仏教文化研究論集
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論文
『法門大綱』の禅思想
知(霊知)を中心として
高柳 さつき
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2022 年 21.22 巻 p. 88-111

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はじめに

『法門大綱』は,金沢文庫所蔵の鎌倉期の写本である.『百丈禅師広説』との合本で,全36(30表の前に中欠があり,35丁裏の後も後欠の可能性がある)のうち,13丁表までが『百丈禅師広説』,それ以降が『法門大綱』である.

最初に『法門大綱』の部分のみ『金沢文庫資料全書』(仏典第1巻,禅籍篇.神奈川県立金沢文庫,1974)に翻刻され,その後『稀覯禅籍集』(中世禅籍叢刊,第10巻.臨川書店,2017)に『百丈禅師広説』も含めて翻刻された.先行研究としては,それぞれ河村孝道と石井修道による解題,及び古瀬珠水による3点がある1.先行研究で内容の概要や思想傾向は明かされたものの,テキスト全体として何を言おうとしているのか,その全体像は明らかになっていない.

本稿では,『法門大綱』に繰り返し出る「知(霊知)」——神会の荷沢宗が空寂(空,無念とも)を指し示す根源的原理として掲げ,澄観や宗密に受け継がれ,永明延寿の『宗鏡録』の一心(=知)依用により日本の禅思想に取り入れられた——に着目することにより,本テキストの習合的な禅思想を捉えて内容を解釈し直し,その禅思想の特徴を明かす.

1. 書誌学的考察

書誌情報については石井が詳細にまとめている.石井は,『法門大綱』は,14丁表~25丁表までが一つのまとまりであり,ここまでが『法門大綱』に該当するとする.そして,25丁表以降は,筆書者が文の区切り線を付していることもあり,別の関連の文献の書写ではないかと述べる2

筆者も『法門大綱』が25丁表までが一つのまとまりであるという石井の考えに同意するが,その後も全く別の書写というのではなく,前半と同じような考え方の元に付加されたと考える.

まず,14丁表~25丁表まで(前半),次に25丁表から最後まで(後半)をおおよその内容毎に分けて解釈し,最後に本書の禅思想について考察したい.尚,本稿では,『稀覯禅籍集』所収の写本に基づき,誤字等は訂正し書き下し文に改める.

2. 『法門大綱』の内容

14丁表~25丁表まで(前半)

2.1. 悟りの中心である知(霊知)

特に「知(霊知)」に着目しながらおおよその内容を見ていく.

伏してうに世尊在世の八十年の間,一々の化儀,不可思議ならざるは無し.十九にして城を超え三十にして成道し,説教すること四十九年,三百六十余会あり.初めに華厳経,上機化を受け,鹿苑に諦を説き,双樹に常を顕す.中間処に,権実相い摂す,若しくは顕若しくは密,皆大事と為すなり.末後に心を伝えて,遺法の本宗と為す.西天の廿八祖,次第に相承し,達磨東に来て,震旦に化を興す.(14表2–14裏4)

冒頭は,世尊が出家して法を説いたことから始まるが,最初に華厳経を上根の者に説いたこと,権実を共に兼ね,顕密を全て大事にした等ということから,天台宗の立場に立って,釈迦があらゆる教えを伝えたことを示す.最後に「心」を伝え,自らの一番大事な教えとし,それが達磨に受け継がれ,達磨が東にやって来て中国に伝えたという.

続いて,「肉骨髄得法説」の話になる.

三人の上足あり,尼総は肉を持ち得たり,道育は骨を得,慧可は髄を得.慧可の解する所は云く,「本より煩悩無く,元これ菩提」.意の云く,「煩悩は妄に依る,妄の体は本空なり.此れ空寂の理,霊知自ら具し,浄法宛然なり,是れを菩提と名づく.菩提は亦た無相,況や生滅を論ぜんや.真心独明して,変易す可からず」.故に云く,「本より煩悩無く,元是れ菩提」.道育の云く,「迷えば即ち煩悩,悟れば即ち菩提」.本より覚性ありと雖も,不覚を以っての故に,動心忽に転じて,生死広博たり.生死相空にして,覚性を離れず,覚性動かざれば,無漏現前す.総持の云く,「煩悩を断じて,菩提を得」.一切の衆生は,煩悩を体と為す.法性を具すと雖も,現前するに由無し.妄を息めて真を観じ,仏菩提を顕わす,これ修道となす.皆な是れ大乗の所解にして,利鈍自ら別なり.(14裏4–15裏6)

 これは石井が指摘するように,宗密の『裴休拾遺問』にある以下の「肉骨髓得法説」,

達磨云く,三人我法を得たり,深浅同じからず.尼総持は肉の如し.煩悩を断じ,菩提を得.道育は骨の如し.迷えば即ち煩悩,悟らば即ち菩提.恵可は髄の如し.本より煩悩無く,元是れ菩提.(『中世禅籍叢刊』(臨川書店)9,297)

に基づくのは明らかである3

 しかし,本書では,慧可の返答を説明する形で,煩悩の体が空であり,この空寂の理には霊知が自ずから備わり浄法が宛然としていて,これこそが菩提であるというのが付加される.この「霊知(知)」は,『裴休拾遺問』では荷沢宗の立場を述べるものであり,宗密は慧可の立場が霊知を掲げる荷沢宗であることをほのめかしてはいるが,はっきりとは述べていない.であるから,この菩提が霊知(知)を具すというのは,本テキストで霊知(知)の果たす役割が重要であることを示していよう.また,『裴休拾遺問』では,三人の返答に対して慧可>尼総持>道育と優劣を付けるが,こちらでは,皆が大乗の解釈であり三者の利鈍は自ずと別であると若干ニュアンスが異なっていて,優劣はあっても全てを肯定する印象を受ける.続いて,

