哲学の探求
Online ISSN : 2759-6303
Print ISSN : 0916-2208
個人研究発表
哲学対話・哲学カフェのあり方
学習院大学Philo LABOを事例として
田村 宜義本多 慶輝
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2025 年 2025 巻 52 号 p. 192-206

詳細

1.はじめに

本論文は、学習院大学において2015年10月より開催されている哲学対話・哲学カフェ団体であるPhilo LABOにおける実践事例を取り扱う。筆者のうち、田村はPhilo LABOの創設から初期の運営(2018年度まで)を行い、本多は(2019年度より)現在までの運営を行ってきた。本論文は、Philo LABOの運営方法の転換を振り返ることで、哲学対話・哲学カフェのあり方を再考することを目的とする。

Philo LABOは創設から現在まで、学習院大学を会場としているが、田村が担当していた初期は主に大学内部の学生を、本多が担当している現在は大学外部まで対象を拡大している。哲学対話・哲学カフェというものの性質上、開催地や参加者のステータスが対話の方向性やニーズなどを規定するとも考えられる。要するに、開催地や参加者によって哲学対話・哲学カフェがどのように進行されるか、どのような内容になるのかが決定されるとも考えられる。それゆえに、本論文では、Philo LABOにおいて実施していた哲学対話・哲学カフェの初期、後期の状況を比較検討することによって、運営側がどのような目的で会を開催していたのかを振り返るとともに、参加者側のステータスを考慮することによって運営側の目的がいかに変化したり、影響したりするのかについて考察したい。

例えば、大学内部の学生を対象として開催していたPhilo LABOの初期においては、大学生が参加するという前提のもと、哲学史上の専門用語を用いることも許容していた。もちろん、その専門用語について発言するにあたっては、その語について知らない参加者がいることを踏まえて、その語のよく使われる意味や使用法を明示してもらうようにルールを設定していた。だが、このようなルールはおそらく多くの哲学対話・哲学カフェでは少数派のものであろう。だからといって、専門用語を用い、それに基づいて哲学対話・哲学カフェを進行すれば、必ず深い洞察にまで行き着けるとは限らない。そして、現在のPhilo LABOでは、大学外部にも参加者の裾野を広げた結果として、哲学史上の専門用語を用いることはしないようにするというルールを明示している。

さて、上記のように、本論文で事例紹介するPhilo LABOの特色は、その運営方法が明確に変化したことにある。その変遷を追うことによって、最終的には、哲学対話・哲学カフェのあり方という一般的な事項にまで触れていきたい。

2.Philo LABOの誕生と初期の運営

前述のとおり、Philo LABOは2015年10月26日に発足した団体である。主な活動は哲学対話イベントの開催であり、場合によっては、他団体とのコラボや学術的イベントとの連携も行ってきた。この章では、そもそもPhilo LABOがどのような経緯で生まれることになったのか、そして全体としてどのような運営形態を取ってきたのかについて述べたい。

きっかけは2015年10月3日にまでさかのぼる。その日、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP)にて開催されたイベント「てつがくって、サークルだよね♡1」に、田村と2018年度より共同代表である田代嶺が参加した。そこでは下記のようなことが語られていた。

大学には哲学(対話)サークルがなくても哲学対話に興味を持った学生は多くいる。そうした人のためにも大学の垣根を越えて哲学対話ができる場があってよいのではないか

哲学対話そのものを中心に据えながらも気軽に人が集まれる場があるのは好ましいだろう。そうした場所のひとつとして大学のなかに哲学対話をする場所があってよいだろうし、そこに地域の方や社会人が関わっていくということはモデルとしてありうるのではないか2

このイベントの目的は、特定の大学にとらわれずに横と縦のつながりを自由に作ることができるサークルを立ち上げ、哲学対話を行っていく、というものである。そこで、上記引用の「大学には哲学(対話)サークルがなくても哲学対話に興味を持った学生は多くいる」という点に注目し、まずは、学習院大学内において、そのような興味関心を持った学生を対象にP4C(Philosophy for Children)型の哲学対話イベントを開催することにした。言い換えれば、大学内でのコミュニティや人間関係を構築するための場を提供することが、Philo LABO立ち上げの目的としてあった。そして、引用箇所にある「垣根を越えて哲学対話ができる場」や「哲学対話そのものを中心に据えながらも気軽に人が集まれる場」としてのサークルは、学内での活動が軌道に乗った時に、行う方針とした3

発足当初よりFacebookとTwitter(現X)による宣伝活動を行った4。当時の発足日翌日の2015年10月27日のFacebookの投稿には下記のような記述がある5

