2000 年 4 巻 p. 33-62
古代インドの馬犠牲祭・アシュヴァメーダ(Aśvamedha)1は,ヴェーダ文献によって伝えられる様々な祭式のなかでも,強大な権力を持つ王のみが行うことのできる,大規模な祭式として知られる.アシュヴァメーダを挙行するために,祭主である王は多くの人力を動員し,およそ二年以上にわたって様々な儀式をとり行う.その中心儀式(本祭)は,馬をはじめとする多くの犠牲獣の供犠である.アシュヴァメーダで犠牲とされるべき馬は,本祭の前年にいちど祭場から放たれ,王の手勢に守られながらおよそ一年間を自由に放浪する.一方,馬が去った後の祭場では,アシュヴァメーダの予備祭として一年間にわたり,種々の儀式がとり行われる.
このアシュヴァメーダ予備祭の中に,パーリプラヴァ(Pāriplava)と呼ばれる十種の説話をホートリ(Hotṛ,勧請祭官)が朗誦する儀式(以下「パーリプラヴァ朗誦」と略記)がある.パーリプラヴァの諸説話は,十人の伝説上の王とその臣民たちにまつわるもので,個々の説話が十種のヴェーダと結びついている.ホートリはこれらの説話を,アシュヴァメーダの祭主である王や,祭場に集った彼の臣民たちに毎日語って聴かせる.そしてその際,各説話に関連するヴェーダの中から,任意の一節を選んで朗誦するのである.説話は日々,十あるうちの一つづつが語られ,十日で全説話が一通り朗誦される.ホートリはこの十説話のシリーズを36回繰り返すことで2,アシュヴァメーダの予備祭期間である一年間(古代インドでは360日)を満たすのである3.ちなみに,Śatapatha-Brāhmaṇa (ŚB) 13.4.3に記されたパーリプラヴァの十説話の主題をまとめれば,次頁の「表A」のようになる4.
これまで幾人ものインド学者が,このパーリプラヴァについて,文学史の観点から興味を抱いてきた.とくに,ŚB 13.4.3 に記されたパーリプラヴァの諸説話と,後の叙事詩やプラーナ文献とのつながりが,彼らの興味の中心であった5.しかし,アシュヴァメーダに含まれる一儀式としてのパーリプラヴァ朗誦が,ヴェーダ祭式の発展史においてどのように位置付けられるか,という点については,今まで詳しく論究されたことがなかった.
本稿の目的は,ヴェーダ祭式の実行方法を伝えるブラーフマナおよ表A: パーリプラヴァ・十説話の主題
[各日の主題内容は「伝説上の王の名」「彼の臣民」「説話の聴衆」「説話に関連するヴェーダ」の順に並んでいる. これらの主題がどのように語られるかについては, 本稿第5節に引いた一日目の説話朗誦のテキストと訳を参照のこと]
一日目: Manu Vaivasvata; 人間たち(manuṣya-); 聖典に通じていない家庭祭式執行者たち (aśrotriyā gṛhamedhinaḥ); 諸リチュ(ṛc-)
二日目: Yama Vaivasvata; 祖先たち(pitṛ-); 老人たち (sthavirāḥ); 諸ヤジュス(yajus-)
三日目: Varuṇa; ガンダルヴァたち(gandharva-); 若い美男子たち (yuvānaḥ śobhanāḥ); 諸アタルヴァン(atharvan-)
四日目: Soma Vaiṣṇava; アプサラスたち(apsaras-); 若い美女たち (yuvatayaḥ śobhanāḥ); 諸アンギラス(aṅgiras-)
五日目: Arbuda Kādraveya; 蛇たち(sarpa-); 蛇たちと蛇使いたち (sarpāḥ, sarpavidaḥ); 蛇使いの知識(sarpavidyā-)
六日目: Kubera Vaiśravaṇa; ラクシャスたち(rakṣas-); 邪悪な者たちと罪悪をなした者たち(selagāḥ, pāpakṛtāḥ); 神的な者たちについての知識(devajanavidyā-)
七日目: Asita Dhānva; アスラたち(asura-); 高利貸したち(kusīdinaḥ); 幻術(māyā-)
八日目: Matsya Sāṃmada; 水棲動物たち(udakecara-); 魚たちと漁師たち(matsyāḥ, matsyahanaḥ); イティハーサ(itihāsa-)
九日目: Tārkṣya Vaipaśyat; 鳥たち(vayas-); 鳥たちと猟師たち (vayāṃsi, vāyovidyikāḥ); プラーナ(purāṇa-)
十日目: Dharma Indra; 神々(deva-); ヴェーダを習得し,祭式の報酬を受けてない者たち (śrotriyā apratigrāhakāḥ); 諸サーマン(sāman-)
びシュラウタスートラ(ŚS)の中から,パーリプラヴァ朗誦について述べている文献を集め,各テキストの比較を通じて,その儀式形態の変遷史を明らかにすることである.その結果,これまでパーリプラヴァ朗誦の基本型を示すと見られてきたŚBの記述が,他の文献のそれに比べて,かなり発展した内容を持つことも明らかになるだろう.実際のテキストの検討に先立ち,次節ではまず,問題の解明に必要となる手がかりを示しておきたい.
後に本稿が取り上げるように,様々なヴェーダ文献が示すアシュヴァメーダ予備祭の記述を詳しく見てみると,「人々に毎日説話を聴かせる」といった内容を持つ儀式が,実はパーリプラヴァ朗誦以外にも存在することがわかる.いくつかのヴェーダ文献は,アシュヴァメーダ予備祭の中に,ヴィーナー奏者による説話の歌詠を規定しているのである.ヴィーナー(vīṇā-)は古代インドの楽器の名で,リュートの一種と見てよい.このヴィーナー奏者6が歌う歌詞の内容は,アシュヴァメーダの祭主である王の功績を,古えの偉大な王たちの所業とともに称賛するものである.
本稿でまず提起したいのは,いくつかの文献に記されたこのヴィーナー奏者の歌詠を,いわば「説話朗誦」と名づけうる共通の性格から,パーリプラヴァ朗誦の同類儀式と見る視点である.そして,この視点を採った場合,アシュヴァメーダ予備祭における説話朗誦の実行方法には,いくつかのヴァリエーションが生じてくる.つまり,アシュヴァメーダの予備祭においては,文献によって (1)一年間,もっぱらパーリプラヴァ朗誦のみが行われる, (2)一年間,もっぱらヴィーナー奏者(とくに「二人のヴィーナーガーティン」)による歌詠のみが行われる, (3)一年間,パーリプラヴァ朗誦とともにヴィーナー奏者の歌詠も行われる,という三つのパターンが見られるのである.
ここで注目してよいのは,こうした「説話朗誦」の儀式形態の違いが,それを記す文献の年代や,所属するヴェーダ学派の別と密接に関連していると思われることである.こころみに,アシュヴァメーダにおける説話朗誦の諸形態を,記載する文献の名称とともに示せば,次頁の「表B」のようになる.
この表から見て取れるのは次の事柄である.
(1)説話朗誦の儀式として「パーリプラヴァ朗誦」のみを規定するグループ(=表中のA)には,YV以外の文献が集中している (2)二人のヴィーナーガーティンによる歌詠のみを示すグループ(=B)には,もっぱらYV文献が集まっている (3)両方の結合型を示すグループ(=A+B)には,ŚŚS (=A+B1,RV所属)を除けば,ほぼYVの新層に属する諸文献が集まっており7,そのグループ内で,部分的な儀式形態の違いが見られる.
このように,諸ヴェーダ文献が示す説話朗誦のヴァリエーションは,その文献が所属するヴェーダ学派や文献年代の新古に応じて現れる傾向があり,そこから,これらのヴァリエーションがどのような過程で発展してきたかを,おおまかに推理することが可能である.その発展過程を便宜上二つの段階に分け,現時点では仮説として次のように述べたい.
