2011 年 13.14 巻 p. 70-100
仏教の行事の中に「布薩」と呼ばれる行事があることはよく知られている.この行事は,仏教とともにアジア各地に広まり,現在でも広く行われている.もちろん,我が国にも仏教とともに伝わっており,様々な形で行われて今日に至っている.この布薩という行事はバラモン教の祭式前日に行われる潔斎に由来し,古代インドにおいては新興宗教であった仏教がそれを取り入れたものと考えられている1.沙門宗教として仏教と共通の基盤から発生し,仏教と時代,地域をほぼ同じくして誕生したジャイナ教においても事情は全く同じである.ジャイナ教でも,早くからこの行事を取り入れたものと考えられ,それは今日に至るまで広く行われている2.このようにバラモン教という枠組みを越えて,沙門宗教でも実践されてきた布薩という行事は,インドで生まれた宗教を貫く重要な行事であると言うことができるだろう.
これらの中でも,ヴェーダ祭式における布薩や仏教における布薩を扱った研究は,これまでにも数多く見られる3.その一方で,ジャイナ教における布薩を扱った研究は非常に少ない.管見の限りでは,白衣派聖典における布薩を扱ったものとしては河崎[2003]が,聖典期以降のもので在家信者の行動規則を扱ったいわゆる「シュラーヴァカ・アーチャーラ文献」における布薩を扱ったものとしてはWilliams[1963]が最も詳しい4.
現在,筆者はシュラーヴァカ・アーチャーラ文献における布薩の研究を進めているが,その特徴を明らかにするためには,まず,先行する文献の内容を知る必要がある.しかしながら,聖典期だけでも極めて膨大な量の文献が残されており,それらを網羅することは容易ではない.そこで,本稿では白衣派聖典の中でも11のアンガ聖典に対象を絞り,そこに見られる用例を検討する5.本稿の目的は,上記の優れた先行研究に依拠しつつ,若干の点を付け加えることにより,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献における布薩との比較のために白衣派聖典における布薩の特徴を整理することにある6.本稿で扱うことのできなかった,アンガ聖典以外の白衣派聖典,白衣派聖典の注釈文献7,そして空衣派の代用聖典等における用例の検討は,今後の課題としたい.
白衣派聖典における布薩を検討するにあたって,本稿では最初にアンガ聖典における布薩の位置付けを確認し(1),そのうえで,具体的な布薩の用例を見ていく(2).そして,以上のような手続きによって明らかになったことを総合して,白衣派聖典における布薩の全体像を浮かび上がらせたい.
最後に,本稿で使用したテキストについて触れておく.ジャイナ教白衣派聖典のテキストには,そのシリーズのみですべてをカヴァーできるような決定版がない.一般的に,欧米の優れた研究者やジャイナ教の優れた学僧Jambūvijaya師の校訂本があるテキストに関してはそちらを使用する傾向にあるようだが,それらを合わせて使用する際には,ジャイナ教聖典に特徴的な省略箇所をはじめとする様々な点で扱い方に差が出てしまう8.本稿では,同じ編集方針に則ったもので統一するため,Jain Viśva Bhāratīより出版されたテーラーパンタ派のAṃgasuttāṇi所収のテキストを使用した9.このテキストは,インドで出版された版本の中では唯一使用した写本に言及し,異読も提示しており,省略部分を補っている点に特徴がある10.
アンガ聖典における布薩の用例を検討するに先立って,その布薩に関する誓戒がジャイナ教在家信者の行動規則の中でいかなる位置付けにあるのかを確認しておく必要がある.ここでは,先行研究にもとづき,また必要に応じて後代のシュラーヴァカ・アーチャーラ文献の記述にも言及しながら,アンガ聖典における布薩の位置付けを見ていきたい.
1.1. 在家信者の12誓戒
アンガ聖典はそのテキストの性格上,後代の論書に見られるほどの体系的な記述は少ない.そのような中でも,在家信者の誓戒の分類に関しては,Nāyādhammakahāoなどに見られる,次のような記述が参考になるだろう.
私はここラージャグリハの町のナンダという名の宝石商である.その時代のその時期に尊い沙門マハーヴィーラが説法の集会を催した.私はその尊い沙門マハーヴィーラのもとで5つの小誓戒と7つの学習戒という12種の在家信者の法を受け入れた11.(Nāyādhammakahāo 1.13.36)
この記述においては小誓戒と学習戒の数を記すのみで内訳が明記されていない.そのため,それぞれの誓戒に含まれる項目の詳細は不明であるが,この点に関しては,Uvāsagadasāo 1.32-43の記述などから補うことができるだろう.その部分では,後述する各誓戒の違反行為が記されているが,そこに見られる順序に従うならば,5つの小誓戒,7つの学習戒の内訳は次ページの表1のようになる.本稿で検討する布薩は,7つの学習戒の6番目に位置付けられている.
この分類方法を後代のシュラーヴァカ・アーチャーラ文献などの記述と比較した際に最も大きく異なるのは,徳戒(guṇavrata)という枠組みが見られない点である12.シュラーヴァカ・アーチャーラ文献のほとんどは,アンガ聖典が「学習戒」と呼んでいる7つの誓戒を,3つの徳戒と4つの学習戒に分けている13.したがって,アンガ聖典とシュラーヴァカ・アーチャーラ文献の間では“śikṣāvrata”という語の指示対象が異なっていると言うことができる.
その一方で,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献の中には,少ないながらも,3つの徳戒,4つの学習戒を合わせてśīlaなどと呼んでいるものや14,両者を分けることなくśīlaと呼んでいるものが見られる15.
表1
5つの小誓戒 |
---|
1. 不殺生 |
2. 不妄語 |
3. 不与取 |
4. 不邪淫 |
5. 欲望の制限(=無執着) |
7つの学習戒 |
---|
1. 方位に関する誓戒 |
2. 耐久品と消耗品に関する誓戒 |
3. 無用な毀損に関する誓戒 |
4. サーマーイカ行に関する誓戒 |
5. 場所に関する誓戒 |
6. 布薩に関する誓戒 |
7. 客人の歓待に関する誓戒 |
このように,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献でも5つの小誓戒以外の7つの誓戒を指してśīlaと呼ぶ文献の中には,名称は異なるものの,聖典時代の伝統が受け継がれているという見方も可能であろう.
1.2. 在家信者の11階梯
前節では,布薩の誓戒が在家信者の7つの学習戒の6番目に位置付けられていることを確認した.しかし,アンガ聖典においては,12誓戒という枠組み以外にも布薩を含むものがある.Samavāya 11.1には,次のような記述が見られる.
在家信者の11の階梯が説かれている.すなわち,(1)正しい見解を備えた在家信者,(2)誓戒を実践する[在家信者],(3)サーマーイカ行を実践する[在家信者],(4)布薩の精進に専心する[在家信者],(5)日中は梵行を実践し,夜間は制限をする[在家信者],(6)日中も夜間も梵行を実践し,沐浴せず,欠けた食事をし,蕾を作った[在家信者],(7)生命あるものを完全に知った[うえで放棄する在家信者],(8)世間的活動を完全に知った[うえで放棄する在家信者],(9)傷害を伴う活動を完全に知った[うえで放棄する在家信者],(10)自分のために用意された食事を完全に知った[うえで放棄する在家信者],(11)沙門のような[在家信者]である,長命なる沙門よ16.(Samavāya 11.1)
ここに見られるような場合のpaḍimā(Skt. pratimā)という語は17,在家信者の霊的な進化に関する11の階梯を指す.これは,出家修行者に関してしばしば言及される徳位(guṇasthāna)に相当すると考えられる18.ここでは布薩の精進が4番目の項目として挙げられている19.アンガ聖典に見られる11階梯の項目を一覧表にするならば,以下の表2のようになる.
表2
アンガ聖典に見られる11階梯 |
---|
1. daṃsaṇasāvae |
2. kayavvayakamme |
3. sāmāiakaḍe |
4. posahovavāsanirae |
5. diyā baṃbhayārī rattiṃ parimāṇakaḍe |
6. diāvi rāovi baṃbhayārī asiṇāī viyaḍabhoI molikaḍe |
7. sacittapariṇṇāe |
8. āraṃbhapariṇṇāe |
9. pesapariṇṇāe |
10. uddiṭṭhabhattapariṇṇāe |
11. samaṇabhūe |
また,後代の文献との比較のために,Williams[1963]p.173に掲げられている,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献に見られる11階梯の宗派別対照表を以下に再録しておく.