現在は学習院大学所属学生のみで構成され、哲学カフェの実施を行なっておりますが、ゆくゆくは地域の皆さんや中高生、社会人など、学外の皆さんとも交流していくつもりです

ここからも本サークルの狙いというのが、学内のみにとどまらず学外にもその輪を広げていくことだとわかるだろう。このような狙いを持った本サークルだが、発足日の10月26日の段階では明確な意図が含まれていたわけではない。2015年10月26日は月曜日であったが、単純に代表である田村の時間割や予定の都合と世話人である学習院大学文学部哲学科小島和男准教授(当時)のスケジュールとの兼ね合いである6。つまり、発足当時は、参加者側の視点に立ってのスケジューリングというよりはむしろ、運営側の都合によるスケジューリングがなされていたことになる。その後、発足日にちなんで、基本的には月曜日に開催されることとなる。開催時間に関しては、当時学部4年生であった田村には履修している授業があり、18時以降であれば通常授業が開講されていなかったため、運営側の都合だけではなく、他の学生も参加しやすい時間であろうという参加者側の都合に対する考慮もなされていた。また、具体的な開催時間は18時から20時となっており、2時間の対話を行うという形式であった。この時間設定の狙いは、イベント内のタイムテーブルが練りやすいのと、単純にキリが良いというのがあった。当時の大まかなタイムテーブルは下記の通りである。

18時00分:イベント開始の挨拶

18時05分:対話ルールの確認

18時10分:テーマ・問いの決定

18時15分:対話開始

18時55分:休憩

19時05分:対話再開

19時45分:対話終了・感想の聴取

19時55分:イベント終了の挨拶

まずは、イベント開始の挨拶についてだが、ここは端的に「こんばんは。これからPhilo LABOの哲学対話を行います」というような形式的なものである。なので、特徴があるわけでもない。

つぎに、対話ルールの確認についてだが、当時は現在と異なりルールの掲示や固定というものを行っておらず、進行役が口頭で参加者に伝えていた。ルール内容としては、おおまかに「話したいときに話し、聞きたいときに聞く」「話したいときは挙手をする。話し手はコミュニティボールを持つ」「基本的に経験に即して話す。もしも哲学・哲学史にかかわる専門用語を使いたい場合は、その専門用語の意味を非専門用語で説明する」「参加者同士尊重し合う」であった。

「話したいときに話し、聞きたいときに聞く」というのは、話さなくても構わないというものを含んでおり、対話を聞くだけのための参加も許容するという狙いがある。また、「話したいときは挙手をする。話し手はコミュニティボールを持つ」というのは、誰が話したいのか、そして誰が話しているのかを明確にするためである。それに加えて、コミュニティボールを持つことにより聞き手の目線が話し手の肉体自身に集中せず、話し手から見れば他者の視線による緊張の軽減と、聞き手から見れば他者が話している間の目線のやり場の選択にあまり困らなくなる、という意図があった7

つぎに、「基本的に経験に即して話す。もしも哲学・哲学史にかかわる専門用語を使いたい場合は、その専門用語の意味を非専門用語で説明する」というルールについてだが、その「経験に即して話す」の部分は、おそらく、多くの哲学カフェ、哲学対話イベントでも導入されているものであろう8。哲学カフェ、哲学対話では、その性質上、専門知識の有無にとらわれないやりとりというのを重視しているがゆえに、参加者の身の回りで起きた出来事や身の回りの人物からの話をしてもらうという流れになっている。だが、初期運営での参加者は大学生・大学院生であり、それもとりわけ哲学を専攻している学生を主としていたがゆえに、専門用語についてはある一定の前提知識があるはずだと運営側は考えていた。とはいえ、参加者間に知識量の差があることは想定されていた。それゆえに、参加者自身の知識の整理、明確化のためにも、具体的な例示をもって、その知識や専門用語を説明してもらうことにした9。なぜこのような具体的な例示が、専門知識の整理、明確化に役立つかというと、抽象的な概念に対応する具体例を列挙するにあたり、その具体例が真に具体例となり得ているのかが説明をしている最中に不明瞭になってきて、その不明瞭さが疑問につながり、その疑問から話し手のみならず聞き手も含んだ参加者全員でその知識・用語についての検討が行えるからである10。この専門用語を限定的であれ話しても構わないというのは、参加者側にとっては専門用語を実際に使って話してみたいという欲求が満たされるだけのものに思われてしまうかもしれない。だが、運営側にとっては専門用語を試行錯誤しながら使いこなすという哲学・哲学史を学ぶ上での教育的な狙いがあったと言える。

