したものであろう.その手順として,主に四つを示している.

第一に,あらかじめ父母の行った一切善事及び周りの人々に助けてくれた功徳をまとめて書いて,疏を作る.そして,常に父母にその疏を読んであげて,心から歓喜が生ずるようにする.第二に,父母に常に西の方に向け,浄土を忘れないように勧める.第三に,弥陀仏の像を設け,父母に像を観じ,念仏をするように勧める.第四に,父母が念仏をするときに,周りの人々と一緒に声を合わせて,父母が正念を失わないようにする.このように親孝行をすれば,それは最高の孝行であり,孝行の極限であるという.

まず,第一番目の説について分析してみよう.父母の一生の間の善行を常に読み上げるという方法は,その意図は父母の心に歓喜を与え,死後を憂えず,正念を失わないようにするためである.実はすでに,『大智度論』で,生前に善行を積んでも,臨終に悪念あれば悪道に堕し,生前に悪業を造っても,臨終に善念あれば天上に生ずる18,という説が示されている.

また,業と輪廻思想の立場からいえば,臨終時を単に死の刹那・生命の最終と見るだけではなく,来世への接点としても捉えている.したがって,臨終における心のあり方が,死後の世界・来世の行き先に影響力を及ばすという説への信仰が前提にあって初めて,臨終への対応やその方法が一般の世間に認められ,実践されていくのである.藤田宏達氏は「元来,古代インド社会において,死の直前の意志や願いが再生に影響するという観念は,多様な要素を含む複合的形態をもって広範囲に普及しており,人々は人生最後のチャンスに様々な救いの可能性を見い出してきた」19と指摘しているが,この古代インドに生まれた思想は仏教と共に中国に伝来され,中国人に受け入れられ実行されてきた.

この方法によって,父母は過去に行った善業を思い出し,意識をよい方向に向け続けることによって,安らかな死が可能となり,来世における安楽が保障される.その最終的な目標は,やはり来世の幸福を求めることにあるのであろう.

 このように,元代に至って,インドに発源した死後の世界に関する思想と,中国本土の儒教の孝道とがうまく融合して,念仏が親孝行の最高の境界として褒められ,広められているといえよう.

 第二と第三と第四番目の内容は,正念を保つために,父母を念仏させたり,観仏させたり,仲間と一緒に助念してあげたりするなど,唐代の道宣や善導から宋代の元照までずっと提唱された説20であるから,新たに出したものではない.ただ,道宣・元照らは一応病人という呼称を使って,病人のためにそれらのやり方を設けたが,普度は特に父母を強調し,父母のためにそういう手順に従ってやるべきであると勧めている.この点で普度の見解は祖師たちと少し異なる.

 『蓮宗宝鑑』おける臨終思想の全篇を通じて見ると,その特色は二つがある.一つは親孝行を重視することである.父母往生浄土篇を開巻の始めに置いたり,父母に仕えることは仏に仕えることになることを強調したりするなど,普度の心の中には,親孝行が一番大切なものであることが窺える.このような言い方はそれまでの文献に見られず,『蓮宗宝鑑』独自のものとして,注目すべき箇所であると考えられる.それでは,どうして普度は親孝行にこれほど関心を持っているのか.その原因について少し考察しよう.

 大きな要因として挙げられるのは,仏教が中国に紹介され,受容された頃には,中国にはすでにあらゆる方面にわたって,高度の文化が栄えていたことである.渡辺義浩氏が,「漢民族の文化の中枢は,家族制度を根幹として成り立っており,かれらの生活万般が孝道を出発点としていた.孝道こそ儒教の目標である修身・斉家・治国・平天下の基盤をなすもので,歴代の帝王も〈孝をもって天下を治む〉21というスローガンの下に,孝道奨励を政治の要諦としていた」22というように,中国社会は礼教による社会の秩序を重視していたし,人間の行為には礼儀と孝が必要であるとされていた.

それ故,仏教がこうした儒教の社会に進出するにあったては,すべてこの文化背景を基盤として考えなくてはならないから,中国的色彩を濃厚にしていかざるをえない.よって,中国人は孝道思想を説いた多くの疑経を作ったのである.例えば,『父母恩重経』,『梵網経』,『提謂波利経』,『仁王般若経』などが,その代表である.それらが疑経であったからこそ,中国人の心をゆさぶり,巧みに儒家思想との融合を図ることができたのである.

 特に『梵網経』に「父母・師・僧・三宝を孝順すべきである.孝順は至道の法である」23とあり,仏教の三宝と,中国の孝とが同一の基盤に立つことを説いている.

 このように,インド仏教は中国の伝統的倫理観と妥協して調和する過程を経て,中国人に受け入れられ,中国的仏教に変容したのである.そして『蓮宗宝鑑』の著者である普度は,民衆の帰依を獲得するために,臨終思想の内容に儒家の孝道を加え,更にその孝道を一番高いものとして位置づけたと考えられる.