白衣派 | 空衣派 | Āvaśyakacūrṇi(白衣派) |
---|---|---|
(1) darśana | darśana | darśana |
(2) vrata | vrata | vrata |
(3) sāmāyika | sāmāyika | sāmāyika |
(4) poṣadha | poṣadha | poṣadha |
(5) kāyotsarga | sacitta-tyāga | rātri-bhojana-parijñā |
(6) abrahma-varjana | rātri -bhakta | sacitta- tyāga |
(7) sacitta- tyāga | abrahma-varjana | diva-brahmacarya |
(8) ārambha- tyāga | Arambha- tyāga | divo- rātri -brahmacarya |
(9) preṣya- tyāga | parigraha- tyāga | ārambha- tyāga |
(10) uddiṣṭa- tyāga | anumati- tyāga | preṣya- tyāga |
(11) śramaṇa-bhūta | uddiṣṭa - tyāga | uddiṣṭa -tyāga -śramaṇa-bhūta |
これらの表を比較した場合,アンガ聖典で挙げられている11階梯とシュラーヴァカ・アーチャーラ文献に見られるものとの間には若干の相違が見られるものの,Āvaśyakacūrṇiのそれとはほぼ一致していることが分かる.もちろんこの一致に関しては,Āvaśyakacūrṇiが白衣派聖典の注釈書である点が大きく関係しているだろう.一方のシュラーヴァカ・アーチャーラ文献に見られる11項目も,Williams[1963]に示されているように一律のものではなく,文献ごとに違いが見られる.
また、12誓戒に含まれる項目を念頭に置いて11階梯の各項目を見ると,いくつかの項目が12誓戒の中に含まれるものと重複している点に気付くだろう.具体的には,12誓戒そのものが2番目の階梯となっており,さらにそれとは別に,サーマーイカ行に関する項目(3番目)や布薩の精進に関する項目(4番目)が見られる.そのため,後代のシュラーヴァカ・アーチャーラ文献では,11階梯を大枠として,その第2段階で12誓戒に言及するものや,正信(samyagdarśana),正知(samyagjñāna),正行(samyakcāritra)というジャイナ教の三宝を大枠として正行を説明する際に12誓戒に触れ,11階梯については別途触れたり,触れなかったりというように,扱い方に違いが生じることとなった20.こういったことから,この11階梯という枠組みは,もともと12誓戒とは別のところから出てきたものである,もしくは12誓戒よりも後に出てきて,12誓戒を取り込むような形で整えられたものであるなどの可能性も考えられるだろう.
それでは,12誓戒に含まれる布薩と11階梯に含まれる布薩の違いは,いかなる点にあるのだろうか.この点を考えるにあたっては,Uvāsagadasāo1.59.60に見られるエピソードが参考になる.この箇所において,在家信者アーナンダは11階梯を実践するために,家督を息子に譲るなどして家を出た後に,布薩堂に入っている.つまり,誓戒としての布薩は,定められた日に在家信者として実践するものであるのに対して,11階梯としての布薩は,完全な出家ではないものの,在家信者としての生活を半ば放棄し,家を離れた非僧非俗の状態で実践されており,明らかに誓戒より一段階上のものとして記されている21.また,後述するように,誓戒に関する記述は違反行為(atiyāra; Skt. aticāra)を前提としており,贖罪などの何らかの手続きによって悔い改めることが可能であると考えられるが,11階梯はそれを前提としていないという点も,そのような事実を補強するものと言えるだろう22.
以下においては,アンガ聖典における布薩の用例を検討する.アンガ聖典に見られる布薩の原語はposahaであるが,その用例を大別すると,(1)posahaという単独の形,もしくは他の語との並列複合語の形で現れるもの,(2)posahovavāsaという複合語の形で現れるもの23,(3)posahasālāという複合語の形で現れるもの,(4)posahaniraaという複合語の形で現れるもの,(5)posahiya(posahaに-iya(Skt. -ika)を付した派生語)という形で現れるものの5種類がある.以上は語形にもとづく分類であるが,本稿ではまずこれらのうち,意味的に近いと考えられ,表現の上でもいくつかの文献の間で共通しているposahaとposahovavāsaの用例を検討する(2.1).その次に,posahasālāという複合語の用例を取り上げ,しばしば一緒に用いられるposahiyaという語についても検討する.また,このposahiyaとほぼ同義語とも言えるposahaniraaという複合語に関しても,ここで併せて検討する(2.2).そして最後に,2.1や2.2 では焦点を当てなかった記述の中から,布薩の特徴を示すような記述を抜き出して検討する.また,布薩には他の誓戒と同様に「違反行為」と呼ばれるものも規定されている.これも布薩の具体的な内容を知る上で重要なものと考えられるため,ここで併せて検討する(2.3)24.
2.1. posaha,およびposahovavāsaの用例
2.1.1. posahaの用例 ―4種の動詞との組み合わせ―
まず,posahaという単独の形で現れる用例について検討する.このposahaという語は,先述のようにupavasathaというサンスクリット語に由来し,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献などではparvan(節目)を意味すると説明されることが多いが25,アンガ聖典ではposahaの語義そのものを説明したり,言い換えたりすることがないため,用例をもとに推測する必要がある.
単独で用いられるposahaの語には,特定の動詞との組み合わせがしばしば見られる.例えば,先ほども言及したSūyagaḍa2.2.72には,次のような記述がある.
男性在家信者がいた ― 霊魂と非霊魂とを理解し,……<中略>……14日目と8日目,満月の日,新月の日に完全な布薩を正しく守り,ニガンタの沙門に……<後略>……26.(Sūyagaḍa2.2.72)
この用例においては,posahaという語が「守る」「保持する」などを意味するanu+√pāl-という動詞とともに用いられている.このような記述からは,語源は別として,posahaという語が誓戒の類を意味するものとして用いられていることが窺える27.そして,この記述からは,布薩を実践すべき日程が,14日目,8日目,満月の日,新月の日という4つの日であることも分かる28.また,この誓戒を実践する主体がsamaṇovāsaga,すなわち在家信者である点は注目すべきであろう29.
posahaと動詞の組み合わせには,Bhagavaī12.6に次のような用例もある.
実に,私は,かの優れており,豊富な食べる物,飲む物,噛む物,味わう物を味わい,賞味し,吟味し,享受している間,節目に関わる布薩を守っていなかった30.(Bhagavaī12.6)
ここでは,posahaという語がprati+√jāgṛ-という動詞と組み合わされており,これと同様の例は当該部分だけでも3箇所見られる.この動詞も先のanu+√pāl-と同様,「守る」「保持する」などを意味するものと考えられる31.
その他の用例としては,Nāyādhammakahāo1.1.58に次のようなものがある.
その時,アバヤ・クマーラはその旧知の神が虚空に現れたのを見ると,喜び満足して,布薩を完遂した.完遂した後……32 (Nāyādhammakahāo1.1.58)
ここで用いられている動詞√pār-は,「満たす」「完遂する」等を意味すると考えられる.また,非常に数が少ない用例として,Nāyādhammakahāo1.13.36を挙げることができる.
私はある時,夏の時期まで布薩を受け入れて過ごしていた33.(Nāyādhammakahāo1.13.36)
ここに見られるupa+sam+√pad-という動詞は「受け入れる」といったほどの意味であろう.以上のように√pār-,upa+sam+√pad-といった動詞との組み合わせで用いられている点も,posahaという語が誓戒の類を意味しているという先の仮説を補強するものと思われる.
以上に見た4種類の用例のうち,1番目のanu+√pāl-と2番目のprati+√jāgṛ-という動詞に関しては,3番目,4番目のものとは違って,ほぼ同義であると考えられる.Bhagavaīの中にはこの2種類が混在しているが,表現の多様性として処理しても問題ないであろう.
