本論文は、中世中期・後期ドイツの諸侯身分が、支配者の宮廷において有した特権として、諸侯に関係した事件は同じ身分の諸侯によってのみ裁判されるという諸侯法廷の問題を、証書史料の分析を通じて検討し、ドイツ国制における諸侯身分の意義という問題を考える一助としようとするものである。十三世紀前半には、諸侯が支配者の宮廷における裁判に加わり、判決を決定するという実践が、特に一二一〇年代から一二三〇年代にかけて積み重ねられていた。この実践はいったん中断した後、十四世紀後半のカール4世の治世に、選挙侯のみ、または選挙侯と諸侯による決定という、より縮小された形で再びあらわれるが、この第二の盛り上がりも十四世紀末にかけて再び下火になっていく。そして十五世紀に入ると、選挙侯以外の諸侯が、諸侯法廷の構成と手続に関する主張を法学的に展開するようになり、厳密な意味での諸侯法廷が確立に向かう。このような経過は、諸侯身分の閉鎖化後の諸侯身分の成熟過程と、中世中期から後期のドイツ国制の発展の曲折を映し出すものである。
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