2024 年 24 巻 p. 77-104
仏典においては,宿善をめぐる多くの言及が見られる.宿善とは,これまで過去世で蓄えてきた善根を指す1.浄土教関係の典籍では,特に極楽往生との関係をめぐって,宿善についての種々の議論を行っている.例えば,伝智顗『浄土十疑論』「第八疑」2では,『観無量寿経』3(以下『観経』)に説く下品下生者(五逆人)が,臨終の十念のみで往生することを論証するために,宿善について言及している.
それに対して,下品下生者に限らず,総じて西方浄土を目指す行者には,往生するために宿善がどの程度必要なのかという問題をめぐる議論も存在する.これまでの研究では,特にこの問題に関する法然門下の言説に注目されることが多い4.しかしながら,院政期の珍海(1091–1152)『決定往生集』5(1142)でも,この問題について詳細に論じている.また第三節に後述するように,『決定往生集』における宿善をめぐる見解(宿善観)には,それ以前の言説に対する重要な特徴があると思われる.
珍海の宿善観に関しては,これまで以下のような研究が行われてきた.坂上雅翁氏は,珍海が,西方の行者には必ず宿善が具わっていると説き,宿善を強調したと指摘する6.佐々木覚爾氏は,珍海が良源『九品往生義』や,源信『往生要集』などの天台系の文献の影響を受けて,現世の行業そのものに意義を見て,自重的努力を勧めたと述べている7.近年,服部純啓氏は,珍海が懐感『釈浄土群疑論』(以下『群疑論』)を踏まえて行う記述と,『群疑論』自体との詳細な比較検討を行っている8.服部氏は,珍海が「『観経』下品下生に説かれるような,「善知識に遇い,十念具足する人々」には宿善が具わっているから往生が可能であること」を説いたと述べ,珍海の宿善観は「宿善→聞教・発願等(願)→念仏(行)=決定往生(即得往生)という往生を願うから念仏修行をするという構造」であると指摘している.
以上のように先学は,珍海が宿善を論ずる際に,懐感の説を受容したことや,宿善や現世の行業を重視したことなどについて,重要な指摘を行っている9.ただしこれまでの研究では,珍海以外の言説があまり参照されておらず,珍海の宿善理解の他に対する特徴や,その背景などについては明らかになっていないと思われる.唯一,佐々木氏のみが,良源や源信などの宿善観も参照して考察を行っている.しかし源信らは,主に下品下生者の宿善についてのみ言及しており,総じて極楽往生を願う者にはどのくらいの宿善が必要なのかということを論じているわけではない.第三節に述べるように,これまで注目されていないが,この問題に関する珍海以前の言説として,三生往生説10や永観『往生拾因』の議論などがある.珍海の宿善観の特徴を解明するためには,これらと比較しつつ考察する必要があると思われる.
小稿では,珍海以前の言説を参照しつつ,『決定往生集』の記述を検討し,珍海の宿善観にはいかなる独自性があるか,またその背景には何があったのかということについて明らかにしたい.
2.1.『西方要決釈疑通規』など
珍海の宿善観を考察するに先立ち,『決定往生集』以前の言説を確認しておきたい.宿善と極楽往生に関する言及は,中国,新羅,日本のいくつかの文献に見られる.例えば,伝基『西方要決釈疑通規』11(以下『西方要決』)には,次のような記述がある.以下,引用文には私に下線や記号を付す.
❶ 『西方要決』
第九弥陀経云,不レ可下以二少善根福徳因縁一,得レ生中彼国上.疑曰,浄土往生,要須二大善一.具行二諸業一,方可二往生一.但空念仏,如何生レ彼.通曰,夫論二善根多少一,只約二念仏一以明.過去無二宿善縁一,今生不レ聞二仏号一,但今得レ聞二浄土一,専心念仏.即是過去善因.想二念西方一,方能決至,此為二大善根一也.雖レ聞二弥陀浄土一,発意願生,進退未レ恒,心不二決定一,判為二少善一.不レ生二浄土一也.
過去の「宿善縁」がなければ,今生に仏号を聞くことすらできないのだから,今浄土の教えを聞いて「専心念仏」できているならば,それは「過去善因」のゆえであるという.すなわち『西方要決』では,過去の善根が十分にあるからこそ,現世でその利益を受け,仏道修行に励むことができるという理解を示している.
これに関連する記述は,諸経典に見出すことができる.例えば『無量寿経』巻下12には,以下のように説かれている.
➋ 『無量寿経』巻下
若人無二善本一,不レ得レ聞二此経一,清浄有レ戒者,乃獲レ聞二正法一.曽更見二世尊一,則能信二此事一,謙敬聞奉行,踊躍大歓喜.
「善本」がなければ,「此経」を聞くことができず,その逆に持戒などの善行を行っていたならば,正法を聞くことを得るという.また,『称讃浄土仏摂受経』13などにも関連する記述がある.❶『西方要決』では,これらの経典に即した説を示しているといえよう.
ただし❶では,あくまで念仏が大善根であることについて論じている.そのため❶では,「宿善縁」について言及してはいるものの,総じて極楽を目指す行者において宿善と往生はどのように関わるのかということを問題にし,詳細に議論を行っているわけではない.このような傾向は『西方要決』に限らず,その他の中国,新羅の文献でも同様である14.中国や新羅では,行者の具える宿善と往生との関わりについて,あまり注目されていなかったと考えられる.
これに対して日本においては,平安中期頃から,総じて往生人にはどの程度の宿善が必要かということに関する見解が示されるようになる.それが,次節に見る三生往生説と永観の著述である.
2.2.三生往生説―禅瑜『阿弥陀新十疑』など―
すでに先学が指摘するように15,平安中期には良源や禅瑜などの著述に基づいて,三生往生説が広まっていた.三生往生説とは,往生人は生を繰り返して善根をため,三生以内に往生を遂げる,すなわち二生目ないし三生目に往生するという見解である.
