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クエリ検索: "デイノメネス"
1件中 1-1の結果を表示しています
  • 久保 正彰
    西洋古典学研究
    1958年 6 巻 24-32
    発行日: 1958/05/10
    公開日: 2017/05/23
    ジャーナル フリー
    シシリア訪問ののち幾年かへて,ピンダロスはアクラガスに佳む親友トラシュブーロスにあてた一詩を,書樂家ニケーシッポスに託して送りとどけた.この詩が後に言われるイストミア第二詩である.これは,ピンダロスの他の數篇の詩とおなじく,詩の形式をかりた一種の書簡であつたらしい.その最初の十三行に,一見,詩の本體とは緊密な關連をもつておらず,獨立した序詞の形をなしている.ここで詩人は,古今のミューズを著しい對照に描きわけ,華やかな感情の高揚に詩情をゆだねた昔のミューズに對して,現實的な窮乏に追われている今の詩人たちの姿を明確に捕えている.この一節は古くから,さまざまの意味に解されて引用されているが,ある古註作者は,ピンダロスが當時の詩入たち,とりわけ,シモニデスの拝金主義的な詩作態度に對して放つた,辛辣な批到の言葉であると解釋する.またある人は,詩人が自分のパトロンであるトラシュブーロスにむかつて,娩曲に詩作の報酬を求めているのだと,意地悪い見解を示している.しかし,ピンダロスの言葉をいますこしく檢討してみれば明らかとなるように,詩人が古今のモイサ像によせて傳えんとした意味は,言われるように單純な人身攻撃や,卑屈な代償の催促ではなかつたように思われる.彼の意圖が何であつたかについては,様々の互に矛盾した解釋があるが,それらを逐一調べることによつて,彼の時代の性質と,彼の詩人としての立場のむつかしさについて,多少なりと知ることができると思う.そして最後に,二つのモイサ像にこめられた作者の意圖について,一貫性のある解釋を下すことができれば,誠に幸である.
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