2.1.2. posahovavāsaの用例 ―sīla等との組み合わせ―
アンガ聖典においては,posahaという単独の形だけでなく,これにuvavāsaを加えたposahovavāsaという複合語も頻出する.この語のサンスクリット語対応形はupavasatha-upavāsaとなるが,upavasathaもupavāsaも同じくupa+√vas-という語根から導かれたものである.このようなトートロジー的な,いささか奇妙な複合語も,先述したようにposahaの語源を見失ったことによるものと言える.
アンガ聖典の文中にはこの複合語の解釈は見られないが,後代になると,posahaの語が節目(parvan)の意味に解され,「節目における精進」という第7格の格限定複合語としての解釈が一般的となった34.しかし,先に見たSūyagaḍa2.2.72などにおける,日付の処格やanu+√pāl-という動詞との組み合わせで用いられる用例を考慮した場合,アンガ聖典の用例にそのような解釈を適用することは難しいと思われる.アンガ聖典における用例は,「[節目に]守るべき誓戒」といったほどの意味が込められていると考えられる.したがって,posahaとposahovavāsaという語の間には,それほど大きな違いがないと見て問題ないであろう35.以下においては,このposahovavāsaの用例を検討する.
まず,posahovavāsaという語を含む複合語として,次のようなものがある.
男性在家信者がいた ― 霊魂と非霊魂とを理解し……<中略>……多くの良習慣,誓戒,美質,厭離,拒否,布薩の精進を通じて36, また適切に受け入れた苦行を通じて,霊魂を修習している37.(Sūyagaḍa2.2.72)
ここで描写されているのもsamaṇovāsaa,すなわち在家信者であり,布薩を含む“sīlavvayaguṇaveramaṇapaccakkhāṇaposahovavāsehiṃ”という複合語も,その在家信者が備えるべき徳目を記したものである38.これらは先に見たような12誓戒にも11階梯にも位置付けられておらず,体系的に整えられる以前の古いものを残している可能性も考えられる.これとほとんど同じ表現は,Sūyagaḍa2.7.4にも見られ,そこでも「レーヴァ」という名の在家信者を描写する中で用いられている39.
この複合語は他の聖典においてもしばしば用いられる.例えば,Bhagavaī2.94にも,
実に,そのトゥンギヤーの町に多くの在家信者が住んでいた……<中略>……多くの良習慣,誓戒,美質,厭離,拒否,布薩の精進を通じて,また適切に受け入れた苦行を通じて,霊魂を修習していた40.(Bhagavaī2.94)
という記述が見られる41.ここでも先の例と同様に,“sīlavvayaguṇave- ramaṇapaccakkhāṇaposahovavāsehiṃ”という複合語が,在家信者を描写する中で用いられている.
また,上記のように複合語の形をとらないものもある.
世間には次の3種類がある.良習慣なく,誓戒なく,美質なく,厭離なく,拒絶も布薩の精進もなく……42.(Ṭhāṇa 3.135)
ここでは,sīla,vaya,guṇa,veramaṇa,paccakkhāṇa,posahovavāsaという項目に,ni(Skt. nir-)という接頭辞を加えて,それぞれを欠いていることが示されている43.
一方,これとは逆の用例も見られる.例えば,Ṭhāṇa3.136には,
世間には次の3種類がある.優れた良習慣あり,良い誓戒あり,美質あり,厭離あり,拒絶と布薩の精進を伴い……44.(Ṭhāṇa3.136)
という表現が見られる.ここでも先のような複合語の形をとらないが,上と同じ項目のうち,sīlaとvayaにはsuという接頭辞を用いてプラスの価値判断を加え,その他のものにはsaを加えて所有の意味が表現されている45.これらの用例の主体は他の用例ほど明確ではないものの,先のSūyagaḍa2.2.72の用例などを併せて考えれば,在家信者であると考えられる.
上記のような組み合わせと異なるものとしては,Paṇhavāgaraṇāiṃ2.5の次のような用例を挙げることができる.
それゆえに,布施,誓戒,布薩,苦行,自制,梵行,慈悲などには果報がない.また,殺生,虚言……46.(Paṇhavāgaraṇāiṃ2.5)
ここで列挙されている項目を先のものと比べてみると,共通しているのは誓戒と布薩のみであるが47,並列されている項目に「布施」が含まれていることから,在家信者の徳目であることが明らかである.
佐藤[1963]などにおいては,ジャイナ教の布薩は出家修行者の行法であって在家信者の斎戒ではないなどという誤った説明も見られるため,ジャイナ教の布薩は在家信者が実践するものである点については,改めて強調しておく必要がある.聖典期以降になると,布薩の規定に関する記述がほとんどシュラーヴァカ・アーチャーラ文献という在家者の行動規則を扱った文献でのみ扱われる点もこのことを支持するだろう.
2.2. posahasālāとposahiya, posahaniraa
2.2.1. posahasālāへの接近,出入り
BhagavaīやUvāsagadasāoなどの記述には,posahasālā(Skt. upavasathaśālā,以下「布薩堂」)と呼ばれる建物が出てくる.そのような建物への登場人物の接近,出入りに関しては,例えば,次のような描写が見られる48.
……彼(=サンカ)は,布薩堂へ近付いた.近付いた後に,布薩堂に入った49…….(Bhagavaī12.6)
かの男性在家信者ポッカリは男性在家信者サンカのもとである布薩堂から退出した.退出した後……50.(Bhagavaī12.14)
また,上記の接近の表現で,その建物の中にいる人物を含むものとして,次のようなものがある.
男性在家信者ポッカリは,布薩堂にいる男性在家信者サンカへと近付いた……51.(Bhagavaī12.12)
以上のような用例から,布薩堂という建物が存在したことは明らかであるが,アンガ聖典にはこの“posahasālā”という複合語の解釈は見られない.“sālā”という語を付されるということは,“posaha”という語は,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献に見られるような「節目」という意味ではなく,何らかの実践や誓戒の類を意味していたと考えられる.したがって,布薩の誓戒を実践するための建物を意味するものと言えるだろう.それでは,この布薩堂ではどのような実践がなされていたのであろうか.以下においては,その具体的な内容を見ていくことにしたい.
2.2.2. 布薩堂における実践の内容
布薩堂における実践の内容を最もまとまった形で記述しているものとしては,以下のような用例がある52.
……彼(=サンカ)は暇乞いをした後,布薩堂へと近付いた.近付いた後,布薩堂に入った.入った後,布薩堂を拭い清めた.拭い清めた後,排泄する場所を確認した.確認した後,ダルバ草の敷物を敷いた.敷いた後,ダルバ草の敷物にのった.のった後,布薩堂で布薩に専念し,梵行を守り,宝石や金を離れ,花輪や軟膏,塗油を離れ,武器や棍棒を放棄し,ただ一人で,他の者を伴うことなく,ダルバ草の敷物に座して,節目の布薩を守っていた53.(Bhagavaī12.6)
この記述,およびその前の部分で述べられている点をもとに布薩堂における実践内容を抜き出すと,以下の10項目になるだろう54.①4種類の食物(食べる物,飲む物,噛む物,味わう物)を離れる,②布薩堂を拭い清める,③排泄する場所を確認する55,④ダルバ草の敷物を敷いて座る,⑤布薩に専念する,⑥梵行を守る,⑦宝石や金を離れる,⑧花輪,軟膏,塗油を離れる,⑨武器や棍棒を放棄する,⑩ただ一人でおり,他の者を伴わない56.
一方,Nāyādhammakahāo1.1.53の用例では,上記の10項目に,⑪第八食(aṭṭhamabhatta; Skt. aṣṭamabhakta)の実践,⑫神を心に念じることという2つが加わる.
第八食というのはジャイナ教の苦行の一種で,1日2回の食事を3日半にわたって断食し(合計7食),8番目となる4日目の2回目の食事を摂ることである.また,神を念じるという行為は,アンガ聖典の用例からは,何らかの恩寵を期待している時に限られており,このような実践の後には,神が現れて,実践者の願いを叶えるなどといった記述が見られる.同様の用例は,Nāyādhammakahāoの他の箇所や他の文献にも見られるが,Nāyādhammakahāo1.1.53のように上記①~⑩のうちのすべてが揃っているものは見られない57.