三生往生説は,宿善そのものを主題として論ずるものではないが,そこには宿善と往生との関係をめぐる一つの理解が示されていると考えられる.本節では,三生往生説が成立する起点となった,禅瑜『阿弥陀新十疑』「第一疑」の記述を確認したい.該当箇所16を以下に掲げる.
❸ 『阿弥陀新十疑』「第一疑」
(A)第一疑云,衆生之機,皆有二種熟脱之三時一.往生極楽之行,亦可レ然.而説二九品往生一之中,及以所所経論,悉説二弥陀迎接之旨一.是既得脱之時,順次之生也.何故不レ説二種熟二時一耶.(B)答.種熟脱之三時,往生極楽之人,何不レ具.而不レ説者,蓋略也.(中略)(C)又初生下種,第二生純熟,第三生欲レ遂二往生願一之人,豈更造二十悪五逆一.
まず(A)では,「衆生之機」には「種熟脱」の三時があり,往生極楽の行に関してもそうであるはずだが,なぜ経典には「種熟」の二時を説いていないのかと問う.この問いに対して(B)では,(A)で言われるように,往生人も「種熟脱」の過程を経るのであり,経典ではそれを略しているだけだと答える.(C)では,初生に「下種」,第二生に「純熟」,第三生に往生の願いを遂げるという,往生人の初生から第三生までの過程を述べている.このような禅瑜の理解は,天台の三生成仏説を受けて独自に構築されたものである17.
もっとも❸では,往生人が総じて「種熟脱」の三時を経るということを示すのみであり,必ず三生以内に往生できるということや,その意義について積極的に主張しているわけではない.しかしながら,この禅瑜の著述をもとに,どのような行者でも三生以内には往生できるという三生往生説が,しだいに確立していくこととなったと考えられる.
平安期の文献からは,三生往生説が当時において広まっていたことが窺える.例えば『楞厳院二十五三昧過去帳』18には,順次生でなく「二三生」でもなお速いとして,三生往生を願うという記述が見える.また明賢『誓願講式』19では,この生を終えた後すぐに往生することを第一に願いつつも,もしそれができないなら,現世の行業を「宿因」とし,「二生三生之内」で往生したいと述べている.
三生往生説は,行者が生を繰り返して善根を十分に蓄えて,それによってはじめて往生できると理解するものである.そのため,宿善という観点で捉えるならば,これは往生の獲得のために宿善を重んじる説だといえよう.
2.3.永観『往生拾因』
三生往生説以後に,宿善について言及する文献として,永観『往生拾因』「第一因」がある.該当箇所20を以下に掲げる.
❹ 『往生拾因』「第一因」
(D‐1)疑者云,如二前所一レ引,教理雖レ然,疑念難レ絶.是即非レ他,罪業之身,忽生二浄土一.(D‐2)仁所二疑執一罪業身者,為二過去業一,為二今生業一.若疑二宿業一者,何受二難レ受之人身一,又値二難レ値之仏法一.若有二重罪一,人身尚難,何況仏法.(E‐1)疑者云,雖レ有二重罪一,由二人業勝一,悪不レ能レ遮.人報已尽,苦果当レ受.(E‐2)今聞二仁疑一,返更増レ信.彼人趣業,悪尚不レ遮.何况浄土業.若疑二現業一者,造二五逆一者,具二足十念一,滅レ罪得レ往,何況余罪.(F‐1)疑者云,彼造逆者,由二宿善強一,臨二命終時一,遇二善知識一,具二足十念一,即得二往生一.(F‐2)又由二仁疑一,弥以増レ信.逆者十念,宿善尚強.何況一生不退念仏.故念仏三昧経云,若有二善男子・善女人一,聞二此念仏三昧名一者,当レ知,彼人非三唯二三四五如来所乃至無量阿僧祇如来所種二諸善根一,已過二無量阿僧祇一爾許如来所種二諸善根一,厚集二功徳一而獲レ聞二此三昧王名字少分一.何況受持読誦,如法修行,為二多人一説[略抄].
❹では,つの問答を行っている.(D)~(F)のつに分けて,それぞれを分析したい.
まず(D‐1)では「疑者」が,「罪業之身」である自身は「忽」ちに浄土に往生できるかどうかと問う.この問いに対して(D‐2)では,もし「宿業」を疑うのならば,どうして人身を受けて仏法に値遇することがあろうかと答える.すなわち永観は,今人身を受けて仏法に出会っている「」には,過去の重罪があるはずはないのだから,必ず往生できると主張するのである.
この問答を受けて(E‐1)では,今人身を受けているのは「人業」が重罪に勝っていたからだとして,今受けている「人報」が尽きたときには重罪の「苦果」を受けるはずではないかと問う.すなわち「疑者」は,たとえ現世で修行したとしても,過去世からの「重罪」を有する以上,今の人としての生が終わった際には,その報いを受けることになるという理解をしている21.それに対して(E‐2)では,(E‐1)で「疑者」自身が,「重罪」があるけれども,「人業」が勝れているために「人報」を受けることができたと述べたように,「人趣業」を悪業が遮すことはないのだから,今修する「浄土業」については言うまでもないと説く22.また(E‐2)では,もし「現業」を疑うのならば,五逆を犯した重罪人であっても,十念を具足して滅罪して往生を遂げることができるのだと,『観経』23の下品下生者についての記述に言及する.つまり永観は第二の問答(E)で,浄土往生のために修行すれば,罪業が過去の業であれ今生の業であれ,それが「浄土業」を遮すことはないのだから,今の人としての生を終えた後,必ず往生できるという理解を示すのである.