仏出世せざる已前には,旧医の外道有りて,理を説き道を談ず.西天の三類,東土に来たらず.震旦の三聖,其の教え久しく伝われり.孔子は五常を宣べ,是れを儒教の本祖と為す.老子は虚無に帰し,荘子は自然を説く.この二聖同じく道家と称す.皆な是心を和して悪を防ぎ,至道の哢胤と為す.然れども人執を破せざるが故に,三界を免れず.如来新医は,正しく出世道を教え,漸くその執をい,一心の門に入らしむ.(15裏6–16裏1)

 仏が出てくる前は,中国には,儒教の孔子,道家の老子,荘子等がいて心を穏やかにし悪を防いで至道の道筋としたが,彼等は人の執著を破すことができないので,三界を免れず,仏教こそが,正しい出家道を教えて執著を取り除いて一心の門に入らせることができると,仏教が儒教・道教より根本的に勝ることをいう.

 これ以降は,仏教の一心の門の具体的な説明になる.

小乗の法執,報土を隔つと雖も,涅槃の時至れば,仏為に身を現し,無上道を示して,同じく菩薩の位に契う.方等には仮をび,般若には空を説き,法華は実を明かす.迹門の初め,十如是を説いて,妙境を顕し,衆生の心地に於いて,仏の知見を開示す.仏の知見を以って,妙境に悟入する,是れ出世の本懐なり.既に本心に契えば,諸仏と一例なり.仏は早く得道し,本覚の性に同ず.始覚の果無きが故に,始無く終無し,是れ本門の大意なり.本迹高く広く,唯己心の中に在り.浄心に之を見れば,聖応遠からず.(16裏1–17表6)

五時教判の順に,小乗,方等,般若,法華と進み各々を説明する(華厳は冒頭で説明済み).法華では迹門の初めに衆生の心地で仏知見を開示し,妙境に悟り入ることが出世の本意であるという.そして,仏は即座に得道し本覚を得るが,これが本門のおおよその意味で,本迹共に高きも広きもただ己の心の中にあるのだという.全ては己の心の中というのが重要なのであろう.

次にこの心について具体的に述べる.

又た法愛を離れ,浄縛を蒙ること莫れ.涅槃は遺属し,遍く仏性を示す.是れ無縁の知を指す.真言の秘説は,阿字を門と為す.即ち無相の本心なり.直ちに本不生際に契い,衆教の頂に在り.華厳の法界は,又た唯心の妙理を出でず.釈論の十識は,第八の上に談ず.終に一心の体用を明かす.法相の三性は,真妄二心を顕す.三論は八不を観じて,無相の心に契う.禅門宗は,仏々祖々,心を以て心を伝う.不立文字,是れ文字の相離せるなり.正語を以て心を指し,心を得て詞を忘る.心に依りて仏を求め,仏を得て心を忘る.心はこれ名,その体は即ち知なり.心の何物かを知るは,即ち妙境を知る.妙境はこれ仏の真体,即さず離れず.知は是れ仏の用,衆徳此れより成じ,知は性浄の理をくして顕る.此の理は無相に依りて有り.無相は本空なれば,知も亦無所得なり.所得無きを以ての故に,無上菩提を得.是れ即ち顕密の肝心,之を離れて別の体無し.(17表6–18裏5)

 涅槃で示す仏性は「知」を指し,真言の秘説は阿字の入り口つまり無相の本心で,華厳の法界は唯心の妙理であり,『釈摩訶衍論』の十識は第八識のさらに上を語り最終的に一心の体と用を明らかにし,法相の三性は真妄の二心を顕し,三論は八不中道を観じて無相の心に通じるという.各々の教義の特徴をいうが,涅槃の知の他は全て「心」について述べている.禅宗は詳しく説明する.禅宗は仏から仏,祖師から祖師へと心で心を伝え,文字を立てずに文字から離れる,正しい語で心を指すが,心を得れば言葉を忘れる,あるいは心で仏を求めて仏を得ればその心を忘れるという.そして,心というのはその名前であり,その本体は「知」であるのだという.

 心の本体が知であるというのは,例えば『禅源諸詮集都序』の下記の記述に基づく.

空寂の心は,霊知不昧なり,即ち此の空寂の知.是れ汝の真性にして,迷に任せ悟に任せて,心本より自ら知なり.(大正48, 402c–403a)

さらに知について詳しく説明し,知の道理は無相によってあり,無相がもともと空であるから知もまた無所得であり,所得がないので無上菩提を得ることが出来るという.そして,この知は顕密仏教の最も大事なことで,この知を離れて別の本体はないという.

 つまり,諸教の肝要である心の本体は知であり,その知があらゆる教え,顕密の最も大切なことであるという.ここでは,知を根源に据えてあらゆる仏教の教えを一つの方向へまとめていこうという指向が窺い知れる.

 このような無念の知見を悟れば,諸々の縁が一挙に寂滅するが,

未だ眼に見ずと雖も,既に心に見ること了々なり,道に於いて勇有り.(19裏2–19裏3)

 この知の道理を実際に眼に見なくとも,心に見ているのは明らかであるので,思いきりよく道を進められるという.

又た因果,邪智執慢を撥せず,何に因てか生ぜんや.(19裏3–19裏4)

因果や邪智,執慢を取り除くことができないとき,どうして知の道理を見ることができようか,つまりいかなる修行をすべきかという問いに対しては,

是れを深般若を行ずと為す,亦た一行三昧と名づく.即ち如来清浄禅と念仏定とは相応す.(19裏5–19裏7)

 深い般若行を行うようにという.それは一行三昧と呼ぶものであるが,この一行三昧は,如来清浄禅と念仏定が相応じることになるという.

