哲学の探求
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個人研究発表
〈徴候し索引する人間〉を基底とする人間形成論
中井久夫の思索と臨床
菊池 壮太
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2023 年 2023 巻 50 号 p. 42-54

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〈徴候し索引する人間〉を基底とする人間形成論

––中井久夫の思索と臨床––

菊池壮太

1.はじめに

今日,ジャック・ラカン派の精神分析・精神病理学は,以前には想像できなかった種々の新たな展開を経て,国内外で大変な活況を呈している.精神医学・認知心理学による理論的な転換が大きく影響したこともあり,フロイト=ラカン派の理論は,定期的に再評価が試みられたものの,あまり顧みられない時期が長く続いてきた.その潮目が変わったのが1990年代,ラカンの死後に,ジャック=アラン・ミレールがフロイトの大義派Ecole de la Cause freudienneの中心人物となったあたりである.ラカンを臨床家として冷静に受け止めたうえで,それが何であったかを問い,そのポテンシャルを掘り起こそうとするような研究が可能になってきたといってよい.以後,ラカンをはじめラカン派に関する出版物が現れ,いわゆるラカン派直系の精神分析家だけでなく,さまざまな立場の哲学・思想研究者たちが,さまざまな問題意識と方法論をもって,ラカンの理論と向き合うようになってきた.

さらに,二一世紀になると,こうした流れに加わる国内の研究者たちが一気に増えてきた.ラカンとラカン派の著作の翻訳作業が行われ,日本の研究者たちも活発な展開を見せている.松本卓也の言い方を借りれば,今わたしたちは,ラカン派の理論がメンタルヘルスの名の下にすべての人間の病を普遍へと還元し,病の特異性=単独性を消去していくメンタルヘルス政策に抗う知恵,すなわち,「「すべてではない」臨床,あるいは,それぞれの主体の特異性=単独性を重視するポスト-鑑別診断の理論と実践」1が必要となっていく時代のとば口にいるのかもれない.

このようななかで,ラカンの研究はみるみるうちに蓄積されるようになり,また国内の精神病理学者の木村敏等の名が国内外で盛んに引き合いに出されるようになっている.だが,木村敏と並び称されることの多い中井久夫(1934-2022)については,その思索に本格的に取り組んだ研究は数少なく,専門的な研究書はほとんど存在しない.

もちろん,今述べたような流れのなかで,中井久夫研究に何も起こらなかったわけではない.1984年には岩崎学術出版社から全6巻の『中井久夫著作集』が組まれたほか,2011年には『中井久夫コレクション』全5巻がちくま学芸文庫から出版されている.2017年には,『中井久夫集』全11巻がみすず書房から刊行され,中井の主要著作へのアクセスが一挙に可能となった.それと連動して,2015年に「こころの科学」で『中井久夫の臨床作法』が特集され,中井と中井から直接教えを受けた者たちの対談が組まれている.2017年ではKAWADE夢ムックから『中井久夫 精神科医のことばと作法』が刊行され,さらに中井の思索に関する論考が厚みを帯びた.また,村澤真保呂・村澤和多里により,河出書房新社から2018年に『中井久夫との対話:生命,こころ,世界』が刊行され,中井と親縁のあった人からしか見えない中井そのひと自身の姿が示され,貴重な資料としてまとめられている.

こうして着々と中井久夫研究の土台となる資料が集まり始める中,2022年の8月8日,享年88歳で中井はこの世を去った.我が国の精神病理学において数多くの重要な功績を残してきた中井久夫の死去は瞬く間に各所に伝えられ,青土社の『現代思想』では2022年12月臨時増刊号に「総特集 中井久夫1934-2022」が組まれ,中井久夫を追悼する論考が各種方面から寄せられた.ところで,一般的に,一人の精神科医が精神科の領域を超え,多方面から一目置かれるというのは意外なことのように思われないだろうか.斎藤環は「…現在は「中井久夫」という治療文化が,中井ファンという緩やかな共同体で共有されていて,その中で皆がてんでに「俺の/私の中井久夫」について語り合っているという印象でしょうか」3と論じて分析している.これは,中井久夫の思索が,狭義の精神医学という閉じた領域に留まらず,各専門領域へと広がるポテンシャルを備えていることから,それがそれぞれの専門家へと伝播し,「治療文化としての中井久夫」が形成されているものと捉えることができる.実際,中井久夫の思索は,統合失調症やトラウマ,解離,司法の精神鑑別など,難しい臨床事例を数多く扱っているが,にもかかわらず,不思議とその思考には読む者の心に響くものがある.だからこそ,中井の臨床論の愛好家は,医学の枠を超えて心理学や教育学,看護学にも大きく読まれている.そこで,本稿では,中井久夫の思索の主たる特徴を整理し,明らかにすることを目標にしたい.

2.中井久夫の思索の遍歴

2.1 中井久夫とは誰なのか

中井とは何者なのか.風景構成法や寛解過程論など,中井久夫の代名詞ともいえる語は一定の知名度をもっている.また,平成という時代の少年司法の変革の契機となった「神戸連続児童殺傷事件」(通称:酒鬼薔薇事件)の精神鑑定を担当したという事実や,犯罪被害者の心の傷つきの問題に着手し,「ひょうご被害者支援センター」の初代理事長を務めたことは,司法精神医学や犯罪心理学との関係で注目されている.他方,ラテン語や現代ギリシャ語,オランダ語にも通じた語学力を活かし,ハリー・スタック・サリヴァン,ヨハネス・ハインリヒ・シュルツ,マイケル・バリントなどを精神医学領域に翻訳紹介し,この分野における目覚ましい幾多の寄与をされ,ポール・ヴァレリーの『若きパルク/魅惑』をはじめとした詩の翻訳やエッセイなどの文筆家としても知られている.阪神淡路大震災以後は被災者支援に尽力し,我が国のPTSD研究を牽引するとともに,現在の「兵庫県こころのケアセンター」を築き,DPAT(災害派遣精神医療チーム)の活動にも通じていた.また,自身の子ども時代のいじめ被害を振り返り,いじめが成立するに至る構造やダイナミズムについての分析は「いじめの政治学」という文章に結実されたほか,アンリ・フレデリック・エランベルジェ原作の『いろいろずきん』の翻訳だけでなく絵本の挿絵を自ら描くなど,中井は子どもへ柔らかく,温かな眼差しを持たれていた.