第三の問答(F)は,さきの第二の問答の最後に言及した,下品下生者の往生を起点として行われる.まず(F‐1)では,下品下生者は「宿善強」,すなわち多くの宿善があるからこそ,臨終に善知識に遇い,十念を具足して往生できるのではないかと問う.つまり「疑者」は,この私には下品下生者のような宿善がなく,そのためすぐには往生できるはずがないと理解しているのである.この問いに対して(F‐2)では,「逆者十念」は「宿善強」によって実現する,すなわち五逆人は多くの宿善を具えていたからこそ,臨終に十念を具足することができるのであり,そうであるならば「一生不退」の念仏を行う行者の宿善の大きさはいかばかりのものかと答える.また(F‐2)では,その証拠として,多くの諸仏のもとで諸々の善根を積んできたために,「此念仏三昧名」を聞くことができたという,『大方等大集経菩薩念仏三昧分』(以下『念仏三昧分』)巻九24の文を引く.
以上のように❹では,3つの問答を行っている.このうち重要なのは,第三の問答(F)で,宿善について言及していることである.(F‐2)では,「仁」のように一生涯の修行に励んでいるならば,臨終になってはじめて念仏実践ができる下品下生者よりも,さらに多くの宿善を有しているはずだと説く.つまり永観は,五逆人と対比する形で,行者の有する宿善の大きさを示しているのである25.
さきに見たように,❶『西方要決』などの中国の文献でも,宿善が多くあるために今生で行に励めるという理解を示していた.行者に対して,自身の宿善が大きいということに目を向けさせる『往生拾因』は,『西方要決』などを踏まえていると考えられる.永観は宿善という観点から議論を行うことで,重い罪業を有する者であっても,今世で修行を続けたならば,「忽」ちに浄土に往生できるということを証明しようとしたのであろう26.
もっとも永観は,次節に見る珍海ほどには,宿善に関して詳細に議論しているわけではない.しかしながら,すでに多くの宿善を具えているからこそ,すぐに往生できるのだと説く『往生拾因』は,珍海以前に宿善と往生をめぐる見解を明示した例と見ることができる27.
さきに取り上げた三生往生説は,生を繰り返して善根を十分にためて往生するという,往生のために宿善を重んじる立場だといえる.その一方で永観の説は,三生往生などには言及せず,今すでに多くの宿善を有しているため,「一生不退念仏」の後すぐに往生できるというものであり,この点で三生往生説とは相違する.しかしながら,宿善を十分に具えているからこそ往生は可能であるというように,往生のための宿善の存在を重視する点においては,三生往生説と『往生拾因』は共通しているといえる.
第三・四節に詳述するが,珍海の宿善観の特徴を考察する際には,『決定往生集』以前には三生往生説などのような,宿善を重んじる見解が広まっていたということは重要であると思われる.
珍海は『決定往生集』第四「種子決定」において,誰もが決定往生できる証拠の一つとして,「種子」についての議論を行っている.「種子決定」では,「種子決定者,此有二二義一」28と説き,中道仏性と宿善という二義を提示する.そのうち後者の宿善について,珍海は以下のように論じている29.
❺ 『決定往生集』第四「種子決定」
二者,西方行者,必有二宿善一.故双巻云,若人無二善本一,不レ得レ聞二此経一,清浄有レ戒者,乃獲レ聞二正法一.曽更見二仏世尊一,則能信二此事一.又念仏三昧経云,於二諸仏所一,久種二善根一,乃得レ聞二此三昧王名一[略抄].(中略)安養行者,宿善既大,其可二自愛一,努力莫レ軽.自知二宿福甚幸一,何疑二当来勝利一.
珍海は,『無量寿経』や『念仏三昧分』などをもとに,西方の行者にはすでに大いに宿善があると説く30.『無量寿経』は前掲の➋に当たり,『念仏三昧分』は『往生拾因』(F-2)に引く文と同じである.このような珍海の主張は,行者に対して自身の宿善の大きさに目を向けさせるという,さきに見た永観の説に即するものだといえよう.共通して『念仏三昧分』を引用することなどからも,珍海は宿善を論ずる際に,まず『往生拾因』を参照し,受容したと考えられる.
その一方で,珍海はこの後の箇所(後出❻❽)では,永観には見られない宿善観を示している.珍海はまず以下のように,宿善の有無をめぐって,四種の機類への言及を行う31.
❻ 『決定往生集』第四「種子決定」
問,(G)有下聞二西方浄土教門一,誹謗毀呰,而不二修行一,(H)或雖レ不レ謗,五欲纒レ心,不レ願中往生上.如レ是之類,豈有二宿善一.何言下必有二宿善一,乃得レ聞中浄土教上耶.答,(I)此二類人,聞如レ不レ聞,誠如レ所レ言,無レ有二善本一.而言レ有者,拠二信楽一耳[感師意也].更有二二類一.(J)一者,与二弥陀仏一,有二宿願縁一,聞二浄土教一,願二求浄土一,而復懈怠,更造二十悪一,或重病失レ心,或不レ逢二善友一,但是空願,未レ有二修行一.望二前二類一,有二遠生義一.経難説レ生,論師釈為二別時意趣一.(K)更有二一類一.煩悩軽微,願行具足,即得二往生一.
珍海は(G)(H)(J)(K)で,合計四種の機類を提示する.(I)で「感師意也」と述べているように,これは懐感の記述をもとにしている.『群疑論』の該当箇所32は以下の通りである.