 もう一つの特色とは,『蓮宗宝鑑』というテキストが,出家者ではなく,在家者に向けて説かれたものである.それは,臨終三疑に見られる「修行日浅,恐不得生」や,臨終四関に見られる「燒錢化馬,殺戮衆生」24や「愛恋眷屬」25などの言葉と,親に孝行するという言い方から推測できる.このような生き方を出家者のあり方と捉えることは不自然であり,『蓮宗宝鑑』の想定する読者が在家者であることが分かる.

 したがって,元代になると,仏教信徒たち,特に浄土教の信徒たちの主流が,すでに出家者ではなく,在家者の方に移っていることが推測できる.

 以上の論述を通じて,『蓮宗宝鑑』における臨終思想は,中国浄土思想史に重要な位置を占めており,それまでの臨終思想を集大成するだけには留まらず,更に発展し独自の特色を創ったことが判明した.つまり,親孝行を大いに提唱し,在家者に向けて,地獄思想を具体化させ,恐怖感を煽ると同時に,浄土往生の過程を短縮し,簡略化させてきたのである.その結果,浄土教は初めて庶民の仏教になったといえよう.その中心となる説が現在まで実行されていることからも,『蓮宗宝鑑』における臨終思想は過去を受けて未来を拓くものであるといってもよいであろう.

 そして,元以後の浄土教を含む仏教の教説も,その時代の潮流にしたがって,在家者に向けて,居士仏教的性格がだんだん強くなってきたかもしれない.その点についての検討は,これからの課題である.

Footnotes

インド仏教における生死一如についての研究は,平川彰氏の「仏教より見た生と死の問題」(『仏教学』22, pp.21-22, 1987)や伊藤道哉氏の「Videhamukti(離身解脱)について」(『印度学宗教学会論集』17, pp.9-11, 1990)がある.中国仏教にも,そういう用例がある.例えば,延寿『宗鏡録』巻十四に「正道邪道不二.了知凡聖同途.迷悟本無差別.涅槃生死一如」(T48, 492a29-b02)とあり,『敕修百丈清規』巻第五に「得其要則自然四大軽安.精神爽利.法味資神寂而常照.寤寐一致生死一如」(T48, 1143a16-17)とある.

この問題について,藤田宏達氏は既に「臨終来迎思想の起源」(『印度学仏教学研究』12〈2〉,1964)の中に解明しているから,ここでは省略したい.

玉山成元「善導著〈臨終正念要決〉について」(『浄土学』30,1977)

『蓮宗宝鑑』巻八「四関者,慈照宗主『浄土十門』告誡云:凡夫雖有信心念仏,縁為宿業障重,合墮地獄.乘仏力故,於床枕間將軽換重.若也因病苦,故悔悟身心,當生浄土也.無智之人不了此事,却言:我今念仏又有病苦.反謗弥陀.因此一念悪心,徑入地獄.此是一関也.二者雖則持戒念仏,縁為口談浄土意恋娑婆,不求出世善根,為愛家縁長旺.以致臨終遭病,怕死貪生.信受童兒,呼神喚鬼.燒錢化馬,殺戮衆生.縁此心邪,無仏攝護,因茲流浪墮落三塗.是二関也.三者或因服藥須用酒鯹,或被親情遞相逼勸.此人無決定信,喪失善根.臨終追赴王前,任王判断.是為第三関也.四者臨終之際,思惟活業,繫綴資財,愛恋眷屬,心放不下,失却正念.故於家舍墮鬼趣中,已為禍崇.或為慳犬,或作蛇身,守護家庭,宛如在日.是為四関也」(T47, 339b8-24)

茅子元(1096-1181)は慈照宗主とも尊称され,宋以後の白蓮宗の祖師となされた.その伝記について,『釈門正統』巻四には「紹興初吳郡延祥院沙門茅子元,曾学於北禅梵法主會下,依仿天台出『圓融四土』,『晨朝禮懺文』」(『卍続蔵経130冊,824頁)とあり,『蓮宗宝鑑』には「師諱子元,……父母早亡,投本州延祥寺志通出家.習誦『法華經』,習止観禅法.……撮集大藏要言,編成『蓮宗晨朝懺儀』,述『圓融四土三觀選佛圖』」(T47, 326a)とある.子元は天台・禅・浄土を勉強したことが分かる.その著作について,伝記の中には『圓融四土』,『晨朝禮懺文』,『蓮宗晨朝懺儀』,『圓融四土三觀選佛圖』と書いているが,『蓮宗宝鑑』の引用文によって,『浄土十門』もある.しかし,子元の著作はすべて現存していないから,詳しくは考察できない.

『蓮宗宝鑑』巻八「思專想寂,念念弥陀,全身放下.但能堅此一念,便可碎彼四關,則浄土蓮台的非遙矣.」(T47, 339b26-28)

『安楽集』巻下「各宜同志三五預結言要,臨命終時,迭相開曉,為称弥陀名号,願生安樂國.声声相次,使成十念也.……此命断時,即是生安樂國時.」(T47, 11b26-28)

道端良秀氏によれば,『臨終正念訣』は「善導の名を借りて作られたものであり」,「書誌学的にみて宋代頃にできたものである」(『中国仏教史全集』第九巻,p.45,書苑)とされている.しかし,同時に道端氏は「善導作として流布しているところに,善導の人気と,その学風とをうかがうことができる.したがって善導の著作のうちに,彼の思想に,このような臨終を重要視することがあったであろう」(同上)と述べている.