また、「テーマ・問いの決定」についてだが、2015年度に開催された4回分と2016年度の初回分については、運営側が事前にテーマや問いを参加者に提供していた。それぞれ「なぜ哲学科に入学したのか」「ジェンダー」「生命倫理:QOLとSOL」「動物倫理」「学校」「私以外は私じゃないということについて考えよう11」であった。そもそもなぜ当初は運営側がテーマや問いを用意していたのかというと、進行役の田村がその役割やスキルに自信がなかったからである。そして、まずは進行役が当時気になるテーマを参加者同士で話してもらうことで、進行役自身が対話に没入しやすくなるという意図があった。また、このことに加えて、当時学習院大学内では哲学カフェのイベントやサークルというものは存在せず、本サークルのイベントで初めてその経験をするという参加者が多いだろうという想定のもと、初参加の人も参加しやすいようにあらかじめテーマや問いを明示しておく必要があるとも考えていた。だが、サークルの運営や哲学対話の進行に徐々に田村が慣れて以降は、参加者に問い・テーマを提起してもらうように進行スタイルを変更した。これは、運営側としては大学生(主に学部生)がどのような問いを日常的に持っているのかを知りたかったからというものがある。そして、大学という環境上、参加者も進行役も学生同士とはいえ、学年は基本的には進行役の方が上であるという点から、そのような立場の者がテーマや問いを設定することは権威的ではないかという懸念があったからである。このような観点のもと、参加者には数分間その回で話したいテーマ・問いを考えてもらい、その中から多数決でテーマ・問いの決定を行なった(図1)12

そして、実際に対話が始まってから、進行役の田村がどのように振る舞っていたかと言うと、基本的には何もしていないに等しい。誰が話すかについては、前述の通り、話したい人が挙手をするためこちらから指名することもない。また、テーマ・問いの決定も前述の通り、参加者からのものになっているがゆえに、その概略についてあらかじめ進行役が話してから対話をスタートさせるのではなく、どうしてそのテーマ・問いを参加者同士で話したいのかをその問い・テーマを提起した人物から話してもらうようにすることで対話を開始していた。Philo LABOの進行役としての役割は、哲学対話を行える場の提供とルールに反するような話しや態度をする参加者がいた場合に、その人物に対する注意や必要であれば対話の方向の修正を行うというものであった。これは、参加者の自主性に任せることでどのように対話が進むのかを見たいという、進行役というよりは観察者の視点があった。それゆえに、進行役は当時、対話で出てきた問いや会話のやりとりをホワイトボードにメモする書記も兼ねていた(図2)。要するに、進行役として対話の輪に入っていながらも、場合によっては、対話の内容をメモするために輪から外れるという中間者のような役割をしていた。

イベントが終了近くになったら「対話終了・感想の聴取」として、参加者全員からその対話で自分自身が感じたことをまとめて話してもらっていた。これは、参加者自身が何に注目して何が気がかりになっていたか、さらに対話の最初から最後にかけて考えがどのように変わったのかを認識するためのものであったと同時に、どのようにその対話そのものが捉えられていたのかを他者の視点からも認識するためのものであった。それは「イベント終了の挨拶」でも同様であり、そこでは進行役の田村がその対話を聞き自ら考え疑問に思ったことを最後に提示することで、イベントのまとめの役割も図っていた。この進行役からのまとめでは必ず問いを参加者に提示して終わるようにしていた。それは、そのイベントが終わったとしても、そのイベントで話されていたことを日常生活でさらに深めていって欲しいという進行役の願望があったからである。要するに、対話の構造として、問いで始まり問いで終わる、というように対話を設計する意図というのが、初期Philo LABOにはあった。

3.新Philo LABOへの移行

本章からは、2019年度から新体制になったPhilo LABO(以下新Philo LABO)についての報告を行う。まず、学外者に対象を広げた経緯について触れていきたい。2019年から、これまで学内のみ、つまり大学生のみを対象としていたものを、学外に開いて、大学生以外も対象とすることになった。これは、世話人の小島和男教授を含めた新旧運営で運営会議を行った結果、これまでのP4C型の哲学対話ではなく、P4E型の哲学対話を目指すこととなった13。これは、新Philo LABOでは、旧Philo LABOと目的・方針が変更になったことが大きな理由ではあるが、学内からの参加者にとっても教育効果が高いだろうという考えもあった。というのも、学内の大学生のみを対象とした場合、参加者のステータスは、当然のことながら「大学生」となる。P4E型の哲学カフェを実践する上での利点として、多様なステータスを持つ参加者によって、自然に多角的な視点が導入されることがある。また、ルールにしたがって対話を行うことで、普段関わりのないような思想・信条に耳を傾けることになり、多様性を受容する素地が自然と構築される。このように、学内からの参加者に対しても、多角的な視点と多様性に触れる機会を与えるといった点で教育効果が見込まれることが想定されていた。

哲学対話を実施している団体において、哲学対話の実施目的は、「哲学の実践」という点において14、ほぼ共通している。新Philo LABOは、それに加えて以下の2つを目的とすることになった。