[1] アシュヴァメーダの予備祭には早くから,毎日行われる説話朗誦の儀式が含まれていたが,その形態には,ヴェーダ学派の別にした表B: アシュヴァメーダ予備祭における説話朗誦の諸形態
[表中のRV・SV・YV・AVは,それぞれリグ,サーマ,ヤジュル,アタルヴァ・ヴェーダをさす]
A. 説話朗誦の儀式としてパーリプラヴァ朗誦のみを規定する文献
Āśvalāyana-Śrautasūtra 10.6.10-7.10 (ĀśvŚS, RV・シャーカラ派)
Lāṭyāyana-Śrautasūtra 9.9.10-13 (LāṭyŚS, SV・カウトゥマ派)
Drāhyāyana-Śrautasūtra 27.1.13 (DrāhyŚS, SV・ラーナーヤニーヤ派)
Vaitāna-Śrautasūtra 36.22-24 (VaitŚS, AV・シャウナカ派)
B. 二人のヴィーナーガーティンの歌のみを規定する文献
Taittirīya-Brāhmaṇa 3.9.14 (TB, 黒YV・タイッティリーヤ派)
Śatapatha-Brāhmaṇa 13.1.5 =第13章古層部 (ŚB, 白YV・ヴァージャサネーイン派)
Vādhūla-Śrautasūtra 11.6.12-19 (VādhŚS, 黒YV・タイッティリーヤ派)
Baudhāyana-Śrautasūtra 15.18-19 (BaudhŚS, 黒YV・タイッティリーヤ派)
Mānava-Śrautasūtra 9.2.2.7-12 (MānŚS, 黒YV・マイトラーヤニーヤ派)
A+B. パーリプラヴァ朗誦とヴィーナー奏者による歌詠との結合型を規定する文献
1.パーリプラヴァ朗誦とヴィーナーガナギンたちによる歌詠との結合型
Śāṅkhāyana-Śrautasūtra 16.1.22-2.36 (ŚŚS, RV・バーシュカラ派)
2.パーリプラヴァ朗誦と二人のヴィーナーガーティンによる歌詠との結合型
Vārāha-Śrautasūtra 3.4.1.35-41(VārŚS, 黒YV・マイトラーヤニーヤ派)
3.パーリプラヴァ朗誦と二人のヴィーナーガーティンによる歌詠およびヴィーナーガナギンたちによる歌詠との結合型
Śatapatha-Brāhmaṇa 13.4.2-3 =第13章新層部 (ŚB, 白YV・ヴァーシャサネーイン派)
Kātyāyana-Śrautasūtra 20.2.18-3.8 (KŚS, 白YV・ヴァージャサネーイン派)
Āpastamba-Śrautasūtra 20.6.5-7.6 (ĀpŚS, 黒YV・新タイッティリーヤ派)
Hiraṇyakeśi-Śrautasūtra 14.2.6-18 (HirŚS, 黒YV・新タイッティリーヤ派)
がって二つの種類があった.一つはRVやSVなど,YV以外の諸派が伝えるパーリプラヴァ朗誦(=A),他方はYVで伝えられていたヴィーナー奏者(とくに「二人のヴィーナーガーティン」)による歌詠(=B)であった.
[2] その後,この二種類の伝承は学派を超えて混交するようになり,説話朗誦にいくつかの新たなヴァリエーションが生まれた.その結果,YV新層の諸文献などは,それぞれの儀式形態に部分的な相違を示しながら,AとBとが結合した形の説話朗誦を示すに至った(=A+B1-3).
以下の論考では,ここに示した説話朗誦の諸形態,つまりA,BそしてA+Bまでの実例を順に見ていき,それぞれが歴史的にどう位置付けられるかを検討していく.そして,この検討作業を通じて,上記の仮説に欠けている細部の記述を補い,その仮説がパーリプラヴァ朗誦をはじめとする,アシュヴァメーダ予備祭における説話朗誦儀式の発展史を説明するのに,妥当な見解であることを証明したい.
アシュヴァメーダ予備祭における説話朗誦として,パーリプラヴァ朗誦のみを規定する文献のの中から,ĀśvŚSの例を以下に紹介する8.ĀśvŚSの原テキストには,パーリプラヴァ十説話の各々のトピックも記されているが9,ここでは,主にパーリプラヴァの儀式形態を述べている部分に的をしぼって検討を進めることにする.
<Āśvalāyana-Śrautasūtra 10.6.10-7.1>
samāptāsu samāptāsu dakṣiṇata āhavanīyasya hiraṇyakaśipāv āsīno 'bhiṣiktāya putrāmātyaparivṛtāya rājñe pāriplavam ācakṣīta (10) hiraṇmaye kūrce 'dhvaryur āsīnaḥ pratigṛṇāti (11) ākhyāsyann adhvaryāv ity āhvayīta (12) ho hotar itītaraḥ (13) (6) prathame 'hani manur vaivasvatas tasya manuṣyā viśas ta ima āsata iti gṛhamedhina upasamānītāḥ syus tān upadiśaty ṛco vedaḥ so 'yam iti sūktaṃ nigadet (1) ......
「[毎日,サヴィトリへのイシュティが]完了するごとに,アーハヴァニーヤ祭火の南で,金[刺繍]を伴ったクッションに座っている者(ホートリ)は,すでに潅頂をすませて(abhiṣikta-)息子たちや大臣たちに囲まれている王に,パーリプラヴァを語りなさい(10) 金製の小椅子(kūrca-)に座ったアドヴァリウは[説話を語っているホートリに]応答する(11) 語り始めるとき,[ホートリは]“アドヴァリウよ!”と呼びかけなさい(12) もう一方の者(アドヴァリウ)は“おい,ホートリよ!”と[呼びかける](13)(6) [ホートリはパーリプラヴァの]一日目に“ヴィヴァスヴァットの息子・マヌ,彼の臣民は人間たち.彼らはここに座っている”という.家庭祭式を行う者(gṛhamedhin-)たちが[そこに]集められているべきである.[ホートリは]かれらに教える.“諸々のリチュが[マヌたち]のヴェーダである.それはこれだ”といって[ホートリはリグ・ヴェーダの]あるスークタ(sūkta-, 詩節)を語りなさい(nigadet10)(1) ...(以下,二日目から十日目までの説話部分が続く)」
ĀśvŚSが述べるパーリプラヴァ朗誦の特徴は,主に次の三つである.
(1) ホートリは金刺繍を伴ったクッションに,アドヴァリウは金製の小椅子にそれぞれ座る
(2) 説話の最中,アドヴァリウはホートリに応答する(pratigṛṇāti)
(3) 説話の開始に際して,ホートリとアドヴァリウは互いに呼びかけ合う11
このうちはじめの二つの特徴は,明らかに同じĀśvŚSのラージャスーヤ章に記されたシュナハシェーパ説話の朗誦儀式(以下「シュナハシェーパ朗誦」と略記)の特徴と共通している.ラージャスーヤ(Rājasūya),つまり古代インドにおける王即位祭12の中で,新王は即位のための潅頂儀式をすませた後,シュナハシェーパ(Śunaḥśepa)という若いバラモンを主題とする説話を,ホートリに語らせることになっている13.ĀśvŚS 9.3.9-12は,その儀式の実行方法を次のように述べている.
saṃsthite marutvatīye dakṣiṇata āhavanīyasya hiraṇyakaśipāv āsīno 'bhiṣiktāya putrāmātyaparivṛtāya rājñe śaunaḥśepam ācakṣīta(9) hiraṇyakaśipāv āsīna ācaṣṭe hiraṇyakaśipāv āsīnaḥ pratigṛṇāti......(10) om ity ṛcaḥ pratigara evaṃ tatheti gathāyāḥ (11)
「[ソーマ祭中の]マルトヴァティーヤ[・シャストラ](cf. Caland-Henry [1960] §196)が終ったら,アーハヴァニーヤ祭火の南で,金[の刺繍]を伴ったクッションに座っている者(ホートリ),すでに潅頂をすませて息子たちや大臣たちに囲まれている王に,シュナハシェーパ説話(śaunaḥśepa-)を語りなさい(9) 金[刺繍]を伴ったクッションに座っている者(ホートリ)が語り,金[刺繍]を伴ったクッションに座っている者(アドヴァリウ)が応答する......(10) ‘オーム(om)’という[語]がリチュ(ṛc-)への応答であり,同様に‘そうだ(tathā)’という[語]がガーター(gāthā-)への[応答である]14 (11)」 (下線部分はパーリプラヴァとの平行文を示す)
このテキストを先のパーリプラヴァ朗誦のものと比較してみれば,両儀式の形態の類似(例えば祭官が座る金の座具や,ホートリとアドヴァリウの応答の規定など)は容易に見て取ることができる.これにテキスト文面の一致をも考え併せれば,この二つの儀式の規定が,ĀśvŚSにおいては共通の伝承の土台に立っていると見なし得るだろう.