さて,以上のような思索の遍歴をまえにするとき,なによりもその関心の多方向性,扱う材料の多さに驚かずにはいられない.そして,次のように問い掛けずにはいられない.精神病理学の専門家にして,国内の重大事犯の精神鑑定を任せられる天才精神科医,統合失調症の回復過程を芸術療法によって切り開いたパイオニアであり,晩年は阪神淡路大震災の被災者の心のケアを陣頭指揮し,現代の文学にも貢献をなし,おまけに精神医療に携わる看護師や心理師,ケースワーカーの教育にも尽力していたこの中井久夫とは,結局のところ何者であるのか.現代の臨床において問題になっている事柄で,中井の言及を免れているものは稀である.個々の興味深い主題に関する中井の行き届いた研究は,人の心を学ぶ者に,この臨床家自身の思索と作法の核心を把握したいという欲求を引き起こすだろう.だが,そのように望んで中井の著作群のなかに分け入ると,多方面にわたる専門的知識・引用と詩的な文体の緩急のなかで,中井自身の思索は慎ましやかに姿を隠してしまう.中井の思索を理解しようとする者が最初に直面する困難は,この点に存しているといえる4

この事態は,中井の思索において偶然的なものではなく,かれの思索の仕方に本質的に結びついたものである.中井は,徹底して聴き手であろうとする臨床家,より正確にいえば,騒乱後の医者(「翌日の医者」)であることを徹底し,静かに思考を構築する臨床家である2.中井は,聴き手としての驚くべき能力を駆使して,精神疾患を抱える患者や,加害者・犯罪者といった「異常」といわれるこの世に棲む人々の主張を一つ一つ丁寧に取り出す.そして,かれらの主張を整理し,比較参照しつつ,患者がそれ以上に傷つかないことを最優先に考えて自らの見立て(鑑別)を表現する.

とはいえ,中井が目指すのは,すべてをひとつの視点のもとに診断することではない.そのような体系化を貫徹するには,この優れた臨床家は,諸々の立場の差異にあまりにも鋭敏でありすぎる.患者の実存の深さと医学の明晰さの交差点に立ち,心理学と文学を接木し,それぞれの主体が生きてきた時間的な縦のつながりと緩やかに広がる空間的な横のつながりを,きめこまやかな鑑別によって結ぶというように,中井はいつも対立する見立てのあいだに臨床の場を定める.しかし,同時に中井は,見立てが常に政治や社会の影響を受けたもので,完全な見立ては不可能であることを繰り返してやまない.そのアポリアを自らの内に引き受けて,そこから患者の生の声を聴き,それぞれの主体の特異性を重んじる臨床を築こうと努力し続けるのである.すなわち,精神医学的なものの見方にどっぷりはまって患者を客観的に観察するのではなく,観察する側である自分自身や精神医学そのものも文化的に規定されたものとして相対化する視点-関与しながらの観察-を基調としているのである.

このような思索のスタイルのゆえに,中井を読む者は,その多方向性をそのままに受け止め,そのすべてをかれと共に辿ることを強いられる.その意味で,中井の思想は複雑であるばかりか要約不可能なのである.

中井の思索の以上のような性格は,しかしながら,たんに中井の個人的気質に起因するものではない.中井における精神医学と政治の緊張関係は,診断行為や臨床実践に影響する問題として,かれの全思索にわたって存続している.おそらくは,体系的な人間理解を不可能とし,その事態にどこまでも踏みとどまろうとする中井の臨床作法は,かれが面し続けてきた医学と政治の緊張と響き合っているのではないだろうか.実際,晩年の中井は,戦争神経症やトラウマ,解離の心的機制,その時代の政治や司法といった社会の問題と結びついたものであることを注意深く観察し,数多くの専門書を翻訳し,度々自身の議論のなかで紹介している.もちろん,まず精神科医として自己を規定する中井が,医学の次元と政治の次元の区別に細心の注意を払ってきたことは強調されねばならない.しかし,中井にあっては,この注意そのものが両者の緊張関係に対する鋭敏な意識の表れであり,その緊張のなかで両次元の思索は刺激し合い,影響してきたと思われる.この点にまで踏み込むならば,中井久夫の思索の理解はいっそう困難な作業となるだろう.

2.2 中井久夫の思索の遍歴

さて,中井の思索の遍歴を簡単に辿ってみよう.中井は1934年に奈良県天理市に生まれた.幼少期に戦争を経験し,日本の運命が行き詰まっていくことをひしひしと感じる雰囲気を肌で感じるなかで生育する.敗戦の年の1945年は,前半は空襲で,後半は教師の混乱や食糧難で授業がなくなるなど戦後の騒乱を体験することになる(集7 : 240-245).しかし,戦後初の旧制甲南高等学校に入学すると,ふたりの国語教師からリルケとヴァレリーを学び,図書館に寄贈された京都学派の九鬼周造の蔵書から原書を借りて読み耽っていた.「打ちひしがれた占領下,私たちを圧倒したヨーロッパの精神の謎に分け入りたかったのだろう.ドイツ語,フランス語の他,若いほうの教師と一緒に西洋古典語に手を染めたりもした」(集3 : 336).中井の言語感覚は,戦後の騒乱という緊張下で養われ,後に寡黙であるが内に戦争状態にある分裂症(現在の統合失調症)の患者へのアプローチに手がかりを与えることになる.