1. 職業や年齢、性別など自身の属性にとらわれず、自由に発言できる場の提供

2. さまざまな思想・信条・経験をもった人たちが集まり、対話する場の提供

1については、普段私たちは、職業・年齢・性別などの自身の属性を無視して自由な発言をすることは非常に難しい15。つまり、私たちの内なる思想はまだしも、その思想を言葉で表現する際には、自らに付随している属性に縛られ、自由に発言することが難しい。2については、1で触れた状況から、自らの思想や信条、経験について、他者と深く対話する機会が現代社会においては少なく、話したいと思っていても話せないという状況である。このような事態に鑑みて、Philo LABOでは上記1、2の場を提供しようと考えた。

また、これらの目的は、教育的側面も考えたものである。というのも、学外者に開いたとしても、開催場所が大学であることや運営が大学関係者で構成されていることから属性の偏りが生じ、運営者が古代ギリシア哲学の研究者だったからか、参加者に無為な時間を消費してもらうことに抵抗感があった。Philo LABOに時間を消費してもらうのであれば、参加前よりも参加後が「より善くなる」ような「哲学対話」にしたいという理想が運営全体にあった16。とはいえ、「より善くなる」といったときに目指される「善さ」というのは、それこそ議論の対象になるものであって、運営側で暫定的に定めてしまうと、参加者の発言や行動を制限することになりかねない。そのため、「様々な思想・信条・経験を持つ人たちが実際に考えていることに触れることで、自身の偏見や固定概念を自覚し、多様な他者の思想・信条・経験を受け入れられるようになる」ことを目指すことにした。ここでの「受け入れられる」というのは、善悪判断や価値判断以前の「他者の話を聞き、理解する」という段階を想定している。

このような経緯から、学外者も対象として「哲学対話」を実施することになった。しかし、2019年度の時点では、哲学対話を実施している団体は多く存在し、また、イベント自体も平日・土日の夕方から夜にかけて実施していることが多かった17。そのため、比較的競合が少ない、日曜朝の時間帯に実施することに決めた。とはいえ、あまりにも朝早くなると参加者がいなくなってしまうことが懸念されたので、10時から12時に設定し18、なるべく対話時間を確保するため、自己紹介やアイスブレイク、問い出しを行わないことにした19。また、旧Philo LABOは、ほぼ1人で運営を行っていたため、運営の都合に合わせて開催日時を決定していたが、新Philo LABOでは、毎月1回日曜10時から12時開催ができるように、運営の人数を2名以上配置している20。くわえて、学外者を対象とすることになった際に、参加費を取るかという提案もあったが、様々な人たちに参加してもらいたいと考えていたため、参加費は無料とすることになった21

テーマ設定に関しては、基本的に「漢字2文字の単語」という制限のもとで行っている。これは、テーマを絞らないことで、対話内容のレンジを広く取り、なるべく「テーマから外れてしまうから話せない」という状況を作らないようにするためである。また、ファシリテーターの役割は、対話に積極的な介入をしない傍観者である、というスタンスは旧体制から引き継いでいる。これには、話題がテーマから外れてしまった際のファシリテーターによる修正が比較的容易である、というメリットもある。

さらに、ルールについても修正を行った。大きな修正は「7. 専門用語は使用せず、知識ではなく経験に即して話す」という箇所だ。この修正は、「哲学を勉強したことがある大学生」から「哲学またはテーマに興味を持っている人たち」に対象を変更したためである22

広報活動についても、以前から使用していた2つの他にHPを作成し23、イベント情報を掲載するとともに、参加申し込みを必須にした。また、X(旧Twitter)はイベント告知用、Facebookはイベント後の活動報告用と役割をわけ、運用することにした。

対話の進行方法については、代表からの挨拶・ルール説明をしたのち、ファシリテーターにバトンタッチし、「本日は○○というテーマでみなさんと対話をしていきたいと思います。それでは、○○について何か話したいことや疑問に思っていることがある方は手を挙げてください」と、先述した通り、アイスブレイクや問い出しを行わず、すぐに対話に入る。また、ファシリテーターとは別に板書係を用意し、対話中の発言を大まかに板書している。これは、対話を可視化することで、対話中に対話の流れや過去の発言を参加者間で共有しやすくなるからである。また、対話終了後に参加者に板書を写真で記録してもらうことで、ただ対話に参加しそのまま帰宅するよりも、参加者の満足度が高くなるのではないかと考えたことによる(図3、図4)24

このような体制で始めたPhilo LABOだが、当初の不安とは裏腹に、さまざまなひとに参加してもらっている25。2022年4月から2024年3月の約2年間での参加者数の合計は186人、そのうちオンライン参加が合計98人、対面参加が88人、平均すると、オンラインは5人、対面は4人となり、1回あたり9人が参加している(上記期間での実施回数は19回)。

