仏教文化研究論集
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論文
trāyaṇīya Upaniṣad 6.33の位置付け及び34-38における展開
Śatapatha Brāhmaṇa及び古散文ウパニシャッドとの関連から
伊澤 敦子
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1998 年 2 巻 p. 105-122

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1. はじめに

MU 6.33は一見したところagnicayanaを話題としているが, その言わんとしているテーマは, 寧ろ, agni-ādhāna (Buitenen [1962] 37) や, prāṇāgnihotra (Bodewitz [1973] 278-283, 322) であると指摘されてきた. 本稿は, Śatapatha Brāhmaṇaに収録されているagnicayanaに関する記述及び他のウパニシャッドを援用することにより, MU 6.33の当ウパニシャッドにおける位置付けを明確にした上で, 6.34-38の特に prāṇāgnihotraとの関連が見られる個所との関係を考察しようとするものである.

2. MU 6.33におけるagnicayana

まず, MU 6.33の全文は以下の通りである.

五つの煉瓦で出来ているこの祭火壇は歳である. その祭火壇の煉瓦, 即ち春・夏・雨期・秋・冬は, 頭・両翼・背・尾底部である. この祭火壇はプルシャを知る者(puruṣavidaḥ)に属する1. この大地はプラジャーパティの第一層である. 手で祭主を中空に投げ上げて, ヴァーユに与えた. ヴァーユとは生気. 祭火壇は生気である. その煉瓦, 即ちプラーナ・ヴィヤーナ・アパーナ・サマーナ・ウダーナは, 頭・両翼・背・尾底部である. この祭火壇はプルシャを知る者に属する. この中空はプラジャーパティの第二層である. 手で祭主を天に投げ上げて, インドラに与えた. インドラとはかの太陽. 祭火壇は太陽. その煉瓦, 即ち讃歌・祭詞・旋律・呪句・伝説/古潭は, 頭・両翼・背・尾底部. この祭火壇はプルシャを知る者に属する. この天はプラジャーパティの第三層である. 手でアートマンを知る者(ātmavid)に対して祭主を供物となし, アートマンを知る者はこれを投げてブラフマンに与えた. そこに至って, 彼は歓喜し幸福なものとなる2.

 このように, MU 6.33にはagnicayanaが取り上げられている. agnicayanaとは, 祭火壇設置祭といった意味合いを持つ, Soma祭に含まれている儀式である. āhavanīya設置用のuttaravediに焼き煉瓦を用いて五層に積み, これが完成すると祭火をそこに移し, 献供が行われる. 祭火壇を俯瞰した場合の形状は数種あるが, 通例は鷹の形で, 頭・両翼・胴・尾の五部分から成る. 煉瓦の形も多種多様で様々な名前を持つ. 煉瓦はマントラを唱えつつ, 特定のパターンに従って積まれる. 縦に積まれた五層の内, 第一・三・五層には中央部に svayamātṛṇā(自然に穴の穿たれた石)を置く. これら三層は地・空・天に相当する. agnicayanaの主な権威はŚBで, 第6巻から第10巻をこれに費やしている. そこでは, 世界を創造した後, 疲弊しバラバラになったプラジャーパティの身体を, 神々が再構築したという神話に倣って, agnicayanaを挙行した祭主はその結果, 不死を得ると述べられている. 一方, 黒Yajurveda系統のsaṃhitā (Taittirīya, Kāṭaka, Kapiṣṭhalakaṭha, Maitrāyaṇī)にては, 祭主がagnicayanaの形状が示す鷹に乗って或いは鷹の姿となって, svargalokaへ飛翔することが目的としてあげられている.

3. ŚBにおけるagnicayana

MU 6.33とagnicayanaとの関連を考察するに当たって, 最初にŚB 第6巻の最初の部分との比較検討を行う.