その後,文学を好んだ中井は京都大学法学部に入学する.しかし,滝川事件の傷跡を残した大学の雰囲気に意欲を失い,同時に結核が発覚したこともあって,早々に休学することになる.さらに,就職困難な時代のなか,結核経験者ということもあり,肩身を狭くしたことから就労先を失い,医学部を受験することになる.

さて,若き中井を医学の世界に導いたのはウイルス研究である.中井は京大ウイルス研究所と,学術振興会流動研究員として実験を行なっていた東京大学伝染研究所を往復していた.ウイルス研究時代について自らを「眼高手低」(集3 : 64)と謙遜しているが,この時代の経験は,「有機の人」,「実験精神」を重んじる後の中井の臨床に強く影響を与えている.

また,20代最後の年に書かれた処女作『日本の医者』はウイルス研究所を行き来する夜行列車で執筆された作品である.医療労働者の不安定な地位と,その原因になっている医局制度の問題が冷徹な筆致で綴られている.しかし,この作品の刊行は中井を窮地に追い込むことになる.中井は「上原国夫」という筆名で実名を隠していたが,医局に発覚し,ウイルス研究所を破門されるのである.その結果,江東区の眼科病院で夜間診療のアルバイトをし,身の振り方を考えるために,知人の紹介により東京労災病院の神経内科と脳外科をそれぞれ1ヶ月ほど見学するなど,困窮した生活を余儀なくされる.

そうした沈んだ状況のなか,訪問した精神科では,医師や看護師に見送られて患者が退院していくところを見る機会があり,精神障害は治るものであるということに他の科にない明るさに目を見開かされた5.その後,東京大学付属病院分院神経科の笠松章教授のもとで精神科医としてのキャリアを始めた.1966年の32歳の春のことである.こうして,遅めながら中井は精神科医としてのキャリアを開始したのである.

まとめると,中井は幼少期の戦争やその後の社会の騒乱を経験し,医学に転向後も医局を破門されるなど苦難の時を過ごしたが,その間に文学の才や政治への強いアンテナ,有機への誠実な態度感覚が培われた.その成果は,精神科医としてキャリアを始めてまもなく,頭角をあらわにしている.3年後の1969年の『風景構成法』を皮切りに,7年後の1973年には『精神分裂症の寛解過程における非言語的接近法の適応決定』,翌年には『精神分裂病状態からの寛解過程』をはじめとする一連の「寛解過程論」が実を結んだ.以上の研究を糧にして,中井久夫は自らの思索と臨床を世に問うことになる.

2.3 「精神科医としての中井久夫」の臨床作法

中井の基本姿勢は西欧文学をはじめ,古今東西の外国語文献を自在に読みこなして得られたさまざまな教養の宝庫を横断し,美しく散文化してみせる圧倒的な言語的センスと,ウイルス研究の「有機」から学んだ有機生物学への関心,さらに政治との緊張関係の交差点に立つことであった.そこから,精神科臨床のありかたを照らし出すことを試みたのである.このようにして,中井は「あいだ」「アンテ・フェストゥム」といった哲学概念を自在に駆使する木村敏や,「ファントム空間」「パターン概念」といった図式的な視点から理論を展開する安永浩らとともに,日本の精神病理学の先導者となった6

しかし,中井の精神科臨床は,文学と有機生物学からだけでは説明し尽くされないかれの固有の関心によって導かれていた.それは患者の「世の棲み方,根の生やし方の獲得」(集1 : 213)の問題である.中井の名作『世に棲む患者』(1980)は,その意識の産物であるということができる.そもそも中井の精神科臨床への関心は,患者が病から回復する寛解過程という主題によって動かされていたのである.「風景構成法」や「寛解過程論」は,この主題に正面から取り組むものとなった.この省察は,かれの「患者に寄り添う臨床家」としての信念とも響き合うものであるが,思索の次元では精神病理学者クラウス・コンラートと外科医アンリ・ラボリ,生物学者ジョージ・シャラーである.

私は,実際上,ラボリの『術後不調和振動反応とショック』,コンラートの未完成のままに終わった著作Die beginnende Schizophrenie(『分裂病のはじまり』),そして,シャラーの『ゴリラの森』の三冊だけを携えて精神科医になった.(中井久夫「解説」『統合失調症1』, みすず書房, 2010, p. 197)

コンラートは,ハイデガーに淵源し,ルートウィヒ・ビンスワンガーを経由する人間学的精神病理学を批判することに主眼を置くことで,統合失調症の発病過程を内容面ではなく体験構造との連関で精緻化させた精神病理学者である.しかし,中井の論述のなかでは,人間学的精神病理学とコンラートの議論は矛盾なく同居し,自らの思索の出自がここにあることを述べている.

その際,ラボリの術後振動反応(手術で使用する麻酔の侵襲は,その侵襲が生体に加えられた後に副交感神経ショックを生じさせるけれども,その後には正反対の交感神経ショックを生じさせ,以後はその二つの状態が交換しながら安定化に向かう振動的なものであるというもの)を接木することで,コンラートの理論を補強している.