4.おわりに

これまでの章で見てきたとおり、初期Philo LABOと新Philo LABOでは、それぞれ異なるルールや運営体制を持つ。だが、それらを依然として私たちは「哲学対話団体」や「哲学カフェサークル」と呼んでいる。ここで問題になるのは、ルールや運営体制が異なるのにもかかわらず、なぜどちらも「哲学対話団体」や「哲学カフェサークル」と呼ばれるのかという点である。最後に、この問いに答えることで、哲学対話、哲学カフェのあり方についての論考を締めたい。

2章で言及されていた通り、初期Philo LABOでは、参加者が「問いで始まり問いで終わる」ように対話が設計されていた。その一方で、3章で見てきた通り、新Philo LABOでは、参加者がなるべく「自由に発言できる」ような対話が設計されている。初期Philo LABOでは、タイムテーブルに「テーマ・問いの決定」と「対話終了・感想の聴取」があったが、新Philo LABOでは、廃止されている26。また、教育的な狙いも、「専門用語を試行錯誤しながら使いこなすという哲学・哲学史を学ぶ上での」ものから、「様々な思想・信条・経験を持つ人たちが実際に考えていることに触れることで、自身の偏見や固定概念を自覚し、多様な他者の思想・信条・経験を受け入れられるようになる」へと変化している。これらの変化は、モデルとする哲学対話の変化でもある。まず、初期Philo LABOの活動は、P4Cをモデルにした哲学対話を実践していた27。このことは、学内の大学生かつ哲学・哲学史を学ぶ哲学科の学生を主な対象としていたことからも明らかである。新Philo LABOでは、P4Eをモデルにした哲学対話を実践している28。サークルの目的、対象、モデルとする哲学対話、哲学カフェによって、実践する対話の設計や教育的な狙いが変化し、それによってサークルの雰囲気や参加者も変化する。要するに、参加者が実際に参加することによって哲学対話、哲学カフェの内実は構成されるというよりはむしろ、参加者が実際に参加する前に(開催場所の点も含め)どのような参加者が参加すると運営側が想定するかを投影した形で哲学対話、哲学カフェの大枠は構成されるのである。言い換えれば、哲学対話、哲学カフェがどうあるかは、参加者によって規定されるのではなく、運営側が持つ仮想上の参加者像によって大部分が規定されるのである。もちろん、参加者抜きの哲学対話、哲学カフェというのは成立しない。それゆえに、参加者が実際に参加することによって、そこでの活動や場というのは、内実を伴って完成されると言ってもよいだろう29

しかし、初期Philo LABOにせよ、新Philo LABOにせよ、ルールや運営体制という細かい部分を取り除けば、「哲学的なテーマについて参加者たちで話し合う」ことを実践しているという点において、どちらも共通している。Philo LABOが初期から現在まで一貫して哲学対話、哲学カフェサークルを冠することができるのも、このことを実践しているからだと考えられる。このことが、ルールや運営体制が異なるのにもかかわらず、なぜどちらも「哲学対話団体」や「哲学カフェサークル」と呼ばれるのかという問いへのひとつの回答になろう。とはいえ、同じ態度を持ち、それを実践しているからといって、完全に両者が同じ態度を持っているとは限らない。「哲学的なテーマについて参加者たちで話し合う」ということに対する両者の態度決定の違いは、「哲学的なテーマについて」という部分を重視するか、「参加者たちで話し合う」ことを重視するかに依存している。

哲学を研究する場では、「哲学対話」に対して、しばしば「哲学」の名を冠する必然性について指摘されることがある30。しかし、Philo LABOの変遷をみると、新旧どちらの目的を果たすためには、やはり「哲学」という冠が最も適していたのではないかと思われる。というのも、「哲学・哲学史を学ぶ上で」は、扱うテーマは哲学的である必要があるし、「様々な思想・信条・経験」を話し合う場としても、政治でもなく科学でもなく哲学的なテーマが最もそれらを包括的に扱えるからである。このように考えると、哲学対話、哲学カフェである以上、運営側がどのような目的を設定するにしても、「哲学的であること」を意識した運営が必要なのかもしれない31。そうすることで、上述のような運営側からの投影によって、「対話」が「哲学対話」に、「カフェ」が「哲学カフェ」にそのあり方が規定されるのである。

図1

図2

図3

図4

参考文献

安部高太朗(2015)「【報告】「てつがくって、サークルだよね♡」」, 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP)https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2015/10/post-787/(最終アクセス2024/12/01).

学習院大学哲学サークルPhilo LABO(2015)「学習院大学哲学サークル Philo LABO」, https://www.facebook.com/philolabo/(最終アクセス2024/12/01).