第6巻の第1章では, まず諸プラーナから7つのプルシャが生じ, それから出来た1つのプルシャがプラジャーパティになる経緯を語る(1.1-4).彼はこの積まれる祭火壇であり, 祭火壇は7つのプルシャより成る(1.5-6).彼はアグニとなって, 大地と結合し, それから卵が生起した(2.1). 内部にいた胎児が風として流出し, 一緒に流れ出た涙はそれらの鳥に, 卵の殻に付いていた汁はきらめきに, 殻だったものが中空となった(2.2). 次に彼はヴァーユとなって, 中空と結合し, それから卵が生起した. それからかの太陽が流出した. これは名声である. 一緒に流れ出た涙は斑の石に, 卵の殻に付いていた汁は光線に, 殻だったものが天となった(2.3). 次に彼はアーディティヤとなって, 天と結合し, それから卵が生起した. それから月が流出した. これは精子である. 一緒に流れ出た涙はそれら星宿に, 卵の殻に付いていた汁は四維に, 殻だったものが方位となった(2.4). これをまとめてMU 6.33と比較したものが, 次にあける図1である.

(図1 )

ŚB6.l

MU6.33

5つのレンガ:頭、両翼、背、尾底

2.1 ) prajāpati → agni+大地

1.第一層

歳(5季節) 大地

vāyu

2.2)風―鳥―煌めき―中空

 ‖

中空

2.3) prajāpati → vāyu+中空

2.第二層

生気(5プラーナ)

indra

太陽(名声)―石―光線―天

 ‖

2.4) prajāpati →āditya+天

3.第三層

太陽(諸ヴェーダ等)

4.

ātmavid

月(精子)―星宿―四維―方位

5.

brahman

まず, MUの第一層から第三層とŚB 6.1.2.1-4とは一見対応しているようであるが, 詳細に見ていくと以下の3つの相違点が明らかになる.

1) ŚBでは祭壇全体が歳や風に同置されており, 両者に各々配される5季節と5方位が, 祭火壇の五層に対応しているが(ŚB 6.1.2.18-193), MUでは第一層から第三層を歳・生気・太陽と同置し, 各層の5部分に5季節等を配している.

2) ŚBでは風の5部分として5方位を挙げているが(ŚB 6.1.2.19), MUではヴァーユと生気が同置され, 5部分として5プラーナが列挙されている.

3) 太陽に関してもその説明は異なっており, ŚBでは祭火壇に置かれる火, 或いは祭火壇そのものと同置されるに止まるが(ŚB 6.1.2.204), MUでは諸ヴェーダ等が太陽の5部分として言及されている.

これらの点に関連して, やはりagnicayanaの反映が認められるTU 2.1-6が従来注目されている. 当該個所では, プルシャは食所成 (annarasamaya)であり, その内部には4つのアートマンが存在すると説かれる. それらは生気所成(prāṇamaya), 意所成(manomaya), 識所成(vijñānamaya), 歓喜所成(ānandamaya) の諸アートマンで, 順次後者は前者の内部にあり, 各々のアートマンは5部分に分かれていると定義されている (図2参照).

(図2)

MU6.33

5つのレンガ:頭、両翼、背、尾底

TU2.1-6

1) annarasamaya

1.第一層

歳(5季節) 大地

vāyu

 ‖

中空

2.第二層

生気(5プラーナ)

2) prāṇamaya

indra

 ‖

3.第三層

太陽(諸ヴェーダ等)

3) manomaya

4.

ātmavid

4) vijñānamaya

5.

brahman

5) ānandamaya

TUでは, prāṇamayātmanの5部分として, prāṇa, vyāna, apāna, ākāśa, pṛthivī(5プラーナではないのに注意)が挙げられており, manomayātmanの5部分として, yajus, ṛc, sāman, ādeśa, atharvāṅgirasasが列挙されているが, これはMU 6.33が, 第二層である中空の5部分へ5プラーナを配置し, 第三層である太陽の5部分へ諸ヴェーダ等を配置しているのに比べて, より妥当性があると考えられている。

この様に, MU 6.33にはŚB等のagnicayanaの記述と食い違う点があり, またTU 2.1-6と比較して一貫性が欠けているが, その理由については, MUがTU 2.1-6の影響を受けており, 更にagnicayanaとprāṇāgnihotraという異なる二系統の思考が接合された結果であると指摘されている (井狩 [1989] 71-72 n.29, Bodewitz [1973] 291).