ふつうは一回きりの反応として捉えるところを振動反応であると指摘したのが,手術室で患者の全身状態を時々観察する麻酔医ラボリの本領である.(中井久夫「解説」『統合失調症2』, みすず書房, 2010, p. 171)

中井は,統合失調症は慢性化して治らないという捉え方に対し,病棟での生活や絵画療法で垣間見える振動として捉えたのである.さらに,シャラーの環境との一体化の理論を下敷きにしたのが,中井の寛解過程論の核心をなしている.それは,寛解に至る患者の生活,世の中への棲まい方・根の生やし方をみる,より高次の人間学として動き出すのである.

この「世に棲む患者」への省察が,中井久夫の思索をあらゆる領野の枝を伸ばす源泉となっている.心を病みうるひとを対象とする臨床心理学はもとより,老いゆくひとを対象とする看護学,狂いゆくひとを対象とする犯罪学,未来を生きゆく子どもを対象とする教育学など豊かに展開されている.年齢を重ねるにつれ,中井の関心は多種多方向に広がるが,むしろ「世の棲み方」という主題のもと,緩やかな筆先で常に当事者たちへの配慮を忘れない.「だれでも病人でありうる,たまたま何かの恵みによっていまは病気ではないのだという謙虚さが,病人とともに生きる社会の人間の常識であると思う.これがまた,看護なり医療なりの原点である.ともに病みうる人間,ともに老いゆく人間として相談にのり,手当てをする.」(中井久夫, 『看護のための精神医学』, 医学書院, 2001, p. 6),「犯罪にかんする論文は「私も犯すかもしれないものとしての犯罪の学」というものを考えている.精神障害を「自分もなるかもしれない病い」として考えてゆくのと同じ姿勢である.」(中井久夫, 『徴候・記憶・外傷』, みすず書房, 2004, p. ⅴ).

慢性化した統合失調症患者の内側で微細に揺れ動く徴候を,象徴的表現を介して接近するという寛解過程論は,困っているひとを理解し,支援したいそれぞれの専門領域を生きる支援者の悩みに呼応する.この洞察を起点に,中井は,たんなる一精神科医としてだけではなく,旺盛な活動に入り,精神医学に留まらず数々の功績を残したのである.

3.中井久夫研究の方向性

以上に述べたような事情のために,中井の思索の研究において十分な成果をあげるのは容易なことではない.たしかに,その多産的な思索活動に呼応して,この精神科医の名はいたるところで口にされ,その論考はさまざまな文脈で引用されている.だが,中井自身の著作の驚くべき量に比べて,かれの思索それ自体を主題にし,本格的に論じた研究はそれほど多くない.また,それらの文献のなかでも,中井の思索の確信に分け入ることを欲する者にとって有益な道案内になり得るものは数少ない.残念ながら,わが国での中井久夫研究の現状は,このようなものであると思われる.既存の研究について便宜上少々図式的な分類を行うと,大きく次の二つの型に分けることができるだろう.

ひとつは,中井の思索の固有の問題を説明しながら,かれの臨床作法を忠実に再現しようとするものである.冒頭で紹介した『現代思想』の特集に「作法」という言葉が使われていることはそのことをよく表している.その際,臨床家たちのひとつのキーワードとなっているのが心の生毛という中井の有名な概念である7.これは1976年に執筆された『統合失調症の慢性化問題と慢性統合失調症状態からの離脱可能性』ではじめて提示された中井を特徴付ける極めて重要な概念である.「…たまさかの治療場面で治療者が感じる,慎みを交えたやさしさへの鋭敏さにあらわれているような––きわめて表現しにくいものであるけれどもあえていえば––一種の「心の生ぶ毛」あるいはデリカシーというべきものをこの人たちは失っていないように感じられる.その実態が何であっても,たとえば,少なくとも一部の人がこの人たちと長く結婚生活を続けてゆけるのは,それだけの魅力があるからに違いない」(著1 : 256),「自然治癒力それ自体が新しい,多少とも病的な展開を生む原動力となりうることは,自己免疫病や外傷性ショックをはじめ,身体疾患においては周知のとおりであるが,慢性分裂病状態からの離脱過程においても,一見性格神経症,あるいは“裏返しの神経症”という意味でのいわゆる精神病質的な状態にはまり込むことが少なくない.これらは,いわば「心の生ぶ毛」を喪失した状態である.「心の生ぶ毛」を喪失すること自体は何も分裂症と関係があるわけではなく,そういう人は世に立ち交っている人の中にも決して少なくないけれども,「高い感覚性」をかけがえのないとりえとする分裂症圏の人にとって,この喪失の傷手はとくに大きい」(集1 : 261).

自然的治癒力と病的な展開の原動力,慢性分裂状態と精神病質的状態,「心の生毛」と「高い感覚性」が対応していることに注目したい.心の生毛はたんなる柔らかくてデリケートな個性とするような意味ではなく,むしろ常に精神病理の危険な世界を予感させる危うい何かなのである8

心の生毛はその後も中井の著作で頻回に登場している.「分裂病を経過した人の多くに一種の魅力がある.患者と友情を結んでいる人は決して少なくない.この人たちは患者のどこかに魅力を感じているはずである.そのためには「心のうぶ毛」ともいうべきものを擦りきらせないことが大切である,と私は述べてきた.これが擦り切れやすい時期が回復の途中で何箇所かある.そこを注意する必要がある」(著2 : 81),「対人関係への過敏さがこの程度になるとなるほど世に棲めないが,これほどでないひとが手荒い対人関係に長年晒されていると,私が昔「こころのうぶ毛がすりきれた」と表現したことのある,すり傷の上にすり傷が幾重にも重なったようになる.こういう人には,何年も何年もやわらかに接するほかないのだろうが,何とか予防できないだろうかと思わずにはいられない.疲れを前面に出してくる患者さんの中にはこういう人が確かにいる」(集3 : 290),「私はかつて「心の生毛」という,きわめて漠然とした表現を用いた.以後,それ以上,表現を彫刻できなかったが,この表現は臨床にたずさわる者同士ではどうもよく通じることばのようである.それが摩耗すれば周囲にとっても困ったことになるだろうが,患者の孤立は結果として非常に深まる.少なくとも,患者の探索行動の描く奇跡を尊重することと患者の寛解してゆく個人的ペースを乱さないことは,患者が,どこか人をひきつけるものを持って社会の中に座をしめるための前提である,と私は考えている」(集1 : 224).

