Tropics
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港川人の島嶼環境への身体適応
馬場 悠男
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2000 年 10 巻 2 号 p. 231-241

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抄録

港川人骨は故・大山感保氏によって1970 年に沖縄県具志頭村港川採石場で発見された4 体分+α の化石骨格である。時代は17,000 年ほど前であり,アジアの新人化石として最も保存が良い。以下,代表として1 号男性について述べる。
脳頭蓋は低く広く頑丈であり,骨壁が厚いので,外見のわりには頭蓋腔容積は小さい(1,390ml) 。顔面も低く広く造りがごつい。眉聞が出っぱり,鼻根はくぽむが鼻梁は高く立体的である。顎の骨の歯槽部が厚く,歯の唆耗は激しい。口元は引き締まっていて,顎先(オトガイ)はしゃくれた感じはしなかった。側頭筋のはいる側頭窩が非常に深く,頬骨が強く張りだすので,側頭筋や唆筋の発達は極めて良かったはずである。下顎底は弓状で,いわゆる「揺り椅子」状態。
四肢躯幹骨は小柄である(推定身長は153 em) 。特に鎖骨と上腕骨が華脊であり,肩や腕は弱かったといえる。しかし,手は大きいので鍾カはかなり強かったらしい。下肢の骨の頑丈さは体のサイズに合っている。足は大きいので,山野を歩き走るには適していたようである。
港川人のこのような特徴は,食物の大部分が硬く粗雑で,あまり栄養状態の良くない,遊動性の採集狩猟生活に対する適応,すなわち具体的には島嶼環境への適応と理解するのが適当である。
同時代の東アジアの化石である山頂洞人や柳江人そして縄文時代人は,脳頭蓋や顔面の特徴においては港川人と共通する部分があるが,日且鴫筋の発達程度は弱い。ただし,四肢躯幹骨の特徴では,彼らと港川人は全く異なっている。山頂洞人・柳江人・縄文人とも,大腿骨後面の粗線が発達して付柱状になるなど,全身の筋肉の発達が伺える。つまり,彼らは比較的良好な栄養状態のもとで,筋肉が発達するような適度な労働をしていたといえよう。定住(多寡はあるが)を含んだ広く多様な活動をしていたことだろう。
さて,港川人は縄文人の直接の祖先なのだろうか。脳頭蓋と顔面の特徴では,港川人は縄文人とよく似ているので,祖先である可能性は高い。四肢躯幹骨の特徴は全く違うが,それに関しては港川人の島嶼適応という特殊な状況のためとも考えられるので,否定材料としては完全ではない。ちなみに,港川人と同じ時代の本土の断片的な化石四肢骨は,縄文人と同様の特徴を示す。
なお,現代南西諸島人の起源が問題である。港川人から縄文人をへて現代南西諸島人へと変化したのか,それとも周辺からの大量の移住があったのだろうか。埴原和郎の二重構造モデルでは,南西諸島人は港川人・縄文人の直系の子孫と考えられた。一方,高宮広土は,狭い南西諸島で集団を維持してゆくのは困難であり,何度かの絶滅と移住が繰りされた可能性を示唆している。
確かに,最近の人類学的研究では,現代南西諸島人は縄文人やその直系子孫であるアイヌとは異なり,むしろ本土日本人と似ているとの結果が出ている。そうだとすると,縄文時代以降連綿と,南西諸島は日本本土あるいは中国·台湾との聞にかなり頻繁な移住·交流があったと見なす方がよさそうである。

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© 2000 日本熱帯生態学会
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