ここは,古瀬・石井が共に指摘するように,以下の『禅源諸詮集都序』が元であると考えられる4

若し自心の本来清浄にして,元より煩悩無く,無漏智性,本より自ら具足し,此の心は即ち仏にして,畢竟異なること無しと頓悟し,此の如く修せば,亦た如来清浄禅と名づけ,亦た一行三昧と名づけ,亦た真如三昧と名づく,此れは是れ一切三昧の根本なり.若し能く念念に修習すれば,自然に漸に百千三昧を得ん.達磨の門下の展転して相伝せる者は,此れは是れ禅なり.(大正48, 399b)

 冒頭部分も考え合わせると,本書は宗密の説く禅宗の捉え方がベースにあることは明らであろう5

これは興味深いことである.今まで,日本中世禅の諸本で,禅思想の根源を知(霊知)と捉える際には,あらゆる教義や思想を一心にまとめる『宗鏡録』に依拠し,一心=知と措定する方法のみが知られていたからである.本書に『宗鏡録』の引用はないようなので,全編にわたる知は,荷沢宗の空寂,無念である知(霊知)を評価する宗密に依拠することになる.

一行三昧は,古瀬が小林圓照の研究を元に指摘しているように6,『文殊師利般若経』に法界の平等一相を感じる三昧とあり,『起信論』,『菩提達摩南宗定是非論』,『六祖壇経』,『禅源諸詮集都序』等の禅宗系と『讃阿弥陀仏偈』,『安楽集』,『往生礼讃』等の浄土教系の両方で使われてきた背景がある.ここでは禅浄一致を示す言葉として使われている.

2.2. 浄土教への言及

この後は今までの知を中心とする内容と異なり,禅と浄土教の話になる.

誠に是れ浄土菩提の妙因,長生不死の要術なり.久しからずして遍く利を成ぜん.十方の諸仏,一切の賢聖,天神・地府,只此の人を擁護す.何を以っての故に.是れ仏国の太子たるが故に.此の要節の外,又た何をか求めんや.譬えば王種の唯帝位を期し余の希望無きが如し.又た此の法に入る人は,仏道を成ずるのみに非ず.又た能く国を治めて家を持ち,身心調和なり,道俗誰か帰せざる者ならんや.仏子,人身を受け,又た聖教に遇うことを得,遺法の弟子と為り,名を仮り衣を染む.破戒の過を恐れると雖も,猶習教の志を憑む.数輩の知識を尋ね,其の大旨を学び,仏祖の教説を披き,心の理と相応す.常に坐禅を好み,諸念を消落し,深く無常を観じて,放逸に随わず,三心具足して,自ら虚仮を離れ,専ら本尊を念じ,証と為し救と為す.法界に慈みを覆い,その不覚を愍れみ,分に随い徳を敷き,真に広済を期す.是れ則ち宿善の追う所,歓喜余り有り.然れども自らの疾未だ除かず,速やかに説き難きなり.若し有縁に遇わば,又た黙を守ること能わず.願わくは諸聖加被して,浄心を成就したまえ.(19裏7–21裏2)

 深般若行あるいは一行三昧というのは,皇太子や王種のような者のためのものでもあること,その法に入る人は仏道を成じるだけでなく国を治め身心を調和させる人で,道俗共に帰依し,聖俗に跨がる教えであることをいう.たまたま教えを学ぶことになった者が,いつも坐禅を好んで諸々の雑念を消し落し,深く無常を観察して,三心を具足して本尊を念じるというのは,分かりにくいが,行としての禅浄一致を示すと思われる.

この後,「或云」という表現で,一つは念仏,もう一つは禅についての記述を付す.

まず,

真如仏性,本来不変,凡聖同じく備えて,修治待つこと無し.煩悩惑業,性相空寂なり.本不生に達せば,心念起こること莫し.一切の聖人,皆悉く此の義に契うが故に,説法利生し,終に理と相応す.種々の方便を仮ると雖も,心の悟りを本と為す.念仏往生とは,則ち方便の一門なり.発菩提心の上に,三心具足して,専ら仏名を称念するを,決定往生の業と為す,疑う可からざるのみ.(22表2–22裏3)

 (知であるところの)本不生に達し,心の悟りを得ることが一番であるが,念仏往生も方便としてその一門であるという.方便としての一門という言い方からは,念仏がやや劣るという印象を受ける.菩提心を発し,三心を具足して,仏の名を称えて念ずるのが往生を決定する行であるという.

その後,念仏定と一行三昧に関する四つの問答が続くが,第一問に,

問う,諸仏猶お念仏したまうや否や.答う,十方三世の如来,皆悉く三身を円満し,四土を具足す.念々照了して,切那も隔てず.是れ豈に甚深の念仏定に非ずや.正に是れ一行三昧の源,甚深の法界に游ぶなり.自他の急務,何事か之に如かんや.この故に四依弘経,皆,之に順ずるなり.(22裏4–23表4)

 諸々の仏たちが念仏するのか,という問いに対し,十方の三世にわたる如来が全て法・報・応の三身を円満にし,凡聖同居土,方便有余土,実報無障礙土,常寂光土の四土を具え,一念一念を照らして悟り,一瞬たりとも途切れることなく非常に深い念仏定,一行三昧の源を行っていると答える.これは勿論,天台浄土教の立場からの答えであるが,例えば弁長は『念仏名義集』巻上で,

