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クエリ検索: "カジミール・マレーヴィチ"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • ─20世紀以降の建築、芸術、ファッションの事例を中心に─
    鎌倉 明香
    ファッションビジネス学会論文誌
    2023年 28 巻 59-70
    発行日: 2023/03/31
    公開日: 2023/08/31
    ジャーナル 認証あり
  • 病院空間による検証および直線表現の特性による検証
    *吉岡 聖美
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2009年 56 巻 A20
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/16
    会議録・要旨集 フリー
    直線が強調された表現による抽象絵画および直線が強調されていない表現による抽象絵画を対象として,直線表現要素の違いによる印象評価の調査を行った。併せて,絵画を鑑賞した場合の印象評価と病院空間に掲示された絵画を鑑賞した場合の印象評価を比較検証した。この研究結果から,抽象絵画における直線表現要素の違い(垂直線・水平線・斜線・数量的比較)が印象評価に関連することが示唆された。絵画を鑑賞した場合の印象評価と病院空間に掲示された絵画を鑑賞した場合の印象評価において,直線表現要素の異なる抽象絵画について印象評価の差に特性がみられた。加えて,抽象絵画における直線表現要素の違いによる印象評価の差について,掲示される空間に関係なく印象評価の差を生じる評価因子が明らかとなった。
  • 河村 彩
    コモンズ
    2023年 2023 巻 2 号 70-76
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/04/06
    ジャーナル オープンアクセス
  • 上田 洋子
    ロシア語ロシア文学研究
    2023年 55 巻 151-163
    発行日: 2023/10/15
    公開日: 2023/12/20
    ジャーナル フリー
  • 沼野 恭子
    ロシア語ロシア文学研究
    2023年 55 巻 138-150
    発行日: 2023/10/15
    公開日: 2023/12/20
    ジャーナル フリー
  • 小野 英志
    山陽学園短期大学紀要
    2001年 32 巻 1-9
    発行日: 2001年
    公開日: 2018/11/28
    ジャーナル フリー
    ピーター・ゲイが、ヴァイマール共和国を、あるいはそのモダニティを代表するもののひとつとして指摘したバウハウスは、1919年4月(ヴェルサイユ条約締結の2か月前)ヴァイマールに開校し、1933年8月(ナチス政権成立の7か月後)ベルリンで閉校した、造形Gestaltungの高等教育機関である。このバウハウスは1925年から30年にかけて、自らの名前を冠したバウハウス叢書Bauhausbucherを出版しているが、刊行された14巻の著者とタイトルは次のとおりである。1.ヴァルター・グロピウス.『国際建築』.1925.2.パウル・クレー.『教育スケッチブック』.1925.3.アドルフ・マイアー.『バウハウスの実験住宅』.1925.4.オスカー・シュレンマー編.『バウハウスの舞台』.1925.5.ピート・モンドリアン.『新しい造形』.1925.6.テオ・ファン・ドゥースブルク.『新しい造形芸術の基礎概念』.1925.7.ヴァルター・グロピウス.『バウハウス工房の新製品』.1925.8.ラスロ・モホリ=ナギ.『絵画、写真、映画』,1925.9,ヴァシリー・カンディンスキー.『点と線から面へ』.1926.10.J.J.P.アウト.『オランダの建築』.1926.11.
    カジミール
    マレーヴィチ
    .『無対象の世界』.1927.12.ヴァルター・グロピウス.『デッサウのバウハウス建築』.1930.13.アルベール・グレーズ.『キュビズム』.1928.14.ラスロ・モホリ=ナギ.『材料から建築へ』.1929.このうちの8巻目、すなわちモホリ=ナギの『絵画、写真、映画』の刊行後に、出版元であるミュンヘンのアルベルト・ランゲン社Verlag Albert Langenから出された出版案内(プロスペクタス)には、9巻以降の続巻として、クルト・シュヴィッタースの『メルツ・ブッフ』、フィリッポ・トマソ・マリネッティの『未来主義』、トリスタン・ツァラの『ダダイズム』、ラヨシュ・カシャークとエルネー・カーライの『MAグループ』、テオ・ファン・ドゥースブルクの『デ・ステイル・グループ』、フリートリヒ・キースラーの『デモンストレイションの新しい形態』、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの『建築について』、ル・コルビュジエの『建築について』等々、30タイトル以上が予告されている。(この案内には11巻の著者マレーヴィチの名前はない。)実際に刊行されたものと、未刊に終わったものの著者名とタイトルとを併せて見れば、編者であるグロピウスとモホリ=ナギがこの時点でバウハウス叢書に-ひいては出版主体たるバウハウスという組織そのものに-どういう性格を与えようとしていたかがほの見えて興味深いものがあるが、しかし、この出版案内のなかでとりわけ目を引くのは、パリで活躍したアメリカ人作曲家ジョージ・アンタイルがバウハウス叢書『音楽機械Musico-mechanico』の著者として予告されていることではあるまいか。カンディンスキーはアルノルト・シェーンベルクにヴァイマールでの職を斡旋しようとしたと伝えられ、アメリカに渡ったモホリ=ナギはジョン・ケイジとその実験音楽に協力しようと努力し、またヨーゼフ・アルバースなどが参加したブラック・マウンテン・カレッジでは積極的に音楽がとりあげられた経緯がある.バウハウスの多くの教授陣が音楽舞台-の要素としての音楽だけではなく、いわゆるシリアス・ミュージックとしての音楽-に対して、造形および造形教育に深く関わるものとして注目していた可能性は否定しにくい.リベラル・アーツと称して音楽を備えるべき教養のひとつとみなしてきた伝統にあっては、バウハウスがことさら音楽を軽視したと考える方が不自然ではあるが、少なくともグロピウスとモホリ=ナギは、ここで見るようにバウハウス叢書という枠組みの中にアンタイルの著作を加え、さらにはハインリヒ・ヤコビによる『創造的音楽教育Schopferische Musikerziehung』をも加えようと企画している.一方で、バウハウスの周辺には、ヨーゼフ・マティアス・ハウアーのようにヨハネス・イッテンと協働すべく直接バウハウスの門を叩いた音楽家もいれば、バウハウス週間の演奏会に参加した音楽家も多い。本稿では、従来言及されることの少なかった、バウハウス関係者とアンタイルなどの同時代の作曲家たちの接触を通して、作曲家ないし音楽とバウハウスがどのような関係を維持していたのかについての考察-ひいてはバウハウスを機能主義のチャンピオンとみなす視点を転換するためのひとつの契機に関する作業-の緒を研究ノートとして記しておきたい。
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