ここで,上の4番目に挙げた「布薩に専念する」という項目の原語posahiyaに触れておきたい.これは布薩堂における実践の記述においてほぼ必ず見られる語である.この語は「布薩を実践する者」「布薩に専念する者」といった意味であるが,布薩堂における実践者の付帯的状況を表していると言える.また,posahiyaとは用いられる文脈がまったく異なるが,同じような意味のものにposahovavāsaniraa(Skt. upavasathopavāsanirata)がある.2.1.2で言及したposahovavāsaという複合語にni+√ram-の過去分詞niraaを付したこの複合語はSamavāyaのみに見られるものである.「布薩に専念した」を意味するこのposahovavāsaniraaという語が11階梯中の第4段階にあたる「布薩に専念した在家信者」を指し,在家信者の12誓戒に含まれるものとは異なることはすでに述べた58.
また,1.2. 在家信者の11階梯でも言及したUvāsagadasāo1.59-60のような用例は,布薩堂に関して,非常に多くの情報を提供してくれる.そこでは,在家信者が息子に家督を譲り,非僧非俗とでもいった状態になった後に11階梯としての布薩が実践されている.Bhagavaī12.6に見られる用例でも,Uvāsagadasāoほど具体的ではないが,男性在家信者サンカが,妻のウッパラーに別れを告げてから,布薩堂へと向かっている.この「別れを告げる(ā+√prach-)」という表現はUvāsagadasāoの用例と共通しており,一時的なものではなく,家を出ることを示唆している.そしてこの用例では,布薩堂という建物が置かれていた場所も記されている.ここでは布薩堂が個人宅の敷地内に置かれていたことを示していて興味深い.また布薩堂にはマハーヴィーラをはじめとする出家修行者との間に密接な関わりがあった可能性も示唆されている.あくまでも推測に過ぎないが,出家修行者の滞在場所から近いため説法に接する機会が多い,もしくは出家修行者が布薩堂を訪れて説法を行ったなどの可能性も考えられるだろう.
2.3. 布薩の難易度と違反行為
以上,posahaとposahovavāsaの用例(2.1),posahasālāという複合語の用例,およびposahasālāとしばしば一緒に用いられるposahiyaという語の用例に焦点を当てて検討してきた(2.2).また,このposahiyaのところでは,ほぼ同義語と言えるposahovavāsaniraaという複合語にも言及した.
以下においては,2.1や2.2 では焦点を当てなかった記述の中から,布薩の特徴をよく表しているものを取り上げる.また,布薩には他の誓戒と同様に違反行為が規定されている.これも布薩の具体的な内容を知るうえで重要なものと考えられるため,ここで併せて検討する.
2.3.1. 布薩の難易度
まず,Sūyagaḍa2.7.20の次の記述を見てみたい.
尊者(=ガウタマ)は言った.―― 私はニガンタの者に問いたい.尊者よ! ニガンタの者よ! 実にこの世に,ある男性在家信者たちがいる.その者たちに次のような欲求が生じた.「我々は剃髪して家を出て家なき者となることができない.我々は14日目と8日目の新月の日と満月の日に完全な布薩を正しく守って過ごそう.2様に,3つのあり方(=身体・言葉・心)によって,粗大な殺生を拒もう,同様に粗大な虚言,粗大な不与取,粗大な性行為,粗大な所有を拒もう.欲望を制限しよう.自分のためにいかなることもせず,させないようにしよう.我々はこれをも拒もう.」彼らは食べることなく,飲むことなく,沐浴することもなく,椅子・長椅子から下に降り,そのように時間を過ごしている.何を言う必要があろうか59?(Sūyagaḍa2.7.20)
この記述からもこれまでに見た点,すなわち,布薩は在家信者が実践するものであることや,実践する日程,anu+√pāl-という動詞との結びつきを確認することができるが,ここで最も重要なのは,布薩が「出家することができない在家信者」の行いとして描かれている点である60.つまり,出家することはできないが,在家の身でありながら,何らかの形で出家修行者に近い実践をしようという者にとっての誓戒であったことが窺い知れる.また,これまでに見られなかった5つの小誓戒と欲望の制限,食べ物,飲み物,沐浴,椅子・長椅子の放棄との組み合わせも興味深いものである61.
また,Sūyagaḍa2.7.29では,次のように述べられている.
尊者(=ガウタマ)は言った.―― ある在家信者たちがいた.彼らに次のような欲求が生じた.「我々は剃髪して,在家から家なき者となることはできない.我々は14日目と8日目の新月の日と満月の日に完全な布薩を守ることもできない.我々は最期のサッレーカナーを実践し,食べ物,飲み物を拒んで,死を望まずにいることもできない.我々はサーマーイカ行と場所に関する行とを[実践しよう].東西南北の[境界の外側において]あらゆる生類,あらゆる生き物,あらゆる生命,あらゆる命に対する暴力を放棄し,生類,生き物,生命,命に対して安寧をもたらそう62.(Sūyagaḍa2.7.29)
この用例は,先に見たSūyagaḍa2.7.20-21のヴァリエーションと言える.これを先の記述と合わせて考えるならば,出家することができない者が布薩を実践し,布薩(およびサッレーカナー)を実践できない者がサーマーイカ行を実践するということになり,布薩の誓戒がそれなりに難行であったことが分かる63.また,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献になると,布薩の目的を「サーマーイカ行で身に着けた潜在印象を堅固なものとするため」などとするものがしばしば見られ,サーマーイカ行の補助的役割を担うものと解釈できるような記述が見られるが,アンガ聖典においてはむしろ「サーマーイカ行 < 布薩」という図式を読み取ることができる.
2.3.2. 布薩の違反行為
ジャイナ教在家信者の小誓戒や学習戒には,atiyāraと呼ばれる違反行為が個別に規定されている.2.1.2で見たposahovavāsaに関しても,次のようなものが違反行為として規定されている.
そして次に,在家信者によって,布薩の精進に関する5つの違反行為が知られるべきであり,行われるべきではない.すなわち,①寝床としての敷物を確認しない,またはきちんと確認しないこと,②寝床としての敷物を拭い清めない,またはきちんと拭い清めないこと,③大小便をする地面を確認しない,またはきちんと確認しないこと,④大小便をする地面を拭い清めない,またはきちんと拭い清めないこと,⑤布薩の精進を正しく守らないことである64.(Uvāsagadasāo1.42)
posahovavāsaの違反行為に関する記述は,アンガ聖典の中でもUvāsagadasāoにしか見られない.後代のシュラーヴァカ・アーチャーラ文献においては体系的な記述方法が採られているため,それぞれの誓戒に関しては,「定義,および内容説明 → 違反行為の提示」という順序で記されることが多い.しかし,アンガ聖典では在家信者の生活規定に関して最も詳しく記されているUvāsagadasāoでさえ,posahovavāsaの定義も内容説明もないまま,違反行為の提示だけという形をとっている.後代の文献で,このような記述方法に最も近いものとしては,Tattvārthādhigamasūtraを挙げることができる65.
これらは違反行為と呼ばれているものの,逆にすれば布薩の内容となるというものでもない.そもそも①と②,③と④の内容は似通っているうえに,2.2.2で挙げた10項目のうちの②と③の2つにしか関わっていない.また,⑤は布薩の誓戒全体に関わるものとなっており,これが5つのうちの1つとして含まれるのも不自然である.布薩以外のいずれの誓戒に関しても違反行為が5つずつ挙げられていることを考慮するならば,この“5”という数字にはある種の数合わせ的な側面があったと考えられる.ここでは参考までに①~④を逆にして,布薩に際しては「寝床としての敷物を確認し,拭い清め,大小便をする地面を確認し,拭い清めるべき」であり,先の2.2.2で挙げた10項目のうちの②と③の2つに符合するという点を確認するのみにとどめる.
以上,アンガ聖典における布薩の位置付けを概観した後に,その用例を見てきた.ここまでに述べたことを振り返り,今後のシュラーヴァカ・アーチャーラ文献の記述との比較のために,布薩の位置付け,布薩の原語,語源解釈,語義,目的・効能,日程,期間,実践場所,具体的な実践内容,違反行為,レヴェルという観点から整理して,本稿のむすびとしたい.
