『藪の中』では個人の視野は他の個人の視野から明確に分離され、多元主義の図式が強調されている。これと同年同月に発表された作品もまた、文化的価値の差異や世代的な価値の差異をテーマにして、複数の視野が相互に自律的であることを強調している。しかしこの時期の紀行文『上海游記』や『神々の微笑』は、他文化接触において自他の境界が侵犯される恐怖を書いている。つまり、個人と他との視点のコントラストを強調した作品は、こうした自己同一性の脅えを隠蔽しているものと読むことができる。その意味は、自国文化の同一性を守ろうとするものである。
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