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クエリ検索: "クラウス・ラング"
3件中 1-3の結果を表示しています
  • 中広 全延
    夙川学院短期大学研究紀要
    2001年 25 巻 23-33
    発行日: 2001/03/10
    公開日: 2020/01/26
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    セルジュ・チェリビダッケは、1912年ルーマニアで生まれ、1996年パリの自宅で死去した。20才を過ぎてから初めてベルリンにやって来てドイツ語を習得した。音楽技術上の才能には非常に恵まれていたが、ベートーヴェンやブラームスなどドイツ音楽の伝統的演奏様式には無縁の環境で育ち、またそれを身につけていなかった。彼が好んだレパートリーは、フランス印象派やロシア音楽であり、特にラヴェルは最も得意なものであった。チェリビダッケはルーマニア人であり、ドイツでは人種と国籍において異邦人であったのと同様に、ドイツ音楽の世界では異邦人であった。そして、カラヤン=ベルリン・フィルを中心とする戦後のクラシック音楽界においても異邦人であった。チェリビダッケは、生涯にわたって青年の心性を保ち続けた孤独な理想主義者であった。彼はどんなオーケストラとも安定した関係を築かず遍歴を続け彷徨した永遠の青年であった。
  • 中広 全延
    夙川学院短期大学研究紀要
    2002年 26 巻 51-63
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2020/01/31
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    セルジュ・チェリビダッケとカルロス・クライバーは、完全主義者である点が共通しているが、異なる点も多い。ここでは、両者を対比し差異を抽出して、彼らの病跡学的考察を前進させることを試みる。チェリビダッケは、完全主義ゆえに通常をはるかに超える練習量をオーケストラに要求した。さらに、彼が練習狂になった心理的側面として、自我における自信の欠乏も考えられる。その自信の欠乏による不全感は、彼に攻撃性を発動させた。それは、発揮方法も対象も平明であり、直接的な陽性の攻撃といえる。クライバーは、しばしば公演を正当な理由なくキャンセルする。彼のキャンセル癖は、完全主義に起因する退避行動と理解できる。キャンセルして、周囲の期待を裏切り失望させることが、彼の攻撃衝動を満足させると解釈される。この間接的な陰性の攻撃の標的は、常にクライバーの内面に影を落としている大指揮者であった父エーリヒではないかと思われる。また、自分がキャンセルしたことを無視するかのごとくであるのは、否認の心理が働いているためと考えられる。
  • 中広 全延
    夙川学院短期大学研究紀要
    2008年 37 巻 37-41
    発行日: 2008年
    公開日: 2019/12/24
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
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