まずアンガ聖典における布薩の位置付けであるが,アンガ聖典には5つの小誓戒と7つの学習戒を合わせた12の在家信者の法というものがあり,布薩は7つの学習戒の6番目に位置している.布薩はその他にも,paḍimāと呼ばれる11階梯の4番目にも位置付けられていた.
布薩に相当する原語としては,posahaの語が用いられているが,語源解釈に相当するものは見られない.また語義もはっきりと述べられていないが,anu+√pāl-,prati+√jāgṛ-,√pār-,upa+sam+√pad-といった動詞との組み合わせからは,何らかの誓戒の類を意味するものと考えられる.布薩のための建物を意味するposahasālāという語も,そのことを支持するだろう.また,posahovavāsaという複合語もしばしば見られるが,この複合語の解釈は見られない.この複合語は,後代になると「節目の日における断食」と解釈されることが多いが,アンガ聖典の用例にこのような解釈を当てはめることは難しい.また, posahovavāsaという語はposahaという語の延長線上にあり,それほど大きな意味の違いを感じさせない点についても言及した.
布薩の目的や効能については,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献ほどはっきりと記している用例は見られない.以下は推測となるが,Sūyagaḍa2.7.20のように,布薩を「出家することのできない在家信者が実践するもの」とする記述からは,限られた時間であっても,在家信者の身でありながら出家修行者の行いを模倣することが目的であったとも考えられる.また,布薩堂で神を念じ,直後にその神の恩寵によって願いが叶うといった記述からは,本来の目的とは異なった,世俗的な願いを叶える目的で実践する者たちもいたと考えられる.
布薩を実践する日程に関しては「8日目,14日目,新月の日,満月の日」という記述が見られたが,この表現が廃れてゆき,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献のほとんどが,主として各半月の8日目と14日目の月4回の節目といった表現を用いるようになった点にも触れた.一方,布薩を実践する期間に関する記述は見られず,第八食という断食の実践を行っている点から,3日半に及ぶものもあったことが推測できるに過ぎない.
布薩の実践場所としては,個人宅の敷地内に布薩堂(posahasālā)と呼ばれる建物があり,この建物への接近,出入り,そこでの布薩の実践の描写が見られた.
具体的な実践内容と考えられるものには,最も多いもので,①4種類の食物(食べる物,飲む物,噛む物,味わう物)を離れる,②布薩堂を拭い清める,③排泄する場所を確認する,④ダルバ草の敷物を敷いて座る,⑤布薩に専念する,⑥梵行を守る,⑦宝石や金を離れる,⑧花輪,軟膏,塗油を離れる,⑨武器や棍棒を放棄する,⑩ただ一人でおり,他の者を伴わない,⑪第八食の実践,⑫神を心に念じること,という12項目を挙げることができる.他にも,これらのうちのいくつかを任意に取り上げたような用例も見られる.またその他に,(1)5つの小誓戒と欲望の制限,(2)食べ物の放棄,(3)飲み物の放棄,(4)沐浴の放棄,(5)椅子・長椅子の放棄を挙げている用例も見られる.
また,学習戒に含まれる布薩にも他の誓戒と同様,「違反行為」と呼ばれるものが規定されている.それは,①寝床としての敷物を確認しない,またはきちんと確認しないこと,②寝床としての敷物を拭い清めない,またはきちんと拭い清めないこと,③大小便をする地面を確認しない,またはきちんと確認しないこと,④大小便をする地面を拭い清めない,またはきちんと拭い清めないこと,⑤布薩の精進を正しく守らないことという5つがあることを確認した.
シュラーヴァカ・アーチャーラ文献における布薩の詳細,および以上の点を踏まえての白衣派聖典の記述との比較に関しては,他稿に譲ることにしたい.
1 長崎[1981]では,仏教における在家信者の八斎戒をジャイナ教から取り入れたものとする.バラモン教,ジャイナ教いずれの影響であるかを決定するのは困難であるが,バラモン教の影響と考えるのが妥当なところであろう.
2 現代のジャイナ教における布薩に関しては,Sangave[1959]p.246以下, Cort[2001]p.123; p.147以下; pp.153- 154等の記述を参照.
3 ヴェーダ祭式における布薩を扱ったものとしては,田中[1985]などを参照.仏教における布薩を扱ったものとしては,佐藤[1963],佐々木[1987],水野[1987],とりわけ在家信者の布薩に関しては浪花[1987]などを参照.
4 前者は白衣派聖典における在家信者の行動規則全般を扱い,後者は聖典期以降のものを扱う.どちらも今後の研究の指針となる問題提起を多く含む非常に優れた研究であり,本稿もその多くを両研究に負うている.その他に,Abhidhānarājendrakoṣa, Jainendrasiddhāntakośa, Jainalakṣaṇāvalīなどといったインドで出版された事典類にも詳しい記述が見られる.詳しくは,各事典のposahaの項を参照.
5 本稿ではアンガ聖典以外の白衣派聖典と聖典の注釈文献は対象としないが,先行研究などで言及されている用例に関してはその限りではない.
6 先行研究において言及されている点に関しては,適宜,注においてその旨記しておいた.本稿は,具体的には,現在進めているシュラーヴァカ・アーチャーラ文献の分析の際に用いている布薩の位置付け,布薩の原語,語源解釈,語義,目的・効能,日程,期間,実践場所,具体的な実践内容,違反行為,レヴェル等の項目別に整理することを目的とする.
7 注釈文献の中でも新しいものに関しては,聖典という枠組みよりも,後代のシュラーヴァカ・アーチャーラ文献と同等に扱うべきものと考えられる.聖典期以降に著されたシュラーヴァカ・アーチャーラ文献の中には布薩に関する記述が多く見られる.シュラーヴァカ・アーチャーラ文献における布薩に関する規定に関しては,堀田[2011]を参照されたい.修正すべき点はいくつかあるが,そこでは布薩の位置付け,布薩の原語に関わる問題点,布薩の目的と日程を扱っている.なお,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献における布薩の詳細に関しては,別稿を準備中である.
8 インドで出版されているジャイナ教白衣派聖典の各版本の特徴に関しては,河崎[2003]pp.156-158に詳しく述べられている.
9 この版本にはĀgamaśabdakośaやŚrībhikṣu-āgamaviṣayakośa(Cyclopaedia of Jain Canonical Texts)なども付属しており有用である.本稿で使用するこれらの文献は,筆者がラージャスターン州ラードゥヌーンのJain Viśva Bhāratīに留学した際,「ジャイナ教の研究が少しでも発展するように」と言って,テーラーパンタ派の出家修行者Sumer Mal Jī SvāmīとJain Viśva Bhāratī のJagatrām Bhaṭṭācārya先生の御厚意で寄贈していただいたものである.ここに記して感謝申し上げる.
10 ただし,河崎[2003]p.157でも指摘されているように,この版本による補いがテキスト本来の姿であったとは限らない点には注意が必要である.
11 evaṃ khalu ahaṃ iheva rāyagihe nayare naṃde nāmaṃ maṇiyāre ― aḍḍhe/ te- ṇaṃ kāleṇaṃ teṇaṃ samaeṇaṃ samaṇe bhagavaṃ mahāvīre samosaḍhe/ tae ṇaṃ mae samaṇassa bhagavao mahāvīrassa aṃtie paṃcāṇuvvaie sattasikkhāvaie ― du- vālasavihe gihidhamme paḍivaṇṇe/ Nāyādhammakahāo 1.13.36. このように,「5つの小誓戒と7つの学習戒を合わせたものが12種の在家信者の法である」とする表現は,Nāyādhammakahāo 1.14.47-48, 1.16.101-102や,Uvāsagadasāo 1.45, 1.51-52, 7.31, 7.38などにも見られる.
