第二次世界大戦終戦直後のポーランドでは,Christaller(1933)に忠実に従った中心地理論の実証研究ならびに応用研究が行なわれた.いずれの研究も,中央空間計画局立案の国土計画に盛り込まれた中心地配置計画に直接,間接関係するものであった.しかし,1940 年代末に本格的社会主義政権が樹立され,国土計画の実施が中止されるとともに,マルクス経済学者から,中心地配置案の理論的基礎をなす中心地理論に対して批判がなされた.他方,中心地配置案が完成した頃,Christaller はポーランドに招かれた.その際,Christaller は,求めに応じて,ドイツ編入東部地域(ポーランド西部)の中心集落再配置案作成過程で得た知見を披歴した可能性がある.そして,彼のポーランド訪問は,戦時中に執筆されていた未発表の研究をChristaller(1950)としてまとめる契機ともなった.
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