以下で, 先述した3つの相違点に関して, ŚBの他の部分の記述をもとに再考を試みるが, 相違点の1)については後で触れることとする.

まず, 相違点の2)では, MUの第二層に5プラーナが提示されていると指摘したが, ŚBには5プラーナがプラジャーパティの5部分として挙げられている個所がある. それは10.1.4.1-8で5, プラジャーパティは死と不死から成り, 彼の諸プラーナが不死に肉体が死に相当すると説く. そしてプラジャーパティはこの祭式(cayana)により不老不死の体を作り, 祭主もまた同様に死と不死から成るが, この祭式により不老不死の体を作ると述べられる. プラジャーパティは第一層から第六層まで煉瓦を積むが, それらは各々彼のprāṇa, apāna, vyāna, udāna, samāna, vācであり不死に相当し, 煉瓦の間に挟まれた6層の土の部分がそれぞれ彼の骨髄, 骨, 筋肉, 肉, 脂肪, 血と皮膚になぞられ, 死に相当するとされる. そしてこれら煉瓦の6層と土の6層合わせて 12で, 1年は12カ月であるので, 祭火壇は歳であると定義される.

実際のcayanaでは煉瓦を5層に積むが, ここでは6層になっており, 実際の祭式から離れて専らその解釈に力点を置いているという印象を受けるが, MUはそれを更に一歩進めて, 5プラーナの割り振りを縦の5層から横の5部分へ改変したものと思われる.

また, 相違点の3)についても同様のことが言える. ŚB 10.5.1.1-5で語はṛc, yajus, sāmanの三重構造になっており, それ故祭火壇は三層であり, 煉瓦の種類や人体も男性名詞・中性名詞・女性名詞という3種類の名称を持つ部分から成っていると説明し, 更に語と太陽とを同置している.

 以上の事から, MU 6.33の第一層から第三層までは, ŚBの思考方を継承しつつ, ŚBの祭火壇全体に対する個々の解釈を, agnicayanaの各層に当てはめて採用するという法則性に従っていると推測できる. また先に相違点の1)として指摘した点も, この法則性に基づいた結果と見ることが可能であり, 敢えてTUの影響を考慮する必要はないであろう.

4. brahmanとbrahmaloka

この様に, MU 6.33とŚBの記述には第三層までは相関関係が見られるが, それ以降は大きく異なる. MUでは祭主はātmaⅵdを介して, 最終的にbrahmanに(brahmaṇe)与えられるが, ŚB第6巻の冒頭部分にはそれに相当する記述が見当たらない. ただし, 祭火壇の五層構造についてはŚB 10.4.5.3に説かれている. そこでは, 自然に穴の穿たれた煉瓦でてきた三つの層はこれら諸世界であり, 第四層は祭主自身で, 第五層は一切の願望であると述べられている. また, 3界の上にさらに天上界(svas)を想定する考え方は, ŚB 9.2.3.26で表明されている.

agnicayanaを挙行した祭主が獲得する事の出来る功徳に関しては, ŚBの多くの個所で触れられている. 即ち―

不死となる(6.1.2.35 ; 9.3.4.12 ; 9.5.1.10 ; 10.1.5.4 ; 10.4.3.9-10 ; 10.5.1.5 ; 10.5.2.23).

天寿を全うする(7.4.2.16-18 ; 9.5.1.10 ; 10.2.6.6-8 ; 10.2.6.19).

あの世で黄金となって生まれ, この世とあの世で輝く(10.1.4.9 ; 10.6.2.11 ; 10.6.3.11).

祭主によって作られた世界に生まれる(6.2.2.27 cf. ChU 8.13.1).

天上界(svargaloka)に赴く(6.6.2 4 ; 7.3.1.12 ; 8.6.1.1 ; 8.6.1.10 ; 8.6.1.21 ; 9.2.3.26 ; 9.4.4.3 ; 9.4.4.10-11 ; 10.4.4.4).