浄土ノ法門モ区ニ替リ候也.其ノ故ハ衆生ノ心不同ニシテ其ノ願ヒ一ニ非ズ.故ニ仏ハ一切衆生ノ其ノ心品相替レルヲ御覧シテ,品品ノ法ヲ説キ給ヘリ.薬師仏ニ志シ有リト御覧スル衆生ノタメニハ薬師経ヲ説キ,地蔵菩薩ニ志シ有リト御覧スル衆生ノタメニハ地蔵経ヲ説キ,(中略)加様ニ衆生ノ志ノ趣ニ随テ仏ケ法ヲ説キ玉フ中ニ,今此ノ極楽ヲ願フ人ノタメニハ阿弥陀経ヲ説テ念仏往生ノ義ヲ示シタマフト也.(『浄土宗全書』10, 365)

 仏は薬師仏に志がある衆生には薬師経を,地蔵菩薩に志がある衆生には地蔵経を,極楽を願う人のためには阿弥陀経を説いて,念仏による往生の意義を示すとし,浄土の法門は一つではなく,諸仏があり,様々な浄土が存在することを述べる7

あらゆる教えが浄土の法門であるという点において,『法門大綱』の「十方三世の如来〜皆,之れに順ずるなり」と『念仏名義集』は同じことを述べていると言うことができるのではないか.

また,弁長は三心・五念門・四修・三種行儀のすべてが称名念仏一行の相続のうちに具足し,実践されていくことを結帰一行三昧とする(『末代念仏授手印』).

鎮西派が他派や天台浄土教と親和性を求めたこともあるが,本書では天台浄土教について述べるものの,鎮西派と繋がることを指向した可能性もあろう.

 もう一つの「或云」は,禅に関するものである.

或は云く,達磨大師,始め嵩山少林寺小室に於いて面壁して坐し,壁を以て諸縁を断ず.九載機を待ち,終に恵可禅師を得.又た云く,小室吟詠,六時行道,是れは修行に非ず.時々化度の縁を念じ,調身の方法を示す,是れを行道と云う.吟詠とは,慈悲の念を覆い,運載の旨を起こし,更に無所得なり.(24裏1–25表1)

 菩提達磨は面壁九年の後,恵可に法を伝えた.部屋での吟詠,六時の行道は修行ではなく,教化したり,正しい坐禅を示すのが修行であり,吟詠は慈悲の念を覆いかぶさっていて衆生を導く志を起こすも無所得であるという.

 禅の修行における利他の重要性を言っていよう.

 以上,14丁表~25丁表まで(前半)をみてきた.内容をまとめると,宗密の禅宗の見解に基づき,仏が教えを説き最後に心を伝え,それが達磨に受け継がれたが,その心である空寂の理は霊知(知)であり,知は顕密の肝心でありこの他に別の体はなく,これを得るための修行として般若行つまり禅と念仏定が相応する一行三昧を行うべきであるとし,禅浄一致の立場をとっているといえよう.

25丁裏~36丁裏まで(後半)

2.3. 経典の引用・解釈を中心に

 ここから最後までは経典の引用と解釈等の短文が次々と続く.これらの短文の寄せ集めがいかなる意味合いを持つのか考えるとき,空寂である知がその根幹にあるとすると,捉えることができる.

まず『金剛経』に関する二つの短文である.『金剛経』の「応無所住而生其心」はまさしく知の性質である空を表すが,

応に住する所無くして其の心を生ずべし.『金剛経』

退後せよ退後せよ,看よ看よ,頑石動くなり.頌に曰く,山堂に静夜坐して言無く,寂々寥々本より自然なり.何事か西風林野を動かす,一声の寒雁長天に唳く.(25裏1–25裏4)

 山堂にて静かな夜に無言で坐れば,寂寥の有り様は空そのものであるということである.続いて同じく『金剛経』の釈だが,

金剛経に云く,応に住する所無くして其の心を生ずべし,と.

釈して云く,無所住とは,畢竟無心なり.其の心を生ずとは,無念の真知,理自ら照らすなり.(25裏1–25裏4)

 無所住とは無心のことで,それを生じるのは無念の真知が照らすことであるという.

次は『起信論』からも空について引用する.

起信論に云く,若し動心を知らば,即ち生滅無く,即ち真如の門に入るを得,と.

動心は妄念に依る.妄の体は本空なり.故に不生滅なり.無生の恵,則ち真際に達するなり.(25裏5–26表3)

 妄念の本体が空であり不生滅であることが分かれば,真如門に入ることができるという.

 次は,「菩提達磨云」で始まるが,典拠不詳である.

菩提達磨云く,仏を見んと欲せば,先づ心を悟れ.既に仏を見已れば,即ち心を忘る.譬えば魚を求める者の,先ず水を見已れば,魚を見已り水を忘るるが如し.仏は真に了知す.此の知は心従り生ず.故に先づ此の心を悟れば,既に真の念を得.心の相を取ること無くして,法界一味分別す可からず,云々.(26表4–26裏3)

 菩提達磨が,仏を見たいならばまず心を悟るべきである.何故ならば仏は本当に知を分かっているが,この知は心から生じるから,この心を悟れば既に本当の心の動きを得たようなもので,心の姿をはかり知ることなく,法界を理解できない,と言ったという.ここでは,菩提達磨が,仏は心から生じる知を分かっていたことを言う.

 次の「制心一所,無事不弁」は『摩訶止観』(元は『遺教経』)を典拠とする.

天台に云く,心を一所に制せば,事の弁ぜざるは無し,と.