❼ 『群疑論』巻二
問曰,若唯発願,是別時意者,如何別時意耶.答,仏以下衆生,煩悩熾盛,流二転生死一,沈二淪苦海一,無レ有中出期上,是以称二讃西方極楽世界,依正両報四種荘厳一,勧二諸衆生一,令レ生二浄土一.諸衆生類,雖レ聞二仏法一,障有二軽重一,悟有二浅深一,遂令二依レ教,勝劣差別一.(g)有二一類衆生一,雖レ聞二浄教一,誹謗毀呰,非二但不一レ生二西方一,亦自沈二淪悪道一.此全与二西方一遠也.(h)有二一類衆生一,雖下聞二浄教一,深信不上レ謗,五欲纒レ心,楽レ居二穢土一,亦不二発願一,亦不二修行一.此人修レ善,或生二人天一,或復造レ悪,沈二淪悪趣一.此人望レ生二西方一,亦為レ遠矣.(中略)(j)有二一類衆生一,与二阿弥陀仏一,宿願縁熟,聞レ説二浄土教門一,浄心信敬,発二弘誓願一,我往二生西方浄土一.更不レ願二求人天果報一.雖レ有二此願一,然此人,或以二煩悩因縁一,耽二著五欲一,或復懈怠放逸,不レ能二修道一,以レ遇二悪知識一,広造二十悪一.或復臨終時,不レ逢二善友一,或以三身嬰二重病一,狂乱失レ心,或復多日失レ意,不レ解二人語一,遂便空有二願言一,未三曽修二浄行一.雖レ不レ往二生浄土一,此願遠是生因.或由二発願勝力一,後必定能修行.(中略)方二前二類之人一,即有二遠生之義一.(中略)(k)又有二一類衆生一,善根深厚,煩悩軽微,逢二遇勝縁一,聴二聞浄教一,深生二浄信一,発レ願修行,臨終往生,具如二経説一.此是行願具足,即得二往生一.
ここで懐感は,懐感当時の別時意説,すなわち極楽往生は即時ではなく,あくまで遠い将来のことであるという批判に応える中で,「諸衆生類」を四つに分類している.第一は,(g)浄土の教えを聞いても誹謗し,悪道に沈む類であり,第二は,(h)浄土の教えを聞いて深く信じるけれども,往生を願わず修行もしない者である.第三は,(j)阿弥陀仏との過去世からの縁が熟するため,現世で「浄土教門」を聞いて往生を願うが,「煩悩因縁」のゆえに修行に励めずに「遠生」,すなわち次の生以後での往生を遂げる類である33.最後の第四は,(k)「善根深厚」であり「煩悩軽微」のゆえに,深く信じて修行して,すぐに往生する者である.❻『決定往生集』の(G)(H)(J)(K)は,それぞれ❼『群疑論』の(g)(h)(j)(k)に対応する.
❼では,別時意説を会通するために,すぐには往生できない第三の機類に比べて,第四の類は「即得往生」だということを明示しようとしている.そのため懐感は,宿善を主題として論じているわけではない.それに対して珍海は❻や後出❽で,この懐感の記述を,宿善の議論を行う際の起点として取り入れている34.
❻(I)では,懐感が示す第一と第二の類(g)(h)について,「未有善本」,すなわち過去の善本がなく,それゆえ信心を起こすことすらできない者として位置づける.さらに珍海は,第三と第四の機類(j)(k)について,それぞれ「第三類」「第四類」と呼称して,とりわけ「第三類」をめぐって,独自の解釈を加えている.該当箇所35を以下に掲げる.
❽ 『決定往生集』第四「種子決定」
就二後二中一,前人有二宿縁一,而不二修行一者,餘縁障故,宿縁少故.後遂得レ生,猶有二勝利一.(L)此第三類,若遇二勝縁一,或自覚発勤厲之者,亦可レ得レ同二第四類一也.故感師云,或得二重病一,不二逢二善友一,不レ得二往生一.准二此釈一,文既置二或言一.則第三類人,非二定不生一.(M)先雖二懈怠,或重病等一,而或遇二善友一,或自発覚,改二悔前過一,或得二往生一.即同二第四一.如三観経説二下品生一也.(中略)(N)問,現今学者有云,若於二過去一,曽発二道心一,以為二善本一者,現雖二少念一,得レ生二浄土一.若過去世,無二大善一者,今雖二懃修一,不レ能二往生一者,此義可レ爾耶.(O)答,此義不レ然.前所レ引経,其義分明.但是念仏人,皆有二宿善一故.(P)然感師意,第三類人,有二宿願縁一,而不二即生一者,応二是前生一往聞レ教,而心極劣一.是故今世不レ能二勤厲一,亦不二即生一.但是今生勤厲之者,皆得二往生一.故知,念仏勤二求浄土一,定得二往生一.必有二善本一,為二種子一也.(Q)又前有二微善一,今得レ聞レ経,此身修レ因,後生二浄土一.凡因縁理,自レ微至レ著.勿下執二宿善一,而廃中今業上.故経言,雖二一世勤苦須臾間一,後生二無量寿仏国一,快楽無レ極[云云].既言二一世勤苦一,不三必須二宿善一也.(R)応レ知,由二前結縁一,今聞二弥陀一,今始修レ因,以生二浄土一.
さきに見たように『群疑論』(j)では,第三の類について,現世で修行に励めないために「遠生」であるとのみ述べている.これに対して(L)(M)では,「第三類」は往生不可と定まっているのではなく,「第四類」と同じくすぐに往生できる可能性があるという,独自な見解を示す.
その際に珍海が論拠にするのは,『群疑論』(j)の「或」という語である.懐感は(j)で,「或以二煩悩因縁一,耽二著五欲一」や「或復懈怠放逸,不レ能二修道一」などと,あくまで第三の機類がすぐには往生できない理由を列挙する中で,「或」という語を用いている.それに対して珍海は,懐感が「或」と述べている以上,「第三類」は定めて「不生」というわけではないと理解して,「或」いは「第三類」が善友に会い,「或」いは自ら修行に励み,すぐに往生を遂げる場合があると主張する.これは,「或」という語に注目した,珍海の独自な解釈であるといえる.ただし,(L)(M)の箇所まででは,なぜ珍海がこのような解釈を行ったのかについては明らかではない.
(N)~(R)では,宿善をめぐって問答を行っている.(N)では,当時の「学者」の説を示し,その妥当性を問う.「学者」の説とは,もし過去において菩提心を起こすなどの善本があれば,現世では「少念」程度の実践をするのみで往生でき,また逆に過去世の「大善」がなければ,今修行に励んだとしても往生不可であるというものである.この問いに対して(O)では,「前所引経」にその義は分明だと答えている.「前所引経」とは,❺に引く『無量寿経』や『念仏三昧分』を指すと考えられる.珍海は「学者」に答える際に,はじめには,行者はすでに大きな宿善を具しているのだという,❺に示していた永観に由来する説を再度提示したといえる.
