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クエリ検索: "いのちの響"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • 宮野 祥子
    人工知能
    2024年 39 巻 5 号 621-628
    発行日: 2024/09/01
    公開日: 2024/09/01
    解説誌・一般情報誌 認証あり
  • 松尾 千秋
    日本教科教育学会誌
    2006年 29 巻 2 号 1-9
    発行日: 2006/09/10
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    今日では,全国の小,中,高等学校の運動会・体育祭などにおいて,「南中ソーラン」がブームとなり,運動会・体育祭などを席巻しつつある。そこで,本研究では,人々の興味・関心を抱かせる教材とは何かについて探求するため,(1)用語から抱かれるイメージ,(2)ビデオ視聴後のイメージ変化,(3)体験後のイメージ変化などを調査した。その結果,"日本の民俗舞踊"という用語に対する,重い,暗いイメージは,舞踊ビデオ視聴によって,大きい,明るい方向へ変化し,さらに,「南中ソーラン」を体験することにより,強いイメージが増し,むずかしいイメージは軽減されていた。これらのことから,人々の興味関心を抱かせる「南中ソーラン」の教材的価値を推測することができた。
  • 井村 仁
    野外教育研究
    2006年 10 巻 1 号 85-97
    発行日: 2006年
    公開日: 2010/10/21
    ジャーナル フリー
    The purpose of this study was to examine the origin of outdoor education in Japan.
    Generally speaking, what we think of as organized camping first took shape and was implemented in the 1920's. However, outdoor education in Japan had its roots in back to Shugendo dur ng the Heian era. The following conclusions were obtained.
    1. Mountaineering was a main activity of Japanese outdoor education in the early days.
    2. Shugendo was not only the origin of mountaineering in Japan but also part of the basic culture of our country.
    3. The custom of Seijin Tozan (“initiation into adulthood”) directly influenced the origin of Gakkou Tozan (“school mountaineering”) in the early years of the Meiji era.
    4. The purposes of Gakkou Tozan (“school mountaineering”) in those days were to strengthen the mind and body of students, and help them learn about natural history.
    5. The concepts and practice of Shugendo were similar to those of adventure education and environmental education that researchers today consider elements of outdoor education.
  • 本城 昇
    有機農業研究
    2018年 10 巻 2 号 14-24
    発行日: 2018/09/30
    公開日: 2019/05/21
    ジャーナル フリー

    埼玉大学の有機農業関係授業や埼大有機農研の活動は,まだまだ課題が多い.栽培の分野についてみると,授業では,栽培体験の提供がほとんどできていない状況にある.また,埼大有機農研の活動においても,ほ場がかなり大きくなって,有機農業を体験するにふさわしい状況になってきているとはいえ,それに応じた栽培のスキルアップが伴っていないという問題がある.こうした状況は,基本的に,埼大有機農研の会員が初めて農作業を経験する者によって占められており,せいぜい大学1年から3年夏頃までの大学生活2年半程度のクラブ活動での体験では,本人の意欲も関係するが,有機農業の栽培技術の習得はおぼつかないことによる.学生会員ではなく,有機農業による栽培の経験を積んだOB会員や社会人会員で,ほ場の運営・管理の指導ができるような人材が揃えられれば,授業での栽培体験の提供を支援できるスタッフとしても活用できるので,こうしたスキル面の問題は解決できると考えられるが,その道のりは遠いと言わざるを得ない.

    とはいえ,現段階でも,紙芝居や語り,踊等の交流スキルの取組は,かなりの成果を上げているといえる.地域の自然と社会が持続するためには,前にも述べたように,伝え語りや踊,祭など,地域の自然と結びついた暮らしから醸し出される地域の文化的な表現がなければ,その地域に暮らす人々にとって,その地域に対する愛着や魅力が生じにくく,また,その地域の自然と社会を存続させるようとする精神的な支えに欠くことになるといえる.そうした課題に着目し,地域の人達に学びながら,暮らしの中の芸術的な表現を活性化していく方法や手段を探っていき,目に見える形で実現していくことは重要であると考えられる.これは,なかなか通常の発想では気づきにくく,また,普通の人達には容易に取り組めないことである.しかし,地域に立脚する・立脚しようとする大学であれば,取り組むのは難しいことではなく,その知的総合力を活かして精力を傾けて取り組めば,大きな成果も期待できるであろう.