さらには,この両儀式のうちシュナハシェーパ朗誦の伝承の方が先に作られ,後にそれを翻案するかたちでパーリプラヴァ朗誦の伝承が形成された,ということが予測される.なぜなら,ラージャスーヤにおいてシュナハシェーパ朗誦を行うという規定は,ĀśvŚS以前にも,同じRVの先行文献であるAitareya-Brāhmaṇa (AB) ですでに現れているからである15.これに対し,アシュヴァメーダの中でパーリプラヴァ朗誦を行うということは,ABの中で一度も言及されていない.したがって,ĀśvŚSに見られる両儀式の伝承の相似は,前者を後者が模倣したことで生じたと考えるのが妥当である16.
さて,ĀśvŚSのパーリプラヴァ朗誦におけるもう一つの特徴である(3)「ホートリとアドヴァリウの呼びかけ」の規定は,同ŚSのサットラ章にある一文と対応している.様々な種類のサットラ(Sattra17)において中心部分をなす十日間(Daśarātra)の十日目に,チャトゥルホートリ(Caturhotṛ)という祭詞がホートリによって朗誦される.この祭詞を唱える直前に,ホートリとアドヴァリウはパーリプラヴァに見るのと同じ形式で互いに呼びかけ合う.そして,ĀśvŚS 8.13.4-5に記されたその規定文面(adhvaryav ity āhvayīta. ho hotar itītaraḥ)は,パーリプラヴァ朗誦のものと同一である.
この両祭官の呼びかけも,元来サットラの儀式に規定されていたものが,後にパーリプラヴァ朗誦へ導入されたと推測される.なぜなら,ĀśvŚSに先だって,やはりABがサットラ章に同様の規定を載せており18,ĀśvŚSのサットラ章の規定文には明らかにABとの連続性が見られるからである.
以上,ĀśvŚSに記されたパーリプラヴァ朗誦を検討した結果は,次の二点にまとめられる.
[1] ĀśvŚSにおいて,パーリプラヴァ朗誦の儀式形態は,主に同ŚSのラージャスーヤ章におけるシュナハシェーパ説話の朗誦儀式を手本として作られた
[2] ただし,儀式の始めに行われるホートリとアドヴァリウの呼びかけは,同ŚSのサットラ章にある両祭官の呼びかけの形式を転用したと思われる
では,ĀśvŚSと同じくRVの学派に属しているŚŚSのパーリプラヴァ朗誦の形態はどうだろうか? 確かにŚŚSにおいても,ĀśvŚSと同様に,他の祭式からの伝承の転用を確認することができる.しかしŚŚSのパーリプラヴァ朗誦には一つ,ĀśvŚSには見られなかった規定要素が現れている.つまり,「ヴィーナーガナギン」と呼ばれる複数のヴィーナー奏者が,パーリプラヴァ朗誦の儀式に参加して歌う,という規定である.次節では,この規定の出自を探る手がかりとして,いちどYV古層文献の記述を見ておきたい.そこでは,アシュヴァメーダの予備祭期間である一年間,二人の「ヴィーナーガーティン」が毎日歌うよう述べられている.
アシュヴァメーダ予備祭の説話朗誦として,二人のヴィーナーガーティン(vīṇāgāthin-)の歌詠だけを記す例を,ここではVādhŚSのから紹介する.‘vīṇāgāthin-’とは,「ヴィーナー[の伴奏]によって歌う者」の意味である19.VādhŚSほか多くのYV文献が記すアシュヴァメーダ予備祭では,朝にバラモンのヴィーナーガーティンが,そして夕には王族のヴィーナーガーティンが,それぞれ三種の自作の歌詞によって歌うよう規定されている.
<Vādhūla-Śrautasūtra 11.6.12-19>
tad anv etau vīṇāgāthinau pragāyataḥ (12) ity adadā ity ayajathā ity adaḥ sādhv akaror [Chaubey: akarod] iti brāhmaṇaḥ (13) ity ajinā ity ayudhyathā ity amuṃ saṃgrāmam ahan ity ado [Chaubey: aho] vīryam akarod iti rājanyaḥ (14) iṣṭaṃ brāhmaṇo gāyati yuddhaṃ rājanyaḥ (15) dattaṃ brāhmaṇo gāyati vīryaṃ rājanyaḥ (16) nāma brāhmaṇo gṛhṇāti sakhināma rājanyaḥ (17) tisro ’nyataro gāyati tisro ’nyataraḥ (18) tāv etat pragītāv eva saṃvatsaraṃ gāyataḥ kāle kāla āgate (19)
「その後(馬を祭場から放った後),この二人のヴィーナーガーティンが称えて歌う(pragāyataḥ)(12) “あなたは...を与えた,あなたは...の祭式をなした,あなたはかの...といった正しい事をなした(sādhv akaroḥ)”,とバラモンが[歌う](13) “あなたは...を略奪した,あなたは...を戦った,彼はかの...という合戦に打ち勝った,彼はかの...といった武勇をなした”,と王族が[歌う](14) 祭式をバラモンが歌う,戦争を王族が[歌う](15) [祭式において]与えられたものをバラモンが歌う,武勇を王族が[歌う](16)[祭主の])名前をバラモンが[歌詞の中に]採る,友の名前(sakhināma-)を王族が[歌詞の中に採る]20 (17) 一人は三つ,もう一人も三つ[のガーター]を歌う(18) この一年間,[所定の]時がやってくるごとに,彼らは[それぞれに]この同じ称賛の歌(pragīta-)を歌う(19)」
VādhŚSに見るヴィーナーガーティンの歌詠は,その儀式形態の面でいえば,他のYV文献,つまりTBやBaudhŚS., ŚB等が記しているものとほぼ同じといってよい21.いまはむしろ,それぞれのヴィーナーガーティンが歌う歌詞の内容について,ある事実を指摘しておきたい.
上の引用文中で,歌詞の中にある ‘iti’ という語は,その‘iti’の前に来るべき歌詞が不特定であることを示している.この不特定の部分を,ヴィーナーガーティンは自作の歌詞で補い,そして最後に,たとえば "ity adadāḥ ([あなたは]...を与えた)" などの決まった文句で歌を締めくくる.いま注目したいのは,この締めくくり部分の動詞の人称変化について,諸文献の間に若干の相異があるということである.その相異は,ほぼ次の三つのパターンに分けることができる.
(1) 二人称だけを用いた歌詞: TB(3.9.14),BaudhŚS(15.8 [213.1-3]; 15.9[214.47]),ĀpŚS(20.6.5; 14)MānŚS(9.2.2.7)の四文献に例が見られる(例-: TB 3.9.14.3 "ity adadā ity ayajathā ity apacaḥ" 「あなたは...を与えた,あなたは...といった祭式をなした,あなたは...を調理した」).この場合,行為主語の「あなた」は,当然儀式の場にいる祭主を指すだろう.したがって,この歌は祭主ひとりにたいする賞讃である.
(2) 三人称だけを用いた歌詞: ŚB 13.1.5に例が見られる(例: "ity ayudhyatety amuṃ saṃgrāmam ajayat"「彼は...を戦った,彼はかの...という合戦に勝った」).この場合,行為主語の「彼」は祭主ともとれるし,あるいは別の(例えば伝説上の)人物とも考えられる22.
(3) 二人称と三人称の両方を用いた歌詞: 上に引用したVādhŚSの他,HirŚS(14.2.6; 17)やVārŚS(3.4.1.37; 39)にも同様の例がある.この場合,歌詞は二人以上の人物に対する称賛ということになる.このうち二人称の主語は,(1)の諸例と同じく祭主を指すだろう.そして三人称の主語は,その人の行為対象が「かの(adas-)」と時間的・空間的に遠いもの,あるいは周知のものを指す代名詞で示されているから,二人称との対比が意図されていることは明らかである.従って,この歌詞は祭主である王を,誰か別の(恐らくは伝説上の)王とともに称賛する内容を持つものと考えるのが妥当である.
これら,二人のヴィーナーガーティンの歌詠に見る三種の歌詞パターンのうち,次節で検討するŚŚSのパーリプラヴァ規定の解釈に参考となるのは最後のパターン,つまりアシュヴァメーダの祭主である王を,他の王と対比させる歌詞の例である.