(O)の次の(P)については後に触れるため,続いて(Q)(R)を検討していきたい.珍海は(Q)以降で,永観と異なる観点からの答えも示している.(Q)では,「微善」によって現世で「聞経」を果たし,「此身」で修行すれば必ず往生できると説き,その根拠として『無量寿経』巻下36の,「一世勤苦」して後に「無量寿仏国」に生ずるという文を引く.つまり珍海は,現世の修行のみで往生の因を完成できるのだから,宿善はあくまで「聞経」をもたらすまでの「微善」,すなわちわずかなもので良いという見解を示すのである.
次の(R)でも,(Q)と同様の主張をしている.(R)では,「前結縁」,すなわち過去世での阿弥陀仏との縁によって,現世で阿弥陀仏の教えに出会い37,今はじめて行に励めば往生を果たせると述べる.「前結縁」とは(Q)の「微善」を指すと考えられる.珍海が「微善」という語を用いたのは,往生のために「大善」としての宿善を必要視する「学者」の説を,明確に否定するためであろう.
さきに見たように(L)や(M)では,「第三類」でも,善友によって,もしくは自ら修行に励んですぐに往生するという,懐感(j)に対する独自な解釈を行っている.(L)(M)まででは,なぜ珍海がそのような理解を示したのかが明らかではなかったが,(Q)(R)を踏まえると,珍海の意図を推測できよう.珍海は(P)で,懐感(j)が第三の機類の過去世については特に明示していないのに対して,「第三類」は前世で教えを聞くことができたものの,その際の心が「極劣」であったと述べている.つまり珍海は「第三類」を,過去世で十分に善根を作ることができず,またそのために現世で修行に励むのが困難な機類として理解しているのである.これを踏まえると,(L)(M)で,このような「第三類」であっても,善友の導きや「自発覚」などによって修行して,ただちに往生を遂げ得ると述べていたのは,宿善の大小に関わらず誰もが往生できるという,最終的な主張(Q)(R)に繋げていくためであったと考えられる.
以上見てきたように「種子決定」では,宿善をめぐって二つの観点から論じている.第一に,珍海は行者に対して,すでに大きな宿善を有していることに目を向けさせる.これは『往生拾因』を受け継ぐものだと考えられる.さらに珍海は第二に,往生のためには,現世で阿弥陀仏の教えとの値遇をもたらすまでの「微善」さえあれば良いと明言する.『決定往生集』では,永観の影響を受けて前者の見解を提示しつつ,最終的に後者のような宿善観も示したといえよう.
前節に述べたように,珍海以前に示されていたのは,三生往生説などの,往生のために多くの宿善を具えていることを重んじる見解であった.これと比較すると,「聞弥陀」までの宿善さえあれば良いのだから,宿善がたとえわずかであったとしても,すぐに往生できると明示する『決定往生集』の記述は特徴的である.これまでの研究ではあまり注目されてこなかったが,珍海は当時において新たな宿善観を示したのだといえよう.
ではなぜ珍海は,宿善と往生との関わりについて詳論し,永観までとは異なる宿善観を示したのだろうか.次節ではこれについて,時代背景を踏まえて検討してみたい.
第二節に触れたように,平安中期には三生往生説が広まっていた.ところが院政期に時代が降ると,順次往生という語が文献に頻出するようになる38.順次往生とは,順次の生,すなわち次の生にただちに往生することを指す.
例えば,三善為康『拾遺往生伝』巻上,序では「吾於二順次生一,必往二生極楽一」と,順次の生においてすぐに往生することを願っている39.同様の記述は,当時の願文40や,真源『順次往生講式』41などの講式類に散見される.特に『順次往生講式』では,順次往生を「講会之趣」として重視している.このことから,院政期には順次往生が意識され,三生ではなく,すぐ次の生に往生したいという人々の願いが高まっていたと考えられる.
三生往生説では,往生のために十分な宿善を具えていることを重視するが,これに対して順次往生こそを願うならば,自身には今それを果たせるだけの善根が十分にあるかということが問題になるであろう.珍海が宿善と往生をめぐって詳論したのは,順次往生を願う当時の人々が,自身の有する宿善の大小に注目していたためではないかと考えられる.
さきに見たように❹『往生拾因』(F-2)では,「仁」は下品下生者より多くの宿善を有しているのだから,一生涯の行を終えた後に,必ず往生できると述べている.そのため『往生拾因』でも,この生を終えてすぐに往生することを念頭に置いて論じているのではないかと思われる.しかし永観の著作には,順次生に往生するということを明示し強調するような記述は見られない42.それに対して珍海は,『決定往生集』において順次生に往生するということを繰り返し述べて,誰もが決定してただちに往生できることを強調する43.これを踏まえると,珍海は永観よりも,順次往生の欲求という時代の状況を明確に意識し,それに応えようとしていたと考えられる.珍海が,「種子決定」の二義のうちの一つとして,宿善について主題的に論じたのは,これに起因するのであろう.
ただし,珍海ほど順次往生を意識していなかったにしろ,永観は❹ 『往生拾因』で,行者に対して,大きな宿善を有しているのだから「忽」ちに往生できると主張している.このような宿善の大きさを示す永観の説だけでも,誰もが順次往生できるということを論証することは,十分可能だと思われる.ではなぜ珍海は,❺や❽(O)で永観の著述を受容するのみでなく,(Q)(R)で宿善はわずかで良いという新たな主張を行ったのだろうか.
これについては,『決定往生集』の記述から推測することができると思われる.❽『決定往生集』(N)に見えるように,当時の珍海周辺には,もし今有している宿善が少ないのであれば,今世で修行に励んだとしても往生は不可能だと説く「学者」がいた.この「学者」の主張に基づけば,もし宿善が少ないならば,いくら現世で修行しても,結局のところ順次往生はできないことになる.順次往生を目指す当時の人々にとって,「此義可爾耶」と問うように,「学者」の主張が正しいか否かということは重要な問題であったであろう.