また望月信享氏はこれが善導作ではないという結論を出したが,その理由をあげていない(『佛教史の諸研究』, p.214, 精興社).

今岡達音氏も,「この書は観念法門の説に重複し,却て剰言を重ね …知帰子が浄業和尚に問ひを質するとあるが故に,定んで善導和尚已外の人の解答せる者ならん」と説明している(『佛書解題大辞典』11, p.275).

『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』「又行者等若病不病欲命終時,一依上念仏三昧法,正當身心,迴面向西,心亦專注,観想阿弥陀仏,心口相應,声声莫絶,決定作往生想,華台聖衆來迎接想.」(T47, 24b21-24)

『四分律行事鈔資持記』「像面向西,病者在後.謂將終之時,已前常須瞻像,令其繫心.」(T40, 411b11)

「但能堅此一念,便可碎彼四關」(T47, 339b26-28)

『臨終正念訣』「凡一切人命終欲生浄土,須是不得怕死.……但當放下身心,莫生恋著.」(T47, 133a29-24)

『臨終正念訣』「人命長短生下已定,何假鬼神延之耶.世人迷惑,反更求邪.殺害衆生,祭祀神鬼.但增罪業,倍結冤讎,反損寿矣.」(T47, 213b1)

道端良秀氏は「中国人の死の観念と佛教」に「この死という問題に深い関心を持たざるを得なかったのは,地獄経典の訳出とその流布とであったであろう」と述べている.(『印度学仏教学研究』13(2), p.13, 1965)

『蓮宗宝鑑』巻八「慈照宗主『浄土十門』告誡云:念仏人臨終三疑不生浄土.一者疑,我生來作業極重,修行日淺,恐不得生.二者疑,我欠人債負,或有心願未了,及貪瞋癡未息,恐不得生.三者疑,我雖念弥陀,臨命終時恐仏不來迎接.有此三疑,因疑成障,失其正念,不得往生.故念仏之人,切要諦信仏経明旨,勿生疑心.」(T47, 339a24-29)

『蓮宗宝鑑』巻八「又問曰:平生未嘗念仏人還用得否.答曰.:此法僧俗男女,未念仏人,用之皆得往生,決無疑矣.余多見世人,於平常念仏礼讚,発願求生西方.及致病來,卻又怕死,都不説著往生解脱之事.直待氣消命盡,識投冥界,方始十念鳴鐘.恰如賊去關門,濟何事也.死門事大,須是自家著力始得.若一念差錯,歴劫受苦,誰人相代.思之思之.若無事時,當以此法精進念仏,竭力受持,是為臨終大事.」(T47, 133b12-21)

『蓮宗宝鑑』巻八「仏子事仏固先事親,拳拳孝念不捨.須臾順父母之情懷,察父母之顏色,纔乖攝養力為調和.又當念風燭不停,須防往生時至.預以父母平生所修一切善縁好事,及衆人助修功德,聚為一疏.時時對父母読之,要令父母心生歓喜.又當勧令坐臥西向,不忘浄土.又當東向説弥陀像,勧令一心念仏.焚香鳴磐,躬率衆人同聲和之.常使仏聲相続不絶,無以世情悲恋,恐失正念.臨捨報時猶當用意.自然諸聖來迎,往生浄土,寶蓮花中決定成仏.孝子侍養父母,正在此時,不宜懈怠.此孝子事親臨終之大事也.以此為孝,其孝至矣.」(T47, 339a6-18)

『大智度論』巻二十四「仏告阿難:行悪人好處生,行善人悪處生.阿難言:是事云何.仏言:悪人今世罪業未熟,宿世善業已熟.以是因縁故,今雖為悪而生好處.或臨死時善心心數法生,是因縁故亦生好處.行善人生悪處者,今世善未熟,過世悪已熟.以是因縁故,今雖為善而生悪處.或臨死時不善心心數法生,是因縁故亦生悪處.」(T25, 238b15-23)

藤田宏達『原始浄土思想の研究』,pp.574-580,岩波書店,1970.

この問題について,佐藤成順氏はすでに「中国仏教における臨終にまつわる行儀」(『藤堂恭俊博士古稀記念:浄土宗典籍研究』,pp.177-208,同朋舎,1988)の中で詳しく研究しているため,ここでは省略したい.

『孝経・孝治章』「以孝治天下」

渡辺義浩[1995]『後漢国家の支配と儒教』,p.66,雄山閣出版社

『梵網経』巻十「孝順父母・師・僧・三寶.孝順,至道之法.孝名為戒,亦名制止.」(T24, 1004a24-25)

T47, 339b15

T47, 339b20

終わりに
 
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