すでに第2・第3節で見た二つの説話朗誦のタイプと比較しながら,ここではRV所属のŚŚSの例を検討する.以下にテキストと和訳を提示した後,ŚŚSでのパーリプラヴァ朗誦の伝承が,どのように形成されたかを論じることにしたい.
<Śāṅkhāyana-Śrautasūtra 16.1.22-2.3>
hotā ca pāriplavam ācaṣṭe (22) adhvaryo ity āmantrito hoyi [Hillebrandt: ho yi] hotar iti sarvatra pratiśṛṇoti (23) oṃ hotas tathā hotar ity ācakṣāṇe ’nugṛṇāti (24) athādhvaryur vīṇāgaṇaginaḥ saṃpreṣyati purāṇair enaṃ puṇyakṛdbhī rājabhiḥ saṃgāyateti (25) (1) manur vaivasvata iti prathame (1) tasya manuṣyā viśas ta ima āsata iti gṛhamedhina upadiśati (2) ṛco vedo vedaḥ so ’yam iti sūktaṃ nigadet (3) ......
「そして,ホートリはパーリプラヴァを語る(22) “アドヴァリウよ!”と呼びかけられた者(アドヴァリウ)は,そのつど常に“おおい,ホートリよ!(hoyi hotar)”と返答する(23) “オーム,ホートリよ!そうだ,ホートリよ!”と,語っている者(ホートリ)に[アドヴァリウは]応答する(24) 次に,アドヴァリウはヴィーナーガナギンたちを[次のように]促す.“この者(祭主)を古えの,善いことをなした(puṇyakṛt-)王たちと共に讃えて歌いなさい”と(25)(1) “ヴィヴァスヴァットの息子・マヌ...”と[ホートリは]一日目に言う(1) “彼の臣民は人間たち.彼らはここに座っている”といって,家庭祭式を行う者(gṛhamedhin-)たちに教える(2) “リチュ(讃歌)のヴェーダが[彼らマヌたちの]ヴェーダである.それはこれだ”といって[ホートリはリグ・ヴェーダの]あるスークタ(詩節)を語りなさい(3) ......(以下,二日目から十日目までの説話部分が続く)」
ここに見るパーリプラヴァ朗誦について,第一に指摘できるのは,その儀式が第2節で検討したĀśvŚSの場合と同じく,サットラの中で行われるホートリとアドヴァリウの呼びかけの儀式を手本としていることである.サットラの一類型である十二日祭(Dvādaśāha)には,その十一日目に,ダシャ・ホートリ(Daśahotṛ)と呼ばれる祭詞を唱える儀式がある.この儀式に先だって,ホートリとアドヴァリウは互いに呼びかけあうことになっている.そして,ŚŚS 10.13.27-28に記されたその規定文は,上に引いたパーリプラヴァ朗誦のテキストの一部と全く一致している23.ŚŚSのサットラ章におけるこの規定文も,ĀśvŚSの場合と同じく,RVの先行文献であるABの同儀式に対する規定(AB 5.25.1-2,第2節の脚注に既出)に対応しているから,アシュヴァメーダ章のパーリプラヴァに対する規定より年代的に先であるだろう.従って,この両規定が類似しているのは,前者が後者の手本となっていたことを示すと見るのが妥当である.
もう一つ,ŚŚSのパーリプラヴァ朗誦で特徴的なのは,複数で現れる「ヴィーナーガナギン(vīṇāgaṇagin-)24」の存在である.この部分の伝承は,その起源において,おそらくYVの内部で伝えられていた「二人のヴィーナーガーティン」による歌詠儀式の伝承と繋がりを持っていたであろう.なぜなら両者は,アシュヴァメーダの予備祭期間中,ヴィーナーの伴奏による歌詠を毎日行うよう規定している点で,基本的に性格が一致している.また,上に引いたŚŚSでは,ヴィーナーガナギンたちがアシュヴァメーダの祭主である王を,古の(purāṇa-)王たちとともに称賛するとしているが,これは前節で見たVādhŚS他,いくつかの文献が記す二人のヴィーナーガーティンが歌う歌詞の内容,つまり「二人称」と「三人称」という二つの人称動詞を含む歌詞(前節での項目(3))と合致するものである25.
これらの類似点から見て,ŚŚSに現れる複数の「ヴィーナーガナギン」の歌詠と,YV文献に見える二人の「ヴィーナーガーティン」による歌詠とは,ほぼ同類の儀式であると言うことができるが,その伝承の起源は,おそらくYVの内部にあったと推測される.というのも,アシュヴァメーダの予備祭でヴィーナー奏者が毎日歌う,という規定は,ŚŚSが記すヴィーナーガナギンの例を除けば,専らYVの諸文献でしか見られないからである.
本稿が扱う最後の実例は,Śatapatha-Brāhmaṇa (ŚB) 13.4.3.3-14 に記されたパーリプラヴァ朗誦である.ŚBのパーリプラヴァ朗誦の特徴は,前項で見たŚŚSと同様,その儀式の中に複数のヴィーナーガナギンが参加すること,また一方で,他のYV文献と同じく二人のヴィーナーガーティンによる歌詠儀式も述べられていることである.つまり,前節まで様々な文献の例に見てきた「説話朗誦」の三つのパターンが,このŚBではみな一連の儀式として結合されているのである.こうした,一見複雑と見える伝承はどのようにして生じたのだろうか?
はじめに注目したいのは,パーリプラヴァ朗誦の規定を含むŚB 第13章の後半部(=13.4-5)が,同章の前半部(=13.1-3)に対して,後から付加された新層部分であるということである.W. Caland は“A note on the Śatapatha-brāhmaṇa”(Acta Orientalia 10, 1932, 126-134)と題する論文の中で,ŚBアシュヴァメーダ章の前半部(=13.1-3)がTBにおける同章(=3.8-9)と規定内容や文面が著しく一致しており,また一方では,その後半部(=13.4-5)がRV所属のŚŚSのアシュヴァメーダ章(=第16章)と共通の内容を持っていることを指摘した.そしてこれを考察の手がかりとし, Calandは次のような結論を得るに至った.
“...... that the author of ŚBr. XIII 1-3 has been acquainted with the description as now handed down in the TBr., and that he has made use of it.”(130); “...... that the author of the ŚBr. XIII 4-5 has either borrowed directly from Ś[ŚS]. or from another still older, now not extant, Aśvamedhabrāhmaṇa belonging to the Ṛgveda, on which both rest. Just as in the first part [viz. ŚB 13.1-3], however, this description has been amplified from another (unknown) source, and brought more or less into harmony with the first description (XIII. 1-3), which contains the rites for the adhvaryu. ”(132)
Calandの以上のような見解はŚBのアシュヴァメーダ章全体について述べられたものだが,これは,今から紹介するパーリプラヴァ朗誦の規定部分の形成を考察する上でも参考になるだろう.以下に,ŚB当該部分のテキストと和訳を,規定の内容ごとに区切って提示する.その後で,この部分の伝承がどのようにして成り立ったかを論じることにしたい.
<Śatapatha-Brāhmaṇa 13.4.3.1-3; 13.4.3.5>
a. 13.4.3.1 (祭官等の座具の規定)
pramucyāśvaṃ dakṣiṇena vediṃ [Weber: daṇḍa (/)] hiraṇmayaṃ kaśipūpastṛṇāti tasmin hotopaviśati dakṣiṇena hotāraṃ hiraṇmaye kūrce yajamāno dakṣiṇato brahmā codgātā ca hiraṇmayyoḥ kaśipunoḥ purastāt pratyaṅṅ adhvaryur hiraṇmaye vā kūrce hiraṇmaye vā phalake (1)
「[祭場から]馬を放った後,ヴェーディ(vedi,祭壇)の南側に金製のクッションを敷く.そこにホートリが座る.ホートリの南側で,金製の小椅子に祭主が[座る].[儀式の場の]南方にブラフマンとウドガートリが各々金製のクッションに[座る].[儀式の場の]東にアドヴァリウが,西を向いて,金製のクッションか或いは金製の座台(phalaka-)の上に[座る](1)」
b. 13.4.3.2 (ホートリとアドヴァリウの呼びかけ)
samupaviṣṭeṣv adhvaryuḥ saṃpreṣyati / hotar bhūtāny ācakṣva bhūteṣv imaṃ yajamānam adhyūheti saṃpreṣito hotādhvaryum āmantrayate pāriplavam ākhyānam ākhyāsyann adhvaryav iti havai [Weber: ha vai] hotar ity adhvaryuḥ (2)
「[彼らが]みな座ったら,アドヴァリウは[次のように]促す.“ホートリよ,諸存在を(bhūtāni)語りなさい.諸存在の上に,この祭主を高めなさい”.促されたホートリは,パーリプラアヴァの説話を語り始めるとき,“アドヴァリウよ!”と呼びかける.アドヴァリウは“おおい(havai26),ホートリよ!”と[呼びかける](2)」
c. 13.4.3.3 [a] (パーリプラヴァ第一日目の説話)
manur vaivasvato rājety āha / tasya manuṣyā viśas ta 'ima 'āsata 'ity aśrotriyā gṛhamedhina upasametā bhavanti tān upadiśaty ṛco vedaḥ so 'yam ity ṛcāṃ sūktaṃ vyācakṣāṇa-ivānudraved......
