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クエリ検索: "チワン語"
11件中 1-11の結果を表示しています
  • ―中国西南少数民族歌謡の音数律―
    遠藤 耕太郎
    アジア民族文化研究
    2008年 7 巻 189-201
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2020/03/19
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 足達 太郎
    九州病害虫研究会報
    2003年 49 巻 71-76
    発行日: 2003/11/10
    公開日: 2009/05/22
    ジャーナル フリー
    1997年3月に中国・広西チワン族自治区の一農村において,水稲病害虫とその防除に対する農民の認識を調べることを目的に,戸別に聞きとり調査を行なった。
    1.水稲収量が近年急増した要因として,多くの農民が「合理的な施肥」「改良品種の使用」とともに「病害虫防除の実践」をあげた。病害虫は水稲生産の阻害要因として最も重要であると認識されていた。
    2.農民が言及した病害虫の内訳は,ズイムシ類,コブノメイガ,イネウンカ類,カメムシ類,イネノシントメタマバエ,イネ紋枯病などが多かった。
    3.現在行なっている病害虫防除の手段として,回答者のすべてが「農薬散布」をあげた。農民がこれまでに使用したことがある農薬の種類の合計は,殺虫剤12品目,殺鼠剤2品目,殺菌剤1品目であった。
    4.農薬の悪影響や天敵の有効性を指摘する農民も存在するものの,増収のためには農薬の使用は不可欠と考えている農民が多かった。
    5.使用したことがある農薬の品目数は,漢族農民のほうがチワン族農民よりも顕著に多かった。また,各農民が知っている病害虫の種類数と耕作面積との間には有意な相関がみられた。このような相関は言語文化や資本力といった社会的背景に根ざしていることが示唆された。
    6.農民の病害虫とその防除手段に関する知識は,「農業老師」などと呼ばれる試験・普及機関の職員および元職員や種子・農薬会社の販売員によっておもにもたらされているらしい。
  • その分類と訳名について
    村松 一弥
    中国語学
    1963年 1963 巻 132 号 1-13
    発行日: 1963/07/15
    公開日: 2011/03/08
    ジャーナル フリー
  • 梶丸 岳
    社会言語科学
    2013年 15 巻 2 号 58-65
    発行日: 2013/03/31
    公開日: 2017/05/02
    ジャーナル フリー
    本稿は,中国貴州省のプイ族が歌う掛け合い歌「山歌」において,貴陽市で時折見られるバイリンガルの掛け合いについて事例を報告し,言語交替とコードスイッチングという観点からその背景を探ったものである.山歌には中国語で歌う「漢歌」とプイ語で歌う「プイ歌」があるが,両者は通常同じ掛け合いで両方歌われることはない.だが貴陽市では両者の形式が似ていることもあって,稀に両方歌われることがある.本稿で取りあげる事例のひとつは一般的状況で高齢の歌い手が歌うものであり,もうひとつは貴陽市布依学会が主催する行事で中年の歌い手が歌うものである.貴陽市は貴州省の中心地であり,プイ族居住地域で最も中国語への言語交替が進んでいる地域である.よって前者の事例は今でもプイ語の方が流暢な歌い手が,より自らにとって歌いやすい言語で歌っているのだが,後者の事例ではむしろ,プイ族文化を推進する場という社会的環境がプイ語で歌うことの背景にあると考えられる.また,山歌の歌詞は一定の形式を持つ定型句をもとに即興で作られるが,山歌におけるコードスイッチングは常に歌詞の形式に沿った形で行われていることから,コードスイッチングに歌詞の形式や記憶のありかたが大きく関わっていることがわかる.以上から,コードスイッチングや言語交替にはスピーチコミュニティだけでなく,言語行為のジャンルの持つ社会的文脈と固有の形式が関与しうることが明らかとなった.
  • ―中国広西壮族自治区武鳴県の事例より―
    手塚 恵子
    アジア民族文化研究
    2006年 5 巻 1-27
    発行日: 2006/03/31
    公開日: 2020/04/01
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • ―中国国籍モンゴル人留学生への調査を通して―
    トクタホ
    日本学習社会学会年報
    2007年 3 巻 58-67
    発行日: 2007年
    公開日: 2019/09/09
    ジャーナル オープンアクセス
  • ―中国・ベトナム・オーストラリアの実地調査から―
    芹澤 知広
    アジア・アフリカ地域研究
    2018年 17 巻 2 号 227-257
    発行日: 2018/03/31
    公開日: 2018/05/12
    ジャーナル フリー

    This paper reports the findings of field studies in China, Vietnam, and Australia into the gods worshiped by the Hoa Nung people. The Hoa Nung are a group of ethnic Chinese who migrated from southern China in the eighteenth and nineteenth centuries and settled in Hai Ninh province (the present Quang Ninh province), northern Vietnam. The settlement’s central religious facility in Ha Coi (the present Quang Ha) was the temple of the Goddess of Mercy, Wu Guo Guan Yin Miao (Mieu Quan Am Ho Quoc). In 1954, when the communist government led by Ho Chi Minh occupied their autonomous region, the Hoa Nung undertook a massive migration from northern to southern Vietnam. During this migration, the temple gods also migrated to the south. In addition to many places in southern Vietnam, branches of worship were also established in Australia after the fall of Saigon in 1975. Politicians that have been important to the people in the borderland between China and Vietnam throughout history are included among the gods.

  • ―中国広西壮族自治区武鳴県の事例より―
    手塚 恵子
    アジア民族文化研究
    2007年 6 巻 67-102
    発行日: 2007/03/31
    公開日: 2020/04/01
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 松本 光太郎
    民族學研究
    1987年 52 巻 3 号 246-257
    発行日: 1987/12/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • 中国内モンゴル自治区中部の事例より
    尾崎 孝宏
    文化人類学
    2020年 85 巻 3 号 505-523
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/04/07
    ジャーナル フリー

    本論は中国内モンゴル自治区中部における「旅游点」で展開されるエスニックツーリズムを事例に、筆者の実食データと対照させつつ、トランスカルチュラル状況の食文化の在り方について考察を加えることを目的とする。内モンゴルの旅游点で提供されるものは、食を中心としたエスニックツーリズムである。旅游点で提供される歌舞やアトラクションは、中国におけるエスニックツーリズムの大規模拠点である民族テーマパークにおける表象と連続性が見出される。一方、旅游点における食は、基本的にはと畜直後のヒツジの内臓と肉を塩ゆでで提供するという、モンゴル族の牧畜民における宴席の延長線上に位置づけることが可能である。メニュー構成の調節においてはゲストの嗜好性が反映されている一方、すべてを観光の場や漢族の眼差しに帰することは不適切である。例えば乳製品の抜絲(飴がけ)は、都市のモンゴル料理店で一般的に提供される。また、内モンゴルの内外で提供されるメニューがモンゴル料理店のメニューに取り込まれる過程にも、漢族との関係性への考慮は特に必要ない。エスニックツーリズムには異文化接触における身体性の適度な調節が不可欠である。内モンゴルの旅游点で出されるメニューに対してゲストが抱く安心感は、旅游点を訪れたゲストの直接的な経験とは切り離されているものの、都市のモンゴル料理店およびモンゴル族を中心としたその顧客を経由して構築されている。

  • 浅川 滋男
    建築史学
    1993年 20 巻 102-126
    発行日: 1993年
    公開日: 2018/08/19
    ジャーナル フリー
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