中井自身が心の生毛という概念が曖昧であると自戒しているが,さしあたり,この機能なしに病態が好転することはないというのが中井の主張である.卓越した言語感覚をもつ中井でさえ,苦渋しながらなんとか言葉として表現し,その後も彫刻できなかったと振り返るこの概念は,奥深い生命観に支えられていると考えられる.この生命観をもとに中井の絶妙な臨床作法が表面化されているのであり,心の生毛の周到な理解なしに,中井の臨床作法を把握することは不可能といえるだろう.

もうひとつの研究の方向は,中井久夫の活動のある側面に強い関心をもち,そこからかれの思想に迫ろうとするものである.たとえば,「医者が治せる患者は少ない.しかし,看護できない患者はいない」という金言を残した『看護のための精神医学』は今なお色褪せることなく看護の領域で読まれている名作である.

だが,どちらのアプローチも,中井の思索の独特な難解さを克服するうえで十分であるとは言い難いように思われる.第一の研究は,中井の臨床作法の忠実さにおいてすぐれたものであればあるほど,現場の臨床家にとって役立つものとなる.だが,心の生毛という曖昧な概念の表面を辿るだけで,中井の臨床作法を理解したといえるだろうか? そのような研究は,中井の要約不可能性を尊重する誠実な態度に見えるが,この思索や作法を理解しようとする企てが直面する困難を回避しようとして当のエッセンスをとり逃してしまわないだろうか? 中井の臨床作法をたんに記述するのでなく,心の生毛をさらに彫刻し,解明していかなければならない.さもないと,寛解過程論においてもっとも重要となる心の生毛は,専門家同士のパスワードに留まり,中井が生み出したこの概念の進化を止めてしまうし,作法は結局のところ中井の名人芸の域を出ず,他の領域への芽を摘むことになるだろう9

第二の研究は,たしかに中井の思索がもつ生産性を浮き彫りにできる可能性をもっている.現に数多くの文献を参照して著作ごとにはっきりと画定された主題に立ち向かうかれの仕事は,多くの分野に渡って深い影響を残している.しかし,この種の研究をいくら取り集めても,中井久夫とは何者であるか,という問いそのものには答えられないままである.ましてや,そのような研究が自らの立場の限定を忘れて中井久夫の思索のすべてを捉えたと誇張するとき,その誤りは厳しく批判されねばならない.そこでは中井の思索が単純化・矮小化される危険に晒されているからである.こうした中井久夫研究をめぐる状況を念頭に置いたうえで,中井の思索に踏み込む必要がある.中井の臨床作法を支えている心の生毛,その思索の奥の院に迫ることはできないだろうか? 本稿の主たる問いはここにある.

4.徴候し索引する人間––中井久夫の人間形成論

4.1 徴候すること––微分回路的認知について

心の生毛といった全思索を根底で動かしている問題圏域はなにか? それは,〈徴候し索引する人間〉という主題である.

私は,早くから,生きるということは,予感と徴候から余韻に流れ去り索引に収まる,ある流れに身を浸すことだと考えてきた.(集3 : 233)

中井が自らの思索の主題を表すためにこの言い回しを用いるようになったのは晩年のことである.それは,『世界における索引と徴候』(1990)ではじめて登場した.しかし,この語はたんに晩年の中井の関心を特徴付けるだけではない.それは,中井の思索にとってもっとも基底的な土壌,いいかえればかれがいつもそこから出発し,そこへ還っていく根本的な関心事をきわめて的確に言い表す言葉であると思われる.実際,中井は対談のなかで「徴候すること,索引すること」という主題が,かれが精神科医として活動を開始するときに定めた省察であることを認めている.(村澤真保呂・村澤和多里,河出書房新社,『中井久夫との対話』, 2018, p. 31-32)

世界のうちに香る微かな変化を徴候し,自然や他者と交わり,ときに病気になり,罪を犯し,老いゆく苦しみを被りつつも,忘れていた過去の記憶とつながり,緩やかに世に棲み直すひとが,つねに中井にとって思索と臨床を促す根本の所与となっているのであって,この主題との関わりを抜きにした中井久夫研究は,かれの思索と臨床に生きた一貫性を与えている深い動機を捉え損なってしまう,というのがわれわれの考えである.この考えの正当性を基礎付けるために,〈徴候し索引する人間〉という主題に取り組んでみたい.

まず,「徴候」について見てみよう.改めて考えるまでもなく,わたしたちは日常生活の小さな変化に気づき,将来を予感しながら生きている.身体の思春期的変化は,たんに思春期が到来したことを示すだけではない.それは,未知の大人の世界の兆しであり予告である.しかし,それははっきりと何かを徴候しているわけでもない.少年少女は身体を通じて将来の雰囲気を予感するに留まる.予感や徴候は,その本性が真剣に検討されるとき,現在を生きる人間に対し,将来の可能性を浮き彫りにする.