「“ヴィヴァスヴァットの息子・マヌが王である”という.“彼の臣民は人間たち.彼らはここに座っている”という.聖典に通じていない(aśrotriya-)家庭祭式を行う者(gṛhamedhin-)たちがすでに集合している.[ホートリは]彼らに教える.“[彼らの]ヴェーダはリチュからなる.それはこれだ”といって[ホートリはリグ・ヴェーダの]あるスークタ(詩節)を,区切って説明するように(vyācakṣāṇa-iva)朗誦する」
d. 13.4.3.3 [b] (ヴィーナーガナギンたちの歌)
...... vīṇāgaṇagina upasametā bhavanti tān adhvaryuḥ saṃpreṣyati vīṇāgaṇagina ity āha purāṇair imaṃ yajamānaṃ rājabhiḥ sādhukṛdbhiḥ saṃgāyateti taṃ te tathā saṃgāyanti tad yad enam evaṃ saṃgāyanti purāṇair evainaṃ tad rājabhiḥ sādhukṛdbhiḥ salokaṃ kurvanti (3) ......
「[儀式の場に]ヴィーナーガナギンたちがすでに集合している.アドヴァリウは彼らを促す.“ヴィーナーガナギンたちよ!古えの,正しいことをなした(sādhukṛt-)王たちとともに,この祭主をたたえて歌いなさい”という.彼らはそのとおりに,彼(祭主)をたたえて歌う.このように,この者(祭主)をたたえて歌う時,その時[彼らは]この者を,まさしく古えの正しいことをなした王たちと同じ世界を有するもの(saloka-)となす(3)...... (以下,中略した13.4.3.4-5の部分にアシュヴァメーダ予備祭の一部であるPrakrama献供の規定文あり)」
e. 13.4.3.5 (王族のヴィーナーガーティンの歌)
atha sāyaṃ dhṛtiṣu hūyamānāsu rājanyo vīṇāgāthī dakṣiṇata uttaramandrām udāghnaṃs tisraḥ svayaṃ saṃbhṛtā gāthā gāyatīty ayudhyatety amuṃ saṃgrāmam ajayad iti tasyoktaṃ brāhmaṇam (5)
「次いで晩に,ドゥリティの諸献供が行われている時,王族のヴィーナーガーティンが[祭場の]南でウッタラマンドラー[という種類の旋律]を[ヴィーナーで]奏でながら,三つの自ら作ったガーター(歌)を歌う.“彼は...を戦った,彼はかの...という合戦に勝った”と[歌う].これについて,すでにブラーフマナが語られた(5)」
上に引いたŚBのパーリプラヴァ朗誦について,まず三つの特徴が指摘できる.
第一は,ここでのパーリプラヴァ朗誦が,前節までに見たRV所属のĀśvŚSやŚŚSに記されたものと,多くの共通点を持っていることである.つまり,ホートリとアドヴァリウが互いに呼びかけ合う点(=テキストb)は ĀśvŚSと共通し,パーリプラヴァの十説話の内容(=cおよびe以降の後略部分)はĀśv, ŚŚSの両方と,そして,複数のヴィーナーガナギンによる歌詠(=d)が述べられている点ではŚŚSと,それぞれ一致している.
第二の特徴は,儀式に参加する者たちの座具の規定内容(=a)である.つまり,第1節で見たĀśvŚSの同規定では,もっぱらホートリとアドヴァリウだけに金の座具が与えられていたのに対し,ここでは四大祭官全てと祭主に対しても,それぞれの座具が規定されている.この点に関するかぎり,ŚBの伝承はRVの諸文献ではなく,むしろSV所属のDrāhyŚSやLāṭyŚSに共通している.つまりこの二文献は,パーリプラヴァ朗誦において四大祭官と祭主に各々の座具を規定しており,また,各人が座る位置や,向く方角を記している点もŚBの記述と一致する27.
第三は,パーリプラヴァ朗誦と前後して二人のヴィーナーガーティンによる歌詠が規定されていること(=e)である.この規定自体は,すでに第3節で見たようにŚBが属しているYVのオーソドックスな伝承を受けついだものであり,特に問題とすべきものではない.ただし,上のテキストで注意をひくのは,その規定文の最後に「これについて,すでにブラーフマナが語られた(tasyoktaṃ brāhmaṇam)」と言われていることである.ここでの「ブラーフマナ」とは,同じŚBアシュヴァメーダ章の前半部( 13.1.5)で示された二人のヴィーナーガーティンの歌詠儀式を指している.つまり,上の"tasyoktam"の一節から窺えるのは,この儀式が同じ章の前半部の記述を前提としながら,パーリプラヴァ朗誦という,後半部で初めて述べられる儀式との組み合わせにおいて,もう一度繰り返して規定されているということである.
上に挙げた三つの特徴の第一,つまりŚBとRV所属の二文献との繋がりについては,S. C. Chakrabartiが"A study of the Pāriplava" (Indo-Iranian Journal 32, 1989, 255-267)と題する論文の中で言及している.そこでChakrabartiは,おもにŚBのパーリプラヴァの十説話が,RV文献のそれより整合性のある内容を持っていることから,パーリプラヴァの起源はŚBにあり,RV文献に見えるものは,後にŚBから採り入れられたものであると推測した28.しかし,ŚBのパーリプラヴァ伝承とRV系のそれとの先後関係は,むしろChakrabartiの見解とは逆であったと思われる.つまりŚBの伝承は,その儀式形態の比較を通して見れば,前節までに見た同類の規定を載せる他文献のものより,決して古いものとは考えられない.むしろŚBのパーリプラヴァ伝承は明らかに,RV所伝のものを一つの基礎としながら,独自の仕方で新しく編成しなおしたものと見るべきである.
その最も大きな理由は,パーリプラヴァ朗誦という儀式の歴史的な形成過程が,ŚBでではなく,もっぱらRV文献においてのみ跡付けることが出来るということである.本稿の第2, 第4節において,すでにRVの両ŚSが,それぞれのラージャスーヤ章ないしサットラ章中の規定テキストを手本として,アシュヴァメーダ章のパーリプラヴァ朗誦のテキストを作ったことが確認できた.これに対しŚBでは,そのパーリプラヴァ朗誦のテキストや規定内容が同書の別の部分と対応するといった例は見られないのである29.したがって,パーリプラヴァ朗誦という儀式は,ŚBないしŚBが属するYVに起源を持つものではなく,もともとRVの中で形成されたものが,のちにŚBによって採り入れられた,と考えるのが妥当である30.
以上,ŚBにおけるパーリプラヴァ朗誦の儀式形態を,RVをはじめとする他文献のものと比較しながら,その歴史的形成を探ってきた.その結果をまとめて言えば,ŚBのパーリプラヴァ朗誦は主にRV由来の伝承に基づきながら,同時にSV所伝のパーリプラヴァとも共通要素を持ち31,しかもそこに,自らが属するYVの伝承(つまり同じアシュヴァメーダ章の前半部の規定)を結合させていた,ということになる.このことは,ŚB・アシュヴァメーダ章後半部の作者が,いわば「学派横断的」あるいは「学派統合的」なスタイルによって,アシュヴァメーダにおける説話朗誦の新たな儀式形態を作りあげたことを意味するだろう.今,その伝承形成の流れを示せば次頁の「表C」のようになる.
ŚBが作り上げたこの新しい説話朗誦の伝承は,それ以降に成立したYV新層のŚSに決定的な影響を及ぼしたと思われる.というのも,ŚBの流れを直接に汲むKātyŚS のパーリプラヴァ朗誦(20.2.7-8, 2.18-3.8)のみならず,黒YVのタイッティリーヤ派に属するĀpŚS (20.6.5-7.1)・HirŚS (14.2.6-18)32 においても,ŚBが示した複合的な説話朗誦の形態が現れているからである33.