一方MUでは, brahmanに与えられた祭主はそこに至って歓喜し幸福な者となる(ānandī modī bhavati)とという文で締め括られ, svargalokaという語も不死という表現も出てこない. むしろTUの5) (図2参照) の思考方に近い. TUではānandamayātmanの五部分に, priya, moda, pramoda, ānanda, brahman (中性) を振り当てているからである. ただし, MU 6.33のbrahmanに関しては注意を要する. 第一層から第三層までは, 祭主は大地→中空→天と場所から場所へ上昇していくが, この構成は次のātmavidという語により崩される. ātmavidはもとより場所ではなく, 具体的に誰を指すのか不明だが, 仲介者の様な形で登場し, brahmanへと祭主を投げて渡す役割を演じる. このような文脈から, このbrahmanは第二層におけるvāyu第三層におけるindraに対応する神格と考えられる. TUにおけるbrahmanの如くに中性ではなく男性名詞と理解するのが自然である. MU 6.33においては当然このbrahmanの存在する場が祭主の赴く最終目的であり, ŚBで説かれる所のsvargalokaに相当すると考えられる. ごく初期のウパニシャッドでは, 諸世界を列挙して, その頂点に男性brahmanが君臨するbrahmalokaを据えるという記述が見られるが6, その中で特にKauU 1.3-7は7, ŚB及びMU 6.33両方との類似性がうかがわれる(図3参照).

(図3 )

ŚB6.l

MU6.33

KauU1.3

(devayāna)

2.1 ) prajāpati → agni+大地

1.第一層

agniloka

vāyu

vāyuloka

2.2)風―鳥―煌めき―中空

 ‖

2.3) prajāpati → vāyu+中空

2.第二層

生気

ādityaloka

indra

varṇaloka

太陽(名声)―石―光線―天

 ‖

2.4) prajāpati →āditya+天

3.第三層

太陽

indraloka

4.

ātmavid

prajāpatiloka

月(精子)―星宿―四維―方位

5.

brahman

brahmaloka

ŚBが言及している三神格 (agni, vāyu, āditya) は三界 (大地, 中空, 天) と最も関係が深く, この両者を結び付けるのは自然な発想であると言えよう. ー方, 最終的にbrahmalokaの描写を目的とするKauUでは, まず三界に結びつきやすい上述の三神格を挙げ, 更にその上に varuṇa, indra, prajāpatiといった神格の世界を加えて, brahmalokaへと導いていくが, MU 6.33においては枠組みとしてはagnicayanaを取り入れながら, このようなKauUの神格の選び方に倣い, 最終的に brahmanを登場させていると推測できる.

5. MUにおけるbrahman

次に, MUの他の部分におけるbrahmanに関する描写を概観してみる.

まず目につくのは, brahmanに2つの相があるとする考え方で(6.3 ; 6.15 ; 6.22 ; 6.36), 以下にその概略を示す.

6.3 -brahmanには二相 (rūpa) ある. 顕相(mūrta)と非顕相 (amūrta)である.顕相とは非実有(asatya)で, 非顕相とは実有(satya)である.

6.15 -brahmanには二相 (rūpa) ある. 時(kāla)と非時(akāla). 太陽以前が非時で無分, 太陽以後が時で有分. この有分の相は歳である. 歳はプラジャーパティであり, 時, 食物, ブラフマンの座所であり, アートマンである.

6.22 -二つのbrahmanが瞑想されるべきである. 声(śabda)と非声 (aśabda)である. OMという声によって上昇し非声において最終地に到る.

6.36 -ブラフマンという光(brahmajyotiṣ) には二つの姿(rūpaka)がある. 寂静(śānta)と繁栄(samṛddha). 寂静の拠り所は虚空で, 繁栄のそれは食物である. 従って, マントラ, 薬草, 酥油, 肉, 菓子, 乳糜等を以て祭壇にて(それを)祭るべきである. 残りの飲食を以て口中にて, 口をアーハヴァニーヤと見做して(祭るべきである). 威力増進・功徳界獲得・不死となる為に.