12 Āgamaśabdakośaはguṇavrataという項目を設け,その用例としてṬhāṇa 362を挙げている.その部分には“jatthavi ya ṇaṃ sīlavvataguṇavvataveramaṇapacca- kkhāṇaposahovavāsāiṃ paḍivajjati, tatthavi ya se ege āsāse paṇṇatte(波線は筆者による)”とあり,複合語の部分をchāyā,ヒンディー語訳ともにśīlavrata,guṇa- vrata,vairamaṇa,pratyākhyāna,poṣadhopavāsaの並列と解している.しかしながら,7つの誓戒すべてを含むśīlavrataの語をguṇavrataと並列させた場合,guṇavrataという語の指示対象が非常に曖昧なものとなってしまう.この複合語は,他のアンガ聖典にも見られるが,例えばSūyagaḍa 2.2.72では,“sīlavvaya- guṇaveramaṇapaccakkhāṇaposahovavāsehiṃ(波線は筆者による)”としており,当該の語は“guṇavvata”もしくは“guṇavvaya”ではなく,単に“guṇa”となっている.したがって,“guṇavvata”という読みは,おそらく後代の概念に引きずられた結果であろう.以上の問題に関する,現代の諸学者,および注釈者の見解に関しては,河崎[2003]p.28以下を参照.
一方,Paṇhāvāgaraṇāiṃ 8.1にのみ,suvvata,mahavvataと並列する形でguṇa- vvataの語が見られるが,在家信者に大きく関わる他の用例とはやや異なっており,それが指示するものは不明である.
13 文献によって徳戒に含まれる項目,学習戒に含まれる項目に出入りは見られるが,それぞれの誓戒の数に関しては完全に一致している.一方,河崎[2003] p.33によれば,聖典でもAupapātikaでは同様の分け方が見られる点が指摘されている.また,同p.81によれば,Āvassayaでは5つの小誓戒と3つの徳戒は一生もので,4つの学習戒は一時的なものであることが述べられており,これらの記述は後代の文献に近付いている.
14 例えば,Dharmasaṃgraha 4.31では, 3つの徳戒,4つの学習戒に言及しているが,後の部分ではそれらを合わせて「7つのśīla」(saptaśīla)と呼んでいる.
guṇair yuktaṃ vrataṃ viddhi guṇavratam iti trayam/
idānīṃ śṛṇu bhavyāgra śikṣāvratacatuṣṭayam//4.31//
……<中略>……
aho saptakaśīle ’smin śrāvakāv aparāv api/
antarbhUtau ca vijñeyau keṣāṃcic chāstrayuktitaḥ//5.2//
te caivaṃ pravivadanty āryā dvayaṃ bhogopabhogayoḥ/
kṛtvā nikṣipya saṃnyāsam evaṃ syāt saptaśīlakam//5.3//
15 例えばTattvārthādhigamasūtra 7.19の“vrataśīleṣu pañca pañca yathākramam”という記述を挙げることができる.このスートラにおけるśīlaという語は,7.16で述べられたdigvrata,deśavrata,anarthadaṇḍavirativrata,sāmāyikavrata,pauṣa- dhopavāsavrata(空衣派の版本ではproṣadhopavāsavrata),upabhogaparibhogavrata,atithisaṃvibhāgavrataという7つの項目を受けている.
16 ekkārasa uvāsagapaḍimāo paṇṇattāo, taṃ jahā ― 1. daṃsaṇasāvae 2. kayavvaya- kamme 3. sāmāiakaḍe 4. posahovavāsanirae 5. diyā baṃbhayārī rattiṃ parimāṇakaḍe 6. diāvi rāovi baṃbhayārī asiṇāī viyaḍabhoī molikaḍe 7. sacittapariṇṇāe 8. āraṃbha- pariṇṇāe 9. pesapariṇṇāe 10. uddiṭṭhabhattapariṇṇāe 11. samaṇabhūe yāvi bhavai samaṇāuso! Samavāya 11.1. ただし,ここでは11項目が列挙されるのみであり,その具体的な作法は明確でない.河崎[2003]p.133等を参照.
17 paḍimāは,一般的には「似姿」「偶像」等を意味し,アンガ聖典でも,例えばNāyādhammakahāo 1.8.41-42, 1.8.175-176, 1.8.180などのように,そのような意味で用いていると思われる箇所は多い.paḍimāがなぜこのような階梯を表すようになったのかは不明である.この点については,河崎[2003]p.132以下を参照.
18 後代のシュラーヴァカ・アーチャーラ文献の中には,paḍimāそのものをguṇasthānaと呼んでいる箇所もあり,在家信者版のguṇasthānaと考えられる.kāni? śrāvakapadāni śrāvakaguṇasthānāni śrāvakapratimā ity arthaḥ Ratnakaraṇḍa- śrāvakācāraṭīkā on Ratnakaraṇḍaśrāvakācāra 137. Samavāya 12.1には出家修行者のpaḍimāも見られる.一方,Ṭhāṇa 2.243-248などには,この11階梯とは異なるpaḍimāの説明も見られるが,これには布薩が含まれないため,本稿では取り扱わない.このpaḍimāについては,Jain Viśva Bhāratī版Ṭhāṇa pp.132-137の解説を参照.
19 aḍimāに関する記述は,Uvāsagadasāo1.61などにも見られるが,「第1の階梯」「第2の階梯」などと記すのみで,その具体的な内容には触れない.アンガ聖典ではないが,白衣派聖典中でその具体的な作法に言及しているものとしてはĀyāradasāo第6章がある.Āyāradasāo第6章の内容要約,および和訳は,河崎[2003]p.133以下を参照.
20 この点については堀田[2011]を参照.
21 河崎[2003]p.132等を参照.
22 Jainendrasiddhāntakośaのposahaの項目等を参照.
23 Williams[1963]p.142に記されているように,対応するサンスクリットはupa- vasathaだが,後代になると誤ってpauṣadha, proṣadha, poṣadhaなどという対応語が想定された.Āgamaśabdakośaでは,対応するサンスクリット語としてpauṣadhaを挙げており,posahasālā,posahiya,posahovavāsaの対応語としても,それぞれpauṣadhaśālā,pauṣadhika,pauṣadhopavāsaを挙げている.なかでも,poṣadhaという語形に関してはMunicandraがDharmabindu 3.21に対する注釈で“poṣaṃ dhatte poṣadho ’ṣṭamīcaturdaśyādiḥ parvadivasaḥ”と述べ,HemacandraもYogaśāstra 3.85に対する自注で“poṣaṃ puṣṭiṃ prakramād dharmasya dhatte poṣadhaḥ, sa eva vrataṃ poṣadhavratam, sarvataḥ poṣadha ity arthaḥ”といった語源解釈を示しているが,このような解釈は同じくupavasathaという語源を見失った仏教などにもパラレルが見られるものであり興味深い.一方,ブラーフマナ文献では「祭祀の前日に,神々が祭主の近くに(upa),あるいは祭主と共に,住する(√vas-)」といった説明が見られる.この点については,田中[1987]pp.287-288等を参照.
Williams[1963]では,上記3つの語形のうち,poṣadhaという語形が最も普及したとし,現在に至るまで多くの研究者がそれに従っているようだが,管見の限りでは,poṣadha,pauṣadhaの語は白衣派文献に限られ,空衣派文献ではほとんどがproṣadhaとなっている.これらの原語をめぐっては,堀田[2011]で指摘したような様々な問題が考えられるが,少なくとも学派の区別も何もなしに「poṣadhaという語形が最も普及した」とする点に関しては再考の余地があるだろう.
24 ジャイナ教聖典ではないが,Aṅguttaranikāya I, p.206でも,釈迦がヴィサーカーという女性に布薩に関して説く中で,「ニガンタ派の布薩」なるものに言及する.ただしそこで述べられているものは,ジャイナ教文献の中に見られる布薩とは異なり,方位に関する誓戒(digvrata)か場所に関する誓戒(deśāvakāśikavrata)とサーマーイカ行に関する誓戒(sāmāyikavrata)を合わせたようなものとなっている.この部分の和訳は,河崎[2003]p.93を参照.この記述の情報源は明らかではない.布薩,方位に関する誓戒,サーマーイカ行という同じものがまとまって見られるものとしては,わずかに後述するSūyagaḍa 2.7.29を挙げることぐらいしかできないが,直接的な関係は認められない.Aṅguttaranikāyaのこの部分はこれまでにも非常に多くの研究において言及されてきたが,それらの先行研究に関しては,河崎[2003]p.93注443を参照.また,そこに挙げられていないものとしては,Jainism in Buddhist Literature, Bhagchandra Jain Bhaskar Alok Prakashan(Nagpur), p.103以下,Uttarajjhayaṇāṇi, ed. by Ācārya Mahāprajña, Jain Vīśva Bhāratī (Lāḍnūn), pp.112-113等を参照.