以上,アシュヴァメーダ予備祭における説話朗誦の諸形態を,各文献の実例とともに検討してきた.筆者は本稿第1節の末尾で,すでに説話朗誦の大まかな変遷史を仮説として述べた.その仮説の妥当性は,第2節以降の諸検討を経て充分に示すことができたと考える.いま,表C: ŚB 13.4.3 におけるアシュヴァメーダ・説話朗誦儀式の伝承形成[表中の矢印は新形態への発展を示す]
a. 四大祭官および祭主への座具の規定:
RV所伝のシュナハシェーパ朗誦(ラージャスーヤ)での座具の規定
↓ (cf. ĀśvŚS 9.3.9-11← AB 7.18.11-12)
RV所伝のパーリプラヴァ朗誦での座具の規定
↓ (cf. ĀśvŚS 10.6.10-11)
ŚB 13.4.3.1 ←(?)SV所伝のパーリプラヴァ朗誦での座具の規定
(cf. DrāhyŚS 27.1.14-16; LāṭyŚS 9.9.10-11)
b. ホートリとアドヴァリウの呼びかけ:
RV所伝のサットラでのホートリとアドヴァリウの呼びかけ
↓ (cf. ŚŚS 10.13.27-28← AB 5.25.1-2)
RV所伝のパーリプラヴァでのホートリとアドヴァリウの呼びかけ
↓ (cf. ŚŚS 16.1.23-24)
ŚB 13.4.3.2
c. パーリプラヴァの十説話:
RV所伝のパーリプラヴァの十説話
↓ (cf. ŚŚS 16.2.1-36; ĀśvŚS 9.3.9-10)
ŚB 13.4.3.3a, 13.4.3.6-16
d. 複数のヴィーナーガナギンによる歌詠:
YV所伝の二人のヴィーナーガーティンによる歌詠
↓ (ŚB 13.1.5← TB 3.9.14)
RV所伝の複数のヴィーナーガナギンによる歌詠
↓ (cf. ŚŚS 16.1.25)
ŚB 13.4.3.3b
e. 二人のヴィーナーガーティンによる歌詠:
YV所伝の二人のヴィーナーガーティンによる歌詠
↓ (ŚB 13.1.5← TB 3.9.14)
ŚB 13.4.3.5; 13.4.2.8, 11, 14
その変遷史を,これまでに確認した事柄を踏まえて,次のように結論づけたい.
[1] アシュヴァメーダの予備祭には元々,何らかの形で説話を朗誦する儀式が含まれていたが,その形態にはヴェーダ学派の別に従って二つの種類があった.つまりYVの内部で伝えられていた二人のヴィーナーガーティンによる歌詠(cf. 本稿第3節)と,RV学派が伝えていたパーリプラヴァ朗誦(cf. 本稿第2節)である.
[2] その後,この二つの伝承は学派の別を越えて混交するようになったṚV所属のŚŚSが記す,パーリプラヴァ朗誦と複数のヴィーナーガーティンによる歌詠の結合型(cf. 本稿第4節)は,おそらくそうした混交の初期の一例であったと思われる.
[3] ŚB 13.4.3に記されたアシュヴァメーダにおける説話朗誦の儀式形態は,RV所伝のパーリプラヴァ朗誦を基礎としながら,部分的にSVと共通の儀式要素を加え,さらに同ブラーフマナのアシュヴァメーダ章前半部に対応するYV独自の規定を結合して,新たに創出された(cf. 本稿第5節).
[4] YVの新層諸文献はそのŚBに影響を受け,アシュヴァメーダ説話朗誦において上記[3]に述べたのと同じ儀式形態を規定することになった(cf. 本稿第5節末尾).
本稿の冒頭で述べたように,パーリプラヴァ朗誦は,いわばインドにおける説話文学の,原初的な形態を窺わせるものとして諸学者に注目されてきた.だが,その伝承が非常に古いように思われてきた理由は,ŚBというブラーフマナ文献の一つに,その記述があるからであった.しかし,ブラーフマナの伝承であるからといって,即座に古いというイメージ持つことは,その歴史的な位置付けに際して,誤った予断に繋がることもあるだろう.
本稿の論述で確認したように,このパーリプラヴァ朗誦という儀式の記述は,ŚB以外のブラーフマナ文献には見ることができない.またŚBにおけるその記述自体が同書の新層部分に属しており,さらにシュラウタスートラ文献の記述と比較してもかなり発達した儀式形態を示していることから,その伝承形成の時期は,事実上シュラウタスートラ文献と同等の段階に下る可能性が高い.少なくとも,これまでブラーフマナに見られる一方の「説話朗誦」として,並列的に述べられることの多かったラージャスーヤにおけるシュナハシェーパ朗誦よりも新しい伝承であることは明らかである(cf. 本稿第2節).
本稿は,ブラーフマナ文献の比較的新しい伝承の形成を,儀式形態の比較という視点でたどった一例として,研究意義を持ち得るのではないかと考えている.
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[各日の主題内容は「伝説上の王の名」「彼の臣民」「説話の聴衆」「説話に関連するヴェーダ」の順に並んでいる. これらの主題がどのように語られるかについては, 本稿第5節に引いた一日目の説話朗誦のテキストと訳を参照のこと]
一日目: Manu Vaivasvata; 人間たち(manuṣya-); 聖典に通じていない家庭祭式執行者たち (aśrotriyā gṛhamedhinaḥ); 諸リチュ(ṛc-)
二日目: Yama Vaivasvata; 祖先たち(pitṛ-); 老人たち (sthavirāḥ); 諸ヤジュス(yajus-)
三日目: Varuṇa; ガンダルヴァたち(gandharva-); 若い美男子たち (yuvānaḥ śobhanāḥ); 諸アタルヴァン(atharvan-)
四日目: Soma Vaiṣṇava; アプサラスたち(apsaras-); 若い美女たち (yuvatayaḥ śobhanāḥ); 諸アンギラス(aṅgiras-)
五日目: Arbuda Kādraveya; 蛇たち(sarpa-); 蛇たちと蛇使いたち (sarpāḥ, sarpavidaḥ); 蛇使いの知識(sarpavidyā-)
六日目: Kubera Vaiśravaṇa; ラクシャスたち(rakṣas-); 邪悪な者たちと罪悪をなした者たち(selagāḥ, pāpakṛtāḥ); 神的な者たちについての知識(devajanavidyā-)
七日目: Asita Dhānva; アスラたち(asura-); 高利貸したち(kusīdinaḥ); 幻術(māyā-)
八日目: Matsya Sāṃmada; 水棲動物たち(udakecara-); 魚たちと漁師たち(matsyāḥ, matsyahanaḥ); イティハーサ(itihāsa-)
九日目: Tārkṣya Vaipaśyat; 鳥たち(vayas-); 鳥たちと猟師たち (vayāṃsi, vāyovidyikāḥ); プラーナ(purāṇa-)
十日目: Dharma Indra; 神々(deva-); ヴェーダを習得し,祭式の報酬を受けてない者たち (śrotriyā apratigrāhakāḥ); 諸サーマン(sāman-)
[表中のRV・SV・YV・AVは,それぞれリグ,サーマ,ヤジュル,アタルヴァ・ヴェーダをさす]
A. 説話朗誦の儀式としてパーリプラヴァ朗誦のみを規定する文献
Āśvalāyana-Śrautasūtra 10.6.10-7.10 (ĀśvŚS, RV・シャーカラ派)
Lāṭyāyana-Śrautasūtra 9.9.10-13 (LāṭyŚS, SV・カウトゥマ派)
Drāhyāyana-Śrautasūtra 27.1.13 (DrāhyŚS, SV・ラーナーヤニーヤ派)
Vaitāna-Śrautasūtra 36.22-24 (VaitŚS, AV・シャウナカ派)
B. 二人のヴィーナーガーティンの歌のみを規定する文献
Taittirīya-Brāhmaṇa 3.9.14 (TB, 黒YV・タイッティリーヤ派)
Śatapatha-Brāhmaṇa 13.1.5 =第13章古層部 (ŚB, 白YV・ヴァージャサネーイン派)
Vādhūla-Śrautasūtra 11.6.12-19 (VādhŚS, 黒YV・タイッティリーヤ派)
Baudhāyana-Śrautasūtra 15.18-19 (BaudhŚS, 黒YV・タイッティリーヤ派)
Mānava-Śrautasūtra 9.2.2.7-12 (MānŚS, 黒YV・マイトラーヤニーヤ派)
A+B. パーリプラヴァ朗誦とヴィーナー奏者による歌詠との結合型を規定する文献
1.パーリプラヴァ朗誦とヴィーナーガナギンたちによる歌詠との結合型
Śāṅkhāyana-Śrautasūtra 16.1.22-2.36 (ŚŚS, RV・バーシュカラ派)
2.パーリプラヴァ朗誦と二人のヴィーナーガーティンによる歌詠との結合型