例えば,鴨長明『発心集』第八,第七話「或武士母怨レ子頓死事」44には,往生人を見ても,彼らは「宿善」によって往生できただけであり,「末世の我等が分に非ず」と理解して,人々に「退心を発さする」者がいたことを記している.珍海周辺にも,『発心集』に示すように,「学者」のような理解に基づいて修行を退いてしまう人が,実際にいたのではないかと考えられる.そのため珍海は,過去世に「大善」がない者であっても問題なく,宿善の大小に関わらず,誰もが往生できるという新たな見解も示すことによって,このような状況を解決しようとしたのであろう.
以上のように,❽『決定往生集』の背景には,現世で修行に励みさえすれば,必ずすぐに往生できると明示することで,人々に順次往生を確信させて,修行に励ませようとする珍海の意図があったと考えられる45.
5.1.智光『無量寿経論釈』
前節では,珍海の宿善観の特徴や,その背景となる時代状況などについて考察した.本節では,珍海が宿善は「微善」で良いとする見解を,具体的に何に基づいて構築したのかということについて,私見を述べたい.
さきに見たように❽『決定往生集』(Q)(R)で根拠として明示しているのは,『無量寿経』などのみである.しかしながら私見では,『決定往生集』における宿善をめぐる議論の背景には,智光や覚鑁の著述の影響があったのではないかと思われる.以下,智光,覚鑁の順で述べていきたい.
智光『無量寿経論釈』巻三46には,「種子」をめぐる次のような議論が見える.
❾ 『無量寿経論釈』巻三
問曰,具有二諸悪一五逆罪人,値二善知識一,十念称名,得レ生二彼土一,発二菩提心一,是何凡夫為レ如レ是耶.答曰,此人昔来,発二菩提心一,而退作レ悪.応レ堕二悪道一,遇二善縁一故,発心称名,具二足十念一,即二得往生一.如レ是本有二仏種子一者,値二悪縁一故,現雖レ作レ逆,有二勝因一故,発心往生.不レ如レ是者,雖下遇二善友一称名十念上,而不レ得レ生.不二至心一故,不二深心一故.如二実義一者,諸具縛人,未レ殖二菩提之種子一者,決心造レ悪,及作二逆罪一,不レ問三決定与二不決定一,如レ是等人,臨二命終時一,遇二善知識一,聞レ法信受,具二足十念一,即得レ往二生安楽浄土一.
ここでは,五逆人がなぜ臨終の十念のみで往生できるのかと問い,はじめには,本より「仏種子」という「勝因」を具えていたためであると答える.その一方で,智光は後に「実義」として,たとえ「菩提之種子」を未だ植えていなかったとしても,臨終に善知識に遇い,十念を具足しさえすれば往生できるという理解を示す.
❾では,あくまで下品下生者の十念往生を主題として論じており,珍海が総じて往生を願う行者の宿善について議論しているのとは異なる.しかしながら❾で,「菩提之種子」が十分に具わっていない場合でも,現世で念仏さえ行えば往生できると明言している点は,『決定往生集』(Q)(R)と通ずるといえる.
珍海と智光は時代が離れているものの,珍海にとって,智光は同じ三論宗の先学である.また❾は,源隆国編『安養集』巻二「十念」47や,『安養抄』巻五,第九「問設無二先世結縁一者臨終十念成就耶」48などに受容されており,平安期の浄土教関係の論義において注目されていたと考えられる.当時已講として活躍した珍海も,この智光の著述を参照していたであろう.
以上のように,珍海が往生人の宿善はわずかで良いという立場を示した背景には,下品下生者が「菩提之種子」を植えていなかったとしても往生できると説く,『無量寿経論釈』の影響があったのではないかと考えられる.
5.2.覚鑁『五輪九字明秘密釈』
次に注目したいのは,覚鑁『五輪九字明秘密釈』49の以下の記述である.
❿ 『五輪九字明秘密釈』
竊惟,二七曼荼羅者,大日帝王之内証,弥陀世尊之肝心,現生大覚之普門,順次往生之一道.所以者何.纔見纔聞之類,遂二見仏聞法於此生一,一観一念之流,果二離苦得楽於即身一.況復信根清浄,慇懃修行.是則大日如来之覚位,取二於証得反掌一,弥陀善逝之浄土,期二於往生称名一.称名之善,猶如レ是,観実功徳,豈虚哉.
「二七曼荼羅」は「順次往生之一道」であり,それをわずかに見聞し,「一観」や「一念」をする者は,「此生」や「即身」において利益を得ることができるという.また覚鑁は,称名によって「弥陀善逝之浄土」への往生を期すと,称名行の功徳についても述べている.
このように❿では,宿善などには触れずに,行の功徳に注目して,わずかな行によって順次往生や見仏聞法などの利益を獲得できることを明示している50.珍海と覚鑁は交流関係にあり51,現世での行業の功徳を重視して,順次往生は可能だと主張する覚鑁の説が,『決定往生集』(Q)(R)に影響したのではないかと考えられる.
最後に,珍海の説と後代の文献との関わりについて述べ,後代への影響という観点からも,珍海の宿善観の意義を指摘したい.
多くの先学が注目するように,法然門下は宿善をめぐって活発に論じた52が,その議論において,珍海の宿善観の受容が見られる.そのうち,特に浄土宗鎮西義の第三祖良忠の著述に注目したい.『観経疏伝通記』巻十53には,以下のような記述がある.
⓫ 『観経疏伝通記』巻十「定善義記」第一
問,一切往生者,為三必由二宿善一.答,値二遇本願一,必由二宿善一,遂二往生一者,依二本願力一.大師往往,皆云二上尽一形十念一,不レ言二往因一.若宿善者,第十八願順次直因,有名無実.信知,本願一世念仏,不レ仮二宿善一.故大経云,雖二一世勤苦,須臾之間一,後生二無量寿仏国一,快楽無レ極[已上.珍海引二此文一,以為二無宿善往生証一].