一所に制すとは,散を摂して覚定す.定心明了ならば,一切処に遍じ,縁に随して物に任せ,平等に恩を受く.是れを事の弁ぜざるは無しと云うなり.(26裏5–27表3)

解釈として,心がはっきりと定まれば,一切の所に遍くし,縁に伴って任せるままになり,平等に恩を受けるというが,止観で空観を得たあり様を言っていよう.

次は天台五会念仏の祖である法照である.

五台山文殊授法照禅師偈に云く,諸法は唯心の造,了心不可得なり.常に此れに依りて修行す,是を真実相と名づく,と.

十界は依正の名,諸法は是れ法の本なり.心の分別に依ること無く,心性は常に有り.空を空じて成ずるが故に,不可得を実相と為すなり.唯だ実相を知れば心は所得無し.是れ順理発心なり.此の発心に依りて,専ら西方尊を念じ,出離するが大要なり.此の故に大聖機を鑑み,直ちに要路を示し,以て遐代に及ぶのみ.(27表5–28表1)

法照の偈で,諸法はただ心が造り,心は得ることができないというが,空を空として成じるので,不可得を実相とする.だから実相は心の無所得であり,これが順理発心で,これによって専ら阿弥陀仏を念じるのは出離の肝要であるという.順理発心は源信が『往生要集』で,四弘誓願のことを順理発心とし,菩提心として最上と位置付けている8.心の実相が空で,これが順理発心であるので,この順理発心が知に通じるということになる.禅浄一致の一例であろう.

 次はインドの国王と第二十七祖般若多羅の対話である.

或るが云く,伝灯録か9.之を検ずべし. 東印土国王,斎の次,二十七祖に問う,諸人は経を看る,唯だ師のみ看ず.祖曰わく,貧道出る息万縁を渉らず,入る息陰界に居せず.常に是の如く経を転ずること百千万巻なり.(28表3–28表7)

インドで国王が食事の際に,般若多羅に何故,経を看ないのか尋ねると,般若多羅は,自分は吐く息は世間の諸縁によらず,吸う息も人間界にはなく,いつもこのように百千万巻もの経を転読するという.これは呼吸を観察していることが,経典を転じていることだということで,その境地が空であるというのではないだろうか.

次は,『圓悟仏果禅師語録』に基づく.

祖師云く,教外別行,単伝心印.不立文字,不仮方便,直指人心,見性成仏,と. 又た云く,不立階梯,不生知見,と.又た云く,即心是仏,非仏非心,と.之を見るべし.(28裏1–28裏8)

祖師は圜悟克勤のことで,これは『圓悟語録』の

之れを教外別行,単伝心印と謂う.金色老子以来的的綿綿す.只直指人心,見性成仏を論ず.階梯を立てず,知見を生ぜず.(大正47, 809c)

及び

即心即仏の若きは,正しく頭上に頭を安んずるが如し.更に非仏非心と言ふは,大いに漚を撥して火を覓むるに似る.二見を超出して中間に墮ちず.浄裸裸無遺,赤灑灑全露.是の故に古人道う,霊源不昧万古徽猷.此の門に入り来たるに知解を存ずること莫れ.這裏に到らば纖毫も立てず遍界も蔵めず.万派朝宗千差同轍.(大正47, 726a)

が元である10

前半は釈迦より伝わってきたとする禅の常套句を述べる.後半は,『圓悟語録』に基づけば即心即仏は頭の上に頭を置くようなこと,非仏非心は火を求めて泡をはねるようなことで,この二つの見解をとびこえて中間に堕ちることはなく,むき出しのままで全て現われているが,この突出し全てがむき出しという在り方が,空寂である知に通じるというのであろう.

 次は日本天台に於ける禅の伝灯を述べる.

伝教大師,始め大安寺の行表和尚に随い禅法を受く.和尚は,北宗の流,大唐先福寺道璿和尚の弟子なり.大師御入唐の時,重ねて天台山禅林寺の翛然に遇う.伝法血脈,并びに牛頭山の法門等,叡山の蔵に安置す,云々.慈覚大師の将来記に云く,曹渓山大六祖恵能大師説見性頓教直了成仏決定無疑法宝記壇経一巻.門人法海訳,と.智証大師の将来記に云く,曹渓能大師壇経一巻,と.達磨宗系図,同じく之を渡す.(29表1–29裏6)

禅の歴史が最澄より始まり北宗禅や牛頭宗を承けたことも含めて,円仁,円珍と継承されてきたことをいう.『六祖壇経』は円仁・円珍共に将来したと述べるが,『六祖壇経』が『金剛般若経』を重んじることは,本書が空を重視していることに繋がろう.

この後,中欠があり,「坐禅儀」が途中から三丁にわたり記述される.ここでは内容には詳しく触れないが,石井が指摘するように,内容的にはいわゆる『天台小止観』を踏まえたもののようである11.奥書にはこの部分の伝承を示す以下の記述がある.

淳熈十六年孟夏月望日,謹録.

建久五年五月廿三日,日本僧直念入宋し,始めに明州延慶寺に到る.然して後に天台本院の国清寺に参じ,此の寺の壁上に此の文を書く.則ち壁下にて之を写し取る.時に宋の慶元々年乙卯二月廿五日.(32裏1–32裏7)

 直念という入宋天台僧が天台山国清寺にて,「坐禅儀」を写し取ったとある.国清寺は禅宗の影響が大きく,中国でも天台宗と禅との結びつきが強いことを強調していよう.

 引き続き如々居士の「坐禅儀」の一部が入る.これは真福寺聖教調査に於ける達磨宗の新発見史料である『禅家説』の内容と重なる12.本書と達磨宗の直接的な関係は分からないが興味深いことである.

