粘度板(clay tablet)は,メソポタミアで,シュメール人が前3000年以上前に,彼らの楔形文字を記録するのに使いだし,地中海とオリエントが一つの文化圏となり,パピルスや羊皮紙にとって代わられる前3世紀頃まで,使い続けられた。
シュメールに続く歴代の王朝は,その記録を執拗に粘土板に彼ら自身の楔形文字で彫り込み,文書庫・図書館に保存した。その図書館が破壊・焼け落ちた際,粘土板が焼成されて残った。19世紀から50万点以上が発掘され,歴代の文字が解読され,社会とその文化が明らかにされている。
前3000年の粘土板は行政文書と語彙テキストで,王朝は文字により行政をコントロールしようとした。前2600年頃より土地・家屋の売買が記録され,文字テキスト(叙事詩,物語等)も出土する。前2300年頃より押印文書や手紙につかわれだし,前2000年には法典が整備される。文字とその記録媒体を手にしてから,500-1000年で,思想(哲学),文学を共有する社会が成立してくる。
メソポタミアでは,文字の使用が広がるにつれ,粘土板の他に,書き換え可能なwax tabletやパピルスも使用する豊かな文字の社会を形成していた。
抄録全体を表示