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クエリ検索: "カール・マリア・フォン・ウェーバー"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 白石 知雄
    美学
    1994年 45 巻 3 号 58-
    発行日: 1994/12/31
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
  • ― 旧ドイツ民主共和国にみる声楽教育の実例 ―
    中川 郁太郎
    音楽教育学
    2018年 48 巻 1 号 25-35
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/08/31
    ジャーナル フリー

     本研究報告は, 第二次世界大戦後40年に亘って続いたドイツ民主共和国 (旧東ドイツ) において, 伝統的な西洋音楽の専門教育がどのようになされたのかを, 特に声楽家の育成に着目し, 先行研究および資料の調査とインタビューとを通して, その一端を明らかにする試みである。第1章においては, 旧東ドイツ時代の音楽専門教育に関する先行研究をたどり, 第2章2. 1では, 資料から確認できるワイマール高等音楽学校の事例を参照し, 旧東ドイツの音楽専門教育の歴史を概観する。2. 2および2. 3では, 声楽教育に関する一次資料である, 元ライプツィヒ高等音楽学校教授ヘルマン・クリスティアン・ポルスターへのインタビューをもとに, 高等音楽学校の中で日常的におこなわれていた教育の在り方を検証する。第3章ではそれらを通して, 実効性ある音楽専門教育はいかにして可能か, という問題研究への端緒を拓くとともに, 今後の研究課題に言及する。

  • 岡田 安樹浩
    音楽学
    2018年 64 巻 1 号 49-63
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/10/15
    ジャーナル フリー
      「ライトモティーフ」(=LM)はワーグナーの生前からさまざまに解釈されていた。1860年、A. W. アンブロースは著書『現代音楽界の文化的光景』のなかで、リストの交響詩《タッソ》における主題の変容回帰の現象を説明するための詩的・隠喩的表現としてLMという言葉を案出した。しかし、この言葉が広く用いられるようになるのは1860年代末になってからであった。F. W. イェーンスが『作品におけるウェーバー』(1871年)においてLMを「回想モティーフ」の同義語として用いて以降、この理解と用法が広まったが、その一方でワーグナーやリストの作品におけるモティーフの変容回帰のことをLMと呼ぶ論者もいた。
      1876年のバイロイト祝祭を契機として、LMはワーグナーの楽劇に関連する文脈で用いられる傾向が強くなった。特にE. ハンスリックに代表される反ワーグナー派の論者は、H. v. ヴォルツォーゲンの『主題の手引書』(1876年)において解釈・命名・番号づけされたモティーフのことをLMと呼び、この言葉に新しい意味を付与した。そしてワーグナー自身も『音楽のドラマへの応用について』(1879年)において、LMをこの意味において使用した。その一方で、ワーグナー讃美者のJ. v. サンテン・コルフは、LMはワーグナーの後期作品に特有のものであり、回想モティーフとは似て非なるものだと主張し続けた。
      1880年の『グローヴ音楽事典』において、LMは初めて音楽事典に立項された。しかしそこでの説明は、オペラやオラトリオにおける回想モティーフであると同時に標題交響曲におけるイデー・フィクスでもあり、ワーグナーの後期作品における作曲原理でもある、と多義的であり、フーゴ・リーマンの『音楽事典』(1882年)でも、当時あったさまざまな理解が網羅的に列挙されている。これらが、ワーグナー死後の音楽事典や文献のなかで流布していったのである。
  • 千代田 謙
    西洋史学
    1951年 8 巻 2-
    発行日: 1951年
    公開日: 2022/10/28
    ジャーナル フリー
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