学習院大学哲学サークルPhilo LABO(2019)「学習院大学哲学サークル Philo LABO」, https://philolabo.wixsite.com/philolabo/(最終アクセス2024/12/01).

梶谷真司(2018)『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』, 幻冬舎, pp.223-230.

河野哲也(2021)『問う方法・考える方法』, 筑摩書房.

河野哲也, 齋藤元紀, 戸谷洋志, 永井玲衣(2022)「巻頭座談会 哲学対話とは何か」立教比較文明学会『立教比較文明学会紀要 境界を超えて––比較文明学の現在』第22号, pp. 9-44.

さえり(2016)「本当に「私以外私じゃないの」か?東大の哲学教授・梶谷真司先生に聞いてみた」, 株式会社LIG、https://liginc.co.jp/241030(最終アクセス2024/12/01).

総務省(2015)「平成27年度版 情報通信白書」, https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/h27.html(最終アクセス2024/12/01).

土屋陽介(2019)『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』, 青春出版社.

デイビッド・ベネター(2017)『生まれてこないほうがよかった』, 小島和男, 田村宜義共訳,すずさわ書店.

寺田俊郎(2017)「哲学対話の可能性」国士館大学哲学会『国士館哲学』第21号, pp. 18-26.

マルク・ソーテ(1996)『ソクラテスのカフェ』, 堀内ゆかり訳, 紀伊国屋.

藤原雪(不明)「全国哲学カフェ・哲学対話・哲学プラクティスのご案内(オンライン、こどもの哲学P4Cを含む)」, https://online-philosophycafe.jimdofree.com/(最終アクセス2024/12/01).

プラトン(2012)『ソクラテスの弁明』, 納富信留訳, 光文社古典新訳文庫.

Footnotes

安部(2015)を参照されたい。

同上。

結果的に学外の参加者をも含んだ哲学対話が実現したのは、2018年4月7日、14日、21日に学習院大学で行われたベネター(2017)の出版に関連するイベントにおいてである。

そもそも宣伝ツールとしてなぜFacebookとTwitterの両方を用いたのかと言えば、LINEを除いたSNSのプラットフォーム利用率が、当時、Facebook35.3%、Twitter31.0%と上位2つに入っており、年代別利用率に至っては、20代以下においてFacebookが49.3%、Twitterが52.8%を誇っていたからである。詳しくは、総務省(2015)を見られたい。また、発足当時はFacebookのみを利用していたが、本註のような観点から、Twitterの利用を2016年3月12日より開始している。

学習院大学哲学サークルPhilo LABO(2015)による。以下、活動に関する記述は、このFacebookページにもとづく。

なお、初回の活動では20人前程度のカレーを事前に作り、カレーを食べながらの哲学対話というのを行っていた。これは、イベントの開始時刻が18時以降であったため、空腹のままでは満足に哲学対話ができないかもしれないと考えた結果である。第2回目の活動は、2015年11月16日(月)に行われたが、ここではおにぎりと豚汁が用意されている。その後、第3回目の2015年12月14日(月)はカレー、第4回目の2016年1月18日(月)はおしるこであり、2015年度最後の開催となった2016年3月14日(月)では、代表田村の都合により、何も食事の用意はされなかった。この食事の用意は、2016年度初回である2016年4月18日(月)のカレーを最後に行われなくなった(この回のカレー作りは、世話人の小島和男先生による)。これは、運営側の負担を軽減するためのものである。実質、20人前程度のカレーを作るのには、1時間程度はかかるのに加え、当時の運営は主に田村のみで行っていたということもあり、一人当たりの作業量が多いという実感があった。

2016年4月18日の開催まではコミュニティボールの代わりに人形を使っていた。それゆえに、その開催までのルールとしては、「コミュニティボール」の部分が「人形」であるのが正確である。コミュニティボールの利用が開始されたのは、2016年5月14日(土)の開催でコミュニティボールを参加者と作ることとし、その作ったコミュニティボールを利用しながら対話をするという企画をしてからである。人形からコミュニティボールへの移行が行われた要因は、上述のようなボール作成のイベントをしたかったというのに加え、人形が形状として持ちにくい、渡す際に投げるのがためらわれる、というのがある。このようにコミュニティボールを利用するというのは、P4C型の哲学対話に特徴的なものである。詳しくは、梶谷(2018、pp.223-230)や土屋(2019、pp.211-212)、河野(2021、pp.83-84)を参照されたい。