この中で, 6.15と36は二様のbrahmanの内の低次のbrahmanを特に解説しているが, 6.15ではそれを歳, プラジャーパティ, 時, 食物, ブラフマンの座所, アートマンという言葉で置き換えており, 6.33の agnicayanaを連想させる.

次に, 男性神brahmāと最高原理としてのbrahmanとを明確に区別した記述が注目される(4.4-6)8. この部分はプラジャーパティが聖仙達の問いかけに答えている場面である.

4.4 -知・苦行・観想によってbrahmanは得られる. 彼はbrahmā(男性神)を越えて, 神々以上の超神(adhidaⅳatva)となる. このように知ってこの三つによりbrahmanを念想する者は, 不壊, 無限, 解脱たる至福に到達する.

4.5-6 -agni, vāyu, āditya, kāla, prāṇa, anna, brahmā, rudra, viṣṇuという神格のうち, どれが最高なのかという問いに対して, それらは brahmanの主なる顕相であると答える.

また, 6.30の末尾に以下の文章が引用されている.

心臓内に宿る彼には, 灯火の如く無数の光線がある, 即ち, 白・黒・茶・青・黄褐色・赤. それらのうちの一つは日輪を貫いて上方に向かい, それによって人々はbrahmaloka越えて, 最高の帰趣に赴く. その他の百の光線は上方に向かい, それにより人は神群の各々の座所に達する. また, 多彩で下方に向かう光線があり, その光は弱い. 人はこの世で業果を味わう為に, それらによって不本意に輪廻する. それ故に、かの尊き太陽は創造・天・解脱の因である.

この様に上に挙げた個所では, 低次のbrahmanや男性神brahman を越える存在としてのbrahmanを想定しているのに対し, MU 6.33 は男性brahmanが君臨するbrahmalokaを最高境地として位置づけるという, 初期の古ウパニシャッドに見られる思考方をとどめていると言えよう.

6. MU 6.34以降におけるprāṇāgnihotra的記述について

6.34以降はテキストの構成として, 古い層と新しい層とが混在しており(Buitenen [1962]), その伝えようと意図する所を理解するのは困難である.しかし, 随所にprāṇāgnihotraに関係していると推測される記述を見出すことが出来る.

先ず, prāṇāgnihotraの式次第9と, それに当てはまるMU第六章の個所を概観してみよう.

(1) prāṇāhuti自体の前にマントラを唱えて、食物や祭主を清める。

6.2 -OM, vyāhṛti, sāvitrī

6.9 -"ucchiṣṭocchiṣṭopahataṃ yac ca pāpena dattaṃ mṛtasūtakād vā vasoḥ pavitram agniḥ savituś ca raśmayaḥ punantv annaṃ mama duṣkṛtaṃ ca yad anyat"10というマントラにより, 意が清められる.

6.35 -"OM āpo jyotī raso 'mṛtaṃ brahma bhūr bhvaḥ svar OM"

(2) "amṛtopastaraṇam asi"「あなたは不死なる(食物)の基台である.」と唱えて水を啜る, 或いは飲む.

6.9 -マントラはないが, adbhiḥ purastāt paridadhāti (先ず水で包み)と表現されている.

(3) prāṇāhutiの際に唱えるマントラ

6.9 -"prāṇāya svāha apānāya svāha vyānāya svāha samānāya svāha udānāya svāha"

(4)食事の規定(bhojanavidhi)

6.9 -語を制御して食す。

(5)食事の後に "amṛtāpidhānam asi"「あなたは不死なる(食物)の覆いである. 」と唱えて水を啜る, 或いは飲む.

6.9 -マントラはないが, adbhir bhūya evopariṣṭāt paridadhāti(その後に再び水で包み)とある.

(6)諸プラーナの中央座を触る.

6.9 -"prāṇo 'gniḥ paramātmā vai pañcavāyuḥ samāśritaḥ, sa prītaḥ prīṇātu viśvaṃ viśvabhuk"11と "viśvo 'si vaiśvānaro 'si viśvaṃ tvayā dhāryate jāyamānam, viśantu tvām āhutayaś ca sarvāḥ prajās tatra yatra viśvāmṛto 'si" 12

(7)マントラと共に右足の親指に水を注ぐ.