2.4. 道元の著作からの引用

最後のひとまとまりである33丁裏–36裏3は,石井による大きな発見であったが,道元の『真字正法眼蔵』からの古則三則及び『正法眼蔵』「坐禅箴」の引用である13

色を見て心を明かす 福州霊雲志勤禅師,因みに桃花を見て悟道す.有頌して云く,三十年来尋剣の客なり.幾回か葉落ち又た枝を抽く.一たび桃花を見てより後,直に如今に至りて更に疑わず.潙山に挙似す.山云く,縁より入る者は,永く退失せず.汝善く護持すべし.玄沙聞いて云く,諦当,甚諦当,敢保すらくは,老兄,猶お未だ徹せざること在り.(33裏1–34表6)

「色を見て心を明かす」の題は本書の作者によるが,霊雲が桃の花を見て悟りを開いたことを示している.ここではその悟りそのものを知と捉えていると考えられる.

声を聞いて道を悟る 香厳寺襲灯大師,武当山に入り忠国師の旧庵の基に卓庵して住す.棄礫竹を撃ちて響を作す,忽然として大悟す.有頌して云く,一撃にして知る所,更に修治を仮らず.動容に古路を揚げ,悄然の機に堕せず.処々に蹤跡無く,声色外の威儀なり.(34裏1–35表2)

 同様に「声を聞いて道を悟る」の題より,香厳が瓦礫が竹に当たって響く音を聞いて悟りを開いた悟りの瞬間そのものを知と捉えているといえよう.

雪峰山の畔に,一僧有りて卓庵す.多年剃頭せず.自ら一柄の木杓を作りて,渓辺に去きて水を滔んで喫す.時に僧有りて問う,如是なるか是れ,祖師西来意,と.菴主云く,渓深く杓柄長し,と.僧帰りて雪峰に挙似す.峰云く,また甚だ奇怪なり,云々.(35表4–35裏3)

 この古則は内容が省略されているが,元は雪峰義存と庵主の二人の相見を仏と仏のみ理解できる覚りの境地であるとする話頭であり,その相見を知として捉えていると考えてよいかと思う.

最後の宏智正覚の「坐禅箴」は,石井によれば,明らかな別筆であるという14

坐禅箴 仏仏の要機,祖祖の機要.事に触れずして知り,縁に対せずして照らす.事に触れずして知る,その知自ら微なり.縁に対せずして照らす,その照自ら妙なり.その知自ら微なるは,曾て分別の思無し.その照自ら妙なるは,曾て毫忽の兆無し.曾て分別の思無くして,その知無偶にして奇なり.曾て毫忽の兆無くして,その照取ること無くして了す.水清くして底に徹す,魚の行くこと遅々たり.空闊くして涯り莫ければ,鳥の飛ぶこと杳々たり. 右大宋太白山勅諡宏智禅師述(36表1–36裏3)

仏祖のもっとも肝心なことは,事に触れずに知ること,縁に対さないで照らすことである.その知は微か,その照は妙で,その微かな知は分別しようとはしないが類なく不可思議で,その妙なる照は毛筋ほどの兆しすら無いが,その照は捉えることができない,そういう知や照の有りようが空なる知であると考えるのであろう.ここで知の箇所が取り上げられているのは注目すべきである.

道元が「弁道話」において強く霊知批判を行ったのは知られるが,『正法眼蔵』「坐禅箴」で,「知」について以下のように解説している.

事に触れずして知る知は覚知にあらず.覚知は小量なり.了知の知にあらず.了知は造作なり.かるがゆえに知は不触事なり.不触事は知なり.遍知と度量すべからず.自知と局量すべからず.その不触事というは,明頭来明頭打,暗頭来暗頭打なり.坐破嬢生皮なり.(大正82, 120a) (現代語訳:物事に触れないで知る知は覚知ではない.覚知はわずかな量である.了知の知ではない.了知とすれば造作になる.であるから知は物事に触れることは無い.物事に触れないのが知なのである.遍き知であると量ってはならないし,自ずからの知と限定してはいけない.事に触れないというのは,明らかに来る時は明らかに打ち返し、ひそかに来る時はひそかに打ち返す.坐して親からもらった身体を破るのである.)

この箇所では,直接霊知(知)批判を行っているわけではないが,はっきりと知を実体視することへの批判が込められている.

もう一箇所は以下である.

その知ること自ら微なるは,曾て分別なくしてこれを思えばなり.思の知なるかならずしも他力をからず.その知は形なり.形は山河なり.この山河は微なり.この微は妙なり.使用するに活鱍鱍なり.龍を作するに,禹門の内外にかかわれず.いまの一知わずかに使用するは,尽界山河を拈来し,盡力して知するなり.山河の親切にわが知なくば一知半解あるべからず.分別思量のおそく来到するとなげくべからず.已に曾て分別なる仏仏,すでに現成しきたれり.曾て無きは已に曾てなり.已曾は現成なり.しかあればすなわち曾て無分別は,一人に逢わざるなり.(大正82, 120a) (現代語訳:知ることが自ら微であるのは,曾て分別がなくこれを思うからである.思が知であるにはかならずしも他の力を借りることはない.その知とは形である.形は山河である.この山河は微かである.この微は妙である.これを使えば生き生きする.龍を描くのに,禹門の内外にかかわることはない.いまの一知をわずかに使うというのは,この世界のあらゆる山河を捉えて,力を尽くして知るのである.山河の根本に自分の知がなければ一知も半解もありえないのである.分別する思量がそれより遅くやって来て捉えられていると嘆く必要はない.既に曾て分別した仏たちは,すでに仏となっている.曾て無いというのは已に曾てである.已に曾て分別していた方々は仏となっているのである.であるから,すなわち曾て分別の思いがないというのは,そんな人には逢わないということである.)