梶谷(2018、p.47、pp.69-73)を参照されたい。

もしもプラトンのイデアという概念を用いたいのであれば、その用語の説明として以下のような例示をするようなものである。つまり、木工職人が椅子を作りにあたり、椅子の図面を描くにせよ描かないにせよ、何かしらの椅子というものを思いうかべながらそれを行うというのであれば、その思いうかべている椅子というのは、図面として現れていたり、実物として現れていたりする椅子の原型と言えるようなものである。そして、その原型を「椅子のイデア」と呼び、それぞれの実物、例えばリンゴや本にはそれぞれのイデアがある、というような具合である。

註9で言及したプラトンのイデアに関する例示に即すのであれば、椅子のイデアの他にリンゴのイデアや本のイデアについて述べたが、いったいリンゴのイデアとは何なのかという疑問から、赤リンゴと青リンゴは色が異なるがリンゴのイデアには色は含まれているのかという問いだったり、リンゴではなく赤リンゴのイデアや青リンゴのイデアはあるのかという問いだったり、赤リンゴが目の前に複数個あった場合に赤リンゴAと赤リンゴBと赤リンゴCのそれぞれについて赤りんごAのイデア、赤リンゴBのイデア、赤リンゴCのイデアがそれぞれあることにならないかといった問いが生まれる可能性がある。

このテーマは、前述した東京大学のUTCPにてP4E(Philosophy for Everyone)のプロジェクトを行なっている梶谷のインタビューである、さえり(2016)から着想を得たものである。

専門用語の使用をルール付きで許可したり、問いを参加者自身に提起したりしてもらうところに、学校(大学)が開催地となっており、参加者は学生であるということ以外の点で、初期Philo LABが持っているP4Cの要素が色濃く出ていたと思われる。上述したように、専門用語をその説明付きで行っても良いというのは、自らが理解していない限りその知識や用語を使用したとしても、自分が理解する点でも他者が理解する点でも、不十分にしかなりえない、ということを念頭に置いているがゆえのルール設定である。自分が現状持っている理解や知識を、他者と協力しながらさらに深めていく、疑っていくというところに哲学対話の教育的利点があるのだとすれば、それが如実に出ているルールが提示されていたことになろう。また、初回とその後の数回を除き、参加者自身に問いを提起してもらっていたのは、これから複数人で行われる対話に対する当事者意識を増長させるためのものでもあった。学校現場において哲学対話が行われるのは、たとえば、探究学習においてである。「探求の時間で、一番大切なことは、探究するテーマと問いを自分たちで設定することです。〔中略〕何が探究する意味と価値のあるテーマなのかを、みんなで議論するのです」と河野が述べているように、テーマ設定は他者(進行役)から与えられるものではなく、その場限りの集合体である参加者同士で決め合った方が、対話を通しての思考の深化が見込まれやすいのであろう(河野(2021、pp.72-73)によれば、探究学習において、テーマと問いを設定するための決定手段として、哲学対話の導入が提起されている)。また、土屋は、開智日本橋での授業実践の狙いとして、「「まっとうな思考力」を育成する」ことを念頭に入れたうえで、哲学対話を導入している。この「まっとうな思考力」を、中学校や高校ではなく、大学というより学術的な環境で養うためには、自由な雰囲気のなかであっても、哲学の知識をその説明付きで用いることができるようなルール設定は欠かせなかったものだと思われる(土屋(2019、pp.43-45))。

P4E型を目指すことにはなったが、マルク・ソーテが言うようにどんなところでも「「哲学的」と呼ぶに値する考察を始めることができる」ことはあまり念頭に置いていない(マルク・ソーテ(1996、p.9))。また、「サイエンスカフェ」のように「研究者と一般市民の垣根を超えた交流」も念頭には置かれていない。

哲学対話にはさまざまな形態があるが、それを総称して「哲学プラクティス(Philosophical Practice)」と呼ぶこともある(寺田(2017、pp.18-26))。

梶谷も著書の中で「日常生活の中で、私たちが何を言ってもいい場というのは、まったくと言っていいほど存在しない」と指摘している(梶谷(2018、p.48))。

古代ギリシア哲学、特にソクラテス・プラトン哲学においては、「人間はより善くなることを目指すべきである」と言われている。『ソクラテスの弁明』29d4-e3、30a7-b4、38a2-6などを参照されたい。

例えば、2020年5月の哲学対話イベントは234件にもなる(藤原雪(不明)を参照されたい)。

コロナ禍においては、同時間帯でオンライン哲学対話を実施した。その際にも、カメラOFFで実施することにした。これは、前述した目的1に「顔」や「表情」も含まれるのではないかと考えたためである。また、トラブル防止という理由もある。また、現在では、同時間帯にオンライン、14時から1時間30分程度対面と2部制(同一テーマ)で実施している。これは、対面実施のみにしてしまうと、居住地の問題で参加できなくなる人が生じてしまうため、オンラインは廃止せず存続させることにした。