ここでは,「値遇本願」は必ず宿善により,往生は「本願力」によると説く.すなわち良忠は,宿善は阿弥陀仏の第十八願に現世で出会うまでのもの54で良いとするのである.また良忠は,このようなわずかな宿善による往生の根拠として,「一世勤苦」した後に「無量寿仏国」に生ずると説く『無量寿経』を引き,珍海がこの文を「無宿善往生」の証としていると主張する.これは,❽『決定往生集』(Q)を踏まえたものだと考えられる.
良忠以降の鎮西義の文献では,宿善について論じる際,基本的に良忠の説に即して議論を行っている55.珍海の宿善観は,良忠を起点として鎮西義門下に広く影響を及ぼすことになったといえよう56.
これまでの研究では,珍海の宿善観について,他の人物の説に対する特徴や,その背景などについて,踏み込んだ考察が行われていなかったと思われる.小稿では他の文献と比較しつつ検討を行い,『決定往生集』における宿善理解の特徴やその背景について考察した.
日本の平安期においては,珍海以前に三生往生説と『往生拾因』が,下品下生者に限らず,総じて往生人における宿善と往生の関わりについて,それぞれの見解を示している.三生往生説と永観の著述は,宿善が十分に具わっているからこそ往生できるとする点で共通している.
『決定往生集』では,宿善と往生について論ずる際に,はじめには,すでに自身が具えている宿善の大きさに目を向けさせるという,永観の説を受け継ぐ.その一方で珍海は最終的に,宿善は「聞経」までのわずかなもので良いと説き,宿善の大小に関わらず往生できるという見解も明示する.三生往生説などのような,往生のために宿善を十分具えていることを重視する立場と比較すると,これは珍海の宿善観の特徴だといえる.
珍海当時には,三生往生ではなく,順次生に往生したいという人々の欲求が高まり,今自身の具えている功徳によって順次往生できるか否かということが問題になっていたと考えられる.珍海が,宿善と往生の関わりを主題として論じたのは,このような時代状況に起因するのであろう.
すでに永観が宿善という観点から,誰もがただちに往生できることを論じていたが,珍海周辺では依然として,今修行したとしても,宿善が少ない場合はすぐに往生できないと説く「学者」や,この理解の妥当性を尋ねる人々がいた.珍海が,宿善は「微善」で良いという新たな見解を明示したのは,この「学者」のような理解を明確に否定し,人々に宿善の多少にこだわることなく,決定往生の確信を持って修行に取り組ませようとしたためだと考えられる.また,このような宿善はわずかで良いとする珍海の主張の背景には,智光や覚鑁の著述からの影響があったのではないかと思われる.
以上のように珍海は,総じて極楽を目指す者が往生を遂げるためにはどの程度の宿善が必要なのかという,中国や新羅ではあまり積極的に論じられなかった問題について詳論し,さらに永観などとは異なる新たな宿善観を提示した.従来,特に親鸞門下などの鎌倉期以降の宿善観の思想的な意義に注目されることが多い.しかし,すでに平安後期の珍海が,三生往生から順次往生へという当時固有の状況を背景として,宿善は「微善」で良いという独自な見解を示し,鎮西義門下をはじめ,後世の人物に影響を及ぼしたのである.珍海の宿善観にも思想的意義があるといえよう.
小稿は,浄土宗教学院主催,教学院東西交流研究会(2023 年 3 月 2日,於佛教大学〈オンライン併用〉)での発表をもとに成稿したものである.発表の際,坂上雅翁氏,齋藤蒙光氏,服部純啓氏,長尾光恵氏などの諸先生方に貴重なご指摘をいただいた.ここに記して心より感謝申し上げる.
1 福原[1976:519–529]は経典に見える宿善について考察し,宿善が宿縁・宿因・宿習などと同義に用いられる場合があることを指摘している.また,大鹿[2014:131–149],千葉[2012:609–614]などは,真言密教における宿善をめぐる言説について考察している.
2 大正 47,79 下.このような『浄土十疑論』の記述は,多くの日本の文献に受容されている.例えば,良源『九品往生義』(浄全 15,30 上),源信『往生要集』巻下,大文第十(大正 84,81 下)などである.
3 大正 12,346 上.
4 藤永[1976:1–84],稲岡[1979:23–26],佐々木[2006:49–67]など.
5 珍海は,東大寺,醍醐寺を中心に活躍した三論僧である.浄土教関係の主著として『決定往生集』がある.『決定往生集』とは,極楽往生のための念仏を勧め,決定往生できるという信心をおこすように説いた書である.
6 坂上[1978:225,232][1993:212].
7 佐々木[2009:473–474].
8 服部[2022:116–143].
9 この他にも稲城[1994:87–89]などが珍海の宿善観に触れている.
10 三生往生説とは栁澤[2018:89–95][2019:59–64]の造語である.詳細は第二節に後述する.
11 大正 47,107 中.
12 大正 12,273 上.
13 大正 12,351 中.
14 例えば,迦才なども宿善についての言及は行うが,詳細に議論してはいない(『浄土論』巻中[大正 47,94 下]).
15 栁澤[2018:89–95][2019:59–64].
16 佐藤[1979:224–225].❸については,梯[2008a:144–147][2008b:372–376]などによる考察がある.
17 栁澤[2018:89–95].また覚超のものとされる『往生極楽問答』にも,「種熟脱」の過程を経て往生するという,禅瑜と通ずる記述が見える(旧版『仏全』24,360 頁上).
18 『楞厳院二十五三昧過去帳』「明善阿闍梨」(『続天全』「史伝 2」,281 頁).
19 山田[2012:176].
20 大正 84,92 中.