ここでも道元は知をまったく分別の思いがなく,あらゆる世界の山河を捉える流動的なものとして考え,知(霊知)を形而上にある絶対的な原理として実体化し,全てをそこに収斂しようとする態度とは反対であることが分かる.

時系列がはっきりできないので,詳しい状況は分からないが,ここでは,道元の掲げる禅思想を「知」に取り込もうとした形跡が明らかである.道元が霊知批判を強い態度で行った背景には,実際に道元と霊知(知)を悟りの極致として掲げる側との直接的な思想的相克があったと言えるのではないか.

3. 思想的考察

以上,全体をみてきた.本書の内容全体をまとめると以下になる.

14丁表~25丁表まで(前半)―仏が最後に心を伝え,その心が達磨に受け継がれた.その心,空寂の理の本体は霊知(知)である.この知は顕密の肝心であり,これを得るための修行として,般若行である一行三昧(禅と念仏定が相応する)を行う.禅浄一致の立場であるが禅がやや勝れる.

25丁裏~36丁裏まで(後半)―『金剛経』の引用と解釈(2点),『起信論』の引用と解釈,菩提達磨云の短文,『遺教経』(『摩訶止観』)の引用と解釈,法照禅師偈の引用と解釈,菩提多羅の説の引用,『圜悟語録』の引用,最澄以来の天台宗に於ける禅の伝灯,入宋天台僧直念が国清寺で写し取った「坐禅儀」,如々居士の「坐禅儀」の一部,真字『正法眼蔵』の引用の古則(三則),『正法眼蔵』坐禅箴の一部.

前半は,宗密の著作に基づき悟りの本体である知がいかなるものか説き,後半はその知の例証となる経典と解釈,及びこの知の禅思想に関連する日本天台の教義や歴史を示すと考えると全体像を捉えることができよう.

本書は宗密の著作,禅宗の見解に基づいて「知」を打ち出し,そこに諸教をまとめあげるのが特徴である.

釈迦から伝わる教えの心が禅の知であり,その知は涅槃の知,真言,華厳,『釈摩訶衍論』,法相,三論の心の体であって,つまり顕密の肝心に他ならず,浄土教もほぼそれに連なるとして,全ての仏教をその知に収斂する.そして,その空なる知——その知は『金剛経』,『起信論』の空であり,菩提達磨が言う知でもある——に智顗から始まり天台宗に受け継がれてきた止観,最澄以来の四種相承の一つである禅の伝灯,天台浄土教等の日本天台の物語を重ね合わせる.さらには,宋代禅の圜悟,道元禅という現在進行形の禅をも本来の意味を変えて,その知に収斂する.

知(霊知)を中心に掲げて一つにまとめていくというのは,『宗鏡録』の一心の依用により一心=知とし,その一心に一元化していくのが知られていたが15,『法門大綱』はあくまで宗密の著作・禅宗の見解に基づく「知」であり,ここでは『宗鏡録』(の一心)は関係ない.『宗鏡録』は院政期には知られていたが,『禅源諸詮集都序』が日本に伝わったのは鎌倉期に入ってからであり,宗密も明恵により広く知られるようになった可能性が高い16.一心を拠り所とする知ではなく,あくまでダイレクトに空なる知を打ち出すために,宗密に依ったのではないだろうか.

本書での知は悟りの極致であり,宗密が荷沢宗の禅思想の優れた特徴としてあげる空,空寂,無念といった概念を基とする.本書にて掲げられた新たな知は,禅思想という枠組みを超えた仏教全体の悟りの極致でもあり,より絶対的な方向へ向かうようにも思われる.

特に最後に道元の著作が引用されるのは興味深い.道元が「弁道話」で霊知批判を強く行ったのは,単なる批判だったのではない.一つ一つの行為そのものに悟りを追求し続け,悟りを実体視したり固定したものと捉えることを拒絶する道元と,形而上的な知(空)を掲げそれを悟りの極致とする側,あるいは,個々人がいかに悟りに向かうかを追求する道元と,全体をいかに悟りに向かわしめるかという方向を目指す側との間に,直接的な思想的対立があった可能性がある17

一番最後の「坐禅箴」は道元が尊敬する宏智正覚のものである.道元は坐禅の作法や行儀である坐禅儀よりも坐禅の意義を示す坐禅箴をより優れるとし,さらに仏祖の意思を伝える坐禅箴はこの宏智によるものだけであるともいう18.この部分が別筆であることの意味は注意深く扱わなければいけないが,対立に継続性があった可能性を示唆しよう.

著者であるが,本書は知を掲げる禅思想を中心とし,日本天台との関係を主としたものであり,13世紀中期頃までに禅に関心を持つ天台宗の僧侶(達)により著された可能性が高いと考える.筆者は最初,天台僧侶で禅を最上に優れた教えと考える者ということで,達磨宗関係者と考えた.しかし,古瀬の論考19により,当時,天台僧侶で達磨宗とは関わりなく禅宗を高く評価した者が多くいたことを知り,考えを改めた.ただ,如々居士の記述箇所は『禅家説』と同じ部分があることから,関連がある可能性もあるとはしたい.

本稿では,禅の悟りの概念としての知(霊知)が『宗鏡録』に依ってではなく,宗密の禅思想,著作により打ち出されたことを論じ,また道元との直接的な論争の可能性も指摘した.このことは,禅思想としての知(霊知)の概念が,強く主張されていたこと,ある程度広く行き渡っていた可能性を示していよう.