25 一例を挙げると,Tattvārthādhigamasūtraの自注では“pauṣadhaḥ parvety ana- rthāntaram”と述べられている.
26 se jahāṇāmae samaṇovāsagā bhavaṃti ― abhigayajīvājīvā......cāuddasaṭṭhamu- ddiṭṭhapuṇṇamāsiṇīsu paḍipuṇṇaṃ posahaṃ sammaṃ aṇupālemāṇā samaṇe ṇigga- ṃthe...... Sūyagaḍa 2.2.72. これと同様の例はSūyagaḍa 2.7.4,2.7.20-21,2.7.29,その他の聖典では,Thāṇa 4.362,Bhagavaī 2.94,14.112,Uvāsagadasāo 1.55-56などに見られる.
27 布薩には5つの違反行為があるが,そのうちの5番目に「布薩の精進を正しく守らないこと(posahovavāsassa sammaṃ aṇaṇupālaṇayā)という項目があり,ここでもanu+√pāl-の否定形との組み合わせが見られる.また,この用例からは,posahaという単独の形とposahovavāsaという複合語がほぼ同じ意味であることも窺い知れる.この点についてはWilliams[1963]p.142も参照.また,布薩の違反行為に関しては,2.3.2を参照.
28 これまでにも指摘されているように,太陰太陽暦では白分14日目と満月の日,黒分14日目と新月の日は連続,もしくは重なる可能性が考えられるため,半月が14日しかない場合には14日に行われたものと考えられる.このような問題を踏まえてのことか,シュラーヴァカ・アーチャーラ文献では,基本的に半月の8日目,14日目とするものが多くなった.この点については堀田[2011]を参照.シュラーヴァカ・アーチャーラ文献でアンガ聖典に見られるのと全く同じ表現を用いているものは非常に少なく,現時点ではYogaśāstravṛttiにしかその用例を見出せていない.catuṣparvī aṣṭamīcaturdaśīpūrṇimāmāvāsyālakṣaṇā, caturṇāṃ parvāṇāṃ samāhāraś catuṣparvī Yogaśāstravṛtti on Yogaśāstra 3.85.
29 ジャイナ教白衣派聖典における在家信者の呼称については,河崎[2003]p.10以下を参照.
30 no khalu me seyaṃ taṃ vipulaṃ asaṇaṃ pāṇaṃ khāimaṃ sāimaṃ assāemāṇassa vissāemāṇassa paribhāemāṇassa paribhuṃjemāṇassa pakkhiyaṃ posahaṃ paḍijāgari- māṇassa viharittae Bhagavaī 12.6. 同様の例は,Bhagavaī 12.12-14,12.18,13.103やVivāgasuya 2.1.30などにも見られる.
31 ただし,prati+√jāgṛ-の本来のニュアンスは,河崎[2003]p.91等にあるように「目覚めている」といったものであったと考えられる.
32 tae ṇaṃ se abhae kumāre taṃ puvvasaṃgaiyaṃ devaṃ aṃtalikkhapaḍivaṇṇaṃ pāsittā haṭṭhatuṭṭhe posahaṃ pārei, pārettā...... Nāyādhammakahāo 1.1.58. この動詞との組み合わせは,その他にもUvāsagadasāo 2.43,6.26,Aṃtagaḍadasāo 3.49などにも見られる.
33 tae ṇaṃ ahaṃ aṇṇayā kayāiṃ gimhakālasamayaṃsi jāva posahaṃ uvasaṃpajjittā ṇaṃ viharāmi Nāyādhammakahāo 1.13.36.
34 Williams[1963]p.142を参照. 例えば,Tattvārthādhigamasūtraの自注では“pauṣadhopavāso nāma pauṣadhe upavāsaḥ pauṣadhopavāsaḥ”と述べ,Sarvārthasiddhiでは“proṣadhe upavāsaḥ proṣadhopavāsaḥ” と述べる.ただし,パーリ語に見られる“uposathaṃ upavasati(斎日を過ごす)”といった用例からは,属格による格限定複合語(布薩の誓戒を守ること,布薩の断食を実践すること)という解釈も考えられるだろう.この点については,佐々木[1987]p.2を参照.また,An Illustrated Ardha-māgadhī Dictionaryのposahaの項目では「poṣadhaの誓戒と断食」というように並列複合語と解しているが,根拠が提示されていない.管見の限り,少なくともシュラーヴァカ・アーチャーラ文献には,このような解釈は見られない.
35 この点については,注27も参照.
36 本稿では,posahovavāsaの訳語として,仮に「布薩の精進」という訳語を用いる.
37 se jahāṇāmae samaṇovāsagā bhavaṃti ― abhigayajīvājīvā......sīlavvayaguṇavera- maṇapaccakkhāṇaposahovavāsehiṃ ahāpariggahiehiṃ tavokammehiṃ appāṇaṃ bhāvemāṇā viharaṃti Sūyagaḍa 2.2.72. この部分の訳はJacobi[1895]pp.382-384等を参照.
38 河崎[2003]p.19以下で詳しく論じられているように,ここに見られる“abhigayajīvājīva”に始まる表現は,理想的な在家信者を描写するものとしてジャイナ教白衣派聖典に頻出する.詳細は河崎[2003]に譲り,ここでは“sīla”で始まり“posahovavāsa”で終わる複合語に焦点を当てる.また,この複合語に関しては,注12も参照.
39 se ṇaṃ leve ṇāmaṃ gāhāvaī samaṇovāsae yāvi hotthā ― abhigayajīvājīve...... sīlavvayaguṇaveramaṇapaccakkhāṇaposahovavāsehiṃ ahāpariggahiehiṃ tavokamme- hiṃ appāṇaṃ bhāvemāṇe viharai Sūyagaḍa 2.7.4. この部分の訳はJacobi[1895] p.429等を参照.
40 tattha ṇaṃ tuṃgiyāe nayarīe bahave samaṇovāsayā parivasaṃti ― bahūhiṃ sīlavvayaguṇaveramaṇapaccakkhāṇaposahovavāsehiṃ ahāpariggahiehiṃ tavokamme- hiṃ appāṇaṃ bhāvemāṇā viharaṃti Bhagavaī 2.94.
41 その他にもBhagavaī 14.112,Thāṇa 4.362,Nāyādhammakahāo1.5.47,1.8.74,1.8.77,1.8.79などにほぼ同様の用例が見られる.
42 tao loge ṇissīlā ṇivvatā ṇigguṇā ṇimmerā ṇippaccakkhāṇaposahovavāsā...... Ṭhāṇa 3.135.
43 これと同様の表現は,Ṭhāṇa 3.315,Nāyādhammakahāo 1.18.19などにも見られる.
44 tao loe susīlā suvvayā sagguṇā samerā sapaccakkhāṇaposahovavāsā...... Ṭhāṇa 3.136.
45 これと同様の表現は,Ṭhāṇa 3.316にも見られる.
46 tamhā dāṇavvayaposahāṇaṃ tavasaṃjamabambhacerakallāṇamāiyāṇaṃ natthi phalaṃ, navi ya pāṇavahaaliyavayaṇaṃ...... Paṇhāvāgaraṇāiṃ 2.5.
47 ここではposahovavāsaという複合語ではなく,単にposahaとなっている.この点もposaha≒posahovavāsaということの傍証となりうるだろう.
48 このような布薩堂への接近の描写はBhagavaī 13.103,Nāyādhammakahāo 1.1.53,1.1.70,1.16.201,1.16.237,Aṃtagaḍadasāo 3.47,Vivāgasuyaṃ 2.1.30などにも見られ,布薩堂からの退出の描写はBhagavaī 12.15,Uvāsagadasāo 2.43,6.26,Aṃtagaḍadasāo 3.51などにも見られる.ただし,Aṃtagaḍadasāoではpaḍiṇivattaiという動詞を用いる.