6.38 -śarīraprādeśāṅguṣṭhamātram aṇor apy aṇvyaṃ dhyātvātaḥ paramatāṃ gacchati, atra hi sarve kāmāḥ samāhitā13

以上がprāṇāgnihotraの全容であるが, MU 6.9にはそのほぼ一部始終が,順当に纏まった形で収録されているのに対して, 6.34以降では僅かに6.35が(1)に38が(7)に適応するに止まっている. 即ち, 6.34以降の prāṇāgnihotraに関する記述には, 何らかの統一性や纏まりを期待することが出来ないということである.

個々に見ていくと, 6.35の「OM, 水, 光, 精髄, 不死, ブラフマン, bhūr bhvaḥ svaṛ OM.」という句はśiromantraと呼ばれるもので, MNUによると, vyāhṛti, sāvitrī(RV 3.62.10)と共に調息の際に唱えられる(MNU 340-342 Varenne [1960] 82, 154-155). PrāṇU 13にも同マントラが収録されており, 食物の清めと口漱ぎの間に唱えられる.

6.38に引用されている文は, prāṇāgnihotraの終了時(7)に, 右足の親指に水を注ぐ際に唱えられるマントラ14との類似点が認められる.

その他の部分には, 直接prāṇāgnihotraの内容を示す記述はないが, 食事や食物, 瞑想といったprāṇāgnihotraに係わる事柄への言及が認められる. 即ち,

6.34 -家長火(gārhapatya)は大地, 南火(dakṣiṇāgni)は中空, 供養火(āhavanīya)は天である. それらは, 潔済(pavamāna)・潔済者 (pāvaka)・清浄(śuci). これらによって, これの祭式が成される. 何故ならば, 潔済・潔済者・清浄の総体が消化火(jāṭhara) なので. それ故に, 火は供養され, 積まれ, 讃えられ, 瞑想されるべし. 祭主は供物を取って, 神への瞑想に赴く.

6.36 -ブラフマンという光(brahmajyotiṣ) には二つの姿(rüpaka) がある. 寂静(śānta) と繁栄(samṛddha). 寂静の拠り所は虚空で, 繁栄のそれは食物である. 従って, マントラ, 薬草, 酥油, 肉, 菓子, 乳糜等を以て祭壇にて(それを)祭るべきである. 残りの飲食を以て口中にて, 口をアーハヴァニーヤと見做して(祭るべきである). 威力増進・功徳界獲得・不死となる為に.

6.37 -OMと唱えてこの無限の光を念想すべきである. それは三様に説かれた-火中, 太陽内, 生気の中. そしてここに脈管がある. 多食 (annabahu)と(名付けられる). これは火に供えられたものを太陽に運ぶ. そしてそれから流出した精髄はウドギータとして雨下する.

この6.37にはまた, 祭火・生気・太陽を相同化する概念が見られるが, 同概念は6.35にも開陳されている.

6.35 -かの太陽内のプルシャなるものは私である. 彼は真実を属性とする. 太陽の太陽たる本質は白色のプルシャで無性である. 太陽内にいる如く眼中・火中にいるそれは, 中空に遍満する光の一部である.

この三者の相同化はprāṇāgnihotraの主要なテーマの一つであり,

6.33が第二層(中空)でヴァーユを生気に置き換え, 第一層から三層の対応関係を歳・生気・太陽としたことが, この節が既にprāṇāgnihotra をテーマとして書かれたと見做される根拠となっている. 確かに, 6.33 にはagnicayanaにはないātmavidやbrahmanが登場し, agnicayana の枠組みをかりて, 祭式の解説以上の観念が示唆されていると考えられるが, この相同化は既にŚBにも見られ15, これを以て直ちに prāṇāgnihotraをテーマにしていると決定することは出来ない. ただ, 6.33でのヴァーユと生気の同置が,先の6.35や37に見られる相同化へと発展していったと考えるのは可能である.