Vārāha-Śrautasūtra 3.4.1.35-41(VārŚS, 黒YV・マイトラーヤニーヤ派)
3.パーリプラヴァ朗誦と二人のヴィーナーガーティンによる歌詠およびヴィーナーガナギンたちによる歌詠との結合型
Śatapatha-Brāhmaṇa 13.4.2-3 =第13章新層部 (ŚB, 白YV・ヴァーシャサネーイン派)
Kātyāyana-Śrautasūtra 20.2.18-3.8 (KŚS, 白YV・ヴァージャサネーイン派)
Āpastamba-Śrautasūtra 20.6.5-7.6 (ĀpŚS, 黒YV・新タイッティリーヤ派)
Hiraṇyakeśi-Śrautasūtra 14.2.6-18 (HirŚS, 黒YV・新タイッティリーヤ派)
a. 四大祭官および祭主への座具の規定:
RV所伝のシュナハシェーパ朗誦(ラージャスーヤ)での座具の規定
↓ (cf. ĀśvŚS 9.3.9-11← AB 7.18.11-12)
RV所伝のパーリプラヴァ朗誦での座具の規定
↓ (cf. ĀśvŚS 10.6.10-11)
ŚB 13.4.3.1 ←(?)SV所伝のパーリプラヴァ朗誦での座具の規定
(cf. DrāhyŚS 27.1.14-16; LāṭyŚS 9.9.10-11)
b. ホートリとアドヴァリウの呼びかけ:
RV所伝のサットラでのホートリとアドヴァリウの呼びかけ
↓ (cf. ŚŚS 10.13.27-28← AB 5.25.1-2)
RV所伝のパーリプラヴァでのホートリとアドヴァリウの呼びかけ
↓ (cf. ŚŚS 16.1.23-24)
ŚB 13.4.3.2
c. パーリプラヴァの十説話:
RV所伝のパーリプラヴァの十説話
↓ (cf. ŚŚS 16.2.1-36; ĀśvŚS 9.3.9-10)
ŚB 13.4.3.3a, 13.4.3.6-16
d. 複数のヴィーナーガナギンによる歌詠:
YV所伝の二人のヴィーナーガーティンによる歌詠
↓ (ŚB 13.1.5← TB 3.9.14)
RV所伝の複数のヴィーナーガナギンによる歌詠
↓ (cf. ŚŚS 16.1.25)
ŚB 13.4.3.3b
e. 二人のヴィーナーガーティンによる歌詠:
YV所伝の二人のヴィーナーガーティンによる歌詠
↓ (ŚB 13.1.5← TB 3.9.14)
ŚB 13.4.3.5; 13.4.2.8, 11, 14
1 アシュヴァメーダの概略としては以下のものがある:Hillebrandt [1897]§76; Keith [1914] pp. lxii-lxviii, cxxxii-cxxxvii; Keith [1925] pp. 343-347; Kane [1941] pp. 1228-1239; Gonda [1960] S. 168-173.またDumont [1927]は白ヤジュルヴェーダの伝承に基づくアシュヴァメーダの詳細な記述研究である.
2 ŚB(13.4.3.15)やŚŚS(16.2.36)によれば'Pāriplava'という説話の名称は,それが毎日繰り返されることから「回転する(pari√plu-)」という動詞に由来したと言われる(cf. 次注).
3 実際にそこで語られる説話のテキストは,どの文献にも記されておらず,ただŚB(13.4.3.3, 6.-16),ĀśvŚS(10.7.1-9)およびŚŚS(16.2.1-30)でその主だったトピックが挙げられているだけである.おそらくこれらの説話は,元来大まかなトピックだけが決められていて,それをホートリが任意のせりふで語って聴かせるものであったと思われる. Chakrabarti([1989] 260)は'Pāriplava'という説話の名称も,こうした不特定な朗誦形式を表したもので'unsteady' 'unsettled'等の意味が原義であったと見ている.
4 ŚBのパーリプラヴァの記述とĀśvŚSおよびŚŚSでのそれとの相異については cf. Chakrabarti [1989] 257.
5 とくにパーリプラヴァを主題とした研究に Karmarkar [1952]; Hazra [1955]; Chakrabarti [1989], またその詳しい紹介として Max Müller [1895] pp.19-21; Dumont [1927]§181-218; Horsch [1966] S. 20-22; Drury [1981] pp. 44-55; Bhattacharya [1996] pp. 44-47がある.
6 後に見るように,実際の文献では「ヴィーナーガーティン(vīṇāgāthin-)」や「ヴィーナーガナギン(vīṇāgaṇagin-)」などの名称で現れる.本稿で「ヴィーナー奏者」という場合,これら同類の名称を併せて表す.
7 ŚB 13.4-5が同書の新層部分に属することは本稿の第5節で述べる.またĀpŚSやHirŚSが「新タイッティリーヤ派」とよばれる新層文献であることについては cf. 辻 [1970] pp. 19-26. さらにヴェーダ文献の年代を総合的に述べたものとして cf. Keith [1914] p. clxxii, xlvi; do. [1925] pp. 19-20; Renou [1947] pp. 291-292, 302-303; Kashikar [1968] pp. 161-162; Gonda [1975] pp. 357-360; do. [1977] pp. 476-479.
8 このグループに属するDrāhyŚSとLāṭyŚS(SV所属)とについては,本稿第5節で触れる.また,AV所属のVaitŚSにあるパーリプラヴァ朗誦の記述はごく簡単で,儀式の全体像を窺いにくいから,本稿の検討対象から除くことにする.
9 ĀśvŚSおよびŚŚSにおけるパーリプラヴァの十説話は,前出表Aに示したŚBのものと,ほぼ同じ内容・規定文面を持っている.いくつかの細かな相違については cf. Eggeling, ŚB 13.4.3.2, 6-14英訳(p. 361, pp.365-370) および Chakrabarti [1989] 256-258.
10 ここで用いられる動詞'ni √gad-'は,おそらくリチュを普通に唱えるのではなく,そのテキストを平明に語って聴かせることを意味すると思われる.ŚBは同じ規定個所で"vyācakṣāṇa-iva anudravet(説明するように唱える)"と述べている(cf. 本稿第5節の当該個所のテキストと訳).
11 両祭官による同類の呼びかけは,他の祭式(特にソーマ祭)でも見られる. cf. Renou [1954] 'āhāva-'および'pratigara-'の各項目.
12 ラージャスーヤの概略としては以下のものがある:Hillebrandt [1897]§74; Keith [1914] pp. cxi-cxiii; Keith [1925] pp. 340-343; Kane [1941] pp. 1214-1223; Gonda [1960] S. 162-168.またHeesterman [1957]は文化学的解釈を含むラージャスーヤの記述研究である.
13 シュナハシェーパ朗誦の儀式内容について cf. Heesterman [1957] pp. 158-161,また実際に語られる説話のテキストはAB 7.13.1-18.9およびŚŚS 15.17-27に記されている(注の豊富な英訳として Keith [1920] pp. 299-309がある).
14 シュナハシェーパ説話のテキストは,97のリチュと31のガーターによって構成されている. cf. Keith [1920] p. 309 fn.; Heesterman [1957] p. 158 fn.4.
15 AB 7.18.11-13: tad dhotā rājñe 'bhiṣiktāyācaṣṭe (11) hiraṇyakaśipāv āsīna ācaṣṭe, hiraṇyakaśipāv āsīnaḥ pratigṛṇāti. yaśo vai hiraṇyaṃ, yaśasaivainaṃ tat samardhayati (12) om ity ṛcaḥ pratigara, evaṃ tatheti gāthāyāḥ.(そこでホートリは,すでに灌頂を済ませた王に[シュナハシェーパ説話を]語る(11) 金刺繍をともなったクッションに座った者(ホートリ)が語り,金刺繍をともなったクッションに座った者(アドヴァリウ)が応答する.実に金は名声である.この者(王)に名声そのものを,そこで授ける(12) 「オーム(om)」というのがリチュへの応答,「そうだ(tathā)」というのがガーターへの応答である.)