Footnotes

1 河村1974, 275–276,石井2017, 617–630,古瀬2016, 1–35.石井論文は経典の引用箇所を詳しく調べているので,本稿では特に必要のあるもの以外は記さない.

2 石井2017,620.

3 石井2017,621.

4 古瀬2016, 11.石井2017, 623.

5 石井は,『法門大綱』の禅門宗の部分は,宗密の『円覚経大疏釈義鈔』の「以心伝心者,是達磨大師之言也.因可和尚諮問,此法有何教典.大師答云,我法以心伝心,不立文字.謂,雖因師説,而不以文句為道.須忘詮得意,得意即是伝心」(続蔵14, 275左上)及び『禅源諸詮集都序』の「故前叙西域伝心,多兼経論,無異途也.但以此方迷心執文,以名為体故.達磨善巧,揀文伝心.標挙其名心是名也.黙示其体知是心也.喩以壁観如上所叙.令絶諸縁」(大正48, 405b3–5)に主張が近似していることも指摘する.(石井2017, 621–622)

6 古瀬2016, 9–10.小林1961.

7 末木1993.

8 「是故普於法界一切衆生,起大慈悲興四弘誓.是名順理発心.是最上菩提心,可見止観第一」(『往生要集』大正4, 48c–49a)

9 『景徳伝灯録』にはこの話はなく,『宗門統要集』巻一「般若多羅章」や『五灯会元』巻一「般若多羅章」を元にするようである(石井2017,625).また,道元の『正法眼蔵』巻五十二(仏経)にもこの話が見られる.「第二十七祖般若多羅尊者道ハク,貧道,出息不ハ二衆縁ニ一.入息不セ一蘊界ニ二.常ニ転ズル二如ク是ノ経ヲ一,百千万億巻.非ズ二但ダ一巻両巻ノミニ一.カクノゴトクノ祖師道ヲ聞取シテ,出息入息ノトコロニ転経セラルルコトヲ参学スベシ.転経ヲシルガゴトキハ,在経ノトコロヲシルベキナリ.能転所転転経経転ナルガユヱニ,悉知悉見ナルベキナリ」(大正82, 195a).道元は,この話を「出る息,吐く息のところに転経されることを学ぶべきで,この転経をよく知ることができれば,経のあるべきところを知ることができる.転じる転じられるとは,経を転じ,経が転じられるのであるから,よく知りよく見ることができる」と解釈する.本書の最後のところに繋がっていくことである.

10 石井2017, 625では「即心是仏,非心非仏」の引用元を『景徳伝灯録』巻六「馬祖道一章」の「僧問,和尚為什麼説即心是仏.師云,為止小児啼」とするが,本書は「非心非仏」ではなく,「非仏非心」であるのと「祖師(圜悟)云」とあるため,元は『景徳伝灯録』に基づくが,ここでは『圜悟語録』の引用と考えた方がよいと思われる.

11 石井2017,626.

12 石井2017,627.

13 石井2017,627–630.

14 石井2017,630.

15 拙論2004,和田2016等.

16 會谷2006参照.明恵の弟子の証定による『禅宗綱目』は華厳と禅の融会を試みるが,『禅源諸詮集都序』の影響が大きい.

17 末木文美士は,二者の相違を言語という観点から分けることを試みている.霊知(知)を措定する側が言語が到達できない悟りを知とする一方,道元はあくまでも言語にこだわったとする.(末木2021)

18 「坐禅箴ハ,大宋国慶元府大白名山天童景徳寺宏智禅師正覚和尚ノ撰セルノミ仏祖ナリ,坐禅箴ナリ.道ヒ得テ是ナリ.ヒトリ法界ノ表裏ニ光明ナリ,古今ノ仏祖ニ仏祖ナリ.前仏後仏,コノ箴ニ箴セラレモテユキ,今祖古祖,コノ箴ヨ現成スルナリ.カノ坐禅箴ハスナハチコレナリ」(『正法眼蔵』27巻「坐禅箴」大正82, 119c)

19 古瀬2020.

References
  • 石井修道2017「『百丈禅師広説・法門大綱』解題」中世禅籍叢刊編集委員会編『中世禅籍叢刊』第10巻,稀覯禅籍集,臨川書店,617–630.
  • 河村孝道1974「『法門大綱』解題」神奈川県立金沢文庫編『金沢文庫資料全書』仏典第1巻,禅籍篇,臨川書店,275–276.
  • 小林圓照1961「一行三昧私考―禅用語の研究についての一試論 その一」『禅学研究』51: 176–186.
  • 末木文美士1993「浄土教における寛容と非寛容」竹内整一・月本昭男編『宗教と寛容―異宗教・異文化間の対話に向けて』大明堂,75–95.
  • 末木文美士2021「中世禅の形成と知の交錯」榎本渉・亀山隆彦・米田真理子編『中世禅の知』臨川書店,9–34.
  • 會谷佳光2006「日本における『禅源諸詮集都序』の受容と出版」『日本漢文学研究』1: 25–51.
  • 高柳さつき2004「日本中世禅の見直し―聖一派を中心に」『思想』960: 107–123.
  • 古瀬珠水2016「称名寺所蔵『法門大綱』における禅門についての考察」『仙石山仏教学論集』8: 1–35.
  • 古瀬珠水2020「中世禅宗への他宗への反論―『法華問答正義抄』における禅宗側の人物について」『印度学仏教学研究』69(1): 102–107.
  • 和田有希子2016「『十宗要道記』解題」『中世禅籍叢刊』第4巻,聖一派,臨川書店,579–594.
 
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