    現代社会は,「今だけ,金だけ,自分だけ」と揶揄されているように,長い時間軸・広い空間軸から地球を越えて宇宙にまで及ぶような深い促しから物事を総合的にその本質を捉えようとする視点に欠ける面がある.目先の利益に踊らされているような短絡的な発想では,自然や社会の持続性を本質的に考えていくことはできない.そうした短絡的な発想の下では,人気とりの客寄せ主義に陥り,地域の人達にとって,その表現・発信がその内心の深いところから納得してわき出る内発的なものとはならないであろう.

    自然,歴史,文化を長大な時間軸・空間軸から捉え直し,地域の自然や社会の魅力を把握し直し,そこでの農的暮らしといのち響き合う関係性をとり戻し,自分自身と地域に誇りと自信をとり戻し,暮らしの中の人柄がにじみ出る文化的に質の高いものをつくり出し,人々の出会いとつながりを確かなものとすることが必要である.そうしたことによってこそ,地域の自然と社会の持続性も確かなものとなると思われる.

    大学は,地域の大きな文化センターであり,地域の魅力を新鮮な視点で発見し,目先の利益に走ることなく,地域の自然と社会を保全する取組みを展開し,地域の自然にも社会にも思慮深い心優しい人材を送り出し,地域社会を生き生きとした楽しさに輝くものにしていく重要な役割を果たすべきだと思う.

  • 今、なぜ世界観への問いか
    岡田 渥美
    教育哲学研究
    1998年 1998 巻 77 号 92-108
    発行日: 1998/05/10
    公開日: 2009/09/04
    ジャーナル フリー
  • 本城 昇
    有機農業研究
    2018年 10 巻 1 号 4-15
    発行日: 2018/09/30
    公開日: 2019/05/21
    ジャーナル フリー

    「経済合理性」を追求してやまない現代社会においては,舘野氏が指摘するように,都会と農村,個人と個人は,分断され,経済という冷たい鎖でつながっているだけである.その中で,人間の生活や自然環境の破壊が着実に進行している.この状況において,どのように農・農業を復権し,自然と社会を回復するか.全体セッションでの報告から,前述のとおり,そのキーワードとなる事項を「循環」,「共生」,「自給」,「交流」という形で整理した.もとより,この事項を包摂する学は,自然科学,社会科学のみならず,芸術その他の表現,民俗,無意識等のさらに広い分野からのアプローチが必要となる総合的な学となることは言うまでもないであろう.

    農学が自然科学とその周辺科学を対象とする学にとどまり続けると見込まれるならば,有機農業が近代農業のあり方を鋭く批判する位置にあるのと同様に,このような広範囲な総合的な学を有機農学と定位し,農の本質に即した研究や教育の発展を期すべきではないだろうか.

    舘野氏は,有機農業の本質は,農業ではなく「農行」であると思うとし,その本質は,生命の法則と宇宙(自然)の法則に沿った世界に農業や社会や生き方を変えることにもつながる,広大で深遠な世界観の転換にあると思いますとしている(舘野2007:9).

    有機農学という総合学から,農の本質に即した農業のあり方や技術論,経済論,社会論,制度論,文化論,芸術論などが幅広く展開され,地域の自然と社会が持続性・永続性を持ち,いのち響き合う社会や暮らしが実現する道筋が具体的に提起されるようになることを切に期待したい.第18回日本有機農業学会大会(埼玉大学)の全体セッションでの報告とそこでの議論は,こうした総合学の展開に向けての出発点となる意義深いものであったと,筆者は評価している.

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