6.33の内容を先ず踏襲するという形は, 6.34と35で顕著である. 6.34 ではシュラウタ祭式の三祭火がそれぞれ大地・中空・天に置き換えられている16.

また, 6.35は以下の言葉で始まる.

地を住処とし, 世界の守護者たる火に頂礼する. 世界をこの祭主に与えよ.

空界を住処とし, 世界の守護者たる風に頂礼する. 世界をこの祭主に与えよ.

天界を住処とし, 世界の守護者たる太陽に頂礼する. 世界をこの祭主に与えよ.

一切を住処とし, 一切の守護者たるブラフマンに頂礼する. 一切をこの祭主に与えよ17.

この様に, 6.34-38 ではprāṇāgnihotraに関係する事柄や観念に言及するに当たって, 6.33のagnicayana的思考と引いてはŚBの思考を, 積極的に採用しているという特徴が浮かび上がって来る.

7. 結論

MU 6.33 の第一層から第三層までは, ŚB の祭火壇全体に対する個々の解釈を, 祭火壇の各層に当てはめて採用するという法則性に従いつつ, ŚBの思考方を継承しているが, 最終的にはātmaⅵdやbrahmanを登場させており, 全体的にはagnicayanaの枠組みをかりて, 祭式の解説以上の観念が示唆されていると考えられる. しかし, brahman に到るまでの仲介となる神格の選び方にはKauU等の影響が窺われ, brahmalokaを最高境地として位置づけるという, 初期の古ウパニシャッドに見られる思考方をとどめていると言えよう. 従って, MU 6.33 は, 低次のbrahmanや男性神brahmanを越える存在としてのbrahmanを想定しているMUの他の部分と区別して考える必要がある.

また, MU 6.33はそれ自身で纏まった形を保っており, 古い層と挿入部分とが混在していると見做され内容の混乱が著しい6.34以降とは, 一線を画する必要があると考える. 例えば, 6.33には祭火・太陽・生気の相同化が成されているが,これを以て直ちにprāṇāgnihotraをテーマに据えていると決定することは出来ない. ただ, 6.35や37に見られる相同化や, 6.34-38で言及されるprāṇāgnihotraに関係する事柄や観念が紡ぎ出されていく契機となったことは間違いないであろう.

Footnotes

Buitenenはpuruṣavidaḥをpuruṣavidhaḥに修正し,「この祭火壇は人の様である」と訳しており(Buitenen [1962] 30), 以来これに倣うのが通例となっているが, 本稿ではagnicayanaとpuruṣaの関係及び以下に見出されるātmaⅵdという語との関わりから, puruṣaⅵdaḥのまま採用した.

2 pañceṣṭako vā eṣo 'gniḥ saṃvatsaraḥ / tasyemā iṣṭakā yo vasanto grīṣmo varṣāḥ śarad dhemantaḥ / sa śiraḥpakśasīpṛṣṭhapucchavān eṣo 'gniḥ puruṣavidaḥ / seyaṃ prajāpater prathamā citiḥ / karair yajamānam antarikṣam utkṣiptvā vāyave prāyacchat / prāṇo vai vāyuḥ / prāṇo 'gnis / tasyemā iṣṭakā yaḥ prāṇo vyāṇo 'pānaḥ samāna udānaḥ / sa śiraḥpakśasīpṛṣṭhapucchavān eṣo 'gniḥ puruṣavidaḥ / tad idam antarikṣaṃ prajāpater dvitīyā citiḥ / karair yajamānaṃ divam utkṣiptvendrāya prāyacchad / asau vā āditya indraḥ / saiṣo 'gnis / tasyemā iṣṭakā yad ṛg yajuḥ sāmātharvāṅgirasā itihāsaḥ purāṇaṃ / sa śiraḥpakśasīpṛṣṭhapucchavān eṣo 'gniḥ puruṣavidaḥ / saiṣā dyauḥ prajāpates tṛtīyā citiḥ / karair yajamānasyātmavide avadānaṃ karoty / athātmavid utkṣipya brahmaṇe prāyacchat / tatra ānandī modī bhavati //

3 瓦解したプラジャーパティは歳. 彼の5つの身体部分は季節. 季節は5. これらの層は5つである(2.18). 瓦解した歳たるプラジャーパティは, ここを清らかに吹くこの風. 5部分の肢体は方位。方位は5部分から成る. これら諸層は5つである(2.19).