もちろん,中井は徴候を現在の時間に還元されない未来の時間を呼び込むものとして考えている.他方で,中井が試みる「徴候」の探究は,たんに明るい将来や未来を待望するだけのものでもない.徴候は精神病理の次元では異常や異変といった危険を感知する語である.つまり,未来を予想させる徴候機能は,現在の安定した生活から連続的な将来を予測させるものとは異なって,むしろそれまで築いてきた生活を根底から崩壊させる非連続的な何かが到来することを暗示するのである.「…「徴候」は,何か全貌がわからないが無視しえない重大な何かを暗示する.ある時には,現前世界自体がほとんど徴候で埋めつくされ,あるいは世界自体が徴候化する.世界全体が徴候化する場合は「世界破滅感」という病理現象であるかもしれない.ムンクの有名な『叫び』においては,描かれているものはすべて,私のいう意味での徴候と化している.一般に世界が徴候化するのは,不安に際してである.私がその世界に安じておれないということである」(集3 : 232).したがって,この語を用いることによって中井が訴えようとするのは,「徴候」は精神病理の次元につらなる機能であって,最初から将来の暗示を柔らかく包み込み,待望する機能ではないということである.とりわけ,中井は精神病の患者が徴候機能を先鋭化させていることに注目している.初期の論文で「徴候」は次のように使われている.「離人症者の苦渋はまさに「信号空間」の欠落,すなわち世界の兆候性の消失である.離人症はおそらく徴候によって予知し,予感することができないのではなかろうか」(著1 : 221),「…自律神経の乱れや睡眠の乱れ,薬物副作用の出現は,この時点でにわかに身体内の事象が意識にのぼるため,たとえていえばいままで耳が聞こえなかったために静かだった世界がにわかに聞こえ出した時(きこえる音がはなはだ不愉快である時とくに)耐え難く大きく聞こえるのと同じ影響力があるだろう.そして,病者はこの時点ではきわめて遠い未来のもっともかすかな徴候をきわめて強烈な現前感を以って鋭敏に感受する」(著1 : 245).かれは,精神病理の臨床から遂行される一連の徴候研究が,患者の棲む世界を崩壊させる非連続的な体験であることを強調している.非精神病のひとは気づかない微かな気配を,精神病のひとは強烈な感度を以って感受していると考えている.

こうした先取り的な認知状態を,中井は別の言葉で「微分回路的認知」という.「微分回路は,認知手段としては,時進み回路というくらい先取りなんだ.…変化のみをひろって近い未来の傾向を予測するからこそ,過去の経験への参照がなくてすむわけだが,変化のみを記録するから増幅すると動揺が拡大される.モーターにつないで,微分回路をコントローラーとする動力は不安定なのだ.長期的には非常に疲労しやすいシステムだ」(集3 : 209-210).したがって,徴候における根本的な特徴は,動揺と疲弊しやすさ,些細な変化に敏感で不意打ちにすごく弱いとされる統合失調症的な状態に似ているといわれる.

また,微分的回路が拾い出す内容の差異が予感と徴候の違いであるという.「徴候と予感との関係はどうだろうか.徴候とは「在の非現前」,予感とは「非在の現前」ということができるかもしれない.徴候とは,必ず何かについての徴候である.それが何かはいうことができなくても,純粋徴候,何の徴候でもない徴候というものはありえない.これに対し,予感というものは,これも定義上であるが,何かをはっきり徴候することはありえない.それはまだ存在していない.しかし,それはまさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているという感覚である.むつかしいことではない.夏のはげしい驟雨の予感のたちこめるひとときを想像していただきたい」(集3 : 224).この発言は,微分回路の先取り的認知の特徴をよく表している.

さらに,徴候は精神病理の次元にのみつながっているわけではないことには注目する必要がある.中井は,不安なしに対象世界が徴候化する例として,狩人の場合をあげている(集3 : 233).些細な足跡や草の倒れた形から獣が通った跡を推理する狩人の「徴候的知」は,「在の非現前」を扱う.それは精神病理の次元ではなく,卓越した知として位置付けられている.これは,中井が徴候の機能を肯定的・否定的に認めるとともに,病人に限らず誰しもが備えた能力であることを示唆するものである.この微分回路が失調し,徴候が乱舞する世界に耐えられず,自らを破滅に向かわせる方向が,精神病理の次元なのである.

4.2 索引すること––積分回路的認知について

次に「索引」についてみてみよう.「私にとっては,これは本の「索引」の意味であって,図書館の索引が本の表紙に私を導き,本の表紙が内容に導くように,現前世界内の何らかの手がかりである.それは「徴候」とは違い,一次的に過去に関係している.花の匂いが,紅茶が口腔にひろがる感覚が,埋れていた一つの世界を開く」(集3 : 236).わたしたちには,現前する意識には収まりきらないものが非常に多くある.幼少期の体験をはじめとし,わたしのなかにあるのかないのか,何かの機会がなければためすことさえない記憶がある.このように,索引は何かの徴候(「在の非現前」)と似ているが,索引は現在ではなく過去につらなる点で徴候と異なる.

