2011 年 2 巻 p. 31-43
シェイクスピアは『ジョン王』、『リチャード三世』、『コリオレーナス』において未熟な母親を描いている。未熟さはわが子との関係において生じる。いずれも未熟さに対し無自覚に生きた母親たちである。自分のこころを省みることのない母親は、こどものこころを慮ることもできない。しかし、この未熟な母親をこどもは受けとめる。そのこどもの姿をとおして見えてくるものがある。シェイクスピアの視線である。未熟な母親を切り捨てず、一人の人間として見つめる視線である。愚かな生き方をしてしまった人間に対する憐憫のこもった視線である。母子関係の観点から未熟な母親像を考察する。