セルジュ・チェリビダッケとカルロス・クライバーは、完全主義者である点が共通しているが、異なる点も多い。ここでは、両者を対比し差異を抽出して、彼らの病跡学的考察を前進させることを試みる。チェリビダッケは、完全主義ゆえに通常をはるかに超える練習量をオーケストラに要求した。さらに、彼が練習狂になった心理的側面として、自我における自信の欠乏も考えられる。その自信の欠乏による不全感は、彼に攻撃性を発動させた。それは、発揮方法も対象も平明であり、直接的な陽性の攻撃といえる。クライバーは、しばしば公演を正当な理由なくキャンセルする。彼のキャンセル癖は、完全主義に起因する退避行動と理解できる。キャンセルして、周囲の期待を裏切り失望させることが、彼の攻撃衝動を満足させると解釈される。この間接的な陰性の攻撃の標的は、常にクライバーの内面に影を落としている大指揮者であった父エーリヒではないかと思われる。また、自分がキャンセルしたことを無視するかのごとくであるのは、否認の心理が働いているためと考えられる。
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