16 また,両儀式の規定文に「潅頂をすませた王のために(abhiṣiktāya ... rājñe)」とあるが,王の潅頂(abhiṣeka-, cf. Heesterman [1957] pp. 112-122)は,もっぱらシュナハシェーパ朗誦の前に行われるものである.従ってパーリプラヴァ朗誦の規定文にあるこの一節は,その手本となったシュナハシェーパ朗誦の伝承の残存と考えられる.
17 サットラの概略としては以下のものがある:Hillebrandt [1897]§79-80; Keith [1925] pp. 349-352; Kane [1941] pp. 1239-1246; Gonda [1960] S. 160-162.
18 AB 5.25.1-2: adhvaryo ity āhvayate caturhotṛṣu vadiṣyamāṇas, tad āhāvasya rūpam. om hotas tathā hotar ity adhvaryuḥ pratigṛṇāti(チャトゥルホートリの諸詩節において語り始めようとする者(ホートリ)は「アドヴァリウよ!」と呼びかける.これが呼びかけのかたちである.「オーム,ホートリよ!そうだ,ホートリよ!」とアドヴァリウは応答する).
19 Cf. Comm. Haradatta ad Āpastamba-Gṛhyasūtra 6.14.4: yo vīṇayā gāthā gāyati(ヴィーナーによってガーターを歌う者).
20 "nāma gṛhṇāti" という表現は VādhŚS 1.2.4.13 (ed. Ikari [1995])にも見られる(...... amuṣmai jyotiṣmatīm ity ātmano 'gre nāma gṛhṇāty amuṣmā amuṣmā ity).なお,VādhŚSのテキスト訂正に際し,京都大学の井狩彌介教授からお借りした写本資料を参照した.貴重な資料をお貸しくださった教授に,この場を借りてお礼を申し上げます(この写本資料についての詳細は Ikari [1995] pp. 1-17を参照のこと).
21 各文献の記載個所については,本稿第1節の「表B」を参照のこと.
22 ŚBの規定を継承したKātyŚS 20.2.7-8は,具体的な歌詞を挙げてはいないが,その歌が祭主への称賛であると述べている.
23 ŚŚS 10.13.27-28: adhvaryo3 ity āmantrito hoyi hotar iti sarvatra pratiśṛṇoti (27) oṃ hotas tathā hotar ity ācakṣāṇe 'nugrṇāti (28).
24 ‘vīṇāgaṇagin-’という語をKātyŚS 20.3.3に対するYājñikadeva注は次のように解釈する.“vīṇāgaṇaginaḥ vīṇānām alābuvīṇā tritantiḥ saptatantiḥ śatatantiḥ ity ādīnām gaṇo vīnāgaṇaḥ tena ye gāyanti te vīṇāgaṇagāḥ te [śiṣyabhūtāḥ] santi yeṣām [gāyanācāryādīnām] te [vīṇāgaṇaginaḥ].”(「ヴィーナーガナギンとは: 諸々のヴィーナーの,[つまり]三弦,七弦あるいは百弦を持つアラーブ・ヴィーナー(ひょうたん型のヴィーナー)などの集まり(gaṇa-)が「ヴィーナガナ(vīṇāgaṇa-)」; これ(ヴィーナーガナ)[の伴奏]によって歌う人々が「ヴィーナーガナガ(vīṇāgaṇaga-)」たち ; 彼ら(名手たち=ヴィーナーガナガたち)が属しているところの人々(歌の師匠等),その人々が[ヴィーナーガナギンたちである]」).この語に関する詳しいノートとして cf. Minard [1956] n. 206a (p. 86).
25 またŚŚSのテキストでは,称えられるべき古えの王を‘puṇyakṛt-(善いことをなした)’と形容しているが,これはVādhŚS(11.6.13)にある"adaḥ sādhv akaroḥ(あなたはかの正しいことをなした)"という歌詞の意味にも通じる.これが単なる偶然でないことは,次節で引用するŚBが,ヴィーナーガナギンたちの歌詠について述べるとき,称えられるべき古の王を‘sādhukṛt-(正しいことをなした)’と,VādhŚSに対応する形容詞を用いていることでもわかる.
26 当テキスト中の'havai'(-ai- にアクセントあり)は,これまで動詞√hvā-の定動詞の一種であるように解釈されてきた(cf. Eggeling [1900] p. 361 n. 3; Dumont [1927] §160 n.).しかしこの語は,他文献のパーリプラヴァの記述にも見える'ho(3)yi'や'ho3i'といった,Plutiを伴った呼びかけの一つではないかと考える.他文献では第一音節の後にPultiが来ているが,これが語末に転移した場合'havī3'や'have3'の形が予想され,ここからは母音階梯上'havai3'への変化も可能となる.Plutiの概説として cf. Wackernagel [1896] S. 297-300; Delbrück [1888] S. 551-553. なお,Plutiが実際のテキストにおいて脱落することは珍しくない.
27 DrāhyŚS 27.1.13-16; LāṭyŚS 9.9.10-11. Ex. DrāhyŚS: tāsu saṃsthitāsu dakṣiṇata āhavanīyasya hiraṇmaye kūrce prāṅmukha āsīno yajamānas tathā hotā (13) saṃvatsaram ahar ahar hotuḥ pāriplavam ācakṣāṇasya śṛṇuyāt (14) purastād adhvaryuḥ pratyaṅṅmukho hiraṇye phalake (15) hiraṇyakaśipuny āsīno brahmodgātā codaṅmukhau (16) (これら(サヴィトリへの三つのイシュティ)が終わったとき,アーハヴァニーヤ祭火の南で金製の小椅子に祭主が東面して座っている.ホートリも同様に[座っている](13) 一年間,毎日[祭主は]パーリプラヴァを語るホートリに耳を傾けなさい(14) [彼らの]東にアドヴァリウが,西面して金の座台に[座っている](15) 金刺繍を伴ったクッションにブラフマンとウドガートリが座っている.[この二人は]北面している(16).
28 “The treatment of the subject in the Ā[śv]ŚS (X. 6-7) and the ŚŚS (XVI. 1-2)appears to have been mainly dependent on the ŚB.” (Chakrabarti [1989] 256-257). 同様の見解はKarmarkar [1952] 26 もすでに述べている ("The account given in the Śatapatha is undoubtedly the earliest and that given in some of Śrautasūtras is mostly the same, with a few changes here and there.").
29 Drāhy-およびLāṭyŚSといったSV文献においても,ŚBの場合と同じく,パーリプラヴァ朗誦の形成過程をその内部で跡付けることはできない.
30 さらに付け加えれば,パーリプラヴァ朗誦における中心的役割は,説話の語り手であるホートリが担っている.このことからも,当該儀式がホートリによって伝承されるべきRV文献において形成されたと見ることは自然である.
31 ŚBとSV所属の二文献との,伝承の先後関係については不明である.ここでは推測として,ŚBが諸ヴェーダ学派の伝承を一つにまとめる意図から,同時代のSVで伝えられていた伝承を採り入れた可能性を考えておく.
32 ただしこの二文献では,「ヴィーナーガナギン(-gaṇagin)」の語が「ヴィーナーガナキン(-gaṇakin)」と一部変化している.この語形については cf. Minard [1956] n. 206a (p. 87).
33 ただし,本稿第1節の「表B」で'A+B2'の項目に分類したVārŚSの説話朗誦は,ŚBの影響を受けたものではないだろう.そのパーリプラヴァ朗誦の規定文面は,同書のラージャスーヤ章におけるシュナハシェーパ朗誦のもの(3.3.3.31-33 [ed. Kashikar])と共通しており,伝承形成の方法としてはRV所属のĀśvŚSに近いことになる.しかしいずれにしても,同じマイトラーヤニーヤ派の先行文献であるMānŚSは,他の黒YV文献と同様,アシュヴァメーダにパーリプラヴァ朗誦を規定していないから,VārŚSに見えるこの儀式形態も,おそらくRV学派の影響のもとに作られた,比較的新しいものと思われる.