49 ......jeṇeva posahasālā teṇeva uvāgacchai, uvāgacchittā posahasālaṃ anupavi- ssai...... Bhagavaī 12.6. Bhagavaīにおけるサンカの物語については,Ohira[1994]p.156§398, p.166§427等を参照.
50 tae ṇaṃ se pokkhalī samaṇovāsae saṃkhassa samaṇovāsagassa aṃtiyāo posaha- sālāo paḍinikkhamai, paḍinikkhamittā...... Bhagavaī 12.14.
51 tae ṇaṃ se pokkhalī samaṇovāsae jeṇeva posahasālā, jeṇeva saṃkhe samaṇovāsae teṇeva uvāgacchai...... Bhagavaī 12.12.
52 河崎[2003]p.91以下を参照.
53 ......āpucchittā jeṇeva posahasālā teṇeva uvāgacchai, uvāgacchittā posahasālaṃ aṇupavissai, aṇupavissittā posahasālaṃ pamajjai, pamajjittā uccārapāsavaṇabhūmiṃ paḍilehei, paḍilehettā dabbhasaṃthāragaṃ saṃtharai, saṃtharittā dabbhasaṃthāra- gaṃ duruhai, duruhittā posahasālāe posahie baṃbhacārī omukkamaṇisuvaṇṇe vava- gayamālāvaṇṇagavilevaṇe nikkhittasatthamusale ege abiie dabbhasaṃthārovagae pakkhiyaṃ posahaṃ paḍijāgaramāṇe viharai Bhagavaī 12.6. これとほぼ同様の記述は,Bhagavaī 12.11,12.13-14,12.18,13.103などにも見られる.
54 これらとAvassayaに見られる4種のposahaとの対応関係に関しては,河崎[2003]p.92を参照.①は,ここには直接記されていないが,直前に4種類のもの(食べる物,飲む物,噛む物,味わう物)の享受が適切でない旨述べられているため,これら4種類の放棄も含めることができると考えられる.この点については,河崎[2003]p.91を参照.
55 ①の布薩堂を拭い清めることと②の排泄する場所を確認することとを行わないことや,きちんと行わないことは,布薩の違反行為の中に含められている.詳しくは,2.3.2を参照.
56 田中[1985]によると,Baudhāyanaśrautasūtraには,i. アグニホートラ祭の前に薪を集める,ii. 祭祀用の水を汲む,iii. 塩,肉を含まない特別な食事(aupavasathika)を摂る,iv. 寝台に寝てはいけない,v. 女性に近付いてはいけない,vi. 髪,ひげ,体毛を剃り,爪を切る,vii. 沐浴し,眼膏,身膏を塗る,viii. マントラを唱えつつ,各祭火に薪をくべる,ix. 祭火の周囲を掃き清める,という項目が見られる。これらのうち,i,ii,viii,ixは,祭祀と直接関わるバラモン教的色彩の濃いものであると言えるが,iiiは①,ivは④,vは⑥,viiは⑧に関連するものと考えられる(ただし,iiiとviiは逆とも言える内容になっている).また,アンガ聖典の実践内容に含まれるものでバラモン教の実践内容に含まれていないものには,不殺生に関わる項目が多い点を特徴として挙げることができる.
57 以下に,該当箇所とそこに含まれる項目を記しておく.Nāyādhammakahāo 1.1.56(⑤,⑪,⑫),1.1.57(⑪,⑫),1.13.14(②~⑪),1.13.15(⑪), Aṃtagaḍadasāo 3.47(②~④,⑥,⑪,⑫), Vivāgasuyaṃ 2.1.30(②~④,⑪).
58 詳しくは,本稿1.2. 在家信者の11階梯を参照.
59 bhagavaṃ ca ṇaṃ udāhu ṇiyaṃṭhā khalu pucchiyavvā ― āusaṃto! ṇiyaṃṭhā! iha khalu saṃtegaiyā samaṇovāsagā bhavaṃti/ tesiṃ ca ṇaṃ evaṃ vuttapuvvaṃ bhavai ― ṇo khalu vayaṃ saṃcāemo muṃḍā bhavittā agārāo aṇagāriyaṃ pavvaittae, evaṃ ṇaṃ cāuddasaṭṭhamuddiṭṭhapuṇṇamāsiṇīsu paḍipuṇṇaṃ posahaṃ sammaṃ aṇupālemāṇā viharissāmo/ ṭhūlagaṃ pāṇāivāyaṃ paccakkhāissāmo, evaṃ ṭhūlagaṃ musāvāyaṃ ṭhūlagaṃ adiṇṇādāṇaṃ ṭhūlagaṃ mehuṇaṃ ṭhūlagaṃ pariggahaṃ paccakkhāissāmo, icchāparimāṇaṃ karissāmo duvihaṃ tivihenaṃ/ mā khalu mama- ṭṭhāe kiṃci vi kareha vā kāraveha vā tattha vi paccakkhāissāmo/ te ṇaṃ abhoccā apiccā asiṇāittā āsaṃdīpeḍhiyāo paccoruhittā te taha kālagayā kiṃ vattavvaṃ siyā? sammaṃ kālagaya tti vattavvaṃ siyā Sūyagaḍa 2.7.20.
60 これに続くSūyagaḍa 2.7.21にもほぼ同様の記述が見られる.
61 これらのうちの食べ物,飲み物の放棄は先の①に,沐浴の放棄は⑧に,椅子・長椅子の放棄は④に対応すると考えられる.
62 bhagavaṃ ca ṇaṃ udāhu ― saṃtegaiyā samaṇovāsagā bhavaṃti/ tesiṃ ca ṇaṃ evaṃ vuttapuvvaṃ bhavai ― ṇo khalu vayaṃ saṃcāemo muṃḍā bhavittā agārāo aṇagāriyaṃ pavvaittae/ ṇo khalu vayaṃ saṃcāemo cāuddasaṭṭhamuddiṭṭhapuṇṇama- siṇīsu paḍipuṇṇaṃ posahaṃ aṇupālittae/ ṇo khalu vayaṃ saṃcāemo apacchimamāra- ṇaṃtiyasaṃlehaṇājhūsaṇājhūsiyā bhattapāṇapaḍiyāikkhiyā kālaṃ aṇavakaṃkhamāṇā viharittae/ vayaṃ ṇaṃ sāmāiyaṃ desāvagassiyaṃ ― puratthā pāīṇaṃ paḍīṇaṃ dāhi- ṇaṃ udīṇaṃ etāvattāva savvapāṇehiṃ savvabhūehiṃ savvajīvehiṃ savvasattehiṃ daṃḍe ṇikkhitte, pāṇabhūyajīvasattehiṃ khemaṃkare ahamaṃsi Sūyagaḍa 2.7.29.
63 この点については,河崎[2003]p.134を参照.
64 tayāṇantaraṃ ca ṇaṃ posahovavāsassa samaṇovāsaeṇaṃ paṃca aiyārā jāṇiyavvā na samāyariyavvā/ taṃ jahā/ appaḍilehiyaduppaḍilehiyasijjāsaṃthāre appamajjiyadu- ppamajjiyasijjāsaṃthāre appaḍilehiyaduppaḍilehiyauccārapāsavanabhūmī appamajji- yaduppamajjiyauccārapāsavaṇabhūmī posahovavāsassa sammaṃ aṇaṇupālaṇayā Uvāsagadasāo 1.42. 和訳に関しては,河崎[2003]p.184を参照.Mehtā[1966] p.117では,この部分の記述にもとづいて布薩の違反行為を解説している.
65 Tattvārthādhigamasūtraは7.16で布薩の誓戒等の分類のみを提示し,詳しい説明をしないまま7.29で違反行為を列挙している.digdeśānarthadaṇḍaviratisā- māyikapauṣadhopavāsopabhogaparibhogātithisaṃvibhāgavratasaṃpannaś ca Tattvā- rthādhigamasūtra 7.16; apratyavekṣitāpramārjitotsargādānanikṣepasaṃstāropakrama- ṇānādarasmṛtyanupasthāpanāni Tattvārthādhigamasūtra 7.29.