自己紹介に関しては、名前も自身の属性と考えられるため、目的1に反することになるので、行わないことが当初から決まっていた。アイスブレイク・問い出しに関しては、哲学対話の「初対面の人たちが集まる」という性質上、多くの団体が導入している。梶谷(2018、p.205)や土屋(2019、p.196)もアイスブレイクの重要性を指摘している。

2019年度当初は2名、2024年度現在は、Philo LABO for Womenのスタッフを含めて6名で運営を行っている。

参加費無料で実施できているのは、自分たちの所属である学習院大学を会場と設定したため、会場費が不要であったことも大きな理由である。

2019年度当初のルールは次の8つである。

1. 手を挙げた人がさくまサンを持って話をし、何を言ってもいい

2. 話し終わったらファシリテーターにさくまサンを渡す

3. さくまサンを受け取るのに際して譲り合わない

4. 人に否定的な態度をとらない

5. ただ聞いているだけでもいい

6. お互いに問いかけるように心がける

7. 専門用語は使用せず、知識ではなく経験に即して話す

8. 話はまとまらなくていいし、意見が変わってもいいし、分からなくなってやめてもいい

これは、前述した梶谷(2018)で提示されているルールを参考にPhilo LABOの目的に合わせて修正をくわえた。また、学習院大学を会場と設定していたので、わかりやすさの点から、コミュニティボールの代わりに、学習院大学のマスコットキャラクターである「さくまサン」の人形を使用した。また、コロナ禍後に対面実施を行った2022年4月からは感染対策のため、「さくまサン」の使用を廃止し、話したいことがある人は手を挙げてもらうよう、対話の初めにアナウンスをすることにした。またルールも次の6つに修正した。

1. 人を傷つけない限り何を言ってもいい、ただ聞いているだけでもいい

2. 話はまとまらなくていい

3. 人に否定的な態度をとらない

4. お互いに問いかけるように心がける

5. 専門用語は使用せず、知識ではなく経験に即して話す

6. 意見が変わってもいいし、分からなくなってやめてもいい

1の下線部は、他の団体運営者から「何を言ってもいい」というルールで行った際に、参加者間でのトラブルが生じたという話を聞き、追加した。

Philo LABO(2019)を参照されたい。

参加者の方からは、「板書があると対話の流れが掴めて助かる」や「形に残ると自分で考えるときの助けになる」など、板書に関して非常に肯定的な意見をもらうことが多い。

参加者の職業種別に関しては、アンケートを取って集計したわけではないので、対話の中での発言や対話前後の世間話での推測に過ぎないが、本多の体感では、最も多いのが、社会人層(家事従事者も含む)で、学生(高大学生)と年金受給者層は全体の1割程度である。

新Philo LABOの哲学対話の流れは「開始の挨拶・ルール説明」→「対話」→(「休憩」→「対話」)→「終了の挨拶」である。開始終了の挨拶についても、特にまとめなどを行わず、本当にただの挨拶にすぎない。

P4Cについては、上記した梶谷(2018、pp.29-32)または、土屋(2019、pp.60-82)を参照されたい。

日本において、P4E型の哲学対話は、「関東実験哲学カフェ」や「臨床哲学研究室」などが始まりだといわれている。土屋(2019、pp.158-168)を参照されたい。

ここで完成された活動や場は、あくまでその場限りでの一時的なものにすぎない。もしも、同じ哲学対話団体、哲学カフェサークルにて同一のテーマ・問いを同一の参加者で語り合ったとしても、以前のものとは異なる完成が見られよう。その一時的性、流動性というのが、哲学カフェ、哲学対話の本質でありながらも同時に、もしも静止し固定化された知というものがあり、それを追求するのが哲学的な態度だとみなす人がいるとすれば、哲学カフェ、哲学対話というのは反知性的な取り組みだとも判断されかねない。これは、どのようなことを「哲学的」とするのかに関する、註31とも連関する。

土屋(2019、p.111)でも指摘されている。

どのようなことを「哲学的」とするのかに関しては、議論の必要があるが、ここでは「哲学的であることの定義」ではなく、「哲学対話・哲学カフェのあり方」が主題なため、前者については言及しない。梶谷(2018、p.28)では、「「哲学対話」とはどのようなものか、何を重視するのか、どのように行うのかなど、「哲学対話の哲学」とでもいうべきものを述べ」るところから議論を出発させている。また、河野他(2022)では、4名の哲学対話実践者が揃って、各々異なる哲学対話の定義付けを行っている。このようなことからもわかるように、哲学対話が一体なにものなのか、というのは実践者によっても異なるものであり、議論を要するものである。だが、重要なのは、その差異性ではなく、どの人も自分たちがやっている活動を「哲学」対話だとしているという点である。

 
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