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クエリ検索: "ガダルカナル州"
9件中 1-9の結果を表示しています
  • 川端 眞人, 松口 素行, 小林 大登
    国際保健医療
    2011年 26 巻 1 号 29-37
    発行日: 2011/03/20
    公開日: 2011/05/19
    ジャーナル フリー
    JICAソロモン国マラリア対策強化プロジェクトは2010年1月に作業を完了し、業務完了報告書を作成した。この資料は報告書の「教訓と提言」に加筆したものである。他の途上国と同様にソロモン諸島でもマラリアサービスが末端まで提供されず、サービスへのアクセスから隔離された地域ではマラリアに感染すると重症化しやすく、死亡率も高い。この資料では、医療従事者の再研修や運用面での改良などシステムの強化とコミュニティのオーナーシップの醸成、加えて、医療者の臨機応変な判断力と使命感の大切さを強調した。さらに、医療資源に制限のある途上国で過剰のプロジェクトを自力で運営するには限界がある。当該国に適正サイズのプロジェクトの導入を提言した。
    20世紀末にスタートしたロールバックマラリア計画では1990年のマラリア負担を基準に2010年までに半減すること数値目標とし、ミレニアム開発目標では、その数値を採用した。一方、2008年に発表したMAP((Malaria Action Plan)では中期目標として2015年までにマラリア死亡をゼロに近づけると、ハードルを一気に高く設定した。その背景にはさまざまな意図や思惑がみえる。国際保健の領域では10年周期で潮流が変動しており、新しい流れが目前に迫っている。新しい潮流が途上国に有益なものか否かは慎重に見極めなくてはならない。
  • 紛争経験の証言聴取をめぐるグローバル/ローカルの緊張関係
    藤井 真一
    文化人類学
    2018年 82 巻 4 号 509-525
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/10/18
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、ソロモン諸島真実和解委員会の活動とガダルカナル島における在来の紛争処理に 注目して、ソロモン諸島における「エスニック・テンション」後の社会再構築過程にみられる課題、 とりわけ紛争経験の証言聴取をめぐって生じた緊張関係を解明することである。

    冷戦終結後に世界各地で頻発・長期化するようになった地域紛争への対応として、真実委員会に よる修復的な紛争処理が増加している。1998年から2003年に「エスニック・テンション」と呼ばれ る地域紛争を経験したソロモン諸島国でも、2010年から2012年にかけて真実和解委員会による社 会再構築の試みがみられた。本稿では、ソロモン諸島真実和解委員会が世界的な紛争処理の動向を 受けながら外部から導入された紛争処理としての側面があることを示す。次に、ソロモン諸島ガダ ルカナル島においてみられる在来の紛争処理について述べ、真実和解委員会の証言聴取活動との競 合関係を指摘する。最後に、真実和解委員会が公聴会の場面に伝統的な贈与儀礼を導入したことを 踏まえ、在来の紛争処理について考察する。

    本稿の考察から明らかになることは、以下の三点である。第一に、ソロモン諸島真実和解委員会 の中心的活動であった証言聴取について、ソロモン諸島の文化的規範と競合する問題があったこと。 第二に、証言聴取と文化的規範との競合を乗り越えるために、公聴会において贈与儀礼が執り行なわ れたこと。第三に、在来の紛争処理であるコンペンセーションを損失した財に対する補償や知識・情 報への対価として捉えるのではなく、継続的な関係構築のための手続きとして捉えるべきであること。 ソロモン諸島において真実和解委員会が証言聴取をしたことは、ローカルな規範に則った紛争処理と の間で葛藤を生じさせつつも、平和へと向かうポテンシャルを創発するものであったのだ。

  • 川端 眞人
    国際保健医療
    2005年 20 巻 1 号 13-17
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/12/20
    ジャーナル フリー
  • 山田 肖子
    アフリカ研究
    2012年 2012 巻 81 号 69-72
    発行日: 2012/05/31
    公開日: 2014/03/28
    ジャーナル フリー
  • ソロモン国における持続的森林資源管理能力強化プロジェクト
    西川 達治, 廣木 瀬菜
    海外の森林と林業
    2020年 108 巻 23-
    発行日: 2020/08/01
    公開日: 2021/10/21
    解説誌・一般情報誌 認証あり
  • 多国間主義の検証
    小柏 葉子
    国際政治
    2003年 2003 巻 133 号 93-107,L11
    発行日: 2003/08/29
    公開日: 2010/09/01
    ジャーナル フリー
    The Pacific Islands Forum, which changed its name from the South Pacific Forum to the present one in 2000, can be regarded as the most wellfunctioning multilateralism in Oceania. This article aims to analyze the change and continuity in the Pacific Islands Forum by examining three periods respectively, the period as the South Pacific Forum, the transitional period in the 1990s, and the period as the Pacific Islands Forum.
    The South Pacific Forum started its activities in 1971 and consolidated its foundation as a regional body to respond to external pressure, namely nuclear issues. In the late 1980s, it responded to another external pressure, climate change issues, by using other organizations as multiple channels to send a voice to the international community. At almost the same time, it also tried to deal with global trade liberalization as another external pressure by building economic relations with the Asia-Pacific region. In contrast to this, it avoided getting involved in regional conflicts stemming from ethnic problems within member countries.
    However, the South Pacific Forum went through a transitional period in the 1990s, in which it started to commit to intraregional affairs. In order to tackle transregional crime it adopted the Honiara Declaration in 1992, requesting member countries to take law enforcement measures. The Aitutaki Declaration adopted in 1997 went further, setting out guidelines for regional security.
    While it maintained its stance of non-interference in relation to the coup in Fiji in May 2000, it eventually decided to adopt a policy of intervention with the outbreak of the coup in the Solomon Islands in the following month. The Biketawa Declaration, defining the Forum's guiding principles and courses of actions towards regional conflicts, was adopted at the annual meeting in October, where the change of name to the Pacific Islands Forum was also officially proclaimed.
    Unlike the South Pacific Forum, the Pacific Islands Forum is a regional organization that intervenes in regional conflicts as well as responds to external pressure. It should be pointed out, however, that there is continuity between the two. One of the reasons why the Pacific Islands Forum decided to adopt a policy of intervention was the adverse effect that the two coups in 2000 had to the region's reputation as a trade and investment market, something that the Pacific Islands Forum has tried to form in response to global trade liberalization. In that sense, external pressure still existed behind the Forum's decision of adopting a policy of intervention.
  • 関根 久雄
    民族學研究
    1991年 56 巻 1 号 94-106
    発行日: 1991/06/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • 深尾 幸市
    ボランティア学研究
    2018年 18 巻 147-149
    発行日: 2018年
    公開日: 2020/07/01
    ジャーナル オープンアクセス
  • 民族衛生
    1997年 63 巻 Appendix 号 38-93
    発行日: 1997/11/06
    公開日: 2010/06/28
    ジャーナル フリー
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