中井は索引を別の言い方で「積分回路」と説明する.「…積分回路は,過去の体験を蓄積している.従って,入力にたいしては過去のデータを参照して対応する.これは安定した回路だ.新しい入力内容がまったく未曾有ということはほとんどなくて,多少とも極端な一例というくらいが関の山だろう.そこで突出入力も,多くの例の中で一例として埋没してしまう…だから,積分回路はコンデンサによく使われるんだが,ワープロなんかも電圧の突然の急激な変化に備えて入り口にコンデンサを接続している.ただ,過去のデータを参照する作業をするから,やや時代遅れだ」(集3 : 211).現在ではなく過去が一次的に参照されるため,積分回路は微分回路のように現在の変化に大きく左右されない.しかし,「積分回路の麻痺」は,過去の状況に絡めとられてどうしても遅れやすく,うつ病的な側面を呈するという(集3 : 211).「「微分世界」の悪夢化は,それこそ徴候の乱舞で,まだしも想像しやすいと思うけれど,「積分世界」だって結構悪夢化する」(集3 : 217),「そもそも記憶の想起という現象が非常に謎めかしいものである.どういう形で,記憶が私の「無意識」の中に持続しているのかは,いうことができない.もし,私の中にあるものが同時に全部私の意識の中に出現し,私の現前に現れたならば,私は破滅するであろう.それは,四次元の箱を展開して三次元に無理に押し込むようなものだろう」(集3 : 237-238).ここでも,中井は索引による記憶の世界の肯定的・否定的側面を認めている.また,中井は索引と余韻の違いを次のように説明している.「「余韻」と「索引」にも同様の関係がある.索引は一つの世界を開く鍵である.しかし,余韻は一つの世界であって,それをもたらしたものは,一度は経過したもの,すなわち過去に属するものである.が,しかし,主体にとってはもはや二義的なものである」(集3 : 240),「…「索引」は過去の集成への入口である.「余韻」は過ぎ去ったものの総体が残す雰囲気的なものである.余韻と索引に生きる時,ひとは,現在よりも少し遅れて生きている」(集3 : 241).徴候や予感が未来を先取りして,現在より少し前を生きている状態であることに対し,索引や余韻は過去に依存して,現在より少し遅れて生きている状態とされる.予感・徴候・余韻・索引の能力は,それぞれに役割を担っているのである.

もちろん,中井はこれらの機能が完璧に区別されるとは考えていない.「前者(予感・徴候)と後者(余韻・索引)はまったく別個のものではない.「予感」が「余韻」に変容することは,経験的事実である.さらに微妙な移行が,四者の間にありうると思うが,それは可能性として図示するにとどめよう」(集3 : 241).中井の考えでは,予感と徴候は微分回路的認知として先取りを特徴とし,余韻と索引は積分回路的認知として後ろ向きを特徴とする点で同じに分類される.同時に,予感と余韻は「非在の現前」,徴候と索引は「在の非現前」という点で共通し,移行関係にある.中井は四つの移行関係を下図のようにまとめている(集3 : 240).

図1 予感・徴候・余韻・索引の移行図

ところで,中井が「徴候」を微分回路的認知,「索引」を積分回路的認知とし,それぞれ電気信号の回路で例えているのは興味深いものと思われないだろうか.たとえば,微分回路と積分回路は,オシロスコープの波形にすると次のようになる.

図2 微分回路と積分回路の波形

これを患者の精神病理の状態に転用するとどうだろう.たしかに,微分回路は変化に敏感で落差が大きく,それに比べて積分回路は安定しているものの,一度落ち込むと立ち上がるまでにも時間を要する特徴がある.中井が前者を統合失調症的,後者をうつ病的というのは,回路を電子回路の波形に変形させてみることで一層明確になる.

中井は,この二つの回路をひとは内に持っていると想定し,統合失調症の発病過程を次のように論じる.「たぶん,微分回路の失調を受けて,参照のシステムである積分回路も失調するのだろう.だからすべてが未曾有の体験と認知されて恐慌にまで高まるのかもしれない.統合失調症の発病過程は,チェルノブイリの事故に似ている.無理に出力を上げようとして,小さな破綻や失調の連鎖が起こり,それが破局までゆく」(集3 : 212).微分回路と積分回路は相補関係にあるが,どちらも失調すると立ち直すことが難しいのは図が示す通りである.まとめると,中井の「徴候し索引する人間」という主題は,二つの回路(微分回路と積分回路)を転用することによって,ひとのメンタルヘルスを振幅的・動態的に捉えようとしたものと考えることができるのである.

4.3 徴候し索引する人間と心の生毛

以上,「徴候し索引する人間」という中井の主題を簡潔にまとめた.それぞれ,微分回路と積分回路の名が与えられていることを確認した.さて,注目したいのは,どちらも発病と回復の「振幅運動」であるということである.振幅は下がりもするが,同時に上がりもする.ここに,中井がラボリの振動運動の哲学に注目していたことを重ね見ることもできる.

では,下向きの振幅を上向きに変えている力はなにか?ここにこそ,世に住む患者の心の生毛のはたらきがあると考えられる.中井が心の生毛が摩耗することを「擦り傷の上に擦り傷を何重にも重ねる」と論じたのは,この二つの回路が失調し,世界のすべてが徴候と化し,すべての記憶が雪崩れ込み,自らの存立基盤の足場を失う状態を指している.こうした絶望的な状況を好転させる鍵は,患者側からすれば,唯一残された心の生毛の機能なのであり,医者や支援者はこの機能を損なわないように大切に扱わなければいけないといわれるのである.このようにして,精神科医としての中井の臨床作法の背後には「徴候し索引する人間」という深い生命観が広がっていると考えることができる.

5.まとめ

以上の考察から,次のように結論づけることができる.中井久夫の思索は,その始まりから終わりに至るまで,徴候し索引する人間の心の生毛の探究を基底的状況とし,そこから出発して「世の棲み方」の問題を考えていこうとする人間形成論的なものである.我々が中井久夫の遺産を引き継ぐとすれば,おそらくかれの「徴候し索引する人間」という人間理解を抜きにしては不可能であるだろう.そして,この人間観を再考し彫刻していくことが,今後求められる課題であると考えられる.この点は今後の研究の課題としていきたい.