21 鎮源『本朝法華験記』巻上,第二四「頼真法師」には,沙門頼真が現世で修行に励みながらも,「先世業」によって来世に苦果を受けると考えて,それを怖れたという記述がある(井上光貞・大曽根章介校注『往生伝 法華験記』〈以下『往生伝 法華験記』〉,日本思想体系 7,岩波書店,1974,524 頁上).このような頼真の理解は,(E‐1)の「疑者」の問いと通ずるといえよう.
22 すでに了慧道光『往生拾因私記』巻上(浄全 15,413 下)が指摘するように,(E‐2)は『西方要決』の「三階行者,憫然而言,受二此生一時,諸悪未レ断,由二人業勝一,悪不レ能レ遮.善報既終,苦果当レ受也.更応二示云一,悪雖レ未レ断,人業勝故,不レ廃レ招レ生,浄業転強,焉能起レ礙」(大正 47,108 中)という記述を踏まえている.
23 大正 12,346 上(前掲注 3).
24 大正 13,863 下–864 上.
25 浅井了意は(F‐2)について,「念仏ニ値コトハ,逆者ト雖モ,宿善ノ深キニ由ル」のだから,まして「一生不退」の修行は「広大ノ宿善」によるという意であると述べている(龍谷大学図書館蔵『往生拾因直談』巻四,18 丁裏).
26 了慧道光『往生拾因私記』巻上によれば,「疑者」の問いは,実際に永観が東大寺講説に出仕した時に,「同学等侶之中」から行われたものだったという(浄全 15,411 上).
27 藤原顕業「安楽寿院阿弥陀堂供養願文」(『本朝文集』巻五十九)などの,永観と同時代の願文にも,すでに自身が有している「多生宿善」と,今世でなした善根を合わせてすぐに往生を遂げるという,『往生拾因』と通ずる理解が見える(黒板勝美編輯『本朝文集』〈以下『國史大系本 本朝文集』〉,新訂増補國史大系 30,吉川弘文館,2000,263 頁上).また永観は『往生講式』第三「随喜善根門」でも,『往生拾因』同様に行者が大きな宿善を有していることを主張している(大正 84,881 中–下).
28 大正 84,107 下.
29 大正84,107 下‐108 上.
30 珍海が宿善の大きさを強調したということについては,すでに坂上[1978:225,232][1993:212]が指摘している.
31 大正84,108 上.
32 大正47,40 上–中.
33 (j)については,道忠『釈浄土群疑論探要記』巻五の解釈を参考にした(浄全 6,247 上–下).
34 『群疑論』と『決定往生集』の関係については,服部[2022:116–143]が対照表を用いて詳細に考察している.
35 大正84,108 上–中.
36 大正 12,275 下.
37 (R)では「聞弥陀」と述べているが,(J)や(Q)では,「聞浄土教」や「聞経」などと説いている.したがって「聞弥陀」という語には,阿弥陀仏の名を聞くことのみでなく,「聞経」など,「浄土教」に今世で出会うということが広く含まれると考えられる.珍海における「聞法」「聞経」については,成瀬[2023:556–561],服部[2023:87–92]などによる考察がある.
38 伊藤[2020:563–564].
39 『往生伝 法華験記』587 頁上.この他にも,院政期の往生伝では,順次往生を願った人々について数多く記している.例えば,『拾遺往生伝』巻下[26]「前権律師永観」(同上,626 頁下),藤原宗友『本朝新修往生伝』[10]「沙門永尋」(同上,685 頁上)などである.
40 藤原永範「千日御講御願文」(『本朝文集』巻六十)など(『國史大系本 本朝文集』294 頁下).
41 佐藤[1979:117].
42 『往生講式』第七「廻向功徳門」には,「謂生死有レ終,今生為二穢土之終一,菩提有レ始,後世為二浄土之始一」(大正 84,883 上)とある.また『往生拾因』「第十因」では,「若不レ生二浄土一,不レ遇二十念願一,今者已得レ値,知往生時至」(大正 84,101 上)と述べている.このように,今の生を終えてすぐに往生するという,順次往生を示唆する記述は永観著作に散見される.しかし永観は,順次生に往生するということを明確に示してはいない.
43 珍海が『決定往生集』で,順次生での往生を重視していたことは,序の「又言二即生一,必非二別時一」(大正 84,102 下)や,「謂凡夫於二順次生一,決定得レ生二極楽世界一」(大正 84,103 上)などから窺える.
44 簗瀬[1989:292].
45これは,『決定往生集』に一貫する珍海の主張である.珍海は『決定往生集』の執筆意図について,序で「所以今者,考二尋文理一,将レ流二疑滞一.欲下安二心於決定往生一,快期中於終焉来迎上矣.当レ知,世俗凡夫,修二念仏行一,従レ此即生二安楽世界一」と述べている(大正 84,102 下).
46 服部[1986:232].
47 西村・梯[1993:91].
48 大正 84,178 下.
49 『興全』下,1121‐1122.
50 『五輪九字明秘密釈』における順次往生の内実については,先学によって種々の見解が示されている.北尾[1992:657‐660],苫米地[2008:117–153],鍵和田[2008:1‐14]など参照.
51 橘[1989:57–69],舎奈田[2004:223–237].
52 藤永[1976:1–84],佐々木[2006:49–67]など.
53 浄全 2,320 上.
54 良忠は別著作で,このような宿善について,「微微」の宿善と述べている(『浄土宗要集』巻三[浄全 11,71 下]).「微微」の宿善とは,『決定往生集』(Q)に示す「微善」を踏まえたものだと考えられる.
55 聖聡『大経直談要註記』巻二十一(浄全 13,256 下),妙瑞『鎮西名目問答奮迅鈔』巻五(浄全 10,562 下–563 上)など.
56 珍海のみでなく永観の説も,後代の文献に受容されている.例えば,『唯信鈔』(『真宗聖典』927 頁)や『念仏往生決心記』(浄全 15,561 上)などである.