4 祭火壇に置かれる火はかの太陽. この積まれた祭火壇はかの太陽である(2.20).

5 MU 2.6との類似性が, F. Staalによって指摘されている(Staal [1983] 71)

BU 3.6.1 ; 4.3.32-33 ; 6.2.15 KU 6.5 KauU 1.3

死者は神の路 (devayāna)を辿って諸界を経て, 最後にbrahmalokaに到ると説かれる. そして, 詳細なbrahmalokaの描写が続いた後で, そこで死者が brahman(男性) とどの様に問答すべきか示される(KauU 1.3-7).

8 最古期のウパニシャッドでは, まだブラフマンの性について注意が払われておらず, 初期の韻文ウパニシャッドになって初めて問題にされるようになった. (Gonda [1950] 62-63)

9 参考文献はBDhS 2.7.12 ; VaiSmS 2.18 ; PrāṇU ; AagnGS 2.6.7 ; MNU 473 ff ; ChMP 75-81 ; ChU 5.19 ff (Bodewitz [1973] 254ff. 参照)

10 「それが残り物であろうと,残り物によって汚された物であろうと,罪人より与えられた物であろうと,或いは死産した人から(与えられた)物であろうと,ヴァスの浄化力,アグニ,そしてサヴィトリの光線が,その食物と私の他の罪を浄化したまえ.」

11 「生気,火である最高我は五風として(体内に)宿る.かの一切享受者は満足して,万物を満足させよ.」

12 「あなたは一切である.あなたはヴァイシュヴァーナラである.万物は生まれ来たってあなたに支えられている.全ての供物はあなたに入れ.あなたが全ての不死である所に一切生類がいる.」という2つのマントラを唱えて,アートマンを瞑想.

13 身体の(心臓の)一部分の中にいる親指大の,微細なもののうちでも更に微細なものを瞑想して,最高存在に赴く.

14 MNU 492-493 ; BDhS 2.7.12 "aṅguṣṭhamātraḥ puruṣo 'ṅguṣṭhaṃ ca samāśritaḥ īśaḥ sarvasya jagataḥ prabhuḥ prīṇāti viśvabhug"

PrāṇU 25 "mahādevo 'yaṃ puruṣo yo 'ṅguṣṭhāgre pratiṣṭhitaḥ, tam adbhiḥ parisiñcāmi so 'syānte 'mṛtayonau"

15 10.2.6.16-19 ; 10.5 2.7 ; 10.6.2 特に10.6.2では, 火 (祭火)・太陽・生気を食者として対応させている(Bodewitz [1973] 278-9参照).

16 三祭火と三界との関係については, ŚBに次のような記述がある.

ŚB 9.2.3.26 -「私は大地から中空へと登った. 中空から天へと登った・・・・・」(VājS 17.65-69)について, これはgārhapatyaからāgnidhrīya へ行き, āgnidhrīyaからāhavanīyaに行ったという意味であると解説している.

ŚB 9.3.4.12 -āhavanīyaがsvargalokaであるという説を否定して, 祭主が人的身体(mānuṣa ātman)であるのに対して, āhavanīyaは神的身体(daⅳa ātman)であると定義している.

17 namo 'gnaye pṛthivīkṣite lokaspṛte (Buitenen [1962] 52 参照) / lokam asmai yajamānāya dhehi / namo vāyave 'ntarikṣakṣite lokaspṛte / lokam asmai yajamānāya dhehi / nama ādityāya divikṣite lokaspṛte / lokam asmai yajamānāya dhehi / namo brahmaṇe sarvakṣite sarvaspṛte / sarvam asmai yajamānāya dhehi //

References
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