本研究は、日本におけるテレビジョン受像機(以下、
テレビ受像機
)のデザイン変遷について明らかにすることを目的とし、カラー
テレビ受像機
の成熟期に当たる昭和50年代を対象にて調査、分析、考察する。
昭和 50 年代のテレビを取り巻く状況は、普及の加速からテレビ視聴への偏重が社会問題となっていった。また、
テレビ受像機
は重要な輸出製品となり、日欧、日米間の貿易摩擦問題となったことから日本メーカーは生産の海外現地化を進めた。そのため、日本生産製品は日本の社会、技術状況に合致したデザインへと変容していった。そのきっかけが 1978(昭和53)年にスタートした音声多重放送(ステレオ放送)であった。
昭和 50 年代前半は、セット台一体型がカラー
テレビ受像機
の主流になり、中頃になると音声多重放送(ステレオ放送)を表現した両袖タイプのセット台一体型が豪華な家具調デザインで出現した。テーブルタイプはコンソールタイプの安価な簡易型として木目木質感を取り入れていた。ポータブルタイプのデザイン基調を取り入れたソニー「プロフィール」が発売され、シンプルなモニタースタイルは、オーディオ、ビデオとのシステム性を考えたデザインとして次第に主流になった。その背景には、放送以外のメディアを映し出す装置としての
テレビ受像機
の役割が生まれたことがある。
グッドデザイン賞選定数推移からは、コンソールタイプからセット台一体型、そしてモニタースタイルにデザインの主流が移ったことが分かる。1982(昭和 57)年にテーブルタイプの選定数が急増したのは、「プロフィール」のデザインに影響を受けた各社の開発機種数の増加が要因であると推測できる。
昭和 50 年代は、テーブルタイプのモニタースタイルが主流になったことで、
テレビ受像機
本体においては、木目木質感表現の使用が減少した時期であった。しかし、モニタースタイルにおいても AV ファニチャと言われる設置台兼収納家具が合わせて訴求された。モニタースタイルは、
テレビ受像機
の持っていた家具の要素を切り離したが、AVファニチャが家具の要素を持ったことにより、生活者に受け入れられた面があると見ることができる。
抄録全体を表示