凡例

本稿における中井久夫の著作からの多くの引用は,『中井久夫著作集』及び『中井久夫集』による.引用箇所は,(著1 : 251),(集3 : 89)のように,全略記号(著)(集)+巻数+頁数という体裁で,その都度,本文中に記すという形をとった.

  1.    松本卓也『人はみな妄想する ジャックラカンと鑑別診断の思想』, 青土社, 2015, p. 441.
  2.    「翌日の医者」とは,精神医療改革運動が盛り上がりを見せていた最中,中井久夫が自身の立場を言い表す際に使っていた表現である.「私はかねがね患者を先頭に立てる運動に批判的であった.その直後の病いの悪化を憂いたのである.私は「翌日の医者」であることにした」(中井久夫, 『日本の医者』, 日本評論社, 2010, p. 306).中井は革命や改革を理想化する道ではなく,騒乱の「翌日」すなわち「その後」への眼差し––文字通りポスト=その後の病––を精神科医としての自己の基底に据えている.
  3.    斎藤環, 東畑開人「文化と臨床 あるいは中井久夫の原理主義なき継承のために」『現代思想』, 青土社, 2022, p. 117.
  4.    中井久夫の思索の捉え難さについて,斎藤環は「断片的には学べても全てを継承することは難しい」と評している(Ibid., p. 117).一方,原理主義を脱臼することで逆説的にも,「メンタルヘルスの知における原理主義の不可能性」を示す点にこそ中井久夫の真骨頂があることを,東畑開人は鋭く指摘している(Ibid., p. 117).
  5.    山中康裕「追悼・中井久夫先生」『現代思想』, 青土社, 2022, p. 23.
  6.    安永,木村,中井の三者が共有しているものとその差異については「治療と理論のあいだで 精神分裂病をめぐる三角測量」(『中井久夫 精神科医のことばと作法』, 河出書房新社, 2017, p. 94-130)を参照されたい.興味深いのは,この対談のなかで,中井自身が「あいだ覚」という言葉を使用し,木村との「あいだ」と似て非なることを構想していることである.また別の箇所で「あいだ覚」は,徴候や索引といった機能がはたらく前提ともいえる「自己身体感覚あるいは共通感覚(まとめて木村敏に倣って“あいだ覚”とでもいうべきもの)」(集3:235)と説明されている.
  7.    中井は「こころの生毛」を「心の生毛」「こころの産毛」など著書によって表記がゆれている.本稿で扱う際は心の生毛とするが,中井の著作から引用する際は,引用先の表記に従って表記している点に注意されたい.
  8.    生毛・産毛([英] fuzz, [独] flaum, [仏] follet)には,「生まれたときから赤ん坊に生えている毛」,「人の顔や首筋に生えているごく柔らかい薄毛」という意味があるほか,「体温を保つ,外からの刺激(紫外線,こすれ,衝撃)などから体を守る」という重要な生理的機能があると言われている.このように生毛は自己と世界と「隔てる」ものであり,かつ自己と世界との関係を「調整」する機能を備えているという語彙的な意味も踏まえて考察する必要もある.
  9.    また,心の生毛は中井が開発した時期から月日が経ち,そのまま運用することはできにくい状況になっていることも事実である.たとえば,精神科医・田中聡は次のように述べている.「…1990年代,統合失調症の入院治療においては中井先生の流儀を実践しようという医師は多かった.「心のうぶ毛」をできるだけ大切に,「安全保障感」を提供し,「焦り」「窮屈さ」が過ぎ去り,「ゆとり」が回復するのを待っている間に,患者の入院期間は大きく延びて,その間に患者に不利となる形で家庭状況が変わったり,駅の改札を機械が担うようになって患者が電車に乗れなくなってしまったりすることもあった」(田中聡「先輩に訊き「作法」を作り続ける」『中井久夫の臨床作法』, 2015, p. 52).患者本人が回復しても,それまでに社会資源を失い,適応に行き詰まってしまえば,当然再発症のリスクも高まる.このことを検討したうえで,中井の理論を更新していくことが求められる.

参考文献

斎藤環, 東畑開人「文化と臨床あるいは中井久夫の原理主義なき継承のために」『現代思想 総特集 中井久夫1934-2022』, 青土社, 2022. p. 100-117.

田中聡「先輩に訊き「作法」を作り続ける」『中井久夫の臨床作法』, 日本評論社, 2015. p. 48-52.

中井久夫『中井久夫著作集』全6巻別巻2, 岩崎学術出版社, 1984-1991.

中井久夫『中井久夫集』全11巻, みすず書房, 2017-2019.

中井久夫『看護のための精神医学』, 医学書院, 2001.

中井久夫『徴候・記憶・外傷』, みすず書房, 2004.

中井久夫「解説」『統合失調症1』, みすず書房, 2010.

中井久夫「解説」『統合失調症2』, みすず書房, 2010.

松本卓也『人はみな妄想する ジャックラカンと鑑別診断の思想』, 青土社, 2015.

松本卓也「「心のうぶ毛」について––統合失調症寛解過程論の形成過程とその転導」『中井久夫 精神科医のことばと作法』, 河出書房新社, 2017. p. 180-186.

松本卓也「臨床の臨界期,政治の臨界期––中井久夫について」『現代思想 総特集 中井久夫1934-2022』, 青土社, 2022. p.120-139.

安永浩, 木村敏, 中井久夫「治療と理論のあいだで 精神分裂病をめぐる三角測量」『中井久夫 精神科医のことばと作法』, 河出書房新社, 2017. p. 94-130.

山中康裕「追悼・中井久夫先生」『現代思想 総特集 中井久夫1934-2022』, 青土社, 2022. p. 22-28.

 
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